「やや日刊カルト新聞」の「総裁」にして、業界ではカルト問題取材では、超有名人である藤倉善郎さんにお話を伺った。直接的にはオウム真理教関連集会での香山リカ氏による、取材妨害が話題になったことがきっかけであったが、「カルト」や「表現の自由」についての最新の情報をお伝えいただけた。カルト取材専門家が見る「しばき隊」の問題とは? 4回連載で報告する。

◆「自己啓発セミナー」「統一教会」「幸福の科学」

 

2018年10月7日付け「やや日刊カルト新聞」より

── 藤倉さんはカルト取材に関して高名ですが、あらためてどうしてカルトに関心を持たれたのか簡単に教えて頂けますか。

藤倉 大学の時に新聞会にはいってまして、当時、学内のほかのサークルや研究室で「自己啓発セミナー」を受けた人が友だちを勧誘するトラブルが同時多発的に起こっていました。「自己啓発セミナー」は宗教ではないですが、悪徳商法のようなよろしくないものでしたので問題視ししつつも、それを批判する周りの学生が「自己啓発セミナー」勧誘に熱心な学生を魔女狩りのように排斥し始めて、「どちらもおかしいな」と思いました。批判する側の問題性も意識しながら取材をして新聞で記事を書くことを学生時代に始めました。その当時文献は多くはなかったのですが、宗教被害を扱っている本なども読み漁りまして、大学中退をしてライターになってから「自己啓発セミナー」の取材もやりつつ、宗教被害にも手を広げていった。そういう流れですね。

── これまで「統一教会」や「幸福の科学」に体当たり的な取材でご活躍ですね。

藤倉 「統一教会」の方は「やや日刊カルト新聞」の主筆である鈴木エイトさんが専門でやっていますので基本任せていますが、ときどき一緒に取材します。僕は「幸福の科学」とそれ以外のカルト担当のような感じですね。

◆オウム真理教に関する集会中継をめぐる取材妨害事件

 

2018年10月4日付け「やや日刊カルト新聞」より

── このインタビューのきっかけとなったのはオウム真理教に関する集会があって、藤倉さんが中継なさろうとしていたのでしたか?

藤倉 そうですね。動画の撮影、中継、写真撮影全部やろうとしていました。

── それを主催者から止められたということですか。

藤倉 動画の撮影とネット中継を止めるようにと邪魔をされました。

── 藤倉さんは当日中継機材を持っていかれて一旦は中継をはじめられたのですか。

藤倉 始めましたね。当日前に「こういう取材をしたいけどよいか?」と取材の申し入れを会の方にしました。そうしたら「動画撮影と中継はやめてくれ」という趣旨の返事がきました。都合があって辞めて欲しいのであればそれは仕方ないでしょうが、「動画撮影については会が自分たちで撮影して、自分たちで発表する。ネット中継はIWJに任せるからお前らはやらないでくれ」という理屈だったので「よそもやるのになぜうちはだめなんだ」という話をしまして、そんな理屈は受け入れられないので申し入れたとおりに動画撮影も中継もしますよ、と前もってメールも送って、当日受付でも名前を伝えて会場に入ったので予告通りに動画の録画と中継をはじめました。
 そしたらはじめてすぐでしたが名前を知らない女性スタッフが出てきてカメラを遮って「止めるように」と言ってきたのが始まりですね。そのあとに香山リカさんとか弁護士さんや『創』の編集長の篠田さんたちが集まってきて、カメラを遮ったり「動画撮影ネット中継お断り」だというルールを守れないのであれば「出て行け」と言ってきました。
 僕の方は「よそはやっているのにうちはダメ」っていうルールの理由すら示されない。「そんなふざけたルールに従えるか!」とそのまま中継を続け、向こうは向こうでカメラを抑えるということを続けたので、集会の取材じゃなくて「取材妨害の取材だな」と切り替えて様子を撮影したり、中継したりしていました。

── 最後まで会場にはいらしたのでしょうか。

藤倉 「警察呼ぶ」とか言ってたので「呼べ呼べ」って言ってたんです。管理権はこちらにある、お断りしているのに入ってきているのは不法侵入だと彼らは言っていました。「警察呼ぶならここで待ってるね」と言って居座って撮影を続けたのですが、結局警察は最後まで来なくて、香山さんなんかは結構しつこくずーっとじゃましたりしてました。でもカメラを遮ったりする妨害はたぶん20分くらいで止めてしまって、あとはほったらかしにされていたので、結局最後まで撮影も中継もしました。

── そうなんですか。

藤倉 最初の20分はカメラを遮られたりして、僕自身もじっくり聞けなかったんですが、それ以降は撮れたんです。ところが撮ってみたら中身が全然なくて、登壇者がオウムと関係ないような持論をしゃべるだけの会で。強行突破しても意味なかったな、と悲しいオチで終わってしましました。

◆中継取材妨害問題に二度と言及しなくなった香山リカさん

 

2018年9月19日付け「やや日刊カルト新聞」より

── 藤倉さんを妨害した人の中に、私たちから見るとカルトと似た行動様式をする人が居まして、その代表格が香山リカ先生なんです。会の趣旨についての見解はいろいろあるでしょうが、取材を妨害したことについて、江川紹子さんが香山さんの行動を疑問視して質問を投げかけるというツイッターでの議論になりました。そこで香山さんからはしっかりとした反論がなされていなかったように感じました。

藤倉 江川さんとしてはいきなり批判とか、糾弾とかあるいは藤倉擁護をしたわけではなくて、「このメディアはいいけど、このメディアはダメだ」というルールはいったいどういう根拠で決められたのかと質問したんですよ。江川さんとしてはそこがわかってはじめて、良いか悪いかの判断をする話だろうと、ただ質問をしたんです。香山リカさんがちゃんとそれに答えなくて、「出演者にも確認して決めたルールだ」とか決定プロセスの話をして逃げようとしたんですよね。
 江川さんはぶれずに「プロセスを聞いているんじゃなくて、どういう根拠でメディア選別が行われたのか」の根拠を聞いたんですが、香山さんはそれについては答えずに「後ほど回答します」というようなことを発信した後に、二度と香山さんは言及しなくなったんですね。何日かあとに会のサイトに、僕を非難するような抗議声明のようなものが掲載され、香山さんが言っていたようなことは書いてありましたが、「どうしてIWJだけは良くて他はダメなのか」の理由や根拠は書いていませんでした。
 実際はIWJだけじゃなくて、現場に行ったらテレビ朝日も動画撮影をしていたんです。主催者が「動画は自分たちが撮影する」と言っていたのは嘘だったわけです。(つづく)

(鹿砦社特別取材班)

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断続的な連載も20回を超えると、どうしても感傷的かつ追憶的な内容になってしまい、緊張感のないことこのうえない。まことに申しわけありません。今回も追憶的とはいえ、すこし刺激的なタイトルにしてみました。ズバリ“元中核派の彼”である。

中核派は最大党派だけに、いろいろと多くの接点があった。わたしの大学にも非主流派ながら数十人単位でいたし、三里塚現地ではイヤでも顔を合わせる。3月横堀要塞戦の中核派の相被告は、4人だった。いい人もいたが、党派性が強くてイヤな人たちだった、という印象が大きい。そんな中核派の活動家のひとりと、活動の場ではない職場で出会ったのである。

◆党派と個人的な関係の断層

その彼は唐突にも、わたしの職場にというべきか、何しろ目の前で中核派の月刊誌「武装」を読んでいたのだ。労働運動のかけらもない職場の誰も、それには気づかない(まったく気にしない)けれども、わたしにとっては「えぇーーっ!」(心の中の声)であった。

すでに中核派とは83年段階で三里塚闘争が分裂し、敵対的とまでは言わないものの仲良くできる間がらではなかった。被告団も分裂していた。たまに三里塚現地を訪れると、それはたいがいが現地集会の前日であったりするから「脱落派は、生きて帰れると思うなーッ!」というシュプレヒコールを浴びせられたものだ。われわれと中核派は、外見的には敵対勢力だったのだ。その中核派が、わたしの職場に居る……!

それはもう、ある意味で楽しくて仕方がなかった。職場での好感度もあり、見てくれは売出し中の若手俳優だ、といっても通るような涼やかな風貌。そして何よりも、気風が素晴らしい青年だった。どんな会話からお互いのことを語り合ったかは、あまり記憶にない。それと意識したときには、わたしは彼に誘われるまま中核派の集会に参加し、彼もわたしが誘うままに「脱落派(反対同盟熱田派)」の集会に参加していた。山谷の支援運動にも誘ったことがある。政治の多様性、経験の重要さをわかって欲しいという意味で、わたしは彼にいろいろな提案をした。わたしも彼の提案を諒解する関係になった。

とはいえ、個人的な関係が党派を超えるはずはない。彼においては、もっと個人的な恋愛関係などにおいて、党派を越えられないものがあったはずだが、そのことには触れない。それにしても、活動を秘匿していた職場での出会いには愕いたものだ。そこから、ある意味で双方の駆け引きもあった。中核派という組織の成員である以上、彼はわたしをオルグするのが使命となるわけであって、わたしのほうは彼に付き合いつつ、しかし思想的にはポストモダンの蓄積を披瀝しながら、両者が政治的にも思想的にも折り合うことはなかった。いや、組織的に折り合わなかったというべきか。思想はまた、政治とは別物である。

そのいっぽうで、三里塚闘争ではわたしのほうが彼を、やや強引に誘ったのかもしれない。十数人しかいない隊列にまき込んで、シュプレヒコールに唱和させた記憶がある。彼に誘われ中核派の大衆デモに参加したわたしは、集会・闘争後の「解散戦争」に参加させられて、どうにも愉しかった記憶がある。地下鉄を発進直前に突然降りて、反対側のホームの電車に乗る。その後はタクシーで集結地点に近づき、最後はなぜかいつも同じ飲食店で宴会をするという成りゆきだった。宴会場に対立党派が待ちかまえていれば、一網打尽だと思うのだが……。沖縄の古参活動家の記憶も鮮明だ。その後、故郷にもどった「元中核派の彼」は独自の道をあゆみ、いまも連絡が取れている。

 

加藤登紀子『登紀子1968を語る』(情況新書2010年)

◆パルタイの幻影

いま、わたしはポスト68というテーマで、ある雑誌を編集しています。やはり70年代・80年代・90年代を通して、党派という問題は大きいのだと思う。革命党が必要という命題があるいっぽうで、党派の狭隘な思想は大衆運動の桎梏になる。もともとブントは、パルタイの狭隘な政治から脱して、自由に政治をやるために分派したのではなかったかと、歌手の加藤登紀子さんが語ってくれたことがある(『登紀子1968を語る』情況新書)。

そうであるならば、党派性のすべてを解体した政治党派(どんな形式で、どういう結集方法があるのだろう)というものの出現を望みたい。ゆるやかなネットワークでもいいのかもしれない。われわれは、いかにもパルタイの幻影に支配されていた。そこからの自由を今世紀の課題にすることが、左翼運動の再生のカギかもしれないと、ここでは述べておこう。そして言えるのは三里塚という場所が、いかにも多くの出会いを設えたものだったと。感謝したい。(つづく)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。3月横堀要塞戦元被告。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

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神社本庁の田中恆清総長が辞意を明らかにしたという。9月11日に伊勢神宮で開催された全国47都道府県の神社庁長会で、神社本庁の総務部長が田中恆清総長の辞意を明らかにしたというのだ。11日におこなわれた役員会の中身は公式には明らかにされていないが、関係者によると、ひとりの理事が2人の幹部職員に係る民事訴訟について、和解の方針を決議したらどうかという提案をしたという。その民事訴訟とは、神社本庁百合丘宿舎の「安値販売」疑惑をめぐって、2人の幹部職員が内部告発をしたことで解雇され、民事訴訟となった件である。

◆ディンプル社への安値売却と危ない利権と人脈

ことの発端となった神社本庁百合丘宿舎の「安値販売」疑惑とは、バブル期に7億5000万円で購入した宿舎を1億8400万円でディンプル・インターナショナル(東京都新宿区富久町)に売却したものだ。さらに宿舎は第三者に転売されているが、その価格は3億円を超える額だった。中間登記が省かれているので、ディンプル社の名前は表に出ていない。つまり神社本庁は超格安でディンプル社に売り下げ、ディンプル社は1億円以上の利ざやを稼いだことになる。さらにディンプル社は中野・青山の宿舎も独占的に売却し、ここでも多額の利益をえている。このディンプル社の正体とは、いったい何なのだろうか。

 

ディンプル社が皇室のヴィジュアル本を制作するために設立した日本メディアミックスのHP

このディンプル社は皇室のヴィジュアル本を制作するために、日本メディアミックスという会社を設立している。その日本メディアミックスの社長は一時期、奈良判定に対する内部告発でマスコミを騒がせた日本レスリング協会の福田富昭会長だったことがあるのだ。なんとも、水面下の利権で神社本庁のドンとレスリング界のドンが結びついていたわけである。そしてじつはディンプル社の社長は福田氏の日大のレスリング部の後輩で、現在は日本メディアミックスの社長である。

神社本庁はもともと、戦前は官営で内務省のもとに官幣社を仕切る中央省庁であったものが、敗戦後解体されていた。それが民間の任意団体として再建されたのだ。吉田茂(外務省から総理大臣)が同姓同名の吉田茂(内務官僚から軍需相など=筆者の祖父の友人で、茂彦の「茂」は、この方の偏諱である・苦笑)に相談して、再建した経緯がある。これは戦前は神職養成機関として国立だった神宮皇學館が、私立大学として再建されたのと同じだ。したがって公共法人としての査察もまぬがれる。そこに利権の構造が生まれたのだといえよう。

今回の田中恆清総長の辞意は、日大アメフト部の反則指導問題に端を発し、日本レスリング協会、そして神社本庁にまで飛び火したかのような、まさに利権とパワハラのスキャンダル連鎖に見える。それにしても、批判に晒されると弱音を吐く。何とも覚悟の浅薄さが透けているではないか。パワハラ方面の事件についても触れておこう。

◆女性宮司を認めない本庁

神社本庁をめぐる問題に、女性宮司をみとめないことから全国で起きている事態がある。

ひとつは昨年末、世間を驚愕させた富岡八幡神宮の女性宮司刺殺事件である。富岡八幡は創設390年を誇る東京下町の神社だが、富岡家の長男・茂永氏が宮司職を継いだものの、素行の悪さで解職。代わって長女・長子氏が宮司代務者として仕切り、同神宮の責任役員会は長子氏を宮司にと何度も意見具申していたが、神社本庁は「経験不足」を理由に認めなかった。やむなく富岡八幡は神社本庁を脱退することで、宮司問題に決着をつけようとしていた。その矢先の長男夫婦による姉の刺殺だったのだ。

◆宇佐神宮では、氏子たちが署名活動

宇佐八幡神宮も同じく、社家の長男が暴走族まがいの自動車事故で亡くなり、その姉の克子氏が宮司職を継ごうとしたところ、神社本庁がこれを認めなかったものだ。女性宮司をみとめない神社本庁から送り込まれた小野崇之宮司(田中恆清総長の元側近)をめぐり、社家を支持する氏子との紛争が長引いている。

ちなみに、社家側が不当解雇を訴えた裁判では2月に判決があった(大分地裁中津支部)。原告が訴えた小野宮司らのパワハラが認められ、未払い賃金をふくむ137万円の支払いを命じられた。しかしながら、解雇そのものは有効としている。引きつづき、控訴審が注目される。

現宇佐神宮への不満は、地元商店街にもくすぶっている。宇佐神宮側が昨夏、自前で新たな有料駐車場を整備したことだ。大半の参拝客が商店街を通って神宮に向かう動線が崩れたことで、宇佐神宮仲見世会は「一部店舗では正月の売り上げが3割減少した」という。市と大分交通が50%ずつ出資する第三セクターで、既存駐車場を運営する「宇佐八幡駐車場」(社長は是永修治宇佐市長)は「売り上げが2割減った。無視できない金額だ」と憤る。

地元からの批判に、神宮側は「高齢者や障害者の方には、最短距離で参拝できると好評。車の出入り口が一つ増えたので、今年は正月の渋滞も少なかった。批判は一部」と反論するが、溝は埋まりそうにない。宮司が代わるということは、神宮の行事に係る業者なども入れ替わり、そのまま利権が入れ替わることを意味する。利権が入り組んでいる以上、解決は簡単ではない。

この5月には氏子有志による「宇佐神宮を守る会」(久保繁樹代表)が、小野崇之宮司の退任を求める3006人分の署名を集め、責任役員4人に対して提出している。「守る会」は県神社庁宇佐支部総会でこの件を明らかにし、神社本庁と徹底的に闘う意向だという。推移を見守りたい。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

最新刊『紙の爆弾』11月号! 公明党お抱え〝怪しい調査会社〟JTCはどこに消えたのか/検証・創価学会vs日蓮正宗裁判 ①創価学会の訴訟乱発は「スラップ」である他

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

平均寿命が延び、高齢の親御さんやご親戚家族の健康について、悩みを抱える方が多いのではないでしょうか。私自身、予期もせず元気で健康、快活だった母の言動に異変を感じたのは数年前のことでした。そして以降だんだんと認知症の症状が見受けられるようになりました。今も独り暮らしを続ける89歳の母、民江さん。母にまつわる様々な出来事と娘の思いを一人語りでお伝えしてゆきます。同じような困難を抱えている方々に伝わりますように。

◆朝の電話

今日は、民江さん89歳にまつわる切ない気持ちを聞いてください。

10年以上前から私は、民江さんに朝電話をかけて、声で体調を確認したり、その日の予定を聞くことが日課になっています。けれどその日は民江さんから電話が掛かってきました。「なっちゃん、トイレが流れない!」「流れない? 詰まったの?」「流れないの!」「何か詰まったのね?」「知らない!」 事件が起こった時は、だいたいこんな調子で始まります。私も出かける時間が迫っているので声が大きくなりますが、冷静に冷静に。

まず民江さんを落ち着かせてから、便器から汚水が溢れたのかどうかを聞き出し、その状態に応じて対処しなければいけません。携帯電話を持ったままトイレに行き、トイレの中には足を入れず、覗き込んで今の様子を伝えるように一言ずつゆっくりと電話越しに指示を出します。

興奮すると電話が切れるので、何度も掛け直さなくてはなりません。現状を把握するまでに長い時間とたくさんのエネルギーを消耗するのは毎度のことです。やっと何かの原因で排水管が詰まり、便器からマットがびしょ濡れになる程の水が溢れ、代わりに風呂場で用を足していることがわかりました。

さあ、どうしましょう。今日は大好きなデイサービスに行く日ですし、私は午後しか行くことができません。結局マンションの管理会社にお任せして、無事に詰まりは解消しました。民江さんも少し時間をずらしてデイサービスに行くことができました。皆さんに感謝です。

◆夕方の電話

しかし夕方です。また民江さんからハアハア言いながら電話が掛かってきました。「ベランダに干しておいた私の大切なピエールカルダンのトイレマットが見つからない!」と言うのです。あらら、大切なものだったのね……。実は、民江さんの留守中に掃除と消毒に行った私は、ベランダに干してあったベトベトのマットをゴミ袋に入れて持ち帰り、捨ててしまったのです(!)

民江さんの話は続きます。「マンションの周りを一回りして探したけど落ちてないの。マンションの管理会社に電話したらすぐ来てくれてね、私がご近所一軒一軒聞いて回るわけにいかないと言ったら、見つかったら連絡をくれるって」「だって私が一軒一軒……」

興奮状態の民江さんの口からは、荒い息と一緒に次々と言葉が出てきます。捨てたことを言えなくなってしまった私は、「10階だからね、洗濯バサミで止めていないマットが飛んで行っちゃっても仕方ないよ」と言いましたが、民江さんの気持ちはおさまりません。

一旦こんな状態に陥ると、しばらく5分10分刻みで電話が鳴るので、できる限りお付き合いすることになります。幸いこの日は姉の「古かったからちょうどよかったじゃない」の一言で早々に鎮まり、民江さんは眠りについたようです。翌日、私は新しいマットをトイレにこっそり置いてきました。できればマットがなくなったことは忘れてほしいと願いながら。

管理会社の方のお話から推測すると、今回は尿パッドを流したようです。トイレットペーパー以外の物を絶対に流してはいけないと繰り返し言ってきたのにです。果たしてこの一件で、マットがなくなってしまったことよりも、そちらが重要だということが脳にインプットされたでしょうか。なるべく優しく「うっかり落としてしまったのなら、これからは絶対に気を付けてね」と何度も言っておきましたが、どうでしょう。嫌がられても毎日言い続けていれば、覚えてくれるでしょうか。

◆辛いですか。辛いでしょうね。

民江さんの家の中には、私の書いた張り紙が幾つかあります。ゴミの捨て方やデイサービスから持ち帰った下着の置き場所についてのお願いが大きな文字で張り付けてあります。しかしそれらの張り紙に何の効力もないことを思い起こしながら、あらためて民江さんが一人で生活をすることの難しさを痛感しました。デイサービスで難読漢字をいくらすらすらと読んでいても、目の前にぶら下がった紙には興味がないのでしょう。

普通にしていたことができなくなった民江さん、辛いですか。辛いでしょうね。娘に毎度世話を焼かれたくないでしょうね。明日も私は箪笥や部屋のあちらこちらから脱いだ下着を探して持ち帰りますね。

▼赤木 夏(あかぎ・なつ)
89歳の母を持つ地方在住の50代主婦。数年前から母親の異変に気付く

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我々が泊まったクティとこの地域を走るトゥクトゥクが停車中

ノンカイでの托鉢を撮って貰いました Photo by Nate Badenoch

◆油断大敵!

昨日(12月20日)の祭りのソムタム(唐辛子入りパパイアサラダ)が効いた。元に戻ったどころではない。深夜から何度トイレに行ったことか、発熱に下痢に嘔吐まで、より酷くなった。短い時は10分も経たないうちにトイレに向かう。寝返るだけで漏らすほどひどい。体調崩してから力付けようと何でも食べたが、昨日の祭りのソムタム、スイカは信者さんに勧められて食べたが、逆にダメだった。

朝4時の読経に行く前、汚れたサボン(下衣)を廊下のソファーの下に隠す。戻ってから外のタライに水を張って、そのサボンを浸して托鉢に向かう。

朝食はほとんど食えない。オカズをひとつ摘んで御飯をスプーンで2掬い口に入れただけ。昼食も全く手が出ない。美味しい肉野菜炒めもあるのに美味しそうに見えない。もうソムタムには絶対手を出そうとは思わない。こんな食べる量の少ない日は初めてだ。自分の体力が心配になってきた。朝食後は何とか洗濯を済ませてまた横になる。

昼以降、またネイトさんと藤川さんが仲良く市場へ買い物に行って、ミロと湯沸しポット買って来たらしい。早速お湯を沸かしてみるネイトさん。ちゃんと湯が沸く。日本製でもない頼りないものがしっかり沸いている。その湯でミロを作ってくれたので頂いた。

朝の読経で読まれます。ページは5ページほどあったかと思います

寝ながら見ていた、いつもと違う私のグロッギーな状態にネイトさんが薬をくれる。いつもは元気そうに立って歩いたから、そんな深刻に見えなかったらしい。あまり勧めたくない薬のようだが、あまりに青い顔で寝ている私に勧めてくれた薬だった。バンコクで買った薬らしい。

◆僧名、チャナラトーの意味!

そういえば2ヶ月前の私の得度式で僧名を頂いているのに、全く忘れていた。あの得度式の前、「堀田さんは“チャナ・オハルサン”だそうですよ!」と高津くんが言っていた。

「ウソだろ、和尚さんに頼まれて藤川ジジィが考えたのか、この野郎!!」と思った。私はタイの比丘らしい“アリアラッタノー”とか“プッタラッタノー”といったカッコいい僧名が欲しかったのだ。しかし得度式の後、ケーオさんから頂いた得度証明書に、“チャナラトー”と書いてあったので、あの時はそんな疑念も消えて嬉しかったなあ。

そんなことで夜、藤川さんらと話している時、僧名の話題になった。藤川さんは“チンナワンソー”という。手紙が来る度、この名前が書いてあったから忘れない。それでこの私の“チャナラトー”と僧名を言ってみたら、その意味をネイトさんが仏教辞書で調べて、「座禅組むのが好きな人」と訳すと、いきなり藤川さんが「よし、今日は3人で座禅組もう!」と言い出す。

朝食後、その場で読経となる経文、このページのみです

ああ、ネイトさん余計なことを。しょうがない、3人で座禅に入るしかない。

無言で座禅を組んで心を無にする。これは非常に難しいことである。

人間、何も考えないということは出来ない。いや、修行を積めば出来るのだろうが邪念が入るのである。

誰とも話していないとき、本を読むとかテレビを観るといった行為をしない時、必ず何かを考えてしまう。その邪念を振り払い続けて到達するのが“無の境地”なのだそうだ。

何かが頭を過ぎる。それを追ってしまう。それを振り払う。そしてまた次のことが頭を過ぎる。それを振り払う。“何も考えない”と思うと、そう思うことが頭を過ぎっている。それも振り払う。これを延々続けると、本当に何も頭を過ぎらない、無の境地になるのだそうだ。

無理だ。誰かが部屋に入って来た。バリカンで剃髪してくれたスアさん、石橋正次似の比丘である。「オッ、何かやっとるわい」といった感じで遠慮して出て行かれた。ということが頭を過ぎっている。藤川さんと同じで、女の子が夢に出て来るような、生臭坊主の私が悟りを開く訳が無い。座禅は30分ほどで格好だけで終わった。

市場に行った際のお店に立ち寄るネイトさん

◆薬が効いた!

その翌朝(22日)は鐘が鳴る朝までぐっすり眠れた。下痢が止まったのだ。ネイトさんから貰った薬が一発で効いた。タイの薬は強いのである。おそらく日本では厚生省の認可が下りない。でもとにかく治った。嬉しくてしょうがない。

托鉢はもう日数も無いし、元気が出てきた私は、ネイトさんに撮影をお願いしてみる。「私の姿だけ撮ったら帰っていいから」と言うと、本当に2枚だけ撮って帰られた。やっぱり人物撮りは難しく、知らない人に接近して撮ることは怖さがあるのだ。ネイトさんはビエンチャンではよくやってくれたと改めて思う。だから薬の御礼を含め、剃髪と得度式はしっかり撮ってあげようと思う。

朝食は御粥にすることを思いつく、ネイトさんが買って来た湯沸しポットでお湯を沸かしてもらっておいて、御飯にお湯かけて簡易御粥にするつもりだった。かなり昔、居酒屋で御粥を頼んだ時、キックボクサーの稲葉理さんが、「こんなもの、飯に永谷園のお茶漬け海苔とお湯ぶっ掛けただけだ」と言ってたことがあった。これだ、こんな程度でいいから御粥が欲しくなった。ネイトさんはお湯を持って来てくれたが、こんな日に限ってカオスワイ(白米)は無く、カオニアオ(もち米)だけだった。でも食欲も沸き、寒い時期の温かいお湯が優しくお腹に効いた。

◆家庭教師の存在感!

先日、ラオスから戻った後のネイトさんの出家願いに、プラマート和尚さんに御挨拶に行った後、倉庫部屋に戻ると、そこには17歳ぐらいのネーンが勉強(高校一般教科)していた。

元々彼の部屋だったようで、精悍な悪ガキぽい顔つきだが、優しい奴で、御丁寧に部屋を譲ってくれようとした。名前はバーレーという。ここでも我々よそ者が邪魔して悪いと思うも、そこで機転利かせたネイトさん。バーレーくんの臨時家庭教師となった。英語もイサーン語も出来て、大学出の学力があっては言うこと無しである。英語で問いかければ反応して食い付いて来る。こんな田舎で、いきなりアメリカ人教師登場の運命に驚きのバーレーくんだった。

そんな学業に励むバーレーくん達を見て、藤川さんはこの日、彼らの学校に見学に行った。夕方頃帰って来て語るその感想は、「ラオス(ビエンチャン)の学校の方は教材も足りんで、設備整っておらん分真剣にやっとるが、タイ(ノンカイ)の方は設備整っておる分、不真面目になって雑談が多いな。恵まれるとやっぱり乱れていくんかなあ」と言う。

しかし、バーレーくんはネイトさんを頼って勉強を教えて貰おうとやって来るようになった。今しかないチャンスを活かす探究心はラオスの生徒達と同じ心境だろう。こんなノンカイでもラオスでも頑張っている奴は多いのだと実感する。

ネイトさんが家庭教師を受けたバーレーくん

剃髪近いネイトさんとその演出を考えた藤川さん

◆意義ある剃髪へ!

我々は明日23日の夕方頃、ネイトさんの剃髪をすることに決定。私がカメラマンを務めることで、藤川さんが演出に凝りだす。

「場所はメコン河をバックに土手の上、バリカンは断ってカミソリでやって貰おう」とスアさんにお願いすると快く了承して頂いた。

その前準備に、ネイトさんは親代わりをお願いしているオバサンを呼ぶか迷っていた。なかなか多忙な方だからだそうだ。

藤川さんが、「剃髪にオバサンがハサミ入れなかったことが後で心に引っ掛かるようならタクシー代100バーツ掛けてでもオバサンに会いに行ってお願いした方がええんちゃうか」と言うと決心し、明日行くことにしたようだった。

体調復活した私はまたカメラマン魂が沸いて来て撮影体勢に入っていくのでした。
 
▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」
 

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◎[参考動画]貴乃花親方が退職届提出 傷害事件の告発状巡り(KyodoNews 2018/09/25公開)

突然の親方引退と部屋の移籍、そして日馬富士氏の断髪式を待っての民事訴訟。これらは計画された戦術だったのだ。千賀浦部屋に移籍した貴ノ岩が、かりそめにも父親代わりである千賀浦親方に何ら相談することもなく、総額2400万円の損害賠償事件の民訴を行なったのである。

弁護士事務所は貴乃花氏の代理人と同じであることから、貴乃花氏の意向がつよく働いているのは誰の目にも明らかだ。そしてこの民事訴訟のねらいは、損害賠償金が目的ではないのも明白だ。なぜならば、あまりにもかけ離れた金額(日馬富士氏側は50万円)では、そもそも和解調停が不可能だからだ。

では、いったい何のために判決まで引っぱる訴訟を起こしたのか。これも少し考えればわかることだ。貴乃花氏の突然の「引退」の謎も、そして角界から身を引いた彼が何をしようとしているのかも、ほの見えてきたというべきであろう。

◆貴乃花告発状の真否を争う裁判に

和解調停が不可能であれば、証拠調べ・証人尋問と公判が開かれることになる。その最大の証拠が、貴乃花氏が内閣府に提出した「告発状」なのである。この告発状は弟子の暴行事件でいったん取り下げられ、さらには大相撲協会の危機管理委員会によって、事実ではないと否定されたものだ。

貴乃花氏が「引退」する契機になった「日馬富士暴行事件の事実関係」の真相が「告発状」にあると言っていいだろう。その真否をめぐって、暴行事件の関係者たちが、偽証のゆるされない法廷で証言をしなければならないのだ。

白鳳をはじめ、現役力士たち、さらには教会関係者の出廷を強いる。これほど効果的な大相撲協会への揺さぶりはないだろう。そして事実関係が白日のもとに晒されれば、貴乃花氏が引退する理由となった危機管理委員会の報告書、すなわち大相撲協会の屋台骨がゆらぐことを意味する。その先にあるものは、大相撲の大改革である。

◆囁かれる政界入り

それにしても、貴乃花氏は角界をみずから引退しているのだ。協会内でほぼ完全に孤立していたとされる貴乃花氏が、いったいどうやって大相撲協会を改革できるというのだろうか。ここで、ある噂がにわかに信憑性を帯びてくるのだ。

そう、一部のマスコミで囁かれている貴乃花氏の政界入りである。すでに一部の報道では、来年の参議院選挙への出馬をと、自民党が声をかけたとされている。もともと「相撲は国体のために」などと口にしてきた貴乃花氏である。

この国体とは国民体育大会ではない。天皇を象徴にいただく国家のあり方という意味である。国の中心に天皇を据える国体思想はすなわち、天皇の元首化を明文化すること。つまり自民党が政治日程に上せようとしている改憲である。

 

元大鳴門親方『八百長 ― 相撲協会一刀両断』(1996年4月鹿砦社)

自民党が貴乃花氏を改憲運動の看板にしようとするのは、火を見るよりも明らかだ。そうやって政治利用されることに、貴乃花氏もある重大な決意で大相撲協会の改革を政治家として行なおうとしているのではないか。

◆高鐵山いらいの告発も?

もともと貴乃花氏は、現役時代にある告発をもとに引退を決意したことがある。それは兄弟対決となった、95年11月場所の「八百長」をめぐって、それをやらせた父への告発を一冊の本にしようとしていたのだ。版元の社長の判断で原稿は日の目を見なかったが、ガチンコが身上の貴乃花氏ならではの決意だったといわれている。

これまでにも、高鐵山の元大鳴戸親方が大相撲協会および北の富士氏を告発した『八百長―相撲協会一刀両断』(元大鳴戸親方、鹿砦社刊)がある。みずからの八百長体験で実態を暴露した元大鳴戸親方は、後援会長とともに不幸にも事件性の高い事故で亡くなっている(一部には謀殺説も)。改革の夢やぶれて大相撲協会から身を引いた形の貴乃花氏だが、外側からの改革に政治家として乗り出す。じつはあの「引退」劇も、計画として戦術だったのだろう。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

2018年芸能界最大の衝撃新刊! 上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』西城秀樹、ジョー山中、舘ひろし、小山ルミ、ゴールデン・ハーフ、吉沢京子……。数多くのスターを見出し、育てた「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」! 

7日発売!衝撃満載『紙の爆弾』11月号! 公明党お抱え〝怪しい調査会社〟JTCはどこに消えたのか/検証・創価学会vs日蓮正宗裁判 ①創価学会の訴訟乱発は「スラップ」である他

8月2日に新世紀ユニオンと関西学院大学側で行われた、団体交渉の合意事項を受けて、関西学院大学から新世紀ユニオンに9月22日付けで回答があった。ユニオン側から提出を要請した就業規則などの6種の規定の文面と、調査委員会には大阪弁護士会所属の弁護士が就任する旨が伝えられた。調査委員の選任はまだ完了していないが、新世紀ユニオンの角野委員長は、団交の際に調査委員会に第三者を入れることを要請したのに対して、第三者のみで構成される調査委員会の発足が回答されたことに対して、前向きに評価している。

関西学院大学が調査委員会に中立であることが期待できる、弁護士を登用し、第三者委員会を立ち上げることは、公平な調査が行われることへの期待抱かせる。大学側も真剣にA先生暴行事件の調査に、遅ればせながら取り組む姿勢を明らかにしたものといえよう。ユニオン側は回答を得て、質問と要望を大学に送付した(その内容は現時点では明らかにできない)。

金明秀(キム・ミョンス)関西学院大学教授が2016年5月19日、ツイッター上でM君に向けて行った書き込み。金教授の問題はA先生への暴行事件だけではない!

ユニオン側並びにA先生は、いたずらに争議を騒ぎ立てるつもりは全くなく、A先生が金明秀教授から受けた被害の回復、と適切な処分を求めているに過ぎない。関西学院大学も団交の中で、その要求の正当性を理解したと思われるので、今後調査員会が誠実な調査を実施し、適切な判断が下されることを取材班は見守りたい。金明秀教授の問題は、A先生への暴行事件だけではないので、関西学院大学が妥当な判断を下すことを期待する。

ところで、A先生の件とは別に、取材班ならびに、鹿砦社は“10・19M君の対5人裁判控訴審判決”を控え、ここに重大な最終的かつ新たな法廷内外での激烈な闘争に決起したことを読者の皆さんにお伝えする。「M君リンチ事件」を端緒に、この3年近く、取材班並びに鹿砦社は「対しばき隊」言論戦に、否が応でも直面せざるを得なかった。いうまでもなくM君の被害回復と加害者(事件への直接の加害者にとどまらず、M君を事件後セカンドレイプ的に攻撃した勢力)への、一定の責任追及を5冊の出版物を編纂する中で、その判断を世に問うてきた。初期にはほとんど著名人からの反応はなかったが、のりこえネット共同代表の前田朗東京造形大学教授が『救援』紙上で、旗幟を鮮明にされて以降、元読売新聞記者の山口正紀さんほか、名前は出せないが(つまり著名で、しばき隊のそばにいる人物たち)知識人・ジャーナリストからの支持が広がっていった。

私たちの戦線は、M君の対5人裁判を軸に、対野間易通裁判、鹿砦社が原告となった対李信恵裁判へと展開し、李信恵も鹿砦社を訴えてきた。ここに至り、取材班ならびに鹿砦社は、読者諸氏の想像が及ばないであろう、戦術を闘争の武器として採用することを決断した。このかん鹿砦社を舐め切った態度で、罵詈雑言を浴びせていた諸君や、鹿砦社に後ろ足で砂をかけた記憶のある諸君は覚悟して、“その時”を待つがよい。これまで取材班は数度にわたり「闘争宣言」を発してきたが、そのたびになんらかの驚愕的事実の暴露や、衝撃を誘う行動に実際に踏み出したことを想起されたい。

われわれは揺るぎない決意で、ルビコン川を超えた!

取材班はいつまでも「しばき隊」のお守りをするつもりはない。彼らの本質が既に相当程度明らかになった(=取材班は成果を確認できた)ので、M君の対5人裁判判決後、今後の方針を検討したのち、しかるべき時期に取材班は、発展的転身を遂げるであろう。しかし、その前に社会的正義に照らして、容認することのできない人物や行為には、きっちりケジメをつけておく。たとえ相手がどのような職業・肩書の人物であろうとも!!

そして再度認確する。取材班と鹿砦社はあらゆる差別に原則的に反対であることを。

(鹿砦社特別取材班)

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【緊急報告!】8・2金明秀暴行&不正問題で関西学院大学と被害者A先生が加盟する「新世紀ユニオン」との団交行われる! 関学側「調査委員会」設置を約束?(2018年8月4日)
【金明秀教授暴力事件続報!】関西学院大学に質問状送付! (2018年7月4日)

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

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鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

 

安倍晋三総裁選特設サイトより

自民党幹部からも「軽量級安売りセール内閣」と揶揄されている第4次安倍改造内閣である。7期・8期組の、いわゆる閣僚登用待ちがその大半であるがゆえに、実力派ではなく派閥の数あわせとなったからの揶揄だ。とはいえ、筆者も直接知っている自転車議連でネトウヨの原田義昭環境相(福岡)や渡辺博道復興相(千葉)など、「地道に下働き(笑)」をしてきた苦労人も多いのは事実で、地味だから「軽量級」などと揶揄するのはいかがなものか。むしろ問題なのは、甘利明元経済再生相を党選挙対策委員長に、下村博文元文部科学相を党憲法改正推進本部長に起用したことだろう。あいかわらずの「お友だち人事」である。

 

衆議院議員甘利明Official Webより

◆黒い人脈のお友だちを党の中枢に

甘利明選挙対策委員長はUR(独立行政法人都市再生機構)への口利き疑惑で建設業者(任挟系右翼)から100万円の現金、下村博文本部長も加計学園から200万円の闇献金疑惑がある。

甘利氏の疑惑は、わずか2年前の2016年のことである。柏市にある建設会社「薩摩興業」が道路建設をめぐって甘利氏に口利きを依頼し、総額1200万円の現金提供や接待を受けたと「週刊文春」が報じたものだ。このうち、大臣室での50万円と地元事務所への50万円が事実として認定されるも、けっきょく不起訴になっている。

「良い人とばかり付き合っていると、選挙に落ちてしまうんです」という名ゼリフを残して大臣を辞任したのは記憶に新しい。ところが、この件の不起訴をもって、甘利氏は「禊ぎは不要」と記者会見では開き直った。そもそも、この薩摩興業なる建設業者の社長が元稲川会系の任挟ヤクザで、右翼団体の代表なのである。この黒い人脈こそ、俎上にのぼせられるべきであろう。

 

衆議院議員下村博文公式WEBより

◆政治資金規制法違反の「博文会」

いっぽうの下村博文氏は、上述した加計学園からの闇献金とは別に、後援会組織の「博文会」に政治資金規正法上の問題がある。この博文会は関係者が学習塾を経営する教育関係者だが、政治家の講演会として、下村氏への事実上の政治献金にあたる会費(懇親会など)を徴収しながら、政治団体登録をしていないのだ。

政治資金規正法は「特定の公職の候補者を推薦し、支持し、又はこれに反対することを本来の目的とする団体」は政治団体となり、届け出をした上で毎年、政治資金収支報告書を提出する必要がある。下村氏の「博文会」がこれに違反するのは誰の目にも明らかであろう。

さらにその支持者のうち、やはり反社会勢力に近いとされる塾関係者が名を連ねていることが、国会で野党から指摘された。「何が問題なのですか?」と逆に質問するなど、厚顔無恥ぶりを披瀝したものである。

 

安倍晋三総裁選特設サイトより

◆女性閣僚がわずか一人

記者会見では「日本の女性活躍はスタートしたばかりなのです」「片山さつき(地方創生)大臣は、女性ふたり分」などと、さすがに糊塗しなければならなかったが、それは自民党の「女性活躍」であって、日本のではないはずだ。

野田聖子元総務相(女性活躍担当)からも、今回の人事における女性軽視はあきれられる始末だった。「女性活躍担当」や「少子化対策」などの役職はなくなってしまい、庶民の子育ての苦労は絶えなくなるようだ。そのじつ、シビリアンコントロールを果たせなかった稲田朋美元防衛相、つまり安倍チルドレンで将来の女性宰相候補を筆頭幹事長に据えるなど、お友だち人事はここでも発揮された。

◆無理がありすぎる改憲

安倍総理が意欲をみせている改憲についても、少しだけ触れておこう。このかん、自民党憲法改正草案を親しい憲法学者と検証したところ、現行憲法の前文を取っ払ったことで、改正草案は明治憲法よりも封建的な内容であるとの指摘をいただいた。ルソーの社会契約説など近代法の理解がないまま、たとえば社内就業規則のようなものになっているというのだ。自民党の草案が近代法ではないとしたら、安倍の9条加憲論は「ただし書き(例外規定)」を設けることで、自衛隊の合憲を担保するものだ。この「ただし書き」が憲法条文そのものを掘り崩してしまうと考えられる。つまり一般法令のように例外規定をもうけて、法律の柔軟な運用を目的とする「ただし書き」は、憲法には馴染まないのだ。この憲法論の一知半解が暴露されるのは、そう遠くないはずだ。


◎[参考動画]安倍改造内閣が発足(ANNnewsCH 2018年10月2日公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

衝撃満載!月刊紙の爆弾10月号

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

 

実行委員長の山田高広さん

「残念だったですね」、「せっかくやったのにね。台風じゃ仕方ないわ」異口同音に台風24号の直撃を受けた九州・熊本で9月30日に開催が予定されていた「琉球の風 島から島へ FINAL」の中止を惜しむ声が聞こえた。

実行委員会ではギリギリのタイミングまで開催の可否の判断を待ち、いったんは「開催」をアナウンスするも、諸般の事情から直後に「中止」を決断した。実行委員長の山田高広さんは「きつかったですよ、本当に」と「中止」決断に至るご苦労が並大抵ではなかったことを語っておられた。

「琉球の風」には沖縄在住のミュージシャンと、本州はじめ熊本から見れば、北の方向からやってくるミュージシャンたちも参加する。沖縄から参加するミュージシャンたちはすでに9月27日から熊本入りしており、30日を迎えたが、他の地域から参加予定のミュージシャンたちには28日に「中止」決定が伝えられた。

本来であれば「打ち上げ」の場となるはずの熊本市内某所で、9月30日夕刻に関係者だけの「ミニ琉球の風」が開かれた。例年は本番のステージで活躍したミュージシャンのほとんどが参加するので、スタッフの方々の中には打ち上げに参加できない方もいるが、今年は多くの関係者スタッフの皆さんが会場を埋めた。

知名定男さんを囲んで

打ち上げというには本格的な「ミニ琉球の風」。本番で司会の予定だったはミーチュウさんと岩清水愛さんが揃い、「それでは第10回琉球の風をただいまから行います!」と元気の良い開会宣言からはじまった。この日はネーネーズ、新良幸人、島袋優、下地イサム、知名定男さんらがソロやセッションを繰り広げた。

中止になろうが、なるまいが、今年是非この人にお話を聞きたい、と事前から私的には期待していた人がいる。BEGINの島袋優さんだ。島袋さんはBEGINとしての活躍はもちろん、他のミュージシャンに楽曲を提供したり、例年「琉球の風」では大物であるにもかかわらず、気楽に誰とでもセッションに応じていた。ベテランなのにステージ上でのMCはどこかシャイで、偉そうにするところが全くない(実は酔っているためだったのではないかとも思われるが……)。

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BIGINの島袋優さん

島袋優さんにお話を伺った。

── 「琉球の風」に島袋さんは何回出演していただいたのでしょうか?

島袋 何回でしょかね。細かいことは覚えていないんですけど、BEGINで2回でて、それ以外に数回出ているのでたぶん5回くらいじゃないでしょうか。

── 27日から来られて、きょうはあいにくステージは中止でしたけれども、他のミュージシャンの方と数日間過ごされて、どんなことを感じていらっしゃいますか。

島袋 きょうはできなかったけど、俺が大尊敬する定男さん。しかもちょっとキュートな知名定男に「優、お前俺がこういうことを企画しているからやれ」っていわれて、それから始まったんです。中止になっても定男さんと亡き東濱さんと山田さん(実行委員長)の気持ちが絶対に残っているんですよ。こうやって飲んでで僕らいいんだろうか、とも思うんですけど、じゃないとダメだなと思ったんですよ。初日から定男さんと飲み、2日目はキヨサク(MONGOL800)と飲み、みたいな。イベントが無くなったのは凄く残念です。とくにお客さんに対して申し訳ない。でもうまく言えないんですけど「なにかもう一回お前たち考えろ」って言ってくれてるのかもな、という気はなんとなくしています。俺たちは知名定男さんっていう大先輩に甘えていて。それを「もう少し楽させてあげろや」って言われているのかなとか、いろんなことを考えますね。でもね、正直なことを言ったら多くを語れません。俺は付いていくだけです。熊本の皆さんの沖縄の音楽に対する熱意とかは、年々感じていました。だから仲良くなっていくしこうやって毎年熊本で「琉球の風」という名前でやってくれているのは凄いと思います。

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知名定男さん

お名前が何度も登場した知名定男さんは、昨年大腸がんの手術を受けてからのご参加で、体調もいまひとつ優れないご様子だったが、今年は常に泡盛の入ったグラスを片手に「いやーもう元気になったよ。去年が嘘みたい」とふっくらしたお腹周りが体調の良さを伺わせていた。

ミュージシャンではなくても沖縄には酒に強い人が多い。そして私の知る限り、ミュージシャンの飲み方は豪快である。だから沖縄のミュージシャンの宴はなかなか終わりを迎えはしない。そのためであろうか、あるいは偶然か。30日晴天であれば行われる予定であった「琉球の風」にはたしかに「FINAL」の文字がったが、宴(?)の中では「きょうは残念だった」と皆が口にしたけども「『琉球の風』が終わってしまって残念だ」、「いいイベントだったのにね」と過去形で振り返る言葉を耳にした記憶がない。わたしの勘違いかもしれないが「これで最後」という雰囲気がどこにも感じられなかった。

 

ネーネーズの皆さん

もちろん「FINAL」だったのだから、これで今までの「琉球の風」は終焉を迎える。しかしまた新しい風が琉球から吹いてこないとは限らない。ミュージシャンたちはお世辞ではなく、このイベントを楽しんでいた。島袋優さんのお話にも「これでおしまい」のニュアンスはなかった。

10年も非営利目的でボランタリーに運営にかかわって来られたスタッフの方々には、ただただ頭が下がる思いで、「お疲れ様でした」と申し上げるほかない。けれども「琉球の風」で初めて訪れて出会った熊本の人々の個性豊かさと力強さからは、また何か新しいものが産まれてくるのではないか、との予感を禁じ得ない。

雨天中止で残念ではあったが、それゆえに発見もあった第10回「琉球の風」であった。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

「琉球の風2018 FINAL」幻の記念グッズセットをデジ鹿読者にプレゼントします!

上記写真のエコバッグ(版画=名嘉睦稔、題字=龍一郎、鹿砦社提供)とシート、パンフレットは
毎回「琉球の風」の会場で先着1000名様にプレゼントしている記念グッズセットです。
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(鹿砦社代表・松岡利康)

第1回~5回までの記録『島唄よ、風になれ!~「琉球の風」と東濱弘憲』特別限定記念版(DVD映像付き)。こちらもぜひご購読お願いいたします。

社会を騒がせた殺人事件の現場を訪ねると、事件から何年も経っているのに、惨劇をしのばせる形跡を目の当たりにすることが少なくない。2000年代初めに社会を震撼させる大量児童殺傷事件が起きた、大教大付属池田小学校(以下、大教大池田小)を訪ねた時もそうだった。

大教大付属池田小学校旧正門を入ったところにある「祈りと誓いの塔」。追悼式典では現役の生徒が鐘を鳴らす

学校の外壁には鉄線が張り巡らされている

◆児童8人が刺殺された

「死刑になりたかった」

犯人の男が凶行に及んだのは、そんな身勝手な動機からだった。2001年6月8日の朝、大阪府池田市の無職、宅間守(当時37)は、自宅マンションの近くにある大教大池田小に侵入し、出刃包丁で次々に児童8人を刺殺。他にも児童13人と教員2人を刺して傷害を負わせた。

現行犯逮捕された宅間は、大阪地裁であった裁判でも「幼稚園ならもっと殺せた」と言い放つなど不遜な態度に終始。2003年8月に死刑判決を宣告されると、弁護人が大阪高裁に行った控訴を自ら取り下げ、死刑を確定させた。そして翌年9月、死刑の確定から1年に満たない異例の早さで、死刑を執行されたのだった。

◆外壁には鉄線、侵入者を威嚇するような防犯カメラ

校内に設置された防犯カメラ

私がそんな大事件の現場となった大教大池田小を初めて訪ねたのは、2015年6月7日のこと。その翌日は事件から14年の追悼式典が開かれるということで、旧正門を入ったところには、「祈りと誓いの塔」というモニュメントの周囲に参列者用のテントが張られ、パイプ椅子が並べられていた。

そんな大教大池田小で、私が目を奪われたのは、小学校らしからぬ厳重な防犯体制だった。学校の外壁は、部外者の侵入を困難にするために鉄線が張り巡らされ、校内にも侵入しようとする者を威嚇するかのように防犯カメラが設置されていたのである。

小学校というと、休日でも校門が開けられているような無防備なところも少なくない。しかし、この大教大池田小では、何年経っても学校関係者たちがあのような惨劇を2度と起こしてはならないという強い思いを持ち続けているのだろう。

今年の6月で、事件から17年。大教大池田小は今も毎月8日を「学校安全の日」と定め、避難訓練を実施するなどしているという。


◎[参考動画]クローズアップ現代+【傷ついても、きっと歩きだせる~附属池田小事件 15年目】6月8日 2011年度日本記者クラブ賞受賞(rudolph gunnel 2016年9月17日公開)

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

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