《講演》福島第一原発事故 ── 今 伝えたいこと〈前編〉 菅野 哲(飯舘村民)

本稿は2022年12月18日大阪市で行われた「チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西発足31周年の集い」の記念講演「福島第一原発事故から11年 今 伝えたいこと」の講演データです。一部再構成した上で、前編、後編の2回に分けて掲載します。

 

◆はじめに

2011年3月11日の東日本大震災と福島第一原発事故から早くも11年の月日が過ぎ(講演当時)、福島市で妻と二人の避難生活です。当時62歳の私も74歳を迎えました。この11年という時間は、私の人生ではどう捉えたら良いのか思いもつきません。あまりにも人生を考える上で想像を超えるものがあり、予期せぬ人生の一コマですから、これまでの人生の7分の1を費やしてしまったことになります。

(2011年当時は)人生の区切りの60歳を迎え、シニアライフプランをもって農業に復帰し、時代に即応した新しい農家経営の改善に取り組んだばかりでした。何代にもわたって村民の手で培ってきた平和な美しい飯舘村は放射能汚染によって避難・追放となり、コミュニティは崩壊しました。村民は引裂かれ、暮らしの根底を崩壊され、恒常的に安定して暮らす生活権を喪失したのです。

◆事実上の強制避難、高かった初期被曝

 

事故後、計画的避難とはいえ事実は強制避難だった。人生をかけて作り上げてきたものが全て壊され、一からのやり直しを強いられました。

飯舘村民の避難は、避難指示が事故から一か月以上も遅れたことで、避難先が見つからずに長く高放射線量下の村内に居住していて確実に高い放射線被曝を被ったはずです。

しかし、避難に当たっては、スクリ-ニングもなされず、線量検査もされなかったのは何故なのか。国・県の災害対応のマニュアルには記されていたはずです。

11年を経過した今では計測も出来ないし、行動記録も曖昧になってきているから判定は難しいと言うことになるのでは納得がいきません。しっかりした回答が欲しい。

◆何百年も続く汚染と住民の苦悩~原発事故の現実を伝えるべき

飯舘村では村の80%の除染ができておらず、山も川も放射能汚染はそのままで、野山の恵みである山菜もキノコも後何百年と食べることも出来ないという。まだまだ住民は苦悩しながら生きていかなくてはならない。

必ず原発事故が起こればこうなるのだという、この現実を日本国民は知り、後々の代まで伝えるべきです。

今の飯舘村は、8割近くの人が避難先で暮らしているのは何故か。生業の目途が立たないばかりではなく、事故前のような暮らしが出来ないからです。国・県による外からの移住政策ばかりがアピ-ルされていて、既存の住民の生活再建施策が乏しいからであると感じています。

◆「風評」はまやかし、「放射能汚染は健康に影響せず安全」とどうして言えるのか

「風評」という言語は、政治・行政が作り上げた戯言で、多額の公費を費やして如何にも安全だとアピ-ルし、国民を安心させ黙らせようとするまやかしの手法、全く本末転倒です。被災地では放射能による長期的汚染の被害が実在しているのですから。

 

ましてや国も東電も事故の責任を取る姿勢もないし、原陪審のいう慰謝料等の賠償金を支払うことで済まそうとしているように取れる。

たばこの煙が健康に影響するとして行政罰が科されるのに、なぜ放射能汚染は健康に影響しない安全な物と言えるのか、私たち被災者には到底理解できない。

いくつかの裁判の例を見るに、司法の場でも明らかにされないのかと思うときに、このままいくと私たちは棄民にされるのではと危惧しています。(つづく)

▼菅野 哲(かんの ひろし)
1948年、戦後開拓入植者の長男として飯舘村で生まれる。福島県立相馬高校卒。家業の農業に従事後、飯舘村森林組合に就職。1969年、飯舘村役場に奉職。2009年、定年退職後、農業に復帰。2011年3月、原発事故により福島市に85歳の母と妻の家族3人で避難生活。2014年7月、長谷川健一団長と共に「原発被害糾弾 飯舘村民救済申立団」を立ち上げ、副団長として「申立の趣旨」文案にかかわり、組織化につとめる。2019年7月、「飯舘村民救済申立団」解散。現在は公益社団法人相馬広域シルバー人材センター理事長。報徳会相馬理事。主著に『〈全村避難〉を生きる:生存・生活権を破壊した福島第一原発「過酷」事故』(言叢社2020年)。

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《BOOK REVIEW》尾﨑美代子『日本の冤罪』── 大阪・西成の飲食店「はな」ママが市井の視点から解き明かす16の冤罪事件 評者=田所敏夫

◆冤罪はきょうも続いている

 
尾﨑美代子『日本の冤罪』(鹿砦社)10月23日発売

警察に「逮捕する!」といわれ、手錠をかけられる。最近あるのかどうか知らないが「刑事ドラマ」は二世代ほど前には人気番組だった。しかしあの番組群は、警察権力に迎合し過ぎた。やりたい放題な拳銃の発砲や警察権力の過剰な暴力を英雄化・美化して視聴者の感覚を鈍化させる作用を担っていた。

そういったエンターテインメントで描かれる、警察の正義性や、苦闘、あるいはヒューマンドラマの裏面に「作り物」ではない現実として、冤罪は悲しい旋律を奏でながら現在進行形、きょうも続いている。

冤罪とは事件・事故の加害者ではないのに、まずは警察に加害者と決めつけられ、ほどなく、被疑者と呼称を変えられ(かつては「被疑者」とも呼ばれず氏名呼び捨てであった)、警察発表に従いマスコミが「こいつが犯人だ」、「こいつは劣悪非道な人間だ」と散々喧伝され、最悪の場合、無期懲役や死刑が言い渡された犠牲者を示す単語である。そこには司法の暴走・暴虐・組織防衛の力学が必ず働く。

◆著者は大阪市西成区の飲食店「はな」のママ

『日本の冤罪』著者の尾﨑美代子さんは、大阪市西成区に飲食店「はな」を経営する女性だ。西成といえば「釜ヶ崎」。「釜ヶ崎」はご存知の通り、日雇労働者が多く暮らす地域だ。著者は「どこにそんなエネルギーと発想が蓄えられているのか」と驚嘆させられる情熱の持ち主である。その情熱が『日本の冤罪』で二つ結実した。

一つ目は布川事件冤罪犠牲者桜井晶司さん(本年8月23日にご逝去)と著者の対談だ。この対談はおそらく桜井さんが遺された最後のまとまった意見表明だろう。二つ目は冤罪事件解決、原発訴訟や福島原発事故被害者救済の裁判など広範な分野で最先頭に立ち、闘う井戸謙一弁護士からの寄稿「弱者に寄り添い 底辺の実相を伝える」である。桜井さん井戸弁護士お二人の力添えが『日本の冤罪』の価値をより高めていることは間違いない。

本書に推薦文を寄稿してくれた井戸謙一弁護士(左)と著者

◆16の事件の冤罪犠牲者たち

『日本の冤罪』には16の事件、18本の取材報告が収録されている。殺人事件から1万円の窃盗そして痴漢事件まで。「事件の軽重にかかわらず幅広く冤罪は作られる」ことを知るために、本書が有益であることを著者は意識したであろうか。さらにこれまで一度として報道されたことのない「京都俳優放火殺人事件」まで取材・執筆の幅が広がっていることが数ある冤罪関連書籍の中で本書を際立たせるのだ。読者は驚かれるかもしれないがと「京都俳優放火殺人事件」の冤罪犠牲者は現在も獄中に囚われたままだ。

著者の冤罪事件取材の方法は独特だ。対談した桜井さんや他の冤罪犠牲者から「こんな事件がある、冤罪だ」と紹介を受け、当該事件の冤罪犠牲者や、弁護士、関係者に取材に赴く(冤罪犠牲者が獄中に居れば手紙を書く)。多くの場合取材のきっかけに冤罪犠牲者の紹介や、要請があり、それが次の事件取材へと繋がる。

『日本の冤罪』筆者の主たる生業は執筆ではない。著者は20年続く飲食店「はな」の店主である。つまり著者は少なくとも「二足の草鞋」を履いているのであるが、それだけではない。「はな」はしばしば勉強会、講演、音楽ライブの会場として地域だけではなく全国から人が集まる場所として機能する。仕切るのはいつも著者、でも必ずたくさんの人が手伝ってくれるという。

冤罪の犯罪性を市井の視点から解き明かし、その射程を未だに誰もが触れぬ領域にまで広げていった。本書のエッセンスと価値はそこにある。

◆取材者の洞察力

 
布川事件冤罪犠牲者桜井晶司さん(本年8月23日にご逝去)。本書収録の対談が桜井さんによる生前最後の意見表明となった

ひとつだけ『日本の冤罪』手に取る未来の読者に警告しておこう。冤罪取材は事実の確認作業が第一歩だが、その先にどんな恣意が隠されていたのかを洞察するのは取材者の洞察力に委ねられる。

さらには事件を文章化するにあたってはときに、凄惨な事件を描写しなければ全様を説明し尽くせない。冤罪を解き明かすには取材者が事件の全体像に踏み込む勇気が求められるわけだ。著者はどんな事件であっても全容を納得することなしには、文章を書いていない。冤罪の犯罪性同様、事件のむごたらしさも描かれていることを心して、読者は本書を手にしてほしい。

なお、著者は故桜井さんに「尾﨑さん、あの事件も書いてよ」と言われている冤罪事件をかなりの数抱えている。その取材が終わるまでは、桜井さんにお別れはできないという。ということは、冤罪事件がある限り、著者が桜井さんに「さようなら」を言える日は来ないのかもしれない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。著書に『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社)がある。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

[著者略歴]尾﨑美代子(おざき・みよこ)1958年、新潟県生まれ。中央大学中退。大学生時代の80年代、山谷(東京)の日雇労働者、野宿者問題の支援に関わる。90年代初頭大阪に移住して以降は、同じく日雇労働者の町・釜ヶ崎に住みながら、フリースペースを兼ねた飲食店「集い処はな」を経営。釜ヶ崎で知り合った仲間たちと、3・11以後福島支援、反原発運動を始め、講演会、上映会、支援ライブなどを続ける。その傍ら、かつてより関心のあった冤罪事件の取材・執筆活動を続ける。


広島県病院問題で学習会に参加「公的病院の統廃合は、民意の力で撤回可能!」 さとうしゅういち

「県病院問題を考える会」(代表代行・有田優子広島市議)の第一回学習会が10月9日(月)、広島南区民文化センターで行われ、福島みずほ参院議員が「地域の病院をみんなの力で残す」と題して講演しました。

広島県の湯崎知事が、地元住民の声も聴かず、積算根拠も不明確なまま、県病院(広島市南区)を含む病院の統廃合と巨大病院(広島駅新幹線口に予定)建設案を9月県議会に提出し、保守の一部と共産党は反対したものの、可決されてしまった中で行われました。

福島議員と筆者は大学の先輩・後輩です。福島議員がわたしの大学3年の1997年秋にOGとして母校に講演に来られたとき以来、半世紀以上交流させていただいています

福島議員は、全国を回り、公立病院の統廃合問題について情報を収集しておられます。また、厚生労働省や総務省に直接見解を問いただしておられます。

 
福島みずほ参院議員と筆者

◆社会保障費カットの流れは確かだが

福島議員は、講演の中で、まず、現在、社会保障費とくに医療費抑制と防衛費増大及び、防衛力増強のための積立金計上とセットで進んでいる、また、長年にわたって医療費抑制が進められ、病床数は28年間で36万床減少し、自治体病院は147減少、ICUは444か所減り、保健所は個所数を45%削減するなどの流れがある、と説明。そして2019年には424,のちに436病院を再編統廃合の対象として名指しして撤回していない、2021年には改悪医療法成立で消費税を使って病床削減を行っていると指摘。 

また、公立病院を独立行政法人化した場合、意思決定の迅速化や経営の黒字化、規模拡大によるコスト削減などのメリットはあるが、他方で、不採算部門が切り捨てられる、非公務員化で職員の離職が増える、その結果、人員不足、過重労働になる、議会によるチェック機能が低下するなどの問題点があると専門家への聞き取りを踏まえて指摘。

◆一方的な公的病院廃止の流れでもない

福島議員は、一方で、以下のように一方的に公的病院統廃合が進む情勢ではないことを強調しました。

1、総務省や厚労省は再編リストをつくってはいるが、自分が問いただしたところ、各都道府県に病院を統廃合しろという指示・命令をしているわけではない。国としては、都道府県に対応は任せるが、『統廃合するなら、国がお金は出すよ』というスタンス。強制はしないともいえるし、卑怯ともいえる。

2、他の都道府県では、病院統廃合の事業規模は50億円程度だ。広島県の1300億円~1400億円というのは異常。しかも、国(総務省・厚労省)による再編のリストにも入っていない。また、「(広島の新病院がめざす)1000床にならないと、良い医師の採用ができないということはないのか?」という問いに対して、厚労省は「そんなことはない」という回答をしている。広島県病院は他の地域の再編対象共違い、赤字で成り立たないというわけでもない。それが、他地域との大きな違いだ。

3、民意で病院統廃合をひっくり返すことは可能。徳島県では国立病院機構徳島病院の統廃合を県選出の国会議員への働きかけで阻止した。一時期、県立病院の独法化が検討されていた滋賀県では世論を受けて一応革新系の三日月知事が県立維持を打ち出した。青森県でも県病院と市民病院の統廃合へ前知事が市の意見も聞かずに突っ走っていた。しかし、自民系同士の交代ですが宮下知事に知事がかわったことで、防災対策の面などからも再検討されることになり、暴走にブレーキがかかっている。兵庫県の三田市では病院統廃合撤回を争点に現職市長を無名サラリーマンが打倒。そのほかにも市長の交代で公立病院統廃合を阻止している。

◆涙を誘う「県病院がないと生きていけない」 地元有権者からの手紙

 
有田優子広島市議

南区選出の有田優子市議から新人議員としての議会報告がありました。2歳の時に難病を宣告されて県病院に入院した経験を持ちます。また、衆院選、市議選と選挙活動をする中で、「県病院がないと生きていけない」という地元有権者の声をうかがい、どうしてもその声を政治に届けたいと決意しました。2023年春の市議選でも主に県病院の廃止反対を訴え、所属政党である社民党の基礎票を大きく上回る得票を得ました。

有田市議は広島市議会でも一般質問で30分間のうち10分間を県病院問題に割いたそうです。

県の所轄とはいえ、市民の命にかかわること。しかし、市の答弁は「県の動向を注視する」という主体性のないけんもほろろなものでした。有田市議は今も雨の日も土日も朝から県病院前電停近くに立って街頭演説をして県病院を残せと訴えています。

県病院問題を考える会の黒川事務局次長は「県は独立行政法人化を2025年4月にはしてしまおうとしている。県の責任逃れだ。また、JR西日本から土地を買うために県は180億円もの県費を出すつもりだ。税金の使い道としてどうなのか。経理の透明性はどうなのか。追及していかなければいけない。」と訴え、署名活動や学習会などへの引き続きの取り組みをお願いしました。

滝谷事務局長から最後のあいさつに代えて、「県病院がなければ生きていけない」と有田市議に声をかけてきた方で、現在は県病院に入院中、という方からのお手紙を代読し、有田市議に伝達、出席者の涙を誘いました。

◆浮き彫りになった湯崎知事の異常性、打倒するしかない

福島議員の講演で明らかになったことがあります。それは 別に赤字というわけでもない公立病院を潰すのに1300億~1400億円をかけるということです。こんな例は全国でも他にないということを知り、筆者も質疑応答の中で、「他の問題でも暴走が続く湯崎知事。彼は国以上に新自由主義を進める確信犯だ。広島県民の未来のためにも湯崎知事を打倒するより他ない。」と発言させていただきました。

確かに、国政レベルで医療費抑制の流れはあるし、軍拡を口実にそれが加速する恐れもある。それを阻止するのは総理の地元選挙区有権者としての責任でもあると思います。その上で、広島県の場合は国が名指しをしてもいない県病院を潰そうとしているわけです。

湯崎英彦・広島県知事の突出した異常な新自由主義、庶民斬り捨て政治を正していこうではありませんか。筆者は引き続き、暴走する湯崎知事から広島県政を県民の手に取りもどすヒロシマ庶民革命を呼び掛けています。我こそは広島県知事に!広島県議に!という方のご連絡をお待ちしております。 

◎連絡先 090-3171-4437 hiroseto2004@yahoo.co.jp

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年11月号

ピョンヤンから感じる時代の風〈32〉米中新冷戦との関係で見てこそ分かる物事の本質 魚本公博

最近のマスコミ紙面を賑わせているのは「汚染水放出」「ビッグモーター」「ジャニーズ問題」「風力発電汚職」などである。その一つ一つは、それぞれの問題がありSNS上でも論議されている。しかし何か的はずれの感を否めない。

今、米国は衰退する覇権回復のために米中新冷戦を掲げ、日本をその最前線に立たせるために日本を米国の下に統合する「日米統合」を異常なほどの早さで進めている。

このことを見なければ物事の本質が見えてこないのではないか。米国とその追随勢力は何を狙っているのか。今回は最近の各「事件」を読み解きながらそれを探っていきたいと思う。

◆風力開発収賄事件 ── 米国の狙い、「日本のエネルギー自立は許さない」

先ず、地検特捜部が動いた「風力開発収賄事件」から見ていきたい。地検特捜部は米国の機関というのは常識であり、そうであれば、そこに米国が何を問題視し、何を狙っているのかが分かるからだ。

この事件は、秋本衆院議員が、洋上風力の用地入札を巡って、その入札基準をこれまでの「価格」から「早さ」に替えるように国会質問などで要求したことが、「日本風力開発」に便宜を図った収賄事件であるとして摘発されたものである。

「日本風力開発」の坂脇社長の「自前のエネルギーが日本の安全保障を支える。風力が日本にとっての石油になる」との言葉は日本の国益にもかなった正しい見解だと思う。それ故23年3月に、国交省、経済産業省も評価基準を「安さ」から「早さ」に変更している。

風力発電は脱原発であり、米国は、「それは許さない」ということだ。

何故か? 日本はエネルギーでは米国に依存している。石油もさることながら、原子力も濃縮ウランは米国が供給している。米国は日本のエネルギーを支配することで日本を従属化しているのであり、日本のエネルギー自立を絶対に許さない。それは70年代に田中角首相が「自主資源外交」を唱え、ロッキード事件で失脚させられたことでも明らかだ。

風力発電では中国が世界の先端を走っており、風車などの設備も安価なものが世界を席巻している。日本で風力発電を進めれば、中国との関係が深くなる可能性は高い。

米国は、これを警戒しているのではないか。

米中新冷戦で日本をその最前線に立て中国と対決させようとしている米国にとって、日本が「自前のエネルギー」開発を進めて、「エネルギー自立」を図ることなど許せないことであり、ましてや中国との関係を深くすることなど、わずかな兆候でも許せないことなのだ。

◆汚染水放出問題 ── 米国の狙い、「日本と中国の対決を煽る」

内外の反対を押し切って福島原発で溶解したデブリを冷却した汚染水の海洋投棄が始まった。その結果は安全であるという「処理水安全」キャンペーンが張られている。

しかし放水は、廃炉まで続けなくてはならず、政府が言う、30~40年でなど政府自身も信じておらず、世界の専門家は200年、数百年は掛かるだろうと見ている。それまでの安全性を一体どうやって保証すると言うのか。無責任も甚だしい妄言だとしか言いようがない。

その安全性はIAEAが保証していると言うが、IAEAとは米国の核覇権体制であるNPT体制のための機関であり、実質、米国の機関である。

そのお墨付きで行った汚染水放出強行は米国の後押しで行ったということであり、そうであれば米国は何故、今、汚染水放出を強行させたのかを考えなければならない。他の方法は幾らでもあり、内外の専門家も貯蔵を継続し、その間に安全な他の方法を採用すればよいといっているのに、何故、今、それを強行させたのか。

これも米中新冷戦の下で米国は日本を対中対決の最前線に立たせようとしているという関係の中でこそ見えてくる。

即ち、対中対決のためには中国敵視の雰囲気を高めなくてはならず、そのために汚染水問題をもって、それを煽るということだ。

中国は汚染水放出に反対し、それを強行すれば、相応の措置を取ると明言してきた。だから放出強行に対して中国が日本の海産物輸入禁止などの措置を取ることは当然予想されていたことであり、それを利用して反中国キャンペーンを行うことは既定のスケジュールだったということだ。

汚染水問題では、政府の見解以外は全て「偽情報」とし、マスコミもこれに従えという報道管制が敷かれている。そこでは「汚染水」と呼ぶこと自体が偽情報であり、中国が汚染水放出の停止を要求し日本の海産物の全面禁輸措置をとったことも偽情報によるものとされている。

この戦前を髣髴させる大本営報道の渦の中で、汚染水放出に反対したり疑問を抱くことは非国民にされかねない状況になっており、対中対決の雰囲気が煽られている。

「処理水安全」キャンペーンは、そのためのものだということである。

その上で、「汚染水安全」は、米国の核戦略の上からも絶対必要なものであることを見ておかなければならない。

米国の核戦略は、原発と結びついている。原発稼動の過程で出るプルトニウムが核兵器の原料になるからである。そして原発からは必然的に汚染水が出るのであり、これを海洋放棄するしかない。その「安全性」はIAEAという米国の機関が「保証」するという自分で自分の正当性を「保証」するものでしかない。

米国が核覇権を維持するためには原発がなくてはならず、「汚染水放出は安全」でなければならないのであり、そのためにも「処理水安全」キャンペーンが張られているのだ。

さらには「汚染水は安全」は米中新冷戦で日本を最前線に立て核の共有化という「核武装」させるために桎梏となる日本人の核アレルギーを弱化圧殺するためのものになるということも見ておかなければならない。

今、米国は、日本を対中対決の最前線に立たせ、敵基地攻撃能力を保有させ、それに核を搭載する核の共同保有を狙っている。そこでネックになるのが被爆国日本の核アレルギーである。そこで「汚染水は安全」から「原発は安全」にすることで日本人の核アレルギーを弱化させ解体していく。そして日本人に核戦争の覚悟をさせる。

それは、米軍が指揮権をもつ核の共同保有の覚悟、米軍の指揮によって日本が核の戦場にされるといいうことであり。米国覇権のためにウクライナのような米国の代理戦争、それも核代理戦争をやらされるということである。

◆ビッグモーターとジャニーズ ── 米国の狙い、「日本的システム」は解体する

日本の自動車業界では中古車市場が独特の地位を占めている。日本車は高品質で中古品でも海外で人気があり、多くの輸出が行われている。自動車業界もこれに目を付けて新車を中古車として売るなどしており、これは米国の神経を逆なでする実質ダンピングになっている。

自動車を所有すれば自動車保険に入らなければならない。保険会社にとって自動車保険は大きな市場。そこで損保各社が中古車販売会社に出向して、その保険を取る。そのために中古車会社が意図的に自動車に傷をつけたものも賠償する。そうした持ちつ持たれつの関係を破壊する。それは米国保険のこの分野への進出を図るものになる。

日本的システムの破壊は、日米統合のために不可欠だ。「ビッグモーター」問題で経済産業省が動き「社長の辞任だけでは済まない」と息巻いている背後には米国がある。

今、日本では米国ファンドが「もの言う株主」として様々な業界で、米国式の株主主体の会社にせよと要求しているが、日本的システムもその標的にされている。そうした関連の中で、「ビッグモーター」問題があるということを見なければならないと思う。

一方、ジャニーズ問題は、久しい以前から様々なメディアに取り上げられて来た。それが今になって、世界のメディアも取り上げる大事件、日本のテレビ業界、マスコミ、広告企業も巻き込む大事件として連日のように報道されている。

その報道ぶりに、「何故、今になって」との声も聞くが日米統合のためという観点から見れば、その疑問も解ける。

今ジャニーズは社名を「SMILE-UP」に変更し、タレントと個別にエージェント契約を結ぶ形式を基本にした経営を行う、内部通報制度を改革するなどの方針を打ち出している。

それは、米国式経営だということではないか。

日本の場合、芸能会社が強く、それにテレビ界、マスコミ界が関与して、強固な「芸能村」を形成してきた。この封建的とも言える日本的なシステムを解体し、米国が日本の芸能界や芸能村を指揮し管理する、そうした狙いがあるのではないか。

確かに古めかしい日本的システムを解体することは必要である。しかしそれを壊して米国が日本の芸能界、芸能村を取り仕切るということになってはなるまい。

問われているのは、芸能人や関係者が主体的に時代に合った新しい日本のシステムを作っていくことだと思う。

◆日米統合一体化を促進する「資産運用特区」

9月22日に岸田首相がニューヨークで講演し、「資産運用特区」を創設して、ここに外資を呼び込むという政策を発表した。

岸田首相は、これまでもNISA(小額投資非課税制度)の拡充、恒久化に取り組んできたと述べながら、今後さらに「資産運用の高度化を進め、新規参入を促進し、資産運用特区を始めとした各種の規制緩和を通じて運用能力の高い海外人材の受け入れを積極化する」と表明した。

要するに日米統合一体化を促進し、日本国民の2000兆円もの資産を外資に開放するということである。

その講演では「英語のみで行政対応を完結できるようにする」とある。90年代に規制緩和を要求してきた米国に対し、「これじゃあ、日本語も障害になると言われかねない」と笑い話し的に語られたが、今や笑い話しではなくなったということである。

岸田首相は「日本独自のビジネスルールの是正」にも言及している。上で述べたような「中古車市場」「芸能村」などのルールも日本独自のビジネスルールであって、それをなくして日本を外資が自由に闊歩するような「外資天国」にして、一体どうしようと言うのか。

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魚本公博さん

米中新冷戦で日本を対中国対決の最前線に立たせる、そのために日本の全てを米国に統合する。そこから見てこそ、物事の本質が浮き彫りになる。それは日本国民の財産を米国に売り渡し、ひいては日本の国土を米国の代理戦争、核代理戦争の場に提供するところにまで至るものとしてある。

そのようなことを決して許してはならない。今、日本には様々な問題が山積している。しかし、それを正すのは日本、日本人でなければならず、決して米国やそれに追随する者たちであってはならない。

今ほど、日本人としての主体的な対応が求められている時はないと思う。

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼魚本公博(うおもと・きみひろ)さん
1948年、大分県別府市生まれ。1966年、関西大学入学。1968年にブントに属し学生運動に参加。ブント分裂後、赤軍派に属し、1970年よど号ハイジャック闘争で朝鮮に渡る。現在「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『一九七〇年 端境期の時代』
『抵抗と絶望の狭間~一九七一年から連合赤軍へ』

進む広島駅周辺再開発 このままネオリベ知事・市長の「独裁」でいいのか?〈2〉リスクだらけの新巨大拠点病院計画 さとうしゅういち

広島駅の南北でいま、大規模な再開発が進んでいます。その中で、広島県知事・湯崎英彦さんと広島市長・松井一実さんの暴走が目立ちます。松井市長の暴走は、以前ご紹介した中央図書館の『エールエールA館移転』問題です。

今回取り上げるのは湯崎知事の暴走です。湯崎知事は、広島県立広島病院、JR広島病院、中電病院、広島がん高精度放射線治療センターなどの機能を集約した1000床規模の巨大な新拠点病院建設を計画しています。

こうした中、広島県議会9月定例会は10月2日、212億円の補正予算案を可決しました。この補正予算案には、新拠点病院建設へ向けた予算も含まれています。もちろん、今回の補正予算案で可決されたのは病院建設へ向けた費用のほんの一部です。湯崎知事がすでに発表している基本計画によれば1300-1400億円の総事業費がかかるということです。

[左]広島県立広島病院(いわゆる「県病院」)。[右]JR広島病院。いずれも筆者撮影

◆試算根拠不明、議決に値しないボロボロの議案に賛成した国政与党と立憲

今回の補正予算案に賛成したのは自民党の多数派、公明党、立憲民主党などの県議です。逆に、自民党少数派(自民党広志会)など保守の一部と日本共産党は反対に回りました。広志会の女性県議は反対討論で総事業費の試算根拠が全く示されていないと指摘。これでは賛否の判断のしようがないと切り捨てました。日本共産党も、県病院周辺住民の合意が得られていないことなどから、反対に回りました。

他方で、立憲民主党所属のある県議は「まだまだ見通しが立っていないことや課題も多いことから今後も様々な角度で引き続き議論が必要」と認めながらも、賛成に回ってしまいました。そんなに課題があるなら、知事に顔を洗って出直してもらうべきだったのではないでしょうか? こんな議案に賛成してしまったことについて、立憲広島は恥を知るべきです。

◆『独裁』で突進してきた湯崎知事さえも早くも『逃げ』の態勢

湯崎知事は予算が可決された翌3日の定例会見で「病院の統合も含めた長期的な計画なので、事業や財務の計画には当然さまざまなリスクがある。物価のほか医療制度や技術も変化していくので、常に計画をアップデートして、発表していきたい」とおっしゃいました。

湯崎知事自身も早くも、逃げの態勢に入ったと言わざるを得ません。さまざまなリスク……すなわち、この病院計画案がボロボロであると知事自身が認めたようなものです。『常にアップデートして発表』といえば、いかにも柔軟そうで聞こえはいい。しかし、そもそも、県病院や中電病院など廃止される病院の周辺住民の合意をきちんとり、病院を作るうえで必要な様々なことを住民の意見も聞いて詰めていれば、こんな発言は出てきません。

ここまで湯崎知事の事実上の『独裁』で生煮えの計画をつくる。そんな計画に基づいて、補正予算案を出してしまう。そして、問題点が噴出すれば「常にアップデートします」と聞こえの良い言葉で逃げる羽目になったのではありませんか? そんな知事のいい加減な仕事ぶりにあきれ果てました。

◆リスク・疑問点だらけの計画

知事もお認めになった通り、この病院の計画にはリスクや疑問点が多すぎます。

第一に、新拠点病院はJR広島病院がある地区にできるから、JR広島病院を再利用するかと言えばそうではありません。JR広島病院は新しい建物になって10年もたっていないのに、解体して立体駐車場にするという。あまりにももったいない、と言わざるを得ません。

第二に、この広島駅北口地区は渋滞が慢性化しています。とくに朝夕の通勤時間帯やマツダスタジアムでカープの試合がある前後は酷い渋滞で、歩いた方が早いことがよくあります。筆者と妻が外食をして帰るとき、妻はバスで、筆者は自転車で帰りますが、筆者の方が圧倒的に早く家に到着し、筆者の帰宅を喜ぶ犬の写真を妻に送る余裕があるありさまです。そんな状況で、救急車がうまく病院に到着できるのでしょうか? 外来の患者さんも円滑に来院できるのでしょうか? 命に係わる一刻を争う時にこれはまずいと思われますが、筆者の友人が県の担当部局に問い合わせた時も納得できる回答は得られていません。

第三に、県立広島病院の現在地だと南海トラフ地震の津波のリスクがあると県は主張しますが、広島駅北口とて大差はないのではないでしょうか? 地震動についてはむしろ広島駅北口の方が強いというデータもあります。そもそも、現在地に津波で救急車が到着できないなら、広島駅新幹線口にも到着はできないでしょう。むしろ、何か所かに病院を分散しておいた方が災害時のリスク分散になり良いのではないか?

第四に、新拠点病院では過疎地で医療に従事する若手医師を育成するという。しかし、広島駅という県内でももっとも煌びやかな地域(東京にはもちろん及びませんが)に来たがる若い先生方が、そもそも過疎地に赴任したがるか疑問です。

第五に、県病院の医療スタッフは現在のところ公務員=広島県職員ですが、移転後は独立行政法人になります。この際、身分の不安定化から、今いる医師も、バカバカしくなって、もっと都会の給料が高い病院に流出する危険があるのではないでしょうか?そうなると、湯崎さんが掲げる高度医療の提供も画餅に帰すことになります。また、独立採算制になれば、儲け主義にも結局なりかねません。

第六にそもそも、県病院周辺の住民、あるいは同じく新病院に統合が予定されている舟入市民病院の小児救急周辺の住民の納得は得られていません。県病院が近いから、舟入市民病院が近いから、ということで、医療ケアが必要なご家族を抱える方が家を購入しているケースも多いのです。

◆病院の存続を求める市民団体

こうした中、県立広島病院の存続を求める市民団体「県病院問題を考える会」が3日、県庁で記者会見しました。黒川冨秋事務局次長は、「県病院は長く県民に親しまれてきた病院だ。新しい病院が出来ても地元の人はタクシーなどで通院しなければならず、病気の人には負担が大きい」「県病院を残して今までどおりの医療体制を維持するべきだ」と訴えました。 
その上で、「古い病院を壊すだけではいいものにはならない。お金の使いかたを充実させてほしい」と述べ、湯崎知事が新病院でやるとしている若手医師の育成については広島大学病院との連携を通じて図るべきと指摘しました。『県病院問題を考える会』の連絡先は以下です。 

〒734-0005 広島市南区翠町1丁目10番27号 
電話 082-250-3155 FAX 082-250-3157

ここまでこの問題で独裁的に猪突猛進してきた当の湯崎知事が『柔軟に見直す』と明言せざるを得ない状況です。あきらめずに知事をしっかり監視していきましょう。 

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年11月号

《BOOK REVIEW》梓 加依『広島の追憶 原爆投下後、子どもたちのそれからの物語』 美しく繊細な描写力と構想の精緻さに圧倒される 評者=田所敏夫

◆優美な文体による悲劇と描写のコントラスト

『広島の追憶』は悲しく痛みに満ち溢れた物語であるが、全編優しい表現で描かれている。物語の激烈さを優美な筆致で書き上げる、内容と表現の見事なコントラストにより、この物語が発するメッセージはさらに輝きを増している。

 
1梓 加依『広島の追憶 原爆投下後、子どもたちのそれからの物語』(鹿砦社)四六判、上製カバー装、本文192ページ+巻頭カラー4ページ、定価1650円(税込み)0月12日発売

物語の登場人物には、ついぞ意地悪や性根の曲がった人物が見当たらない。子ども、大人を問わず一人も現れない。他方情景や食べ物、心理の描写は、輪郭が明確で色鮮やか、しかも繊細である。まるで万華鏡を覗くようだ。わたしはさながら追体験をしているかの如き感覚を抱きながらページをめくった。この作品が児童文学への造詣が深い著者の実経験と筆力、そして力強い意思で貫徹された物語だからであろう、美しくも繊細でありながら重大なメッセージを込めた作品の力量と、構想の精緻さに読者は圧倒されるだろう。

本書の帯には「担当編集者が何度も泣いた。」とある。わかる。素直に悲しく、可哀そうで落涙したり、優美な文体による悲劇と描写のコントラストに涙する読者は少なくないだろう。

◆苦痛や煩悶を丁寧で穏やかに描写

物語は、原爆投下後12年を経た広島市(現広島市南区あたりだと思われる)で同じクラスの小学校6年生4人がまず登場する。物語で主役を演じ、おそらくは著者の実体に基づくであろう「由美子」、八百屋の父親を手伝う元気な「和也」、細身で音大進学を望む「裕」、勉強も運動も得意、優等生の「進」。

小学校6年生の4人に「病」と「死」は容赦なく近づく。苦しかっただろう、怖かっただろう、悲しかっただろう。が、物語の中で著者は死者にも生き残った者にも、ほとんど強いトーンの発言や行動をとらせることがない。押し殺したわけではない。苦痛や煩悶が丁寧で穏やかに描写される情景こそが、かえって読むものに惨状の実態を強く感じさせるのだ。

近年わたしは映像でも文章(物語)あるいは音楽、つまりは文化一般における、揶揄競争、激烈さ競争、さらには圧倒的な痴呆化に飽きてしまっている。『広島の追憶』はそんなわたしの欠乏感と欲求を、ものの見事に埋めてくれるどころか、驚くべき展開を見せてくれた。漢字さえ読めれば年齢に関係なく誰にでも読む価値があるし、心が揺らされるのは必至だ。数十年ぶりに文学の名著に出会うことができて、わたしは満たされた。

◆「由美子」はおそらく幼少時代に長崎で被爆している

上記が『広島の追憶』への一般的な感想である。以下は『広島の追憶』とわたしの個人的接点だ。

一般的に読者が文学作品に接する際、個人的経験との接点(共有・または共振)が作品への同一感を強化することはありがちである。本書とわたしの間にもそれは生じた。

まず物語冒頭の主たる舞台である広島市南区翠町。そこは1945年8月15日にわたしの母及びその家族の居宅があった場所である。当時5歳の母は疎開しており原爆投下の日、同所には居なかったが、叔父たちは近所に下宿していて原爆の直撃を受けた。

直後に死んだり大怪我した叔父は居なかったが、50歳を超えると不思議なことに叔父は癌を発病し、短い治療期間で死んでいった。被爆と癌発症の因果関係を科学的には証明できないのかもしれないが、彼らが「被爆手帳」を持って事実は重たい。

そして物語の主人公「由美子」が転居する道程である。「由美子」は長崎から大阪そして広島から再び大阪へ移動する。「由美子」はおそらく幼少時代に長崎で被爆している。

わたしの母は長崎で生まれ下関を経て広島そして神戸へと転居を重ねた。上記の通り広島原爆投下の日には広島市内に家がありながら疎開して直撃弾は免れた。しかし、祖母から聞いた話によれば原爆投下からほどなく家のあとかたずけに一家総出で翠町に赴いている。母は100万人に1人と言われる珍しい癌に数年前罹患した。つまり、本書のテーマである原爆、被爆とわたしは無関係ではいられないのである。

まだ存命であるが最近母の見当識は相当に怪しい。

わたしの母の名は由美子だ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。著書に『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社)がある。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

【著者略歴】梓 加依(あずさ・かえ)。児童文学・子どもの生活文化研究家。1944年長崎生まれ、小学校から高校まで広島市内に在住。公共図書館司書、大学非常勤講師、家庭裁判所調停委員などの仕事を経て、現在は物語を書く会「梓の木の会」主宰。


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《工藤會レポート》最高幹部裁判の方針変更 工藤会館跡地を「希望のまち」に 横山茂彦

◆その後の工藤會

工藤會の最高幹部、野村悟総裁に死刑判決、田上不美夫会長に無期懲役の判決が下ったのは、一昨年(2021年)のことだった。

判決後に野村被告が「公正な判断をお願いしたのに、全然公正じゃない。あんた、このことを生涯後悔するぞ」と裁判長を批判し、田上被告も「ひどいな、あんた。足立さん(裁判長)」と発言したことで、メディアに波紋を呼んだ。

じっさいに弁護団のみならず、捜査関係者のあいだでも「共同正犯」は成立しないだろうとの見方が大半だっただけに、直接証拠(証言)のない犯行指示は、予想外のものだった。暴力団であれば、組員の犯行は直接の指示がなくても組長の責任が問われる、と推論によって刑法を拡大解釈した判決である(※刑法16条:教唆犯=人を教唆して犯行を実行させた者には、正犯の刑を科する)。

事件は一般社会、市民に対する無差別な暴力として、社会的な耳目を集め、全国から県域をこえた捜査員・警備陣を動員することで、警察庁主導の捜査・取り締まりとなった。いわゆる北九州方式である。

もともと事件それ自体が、梶原組元組長(山口組系)との利害関係で発生したこと、工藤會と関係のあった県警元警部への襲撃など、かならずしも「一般市民への攻撃」ばかりではなかったことを、筆者は本通信で明らかにしてきた。

したがって、警察組織の予算獲得、FBI型の広域捜査体制の確立が背景にあると指摘してきた。

《深層詳報》五代目工藤會最高幹部裁判の福岡地裁「極刑」判決が意味するもの[前編] 4つの事件の軌跡(2021年8月25日)

《深層詳報》五代目工藤會最高幹部裁判の福岡地裁「極刑」判決が意味するもの[後編] 「暴力団」は壊滅できるのか?(2021年8月26日)

そのいっぽうで、野村悟総裁をおもんぱかって犯行に及んだ看護師襲撃事件が、ペニス増大手術に関する不満という、ちょっと恥ずかしいものだったことにも、一連の事件の情けなさが顕われている。

2014年に開始した「工藤會頂上作戦」の時期に、筆者は工藤會執行部に取材を試みたことがある。溝下秀男三代目が総裁だった時期(2000年代初頭)から、宮崎学氏らとともに、工藤會を密着取材してきた(雑誌『アウトロー・ジャパン』太田出版)関係から、いくつかのインタビューには応じてもらえた。

しかし、現トップ(野村・田上)について、執行部の面々は「かならずしも私淑していない」「尊敬できん者(もん)を擁護するのは、嘘をつくことになります」と、内情と本心を明かしてくれたものだ。

「女の子(看護師)を襲撃するやら、極道のすることやないです」(最高幹部の一人)と、事件そのものに批判的であった。

その後、野村被告と田上被告は一審の弁護士を全員解任し、公判方針も変えている。田上被告が「自分が野村に相談することなく、独断で事件の犯行を指示した」と、つまり野村悟の死刑判決を回避するために、罪をかぶることを宣言したのである。

主張を変えた契機は「弁護士から被害者のこと、私の指示で長い懲役に行った(組員の)ことに向き合うことが本当ではないかと言われました。もう本当のことを話そうと思って、決めました」であると述べた(9月27日・控訴審の田上被告人質問)。

そのうえで、「(被害者に)本当に悪かったと思います」と謝罪し、獄死は覚悟していると述べた。

野村被告は「襲撃の指示もしていないし、事前に襲撃する報告も受けていない」と、改めて事件への関与を否定した。


◎[参考動画]工藤会トップは「父親のような存在」「好き」 ナンバー2が証言した野村被告への“心酔” 市民襲撃4事件裁判 福岡高裁(2023/09/27 福岡TNC)

◆新体制への移行はない

そのいっぽうで、工藤會はナンバースリーの菊池啓吾理事長も拘留中であることから、新しい理事長(若頭)代行を選出した。後藤靖田中組六代目である。またもや田中組を組織のトップに指名したのだ。野村悟、田上不美夫、菊池啓吾、そして今また田中組のトップが実質的に六代目(会長)候補となったのだ。つまり新体制への移行は、できなかったことになる。これではおそらく、組織は機能しないであろう。

山口組がながらく「山健組にあらざれば、山口組にあらず」という時代(1990年代~2010年代)をへて、クーデターとも言われる弘道会の執行部確保によって、2015年の組織分裂(神戸山口組との分裂)に至ったように、主流派団体の執行部掌握は、組織全体の求心力の低下をもたらすものだ。

じじつ、工藤會においても組織は温存しつつも、看板を下ろす(事務所を閉鎖)することで、企業活動や事業の地下化がはかられてきた。おもてむき、組を解散することで警察の取り締まりをのがれ、暴排条例下の新しい組織運営を模索してきたのが、工藤會の実態なのである。あるいは首都圏や関西に進出することで、北九州方式の弾圧網から抜け出す傘下組織(長谷川組など)もある。

ひるがえって、溝下秀男の時代に工藤會が取り組んできた街の治安維持、外国人の違法業務(風営法違反)の撲滅、あるいは違法薬物汚染の取り締まりなどを、現在の警察当局が現実に実行できるのかが、問われているといえよう。

そもそも北九州は、ヤクザがいなければ安全という土地柄ではない。工藤會という統制から外れた街に、危険はないといえるだろうか? ヤクザを締め出し、街の治安維持を取って代わる以上、警察当局には相応の成果がもとめられる。

◆その後の会館跡地

2019年に工藤會本部(工藤会館)が解体され、2020年にNPO法人の「抱樸(ほうぼく)」が1億3000万円で土地を購入したことも、本通信でレポートしている。

工藤會三代目の溝下秀男が建てた工藤会館の跡地に、生活困窮者の支援センターが出来るのは、ある意味で因縁を感じさせるとも指摘した。溝下が孤児出身で、孤児施設の支援に精力を注いできたからだ。

故溝下秀男名誉顧問の導きではないか 九州小倉の不思議な機縁 工藤會会館の跡地がホームレスの自立支援の拠点に(2020年2月19日)

その抱樸が、福祉拠点の建設を進めてきたが、物価高のおりクラウドファンディングで資金を集めると発表した(10月4日)。名づけて「希望のまちプロジェクト」である。

この福祉拠点は生活困窮者の救護施設、DV被害者の避難シェルター、誰でも使えるキッチンや図書スペースを備える予定だという。

規模は3階建て、13億1000万円ほどの予算で、そのうち日本財団の助成や金融機関の融資、市のふるさと納税によるCFなどで12億4000万円がまかなえるので、独自のCFで7000万円を目指すという。


◎[参考動画]2025年4月に新施設オープンへ 『希望のまちプロジェクト』寄付を呼びかけ(2023/10/04 FBS福岡放送ニュース)

抱樸の代表である奥田知志についても既報のとおり、息子さんがシールズの代表だったことから、共産党系の人脈ではないかとの噂もあるが、そうではない。

関西学院大学時代に釜ヶ崎支援の学生運動の周辺にいた人物で、その後、西南学院大学をへて日本バプテスト連盟の東八幡キリスト教会牧師、ホームレス支援の北九州越冬実行委員会に参加(代表)、NPO法人ホームレス支援全国ネット代表。

ほかにも、例のColaboの理事も務めている。2020年には赤坂御所に参内し、天皇皇后に新型コロナ渦での生活困窮者支援策を説明している。

バプテスト教会員でボランタリーな支援活動といえば、アフガニスタンで難民支援・医療活動に従事したペシャワール会の故中村哲を思い浮かべる。中村哲も皇居で天皇皇后(平成)にアフガンでの活動を説明している(のちに旭日双光章を受章)。

ジャンルもスタンスも違うが、人道支援という意味では奥田は中村哲の後継者にみえるような感じがする。

中村の出自は玉井金五郎(火野葦平の父親=若松のヤクザ)の系譜で、親族には工藤會幹部がいた。われわれも溝下秀男ほかの工藤會関係者と、中村医師の活動を支援する方途を検討した記憶がある。奥田にはそういう系譜はないが、北九州という土地に根ざす以上は、貧困による差別、部落差別問題や在日差別問題、DVなどの厳しい現実に立ち向かって欲しい。CFの成就を祈念する。


◎[参考動画]【実録・独自】「工藤会」元組員が語る“修羅の国”での25年間【ほぼノーカット】(2023/09/25 福岡・佐賀 KBC NEWS)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年11月号

《BOOK REVIEW》梓 加依『広島の追憶 原爆投下後、子どもたちのそれからの物語』子どもたちだけでなく大人にも知ってほしい物語 評者=さとうしゅういち

1944年にナガサキに生まれ、小学校から高校までヒロシマで過ごした著者による「明日へと生きる若い人たち」への物語です。著者は「長崎青海」というペンネームで鹿砦社から松岡社長の編集で「豊かさの扉の向こう側」という本というより小冊子を著したことを契機に、大学非常勤講師や家裁の調停委員なども務めることになり、一念発起。図書館のアルバイト職員から大学に入学して司書資格を取得、修士課程も修了したという努力家でもあります。今回、30年ぶりに松岡社長の編集でまた本書を出されることになったそうです。

◆仲良し小6・4人組を次々襲う悲劇をリアルに描く

 
梓 加依『広島の追憶 原爆投下後、子どもたちのそれからの物語』(鹿砦社)四六判、上製カバー装、本文192ページ+巻頭カラー4ページ、定価1650円(税込み)10月12日発売

原爆投下から12年がたった広島での由美子、和也、進、裕の小学校6年生4人組とその後を描く物語です。

運動能力の高い和也、勉強抜群の進、そして歌がうまい裕。この中で由美子だけは長崎生まれ、大阪経由で広島に引っ越してきたという経歴の持ち主です。絵がうまく、国語は得意だけど、算数は不得手。体が弱く、イントネーションが関西弁だったために、クラスでもからかわれ、進、裕は由美子を庇うけれども、和也は由美子をからかう側という展開があるところまで続きます。しかし、他のクラスの男子が由美子を筆頭にクラスの女子にちょっかいを出してきたのに和也が反撃してヒーローになるという事件を契機に変わってきます。

中学進学を前に、夏休みに四人が将来を話し合う。広大付属(湯崎英彦・広島県知事を輩出するなど現在もトップ進学校)中を志望する進。音大を将来志望するために市外の中学を志望する裕。公立中から卒業後に八百屋を継ぎたい和也。思いもかけず先生から受験を勧められた由美子。

その後、悲劇が次々と襲う。まず、原爆症で和也のお父さんが夏休みの終わりに亡くなり、中学卒業後には家業の八百屋を継ぐという計画が崩れてしまいます。小学校卒業後は八百屋をたたみ、おばさん(広島県廿日市市)の大きな店を継ぐために大学まで行くことになるという怒涛の展開。

ついで、裕が白血病で入院。さらに、由美子によく絵を教えてくれた担任の上内先生も入院。年明けに二人とも亡くなってしまいます。さらに、進の二番目のお母さん(もちろん、被爆者でお父さんの再婚相手)も妊娠したまま自死するという事件が起きてしまう。進はこのため、おばあちゃんの家に行くため広島を離れることになります。

「原爆を落とされた広島は、今まで由美子が想像もしなかった悲しみの街だった」という叙述。その前後に、今までは「ナイト」として由美子をかばってきた裕が亡くなり、同じく「ナイト」だった進が広島から出ていく。そういう状況で和也が由美子の(3人目の)「ナイトになってやる」というところで、小学校生活は終わります。

◆「なんで、こんとに人が死ぬん?」「ヒロシマじゃから」そして「私は死なない!」

由美子は広島市内でも名門とされる進学校の女子中高・N学園に見事に合格し、進学。江波(現中区南部)に引っ越し、和也と一年に一度、夏に会います。

長崎生まれながら、大阪で育ち、他の三人に比べれば広島を良く知らない由美子は和也に、「なんで、こんとに人が死ぬん?」と質問し和也は、「ヒロシマじゃから」と答えます。

物語中で描写されているように、それなりに街が復興している状況にある戦後12年。カープの本拠地、旧広島市民球場もこの年の7月完成しています。そんな状況でも、次々と原爆の影響で子どもも大人も亡くなっていく。子どもも、クラスの友達や先生が亡くなっていく中で、いつ、自分が原爆症を発症してもおかしくない。悲しみだけでなく、自分事である。そういう状況におかれていた。そのことが強く伝わってくるセリフです。

いつしか、高3を迎えた二人。由美子は広島大学を志望し、和也は野球の名門・広商から大阪の有名私大への推薦入学が決まります。それまで二人で毎夏、亡き裕の家を訪ねていましたが、裕のお母さんの申し出で、それもこの年で終わり。

しかし、今度は由美子自身の体調が悪化してしまいます。実は、幼いころに入院経験があり、「18歳まで生きられるかどうか」と宣告されていた由美子。由美子自身が長崎生まれでお母さんは被爆したが由美子は佐世保にいたから被爆していないというのが表向きでした。だが、和也は由美子のお母さんから重大な告白を聞き出してしまう。原爆を受けていることを隠さないといけないのか。差別されないといけないのか。和也の憤りが伝わってきます。和也を見送った後の由美子の「私は死なない!」という決意は泣かせます。

由美子は結局受験せず。和也は大阪の私大へ進学。そして、18歳を超えて19歳になった夏。由美子は通信制の大学、それも和也と同じ大学へ行くことが思いもかけず、決まりますが、また入院してしまいます。そうした中で、和也が帰省して入院中の由美子に再会し、瀬戸内海の島に行って由美子からの手紙に改めて目を通し、「元気になれよ、風になんかなってどこかへ行くなよ」とつぶやき、ハーモニカを吹き始めたところで物語は終わります。

◆大人にこそ読んでほしい

「戦後80年に届く日が来た。でも、地球から核の脅威はなくならない。戦争もなくならない。風よ、届けてほしい。被爆地ヒロシマから世界中の子どもたちへ。この80年前の物語が、子どもたちの未来、いいえ、近い将来の物語にならないように。」

筆者もその思いを心から共有しました。まさにそれぞれの人生のある一人一人が、放射能によって命を奪われていく悲惨さ。被爆しているというと差別される理不尽さ。そのリアルを伝えていく必要があります。

それとともに、この本は、子どもたちだけでなく、特にこれから将来、各国を指導していくことになる若手政治家ら大人にも読んでいただきたいものだと痛感しました。この本の著者も「世界中のおとなたちへのお願いです。どぞ、これからも放射能によって子どもたちを死へと向かわせないでください。おとなの責任を子どもたちに背負わせないでください。」とあとがきで述べておられます。

本書は、『はだしのゲン』など従来の本と比べれば具体的な被爆シーンなどはなく、ソフトな描き方ではありますが、人が次々と亡くなっていくという恐怖、そして、それが自分自身もそうなるかもしれないとずっと背負い続ける恐怖。これらをリアルに描き出すことに成功しています。はだしのゲンなど従来の本は大事にしつつ、本書も広げていきたい。

被爆から78年たった今となっては、大人も広島でこういうことがあったことを、頭では勉強していても、きちんと認識している人は少ないと思われるからです。

それも広島においてさえも、です。和也君や裕君の家だったと思われる場所周辺(下写真=広島市南区的場町)。でも原爆からの復興で建てられた建物はもちろん、その後建て替えられたモダンなビルもまた壊され、ポストモダンな高層建築物がニョキニョキとそびえています。ついつい忘れてしまうことがある。だけど、忘れてはいけないことがある。筆者自身には子どもはいませんが、その分、周りの大人に伝えていきたいと思います。

和也君や裕君の家だったと思われる場所周辺(広島市南区的場町で筆者撮影)

新刊おすすめ『広島の追憶』
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▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

【著者略歴】梓 加依(あずさ・かえ)。児童文学・子どもの生活文化研究家。1944年長崎生まれ、小学校から高校まで広島市内に在住。公共図書館司書、大学非常勤講師、家庭裁判所調停委員などの仕事を経て、現在は物語を書く会「梓の木の会」主宰。

地域医療の最先端モデルに学ぶ ──《書評》松永平太著『笑って、食べて、愛されて 南房総、在宅看取り奮闘記』〈3〉 看護師の言葉から辿る実践の「奇跡」 評者=小林蓮実

1人ひとりが、その人らしい人生を送り、最期を迎える。そのために、わたしたちは具体的に何ができるのか。今回も、地域医療に尽力する医師・松永平太氏の著書、『笑って、食べて、愛されて 南房総、在宅看取り奮闘記』(幻冬舎)の書評の第3回目をお届けする。

第2回目では、認知症の独居をも在宅で看取るという松永氏の覚悟が表現されたメッセージを紹介。また、孤独死を除く在宅死亡率は1割未満であって現在でも病院で亡くなる人が多いが、松永氏は予防医療も導入し、「穏やかな最期」の実現を目指していることも伝えた。

今回は、本書を追いながら、わたしの友人である看護師たちの言葉も紹介したい。それにより、理想の実現の尊さを感じてほしいのだ。

◆看護師の友人の話と、地域の山エリアの取り組み

 
松永平太『笑って、食べて、愛されて 南房総、在宅看取り奮闘記』(幻冬舎)

先日、がんの闘病中のS氏と、友人で看護師のM氏と話していた際、S氏は全国を巡ると語っていた。離婚はしていないが、妻への「財産分与」も終えたという。つまり、病院でも自宅でもない場所で最期を迎えたいのだろう。

後日、別の友人で看護師のY氏と話したときには、「まず、家族が高齢者を引き取りたがらない。また、本人も在宅で最期を迎える覚悟はなく、家族とそのような話もしていない」と言っていた。個人的には、いつでも自分の最期にまつわる希望を書き連ねて残しておきたいところだが、死について考えたり語り合ったりすることは現在もなおタブーであるか、本人も家族も向き合おうとしないものなのかもしれない。

本書で松永氏は、「診療所に自分の携帯番号を張り出し、患者にもその家族にも、困ったらいつでも電話をしてほしいと伝えて」もいることに触れていた。

南房総市内の山エリアの区長は、災害時には孤立するうえに高齢者が多いエリアだからと、押せば区長につながるブザーを各家庭に設置している。また、どこが災害にあっても、それぞれの家が避難所になるように設定しているのだ。さらにこの行政区は、太陽光の活用や水道の種類の多さなども誇り、テレビの取材も受ける先進エリア。地域には、本当に頼もしい存在や対策があり、学ぶことが多い。

◆デンマークの「高齢者福祉の3原則」を千倉でも実現

本書では、2017年のデンマーク視察についても書かれている。2022年の1人当たり名目GDPを調べてみると、デンマークが66,516米ドル、日本が33,822米ドルで、2倍近くの差があるのだ。デンマークの人は、25%の消費税を、「信頼」と「尊敬」を背景に支払っていると語る。

デンマークは2023年の世界幸福度ランキングでも第2位に輝いており、47位の日本との差は歴然。ここにも「信頼」と「尊敬」の有無が表れているのではないかと、松永氏は考える。そして、デンマークの高齢者福祉の3原則は、1. 人生、生活の継続の尊重 2. 自己決定の尊重 3. 残存能力の活性化 とのこと。独居の高齢者宅にもケアスタッフが1日数回訪れるという。

デンマークから千倉に戻った松永氏は、1. 病院に入院した高齢者を元気にし、優しく地域に突き返す 2. 地域全体で少しずつ弱っていく高齢者を見守り、支えていく 3. 本人が望めば、自宅で最期を看取れる地域をつくる の3つを実践することにした。その中で、家族を呼び寄せ、漁師町の酒盛りに包まれて旅立つことを支援していったわけだ。

◆「ひとりぼっちでは死なせない」ために、施設とサービスを拡大

QOL(Quality of life:生活の質・生命の質)が唱えられて久しいが、これについて「命の輝きは、笑うこと、食べること、そして愛されることに表れ」ると松永氏は述べている。特に「愛される」とは、「ひとりぼっちでは死なせない」ということだという。

前出の看護師のY氏は、「病院から高齢者を家に返せないのは、訪問看護・介護などを手がける施設がないエリアが地域に多いせいもあるのではないか」と口にした。そこでわたしは早速、松永医院について説明したのだ。

以前も触れたが、ここには外来・訪問で診察をおこないながらリハビリも手がける診療所、地域の人が集まって食事や入浴をするデイサービスセンター、高齢者を元気にして家に帰す老人保護施設、認知症の人を支える認知症専用デイサービスセンター、そして在宅療養者の生活支援から看取りまでを担う訪問看護・介護ステーションをそろえている。ここに住む人、そして移住してきたわたしは幸運だ(笑)。

また、地域通貨風の施設内通貨を用い、好みのサービスを提供している。やはり先進的なのだ。そして、老人保護施設は、「利用者の過去6カ月の在宅復帰率が50%以上、過去3カ月のベッド回転率が10%以上、入退所後の訪問指導割合が30%以上」の施設として「超強化型」老健に指定されている。

◆「夢人さん」も「夢追い人」にも施される「無色透明のごちゃまぜケア」

しかも、認知症にかかった人を「夢人さん」、かかっていない人を「夢追い人」と呼ぶ。適切で優しいケアにより、他の施設では大声で暴れていた人が、穏やかになって笑顔が増えていくそうだ。日々、したいこととしたくないこと、人生経験や思い出話に耳を傾けるとのこと。さらに、待つことの重要性も説く。

前出の看護師でM氏のほうは、認知症の人に手を上げたことのない看護師・介護士はいないだろう」とわたしに話したことがある。彼女は1人、認知症の人の話を聞き、ほかの人は距離を置くそうだ。その話を聞いたときに感じた悲しみと絶望は、本書によって癒やされる。互いに希望をいだくことは不可能なことではないのだ。

実際、松永氏は1日8軒をまわり、すれ違う高齢者にも声をかける。もちろん、多職種の連携も重視する。読み進めるほど、わたしの友人の看護師や作業療法士はみな、松永医院で働いてほしくなる。

そして、地域包括ケアシステムを提供していくうえで、在宅看取りを強化するため、看護小規模多機能サービスと定期巡回、臨時訪問介護看護サービスの充実を必要なものとして考えているという。これらであれば、利用料が包括的に決まっているため、必要なサービスを提供できるそうだ。松永氏は、これらの「無色透明のごちゃまぜケア」を通じ、「すべての人が人権と尊厳を保ちながら生きられる社会に変えていかなければ」と綴るのだ。(つづく)

◎地域医療の最先端モデルに学ぶ ──《書評》松永平太著『笑って、食べて、愛されて 南房総、在宅看取り奮闘記』

〈1〉笑顔で自分らしく生き、自宅で人生の最期を迎えるための地域医療
〈2〉命を輝かせ、独りぼっちにさせないための施設と取り組み
〈3〉看護師の言葉から辿る実践の「奇跡」

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター。東京で二十数年暮らし、DIY、医療・看護、代替補完療法、落語、園芸、料理、パソコンをはじめとする実用書・雑誌・フリーペーパー、省庁や大・中小企業のツールの執筆や編集のほか、Webのコンテンツの執筆・ディレクションなども手がけてきた。2019年、南房総エリアに、Uに近いJターン。地域の高齢者と友情を育むことを松永氏は推奨しており、わたしも勝手に実践している(つもりだ)。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年11月号

『紙の爆弾』2023年11月号に寄せて 『紙の爆弾』編集長 中川志大

 
本日発売! タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年11月号

8月24日に始まった、東京電力福島第一原発から発生する核汚染水の海洋放出。1回目が9月11日に終了。第2回が10月5日に始まり、2023年度は4回に分けて予定されています。9月24日付の福島民報は、「廃炉作業に必要な施設整備のためにタンクを撤去する方針だが、タンクの解体で出る廃棄物の減容化や置き場の見通しは立っていない」と報道。政府はこれまで汚染水海洋放出について、「廃炉作業を安全に進めるためには、新しい施設を建設する場所が必要となり、タンクを減らす必要がある」と説明してきました。しかし、そのタンクの処分方法が決まっていないということは、廃炉のプロセスが未定であり、少なくとも現在行なわれている海洋放出は、廃炉にまったく結びついていないということです。本誌9月号では小出裕章・元京都大学原子炉実験所助教が、海洋放出の真の目的を「トリチウムが放出できないとなれば、核の再処理ができなくなるため」と喝破しました。そのとおり、日本政府はとにかく海に捨てたいだけです。

市民団体が9月1日に、海洋放出を強行した岸田首相、西村康稔経済産業相、小早川智明東電社長ら5人を刑事告訴したほか、「ALPS処理汚染水差止弁護団」(共同代表・広田次男、河合弘之、海渡雄一各弁護士)が9月8日、福島地裁で海洋放出を差し止めるため民事で提訴。その詳細を本誌でレポートしています。さらに今月号では、元『科学』(岩波書店)編集者で富山大学准教授の林衛氏に、トリチウムだけではない、「ALPS処理水」の危険性を示す科学的事実を聞きました。福島原発のデブリの処理は100年以上かかるといわれ、ならば汚染水海洋放出も100年を超えて行なわれることになります。これを止めることこそ、私たちが現在向き合うべき課題です。

麻生太郎自民党副総裁に「政権のがん」と言われた公明党。「平和の党」「政権のブレーキ役」を“金看板”として自称する彼らとすればお褒めの言葉となるのでしょうが、公明党は敵基地攻撃能力について専守防衛の立場から反対したことはないとして、麻生発言は「事実誤認」と弁解する体たらく。そして、軍事三文書が昨年末に易々と閣議決定したのは周知の通り。岸田軍拡で日本国民はすでに5年間で43兆円の支出を迫られ、“中国の脅威”でさらに増額となることも予測されます。しかも、日本政府はすでに発表しているウクライナへの総額1兆円の支援に加え、世界銀行からの復興支援金15億ドル(約2230億円)についても保証。国民の命と金を際限なく差し出すのが岸田政権、というより、すでに岸田首相の意図すら関係なく、事態が動いているのかもしれません。

今月号の足立昌勝氏の論考も指摘しているとおり、地域の平和は地域で、つまりアジアの平和を求めることこそ、あらゆる点で理にかなっているということでしょう。そのために、日本の戦後処理を総括する必要があります。関東大震災における朝鮮人虐殺も、もちろんそこに含まれます。ほか今月号では、“被災地”が高い壁に覆われたハワイ・マウイ島火災にまつわる大手メディアが書かない数々の“疑惑”、「XBB対応」のコロナワクチンが日本だけ接種拡大の“現実”など、ぜひ全ての方々に読んでいただきたいレポートを多数掲載しています。ジャニーズ以外にも「マスメディアの沈黙」といえる事例は社会に山積しており、そこに光を当てることこそ本誌の役割です。今月号も、書店でお見かけの際はぜひご一読をお願い致します。

『紙の爆弾』編集長 中川志大

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年11月号

『紙の爆弾』2023年11月号

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