福岡警官妻子殺害裁判 「死刑求刑」を予想する報道が皆無に等しいのはなぜか?

妻と子供2人を殺害した罪に問われ、今月5日から福岡地裁で裁判員裁判が行われている元福岡県警の警察官、中田充被告(41)について、筆者は同8日の当欄で冤罪の疑いを指摘した。報道を見る限り、めぼしい証拠はなく、動機も曖昧なうえ、むしろ中田被告はこのような犯行を行わないのではないかと疑わせる事情もあるからだ。

さらにこの裁判では、他にも気になることがある。それは、「死刑求刑」を予想する報道が皆無に等しいことである。今回は、この点を切り口に事件を考察してみたい。

◆検察の主張通りなら情状は最悪だが・・・

裁判員裁判では、裁判官、検察官、弁護人が公判前整理手続きを行い、証拠や争点を絞り込み、審理計画を立てる。そして初公判では、裁判でどういうことが争点になり、どういう審理が行われるが明かされる。そのため、被告人が有罪の場合に死刑が適用されるか否かが争点になるようであれば、初公判の時点で普通はわかるものである。

では、中田被告の場合はどうか。

初公判の罪状認否で中田被告は容疑を全面的に否認し、冤罪を訴えており、「被告人は犯人か否か」が裁判の大きな争点であることはわかった。これは大方の予想通りだ。

一方、「中田被告が有罪の場合、死刑が適用されるか否か」が争点になること(あるいは、なりそうであること)を伝える報道は皆無に等しい。これはつまり、検察がこの裁判で死刑を求刑する可能性はほぼ無いことを示している。中田被告が本当に検察の主張通りの犯行を行っているならば、次のように死刑求刑のための材料は揃っているにも関わらずにだ。

(1)殺害した被害者は3人
(2)動機は、「妻との不仲」という身勝手なもの。しかも、妻を殺害しただけでなく、何の罪もない子供まで殺している
(3)妻が子供と無理心中をしたように偽装するなど、極めて計画的かつ悪質
(4)犯行の発覚を防ぐため、妻の姉に「子供が小学校に登校していないので、家に様子を見に行って欲しい」と依頼し、遺族を第一発見者に仕立て上げている
(5)一貫して容疑を否認しており、反省は皆無で、遺族に対する謝罪も一切ない。
(6)現職の警察官が起こした殺人事件として大きく報道され、社会に与えた衝撃は甚大。警察の信頼も失墜させた

親族間殺人は求刑や量刑が軽くなりがちな傾向があるにはある。しかし、これだけの事実が揃っていれば、親族間殺人とはいえ、検察が死刑を求刑しないというのは変である。【※】

中田被告の裁判員裁判が行われている福岡地裁

◆あの「北稜クリニック事件」と同様のケースか?

過去、死刑を求刑しないことが話題になった事件としては、地下鉄サリン事件を実行した元オウム真理教幹部・林郁夫被告の例が有名だ。林被告の場合、改悛の情が顕著であるうえ、自供により事件の全容解明に貢献したことなどから、検察は裁判で死刑ではなく、無期懲役を求刑したとされる。そして実際に、林被告は死刑を免れ、無期懲役判決を受けている。ただ、中田被告は冤罪を訴えており、林被告のケースとは完全に異なるので、参考にならないだろう。

一方、被告人が否認している事件でも、検察が裁判で死刑を求刑せず、驚かせた例が存在する。2000年に仙台市の北稜クリニックで起きたとされる患者殺傷事件だ。

この事件では、同クリニックに勤務していた准看護師の守大助被告(当時29)が同年2~11月、患者の点滴に筋弛緩剤を混入する手口により5人を殺傷したとして殺人罪と殺人未遂罪に問われた。殺害したとされるのは89歳の女性1人だが、殺人未遂の被害者4人の中には、小さな子供が3人いたうえ(1歳の女児、4歳の男児、11歳の女児)、うち1人(11歳の女児)は植物状態に陥っていた。

しかも、守被告は捜査段階に一度は自白しながら、裁判では無実を訴えており、まったく反省していなかった。それゆえに、検察は論告で、死刑を求刑する可能性は高いのではないかと思われていたのだが・・・実際に検察が裁判で求刑したのは無期懲役だったのだ。そして守被告は求刑通りに無期懲役判決を宣告され、確定している。

では、なぜ守被告について、検察の求刑は死刑ではなく、無期懲役にとどまったのか。

よく言われるのが、実は検察も有罪を主張しつつ、内心は守被告が犯人だという確信が持てていなかったからではないか、ということだ。というのも、この事件については、被害者とされる5人が容態を急変させた本当の原因は医療過誤であり、守被告は冤罪だという説が根強くある。実際、検察が守被告に死刑を求刑しなかった事情は他に考えにくく、求刑が無期懲役にとどまったことが守被告の冤罪を裏づけているという意見もあるくらいだ。

結論を言うと、中田被告に対する「死刑求刑」を予想する報道が皆無に等しいことから、筆者が思い出したのが、実はこの守被告のケースだった。つまり、検察がこの裁判で死刑を求刑しなければ、検察は中田被告が妻子3人を殺害したことに確信を持てていないのを露呈したのも同然だと筆者は考えている。そういう意味で、12月2日にあるという検察の量刑に関する最終論告に注目している。

【※】比較対象としては、2010年に宮崎で親族3人(妻、義母、生後5カ月の長男)を殺害し、宮崎地裁の裁判員裁判で殺人罪などに問われた元自衛官の会社員・奥本章寛被告の例がある。奥本被告が犯行に及んだ事情は、同居していた義母が厳しい性格で、普段からきつくあたられ続け、精神的に追い詰められたことだった。奥本被告は犯行後、長男の遺体を近くの資材置き場に埋め、第1発見者を装って警察に通報してはいるが、犯行の隠蔽のために被害者遺族を利用したりはしていない。犯行時は24歳と若く、逮捕後は罪を認めて反省の言葉を述べており、社会に影響を与えるほど事件が話題になったわけでもない。それでも、奥本被告は検察官の求刑通りに死刑を宣告され、その後、最高裁で死刑確定している。

[関連記事]
福岡県警「現職警察官」妻子殺害事件は冤罪か? 証拠なく、動機も曖昧(2019年11月8日)

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)。同書のコミカライズ版『マンガ「獄中面会物語」』(笠倉出版社)も発売中。

月刊『紙の爆弾』2019年12月号
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

タブーなきレポート満載の月刊「紙の爆弾」12月号! 安倍長期政権の底流にあるカルト宗教・暴力団・カネ ── 政治の腐敗と虚偽を暴く!

 
月刊『紙の爆弾』2019年12月号

巻頭は「自民党政治家も絡む“原発マネー”をめぐる政官業の癒着構造」(横田一)だ。いまさらながら、原発マネーが地元発の金品受領事件として露見した、関西電力福井高浜原発。マスコミ報道では森山栄治元助役の剛腕が強調され、関西電力はあたかも「被害者」のように描かれているが、そうではないと横田は指摘する。

計画停電をチラつかせ、行政を手玉に取る手法はまさに原子力ムラのいっぽうの雄である。そして森山助役の力の背景に、自民党大物政治家の影があることを暴露する。その大物政治家とは、亡き野中広務元自民党幹事長である。そして森山元助役が部落解放同盟の県連書記長だったことから、野中との関係は想像できるというものだ。

これについては、部落解放同盟中央本部の組坂繁之執行委員長が10月7日付で「書記長は2年で解任され、解放同盟とは無関係」とコメントしている(「週刊新潮」ウェブ)。とはいえ、高浜町で自由にモノが言えない雰囲気を作ったのは、森山元助役の「人権」をカサに着た言動だったのではないか。さらなる取材を期待したい。

◆安倍長期政権の底流にある宗教・暴力団・カネ

「菅原一秀前経産相の卑劣なる取材妨害と『虚偽告訴』」(藤倉善郎)は、取材を申し入れたジャーナリスト(藤倉氏および「やや日刊カルト新聞」の鈴木エイト氏)を、菅原事務所が「建造物侵入」で刑事告訴したというものだ。菅原一秀は「カニ」「メロン」そして秘書香典の辞任大臣である。しかし今回、藤倉氏の取材テーマは、菅原一秀元経産相の「統一教会との関係」なのである。

カルトと安倍政権の分かちがたい関係は前号で既報のとおり、ここが長期政権の核心部分なのかもしれない。練馬の菅原事務所前での取材妨害は、そのままリアルに再現されているので臨場感たっぷりだ。突撃取材のノウハウにもなるので、ジャーナリスト志望者はぜひ参考にしていただきたい。

もうひとつ、安倍長期政権を支えているものは、暴力団との癒着であろう。「『カネ』と『暴力団』から始まった自公連合20年“野合”の底流」(大山友樹)は、自公連立の契機に、創価学会と後藤組(五代目山口組の武闘派組織)後藤忠政組長との関係を指摘する。

本欄で連載している「反社という虚構」には自民党政治家とヤクザの切っても切れない関係が選挙にあると指摘してきたが、創価学会の場合は、つねに付きまとう「正教不分離」のウィークポイントを、暴力の力でけん制するという乱暴な手法だった。都議会公明党のドン・藤井富雄(元都議)が「反創価学会議員対策」で後藤組長と密会しているところを、ビデオ撮影されていたのである。

これをネタに創価学会を「恫喝」したのが、亡き野中広務だという。22万部のベストセラーになった後藤忠政元組長の『憚りながら』(宝島社)を読まれた方は、組長の創価学会批判が「それまで散々働いてきた連中や、俺みたいに協力してきた人間を、用済みになったら簡単に切り捨てるようなやり方が許せん」の真意がわかろうというものだ。

テーマは政治ではなく芸能だが、暴力団記事がもう一本。周防侑雄に煮え湯を飲まされた笠岡和雄(元大日本新政會会長・笠岡組元組長)の反撃が待たれると予告するのは、編集部による「収監・元用心棒が握る“決定的証拠”芸能界のドンの暴力団人脈」である。周防バーニングプロ社長に用心棒として頼りにされ、共同出資で産廃事業に乗り出したところで頓挫。

この経緯については『狼侠』(サイゾー刊)に詳しいが、同書を反撃の狼煙にしたところを、仁科明子がらみの事件で逮捕、今年2月に2年の実刑判決を受けた。その背後に、周防社長の警察人脈があるのは明らかだ。そしてその周防の暴力団人脈こそ、笠岡元会長が最もよく知る住吉会系(笠岡組は住吉会の前身・港会の傘下組織だった)であり、六代目山口組(弘道会・司興業)なのである。今後の展開に注目したい。

◆国民の総反撃が始まるか?

田原総一朗インタビュー(林克明+本誌編集部)「『野党』と『世論』の可能性」が、久しぶりに田原の慧眼さを伝える。自民党の党内権力の一元化によって、党内はおろか国民まで巻き込んだ『消極的支持』が長期政権を支えている」と、田原は政治の劣化を読み解く。論点は消費税廃止、格差の是正(月収20万円以下が1000万人という現実)、そして失敗許容社会であるとする。この失敗許容とは、サラリーマン化した企業の経営者に対するものだ。アメリカでは3回か4回失敗しない人間は認められない(トランプか?)と田原は言う。

いっぽう、年内の衆院解散が噂されている。安倍政権のさらなる長期化のために、最短で12月解散、あるいは来年1月下旬、来年6月の都知事選との同時選挙が有りうる。というのは「衆院解散『2020年1月』安倍政権を終わらせる野党共闘の行方」(朝霞唯夫)である。党内政局の動きはすさまじい。二階俊博が麻生太郎に「もう一度、総理をやったらいい」(10月に2度、料理屋で会合)。これは安倍総理の総裁4選をうながす、隠然たるアドバルーンではないかと。朝霞は「れいわ新選組」の可能性について「参院選の遊説で見せた“言葉の破壊力”は凄まじいの一言。山本氏を加えて、どのようなスキーム、統一候補の筋書きを描けるかがカギとなりそうだ」とする。

連載では、シリーズ「日本の冤罪」の二回目が甲山事件。「れいわ新選組の『変革者』たち」は、辻村ちひろ氏だ。今回も好みで選んだレビューだが、読み応え満載の12月号をよろしく。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

月刊『紙の爆弾』2019年12月号!

国、大阪府、大阪市と一体となった大阪府警の「11・6釜ヶ崎大弾圧」を許さない! 仲間を取り戻し、11・9「私たちはあきらめない!」集会に80名参加! 次回裁判は11月20日(水)午後2時より大阪地裁1007号法廷で!

西成のJR新今宮駅前に建つ「あいりん総合センター」(以下センター)の建て替え問題が進むなか、11月6日早朝、「センター潰すな!」を訴える稲垣浩さん(釜ヶ崎地域合同労組)ら4名が大阪府警に逮捕された。

容疑は「威力業務妨害容疑」、半年前の5月31日、西成区萩之茶屋1丁目の路上に設置された監視カメラのレンズにゴム手袋をかぶせ、6月4日午後まで撮影できない状態にしたからだという。

私たちは、当日「救援会」を立ち上げ、後藤貞人弁護士らと救援活動を始めた。4人のうち3人は高齢であったり、持病などを抱えていることから、健康面なども心配されていた。

◆大阪府と大阪府警西成警察署の2度目の敗北

11月6日に逮捕されるも8日保釈を勝ち取り、9日の集会で発言する釜ケ崎地域合同労組委員長の稲垣さん

11月8日検察は抗告、準抗告を立て続けに行ったが、裁判官はいずれも棄却、4人全員の釈放が勝ちとられた。稲垣さんらの行動は、別の監視カメラで一部始終が撮影されているため、4人に隠したり、隠ぺいする証拠が何一つないためだ。釈放された稲垣さんにお話を聞いた。

「今回の逮捕は、11月9日に予定していた集会『私たちはあきらめない』への事前弾圧でもあるね。しかもこの間、釜ケ崎の私たちの闘いに関心も集まっている。集会では、それを知ってもらうため、3月31日センター開放闘争の記録、4月24日の労働者に対する大阪府警、国、府の暴力的な強制排除と闘った記録を30分ほどにまとめたビデオを上映しようとしていた。そのあとで、住民訴訟の弁護団の武村弁護士に、裁判の経緯も話して貰おうとしていた。3月11日に南海電鉄の高架下にできたセンター仮庁舎で、5月半ばから始まった雨漏りが、今も止まっていないこと、80年以上経った南海電鉄の老朽化が進み、倒壊の危険性もあることなどを話していただく予定でした。国と大阪府、大阪市はセンター建て替えの理由を『センターの耐震性に問題がある』と言っていますが、南海電鉄も危険ではないか、ということです。
 今回の逮捕については、『なんで、こんなことで逮捕されるのか?』と呆れていた裁判官もいたと弁護士に聞きました。監視カメラについては、私は前から批判してきたし、組合事務所の前につけられたカメラを、裁判で訴え、撤去させたこともある。今回はセンターから出された仲間が団結小屋を作ったら、カメラの向きが小屋側に変えられた。私がセンターでの朝の情宣で話しているが、自分の家や部屋に監視カメラが向けられたら,誰でも嫌でしょう?それと同じ。団結権や肖像権の侵害です。だから私はどうしても許せなかった。でも私たちはカメラ壊したり、向きを変えてはいない、手袋をかぶせただけです。すぐにとればいいものを、何日も放っておいて、5ケ月後に逮捕なんてありえません。大阪府警と西成警察署の、3月31日、センター閉鎖の際、労働者や支援者の闘いを甘くみたことによって敗北にしてます。今回は二度目の敗北ですよ」(稲垣さん)。

◆わたしたちに肖像権はないのか?

団結小屋に向けられた監視カメラ

5月31日稲垣氏らが抗議のため、カメラに手袋をかぶせたという監視カメラは、センターの北西側に立っている。もとは、南海電鉄高架下に建設されたセンター仮庁舎の前の道路に向けられていたカメラだ。

ここでも報告してきたが、センターは、建て替えに伴い、3月31日閉鎖予定だったが、センターをつぶすなと訴える釜合労や釜ヶ崎公民権運動のメンバーらの呼びかけで、300人以上の労働者、支援者らが集まり、閉鎖を阻止してきた。翌日から自主管理が始まり、約80名の人たちがセンター内で寝起きしていたが、4月24日、大阪府警の機動隊約200名が労働者を暴力的に排除したが、それ以降も私たちは、センター北西側に団結テントを建て、野宿者の見回り、共同炊事、寄り合い、秋祭りなどを行ってきた。よそからも大勢の人たちが支援に来てくれた。そうしたなかで監視カメラは団結小屋に向きを変えた。

私たちも黙っていたわけではない。4月から6月にかけ、谷町4丁目の大阪労働局(国)を何度も訪れ、申し入れを行い、「肖像権や団結権の侵害だ! 監視カメラの向きを変えろ!」と要求してきた。

新聞報道では放火が続いたためにとあるが、放火どころか、野宿者への襲撃も相次いでいた。放火も襲撃も、センターから放り出され、仕方なく周辺で野宿を始めて以降多発している。こうした背景には「野宿者は汚い。町の恥だ」などという差別的で誤った情報が宣伝されていることがある。行政も、こうした差別的な宣伝には「安全・安心のまちづくりを!」と加担するが、「襲撃をやめよう!野宿者の人権を守ろう」という宣伝はしない。このことの方がよほど問題だ。

しかも監視カメラがあることで、襲撃が減ったわけではない。つい最近もテント近くで野宿する仲間が、襲撃された。行政と西成警察は、監視カメラに抗議した仲間を不当に逮捕するのではなく、野宿者を襲撃、放火などで攻撃する連中をちゃんと取り締まれ。

◆大阪維新の「西成特区構想」まちづくりから排除される人たち

なぜ、今、逮捕なのか? 大阪維新は「西成特区構想」で、センターを潰して出来た広大な更地に、新たな「まちづくり」をやろうとしている。このプログラムに西成警察署が入り、監視カメラが大幅に増設されたうえ、西成警察が主導する「クリーンキャンパーン」に住民を動員し、「きれいなまちづくり」「安全・安心のまちづくり」を訴え、結果として野宿者排除を後押ししてきた。

「まちづくり会議」は現在「あいりん総合センター跡地などの利用検討に向けたワークショップ」を進め、結果を年内に出すという。先日、そのワークショップに呼ばれた稲垣さんが、「あいりん総合センター跡地等に望むむこと、望むもの」と書かれた模造紙に紙を貼ることを拒否し、「センター潰すな」の立場からの意見を欄外に添付したところ、次の会議で意見が意図的に封殺されたことがわかったという。

「まちづくり会議」に集まる人たちは、西成警察の「覚せい剤撲滅!キャンペーン」でヤクザ、暴力団を排除し、「クリーンキャンペーン」で野宿者らを排除し、今度は「センター潰すな」と声をあげる私たちを排除しようとしている。釜ケ崎から労働者や弱者を排除したい大阪維新と共に……。

◆集会「私たちはあきらめない」に80名の参加!

11月9日(土)、西成市民館で開催された「私たちはあきらめない! センターつぶすな!」の集会には、約80名もの人たちが集まった。「シャッター開けろ」運動の報告を稲垣さんらが行ったあと、住民訴訟の弁護団・武村二三夫弁護士が裁判の経過を報告した。前述したセンター仮庁舎の雨漏りが止まらない件について、「みっともない話である」として、南海電鉄の橋脚自体が非常に危険ではないかと指摘された。

逮捕直後から支援いただき、集会には、先日釈放された西山直洋さんがかけつけてくれた

センター建て替えは「耐震性に問題がある」との理由だったが、では南海電鉄はどうなのか? 住民への説明会で大阪市は、「南海電鉄が大丈夫と言っているから(大丈夫)」と説明したが、南海電鉄と大阪府、大阪市のやりとりのなかで、南海電鉄側が「強度は全く保障しない。それでもいいのであるならば使ってください」と言っていることが、情報公開で明らかになった。

阪神淡路大震災の際、鉄筋コンクリートが倒壊することがわかったが、その後、各地で橋脚などを補強工事が進められた。実は南海電鉄も今、橋脚の強度を強めるため、柱に鉄板をまく工事を行っている。場所は、センター仮庁舎から北側の難波寄りと、南側の萩之茶屋駅近くなどだ。

この補強工事は、センターとあいりん職安の仮庁舎だけ行われていない。ここだけ強度が高いとは考えられないが……。住民訴訟は当初、仮庁舎の建設費用(公金)が高すぎることを問題にしていたが、それだけではなく、仮庁舎自体がぜい弱で危険であることがわかってきた。住民訴訟に、多くの皆さんのご注目を頂きたい。これは、大阪都構想を狙う大阪維新の野望を、末端で突き崩す闘いでもあるからだ。
 
次回裁判は11月20日(水)午後2時~。大阪地裁1007号法廷で。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。最新刊の『NO NUKES voice』21号では「住民や労働者に被ばくを強いる『復興五輪』被害の実態」を寄稿

月刊『紙の爆弾』2019年12月号!
〈原発なき社会〉を求める『NO NUKES voice』21号 創刊5周年記念特集 死者たちの福島第一原発事故訴訟

魂の書家・龍一郎、母校で語る、教育界を揺るがせた「ゲルニカ事件」から30年の想い

11月10日、同志社学友会倶楽部主催の、書家・龍一郎(本名:井上龍一郎)さんの講演会『教育のあり方を問いかけた ゲルニカ事件から30年の想い』が開催された。

会場となった同志社大学良心館の教室には約100名の聴衆が集まった。龍一郎さんが学生だった頃、この建物はまだなかった。

 

教壇の黒板には、児童が作成した「ゲルニカ」を美術の先生が縮小模写した「ゲルニカ」が飾られた。縮小版でもかなりの迫力があるが本物は縦が2.8m横が5m以上あるのだから、もし完成したての「ゲルニカ」が長尾小学校の舞台に飾られていたら、事件にはならなくとも、児童にとっては一生忘れられない卒業式になっていたことだろう。

しかし、そんな素敵な日は訪れなかった。――

龍一郎さんは長尾小学校赴任後、6年3組の担任を任されるが、そのクラスは荒れていて、登校時間に誰一人教室にやっては来ない。唯一児童の興味は校庭でサッカーをすることだけだった。ランドセルも教科書も鉛筆も持ってこない児童たちに向かい合った龍一郎先生は、「よかばい、それならサッカーをやろう」と、朝7時に出勤し、一日中児童とサッカーに明け暮れた。4月から5月になると、気温が上がる。これが幸いした。児童たちは元気でも、さすがに暑い中一日サッカーをしているほど体力はない。2時間目が終わったころに児童が疲れだし「ちょっと教室へ戻ろうか」となった折を見て、龍一郎先生はようやく授業を始めるきっかけを得る。「人間なんでも『義理人情』なんですよ」と笑いながら児童の授業参加の理由を龍一郎さんは、冗談のように紹介する。「あれだけサッカーやらしてもうとるんやから、ちょっとは授業ば、聞いてや」と児童はサッカーを好きなだけやらせてくれた龍一郎先生に「義理」を感じて授業を受けるようになったわけだ。

こう言ってしまうと、とても簡単で単純なようだが、小学校の先生が毎日、朝から午後まで1カ月以上児童にサッカーをやらせる(一緒にやる)のは、そうたやすいことではない。今日であればまず、管理職から制止されるだろうし、そもそも「サッカーをやりたそうだから、とことんやらせよう」と発想する先生は、ほとんどいないだろう。

龍一郎先生は荒れて授業にならなかった6年3組の児童の心を、まずは「サッカーをやりたいだけやらせる」ことで和ませてゆき、学習への興味を喚起していった。

 

◆「ゲルニカ事件」を経て、裁判闘争に立ち上がる

おそらく、龍一郎さんは、こういうことが簡単に発想できる、稀有な人間性の持ち主なのだ、とわたしは確信している。講演の中では「ゲルニカ問題」を取り上げた「筑紫哲也のNEWS23」の映像が流された。この映像に出てくる龍一郎さんの容姿の「好青年」ぶりについては本通信で以前にも言及したが、どう見ても20代後半か30代前半にしか見えない。ところが、休憩時間に「あれはいくつの時撮影されたものでしたか」と伺ったら、「たぶん42,3の頃やね」といわれ、また仰天した。龍一郎さんは「ああいうときは、うぶに振る舞うんよ。きょろきょろしたり、臆病そうな顔したりしてね」と画像に出てくる自身を、しっかり演出していたことを告白してくれた。たしかにそう言われてみれば、外見もそうだが振る舞いによって「若い」と感じさせられていることにあとで気がついた。

講演の開始時に、少々お酒を召し上がったと思われる、龍一郎さんと同じ神学部の伝説的な先輩が、何度か大きな声を発せられた。「大丈夫かな」とやや心配したが、龍一郎さんはその先輩に視線を送ることもなく、全く意に介さず話を続けた。そのうちに大声を出していた先輩もまったく発語しなくなった。

龍一郎さんは、日頃多弁ではない。どちらかと言えば、にこにこしながら、ひとの話を聞いている姿が頭に浮かぶ。ところがいったん話を始めると、絶妙なタイミングで冗談をはさみ、無駄な話に逸れることもなく、流れるように話が進んでゆく。聞いている者で退屈したり、眠くなった人は誰一人いなかっただろう。

語りがうまい、というだけではない。龍一郎さんの立ち振る舞い、特に「目」が聞く人の心を強く摑む。きっと長尾小学校6年3組の児童たちも、龍一郎先生の「目」にやられたに違いない。こんなに澄んだ目をした人、そして怒りを語るときには、温かみの中に「凄み」を滾らせる「目」を持った人を、わたしは他に知らない。

そして、児童に指導するばかりでなく、むしろ自発性を発揮させる能力は、いくら経験を積んでも、できない教師には真似できるものではない。学年全体の児童が、映画のスクリーン大の「ゲルニカ」を学年の旗として描く。「子供には無限の可能性がある」といわれるが、その可能性を引き出し、現実化させるには、良き環境や大人との出会いがなければ、容易なことではない。

小学校の先生として、龍一郎さんは超一流であったことは、児童の心を摑む人間性だけではなく、教育委員会から新任数年で「教師を指導する」機関に引き抜かれた事実が物語る。将来を約束される「超エリートコース」に抜擢されていたのだ。そして龍一郎さんは、同志社大学神学部の出身だが、実は数学を最も得意としており「教師を指導する」機関在籍時の担当も算数だったそうだ。

その元エリート先生が、「ゲルニカ事件」を経て、裁判闘争に立ち上がる。教育委員会から呼び出しを受けて、処分の言い渡しに出向いた際、文書」を手渡されたときに、片手で受け取ろうとしたら「両手で受け取れ!」と言われ、怒った龍一郎先生は処分を記した紙を片手で奪い取り、処分理由に児童の行為が記されていることを知り「処分理由を書き直せ!」と担当者に迫った。担当者は事務的な内容を三度繰り返したそうだが、こういう時の龍一郎さんが、どんな目をして、怒気を隠さなかったかは、見ていないわたしにも想像できる。

 

◆書家・龍一郎さんが披露した揮毫の実践

そして、一言でいえば「これほど優しい」人はそうそういない。講演後揮毫の実践を龍一郎さんは披露した。「良心」、「絆 望むことは あなたと生きることだ」の二枚を書いたのち、参加者の希望のリクエストに応えて「寒梅」、「いのち」、「繋ぐ」を書き上げた。最後に小学校の現役の先生が「言葉は思い浮かんでいないんですけど、先週権力側に潰されそうになって気持ちがへこんでいます」との言葉に、龍一郎さんは「逆らわないほうがいいですよ」と冗談で返し「子どもたちのための教育を作りたいと思っているんですけど、きょうの先生のお話を伺って、是非、『喝』というか『励まし』の言葉を頂けたら」とのリクエストに「流されて」とか「穏やかに」とか「静かに」とかと、またしても冗談を飛ばした挙句龍一郎さんが揮毫したのは、「今日だけがんばれ」であった。

2分おきに笑いを誘う、なごやかな雰囲気の中で、龍一郎さんは「ゲルニカ事件」を語った。裁判中は、毎週水曜日弁護団会議を夕方6時から早くても12時までこなし、全国400か所以上で講演を行い、裁判資金を捻出していたという。心身とも限界に近い状態だったのではないかと想像される。現在の松岡同様、重度の糖尿病になったそうだ。そこまでして龍一郎さんが闘ったのは、自分の名誉や権利のためではなく、「児童」が罰せられたことへの教育者としての憤りであったに違いない。

濃密に「ゲルニカ事件」を語り、揮毫の実践では顔中に汗をかき、参加者を何度も爆笑させた龍一郎さんのお話は、参加者の心を強く揺さぶったことだろう。

 

◆「言わんでいいこと言うてしもうたね。誰にも言わんとってね」

わたしたちにとってこの日は特別な日となったが、実は龍一郎さんにとっても、忘れられない日となったであろう。開場前、荷物を持って同志社大学の校門を入ってくる龍一郎さんと偶然出くわした。挨拶をかわし「お体はお元気ですか」と伺うと「うん。まあまあやけど。今朝ねお袋が亡くなったんよ。5時ごろ電話かかってきて」――わたしは言葉を失ってしまった。その後短い会話のあと「言わんでいいこと言うてしもうたね。誰にも言わんとってね」と仰った。

にもかかわらず、何事もなかったかのように龍一郎さんは、講演、揮毫など、この日の仕事を終えた。プロである!
この原稿が掲載される12日は龍一郎さんご母堂のご葬儀の日でもある。

講演も揮毫もご母堂ご逝去の日にこなしていただいた龍一郎さんに再度感謝申し上げます。

なお、この日、3・11以降、龍一郎さんが揮毫し毎年発行されている鹿砦社カレンダー2020年版が出来上がり、参加者全員に配布された。

◎[参考動画]講演当日、龍一郎さんが披露した揮毫「良心」(堤泰彦さん撮影)

◎[参考動画]講演当日、龍一郎さんが披露した揮毫「絆」(堤泰彦さん撮影)

[関連記事]
◎書家・龍一郎さんが長年の沈黙を破り、11月10日同志社大で語る「教育のあり方を問いかけたゲルニカ事件から30年の想い」(2019年10月15日)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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最新刊『一九六九年 混沌と狂騒の時代』、2年前に刊行の『遙かなる一九七〇年代─京都』(松岡利康/垣沼真一編著)の題字も揮毫してくれた

「反社会勢力」という虚構〈3〉選挙区の地元人脈を基礎とする自民党政治は、暴力団と本当に手を切れるのか?

「いい人だけ付き合ってるだけじゃあ選挙落ちちゃうんですよね」たびたび引用させていただいているが、2016年1月に安倍政権の社会保障・税一体改革担当大臣を辞任したさいの、甘利明の辞任会見での発言である。

甘利はURへの口利きのあっせん利得として、事務所(秘書)が建設会社から1200万円を受け取っていた責任をとって辞任した。この「いい人だけ」の裏側に「悪い人と付き合う」が含意され、そこにはパーティー券の購入や資金援助、ブラックな人脈との付き合いが政治家の本質だと暗喩されているのは言うまでもない。

田中和徳復興大臣

◆安倍政権閣僚と暴力団

この「悪い人との付き合い」が政治家の必要条件であることを、今回の安倍改造内閣でも田中和徳復興大臣(70歳)の例が証明している。本欄でも既報だが、再録しておこう。

「(田中和徳復興大臣の)平成18年に開催した政治資金パーティーで、指定暴力団稲川会系組長が取締役を務める企業にパーティー券を販売し、40万円を受領していたことが21日、産経新聞の調べで分かった。パー券販売は財務副大臣在任中で、暴力団側から政治家側への直接の資金提供が判明するのは極めて異例。暴力団排除条例が全国の自治体で制定されるなど『暴排』の動きが加速する中、国会議員と暴力団側の関係が発覚した。政治資金収支報告書や関係者によると、パー券を購入していたのは東京都品川区に本社を構える企業。設立は昭和62年で、法人登記では『日用品雑貨の販売』『金銭貸付業』などとなっている。捜査関係者によると、同社は暴力団のフロント企業として認定されているという。稲川会系組長は、設立当初は代表取締役を務めていたが、平成4年からは取締役に就任。同社が長年にわたって暴力団の影響下にあり、資金源となっていたことがうかがえる」(「産経新聞」2011年10月22日ウェブ配信)。

武田良太国家公安委員会委員長

田中復興大臣だけではない。暴力団を指定し、取り締まる国家公安委員会のトップに就任したのが、暴力団との交際を報じられている武田良太(51歳)である。これも既報だが、再録しておこう。

「2010年11月に公表された、武田氏の政治資金管理団体「武田良太政経研究会」の収支報告書によると、09年4月に開かれた政治資金パーティー代として、東京都のA社が50万円を献金している。また、11年11月公表の収支報告書では、A社の実質的な代表であるI氏が10年4月の政治資金パーティー代として70万円を支払っている。実は、このI氏、警察当局が指定暴力団山口組系の組員ではないかと当局からマークされ、裁判で素性が明かされた人物だった」(「週刊朝日」2019.9.13ウェブ配信)

もうひとり、竹本直一科学技術担当大臣(78歳)である。ひとつの内閣に3人も暴力団の密接交際者がいるようでは、自民党政治家の本質が「暴力団準構成員」であると指摘されても不思議ではないだろう。

山口組幹部だった男性と竹本直一氏(2018年8月撮影)

「閣僚名簿で『グレーな交友』を疑われたのが、科学技術担当相に起用された衆院当選8回の竹本直一氏(78)。SNSに、18年8月、花火を見物している竹本氏と記念写真に一緒に写っている角刈りの男性の姿がある。指定暴力団山口組系組幹部だったⅩ氏である。同年3月に、竹本氏の後援会が開催した新年賀詞交歓会のパーティーで、X氏と岸田氏が親しそうに写真に納まっている写真が、写真週刊誌『フライデー』にも掲載された。

「Ⅹ氏は長く幹部である組の顧問を最近までやっていたようだ。昔から、資金力豊富だと有名だった。『岸田氏や竹本氏との写真は、箔(はく)をつけるために撮ったのでしょうね』(捜査関係者)そして、宏池会所属のある議員はこう話す。
『(フライデーに写真が出た時から)竹本氏は相手が暴力団関係者であることがわかっていたはず。岸田会長も、あの報道には激怒していましたよ。なぜ、竹本氏はSNSの写真を削除させなかったのか? こんなわきの甘さでは、大臣が長く務まるとは思えないですね』」(「週刊朝日」2019.9.13)

たまたま暴力団関係者と知り合ったり、政治献金を受けていたわけではない。政治家という職業が誰とでも会合して握手し、選挙で政治家生命を鬻(ひさ)ぐおんであれば、密接交際をする本性を持っているからだ。安倍総理自身が「ケチって火炎瓶」事件(工藤會系の業者に選挙妨害を依頼するも、返礼金を渋って自宅と事務所に火炎瓶を投げられる)を生起させたのも、選挙という「再就職」システムがあるかぎり、何度もくり返されることであろう。

◆かつて政治家はヤクザと同義だった

戦前にさかのぼれば、ヤクザが政治家になるのは普通だった。憲政会の吉田磯吉は火野葦平の『花と竜』に登場する磯吉大親分であり、そのライバルで下関籠寅組の大親分が、立憲政友会の保良浅之助である。もっとも、吉田磯吉の生業は港湾忍足の元締めであり、保良浅之助の籠寅組は土木建築業と芸能興行であった。

吉田磯吉の門下に富永亀吉という親分があり、その系列の中から大嶋秀吉が頭の港湾労働者の元締めとなった。その大嶋組の傘下に、山口春吉の山口組が結成されたのである。のちの広域暴力団山口組の誕生である。

三代目山口組として、中興の祖となった田岡一雄親分の昭和20年代、山口組はまだ30人ぐらいの組織だったという(『狼侠』笠岡和雄、サイゾー刊)。神戸の本多仁介(本多会)と関東の藤田卯一郎(松葉会)の兄弟盃のとき、政財界からの列席者のなかに自民党党人派の総領・大野伴睦の姿があったという。その大野伴睦と自由党で行動をともにした中井一夫は、戦前からの代議士で神戸市長、弁護士でもあった。

中井がマスコミの注目を浴びるのは、四代目山口組と一和会の五年にわたる史上最大の抗争中、神戸ユニバーシアードのさいに「休戦協定」を結ばせた時のことだ。ヤクザと政権中枢が限りなく接近・一体化したのは、竹下登の皇民党による「褒め殺し」事件の時だった。稲川会二代目の石井進が京都の会津小鉄の三神忠を通じて皇民党総裁稲本虎翁総裁と会合し、竹下が田中角栄に謝罪することで話をつけたのである。

その機縁から週に一度、金丸信自民党副総裁と竹下登総理、石井進の三人の会合が持たれ、自民党内では「裏閣議」と呼ばれたものだ。会合の警護役は、若き小沢一郎だったという(『巨影』石井悠子、サイゾー刊)。皇民党事件のときに奔走して調停を計れなかった浜田幸一は、稲川初代(稲川聖城)時代の石井進の弟分である。

◆町内会や自治会を基礎とする自民党政治は、「反社会勢力」と手を切れない

自民党の政治家で、ヤクザと無関係に選挙をコンプリートできている者は、ほとんど皆無だろうとわたしは思う。なぜならば自民党政治の基礎単位が町内会や自治会(町内会と同義)に、地方議員が根を持っているからだ。町内会はそのまま神輿会や神社の崇敬会に重なり、そこには地域社会に根を下ろしたヤクザが介在しているからだ。ヤクザがそこに潜り込んでいるのではない。地域をとりまとめる人物は、本人がヤクザであるかヤクザと親交を結んでいるからだ。それを無理やり「反社会勢力」と手を切れと言ってみても、地域の共同体を破壊することにほかならないのだ。いや、すでに地域社会は拡散し、共同体は崩壊しつつあるのかもしれない。ヤクザ組織の末端が半グレ化し、統制の効かない犯罪組織化しつつある。


◎[参考動画]参院選:弾ける「バンザイ」集:与党編(テレ東NEWS 2019/07/21公開)

[関連記事]
◎「反社会勢力」という虚構〈1〉警察がヤクザを潰滅できない本当の理由(2019年10月9日)
◎「反社会勢力」という虚構〈2〉ヤクザは正業を持っている(2019年11月4日)
◎続々湧き出す第4次改造安倍政権の新閣僚スキャンダル 政治家と暴力団の切っても切れない関係(2019年9月21日)
◎高齢・無能・暴力団だけではない 改造内閣の「不倫閣僚」たち(2019年9月24日)
◎安倍官邸親衛隊の最右翼、木原稔議員が総理補佐官に就任した政治的意味(2019年9月25日)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

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「そうだ、京都に行くのは、やめよう」インバウンド観光で進む京都の消失

◆落ち着いた歴史の町・京都の消失

「秋の観光シーズンのバス混雑を抑えようと、京都市交通局は11月2日~12月1日の土日祝日、『秋のおもてなしキャンペーン』を行う。キャンペーンに先立って京都市交通局がバス運転手に実施した初めてのアンケートでは、激しい車内混雑の課題が改めて浮き彫りになった。……」(2019年11月2日付け京都新聞)


◎[参考動画]【TVCM】2019年 初夏「苔と新緑編」 そうだ 京都、行こう。

京都を訪れる観光客の数が年々増加している。上記記事にもある通り、雰囲気として宣伝で紹介される「落ち着いた歴史の町」の姿が京都にはもうない。春の桜、秋の紅葉と祇園祭のときには昔から人が溢れ、街中には出かけるのを控えていたものだが、最近では1年を通じて国内外からの観光客で、京都駅のバス乗り場には平日でも長蛇の列ができている。

観光客相手のお土産屋さんや宿泊施設は儲かっているのだろうが、観光に関係なく、居住地として京都市内中心部に住んでいるかたがたは、毎日のように繰り広げられる狭い道路の人並に、迷惑をしているのではないだろうか。東京や大阪に出かけると人の多さに「人酔い」してしまうことがあったし、いまもある。京都に限っては街中に出かけても、そうそう無茶な混雑にでくわすことがなく、狭い盆地に都市の機能が集中しているので、地価が高いことを除けば住みやすい街だとの印象があったが、もうその感覚も過去のものだ。

京都市が愚かにも四条通の歩道を広げ、交通量の最も多い道路を実質一車線にしてしまったので、公共交通機関である市バスやタクシーは勿論のこと、一般車両は四条河原町から、四条烏丸を通行することに膨大な時間を費やさなければならないことになってしまった。


◎[参考動画]【TVCM】2019年 盛秋「秋は夕暮れ編」 そうだ 京都、行こう。

◆「隠れた名所」の消失

そして、かつては「隠れた名所」であった、お寺や庭園なども「どこか新しいスポットはないか」とのテレビや雑誌の特集で、京都盆地京都駅以北の隅々にまで行き渡る「隠れた名所」探しの多数の視線により、もう「隠れている」ことが可能な場所は、ほとんどなくなってしまった。そして残念なことは、「隠れた名所探し」で全国に名の知れた、もとはしっとりとしていたお寺や、庭園が「待ってました」とばかりに、金儲けに露骨に変わってっ行く姿だ。

お寺に入るのに「拝観料」を払わなければならないのは、京都の有名寺院では常識化しているが、宗教の本質を考えると、いかにもおかしなシステムだ。金閣寺も銀閣寺も清水寺もいずれも仏教寺院なのに、どうして金を払わないと入ることができないのだろうか。

京都に行けば「観光地」だからお寺に入るのに「拝観料」を払うのは、当たり前と観光客の皆さんは、文句ひとつ言わずにお金を払って、敷地に入る。敷地に入るとさらに「お土産」や「おみくじ」といった趣向で、お金を落とすシステムが準備されている。しかも内部は猛烈な混乱状態で、ゆっくり立ち止まると、日本語か英語かウルドゥー語かわからないけども、後ろから「早く先に行け」と急き立てられる。

混雑はさほどでもないが、その「商売熱心さ」に辟易したのは、大原の三千院だった。「きょうとーおおはら、さんぜんいん」の歌のおかげで、全国区で有名になった三千院は、寺のたたずまいは残してはいるものの、10mもいかない距離に賽銭箱や、土産物売り場が連続して林立していて「商売丸出し」の恥ずかしい姿に落ちぶれている。一度訪れたら二度と行きたくない典型的な「商業寺院」だったが、そのあとをおって、清水寺も破廉恥さを増し、京都盆地の観光地が総体として浮足立った様相を呈している。

◆過度な観光地化が居住者の生活を圧迫

碁盤の目状に縦横で分かりやすく通りが敷かれた、中心部の小さいスペースにも、次々と新しいホテルが開業している。自家用車1台がようやく通ることのできるような狭い通りにも、相当の投資が行われている。まあ、わたしは京都市民でもないし、京都がどう変わろうがとやかくいう筋合いはないが、どう考えてもこれは「過剰な事態」としか考えられない。そして理由はあえて伏すが、このような怒涛の観光客押し寄せが、京都で長く続くとは思えない。

工業や製造業と異なり、観光業はその町の特性を活かせば、初期投資は少なく、維持費もそこそこで、公害を出さない比較的「環境にやさしい」商法とも言われてきた。しかし、過度の観光地化はその前提を覆してしまうことを、京都は示しているのではないだろうか。過日首里城が全焼してしまった沖縄本島にも同様な現象を認めることができる。

過度な観光地化は、観光に関わる生業を潤すが、そこに生活する人々から、落ち着いた日常を奪う。地価が上昇すれば固定資産税もつられて上がってしまう。観光地として何百年もの歴史を持つ欧州の諸都市は、観光客が足を踏み入れるエリアと、地元居住者のエリアを徐々に峻別してきた。そうしなければ、観光と無縁な居住者の生活が不便極まりないものになってしまうことを、知ったからだ。

残念ながら、京都にはまだその経験がない。そしてすでに交通や宿泊など、あらゆる面で「オーバーフロー」している観光客数に満足せず、京都市はさらなる観光客誘致にも予算を割いている。

本当にゆっくりとした時間や空気をお感じになりたいのであれば、京都ではなく、観光宣伝で名前も聞いたことのないような場所を訪れることをお勧めする。この忠告は、わたしなりの「京都への親愛の情」を示したものでもある。


◎[参考動画]JR東海 そうだ 京都、行こう。 1993~2018

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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私の内なるタイとムエタイ〈65〉タイで三日坊主! Part.57 絶えず変化する世の中で

◆人それぞれの道

話は足踏みするが、藤川さんが日本訪問を終えてタイの寺に帰った7月初旬(1995年)、2週間の予定が3週間を過ぎて帰ったものだから、すぐに和尚から大目玉を食らったという。「和尚が怒っても3日もすれば忘れるからいいけれど!」と笑わせる。

比丘が行く場所ではないデパートでも、指示すればどこにでも現れた藤川さん

寺に帰れば新顔が増えていて、この年のパンサー(安居期)を控え、新しい出家者が15名ほど入ったらしい。「昨年の連中(私と同期)と比べるとちょっと小粒で良く言えばおとなしく、悪く言えば覇気が無く、例年に比べ静かなパンサー」だと。
そして寺に残っている私と同期の彼らは7名ほどだが「もう1パンサーを過ごしてみる!」と言う者が多かったらしい。

ところがこの年のパンサーが終わった後、11月初めに皆の兄貴分、ケーオさんがいきなり還俗したようだ。藤川さんにとっては再出家の際、この寺に導いてくれた人の兄に当たるだけに「彼は裕福な家庭に生まれながら捻くれて育って、借金しても返済せず、無理矢理出家させられた経緯があって今後、何して生きていくのか心配や!」と言っていた。藤川さんにも3000バーツ借りたまま去って行ったとか。寺の顔触れも徐々に変化していくようだ。

◆2日間の空腹

翌年(1996年)6月、「今後は知らん!」と言っているにも関わらず、旅の日程を手紙で寄こす藤川さん。そんな連絡は受けていたが、仕事もあるから成田空港まで迎えには行かなかった。するとある日の午前、成田空港らしい館内放送が掛かる場所から電話が掛かってきて「どこに居るん?」と言われた。

「俺、成田空港まで行くとは言っていないでしょ!」と言い返したが、仕事があるからそれでも行かなかった。そうしたら来日後、丸々2日間、食事を摂れなかったようだ。それはあまりにもキツいと思う。しかし人をアテにし過ぎなのである。

藤川さんだって旅の資金を数万円は持っているはず。悪い言い方だが、ここは日本だから、午後でもコンビニで何か買って食べればいいと思う。しかし藤川さんは出家以来この戒律を守ってきたのだ。比丘として、どこの国に行こうとテーラワーダ仏教の戒律を守りながらの旅ということは当然と思う。蚊を殺したり、混んだバスなどで女性に接触したりは偶発的に起こることはあるが、午後食事を摂ってはならない戒律など、守りきれるものはしっかり守ってきたオッサンである。日本でも誰も見ていなくても、午後、飲み物以外は一切食べ物を口にしなかったのは本当だろう。でもこんな事態で律儀に戒律を守るべきかは悩む判断と思う。

と思えば、別の時期に後楽園ホールで春原さんに聞いたところ、「飯食わせてくれ~!」と電話があって、編集部の忙しい日にわざわざ昼飯の“タンブン(=要求に応える為)”に行ったことがあるらしい。

春原さんは「面白い話聴けるからいいんだ!」とは言っていたが、こうして本音で縋る厚かましさには私まで申し訳ない気持ちになってしまった。藤川さんは若い頃からのビジネスでの営業力は比丘になっても発揮され、仏陀の教えを説いたり、いつもの悪い癖の長話しも笑い話が中心だから人気者で支援者はドンドン増え、知人の“タンブン(=自然な寄進)”に任せながら一時帰国が毎年続いていた。

私と春原さんを頼って来た藤川さん、“飯食わせてくれ”と本音でズバズバ言える仲

◆今やワット・タムケーウは有名な寺!?

その後も藤川さんとは会って話したり、当初から手紙を貰って聞いていたが、1996年初頭は、ただ広いだけのワット・タムケーウの様子もかなり変化したようだった。

「寺周辺も建築ラッシュで近代的ビルや商店街が立ち並び、以前の土埃の立つ空地とは大違い。長かった寺の設備増築も終わり、新しい仏塔などの完成を祝う祭りの準備で、寺のあらゆる建物や木から木に植木まで電気装飾だらけ。夜になるとここはパッポン(バンコクの歓楽街)かと勘違いするほど赤色や黄色や緑色の点滅。そんな見習い的な手伝いに日々明け暮れて、もし還俗しても仕事に困らんほど電飾技術が身に付いた。ペッブリー中には宣伝広告の看板が建ち、拡声器付けた車に信者さんが発する声で“ワット・タムケーウ”を連呼して廻る日々。更には近県からバンコクにまで宣伝カーが走り、“ペッブリー県のワット・タムケーウで御祭り開催”と連呼でかなり有名になった。サンガ(仏門界)でも有名で、寺にはリムジンバスを貸し切って全国各地の高僧がやって来る始末。更に信者さんもごった返し、そこで沢山の御布施が置いて行かれる訳で、ワシらは式典の準備や御布施の金額数えにも使わされて睡眠時間4時間でフラフラ。その総額1千万バーツ超え(約5千万円=当時)。ペッブリー県の寺では1位を争うほどの額。それまでお金の工面に困って居った見栄張り和尚も鼻高々で、寺の発展に心にゆとりが出来たのか、旅に出る許しを貰いに行っても煩く言わなくなった!」といった事情を笑いながら話す藤川さん。

読経はしっかりこなしたカメーンくん、すでに体調悪かったのか

◆仲間の死

やがてお祭り騒ぎも落ち着き、寺も元の閑散とした日々に戻った頃までには、予想どおり私と同期だった連中はほとんど還俗し、残ったのはメーオくんだけ。新米以外の残った古い連中も5名になった。

諸行無常の世の中、葬式は絶えることなく続くが、「“カメーン”と言われたちょっと頭の弱い、周りからバカにされとった奴覚えてるか? あいつも還俗してそこからほんの3ヶ月ほどで死んで、ウチの寺で葬式やったんやが、参列者が5~6人しか居らん寂しい葬式やった。こいつの死因、何やと思う? エイズやったで。寺に居った時期には托鉢にも行くことも少なく、土木の手伝いもせんと部屋に居ること多かったが、こんな早う死ぬいうことは、もう発病して思うように動けんかったんかもしれんな。お前もあいつと同じグループで飯食っとったやろ? ちゃんとエイズ検査受けといた方がいいぞ!」

とまあ驚いても仕方無く、世間で言われている“食事で感染することはない”ということが真実ならば心配は無い。問題は剃髪に使うカミソリだが、サンガでもカミソリ注意報は発令されているようだ。我々も使い回しはしなかったが、検査は受けておいた方がいいだろう。

出家一ヶ月前のタイトルマッチに挑む高津くん、小林聡にヒジ打ち炸裂(1997年4月)

◆次の挑戦者

話は繰り返してしまうが、藤川さんも以前から計画していた、残りの人生の目的を果たす為にも、田舎の寺や人里離れた山奥の寺を知人に相談しながら転属先を探していく中、いろいろ候補はあったがまだビザ申請が短期的で、パンサー中は遠出が出来ない事情からバンコクに日帰り出来る地域がいいということで、最終的に受け入れ先となったのが、ペッブリー県よりもバンコクに近い、サムットソンクラーム県にあるワット・ポムケーウとなった。

1997年3月に寺を移られて暫くは慌しい日々を送ったようで手紙は来なかったが、私も関わるのが面倒で連絡はしていなかった。

そんな頃、私の知人がタイで出家することになった。私と藤川さんの縁は全く絡まないが、あの日(私の得度式)から「キミもやったらどうや!」と勧められていたキックボクサー、高津広行くんであった。

あの日から少しずつ興味を持たせてしまったか。相変わらずの貧乏暮らしの私はタイに行けず参列できなかったが、高津くんが日本を発つ朝、藤川さんから授かった「得度式次第」と「タイの僧院にて」の本2冊を持たせてあげた。ムエタイ修行ではないキックボクサーの旅立ちには、今までとは違った結果が楽しみな見送りとなった。

最後はローキックで倒された高津くん、生まれ変わって飛躍成るか

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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福岡県警「現職警察官」妻子殺害事件は冤罪か? 証拠なく、動機も曖昧

やはり、冤罪なのだろうか。今月5日、福岡地裁で始まった福岡県警の元警察官・中田充被告(41)に対する裁判員裁判の報道を見ながら、そんな思いを強くしている。

中田充被告の裁判員裁判が行われている福岡地裁

2017年6月、当時は現職の警察官だった中田被告は、妻と子供2人を殺害した容疑で福岡県警に逮捕された。この時、事件は「県警史上最悪の不祥事」と言われた。

しかし、このほど始まった裁判員裁判では、中田被告は「事実無根です」「間違いなく冤罪です」とかなり強い言い方で無実を主張。これに対し、検察側は「被告による犯行を直接証明する証拠はない」と明言したという。

もちろん、検察は中田被告を起訴した際、有罪を立証するに足る証拠が揃っていると判断してはいるだろう。しかし、報道を見る限り、「冤罪の疑いが濃厚」と言うのが現時点での私の見解だ。

◆無理心中を装った殺人だとみられたが・・・

では、この事件がなぜ、冤罪の疑いが濃厚だと言えるのか。まず、前提となる事実関係を整理しておきたい。

事件発生は2017年6月6日のことだった。この日の朝、中田被告の妻由紀子さん(当時38)の姉であるA子さんは、勤務中の中田被告から電話で「子供が登校していないと学校から連絡があった。様子を見に行って欲しい」と頼まれた。そして午前9時20分頃、中田被告の家の台所で由紀子さん、2階の布団の上で長男涼介くん(同9)、長女実優ちゃん(同6)がそれぞれ亡くなっているのを見つけた。由紀子さんのそばには練炭のようなものがあり、煙が充満していたという。

一見、由紀子さんが子供2人を道連れに無理心中したような状況だ。しかし、司法解剖の結果、涼介くんと実優ちゃんの首にヒモで絞められたような跡があったばかりか、由紀子さんの首にも圧迫されたような内出血の跡があった。そのことから中田被告が疑いの目をむけられる。そして8日、中田被告は由紀子さんに対する殺人の容疑で逮捕されたのだ。

さらに8カ月余りが過ぎた2018年2月、中田被告は子ども2人に対する殺人の容疑でも逮捕される。つまり、中田被告は、妻の由紀子さんが子供2人と無理心中したように装い、妻子3人を殺害した疑いをかけられたのだ。中田被告は当時、由紀子さんと仲が悪く、同僚に「妻に死んでほしい」と話していたという。ただし、容疑については一貫して否認してきた。

◆有罪を裏づける確たる事実は何も無し

では、検察は裁判で、どんな根拠に基づき、中田被告が犯人だと主張しているのか。毎日新聞が11月5日、ホームページ上で配信した記事によると、検察側は有罪の根拠として主に5点の間接事実を挙げているようだ。しかし、そのいずれもが有罪の根拠としては、はなはだ心許ないのだ。以下、順番に指摘しよう。

〈検察が示した有罪の根拠① 被告が事件当日は家にいた〉
事件当時、中田被告は残業と偽り、家に帰らなくなるほど夫婦関係が悪化していたそうなので、「事件当日に家にいたこと自体が怪しい」という趣旨の主張なのだと思われる。しかし、それだけでは単に「犯行は可能だった」という意味しか持たないだろう。

〈検察が示した有罪の根拠② 携帯電話のアプリに死亡推定時刻の6日未明に被告が活動していた記録がある〉
中田被告は「午前6時45分頃に出勤した際、3人はまだ寝ていた」と証言していたが、3人の死亡推定時刻は、午前0時から6時までの間なのだという。そのため、中田被告が死亡推定時刻に活動していた記録は、3人を殺害するために活動していた記録だと検察は言いたいわけだろう。しかし、そもそも、死亡推定時刻というのは、法医学者によって見解が大きく分かれがちで、事実認定の根拠とするには頼りないものである。

〈検察が示した有罪の根拠③ 妻子の周りにライターオイルがまかれており、被告の勤務先のロッカーに使い残しのライターオイルが保管されていた〉
中田家にあった複数の同種のライターオイルについて、妻の由紀子さんと中田被告がそれぞれ所持していたと考えても説明がつく。そもそも、中田被告が本当にライターオイルを犯行に使ったのなら、勤務先のロッカーに入れておかず、さっさと捨ててしまうほうが自然だ。

〈検察が示した有罪の根拠④ 第三者の犯行がうかがえない〉
家に侵入して犯行に及んだ第三者がいないとしても、由紀子さんが子どもたちと無理心中をしたと考えれば、中田被告が犯人でなくとも説明がつく。由紀子さんの首の内出血について、検察側は「首を圧迫された跡だ」という見解の法医学者を証人出廷させ、由紀子さんの自殺を否定しようとするとみられるが、法医学者の見解は分かれがちなので、弁護側も独自に法医学者の証人を用意できていれば、充分に対抗できるだろう。
 
〈検察が示した有罪の根拠⑤ 妻の首から被告と妻の混合DNAが検出された〉
事件とは何の関係もなく、中田被告のDNAが由紀子さんの首についたと考えても、夫婦なのだから何もおかしくないだろう。

以上、毎日新聞の記事で示されていた検察の主張に基づき、検証してみたが、有罪を裏づける証拠が乏しいのは間違いないと思われる。

◆子供たちまで殺す事情が見当たらない

一般論を言えば、被告人がクロでも有罪の証拠は乏しい場合もある。ただ、中田被告については、無実だと考えたほうがしっくりくる事情もいくつかある。

まず何より、中田被告には、子供を殺さないといけない事情が何も見当たらないことだ。中田被告が由紀子さんと夫婦仲が悪く、離婚も考えていたのは事実のようだが、それは子供たちまで殺す事情にはならないだろう。

第2に、いくら無理心中を装ったとしても、妻の首を圧迫して殺せば、解剖により犯行が露呈する可能性が極めて高い。そのことは、警察官である中田被告がわからないはずがない。こういう言い方は変だが、中田被告が妻子を殺害し、完全犯罪を狙うなら、他のやり方を考えるほうが自然だ。

以上、報道の情報をもとに検証してみたが、筆者は裁判の後半からでもこの事件の取材に動くことを検討中だ。有力な情報が得られたら、当欄で改めて報告させて頂きたい。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)。同書のコミカライズ版『マンガ「獄中面会物語」』(笠倉出版社)も発売中。

月刊『紙の爆弾』2019年12月号!
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

五輪と衰退経済 2020年を目前に現実味を帯びてきた東京五輪返上・中止の可能性

IOCの決定により、来年予定されている東京五輪のマラソン・競歩が札幌に競技場を移されることが決定し、競技の日程もマラソン男女が同日の実施と変更になるなど、大混乱をきたしている。


◎[参考動画]【報ステ】札幌で決定 小池知事「合意なき決定」(ANNnewsCH 2019/11/01)

◆オリンピックは本当に「神聖なもの」ですか?

本通信で何度も強調してきたように、わたしは東京五輪開催に再度強く反対の意思を表明する。IOC(国際オリンピック委員会)は決して身ぎれいで、崇高な意思を持った団体ではない。今日オリンピックは完全に「商業イベント化」されていて、その大元締めがIOCだと考えていただいて間違いない。

開催国の決定から、スポンサーによる巨額収入の使途まで、IOCには明かされない部分があることは、多くのひとびとが指摘してきたとおりであり、しかしながらその「暗部」が表面化しないのは、「オリンピックは神聖なもの」である、との幻想と、世界の主要メディアをスポンサーとしてIOCが抑えている構造。主要メディアもニュースソースとして、IOCやオリンピックの情報はぜひ欲しい、という情報提供主と情報産業の「持ちつもたれる」の関係性が災いしている。


◎[参考動画]猪瀬直樹東京都知事のプレゼンテーション IOC総会(ANNnewsCH 2013/09/08)

◆札幌に一部競技を移したら、もうそれは「東京五輪」とは呼べはしない

だいたい、2020年の夏季五輪は開催地として、東京が選ばれたはずであるのに、かつて冬季五輪を開催した札幌に一部競技をうつしたら、もうそれは「東京五輪」とは呼べはしない。海外の人にしてみれば、「同じ日本の中だから、トウキョウもキョウトもフジヤマもサッポロもどうせ小さな島の中にあるんだろう」と思われているのかもしれないが、当事者のわれわれは東京と札幌が距離的、文化的、意識的にどれほど距離のあるかは実感できている。

しかも、IOCはマラソン・競歩の札幌実施について、事前に東京都へはなんの相談・連絡もしていなかった。知事小池百合子が「暑いところが問題であれば北方領土でやれば」などと頓珍漢で軽薄なコメントを口にするようだからか、あるいは東京ともIOCも同様に「腹黒い魂胆」の隠し合いをしているためか知らないが、開催地としてはこれほど馬鹿にされた対応はない、と感じるのは無理もないであろう。


◎[参考動画]滝川クリステルさんのプレゼンテーション IOC総会(ANNnewsCH 2013/09/08)


◎[参考動画]安倍晋三総理大臣のプレゼンテーション IOC総会(ANNnewsCH 2013/09/08)

◆度重なる災害で増加する通常の生活を送ることができない人たち

しかし、そもそも直近の千葉県を中心に膨大な被害をだした台風や大雨による惨状が示す通り、記憶されている範囲だけでも、広島、佐賀などでの水害被害、大阪、熊本、北海道、そして東日本大震災での地震津波被害など、自然災害と人災により、通常の生活を送ることができないひとびとが残念ではあるが年々増加するばかりだ。

それら災害の一つ一つが、数年間の間をおいて発生すれば、全国の注目を浴び、復旧へのまなざしももっと強く注がれ、政府の対策への注文もより強いものになろうが、このように甚大な自然災害が毎年のように発生していると、日々の情報消費速度が一貫して加速する社会にあっては、各被災地や被災者への記憶は、当事者ではないひとびとの日常からは薄れてゆかざるをえない。

大阪で震度7を初めて経験した茨木市や吹田市の古い住宅の屋根には、その数はだいぶ減ったものの、いまだにブルーシートの姿が見える。同じ関西に居住しているが、関西圏でも大阪での大地震(揺れの時間が短かったので東日本大震災のように甚大な被害ではなかったが、死者も出すほどの大きな揺れだった)に対する記憶は、ほとんど語られることがない。


◎[参考動画]東京2020/国際オリンピック委員会の記者会見(Olympic 2013/09/08)

◆日本はもはや経済大国ではない

そして、あまり口にする人はいないが、かつては「経済大国」であったこの島国、日本がもう世界的に経済大国としての地位を、失いかけていることに、日本居住者は鈍感であるがゆえに、バブル経済破綻まで崩れなかった「土地(地価)神話」のように、去りゆく「日本経済大国」幻想から、覚醒することができていないのだろう。

わたしが、指摘するまでもなく日本は20年以上デフレが続いていて、OECDのなかでこの20年間成長率は最下位だ。20年間最下位がつづくと、どういう現象が起きるか。たとえば為替レートが20年前と同じOECD加盟国に出かけたら、日本はデフレで物価が上がっていない(給与所得も上がっていない)が、その他のOECD加盟国は年率で2-4%の成長を続けてるので、20年前に日本より安価だと感じていた外食の価格が逆転し、さほど贅沢でもなさそうな外食に1000円~2000円払わなければならないという現象が起きている(豪州などでこの「逆転現象」は顕著である)。

豪州では30年ほど前に、シドニーを除くメルボルンやブリスベンなど都市近郊の約200坪プール付きの住宅が1500万円ほどで購入できたが、都市周辺部の地価はここ20年で約4倍(6倍の地域もある)に上昇しているという。かつては日本で建売住宅を買うよりも安く買えた、広々としたプール付きの住宅が、いまでは日本の給与所得者には手の届かない値段になっている。

全国各地に100円ショップが展開し、非正規雇用が4割を超える。この現象の進行を日本にいて日々生活をしていると「こんなものか」としか感じられないかもしれないが、確実に日本の経済力は低下していて、国家財政は破綻が目の前だ(山本太郎氏率いる新政党は「MMT理論」で国債発行は問題ない、としているが、私は「MMT理論」には懐疑的である。国債発行で国家財政が賄えるのであれば、苦労して行政は税金を集める必要がなくなるのではないか)。

あなたのお給料や年金は、ちゃんと毎年上がっていますか? 下がってはいませんか? 高度成長期を経験した、あるいはバブル期を経験した世代の方であれば、その後の急激な不景気がご記憶にあるだろう。今後日本は長期間にわたり、あのような不況がつづく。大企業に利益が集中し内部留保ばかりが増え、中小企業や低所得層が消費税で締め上げられる構造が維持される限り、間違いない。

ようするに、もうに日本は過去の日本のように「金持ち」ではないのだ。そして1964年に東京五輪を開催した時代のように、この先高度成長はやってくることはない。2020年東京五輪を開催すれば、巨額の請求書をのちに押し付けられ、それを支払うのは東京都民であり、日本国に納税する私たちであると、再認識しよう。五輪後の「不正経理」問題は長野五輪で経験済みだ。

「企業の祭典」、「灼熱地獄の忍耐競争」、「ボランティアという名のタダ働き」、「綺麗ごとを並べる権力者の利権争い」……。薬物禁止のポスターではないが、「百害あって一利なしの東京五輪はやめましょう」


◎[参考動画]2020年夏季五輪開催都市 東京に決定(ANNnewsCH 2013/09/08)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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メッキが剥がれた自民党のプリンス 「上級国民」の悪しき典型として晒しものになりつつある小泉進次郎環境大臣

小泉進次郎の環境大臣就任にさいして、本欄でこう指摘してきた。

「安倍政権が、単に小泉人気を取り込んだだけではなく、閣僚人事が熾烈な『政局』であることを見ておく必要があるだろう。」

というのも、菅義衛官房長官の『文藝春秋』での対談をテコにした取り込みが、安倍総理の了解のもとにおこなわれてきたからだ。これも以下に指摘しておいた。

「今回のパフォーマンスには、小泉進次郎がこれまで石破茂を総理候補として支持してきた(地方・農業政策は石破茂と一致している)ことから、安倍総理への宗旨替えを表明させたものと見られている」

◆上級国民たる小泉進次郎と滝川クリステルの「特異性」「選民性」

それはしかし、滝川クリステルとの結婚発表のパフォーマンス(これも菅義衛の仕込み)で描かれていたシナリオでありながら、上級国民たる小泉進次郎と滝川クリステルの「特異性」「選民性」を浮き出させる結果となった。

上級国民としてのパフォーマンスを嫌悪したのは、一般国民のみならず自民党の年輩の議員たちも同様であった。そしてその空気はメディアにおいても、手痛いしっぺ返しが小泉新大臣を襲うことになったのだ。それは伴侶となった滝川クリステルの浪費壁とおもいうべき金銭感覚においても。

「進次郎(資金1位)の足を引っ張る滝クリの『金銭感覚』」
●「おもてなし」でギャラ高騰 今も年収1億円超え
●滝クリ セレクトは月80万円マンション、50万円バッグ、ベンツ
●進次郎“女子アナ密会”ホテルに政治資金で宿泊代67万円
(以上、11月7日発行「週刊文春」)

滝川クリステルとの結婚を首相官邸で行なうという、前代未聞のパフォーマンスをどう見るべきであったか? 本欄の過去記事から、再度指摘しておこう。

「マスコミが国民的な関心をあおり、全国放映するという異様な光景だ。かれは特別な階級に属する、国民が注目するべき貴人なのだろうか? 小泉進次郎は国会議員とはいえ、ふつうの国民ではないのか? いや、かれはふつうの国民ではない。上級国民なのだから――。」資産と生活において、まさにこの夫婦は「上級国民」だったのだ。


◎[参考動画]小泉進次郎議員と滝川クリステルさんが妊娠・結婚へ(テレ東 2019/08/07公開)


◎[参考動画]総資産最多は小泉進次郎氏 全額がクリステルさんの資産(FNN 2019/10/25公開)


◎[参考動画]滝川クリステルさんのプレゼンテーション IOC総会(ANN 2013/09/08公開)

◆基本ポリシーの欠落

一挙手一投足がマスコミに注目され、ある意味では晒しものになりつつあると言って間違いではないだろう。菅官房長官が小泉進次郎を政権に取り込んだ稚拙さ、あるいは安倍晋三総理の「政敵の一部を取り込みつつ、その将来を奪う」という戦略の巧みさは、もはやどうでもいい。これまで、記者の一般的な質問に無責任な立場から政権批判をしていた当の本人が、環境大臣というきわめて難しい立場に置かれて、その不勉強ぶりと定見のなさを暴露されているのだ。

「気候変動問題はセクシーに」という無定見。国連の会見で「火力発電を減らす」と断言した小泉大臣は、その方法を外国メディアから聞かれると、しばらく沈黙して「私は、大臣に先週なったばかりです」などと言うだけだった。そのニューヨークでは、環境破壊の元凶でもある牛肉のステーキを食べたと、自慢げに公言するあり様だ。家畜飼料として、鶏肉1キロを生産する場合に必要なトウモロコシは3キロ、豚肉1キロで7キロ、牛肉1キロでは11キロである。牛肉は飼育期間が長く、飼料の量はそのまま多くなるからだ。畜産も排せつ物などで温室効果ガスを排出している。なかでも牛の排出量は飛びぬけて多いとされている。小泉大臣はおそらく、何も知らずにステーキ発言をしたのであろう。ステーキを食べるなとは言わない。環境問題にかかわる政治家・大臣としては不適切な発言であることを知るべきだ。


◎[参考動画]「気候変動問題はセクシーに」小泉大臣が国連で演説(ANN 2019/09/23公開)

政治評論家の伊藤惇夫氏は、小泉進次郎を評してこう語っている。

「大臣としては新人で、政策などに通暁していないのはある程度仕方がないと思います。小泉さんは如才がなく、受け答えの能力は高いです。確かに、表面的には正論めいたことを言います。しかし、外交や安全保障といったこの国の方向性についての主張で、納得できる発言は記憶にないですね。小泉さんの発言に中身や具体性、方向性がないことが、大臣になって表面化したのではないですか」(9月24日、J-CASTニュース)。

ようするに、基本的なポリシーがないのである。自民党農政部会のときの農協改革を加速させた「手腕」は、日本の農業に寄り添うかたちで、農協関係者の理解を得られることが出来たが、それは人気政治家を農林族に取り込もうとする関係者の利害にすぎなかった。それが政府にとって困難(ネガティブ)なテーマになると、たちまち無内容ぶりを露見せざるを得ない。たとえば水俣病である。

◆水俣での猛反発

10月19日に熊本県水俣市で水俣病関連の慰霊祭に参列しているが、関係者との意見交換会では、特別措置法で定める周辺住民の健康調査を行うかどうか、あやふやな発言を続けて反発を招いている。小泉大臣は慰霊式のあと地元の商工会関係者と懇談し、人口減少をめぐる悩みこう答えたというのだ。

「減るものを嘆くより、減る中で何ができるか考える街作りをやりませんか。一緒になって考えれば、日本らしい発展の道が描けると思う」と、口当たりの良い言葉のほかに、具体的なことは何も語っていないのだ。

水俣病被害者団体の約20人との意見交換会では、激しい反発をくらっている。

「大臣、ねえ、ちゃんと返事してくださいよ」

小泉大臣が締めのあいさつをした後、出席者の1人があきれたように声を張りあげたといいうのだ。周知のとおり、平成21年に施行された水俣病特別措置法に盛り込まれた周辺住民の健康調査は、いまだに行われないままで、被害者団体から健康調査を求める厳しい批判が相次いでいる。

「健康調査は大臣の一言でできる。水俣病の症状がある多数の患者が切り捨てられてきたんです」「小泉氏には行動力がある。大臣が水俣病を公害の原点と思うならば、きちんと片付けて。63年たっても解決しないのは国が被害者の声を聞かないからだ」「解決を目指すために政治が主導権を発揮すべきだ。持ち前の指導力と発信力を発揮してもらいたい」

声を震わせながら批判する出席者に対し、小泉大臣は正面からの答えを避けた。
「要望は精査する。環境省職員は新しい大臣にまず『環境庁は水俣病がきっかけとなって立ち上がった。そのことを決して忘れるな』と言っている。そのことを忘れず、何ができるかを考えていきたい」

「水俣病被害者の会」の中山裕二事務局長も産経新聞などの取材に不満をにじませたという。

「小泉さんは一見歯切れがよさそうだが、よく聞けば何も語っていない。水俣病をもって環境庁ができたというが、むなしく聞こえる」

その後の記者会見でも、地元メディアから、健康調査の実施に後ろ向きな環境省の姿勢を批判する質問が相次いだ。小泉大臣は口をへの字に曲げ、こう繰り返すのみだったという。

「現時点で具体的時期を答えるのは困難だ。メチル水銀の健康影響を客観的に明らかにする手法は慎重かつ確実に開発しなければならない」

語るに落ちる「具体的時期を答えるのは困難だ」としながら、前向きな雰囲気の発言は誰にでもできる。問題はそれを政策として具体化すること、関係省庁を巻き込んだ具体策へと結実させるのが政治家、とりわけ環境大臣としての責任なのである。ひとりの議員として、政治を論評してきた延長上にしか、いまの小泉大臣の言動はないと断じてもいいだろう。それは言うまでもなく、大臣失格という烙印である。


◎[参考動画]水俣病犠牲者へ祈り 公式確認63年、今なお課題(共同通信 2019/10/19公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

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