滋賀医科大学医学部附属病院泌尿器科の河内、成田両医師を訴えた裁判、第二回期日は意外な展開に

患者さんの訴え

◆集会には120名超が集結

11月27日13:10から大津地裁で、4名の原告が滋賀医科大学医学部附属病院、泌尿器科の河内明宏科長と成田充弘医師を訴えた裁判(事件番号平成30わ第381号)の第二回期日が開かれた。この裁判についてはこれまでも2回報告しているので、背景にお詳しくない方は、そちらをご覧いただきたい。

正午から大津駅前で、患者会による集会が開かれた。患者会員数は、既に900名を超えているが、この日は120名以上のひとびとが大津駅前を埋めた。司会者は既に治療を終えらた患者さんであるが、この日の集会では、患者会のアドバイザーとして活躍していながら、ご自身も8月に癌が見つかり、現在闘病中の山口正紀さんから寄せられたメッセージを司会の方が読み上げた。やや長文になるが、初めてこの事件に接する方には参考になるので山口さんからのメッセージ全文をご紹介する。

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◆山口正紀さんからのメッセージ

滋賀医大病院による人権侵害の責任を問い、患者切り捨てと闘う裁判の第2回口頭弁論報告集会に各地から参加された皆様、患者会アドバイザーとして皆さんの闘いに参加させていただいているジャーナリストの山口正紀です。10月9日の第1回弁論の集会で少しお話させていただきましたが、9月初めに「ステージⅣの肺がん」が見つかって治療に専念せざるを得なくなり、本日の弁論、集会に参加できず、ほんとうに残念に思っています。

患者会は、発足からわずか半年で900人を超える大きな集まりになったとのこと。どれほど多くの前立腺がん患者が、岡本圭生先生の小線源治療に生きる希望を見出し、その講座継続を願っているかを物語る数字だと思います。しかし、滋賀医大病院泌尿器科の河内医師や松末院長たちは、そんな患者の皆さんの切実な思いなどまったく想像もできないのでしょう。この裁判でも、不必要・不適切な、治療とも呼べない人権侵害行為で原告の方々、多くの患者さんに重大な被害を与えたことを謝罪もせず、それどころか、患者さんを救った岡本先生を病院から追放しようと躍起になっています。
昨年末、病院のホームページに掲載された「講座閉鎖」の告知を読んで、本当にびっくりし、あきれ果てました。「小線源外来の終了後は、泌尿器科において、標準的な小線源治療の開始を予定している」と言うのです。

しかし、この「標準的治療」とは、いったいどんな治療なのでしょうか。小線源治療には高度な知識と熟練した技術を要しますが、それを一度もやったことがない成田医師らが、そのことを患者には黙ったまま、手術をする。そういう患者を無視した行為を「標準的な治療」と言っているのです。これは、まさに岡本先生が医師の良心にかけ、勇気をもって未然に防いだ患者のモルモット化を、今度は病院公認でおおっぴらにやろうとするものです。しかも病院の告知は、岡本先生の外来を閉鎖した後、「患者さんのご希望に沿って本院泌尿器科で経過観察する」と言っています。どこまで患者をバカにすれば済むのでしょうか。患者を実験台にしようと企み、それがばれても被害者に謝罪もせず、それどころかその悪事を未然に防いだ岡本先生を追放する。そんな医師にあるまじき連中に「経過観察」を任せるような患者がいる、とでも思っているのでしょうか。心底、患者をバカにした告知ではありませんか。

これまで、大学病院当局のパワーハラスメントの中で、がまんを余儀なくされてきた岡本先生が11月16日、ついに堪忍袋の緒が切れて、病院による名誉毀損と闘う仮処分を申し立てられました。その記者会見の様子が、デジタル鹿砦社通信に載っています。待機患者として参加された東京の山口淳さんの話には、ほんとうに心を打たれます。〈がん告知後の悪夢の中で、ようやくたどりついた岡本先生の外来が閉鎖されようとしている。不安いっぱいの中で送ったメールに岡本先生からメールが返ってきて、先生の診察を受けることができた。けれども来年、ほんとうに手術を受けることができるかどうか。もしかしたら、また死を覚悟しなければいけない状態に舞い戻るかもしれない。もし、岡本先生の講座を廃止する非情な措置が取られたら、我々の生きようとする希望が失われてしまう〉山口淳さんはこう訴えられました。

いま、ステージⅣの肺がん治療に取り組み始めたばかりの私にとっても、この訴えは100%、切実に共有できます。私もこの間、生き延びるための治療を求めて不安な日々を送ってきました。こんな患者の皆さんの痛切な思いを、滋賀医大病院泌尿器科の医師や病院長、学長は、なぜわからないのでしょうか。わかろうとしないのでしょうか。先日、地元の滋賀県をはじめ、名古屋や東京など全国各地で患者会の皆さんによる街頭での訴えや署名活動が始まった、とのことです。いま滋賀医大病院で起きている患者切り捨て、暴力的な「岡本医師追放工作」の実態を一人でも多くの市民に知らせる。それが、大学と病院当局に反省を迫り、小線源講座の継続を実現するための最も近道だと思います。この裁判もその重要な一環です。

私も引き続き、皆さんの闘いに参加したい、そんな思いから、鹿砦社から出ている『紙の爆弾』という月刊誌の2019年1月号に、「がん患者の命綱を断ち切る暴挙」という8ページの記事を書きました。この問題の背景と本質、患者会と岡本先生の闘いの意義について、わかりやすく書いたつもりです。12月7日ごろには、書店に並ぶと思います。定価600円です。ぜひ書店でお買い求めいただき、今後の地域や街頭での訴え、署名活動などでこの問題を市民に説明する際の参考に使っていただければ、と思います。また皆さんと一緒に、口頭弁論当日の大津駅前集会や、裁判報告集会に参加できる日が来るよう、頑張って治療に励みます。皆さんは、闘う相手が病気だけでなくてたいへんだと思いますが、滋賀医大病院の悪事と闘いながら、お体にも十分気をつけてください。「裁判勝利・小線源講座継続」に向けて、ともにがんばりましょう。

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山形県から駆け付けた患者の家族

◆山形県から駆け付けた参加者も

続いて、岡本圭生医師の治療を待つ「待機患者」さんと、原告の方からそれぞれスピーチがあった。既に治療を終えた患者の中には「これからは待機患者さんを救うのが一番の目標です」と語った方がおられ、多くの方が同意されていた。前回もこの集会を取材したが、今回は女性の姿も目立った。患者をご家族に持つ方々だ。その中には、山形県から駆け付けたご家族の姿もあった。

◆弁論進行の様子

13時近くになり、患者会のメンバーは大津地裁に集合した。法廷の傍聴席は55席しかない。多くの方が傍聴することができず、閉廷後に開かれる記者会見会場に移動した。傍聴席が満席になり、原告側には原告二人と弁護団、被告席には被告側弁護士2名がそろい、西岡繁靖裁判長が開廷を告げた。

西岡裁判長は被告側から提出された準備書面1を確認し、甲号証(原告側証拠)の取り調べ(確認)を行った。被告側から「文書送付嘱託の申し出」が法廷に提出されたので、西岡裁判長は「その必要性等、あるいはどういう文章か概略ご説明頂けますか」と被告代理人に問うたところ、岡田弁護士は「本日遅れまして申し訳ございません。文書送付嘱託の申し出をさせていただきました。診療録の送付嘱託の申し立てでございます。既に甲号証で正本として出されてはいますが、本件につきましては訴状でもかなり詳しく診療経過等について、説明をされていますので、診療経過を全部確認するという意味において、診療録の送付嘱託をお願いしたい次第であります」と述べた。

西岡裁判長は原告弁護団に意向を確認した。井戸弁護士は「裁判所が送付嘱託の判断をされることは、『然るべく』、ですけれども、病院がそれに応じるとなれば、ご本人の同意を求めてこられる。それについてはご本人たちが同意するか、しないかは、『然るべく』と。代理人としてはそれに関与しない」と判断を述べた。

西岡裁判長は「ご本人の同意はご本人が判断されることなので、裁判所も関与できる話でもありませんし、被告代理人も関与できない、というお話でした。『然るべく』ということなので、裁判所としては採用いたします」と述べた。さらに「今回の被告の主張を大雑把に要約すると、平成27年以降、岡本医師の指導の下で、被告らが診療にあたる。要するにチーム医療としてやる、という体制でやっていたけれども、平成27年12月に、今回のご主張によると、岡本医師が被告の指導を実施しないという懸念が生じたと、いうところでその体制を見直しをして、岡本医師に患者さんを担当してもらうようになった。そういうご主張なんですね」と被告側に確認し、被告代理人は頷いた。そして「裁判所としては進行協議でご相談できればと思っております。双方お願いしていいですか」と原告被告双方の弁護団に尋ねた。

双方が合意し、別室での「進行協議」が行われることになり、この日の弁論は終結しそうになったところ、井戸弁護士発言を求めた。「準備書面1を出されて、証拠は出されていないのですが。例えば4ページの下から5、6行目。私もまったく知らなかったのですが、『外科系学会社会保険連合においては、小線源治療は』、云々と書かれていますね。こういうものは裏付け資料が出せるのであればと思うのですが、無いのでしょうか」と被告弁護団に尋ねた。被告側は「その点は出したいと思います」と回答した。

井戸弁護士の質問を補強する形で西岡裁判長は「いまのご質問は一例ということで、今回被告のご主張を精査していただいて、取り寄せで確認しなければいけない物は、取り寄せしていただいたらと思いますが、被告側の手元にあるものは、早いうちに出してもらえますか」と注文をつけた。被告側は「了解です」答えた。

ここでこの日の弁論は終了し、傍聴者は記者会見が行われる別会場に移動し、原告被告双方の弁護団は、別室で「進行協議」に移った。数十分後記者会見会場に弁護団が到着し、井戸弁護団長が、この日弁論ならびに進行協議について以下の通り解説した。

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裁判の解説をする井戸弁護士

◆井戸弁護団長による解説

「11月21日付けで被告から準備書面1が提出されました。こちらの訴状への反論です。何を認めて何を認めないのか。そして被告としてどういう主張をするかが書かれたものです。今後これに対して原告側が再反論をしてゆきますが、どういう内容のものなのかを報告させていただきます。特徴を述べると、『小線源治療・岡本メッソドに対する誹謗』、それから『事実のごまかし』そして『開き直り、責任転嫁』そう評価できると思います。

小線源治療については、合併症の問題、完治率など含めて優れた治療方法であると、我々は主張してたわけですが、それを否定してきています。『治療成績が他のものと変わらない』、『周囲への被ばくとか排尿障害などでメリットがある』、『外照射療法に比べて、小線源療法は体に傷をつける問題もある。近年は小線源療法は減少傾向にある』ということを主張しています。その中でも岡本メッソドについては、標準的な小線源療法よりも、高い線量を加えるのですけども、『線量を上げれば合併症のリスクが増すんだ。岡本メッソドの評価については様々な意見がある』と書いています。これが岡本メッソドに対する『誹謗』ですね。

それから事実関係としては、『ごまかし』があると思います。成田医師が自分が小線源療をしようということで、23人の患者さんを抱えていたわけですが、23人の患者さんについても、『成田医師が術者として確定していたわけではない』、『実際に小線源療をするのは確定していなかったんだ』、『岡本先生とチームとしてやろうとしていたので、ひょっとしたら岡本先生がやったかもしれない』と。これは『事実のごまかし』だと思います。

そして『成田医師が施術をしていたとしても、危険性はなかったんだ』という主張をしています。これは『開き直り』だと思います。たしかに小線源治療は未経験だったけれども、4人の原告の皆さんは1番目にする予定の患者さんじゃなかったわけです。だから『原告の皆さんにする時には精通を経ていた。初めてではない』ということを言っています(笑)。

法廷でも私が質問したことですが、「外科系学会社会保険連合においては、小線源治療は云々」という主張をされています。これには何の根拠も示されていないので、『根拠の証拠を出せ』と言ったわけです。また『成田医師は前立腺癌治療については豊富な経験を有していた。それから岡本医師の治療に麻酔担当として5件以上関与して教育を受けていた』この辺りは岡本先生の説明と違うのではないかと思います。

そして『少なくとも数例は岡本先生に立ち会ってもらい指導を受ける予定であった』、これが極めつけだと思うんですが『小線源治療は前立腺の生検(細胞採取検査)と同じようなものだ』と(会場から「えー」の声)。『成田は生検の豊富な経験がある』。組織をちょっと採る『生検』と、シードを綿密に埋め込む小線源治療が同じようなものだという主張をしています。

23人の方の治療が中止になったのは、岡本先生と協働してチームでやる予定だったのに、2015年12月の末に岡本先生が『成田医師を指導しない懸念が生じたので、成田医師を術者とする小線源治療は中止になったんだ』という説明で、説明を岡本先生に転嫁する内容です。『実際には適切な時期に説明していたと考えられる』と主張しています。『現実に1例目の患者には説明しました』と言っていますが、これは成田医師が説明したわけではなく、放射線科の医師が説明したと聞いています。

河内医師については、『岡本先生に指導させて成田医師に小線源治療の経験を積ませようとしただけだ』、『成田医師が未経験の医師だと説明しないように、成田医師と謀議することはしていない。だから河内医師にも責任はない』そういう内容です。

そういう『誹謗』『ごまかし』『責任転嫁』という特徴がありますので、これに対する反論については、根拠なしに主張している部分には、こちらからまず質問しようと思っています。専門用語で求釈明(釈明を求める)といいますが、それに対する回答を得て、それを踏まえて全面的な反論をしようと考えています。

次回期日は2月26日11:00からです。その間12月7日までに質問事項、求釈明事項を私どもは提出します。それに対する回答が1月末です。それを踏まえて次回期日前に全面的な再反論をする予定です。

そのあとの進行協議で裁判所は「この事件は岡本先生がキーマンだと」。滋賀医大泌尿器科において、どのような体制で成田医師を術者とする小線源治療をしていたのかが、この事件のポイントになるので、被告側はご本人ですからわかりますが、原告側は患者ですから内部のことはわからない。

したがって、岡本医師がどうしてもキーマンになるので、「岡本医師抜きでこの訴訟を遂行していくのは、困難なのではないか」というのが裁判所からの意向でした。岡本医師を原告でもなく、被告でもないんですが、準当事者のような立場でこの訴訟に入って来てもらえないか。そのための法律的な方策を考えたい、とうのが裁判所の意向でした。

訴訟告知補助参加という形で、原告、被告ではないのですが、この訴訟に岡本先生も利害があるから、『参加人』としてこの訴訟に来てもらって、岡本先生(あるいは代理人)の主張を法廷でしていただく、あるいは岡本先生から証拠を出していただく。そういう形で進められないかという話でした。我々も考えていなかったし、被告側の弁護団も考えていなくて、びっくりしたんですけれど、裁判所が積極的に出てきてこの事件の真実を早期に掴みたいという、非常に積極的な姿勢の表れだと、我々は評価しました。ただ法律的な問題もありますので、被告側が賛成するのかしないのかを早期に回答を頂き、さらに検討する形になりました。法律的なテクニカルな問題があり、法廷では相談しにくかったので、別の場を設けたということでした。裁判所の問題意識は正当だと思いますし、原告側としてはその方向で前向きに対応していきたいと思っています」

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その後、原告の2人と、治療を待つ患者さんご本人と、待機患者さんから寄せられたメッセージが代読された。

被告側が提出した準備書面1は、井戸弁護士が強調した通り、「誹謗」・「ごまかし」・「責任転嫁」に満ちていると、原告弁護団は評価している。一方予想外の展開で裁判所(裁判官)が岡本医師を「参加人」として訴訟に入ることを求めてきたのは、弁護団が作成した精緻な訴状と、被告側弁護団の提出した、粗雑な内容の準備書面1の格差が主たる原因であろう。しかしチラシ配り・署名活動などにも力を入れ、また毎回期日のたびに、多数の人が集会を開き、傍聴席を毎回埋め尽くしてきた「患者会」の方々の活動・熱意が裁判所を動かしだした、と考えても不思議ではないだろう。

※なお、下記URLに患者会関連記事が掲載されている。
https://www.asahi.com/articles/ASLCV7SR3LCVUBQU01F.html

集会風景

《関連記事》
◎滋賀医科大学に仮処分の申し立てを行った岡本圭生医師の記者会見詳報(2018年11月18日)
◎《スクープ》スーパードクター岡本医師、滋賀医大を相手に仮処分申し立てへ!(2018年11月16日)
◎滋賀医科大学附属病院泌尿器科2名の医師を提訴した「説明義務違反事件」第1回弁論開かれる(2018年10月12日)
◎滋賀医科大学附属病院泌尿器科の背信行為 「小線源患者の会」が損害賠償請求(2018年8月2日)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』12月号 来夏参院選敗北で政権崩壊 安倍「全員地雷内閣」
『NO NUKES voice』Vol.17 被曝・復興・事故収束 ── 安倍五輪政権と〈福島〉の真実

東京のサル真似しかできない大阪万博ファシズムと笑えない吉本芸人たちの無様

 

◆ダウンタウン・吉本のお家芸「行政の太鼓持ち」

11月23日深夜、新たな「税金の無駄遣い」の決定をうけ、「ダウンタウン」の2人が下記のようにコメントしたそうだ。

〈ダウンタウンの浜田雅功(55)、松本人志(55)は2017年から大阪万博誘致アンバサダーを務めている。大阪・御堂筋で開催される大イベント「御堂筋ランウェイ」に2年連続で出演するなど、万博誘致を懸命にPR。今回の開催地決定で、2年間の努力が実を結んだ。2人はこの日、所属事務所を通じてコメント。
松本「素晴らしい! 皆さまの地道な努力の結果だと思います。ダウンタウンは何もしておりません 特に浜田(笑)」
浜田「素晴らしい! 皆さまの地道な努力の結果だと思います。ダウンタウンは何もしておりません 特に松本(笑)」〉(2018年11月24日付けサンケイスポーツ)

行政のお先棒を担ぐような役回りを平然とこなす神経は、実によくわかる。「ダウンタウン」にはデビュー以来一度として「笑い」をもらったことがない。彼らの芸は、誰かを貶める、あるいは威張るか迎合する。パターンはいつも同じだ。生前横山やすしに「漫才師やから何をしゃべってもいいねんけれども、笑いの中に『良質な笑い』と『悪質な笑い』があるわけだ。あんたら二人は『悪質な笑い』やねん。テレビ出るような漫才とちゃうやんか。お父さんけなしたり、自分らは新しいネタやと思うてるかもしれんけど、正味こんなんイモのネタやんか」と看破された本質は、1982年からなんらかわっていない。


◎[参考動画]1982年末の『ザ・テレビ演芸』(制作=テレビ朝日)

明石家さんま、北野武、ダウンタウン、とんねるず、ウッチャンナンチャンなど「全然おもしろくないお笑いタレント」が師匠ズラをして、より小物のひな壇芸人しか育たない。岡八郎や花木京、人生行路が生きていたら、かれらもおそらく「大阪万博」に乗っかるだろう。でもダウンタウンほどの破廉恥さは見せないに違いない。横山やすしが、言いえて妙なダウンタウンの本質を突いている。岡八郎や花木京は腹巻をして吉本新喜劇の舞台に登場して、誰を見下げるわけでなく「え?なに」の一言で観客から笑いが取れた。所詮芸人としてのレベルが違いすぎるのだろう。

西川きよしは大阪万博を決定を喜ぶコメントを発している。国会議員もそつなくこなし、順風満帆の西川きよしらしい態度だ。ここが西川きよしと横山やすしのまったく違うところだろう。横山やすしのような人格は、仮にトラブルやアルコール依存症がなかったとしても、今日のような「管理社会」では受け入れられるキャラクターではなかっただろう。

漫才ブームまで、関西の漫才が全国区で放送されることはそうあることではなく、吉本興業が東京に進出しても、当初は苦戦を強いられていた。大阪のどぎつい笑いは東京では受け入れらにくかったのだ。しかし、マーケットは広げたい。吉本興業を中心とするお笑い芸人が選択したのは、笑い質の転換である。東京を中心とする全国で通じる、視聴者に迎合した笑い。そこに彼らはターゲットを合わせてゆく。

 

◆古臭い集権政治の再現でしかない大阪地域ファシズム

地方分権だなんかといいながら、政治の世界で起こっていることも同様だ。石原慎太郎や、神奈川で先に火が付いた地域ファシズムを、大阪は橋下徹によって後追いする。何も新しくない。橋下が主張したのは「ヒト・モノ・カネを大阪に集め」との古臭い、集権政治の再現に過ぎない。その延長線上に愚の骨頂もいいところの「大阪万博」などを発想し、「東京五輪」の5年後に開催するなど、半世紀前の利権構造を同じようにたどっているだけだ。

こういう、的外れで体たらくな行政を許しているから、大阪の文化的地盤沈下には際限がないのだ。大阪と東京にはかつて、対立意識や概念が存在した。しかし今やそんなものはどこにもない。大阪人の計算高さを東京の企業も内面化し、東京人の「ええかっこっしい」を大阪人も恥じることなく真似ている。笑わせてくれる芸人の出現を求めるのが無理な文化状況は、そうやって形成されているのだ。

なにが「万国博覧会」だ。馬鹿もたいがいにしろ! まだ海外旅行が夢の世界で、「外国」が庶民にとっては、実際の距離以上に遠かった1970年と、ネットに向かえば瞬時に世界と対話できる、LCCを利用すれば数万円で地球の裏側に行ける時代の違いくらいは、誰にでもわかるだろう。

いや違った。その違いすら分からないから、きょうもダウンタウンが偉そうに、面白くもない姿をさらしているのだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『ダウンタウン 浜ちゃん松ちゃんごっつええ話』
月刊『紙の爆弾』12月号 来夏参院選敗北で政権崩壊 安倍「全員地雷内閣」

香山リカ氏講演会中止に関する取材班の見解 鹿砦社特別取材班

 
2018年11月22日付け京都新聞より

〈京都府南丹市が11月24日に開催予定だった精神科医・香山リカさんの子育て応援講演会で、催しへの妨害を示唆する予告を受けて講演者を差し替えていたことが11月22日、分かった。香山さんは京都新聞の取材に「行政が脅しに屈してはならない。前例を作ってしまうことになりかねず、毅然(きぜん)とした態度を示してほしかった」と憤っている。〉(2018年11月22日付け京都新聞

香山リカ氏と鹿砦社は、現在神原元弁護士が香山リカ氏の代理人に就任し「連絡は代理人を通し本人に直接しないよう」要請されている。ところで香山氏はM君控訴審判決後に下記の書き込みを行っている(判決文に「『リンチ』ですらなかった」などとの文言はない。恒例の虚偽発信である)。自身は代理人を立て、鹿砦社(あるいは特別取材班)からの香山氏への直接の意見要請や取材、抗議などに対しては代理人を通せと求めながら(つまり防御壁を作り)、他方では次のような無責任な意見表明をツイートしている。「鹿砦社の責任は重い」だって!? M君に筆舌に尽くし難い傷(リンチ直後のM君の顔写真を見よ!)を負わせ今でもその後遺症に苦しむM君の気持ちを省みることなく、防御壁の向こう側(=安全地帯)からいい加減なことは言わないでいただきたい。いやしくも香山氏は精神科医なのだから、本来なら被害者に寄り添い慰撫すべきではないのか!? 万歩譲って「リンチ事件」という言葉の解釈はひとまず置いても、現実にM君は肉体的にも精神的に大きな傷を負ったことは消せない事実なのだから、まずはこの厳然たる事実をしかと凝視すべきではないのか!? そういう意味で被害者M君の気持ちを蔑ろにし暴行・傷害をなかったことにする香山氏の「責任は重い」。意見表明などは直接香山氏本人にしないようとのことなので、この場を借りて抗議しておく。

香山リカ氏の2018年10月19日付けツイッターより

まあ、こういうことを香山氏は過去何度も行っているので、小さいことは、この際問題にはしない。それよりもはるかに大きな警鐘が鳴らされたのだから。

上記、京都新聞の記事によれば、南丹市は「電話で5件、来庁で1件」の開催に対する反対意見によって香山氏のイベントを中止している。たった6件だ。それだけの反対意見でイベントが開催できなくなれば、行政が主催するイベントの多くは開催不可能になるだろう。どのようなテーマにせよ意見は様々にあって何の不思議もないわけだが、「反対意見」が6件あっただけで開催を断念してしまっていれば、いとも簡単にイベントは潰されることになる。

そして、香山氏の講演会中止は、あくまでも個人的な抗議・反対意見が根拠にされているようであるが、これが組織的で数がけた違いに多くなれば、より確実に主催者はビビり、開催を躊躇するであろうことは想像に難くない。

日ごろ香山氏の発信する内容の多くに、取材班は違和感を覚え、同意しない。しかし、だからといって、このような形の「言論封殺」がなされることには明確に反対であることを表明する。どのような意見であろうが、どのような論者であろうが、右であれ左であれ、表現を「脅し」によって規制されることがあってはならないと、取材班は考える。ましてや、言論を規制する「法律」や「条令」などにより規制が行われることには、絶対に反対である。

このように述べると「反しばき隊」のはずの取材班はどうした?と思われる向きもあるかもしれない。しかしそれは問題の表層しか見ていない考え方である。われわれは「あらゆる表現規制に反対する」。このことにおいて原則的である。今回香山氏の講演会が中止されたのは「法律」や「条令」によってではなく、もっぱら反対意見の申出があった(それもわずか6件だけ)ことによるものであるらしいが、同様のケースは過去いくつか記憶がある。

ろくでなし子さんがアムネスティ日本での会合が予定されたときにも、同様の反対意見が電話やメールで多数寄せられ、いったんは「中止が宣言」されたが、取材班もアムネスティ日本に電話で「中止すべきではない」と具申し、結局ろくでなし子さんご本人とアムネスティ日本の話し合いの結果、会合は実施されることになった。当時アムネスティ日本に寄せられた反対意見には「レイシストだから」という人物評価が多数あったと担当者から伺った。どういう人たちがアムネスティ日本に反対したのかはわからない。今回丹南市に抗議した人たちの一部は、右派の人であろうことはその発言から推測できる。たとえろくでなし子さんであろうが香山氏であろうが、集会の自由は保証されるべきである。ろくでなし子さんの集会はダメで、香山氏の集会はいいということにはならないし、逆にろくでなし子さんの集会はよくて、香山氏の集会はダメということにもならない。

繰り返すが、この程度の反対や異議(場合によっては「脅迫」)があろうと、講演会は予定通りに実施されるべきであった。なぜならばそれが「言論の自由」の具現化に他ならないからだ。ある考え・思想には当然異議のある人がいる。当たり前だ。反対する人は、反対の意見を表現すればよいだけのことで(講演会場での妨害など妥当でない方法での反論は除く)あり、双方の意見は尊重されるべきである。それが憲法21条に記された、言論の自由、表現の自由、集会の自由だ。

言論・表現の自由に、例外を設けることに取材班は反対する。その理由は「香山氏講演会中止事件」を見ても明らかなように、言論には言論で対抗する場が保証されなければ、恣意的な運用や規制をどんどん招き入れてしまうからだ。

繰り返し強調するが、取材班ならびに鹿砦社はあらゆる差別に反対である。しかし差別は人の心に宿るものである。人の心は法律では縛れない、縛るべきではないと考える。成立した「ヘイトスピーチ対策法」さらには、現在議論されている「差別に関する規制法」(仮称)は、権力による恣意的な運用が極めて高い確度で予想されることから、われわれは反対である。

意見・主張の立場を問わず、「自由にモノが言えなくなる社会」をこれ以上進めてはならない。

(鹿砦社特別取材班)

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私の内なるタイとムエタイ〈48〉タイで三日坊主!Part.40 旅は貴重な体験が出来る修行の一環

托鉢から帰るとここにサイバーツされた食材を纏めます

◆比丘の姿で迎えた年末年始

大晦日は毎年、日本レコード大賞、紅白歌合戦、ゆく年くる年見て、除夜の鐘聴いて賑やかに新年を迎えていた。誰かの家に呼ばれたり、一人で過ごす年越しもあったが、実家に居た幼い頃から習慣だった大晦日も、1994年は大きく違った。今年は何でこんなタイの寺に居るんだろう。お寺の日常は変わらないから、この日も夜10時ぐらいに就寝。

翌日は1995年“元旦”と言ってもいつもと変わらない托鉢に向かう。新年という節目か、サイバーツ(寄進)が多い。頭陀袋はいっぱいになり、バーツ(お鉢)も御飯が溢れるほど入れられた。藤川さんがひとつ惣菜を落とすも、そのまま行こうとするから、「落としましたよ」と言うと「拾って!」と私に拾わせた。

お互いしゃがむのも大変なのだ。なのに拾って渡すと藤川ジジィは礼も言わずに行ってしまう。私は立ち上がろうにも立ち上がれず地べたに尻餅をついてしまった。起き上がろうとするとバーツから御飯がこぼれ、そんな姿を近くのオバサンに見られてしまう。

スカートの女性が重い荷物を抱え込んだまま尻餅ついたらどうなるか……、パンツ丸見えである。同様に比丘が尻餅ついたらどうなるか、戒律だからパンツは穿いていない。新年から無様な姿を見せてしまった。バーツからこぼれた御飯を道の端っこに足で払い寄せ、「クソジジィ、ふざけんなバカヤロー!」と小声で叫ぶ。キレたの久しぶりだった。

朝は方々のニーモンに呼ばれた比丘がほとんど。寺に残ったのは若いサン(仲のいい一人)くんと高橋克実似のオジサン比丘と私だけ。この克実似比丘も物静かで読経が上手く経験豊富な比丘だ。私が前年3月に藤川さんを訪問した時も居た、巡礼の旅で寄ったこの寺に長く居住しているらしい。

午後はサーラーに移って信者さんを20名程迎えて全員での読経が行なわれた。終わると更に車に乗って向かった先はケーマー寺。他所からも大勢の比丘が揃う中、ここでも15分程度の読経をして帰るだけの、新年のお披露目的に行なわれた御挨拶程度の読経だった。それ以外に新年の儀式たるものはなく、ほぼいつもの日常と変わらぬ元日であった。

ベテラン比丘は剃るのも慣れたもの
比丘生活最後の剃髪

◆巡礼の比丘

1月の半ば、大きな頭陀袋を背負った、五十代ぐらいの一人の巡礼らしき比丘が寺に入って来た。庭の落ち葉を掃いていた私に、「和尚さんは居ますか?」と尋ねられて近くの木下のベンチに座っていた和尚さんのもとへ案内すると、その比丘はサンダルを脱ぎ、跪いて平伏す。和尚さんは「マイトン、マイトン!(やらなくていいよ)」と促すが、見事キレイな三拝をやり遂げた。

一目見たら分かるとおり、「この寺に暫く泊めてください」と願い出る。来る者を拒む理由は無い。和尚さんは早速、デックワットに指示し、空いている私の隣の部屋に案内されていた。

カミソリ持つのはこの寺に辿り着いた高橋克実似のベテラン比丘

この日は前日に剃髪を済ませたばかりだったが、この巡礼比丘はまだだった。私に「頭を剃ってくれんか?」と頼まれるが、そばに居たアムヌアイさんが「よっしゃ、俺に任せとけ!」と言わんばかりに準備を始めたが、剃る側の機会はもう無いなあとも思った。私は剃ってあげたことは無いから血を噴き出させてしまうかもしれないな。なんせ髭剃りもシェーバーなのだから。

その剃髪の日にも4僧ほどの年輩比丘と幼いネーン2人を連れた家族のような巡礼比丘がやって来ていた。早々から大きい声で品の無い口の利き方。和尚さんは留守だったので待つように言うと、「剃髪したいからカミソリくれんか?」と厚かましく寄って来るし、剃った髪は庭に散らかしっぱなし。比丘仲間の少々年輩のイアットさんは関わり合いたくないと見えて、早々に部屋に引き上げてしまうし、ケーオさんは「何だあいつら、ここはホテルじゃない!」と渋い顔。

イアットという比丘はちょっとセコく、「信者さんの前ではお布施を当てにして機敏に動いとるが、普段は面倒なことあると隠れてしまいよる!」と藤川さんが以前、愚痴っていたとおりだった。

夕方になって、「もう他の寺に行きますわ!」と諦めたかのような集団年長者。和尚さんはすでにいつもの定位置に座って居たので、「和尚さんは帰ってますよ」と言ってやると、早速和尚さんのもとへ向かった集団。見栄っ張り和尚さんは踏ん反り返るように「よっしゃよっしゃ、泊まっていきなさい」と、いつものエエ格好しいの笑顔で迎え入れてしまった。私は余計な導きをしてしまったかなとは思ったが、藤川さんと私がノンカイとビエンチャンの寺で快く受け入れられたように、どうも冷たい無視は出来なかった。その後、彼らは和尚さんのもと大人しく居て、翌朝の托鉢には向かい、朝食後、和尚さんに挨拶して旅立った様子。

イアットさんとツーショット、教わることは多かった
読経の場にある仏像と撮影を頼まれること多かった。サンくんも性格良く、いつもフォローしてくれた

◆藤川さんの先輩の行方は!?

藤川さんはこの寺で再出家した当時、先輩比丘の後に付いて托鉢をしていたと言う。今、私らが歩く同じコースだったらしい。寺を出てソイ(路地)から大通りに出ると、まっすぐ“銀座”方面に歩けば商店街やバスターミナル(エアコン高級バス専用)があるが、私らはそこに至る前のソイを幾つか回って帰って来るコースだった。

新米だった藤川さんがその先輩と一緒に居たのは3ヶ月程だったらしいが、ある日、前を歩くその先輩比丘が最初のソイに入らず、「チョークディーナ!(元気でな)」と言って真っすぐバスターミナル方面に歩いて行ってしまったと言う。そのまま先輩比丘は寺に帰らず。

「“ウチのカミさん、銭湯行ったまま3年帰って来まへんのや!”って言う漫才のオチあったけど、“ウチの師匠、ビンタバーツ(托鉢)行ったまま1年帰って来まへん!”ってホンマになってもうた!」と、笑い話となって聞かせてくれたが、「寺を出る前から何か頭陀袋が膨れていた気がしたなあ、もう寺に帰らんつもりやったんやろうなあ」と言う。

葬式等で受けるお布施は親族からお寺側へ纏めて捧げ、後々比丘一僧ずつに配られる場合が多いが、その頃、配られることが無かった時期があり、その先輩比丘が和尚さんに問い質したところ、「お前は金儲けの為に読経をしているのか!」と窘められ、「何かやる気を無くしておったような様子やったなあ」と後に藤川さんがノンカイの寺での雑談で言ってくれたことだった。お寺の中が、建設ラッシュなのも分かる気がしてきた。

俗人の前では見せない、お茶目なポーズもとってくれる

その先輩、そこから巡礼の旅に出たのだろうか。寺の移籍の場合はしっかり手続きを経なければならないが、ひっそり還俗式もせず俗人に戻ったのかは定かではない。

◆旅の勧め

比丘の修行生活には、寺に留まる派と巡礼の旅に出る派に分かれるが、私を含め多くは寺に留まる派で、好奇心旺盛の藤川さんは頻繁に旅に出る派だろう。但し、安居期は寺に留まって修行に専念しなければならない戒律がある。

私は日々、朝夕読経して、常連信者さんの元へ托鉢に向かい、寺の掃除をしたり仲間と雑談したり、そんな日常が性に合っている。こんな呑気なこと言っては修行とは程遠いが、そんな寺生活を頭に描いて、三日坊主の私が出家したのである。

しかし、こんな品の無い寺に居るよりまた旅に出たくなった。ノンカイの寺もまた行きたい。ラオスへの旅は単なるビザ取得の旅だったが、やっぱり比丘の旅は貴重な体験が出来る修行の一環なのだと改めて思う。

やがてネイトさんがその巡礼の旅としてやって来る。また充実した会話が出来るだろう。再会が楽しみである。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

2018年芸能界最大の衝撃新刊! 上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』西城秀樹、ジョー山中、舘ひろし、小山ルミ、ゴールデン・ハーフ、吉沢京子……。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!

「貴乃花問題」とは何だったのか? 貴ノ岩の提訴取り下げにもかかわらず、くすぶるモンゴル部屋の談合疑惑 暴力問題再発防止検討委員会の最終報告書から

一年の締めの九州場所は、場所の直前に貴ノ岩関が民事公訴を取り下げることで順風万帆の幕開けと思われたが、唯一の日本人横綱・稀瀬里の4連敗休場で盛り上がりを欠いている。白鵬と鶴竜、そして稀瀬里が休場することで、横綱不在の場所となってしまったのだ。元貴乃花部屋力士では、貴ノ岩はいまいちだが、貴景勝が好調だ。このうえは実力伯仲の若手力士がしのぎを削り、万全ではない大関陣を巻き込んだ優勝争いを繰り広げて欲しいものだ。

◆第三者委員会による報告書

ところで、もう先月のことになるが、日本相撲協会が設置した暴力問題再発防止検討委員会が発表した最終報告書には、驚愕の事実が記されていた。この再発防止検討委員会は相撲協会からは独立した第三者委員会である。委員会によると、昨年秋の鳥取巡業での事件の概要が、関係力士たちの証言とともに明らかにされているのでレポートしておこう。

事件が起きたのは、鳥取城北高校の校長の呼びかけによるものだったが、同校のアンバサダーを務める白鵬に、同行とは無関係の日馬富士と鶴竜も同行することで、モンゴル勢の集りになった。やはり最初にモンゴル語で貴ノ岩に説教をはじめたのは白鵬だった。初場所で白鵬に勝った貴ノ岩が「これからは俺たちの時代」と発言していたことに腹を立てての説教である。この段階では、日馬富士が貴ノ岩をかばっていた。

ラウンジでの二次会になってから、白鵬は照ノ富士に対しても日頃の言動をあげつらう。ついには照ノ富士が土下座を強要される事態となった。強要罪は、それを行なったのが暴力団組員なら、即刻逮捕される事件である。白鵬の説教が一段落したと思った貴ノ岩がスマホをいじったところ、日馬富士が「おまえ、大横綱が話をしているのに!」と激昂したのは既報のとおりだ。ここから1.56キログラムのカラオケリモコンで頭部を殴打し、あの無惨な頭部裂傷がもたらされたのだ。

◆白鵬による暴力の是認が明らかに

深刻なのは、事件のきっかけを作った白鵬が何ら反省をしていないことだ。危機管理委員会の事情聴取にさいして、白鵬が「今回の事件は、あえて愛の鞭と呼びたい」と発言していたことだ。ようするに横綱による暴力の是認が明らかなうえに、相撲協会がそれに何らの斯道も行なえず、放置している現状が報告書にまとめられているのだ。最終報告書は「横綱在位が長期に亘ってくると、初心を忘れ、自己の地位に関する過信から相撲道に悖(もと)る言動が頻発した例が、遺憾ながら観察された」としている。

いや、そればかりではない。報告書は大相撲が直面している深刻な事態を結論としているのだ、

 
貴乃花光司『生きざま 私と相撲、激闘四十年のすべて』ポプラ社2012年

◆モンゴル互助会の存在は、貴乃花氏の正しさを立証した

報告書はこう云っている。「相撲部屋に所属力士が、当該部屋以外の別組織との関係において緊密な関係があって別組織の指示・指導等によって行動しなければならないような関係が生じてくると、当該力士は、二律背反の関係が生まれるなど難しい立場に置かれることになり、本来的に期待される行動が取れなくなる危険がある」というのだ。

まわりくどい言い方をしているが、この「別組織」とはモンゴル人力士の集まり、すなわちモンゴル互助会にほかならない。鳥取事件を生起させたモンゴル人力士の集りが、八百長を発生させる危険があると、報告書は指摘しているのだ。繰り返すが、暴力問題再発防止検討委員会第三者委員会である。

事実関係をつかんでいるからこそ、ここまで踏み込んだ報告になったのであろう。まさにこれこそ、元貴乃花親方が危惧していたモンゴル互助会、もはやモンゴル部屋と言うべき実態ではないか。相撲協会が頭を悩ませてきたいわゆる「貴乃花問題」とは、相撲協会にはびこる八百長を告発し、その改革に積極的だった元貴乃花親方の闘いにほかならない。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

月刊『紙の爆弾』12月号 来夏参院選敗北で政権崩壊 安倍「全員地雷内閣」
横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

防衛省が新設する、日本(だけ)の平和を守るために「宇宙部隊」という錯誤

 
2018年11月19日付け朝日新聞

〈防衛省は「宇宙部隊」を新たに設ける方針を固めた。部隊は「宇宙ゴミ」(スペースデブリ)と呼ばれる人工衛星やロケットの残骸のほか、他国の不審な衛星などを監視。陸海空の各自衛隊が統合運用する。2022年度をめどに設置する予定で、政府が来月改定する「防衛計画の大綱(防衛大綱)」にも新設が明記される。19日、複数の政府関係者が明らかにした。防衛大綱では陸海空に加え、サイバーや宇宙、電磁波など新たな領域の防衛力強化を打ち出す。「宇宙部隊」の新設はその柱の一つになる。〉(2018年11月19日付け朝日新聞)

1966年、突如毎週地球を襲う「怪獣」が登場し、全国各地を破壊しまくりだした。「科学捜索隊」は「怪獣」に対抗するために、毎週奮闘したが、最後まで一度として「怪獣」を倒すことはできなかった。いわば仮面ライダーにおける「ショッカーの戦闘員」のような役回りしか演じることができなかったわけだ。

「怪獣」には人間の力では勝てない。そこで「ウルトラマン」の出番となる。持ち時間が3分しかないウルトラマンはカラータイマーが青から赤に変わり、警告音が鳴り出すまでは必殺技「スペシウム光線」を怪獣にぶつけはしない。当時人気だったプロレスで、アントニオ猪木が散々痛めつけられながら、最後に「卍固め」や「コブラツイスト」でギブアップで勝ち切る。あるいはジャイアント馬場の「16文キック」(時に「32文人間ロケット砲」)、ジャンボ鶴田の「ジャンピングニーパッド」に匹敵するのが「スペシウム光線」だ。

「どうして最初からウルトラマンはスペシウム光線を出さないのか」は聞いてならない質問だった。禁句というやつだ。アントニオ猪木や、ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、デストロイヤー……必殺技を持つレスラーに「どうして最初から必殺技を出さないのか」を大人ですらが誰も議論しなかったように、見る側の慎み、あるいは、作り手と見る者の間に「次回も同様のストーリが確約される」担保として、黙約は成立していた。

まことに牧歌的な時代だったと振り返るしかないが、21世紀がはじまって、もうすぐ5分の1に手が届こうかという今日になって、自衛隊は冗談ではなく「宇宙部隊」の創設を決めたそうだ。真面目に批判するとバカバカしすぎるから、この素っ頓狂は徹底して揶揄させてもらおう。

「宇宙のごみ」を掃除するのなら「宇宙清掃隊」でいいんじゃないか? 他国の不審な動きは既に山ほど打ち上げられている人工衛星で10センチ単位まで監視ができる。GPSは携帯電話やカーナビに搭載され、民生利用されているが、あれのもっと精度が高い軍事技術を自衛隊が持っていないはずがない。「他国の不審な衛星」の動きだって同様に監視できる。

では、なんのために「宇宙部隊」は創設されるのか。それは最上級の国家機密で、閲覧可能者もごく少数に限られているけれども、ついに地球外生物の存在が確認され、数年後には地球を襲うことが確実視されているからだ! 地球外生物の存在! 怪獣だ! しかも奴らは極めて狂暴で、人類滅亡を計画しているとの情報まで入っている。どうする? 人類の危機だ! ウルトラマンでの「科学捜査隊」同様の地球防衛部隊の設立が、喫緊の課題となったのだ。ちなみに「科学捜索隊」は国際的な組織の日本支部であった(いわば対怪獣戦における「多国籍部隊」である)けど、自衛隊の「宇宙部隊」は日本単独の部隊だ(個別的自衛権の行使か?)。国際連携なしに、地球が守れるのか? 全国各地の都市はもちろん、都心にも毎週日曜日の19:00になると必ず「怪獣」がやってきて大暴れする19:00は日没で暗いことが多いが、画面の中はほとんど昼間であることなどを問題にしてはいけない。

日本(だけ)の平和を守るために「宇宙部隊」は創設されるのだ。そして日頃は宇宙空間で「お掃除」をしながら、敵の動向を見守る。ところで自衛隊には宇宙へ行く手段や技術がないがどうする?これはいい質問だ。この日のために長年に渡り、本性を隠していた種子島の連中がいよいよ脚光を浴びる。「人工衛星と称したミサイル打ち上げ」を重ねてきたJAXA(宇宙航空研究開発機構)である。JAXAは「国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構法」で規定されている組織であるが、同法には、以下の記載がある。

第四章 雑則(主務大臣の要求)

第二十四条 主務大臣は、次に掲げる場合には、機構に対し、必要な措置をとることを求めることができる。

 宇宙の開発及び利用に関する条約その他の国際約束を我が国が誠実に履行するため必要があると認めるとき。

 関係行政機関の要請を受けて、我が国の国際協力の推進若しくは国際的な平和及び安全の維持のため特に必要があると認めるとき又は緊急の必要があると認めるとき。》

つまり「怪獣」が地球の平和を脅かすことになれば、主務大臣はJAXAに「要求」(すなはち自衛隊が創設する「宇宙部隊」への協力)することが法的にも可能であり、既に内々にその「要求」はJAXAに伝えられているのであおる(でなければ、宇宙に行くこともできない自衛隊が宇宙で活動できるはずがない)。

さて、問題は「宇宙部隊」を創設したはよいが、肝心の「怪獣」を倒すことができるかどうかという、死活問題をどう直視するかである。過去の経験則からすれば、人類はウルトラマン(あるいはそれに続く「ウルトラセブン」、「帰ってきたウルトラマン」らのウルトラ一族)によってのみ危機を脱しているのであり、「科学捜索隊」や「地球防衛軍」は名称こそ勇ましいものの、怪獣に壊滅的なダメージ与えたことはない。

それどころか、ウルトラマンだって、最終回にはゼットンに倒されてしまったではないか。ウルトラマンがゼットンに倒された最終回から、ウルトラセブン放送開始まで、当時の子供たちはどれほど心細い毎日を送ったことか。

どうせ何の役にもたたない「宇宙部隊」を創設するより、ウルトラマンがどこにいるかを探す方が賢明だろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』12月号 来夏参院選敗北で政権崩壊 安倍「全員地雷内閣」
11月21日発売開始!板坂剛と日大芸術学部OBの会『思い出そう! 一九六八年を!! 山本義隆と秋田明大の今と昔……』

《ブックレビュー2》50年目の雄叫びに、カオスの悦びを見る ── 『思い出そう! 一九六八年を!!』(板坂剛と日大芸術学部OBの会)を読んで

 
話題の最新刊!板坂剛と日大芸術学部OBの会『思い出そう! 一九六八年を!! 山本義隆と秋田明大の今と昔……』

日芸(日大芸術学部)は日大とは、また別の大学だと言われる。いまでは芸能界やテレビ業界との結びつきを言われることもあるが、その真髄は芸術家志望という華やかさであろう。それ自体がお祭のような日大闘争のなかで、きわだって劇場のごときイメージが芸闘委にはある。その芸闘委を中心とした芸術学部OB会の『思い出そう! 一九六八年を!!』を読んだ。稀代のカリスマ、板坂剛のプロデュース・主筆によるものだ。板坂は冒頭にこう書いている。

「私が探しているのは、自分が遭遇したあの劇的な一時期、若者に活力を与えた“時代”の正体である」わたしはその「正体」は、ほかならぬ日大闘争そのものにあったと思う。

◆発火した68年の記憶

ヘルメットにゲバ棒、長髪にGパン。圧倒的に大量な若者たちの層、おびただしい学生の数は、おそらく彼らが何かを流行らせれば、そのまま大きなブームとなる時代であった。事実、学生運動にかぎらず登山やサーフィン、水上スキーなど、団塊の世代がさまざまなジャンルで小さなブームをつくっては、文化の裾野をひろげた。68年はまたグループサウンズブームの年(全共闘と軌を一に、約一年で終息した)でもあり、いわば発火しやすい年だったのである。当時、小学生だったわたしは、時代が発火しているという記憶だけが鮮明だった。

発火するからには、入れ物が大きくなければならない。板坂も引用している『情況』2009年12月号の特集サブタイトルは、じつに「全共闘運動とは日大闘争のことである」だった。元日大生の座談会やインタビューを編集しながら、わたしはそれまで見聞していた全共闘運動のイメージが激変するのを意識していたものだ。ふつうの学生たちが立ち上がり、右翼学生との命がけの闘いのなか、助けにきてくれたはずの警察(機動隊)が自分たちに暴力を振るう。6月11日の祭の始まりがそれだ。

9.30(団交勝利)以降、あるいは11.22(東大集会)から翌年にかけて、全共闘から70年安保闘争の政治活動家になった日大生も少なくはなかったのを知っている。だが、ほぼ半年のあいだに、ノンポリ学生から全共闘の活動家になり、そしてそのまま普通の学生にもどった人たちの言葉には、当時のままの意識がやどっているようで興味を惹かれた。この本の巻末にも、当時の意識のままの座談会で生身の言葉を拾うことができる。なにしろ、ふだんは活動家っぽくない板坂剛が学生運動の歴史を、座談会の参加者に(けっこう熱っぽく)概説しているのだから──。ほんと、党派のコアな活動家みたいだ。

秋田明大氏(右)と著者(左)(文中より)
山本義隆氏(文中より)

◆東大イベントに殴りこめ

数が質を生み出す原理から、日大生が立ち上がったことで「学園紛争」に火が点いたのは疑いない。同じ時期に東大医学部で処分問題が学生自治会のストライキを生み、その延長に闘争委員会方式の全共闘が誕生した。そして当時の日大全共闘と東大全共闘の位相の落差とでもいうべき「相互の意識」あるいは、愛憎にも似た感じ方もこの本でよくわかった。東大全共闘も主役には違いないのだから、日大への気遣いの足りなさは「御多忙」というしかないと、わたしのような外部の者は思う。

ただし、日大全共闘には不義理な山本義隆氏が情況前社長の大下敦史(元はブント戦旗派)の追悼集会で講演を行なったのは、山本氏が主宰者の一人でもある「10.8山﨑君プロジェクト」のベトナム訪問協力への返礼を兼ねてであって、同プロジェクトに大下の義弟が深く関与していることから、その義弟が主催する追悼イベントに義理で講演したというのがウラの事情である。山﨑博昭君が大阪大手前高校の後輩であることから、山本氏は同窓生に誘われてのプロジェクト参加であったこと。したがって、山本氏はきわめて個人的な義理を尊んだということになる。

それにしても、日大全共闘と東大全共闘には溝があるのだろう。来年の1月に安田講堂を借り切って、元東大生たちがイベントを計画しているという(未公表)。殴りこんでみたらどうだろう。なぜ君たちは東大を解体しなかったのに、記念イベントなんてやるんだと。いますぐ、この赤い象牙の塔を壊そうじゃないかと。なぜならば、いまなお日大生は右翼暴力団の支配に苦しんでいるのだ。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

『情況』編集部。編集者・著述業・Vシネマの脚本など。著書に『山口組と戦国大名』(サイゾー)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社)など多数。

矢谷暢一郎『日本人の日本人によるアメリカ人のための心理学━アメリカを訴えた日本人2』
松岡利康/垣沼真一編著『遙かなる一九七〇年代‐京都 学生運動解体期の物語と記憶』

《ブックレビュー》『思い出そう!一九六八年を!!』 板坂剛と日芸OBらが激烈に再現する〈1968年〉の熱量が凄い!!

 
本日発売!板坂剛と日大芸術学部OBの会『思い出そう! 一九六八年を!! 山本義隆と秋田明大の今と昔……』

『思い出そう!一九六八年を!!』の表紙には心が躍った。どこの党派間のゲバルトかは判然としないけれども、キリン部隊衝突の写真は、時代の空気を伝えようと意図されたものであろう。あの時代こんな風景は東京や大阪ならどこにでも見られた。民青(共産党系の学生青年組織)相手のゲバルトや、逆に民青からのゲバルトも熾烈を極めた。

と、あたかもそこにいて、経験したように、いっちょ前の感想をビール片手に書いているが、小生1968年には満三歳。ある地方都市で元市長の官舎に使われていた、敷地が狭くない庭で、祖母と草木に戯れていた。あれ以来50年。小生が覚えた草木の名称の7割以上は、祖母から3歳時までに教えてもらったものだ。

だから「一九六八」の記憶などに、心躍らせること自体がフェイクであり、ナンセンスの誹りをを逃れようがないのだが、この感情は嘘じゃないんだから、仕方ないではないか。たとえば10・8羽田、あるは国際反戦デー、騒乱の渋谷、新宿。佐世保エンプラ寄港阻止闘争。三里塚強制収容から管制塔占拠。

どれもこれも、自分はその場にいたわけでもないのに、Youtubeなどで映像にヒットすると「オッ」と思わず前のめりになる。「超法規措置での収監者解放」、「人の命は地球より重い」と総理に言わしめたハイジャック闘争など、映画を見るより鳥肌が立つ(そのお陰で搭乗手続きが煩雑になり、迷惑もこうむっているけども…)。社会や時代を動かす力を、若者は持っていたし、なかには人の迷惑顧みず、命がけでたたかう学生だって少なくなかった。

真逆の時代に何十年も砂を噛むよう思いをさせられ続けた「割を食った」世代としては、その時代のややこしさや、負の側面など関係ない。単純に熱い時代への憧憬しかないのだ。

◆板坂剛らの手になる山本義隆、秋田明大の実像

そのただなかにいて、山本義隆、秋田明大という二人を直接知る、板坂剛の手になる『思い出そう!一九六八年を!!』は、1968年から50周年企画や出版が様々なされる中で、確実に一番「おもしろい」書籍であると確信する。板坂の秋田明大への親近感と山本義隆へのちょっと冷めた視線が「おもしろい」。山本義隆への人物評を「調整役」としたのには驚いたし、秋田明大が岡本おさみ【注】、加藤登紀子作曲で「あほう鳥」なるレコードを出していた(ってことは日大全共闘議長秋田明大は「歌手」でもあったのか! 知らんぞ! 秋田明大は運動から離れたあとは町工場で過去を語らずに生きていたイメージがぶっ飛んだ)ことも事情を知らぬ人たちには驚きだろう(その代わり、本書でも触れられていない秋田明大の私生活の秘密を知ってるけど、それは内緒!)。

小熊英二が『1968』を書いている。あれは学術書だからだろうか。さっぱり「おもしろくない」。なにより小熊自身が1968になんの共振、共感も抱いていないことが明白で、事実の羅列、年表としか感じなかった。

小熊などと板坂を比べたら、板坂からどんな仕打ちをされるか分かったものではない(小生は板坂との初対面の際、しこたま酔った板坂に筆舌に尽くしがたい仕打ちを受け「噂通り、やっかいなおっさんだ」との確信を強めた。が、後日昼間にしらふの板坂に再会した際、挨拶すると「どちらさまでしたっけ」と板坂は全く覚えていなかった。板坂とはそういう「まじめ」な男である)。しかし、それほど『思い出そう!一九六八年を!!』は全共闘の中で自らが望まずとも、表出せざるを得なかった、山本義隆、秋田明大二人の人物像と個性を知る板坂が(これも強調しなければならないが)、極めて上質な文体と分析から描く「生もの」である。

「1968」をどう評価するか、関心を持つかはおのずから各人の自由であるが、あの年の肌触りを実感し、ここまで再現できる人物はそうはいないはずだ。板坂と春日(この人物についての知識はない)に感服する。

【注】「あほう鳥」の作曲者の加藤登紀子はご存知の通りで注釈を省くが、作詞者の岡本おさみは、レコード大賞を受賞した森進一の『襟裳岬』、吉田拓郎の『旅の宿』、ネーネーズの『黄金(こがね)の花』などのヒット曲がある。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

本日発売開始!
板坂剛と日大芸術学部OBの会=編
『思い出そう! 一九六八年を!!
山本義隆と秋田明大の今と昔……』
(紙の爆弾2018年12月号増刊)
1968年、全共闘は
国家権力と対峙していた。
戦後資本主義支配構造に対する
「怒れる若者たち」
当時の若者には、
いやなことをいやだと
言える気概があった。
その気概を表現する
行動力があった。
権力に拮抗した
彼らの想いを知り、
差別と排除の論理が横行する
現代を撃て!!

北海道震災復興チャリティーイベントは2部制のKick Insist.8!

ヨードゲンの右ハイキックを余裕でかわす石原將伍
ローキックの後、パンチに繋ぎ、隙を読んでいく石原將伍

二大潮流のキックとムエタイ!

打倒ムエタイ路線。伝統あるムエタイに挑み続けるのがキックボクシング。それは個人レベルではない競技レベルの戦いの歴史が続いて行くことである。この日の2人のメインイベンターが果敢にムエタイ戦士に挑んだ。石原は一撃完勝、瀧澤は判定負け。

◎KICK Insist.8 / 11月11日(日)新宿フェース
主催:ビクトリージム、治政館ジム / 認定:新日本キックボクシング協会

《第2部》(18:00~20:10)

ロープに詰めたところで右ストレートをボディーへ突き刺しKO勝利した石原將伍

◆第8試合 メインイベント 59.0kg契約 5回戦

日本フェザー級チャンピオン.石原將伍(ビクトリー/58.5kg)
VS
ヨードゲン・ルークプラパーツ(タイ/58.65kg)
勝者:石原將伍 / TKO 1R 0:54 / カウント中のレフェリーストップ
主審:桜井一秀

ヨードゲンは元・ムエサヤーム中部フェザー級1位の肩書きを持ち、蹴りとヒジ打ちが得意の選手という情報。石原はローキックとパンチでけん制、ヨードゲンも前蹴りで様子見から、いきなりのハイキックを見せるが、石原は素早くかわし、圧力をかけるようにパンチとローキック中心に前に出て、ロープを背負いガードを固めるヨードゲンのボディーへ右ストレートを突き刺すと、効いたヨードゲンは崩れ落ちてしまい立ち上がれず、レフェリーが止めるTKO勝利を収めた。

永澤サムエルのパンチ力は、マイより優っていた
ラッシュに入った最終ラウンドの永澤サムエル

◆第7試合 62.0kg契約 5回戦

日本ライト級2位.永澤サムエル聖光(ビクトリー/62.0kg)
VS
マイ・ルークプラパーツ(タイ/61.7kg)
勝者:永澤サムエル聖光 / KO 3R 2:10 / テンカウント / 主審:少白竜

元・タイ国ムエスポーツ協会スーパーフライ級チャンピオンのマイは、頑丈そうな体格の重い蹴りで出て来る。永澤はパンチ中心に互角に応戦していくが、倒すにはやはり、パンチしかない流れではあった。

最後は右ストレートで倒しきった永澤サムエル聖光

第3ラウンド半ばには、ここで行くしかない残り時間で一気に出た永澤。左アッパーをヒットさせた後、左右のパンチ連打を5~6秒手を止めずに打ち続け、最後は右ストレートで仕留め、マイは崩れ落ちた後、立ち上がれず、レフェリーがテンカウントを数えた。

◆第6試合 フライ級3回戦

日本フライ級3位.細田昇吾(ビクトリー/50.6kg)
VS
JK・イノベーション・フライ級6位.多根嘉輝(直心会/50.8kg)
勝者:細田昇吾 / 判定2-1 /主審:仲俊光
副審:少白竜30-29. 宮沢30-29. 桜井29-30

若い二人の素早く多彩な攻防が続き、ラウンドが増すごとに激しさも増す。多根がやや蹴りの前進が目立ったが、細田の右ストレートがヒットし、一瞬腰が落ちかけた多根だが、スリップだとしても印象は悪かった。しかしすぐ立て直しダメージはほぼ無し。スタミナ切れない攻防に応援も激しくなるが、判定は2-1に分かれた結果となった。

◆第5試合 54.0kg契約3回戦

日本フライ級4位.幸太(ビクトリー/53.6kg)
VS
日本バンタム級3位.阿部泰彦(JMN/53.8kg)
勝者:幸太 / 判定3-0 / 主審:椎名利一
副審:少白竜30-25. 桜井30-25. 仲30-26)

蹴り終りや脚が揃ったところへ貰ったパンチで、二つのダウンが大きく響いたベテラン阿部にとっては残念な結果。

◆第4試合 63.0kg契約3回戦

日本ライト級8位.林瑞紀(治政館/62.7kg)
VS
細野裕希(NEXT LEVEL渋谷feat MSJ/62.8kg)
勝者:細野裕希 / 判定0-3 / 主審:宮沢誠
副審:椎名28-29. 桜井28-30. 仲28-30

◆第3試合 61.5kg契約3回戦

日本ライト級9位.興之介(治政館/61.2kg)
   VS
LBSJスーパーフェザー級1位.角谷祐介(NEXT LEVEL渋谷/61.4kg)
引分け 三者三様 / 主審:少白竜
副審:椎名28-29. 桜井29-28. 宮沢29-29

瀧澤博人も崩し技で転ばされた

◆第2試合 バンタム級2回戦

翼(ビクトリー/53.3kg)vs 一斗缶テツ(契明/53.0kg)
勝者:翼 / TKO 2R 0:20 / カウント中のレフェリーストップ

◆第1試合 フェザー級2回戦

睦雅(ビクトリー/56.8kg)vs又吉淳哉(市原/57.0kg)
勝者:睦雅 / 判定3-0 (20-17. 20-17. 20-17)

瀧澤博人のパンチはヒットせず、巧みな攻防戦を見せるチャモアペット

《第1部》(14:00~15:45)

◆第7試合 メインイベント 56.0kg契約 5回戦

瀧澤博人(元・日本バンタム級C/ビクトリー/56.0kg)
VS
チャモアペット・ルークプラパーツ(タイ/55.2kg)
勝者:チャムアペット / 判定0-3 / 主審:椎名利一
副審:少白竜27-30. 仲27-30. 桜井27-30

チャムアペットは元・ラジャダムナン系スーパーフライ級2位の肩書きを持つ。
初回はローキックの攻防で次第に高めの蹴りと接近戦でのパンチに移っていく。瀧澤の出方を見抜いたか、第2ラウンドに組み合った接近戦で瀧澤はチャムアペットの右ストレートでダウンを喫してしまう。更に組み合う接近戦が増え、ヒジ打ちも見せるチャムアペットの完全なペース。瀧澤の右ストレートをスウェーバックしてかわすなど距離の取り方が上手いチャムアペットが判定勝利。

チャモアペットの右ストレートでダウンを喫した瀧澤博人
ダーウサヤームの崩し技で馬渡が宙に舞う

◆第6試合 55.0kg契約 5回戦

日本バンタム級2位.馬渡亮太(治政館/55.0kg)
VS
ダーウサヤーム・ノーナクシン(タイ/54.9kg)
引分け 0-1 / 主審:仲俊光
副審:椎名28-29. 宮沢29-29. 桜井29-29

ダーウサヤームは元・ラジャダムナン系スーパーフライ級9位で、日本でも他団体チャンピオンクラスから何度も勝利を上げている実力者。初回はローキックで短い様子見から、すぐにハイキックや接近戦でのパンチやヒジ打ちの攻防に移っていく。馬渡は関節柔らかいハイキックやヒザ蹴りを繰り出すが、ダーウサヤームは接近戦での巧みさのヒジ打ちや足払いで馬渡を引っくり返す転ばしを見せる。馬渡の苦戦は珍しい展開だったが、打ち負けないハイキックやパンチの攻勢もあり、結果は引分けに終わり、馬渡の成長と他団体チャンピオン勢との実力も計れる展開となった。

馬渡のしなりあるハイキックが先にヒット

◆第5試合 72.6kg契約3回戦

日本ミドル級1位.今野顕彰(市原/72.4kg)v
VS
ルンチャイ・ペットポートング(タイ/71.6kg)
勝者:今野顕彰 / 判定3-0 / 主審:少白竜
副審:椎名30-28. 宮沢30-28. 仲30-28

今野はルンチャイに手数足数、ヒット数を上回る勢い。終盤はパンチで怯んだルンチャイにロープ際で更にパンチを打ち込む。主導権を支配した展開で判定勝利。

◆第4試合 63.0kg契約3回戦

日本ライト級3位.直闘(治政館/63.0kg)vsマサ・オオヤ(八王子FSG/63.0kg)
勝者:直闘 / TKO 2R 0:46 / カウント中のレフェリーストップ
主審:桜井一秀

NKBとの交流戦となった1戦。直闘が第1ラウンドに右フックでダウンを奪い、第2ラウンドにはローキックで倒し、レフェリーが止めるTKO勝利。

◆第3試合 55.0kg契約3回戦

日本バンタム級5位.田中亮平(市原/54.8kg)vs高橋茂章(KIX/54.9kg)
勝者:高橋茂章 / TKO 2R 0:30 / ノーカウントのレフェリーストップ
主審:仲俊光

◆第2試合 ウェルター級2回戦

モトヤスック(治政館/66.5kg)vs RYOTA(トーエル/66.5kg)
勝者:モトヤスック / TKO 1R 1:36 / カウント中のレフェリーストップ

◆エキシビジョンマッチ2回戦

リカルド・ブラボ(伊原)EXハルキング(Typhoon club Okinawa/74.0kg)

高橋デミアン(伊原)の体調不良ドクターストップによって欠場し、ハルキングのエキシビジョンマッチに日本ウェルター級チャンピオンのリカルド・ブラボ(伊原)が出場。

◆第1試合 58.0kg契約2回戦

RYOUICHI(トーエル/58.0kg)vs眞斗(KIX/57.9kg)
勝者:眞斗 / 判定1-2 (19-20. 19-20. 20-19)

《取材戦記》

2011年秋から昨年まで、地震国日本の、主に東日本大震災を切っ掛けに始まった震災チャリティーイベントとして、7回を重ねたKick Insist、今年は9月に発生した北海道地震復興チャリティーイベントとなったムエタイ路線を突き進むビクトリージム主催のイベント。

石原將伍は昨年10月22日、日本フェザー級チャンピオンとなって1年あまりが経過。常に強い相手とのマッチメイクを懇願してタイ選手との戦いが続きます。それは瀧澤博人も同様に、勝ち星に恵まれない時期もあるが、諦めない心で戦いが続いている。各団体でそれぞれの方向性は違っても、こんな挑戦が50年も続いている日本のキックボクシング。打倒ムエタイは今後も続く永遠のテーマなのでしょう。

次回、新日本キックボクシング協会興行は、12月9日(日)に後楽園ホールに於いて、藤本ジム主催「SOUL IN THE RING」が開催されます。勝次の次なるステップに挑む前哨戦が予定されています。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』
上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!

人間サンドバック状態の片山さつき大臣 ── 更迭に踏み切れない安倍晋三の憂鬱

 
疑惑のカレンダー

◆カレンダー問題が勃発

100万円の国税庁口利き疑惑、たび重なる政治資金の記載ミス、公職選挙法違反の疑義がある氏名入り看板問題につづいて、こんどはカレンダー寄附疑惑である。片山さつき地方創生大臣が2013年に製作したカレンダーは、過去に松島みどり法務大臣が選挙民に配ったうちわとは違って、定価が付いた商品である。その商品(カレンダー)を選挙民に配った疑惑が生じているのだ。片山大臣は「政治資金パーティーや後援会の集まりなど、有料のイベントで配った(カネを徴収した)ものですから、寄附行為には当たりません」と述べているが、「日刊ゲンダイ」(2018年11月11日付)によると、そうではないようだ。

日本行政書士連合会に所属する司法書士によると、連合会の会報に片山さつきのカレンダーが同封されてきたというのだ。この司法書士は片山さつきの支援者というわけでもなく、大いに当惑したという。しかも送られてきた時期は、4月だというのである。カレンダーには「私(片山さつき)も行政書士です」「行政書士法改正推進!」など行政書士に直接訴えかけるような言葉が並んでいるのだから、片山は選挙に向けたアピールのためにカレンダーを送ったとみられても仕方がないであろう。「夕刊ゲンダイ」は政治資金に詳しい神戸学院大教授の上脇博之氏の見解を、以下のとおり引いている。

「片山事務所が連合会に依頼し、顔写真などが載ったカレンダーを配っていたのなら、公選法違反の恐れがある。また、支部で作ったカレンダーを無償で連合会に提供したのなら、その旨を収支報告書に記載しなければなりません。政治資金規正法違反の不記載に当たる可能性もあります」

◆またもや未記載、締めて770万円なり

11月14日付け朝日新聞朝刊によると、片山大臣の政治収支報告書に450万円の収入未記載があったという。支出の未記載も90万円である。すでに報じられた収入分の未記載、200万円、120万円とあわせて、じつに770万円の未記載ということになる。おそらく片山さつき大臣(当時は議員)にとって、細かい数字はどうでもいいことなのだろう。会計担当秘書がいい加減なのだとしたら、議員としての管理能力の欠如ということになる。あるいは、片山大臣のパワハラ的といわれる事務所運営に、ほとほと愛想が尽きた「秘書」が、わざと記載ミスをしたのだろうか。

 
日仏共同テレビ局France10による片山さつきインタビュー記事より(2014年4月7日 by Henri Kenji OIKAWA)

さすがにこれで終わりかと思っていたら、14日発売の「週刊文春」は、片山事務所の事務所費用にかんする疑惑を報じた。

◆南村「秘書」との謎の関係

その事務所費用疑惑とは、ほかでもない「国税口利き疑惑」のいっぽうの当事者である南村秘書の親族が所有するマンションが対象となっているのだ。すなわち、片山氏が代表を務める政治団体「自由民主党東京都参議院比例区第25支部」の主たる事務所の所在地が、当該のマンションなのである。片山大臣はそのマンションの室料として、2012年から2016年の間、合計150万5千円を支払っているのだ。このうち少なくとも90万円は、政党交付金、つまり税金から支払われていることが確認できたという(週刊文春)。南村氏は2012年時点で第25支部の登録政治資金監査人であり、2016年までは片山氏のファミリー企業で取締役を務めるなど、片山大臣と密接な関係だったことがうかがえる。国会答弁では、税理士としての相談役などと、片山大臣は私設秘書であることを否定してきた。

だとすれば、「自由民主党東京都参議院比例区第25支部」の主たる事務所が、南村氏の関連する事務所であるのは不思議なことと言わざるを得ない。事務所としての使用実績がないとしたら、そもそも政党で支払う義務はなく、政党交付金(税金である)の使途不明にあたる。あるいは公文書の虚偽記載、もしくは公文書偽造ということになるはずだ。疑惑の事務所費から、南村氏と共犯した可能性のある斡旋利得罪の証拠が明らかになるのかもしれない。大臣辞職までカウントが入った感のある片山大臣だが、彼女を更迭できない安倍総理の苦悩も重篤であろう。なにしろ、「2人、3人分の女性大臣」なのだから。


◎[参考動画]片山さつき氏 新たに収支報告書を訂正 野党が批判(ANNnewsCH 2018/11/08公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

月刊『紙の爆弾』12月号 来夏参院選敗北で政権崩壊 安倍「全員地雷内閣」
横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)