「麒麟がくる」の史実を読む〈2〉本能寺の変の黒幕は誰だ? 謀略の洛中

坂本龍馬殺害犯(ほぼ解明)、邪馬台国の所在地(論争中)などとともに、日本史最大級の謎とされているのが、本能寺の変の真相である。その謎とは、明智光秀の動機(これは絶対に不明で、状況証拠として四国派遣軍指揮官からの解任が有力)および黒幕がいるのではないかというものだ。

NHK大河ドラマ・ガイド『麒麟がくる 後編(2)』

結論からいえば、いない。絶対に黒幕はいないと断言できるのだが、それだけ言ってしまえば面白くも何ともない。そこで、黒幕説の検証を愉しんでいこう。

いや、その検証の中から、新たな疑問や謎が提起できればさいわいである。

ざっと数件の黒幕説がある。光秀と結ぶ複合犯、光秀とは無関係の複合犯など、ちょっと無理なものまでふくめると、十数件にのぼる。

まず、黒幕ではないかとされる人物たちである。

【かなり疑わしい】
徳川家康・足利義昭

【疑わしいが、本人たちにとって意味がない】
イエズス会・朝廷(公卿たち)

【疑わしいが、その実力がない】
津田宗及(堺商人)・島井宗室(博多商人)らの茶人たち

【疑わしいが、黒幕である意味がない。むしろ前面に立ちたかったのでは?】
本願寺教如・長宗我部元親・安国寺恵瓊

【誰でもいいからという説】
濃姫(帰蝶)・森蘭丸

【阿吽の呼吸はあったかも説】
秀吉と家康、光秀の共謀説

このうち、徳川家康の関与説(黒幕説)は長らく信ぴょう性をもって唱えられてきた。

◆家康黒幕説の信ぴょう性

意外史観の八切止夫が『本能寺の変 光秀ではない』、最近では明智光秀の子孫と自称する明智憲三郎が『本能寺の変431年目の真実』で評判を呼んだ。織田信長が明智光秀に徳川家康殺害を命じたものの、却って光秀と家康が協力して本能寺の変を起こした(信長を殺した)というのだ。

明智氏は史料的には、家康殺害計画の史料上の裏付けとして『本城惣右衛門覚書』の「(本能寺の変直前に、光秀配下の兵卒が信長ではなく)家康を襲うのだと思っていた」という記述を挙げている。これが唯一の文献的な根拠である。

光秀と家康の謀議の場は、安土城だったとする。信長の監視下にある安土において、光秀と家康が二人きりで密談するのは、ほとんど不可能に近いかもしれないが、その内容は興味深い。信長が家康を本能寺に呼び寄せて殺そうとしているから、光秀としては家康を討つふりをして信長を殺す。

また、明智氏の説にはないが、この密議の背景に武田攻めのさいに光秀が謀議をはかり、それを穴山梅雪が知っていると家康が持ちかけていれば面白い。まもなく信長の知るところとなるので、信長の隙を衝いて殺しましょうとなった。その結果、穴山は伊賀越えのさいに服部半蔵の配下に殺された。家康は無事に三河へ帰り、出兵の準備に取り掛かるも、形成が不利とみて出馬をとりやめる。という顛末である。これに羽柴秀吉が一枚かんでいれば、中国大返しの謎も解けるというものだ。非常に面白い。が、史料的な根拠はなにもない。

家康黒幕説は、家康の息子(信康)と本妻(築山殿)が武田氏と通じているがゆえに、信長の命令で殺されたという軍記書の逸話がもとになっている。家康が信長に恨みを抱き、その気配を感じた信長が家康暗殺を決意。本能寺に呼び寄せて殺す、という筋書きである。

しかし、信康の死(家康が死に追いやる)は父子の派閥対立という説が有力である。織田家から嫁いだ徳姫が書状で、信康と築山殿の武田氏内通を告発したというのは「三河物語」の記述で、何らかの対立を嫁姑の人間関係に置き換えたのではないか。「信長公記」の「信康の処置は、家康の思うとおりに」という記述を信用したい。

◆秀吉黒幕説は、ありえない

ついで、家康と秀吉、光秀の三人が共謀していたという説も、壮大稀有な発想で面白いと思うが、ちょっとそれはない。

羽柴秀吉を黒幕とした場合、なぜ秀吉と光秀が共同して天下を治めなかったのか。少なくとも、柴田勝家および織田信長の息子たちを共同して駆逐しないかぎり、謀反人として織田家臣団に排撃されるのは目に見えている。史実は秀吉が光秀を、信長の息子たちとともに排撃したのである。秀吉が利を得たのは、光秀との謀議ではなく、光秀の変後の不手際(味方が集まらない)を衝いたに過ぎないのだ。

◆イエズス会はそんなに凄い団体だったのか?

イエズス会黒幕説は、民間研究者の立花京子(故人)が唱えた説である。この説が魅力的なのは、大航海時代に世界の大半を支配下においたイベリア両国(スペイン・ポルトガル)の国王・フェリペ2世がイエズス会の後ろ盾であり、スペイン無敵艦隊が精強を誇っていたことだ。

そんなに強大な勢力であれば、信長が不遜にも「余を神と崇めよ」という神を畏れぬ言動をおこなったとき、神の意志で罰をあたえた。ということも考えられないではない。鉄砲も大砲も、その玉薬である硝石も、イエズス会の支配地域からもたらされているのだから、かれらの力は凄まじい。と思いがちだが、さにあらず。

スペインのピサロがインカ帝国を征服したのは、軍事力(わずか180人)ではなく感染症だったことを考えれば、それほどのものではないことがわかる。
詳しくは「インカ帝国滅亡のなぞ」(本欄2020年5月7日)を参照して欲しい。

じっさいのイエズス会は、会士が全世界で1000人ほどのグループにすぎなかったのである。当時はプロテスタントの宗教改革運動がさかんで、カトリックの側から宗教改革でこれに対抗したのが、イエズス会に代表される流れだったのだ。スペインの無敵艦隊(自称にすぎない)も、本能寺の変の数年後にはイングランド海軍に惨敗している。

それよりも、日本のイエズス会が本能寺の変の結果、どうなったかが興味深いところだ。安土城かから追い出され、琵琶湖に逃れていたところを海賊まがいの漁民に囚われ、その挙句に明智光秀麾下の兵に助けられる。しかも無礼な扱いを受けて、散々な目に遭っているのだ。そもそもイエズス会は信長に庇護されていたのであって、明智光秀には批判的であった。以下、ルイス・フロイスの「日本史」から引用する。

「信長の宮廷に十兵衛明智殿と称する人物がいた。その才略、思慮、狡猾さにより信長の寵愛を受けることとなり、主君とその恩恵を利することをわきまえていた。殿内にあって彼はよそ者であり、ほとんど全ての者から快く思われていなかったが、寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを身に備えていた」という具合に、フロイスの光秀評は辛らつである。

「彼は裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的でもあったが、己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった。また築城のことに造詣が深く、優れた建築手腕の持ち主で、選り抜かれた熟練の士を使いこなしていた」

やはり光秀は、能吏ではあったようだ。

「信長は奇妙なばかりに親しく彼(光秀)を用いたが、権威と地位をいっそう誇示すべく、三河の国主(家康)と、甲斐国の主将たちのために饗宴を催すことを決め、その盛大な招宴の接待役を彼に下命した」

「これらの催し事の準備について、信長はある密室において明智と語っていたが、人々が語るところによれば、彼の好みに合わぬ案件で、明智が言葉を返すと、信長は立ち上がり、怒りをこめ、一度か二度、明智を足蹴にしたということである。だが、それは密かになされたことであり、二人だけの間での出来事だったので、後々まで民衆の噂に残ることはなかったが、あるいはこのことから明智はなんらかの根拠を作ろうと欲したのかも知れぬし、あるいはその過度の利欲と野心が募りに募り、ついにはそれが天下の主になることを彼に望ませるまでになったのかも知れない。ともかく彼はそれを胸中深く秘めながら、企てた陰謀を果たす適当な時期をひたすら窺っていたのである」

このあたりに、光秀の動機らしきものが観察されて興味ぶかい。フロイスの推察が正しいとすれば、光秀は信長の専横を大義名分にしたかったのかもしれない。

つぎは、本能寺の変後のことである。

「都の住人たちは、皆この事件が終結するのを待ち望んでおり、明智が家の中に隠れている者を思いのままに殺すことができるので、その残忍な性格に鑑みて、市街を掠奪し、ついで放火を命ずるのではないかと考えていた。我々が教会で抱いていた憂慮も、それに劣らぬほど大きかった」

「というのは、そのような市の人々と同様の恐怖に加え、明智は悪魔とその偶像の大いなる友であり、我らに対してはいたって冷淡であるばかりか、悪意をさえ抱いており、デウスのことについてなんの愛情も有していないことが判明していたから、今後どのようになるかまったく見当がつかなかったからである」

「司祭たちは、信長の庇護や援助があってこそ今日の立場を得たのであるから、彼が放火を命じはしまいか、また教会の道具にはすばらしい品があるという評判から、兵士たちをして教会を襲撃させる意志がありはしまいかと、司祭たちの憂いは実に大きかった」

やがて、司祭たちの危惧は的中する。かれらは安土を逃れたあと、散々な目に遭うのだから。

そしてこれらの記述のなかにこそ、イエズス会が信長を裏切る黒幕ではないこと。光秀を「明智は悪魔とその偶像の大いなる友」つまり「仏教徒」である、と批判的に指摘していることを確認できるのだ。イエズス会は黒幕どころか、本能寺の変の犠牲者だったのである。(つづく)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】 新型コロナ 安倍「無策」の理由

日本社会に巣くう安倍政権7年8カ月間の血栓はいつ破裂するか?【前編】「安倍さんに頑張ってほしかった系」コメントで溢れるテレビの不気味 林 克明

8月28日、安倍晋三総理は、職を辞すことを記者会見で述べた。第一次安倍政権を投げ出した持病の潰瘍性大腸炎が再発し、激務に耐えられないというのが、辞意表明の理由である。

テレビはさっそく街頭インタビューを流した。相変わらずお手軽な手法である。

「大事なときなので、もうちょっと頑張ってほしかった」

「まだやりたいことがあったのではないかと? でも病気ならしかたないですね」

安倍さん頑張ってほしかった系のコメントがほとんどで、ネトウヨ以外では、こういう人に安倍政権は支えられてきたのだな、と感慨を新たにした。

記者会見の直後から、ポスト安倍をめぐっての報道が激増している。たしかにそれは大事だが、それよりも安倍政権の”犯歴”を記録し、未来永劫忘れないようにすることのほうがより価値がある。

まずは、安倍政権の土壌を作り上げてきた源泉は何か、ということが問題になる。


◎[参考動画]憲政史上最長 安倍政権の7年8カ月を振り返る(2020年8月28日)

◆日本という身体にはびこる”安倍血栓”

8月に入ってから筆者の体調が悪化し各種検査をしたところ、静脈性血栓症だと判明した。

血栓とは、血管内に形成される凝血塊。これが肺まで移動し、動脈内に血栓が生じると命取りになることもある。

これと同様に、安倍晋三とその仲間がやってきたことは、まさに日本社会に血栓をつくってきたようなもので、内部からの破壊活動に等しい。
 
同じ「血栓」でも、2系統に分かれるだろう。

第1に尊王攘夷派(水戸学)からの伝統による好戦的で全体主義的な「血栓」

第2には比較的単純な汚職系「血栓」だ。

◆日本の生命にかかわる「安倍血栓」

第1の「血栓」について語るには、150年以上前にさかのぼらなければならない。
 
1854年に日米和親条約を結び、1858年に日米修好通商条約による開国を機に、日本は国際社会にデビューした。

この日米修好通商条約は、江戸公儀の外交手腕により、列強間で交わしていた通商条約と同レベルである。関税自主権もあり、関税率は20%で国際水準(列強水準)だった。そのため、開港したとたん日本は貿易を拡大し、大幅な黒字国になっていった。(『日本を開国させた男、松平忠固~近代日本の礎を築いた老中』(関良基著、作品社

同時並行して、紆余曲折を経て問題をはらみながらも立憲主義構想(普通選挙による議会設立など)も浸透し始め、急速な近代化と民主化が期待された。(『赤松小三郎ともう一つの明治維新~テロに葬られた立憲主義の夢』(関良基著、作品社)

このように、議会制を実現し交易を奨励しいけば、早期に近代化を達成し“一等国”になっていた確率は相当高い。

その路線に真っ向から反対したのが“尊攘派”である。外国人に対するテロをエスカレートさせていき諸外国は激怒した。

対日強硬派の筆頭であった大英帝国を中心に日本は圧力をかけられ、1866年には基本20%だった関税を一律5%にさせられたのである。これにより日本は長期間、赤字国に転落し、工業化の原資を失って近代化が大幅に遅れた。

つまり尊王攘夷派は、自らテロをやりまくり自分自身で不平等条約をつくり、議会制民主主義の芽をつぶした。自分たちの不始末と大失敗を「江戸幕府が不平等条約を結ばされ、尊攘の志士たちが封建的な幕府を倒し、不平等条約撤廃のために死に物狂いで闘った」という歴史の捏造を行った。

おそるべきは、2020年の現在も、この明治維新神話が学校で教えられていることではないだろうか。

“尊攘派”は、明治になってからキリスト教徒弾圧、百姓一揆の弾圧、不在地主制度の強化(明治になって強化された)、大逆事件、治安維持法下の弾圧・・と国民に対して暴力を振るってきた。

ちなみに攘夷を唱えて1860年代にテロを頻発させていた人たちが、明治維新後はそっくり弾圧者としての役割を果たしているのは興味深い。

強権によって、水戸学を源とする尊王攘夷思想を国民が強要された末路が、1945年8月15日の敗戦であろう。

尊攘思想・靖国思想・皇国史観を支配の道具とする人々によって日本は壊滅させられたのだ。彼らのことを、まとめてヒゲカッコツキの“尊攘派”と定義しておこう。


◎[参考動画]E-girls☆安倍晋三内閣総理大臣 お疲れさまでした(2020年8月28日)

◆第二次大戦後“尊攘派”が復活 特高国会議員の跋扈

敗戦によって、江戸時代末期に芽生えた、立憲主義と貿易立国の方向へ舵が切られた。長い中世が終わり“ルネッサンス”が日本に起きたともいえるだろう。

だが、第二次大戦後まもなく始まった冷戦が、その流れに冷や水を浴びせた。

本来なら一層されるべき戦犯≒尊攘派が、日本を占領したアメリカ(連合国だが実質アメリカ)により、防共要員として残存させられることになった。

ほんの一部の人間が公職から追放されただけで、本来なら死刑や長期刑になるはずの“尊攘派”(大日本帝国の責任者たち)が、なんのお咎めもなく居座ることになったのである。

その延長線上に安倍政権が誕生し、日本会議に象徴される日本の右翼が存在している。これこそが日本が幸せになる道を阻んでいる。つまり水戸学発信源の尊王攘夷思想が生きている。

イデオロギー的血栓と言えるのではないだろうか。

特筆すべきは、尊攘体制後期を支えてきた特高警察幹部が、逮捕・処罰もされずに、冷戦開始後はつぎつぎに復活したこと。

たとえば小林多喜二を拷問して殺した主犯格の中川成夫は、戦後、東京都北区の教育委員長になっている(『告発 戦後の特高官僚~反動潮流の原泉』柳河瀬 精やながせただし著、日本機関紙出版センター2005年)

歴史的書籍ともいえる同書によると、靖国神社法案やスパイ防止法など、第二次大戦後に問題になった、きな臭さがただよう法案の陰には、“尊攘派”の子孫たる元特高警察官僚が暗躍している。

地位の高い特高官僚の要職にあった者だけで46人も自民党の国会議員になっている。もちろん、知事や地方議会、中央官庁幹部職員にも特高官僚はいる。

こうした基本路線をそっくり踏襲しているのが安倍政権であり、自民党政権なのである。この支配体制とイデオロギーの原泉である“尊攘派”と「明治維新」を全面批判・否定しない限り、どのような新政権が現れようとも、一般人は枕を高くして寝られはしないのだ。

次回は、こうした土台をもつ安倍自民党政権が、日本社会に血栓をつくってきた実態を振り返り記録しておきたい(つづく)


◎[参考動画]安倍政権7年半が問うものは【TBS報道特集】

▼林 克明(はやし・まさあき)
 
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】新型コロナ 安倍「無策」の理由

【鹿砦社弾圧報道問題続報】朝日新聞・渡辺雅隆社長に「通告書」送付(8月23日)→受領(8月25日)、しかし回答期限(9月1日)に回答ナシ! 渡辺社長に登記不実記載の疑い発覚! 鹿砦社代表・松岡利康

すでに何度もご報告していますように、2005年7月12日の私・松岡逮捕―鹿砦社出版弾圧についての“官製スクープ”記事を神戸地検と密通して書いた朝日新聞大阪社会部・平賀拓哉記者(現・司法担当キャップ)に対して面談を求めてまいりましたが、平賀記者(あるいは広報担当者)らは私の要求をことごとく無視、あるいは担当者名なしの素っ気ないメールを送り付けて来たり徹底的に蔑ろにしてきました。

やむなく朝日新聞の登記簿に記載されている渡辺雅隆社長の“自宅”に「通告書」を8月23日に郵送しました。同月25日に届いています。回答期限を到着から7日以内(つまり9月1日)としましたが、いまだ回答ありません。無視して逃げ切ろうというつもりです。

朝日新聞・渡辺社長への「通告書」(1/2P)
朝日新聞・渡辺社長への「通告書」(2/2P)

ところで、登記簿では渡辺社長の住所は京都府京田辺市となっていますので、そこに送りましたが、なぜか転送されて「芦屋郵便局」経由で配達されています。つまり、渡辺社長の現住所は兵庫県芦屋市ということになります。2年半ほど前(2018年2月)にリンチ事件についての質問書を送った際にも同様でした。この時には、「住居移転したばかりで登記が遅れてるのかな」ぐらいに思っていましたが、2年半ほども放ってきたのでしょうか?

会社の社長(代表取締役)は登記簿に正しく住所を記載しないといけないと定められています。私もちゃんと登記簿に実際に住み住民登録している住所を記載しています。世の中の会社の社長もみなそうしていますよね。朝日新聞だけ特別ではないはずです。身の危険があるから別の住所に登記しているなどという言い訳は通じません。会社法に詳しくはありませんので、これにどういう罰則があるかどうか知りませんが(詳しい方は教えてください)、少なくとも平素から「コンプライアンス遵守」を謳う大手新聞社としては範を示すべきでしょう。大会社も零細企業もみなそうしているわけですから。直ちに正しい住所を登記せよ!

配達履歴情報
平賀拓哉記者

ところでくだんの平賀拓哉記者、こら、いつまで逃げてるんだ!? 

平賀記者は、1977年生まれ(おっ、私の愚息と同じだ!)、ということは今43、44歳か。私の逮捕事件の際はまだ20代だったんだ。

その10周年の2015年から中国・瀋陽支局長として赴任、2018年暮れ頃に帰国し現職(大阪社会部司法担当キャップ)に就いているようです。

平賀さん、あなたが日本を代表する大新聞社の幹部記者である前に、一人の自立したジャーナリストであろうとするのなら、みずからの記事に責任を持ち、私や鹿砦社(の社員)らを地獄に落とした弾圧事件の記事について私の面談に応じよ!

私は“当事者中の当事者”ですよ、私の言っていることは間違っていますか? 私は無理な要求をしていますか?

月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】新型コロナ 安倍「無策」の理由
『NO NUKES voice』Vol.24 総力特集 原発・コロナ禍 日本の転機

《急報》釜ヶ崎の「あいりん総合センター」周辺の野宿者に立ち退き強制の危機! 大阪府と「まちづくり会議」が一体となった強制排除を許すな! 尾崎美代子

◆大阪維新の「都構想」実現のための、野宿者強制排除を許すな!

西成の「あいりん総合センター」(以下、センター)周辺に野宿する人たちや支援者の団結小屋などが立ち退き(強制排除)の危機に追い込まれている。

8月5日、大阪府は、センター周辺の野宿者27名に「土地明け渡し」の仮処分を求め、大阪地裁に提訴した。それに先立つ4月22日、センター周辺の敷地は府の「公有地」であると主張し、22名に立ち退きを求めて提訴したばかりだ(本裁判の被告22名に5名追加した27名が仮処分断行の被告となった)。立て続けの提訴は何を意味するのか?

梅雨が長かったため、徐々にではなく一気に日焼けし、ヤケド状態になった野宿者の足(センター北側で)

現在閉鎖されているセンターは、閉鎖後も3階で営業する「医療センター」が移転したのちに解体を始め、2025年に新センターが完成する予定となっている。しかし4月22日提訴の「立ち退き訴訟」の本裁判が長引いた場合、取り壊しや建て替え工事の業者の入札などに遅れが生じるため、一気に仮処分を断行し、強制排除しようというのだ。(立ち退き訴訟第1回口頭弁論は9月1日、明け渡し断行の仮処分の審尋は9月4日に予定。但し、後者は非公開)。

提訴を受け大阪地裁は、2月5日、府の職員や西成警察とともにセンターを訪れ、裁判で訴えるなどと説明せず、通常の生活相談を装い、つまり騙して野宿者の名前を聞き出し「債務者」を特定していった。なんとも卑劣なやり方だ。しかも時間は午後0時45分から1時37分の短い間、昼間、仕事などで現場にいなかった人も多いのに。裁判という形式を整えるだけの杜撰なやり方だ。

◆大阪府の「強制排除」を後押しする釜ヶ崎の「まちづくり会議」

大阪府は、なぜこのような乱暴で拙速な手段で野宿者排除を進めるのか?

新型コロナウイルス対策では「アマガッパ松井」「イソジン吉村」と揶揄され、すべてが後手後手、無策・失策を連発し続ける吉村知事、松井市長だが、それもそのはず、彼らの頭にはコロナウイルスから住民を守る考えはみじんもなく、あるのは大阪都構想の実現と2025大阪万博の成功だけだ。そのため、都構想に深くリンクする「西成特区構想」を何が何でも成し遂げなくてはならない。

周知のように、センターは、昨年3月31日閉鎖予定だったが、労働者、野宿者、支援者らの反対で叶わず、4月24日の強制排除まで自主管理が続けられた。そのためセンター建て替えのスケジュールも大幅に遅れていた。

仮処分断行の訴状に書かれているように、今回の野宿者強制排除は、2016年7月26日第5回「あいりん地域まちづくり会議」で、センター建て替えが正式に決まったことから始まっているが、委員である西成特区構想有識者7名からは、昨年6月3日「早期の不法占拠解消の重要性」を主張する意見書も提出されている。

「再チャレンジできるまちづくり」などと綺麗事を並べるが、彼らの「まちづくり」とは、橋下元市長の「(再開発のために、釜ヶ崎の)労働者には遠慮してもらう」発言と同様、日雇い労働者、野宿者などの排除が前提ではないのか。

※[参考]note原口剛・神戸大学准教授「釜ヶ崎におけるジェントリフィケーションと強制立ち退きについての問題提起」

◆「全ての人に」の特別定額給付金からも排除された野宿者

強制排除までに野宿者を減らそうと「生活保護を受けるように」と説得にくる職員。「物件見に行こうか」と誘う職員も

新型コロナウイルス対策として、全ての人に一律10万円を支給する「特別定額給付金」の申請が概ね8月末でしめ切られた。当初から懸念されたように、釜ヶ崎でも一部給付されない人たちがでている。

「簡素な仕組みで迅速かつ的確に家計へ支援を行う」として始まったこの制度は、当初より「住民登録」が前提とされていた。しかし様々な理由で、住民票を持たない、持てない人もいることから、私たちは「住民票を持たない人にも給付するように」と大阪市と松井市長に再三要望書を提出してきた(ちなみに6月17日提出した大阪市への要望書の回答が8月31日午後17時25分、釜合労組合事務所のFAXに届いた)。

5月26日放映のMBSの情報番組「ミント」で、釜ケ崎の野宿者と給付金問題を取り上げられた際、人権問題に詳しい南和行弁護士(大阪弁護士会)がこうコメントした。

「給付金について、ホームレスの人だから受け取る権利がないというのは間違いです。ホームレスの人にも受け取る権利がある。住民票のあるなしは、(給付金給付の)権利のあるなしの問題ではなく、どのように受け取るかの手続きの問題でしかない。
 それについて、この住民登録があるないだけで、権利があるなしかのように取り扱うのは間違いで、総務省は形式的な答弁だけではなく、どのように今回の給付金だけではなく、(様々な)補償などをいき渡らせていくかという、抜本的な問題をつきつけられていると思う。
 2007年大阪市の(住民票)強制削除の問題[注]が、今になっても影を落としているということは、この13年間何もホームレス対策をしてこなかったことのあらわれでもあります」。

※[注]2007年大阪市(住民票)強制削除問題=ドヤ(簡易宿泊所)などで住民票が取れない日雇い労働者に対して、大阪市が解放会館などに住民票を置くことを推奨しておきながら、2007年に2088人の住民票を一方的に削除した事件。

南弁護士のコメントで、住民票の有無は給付金給付の条件ではないことがはっきりしたが、総務省はその後も「住民登録」の条件を外すことはなかった。

◆野宿者にだけ「住民登録」を義務づけられるのは、何故だ!

総務省は、全国の市民団体などから寄せられた要望に対して、住民票がなかった人、失踪届けが出され戸籍から抹消されていた人らに対して、住民登録を行い、給付金申請にこぎつける方策を提示してきた。しかし、そこから漏れる人たちも少なくはなかった。

約1時間炎天下で待たせた野宿者らに「住民票がなければ申請書は受け付けない」と言う大阪市役所の中谷係長

8月18日、そうした様々な事情で住民票のない人たちが、釜ヶ崎地区内にある西成区健康福祉センター分会に給付金の申請に行った。分会の職員らは野宿者らを中に入れず、「申請は市役所に行け」と突き返した。

しかし申請にきた人の中には、今日明日の飯代に困り、電車賃すらない人もいる。そのため私たちは「釜ヶ崎の地区内で相談窓口を設けて欲しい」と再三要求してきたのだ。

炎天下で待ち続けること約1時間、ようやく大阪市役所の担当者らがやってきた。係長の中谷氏が、住民票を作るなどして申請を行う方法を一通り説明した。その後「それでも様々な事情で住民登録できない人が申請にきた。受け付けて欲しい」と要望したところ、中谷氏は「受け付けは行わない」ときっぱりこれを拒否した。

もちろん、このまま黙って引き下がるわけにはいかない。何度もいうが、住民票の有無は、給付金を受け取るための条件ではない。これまで総務省は、住民登録の有無は、給付金の「二重払い防止」のためと説明してきた。しかし、同じように住民票を移せないDV被害者らには、住民票なしで給付した例もある。その際、いったん加害者側にも給付され二重給付となるが、それについては「やむを得ない」としている。

様々な理由で、実家や家族と疎遠になったり、連絡出来ない、したくない野宿者とて同じではないか? 同じ方法を野宿者に適応しないのは何故だ!?

私たちは諦めず、次の闘いを準備している。ご注目とご支援をお願いしたい。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】新型コロナ 安倍「無策」の理由
『NO NUKES voice』Vol.24 総力特集 原発・コロナ禍 日本の転機

全てはアベノファシズムのために 石破排除の果てに最悪人選を行う永田町の暗雲

自民党総裁選は両院議員総会での選出となり、事実上、菅義偉の選出が決まった。密室での総理誕生劇である。


◎[参考動画]“ポスト安倍”レース 菅氏 一気に本命に ライバルは


◎[参考動画]あっさりと“党員投票なし” 周到だった党執行部(2020年9月1日)

ふり返ってみれば、20年前に安倍晋三がここまで長期政権を担うと想像した人は少なかっただろう。いずれ総理総裁になるとは思われていたが、一次政権における「投げ出し」で底が見えたものだ。しかるに、周到な準備をへて安倍一強とまで言われる独裁体制を築いた。

何しろ、どんなスキャンダル(おもに政権の私物化)があっても、選挙に強い(ほかに居ない)ことで乗り切ってきた。政界名家の血筋であること、見てくれが他の政治家を圧倒していること、そして中身のない演説で人を酔わせる。これらが何か不可侵のものを作り出していた。無能にもかかわらずこの政治家に支配されたがる国民を生み出してきたのだ。

ファシズム体制が支配される国民の了解を要件としているのならば、ここ数年の日本はまぎれもなくその類型を体現してきたといえよう。その意味で、政権が生まれる過程である自民党総裁選に、われわれは注視しておく必要がある。いままた、安倍の意志が自民党総裁選を支配しつつあるからだ。


◎[参考動画]菅義偉 カジノ法案「国会での審議を見守っていく」(2016/12/07)


◎[参考動画]菅官房長官に竹中平蔵が問う!「政府の役割・民間の役割」~大阪万博・カジノIR・携帯料金見直し(2018年11月25日開催/グロービス経営大学院 東京校)

◆日本の男尊女卑を体現する 自民党の女性排除

今回の総裁選には、岸田文雄、石破茂、河野太郎、菅義偉、茂木敏充、野田聖子、西村康稔、下村博文、稲田朋美、小泉進次郎(以下、敬称略)の名が挙がっていた。

このうち、西村康稔、下村博文、稲田朋美の三氏は細田派(清和会)なので、立候補は無理だ。細田派は安倍晋三の出身母体であり、次期総裁は出さないと決めているからだ。

意欲満々の河野太郎も、麻生派が擁立するかどうかにかかっていたが、麻生が難色をしめして派閥の決定に従った。

小泉進次郎もまだ早い、経験不足との声が周辺に多く、早々に不出馬を宣言した。環境相として、かならずしも充分に任を果たしているとは言いがたい点も、本人がいちばん知っていた。

野田聖子の立候補表明は、これで3度目になるが、早くも1日に不出馬表明となった。女性候補が出るというだけでも、稲田朋美が言うとおり意味があるはずだった。残念ながら、野田が推薦者20名を集められる趨勢ではない。女性が指導的な責任ある位置にいない、あるいはその突出を妨げるのが、自民党の最大の問題点であろう。

とくに野田聖子は障がいのある子を高齢出産(卵子提供の胎外授精)し、困難な子育てを実践している人だ。障がい者福祉への視点、子育て社会福祉の視点からも、もっと責任のある立場での活躍が期待される。現在の夫である在日韓国人男性が、指定暴力団会津小鉄会昌山組の元組員であったことも、嫌韓社会の是正にはいいのではないかと思う。


◎[参考動画]「あなたに答える必要はありません」望月衣塑子(東京新聞記者)vs菅義偉内閣官房長官(2019年2月26日)

◆密室での総理誕生

岸田文雄、石破茂、菅義偉、茂木敏充の4人に絞り込まれたとみるべきだったが、9月1日の総務会の決定でまでに、立候補を公式に宣言したのは岸田と石破だけである。本命の菅義偉(多数の派閥が支援を内定)は、まだ出馬を宣言していない。

いや、安倍の後継をするのかというTV番組での質問に「まったく考えていません」を繰り返していたのだから、出馬宣言は「二枚舌」になると指摘しておきたい。すくなくとも、立候補にいたった経緯を詳細に説明するべきであろう。俺の好きなように勝手気ままにやる、昨日言ったことを明日はひっくり返す。というのでは、国民はついていけない。


◎[参考動画]“ポスト安倍”の誉れ高き? 菅さん 記者質問に何と(2019/04/08)


◎[参考動画]“令和おじさん”菅長官が思い「受け入れて頂いた」(2019/04/28)

最新の世論調査(共同通信8月31日)によれば、国民の総理にしたい政治家は以下のとおりだ。

石破茂   34.3%
菅義偉   14.3%
河野太郎  13.6%
小泉進次郎 10.1%
岸田文雄   7.5%

菅義偉は、わずか14.3%である。石破は34.3%、つまり3分の1以上だ。

したがって、民意は石破茂ということになる。民意に従わない自民党の密室政治という事実を、この先に起きる事態(政治危機)のときに思い起こしてみたいものだ。

石破はたしかに改憲派の軍備増強論者で、右派と見られがちな人だが、慎重な性格は信頼できる。まちがって、アメリカの戦争に巻き込まれるようなことはない。そして地方へのまなざし、弱者への視点という意味では安倍晋三とは好対照なのである。

その石破が総理になることを、安倍晋三は何よりも怖れているのだ。言うまでもなく、森友・加計疑惑の再調査、河井夫妻への一億円の検証など、旧悪が暴露されるのを怖れているのだ。


◎[参考動画]河井案里議員の豪華すぎる応援演説陣を学ぼう!【広島県】【自民党】(2019.7)


◎[参考動画]“鉄壁官房長官”に動揺?(2019/12/03)

◆地方3票を、郵送で事前選挙?

自民党の党則では、総裁選出が緊急を要するときは、両院総会で後任を選べる。この場合、有権者は党所属国会議員(394票)と都道府県連代表各3人(141票)で、100万人を超える一般党員は対象外となる。

総務会の決定では、党員投票を伴わない両院議員総会で実施する方針である。新型コロナウイルス渦、政治空白期間を短縮する必要があるいう理由だ。

これに対して、党内若手(百数十人が署名)からは広く党員も全員参加して選ぶべきだとの声が上がっていた。地方組織からの要望も、党大会での選出というものばかりだった。

ところが、総務会では地方委員会の「事前投票」(3票の行方を決める)が行なえるという答弁で、これら党大会開催の要求を退けたという。この事前投票は郵送なのだから、時間的には全党員の投票が可能なのではないか? けっきょく、二階俊博および安倍晋三の思惑(相互に院政と幹事長職留任)、そして麻生太郎がそれに乗るかたちで、全体を仕切ってしまったのだ。

そのもとに、各派閥が「岸田尚早論」「石破排除」で結束し、勝ち馬に乗ってポストを得る。安倍晋三の思惑どおり、菅義偉によるワンポイントリリーフが決まっていたと見るべきであろう。


◎[参考動画]菅長官「全国50カ所に」 世界レベルのホテル新設へ(2019/12/07)


◎[参考動画]追加費用の負担合意ない 菅氏、IOC見解を否定(2020/04/21)

◆最悪の人選となった

その菅義偉は2020年8月11日の本欄で明らかにしたとおり、苦労人にもかかわらず、いや、だからこその「努力しないやつは容赦しない」「粛々と」した冷淡さがぬぐいがたい。とりわけ、沖縄へのイジメに近い態度から、寛容さのない政治が危惧されるところだ。

本稿のテーマは、情勢の変化に即応してレポートします。


◎[参考動画]“ポスト安倍”総裁選には? 菅官房長官に聞く(2020/08/21)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

著述業・編集者。2000年代に『アウトロー・ジャパン』編集長を務める。ヤクザ関連の著書・編集本に『任侠事始め』、『小倉の極道 謀略裁判』、『獄楽記』(太田出版)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)、『誰も書かなかったヤクザのタブー』(タケナカシゲル筆名、鹿砦社ライブラリー)など。

安倍晋三までの62人を全網羅!! 総理大臣を知れば日本がわかる!!『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』
タケナカシゲル『誰も書かなかったヤクザのタブー』(鹿砦社ライブラリー007)

《9月のことば》すべって ころんで またおきる 鹿砦社代表 松岡利康

《9月のことば》すべって ころんで またおきる(鹿砦社カレンダー2020より/龍一郎・揮毫)

何度すべってころんだことだろうか──人生ですべってころばなかった人はいないでしょう。人はみなすべってころぶ、そしてまたおきる。私とてそうです。何度も何度もころび、そしてまたおきてころぶ。これを繰り返し今に至っています。

ありがたいことに多くの方々に支えられつつ、幸いなんとか生きています。このまま余生を淡々と過ごしたいと願いつつも、そうもいかないのも、また人生です。

ところで、この書を書いた龍一郎は、6月に急性大動脈解離で倒れ、しばし入院しました。それでも不屈の気概で退院、検査と療養に明け暮れながら来年のカレンダーの製作に取り組んでいます。頑張れ、龍一郎!

月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】 新型コロナ 安倍「無策」の理由
『NO NUKES voice』Vol.24 総力特集 原発・コロナ禍 日本の転機

弁護士にはコロナ対策の「入場前検温」をしない東京拘置所、その理由は……

先日、ある死刑被告人に面会取材するために東京拘置所を訪ねたところ、不可解な出来事があった。施設に入る際、待機していた職員に「弁護士か否か」を確認され、「違う」と答えたら、「新型コロナウイルス対策の検温に協力して欲しい」と求められたのだ。

このご時世、もちろん検温には応じたが、疑問が残った。刑事施設はどこも平時から、弁護士の面会については、手荷物検査を免除したり、面会時間を長くしたりと、様々な点で一般の面会と扱いが異なるが、それらはすべて被収容者の権利擁護のためだと理解できる。しかし、新型コロナウイルス対策の検温について、弁護士とその他の来訪者を区別する必要は何かあるだろうか?

その職員は、「上から、そうするように言われたんです……弁護士の方は、弁護士会で徹底するそうです」と説明したが、ますます意味がわからない。弁護士会が所属弁護士に対し、新型コロナウイルスに感染しないことや、感染した場合に拘置所や刑務所で感染を拡大させないことを徹底できるはずがないからだ。

実際、他地区の弁護士によると、東京拘置所以外の刑事施設では、弁護士もその他の来訪者同様、入場前に検温をされている例もあるという。

◆弁護士に対する検査は「入場後」に行っていた……

そこで、なぜ、弁護士には入場前の検温を要請しないのかについて、東京拘置所に正式に取材を申し入れた。すると、総務部の職員から電話で次のような回答があった。

「弁護士の方については、拘置所内にある弁護士専用の待合室に入ってから、サーモグラフィーカメラで検査させてもらっています。そのうえで必要があれば、検温もさせてもらっています。ただ、このような対策を始めてから、弁護士の方が検温で発熱が確認された例はありません。一般の方は、発熱が確認された方がこれまでに1人いて、入場をお断りしましたが」

入場前の検温が弁護士だけは免除されている東京拘置所

東京拘置所は元々、弁護士とそれ以外の来訪者では、面会の受付窓口も待合室も別々になっている。それゆえに検温をする場所も違うということのようだ。ただ、弁護士だけは検温をせず、拘置所の建物内に入れていることに変わりはなく、それが新型コロナウイルス対策として適切と言えるかは疑問だ。

では、もしも今後、弁護士が専用の待合室に入ってからの検査で発熱が確認されることがあったらどうするのか? その点も質問したところ、その総務部の職員の回答は歯切れが悪かった。

「実際にそうなってみないとわかりませんが……その場合、入場をお断りするというより、入場しないようにお願いすることになるかもしれません。あくまでお願いベースだと思います」

拘置所や刑務所は現在のコロナ禍において、クラスターの発生が最も恐れられている場所の1つだ。しかし一方で弁護士の面会については、下手に制限すれば、弁護士や被収容者から反発され、面倒な事態になりかねない。この総務部の職員の話しぶりからは、東京拘置所がそのあたりのバランスに苦慮している様子が窺えた。

実際問題、全国各地の刑事施設で職員や被収容者が新型コロナウイルスに感染したというニュースがぽつぽつと報じられている。他ならぬ東京拘置所でもすでに被収容者の感染例が確認されている。「弁護士も入場前に検温しておけばよかった」という事態にならないように願いたい。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第11話・筒井郷太編(画・塚原洋一/笠倉出版社)がネットショップで配信中。

月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】新型コロナ 安倍「無策」の理由
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

格闘群雄伝〈06〉佐藤正男 格闘技の神髄へ好奇心旺盛に挑んだキックボクサー

◆目指すは名門黒崎道場

佐藤正男(さとう・まさお/山形県酒田市出身/1963年3月12日生)は幼少期から格闘技に興味を示し、黒崎道場に入門後も人知れず探究心を持って格闘人生を歩んだ。

小柄だが強かったマーノーイ・サクナリンにKO勝利(1991.10.19)

小学1年生で中国拳法を習い、高校1年生で極真空手を始めた。20歳で大道塾総本部(宮城県仙台市)入門。しかし大道塾だけの修行ならば、同期らとの差は簡単には付かないだろうと考えた佐藤正男は大道塾と平行して、キックボクシング仙台青葉ジムにも入門し、通い始めた。

初めてのキックボクシングの練習は、アマチュアとは違うマンツーマンの指導と僅かなフォームの矯正も徹底していて、プロへの道を強く意識することとなった。仙台青葉ジムはヤンガー舟木など名選手が揃う大手ではあるが、東京で勝負したかった佐藤正男は、「やはり、ラジャダムナン王座に上りつめた藤原敏男が所属した黒崎道場しかない!」と考え、21歳となったばかりの1984年(昭和59年)3月末に上京。4月1日、新格闘術・黒崎道場入門。

そこはやはりプロの世界。「しばらく通い始めて、ミット打ちミット蹴りサンドバッグ打ちも、初級同然だった!」という。

そしてまた思い立ったらすぐ行動に出る佐藤正男。「やはりキックボクシングとしては、パンチに関しては幾ら頑張ってみても、黒崎先生には大変申し訳ないが、全盛のトーマス・ハーンズ、ロベルト・デュランの様なパンチの技術、連打やその強さを百分の一たりとも習得することなど無理だろう!」と自問自答。

不破龍雄にはヒジで切られて流血の惜敗(1992.4.25)

◆デビュー戦に向けた練習

そして、黒崎代表には内緒で帝拳ジムへも入門。そこでは当時トレーナーであった元・世界ジュニアライト級チャンピオン、小林弘氏の指導を受ける機会を得た。周りを見ればKOキング浜田剛史は居る、穂積秀一は居る、それに他のジムから続々と出稽古に来る日本・世界ランカーらとのスパーリング等を連日目の当たりにして、
「パンチの技術は拳法、空手、キックと比べれば雲泥の差。プロボクシングとはこんなにも凄いのか!」という率直な感想。

そして、黒崎道場入門から1年近く経った頃には格段に進歩。黒崎代表も、さすがに何百人と指導していた経験で、“進歩の過程が他の奴とはちょっと違うな”と気付いた様子で、「お前、格段と上手くなったな、何でだ?」と聞かれて、「先生の指導を基本にボクシングやキックのビデオ等を繰り返し見て、自分なりに研究しました!」と言うと、「ああそうか!」と納得させてしまった。

打撃だけで飽き足らない佐藤正男は、その頃まで喧嘩では一度も負けたことがなかったと言うが、体の大きな奴に組まれたりすると押される場合があって、組技の重要性を認識。そこで文京区春日の講道館に入門。

「乱取りでは、初段クラス程度ならば力でなんとかねじ伏せた事もあったものの、三段クラスになると全く歯が立たなかった。柔道ってこんなにも強いものだったのか!」という新たな経験値となった。 それまでにボクシングやキックをわずかでも習得した佐藤正男には、空手は空手、柔道は柔道、ボクシングはボクシング、それぞれの競技の対比は強い弱いではない、全く別個性を持った競技なのだと体験をもって感じていた。

その中で、黒崎道場で行なう筋トレなどをはるかに超える圧倒的なパワーの必要性をも痛感していた佐藤は、近くのウェイトトレーニングセンターにも通い始め、このパワーアップトレーニングは何年も継続し、講道館での柔道は黒帯を取得。

あらゆる技術をマスターした佐藤正男のキックボクシングプロデビュー戦は1986年(昭和61年)6月28日、堂々たる試合運びで2ラウンドKO勝利を飾った。

選手入場シーン、不破との戦いに挑む前のリング下(1993.4.17)

◆渡辺ジムへ移籍

黒崎道場は目黒ジムに対抗する業界トップクラスの名門だったが、藤原敏男が引退した1983年(昭和58年)春には実質閉鎖されたジムだった。しかし名門だけに入門希望者は絶えなかった。そこで黒崎氏は若者を受け入れる鍛錬の場は残されたが、佐藤正男の入門当時は、黒崎代表から「望むなら幾らでも試合に出してやる。」と言われたが、現実的には自主興行は無く、入門後4年間でたったの3試合のみ。

そんな時期、夜は黒崎道場に通い、夕方迄の時間や日曜・祝日は可能な限り、帝拳ジム、講道館、ウェイトトレーニング、あとは重労働の仕事(体力を使う職種で入社10人中10人辞める程の会社)という目まぐるしい生活。

更にはムエタイにも興味を示し、休暇が取れる程度の短期間ながらタイに渡り、当時、ディーゼルノイやチャムアペットなどスーパースター級が揃っていたハーパランジムで修行。日本のジムとは別世界の、行なうもの全てが斬新な練習で本場の強さを実感した。

20代前半、黒崎道場入門からの4~5年は試合は少なかったが、自身最も過酷なスケジュールで駆け抜けた時期だった。

ここでプロ生活の分岐点。経緯は省くが、実戦を積みたかった佐藤正男は黒崎健時代表に相談し、日本キックボクシング連盟の渡辺ジムに移籍することが決まり、黒崎健時氏と渡辺信久会長が対面することになった。

黒崎健時氏は「佐藤正男は藤原敏男と同じく21歳で私の所へ来た。何とか形を作ってやりたかったが、ジムそのものを閉鎖した後だったから、5年居たが何も残してやれなかった。その正男が君の所へ行きたいと申し出て来た。正式に移籍させたいので正男のこと、どうか宜しくお願いします!」と渡辺会長に頭を下げられたという。

あの“鬼の黒崎”が自身より若輩者に頭を下げるとは。渡辺会長も恐縮することしきり。目の当たりにした佐藤正男は黒崎代表に対し、黒崎道場出身として恥じないキックボクシング人生を送る誓いを告げるのだった。

そして渡辺信久会長にしても責任重大。

「佐藤、覚悟を決めて送り出されてここに来たなら、そのつもりでしっかりやれよ、こっちもそのつもりで教えてやる。多少勝ち続けたとしてもこの世界、戦積・キャリアがないとナメられるぞ!」と聞かされた。

この渡辺ジム移籍は1988年(昭和63年)5月20日。そんな試合に飢えている佐藤正男は、「交流する他団体興行を含め、可能ならばすべての興行に出場させて欲しい!」と嘆願すると、「それは面白い!」と渡辺会長はニンマリ。

◆エース格に君臨

移籍後、豪快に2連勝(2KO)した。移籍3戦目は同年12月16日、初の5回戦で、ベテランの日本キック連盟ライト級1位、元木浩二(伊原)と対戦。渡辺会長も伊原会長も、「この佐藤、キャリアこそ少ないが、あの黒崎道場に4年居て、渡辺ジム移籍後の2戦も圧倒的な勝利だった、元木浩二との対戦は面白いかも!」と思ったのかもしれない。

周囲は「佐藤は元木とやるのはまだ早い!」と言われていたが、1ラウンド後半、佐藤正男が速攻のパンチで3度のダウンを奪ってノックアウト勝利。移籍後、早くもトップクラスに立つ存在となった。

[写真左]一流戦士は体幹が強い、ルーラウィー・サラウィティーにローキックで攻められる(1992.10.10)/[写真右]ルーラウィーに蹴って出ても力及ばず(1992.10.10)
ツーショットでアクシデント(1992.10.10)

その後、ムエタイ戦士との対戦も増えていった。元・ムエタイ3階級制覇のケンカート・シッサーイトーン(タイ)と対戦するも判定負け。

結局移籍後は3年間で20戦程やり、諸々の経緯を経て1991年(平成3年)4月27日、日本キック連盟ライト級チャンピオン、酒井敏文(平戸)に挑戦。判定勝利し初のタイトル獲得。

日本キックボクシング連盟でエース格となった王座獲得後第1戦目では、シームアン・シンスワングン(元・ムエタイランカー)と対戦するが、ハイキック食らったノックダウンで判定負け。

1992年10月、元・タイ国BBTV(タイ7ch)フェザー級チャンピオン、 ルーラウィー・サラウィティーと対戦し、これも重い蹴りとバランス良い組み技に苦しめられ判定負け。本場ムエタイの強さと奥深さを改めて痛感させられる戦いが続いたが、「皆、体幹のバランス良く、当たり前のように強かった。俺が人生を懸けて挑んだムエタイはこんなにも凄いものか、目指した最高峰がとてつもない険しい山だったことに嬉しくさえなった!」と語る。

ラストファイトは1993年4月17日、前年にヒジ打ちで切られて敗れた不破龍雄(北心)にパワーで押し切る雪辱の判定勝利。1994年4月9日、豪勢な引退式を行なった。

不破龍雄と対峙する佐藤正男(1993.4.17)
[写真左]雪辱果たした佐藤正男、パワーで押し切った(1993.4.17)/[写真右]結果的に最後の勝利でのファイティングポーズとなった(1993.4.17)

8年の現役生活で約30戦、日本キックボクシング連盟は他団体から比べれば地味な興行が続く中ではあったが、佐藤正男はここまで人知れずも中身の濃い選手生活だった。

そして数々の格闘技を体験した経験値からトレーナーとしての実力も発揮。渡辺ジムから相原将人、小野瀬邦英ら後輩達のチャンピオン6名の誕生に貢献した。

2011年5月7日には、引退前から日本キックボクシング連盟を後援する会社との縁で知り合った女性と長いお付き合いの末、一般的には難しい靖国神社本殿で結婚式を挙げた。

そんな格闘技人生の中ではジム移籍の経緯、帝拳ジム、大道塾、講道館での存在感、靖国神社でのエピソードも話題が尽きない佐藤正男。また触れることがあれば第2弾を書き綴りたいものである。

引退式が行われた日は後輩の相原将人がフライ級チャンピオンとなった(1994.4.9)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

最新刊!月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】新型コロナ 安倍「無策」の理由
一水会代表 木村三浩 編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』
上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!

安倍総理辞任の真意 コロナ禍に対応できず、危機管理に苦しまぎれの退陣!

◆お坊ちゃま宰相は、やはりストレスに弱かった

予想された辞任劇だったが、まずはお疲れ様と申し上げておこう。そして、2期8年8か月におよぶ安倍政権というものが、国民と苦難をともにする指導者集団ではなく、危機において政権を投げ出す無責任な指導者に率いられた集団だったことに思いを致さずにはおれない。二度目の投げ出しである。

持病の潰瘍性大腸炎も、上部消化器系ほどではないが、ストレス性の発作疾患である。第1期においては、お友達内閣の辞任連鎖のはてに、参院選挙における敗北というストレスで政権を投げ出さざるをえなかった。今回は明らかに、コロナ防疫の失敗、その困難さゆえのストレスに負けたのだ。

世の中が好展開しているうちはいいが、いったん困難に向かうと、たちどころにストレスに負けてしまう。これでは政治家の価値はない。安倍晋三という人物は、まさに政治家の土性骨をもたない、お坊ちゃま政治家だったのである。

敗者を鞭打つのは憚られるところだが、何かしら仕事を成したと思っているようなら、その失政は指摘しておかなければならない。あるいはネトウヨ的に責任のない立場から安倍の失政を覆い隠し、何かしら偉業があったかのごとく褒めたたえる向きがあるなら、やはり世紀の失政を明確に批判しておくしかないであろう。


◎[参考動画]安倍首相が辞意表明 「職を辞することとした」 潰瘍性大腸炎が再発(毎日新聞)

◆何も成果がなかった7年8か月

なぜ、これほどまでの長期政権になったのかは、単に安倍が選挙に強いからにほかならない。

しかし、それは「よりましな政治家」「ほかにふさわしい人がいないから」「政治家として見栄えがする」に過ぎない。とにかく演説が無内容にもかかわらず、心地よくひびく、その意味では天才的なアジテーターだったからである。

その著書『美しい国へ』を読めば、その真骨頂はわかるというものだ。何も具体的な内容がないことを、よくここまでイメージで表現できるものだと。そして演説のレトリックにおいては、まさに天才的であった。何度、国会の答弁の場を演説会場にしてしまったことだろう。

政治はしかし、結果がすべてなのである。悪夢のような7年8カ月を検証しようではないか。

政権の最重要課題として、安倍総理は「憲法改正」「拉致問題」「北方領土問題」を掲げてきた。

このうち憲法改正は、辻本清美の「自衛隊が合憲か否かを、国民投票でやっていいんですか? かれらに国民が『違憲だ』とされてもいいんですか?」という、単純きわまりない質問で頓挫した。

そう、自民党の改憲草案および安倍私案は、自衛隊の合憲化にとって諸刃の剣なのである。小心者の安倍は、ついにルビコンを渡れなかった。

拉致問題はどうだろう。

安倍にとってこの問題は、政権獲得の原動力だったばかりではなく、やはり諸刃の剣だった。いったんは北朝鮮の対日大使をつうじて、二度にわたる調査団を派遣するも、結果が思わしくないとなると調査を凍結(ストックホルム合意を反故)してしまった。

拉致された日本人たちが「帰りたくない」と言ったのか、あるいは「全員死亡、未入国」(北朝鮮)が事実だったのか。家族会には何も伝えないまま、北朝鮮が一方的に「調査を中止した」と言いくるめてしまったのだ。調査団は自主的に帰国した。

「北朝鮮による拉致問題は、私の内閣で必ず解決いたします。拉致被害者を最後の1人まで取り戻し、全員が家族と抱き合える日まで、私は必ずやり遂げると国民の皆さまにお約束いします」というのは、嘘となったのである。

いま、家族会をはじめとする拉致問題支援者たちは、安倍の不実を批判しているという。総理の座を射止めた政治テーマにおいて、かれは総理の座を追われたのかもしれない。


◎[参考動画]横田滋さん死去うけ安倍総理「断腸の思い」(2020/06/05)

北方領土問題はどうか? 

この問題は2001年3月、森首相がプーチン大統領とイルクーツク声明を出した会談で、一定の結論は出ていたはずだ。2島(歯舞、色丹)を返し、残り2島(国後、択捉)を並行協議し、車の両輪でやっていくという路線である。安倍の路線も、これと同じだった。

いや、そもそも2島返還は1956年10月に日ソ両首脳が「平和条約締結後に歯舞群島、色丹島を日本に引き渡す」と発表した日ソ共同宣言で、事実上決まっていることなのだ。あとは具体的な作業に入れば事足りるはずだった。

にもかかわらず、プーチンの「領有と主権は別物」などという言葉の詐術に翻弄され、何も作業に着手できなかったのだ。この課題では、むしろ問題の解決は後退したといえよう。


◎[参考動画]「2島返還」軸に 日ロ首脳が交渉加速で一致(2018/11/15)


◎[参考動画]北方領土2島引き渡す場合も 主権は交渉の考え(2018/11/16)

経済政策はどうだったか? 財務省の抵抗を排しながら、リフレ政策に打って出たものの、せっかく刷ったお札を消費市場に開放できなかった。消費こそが経済であることを、ようやく場違いきわまりないGoToトラベルキャンペーンで実現しようとしてみたものの、ぎゃくにコロナ禍を再拡大してしまった。

円安によって大企業の貿易黒字は拡大した結果、一般国民には無関係な株価は上昇した。これが最大の成果かもしれない。

そのいっぽうで、消費税の二度にわたる増税が消費を冷やし、結果的に可処分所得の低下を招いて景気の逓減をもたらした。

小泉政権いらいの労働市場の流動化、すなわち派遣労働者の増加で雇用市場は好転(名目上の有効求人倍率)したが、実質的には貧困層の拡大をもたらし、景気の鈍化を招いたのである。ようするに、アベノミクスは失敗だったのだ。


◎[参考動画]「アベノミクスは破綻では」民主、安倍総理を追及(2014/10/01)

アジア外交は最悪であった。

日韓関係はあたかも戦争前夜かのごとく、半導体材料の輸出規制によって、かえって韓国の国産化を招いてしまった。まともな首脳会談は行われないままだ。北朝鮮との関係は言うまでもなく、対中関係もトランプ外交に振り回されたまま、まともな首脳会談は行われなかった。

日本とアジア諸国のあいだに横たわる歴史観はともかく、首脳同士の信頼関係の欠如(韓国外交筋)が原因であれば、安倍外交の破綻がもたらしたものと言わねばならない。


◎[参考動画]関係改善は? 日韓首脳会談終え総理会見ノーカット(2019/12/24)

国内の諸政策では、安倍の個人的な友人関係・利害関係を優先する汚職が甚だしかった。森友・加計・桜を見る会など、政治の私物化である。そして、官僚に対しても、党内に対しても権力の一極集中を極めることで、政治と行政が硬直化する事態をまねいた。官僚の中から自殺者も出した。


◎[参考動画]森友文書改ざん問題 野党が初めて総理を直接追求(2018/03/19)


◎[参考動画]加計学園で安倍晋三が大興奮3/13福島みずほ:参院・予算委員会(2017/03/13)

ほぼ全面的に、安倍政権の7年8か月は無駄だった。失政の連続であったと言うべきであろう。

かつて、佐藤栄作は密約ぶくみながら「沖縄返還」を実現した。田中角栄は列島改造という政策を、銭まみれの大規模プロジェクトの林立というかたちで実現し、曲がりなりにも経済成長に寄与した。中曽根康弘は国鉄民営化を、小泉純一郎は郵政民営化を、曲がりなりにもやってのけた。しかるに、安倍晋三においては当初の公約、約束した課題を何もなしえなかったのだ。


◎[参考動画]安倍総理 ゴルフ外交“珍プレー”(2019/05/20)

◆言葉に詰まった記者会見

予定されていた28日午後5時からの会見では、例によって記者クラブ幹事社からの質問につづき、個人(フリー)などからいくつか安倍の耳に痛い質問が飛んだ。

メディアとの関係で、記者クラブ優先の会見について、あるいは政治の私物化を批判されて目が宙をおよぐ。いつもは白髪をきちんと染めているのに、このかんはもはや、政権投げ出しの演出をしているかのような状態だった。

あまりにも長かった。国民とその生活に向き合わず、お友達に向き合う政治の私物化。まるで経済というものを知らず、沖縄の犠牲の上にある安全保障を、解釈改憲で危険極まりないものにしてしまった。そして当初の政策は、ついに果たされないままだった。さようなら、安倍晋三さん。


◎[参考動画]安倍晋三総理大臣のプレゼンテーション IOC総会(2013/09/08)


◎[参考動画]Tokyo 2020(2016/08/22)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】 新型コロナ 安倍「無策」の理由
『NO NUKES voice』Vol.24 総力特集 原発・コロナ禍 日本の転機

「麒麟がくる」の史実を読む〈1〉 人物像および本能寺の変に難点あり!

新型コロナウイルスの影響で、撮影が行なえなかったNHK大河「麒麟がくる」の放送が再開される。人気の戦国大河だけに、歴史もの好きの視聴者は大歓迎であろう。ここ十数年、神がかり的な人気をほこる織田信長に謀反した明智光秀を主人公にしたところに、NHKの野心的な試みが評価できる。

◆歴史愛好家をガッカリさせるNHKのダメキャスティング

NHK大河ドラマ・ガイド『麒麟がくる 前編(1)』

だが、キャスティングには難がある。長谷川博己はキャリアも演技力も十分な俳優だが、演技巧者であるがゆえにこそ、主役級の華はないと言わざるをえない。彼は名わき役なのである。前半の斎藤道三役の本木雅弘の熱技に、まるっきり呑まれてしまったのが、その明白な証左と言えよう。

それにしても、このところNHKのキャスティングは、一年間の大河というごまかしの効かない主役ゆえに、ミスキャストが多いのだとわたしは思う。どうしても頭脳明晰で正義漢にあふれる、という主役の類型に合わせてしまうのだ。そこに無理がある。

たとえば「真田丸」真田信繁(幸村)役の堺雅人と真田信之役(幸村の兄)の大泉洋は、史実とはまったく逆の人物設定だった。

真田幸村といえば、当時の一次史料を知らない人でも、池波正太郎の「真田太平記」や一連の上州ものを読んだことがあればわかるとおり、寡黙で朴訥な人物である。小柄ながらなぜか強い武勇はともかく、高野山(流罪)で焼酎を国元に無心するような、寡黙な酒飲みのイメージである。それゆえにこそ大坂入城後、すぐに大野治長ら秀頼側近に主導権を握られてしまうのだ。

いっぽうの兄・真田信之こそが頭脳明晰な政治家で、それゆえに大坂の陣後も真田の名跡を後世に伝え得たのである。頭脳の兄・信之、勇猛の弟・幸村というのが歴史愛好者の常識なのだ。その意味でNHK「真田丸」は人物設定が180度ちがっていた。これでは歴史好きは白ける。

今回の明智光秀は、長谷川博己の生真面目きわまりない雰囲気とあいまって、将軍家復興という政治工作者たるイメージや謀反という悪意を感じさせない。まるでウラのない善人で、正義漢なのである。

これでは本能寺の変が、たとえば信長をよほどの悪逆な主君にしないかぎり、うまく描けないのではないだろうか。染谷将太の信長は神がかり的ではないだけに、いまのままでは単なる無能な殿というイメージになってしまう。無能な信長像というのは、NHK大河のみならず初めてではないか。

そもそも「麒麟(平和のシンボル?)がくる」ためには、悪逆の王(信長)を滅ぼさなければならない。という設定自体、当の光秀が秀吉に滅ぼされてしまうのだから、どだい無理があるというものだ。明智光秀は天海僧正だった説でも採らないかぎり、「戦乱のない世を」というテーマがけっして果たされないのは自明である。

長谷川博己の光秀はすこぶる有能、かつ計算高い雰囲気だが、それでは光秀の三日天下(じっさいには11日)の政治的無能ぶりを説明できない。したがって、本能寺の変そのものが、徳川家康および羽柴秀吉の謀略でないかぎり、みじめな着地になりそうな気がするのだ。

◆黒幕説を愉しもう

そこで視聴者の愉しみは、本能寺の変の「動機」および「黒幕説」ということになるわけである。

巷間、ワイド番組(歴史特集)の話題になっている「本能寺の動機説」は、どうでもいいだろう。本当の「動機」など、光秀がそれと書き残していない以上、だれにも確定することはできない。

唯一、細川藤孝に送った書状のなかに「この度の思い立ちは、他念はありません。五十日か百日の内には近国も平定できると思いますので、 娘婿の忠興等を取りたてて自分は引退して、十五郎(光秀の長男)・与一郎(細川忠興)等に譲る予定です」とある。これが文献史学における「光秀の動機」ということになる。

じっさい、細川氏を味方に誘うための書状ながら「動機」は「他念はありません」「自分は引退します」としているのだ。これが偽らざる心境だったのであろう。
たとえば信長への「怨恨説」(人質の母親を殺させた説・足蹴にされた説・領地召し上げ説)は、いずれもその史実ではない(一次史料にない、江戸時代の軍記書の記述)だからだ。

うざい上司に下剋上を突きつけるのが怨恨であるとするならば、それはいいのではないか。サラリーマンに限らず、誰もが感じているフラストレーションなのだから。

「野望説」もまた、どうでもいいかもしれない。主君を裏切る動機に、怨恨(うざい上司)野望(上司にとって代わる)はある意味で当然のことである。

直接の動機として、歴史学界のコンセンサスを得られているのは、信長の四国政策の変更である。重臣の斎藤利三が四国の長曾我部氏と結んでいた関係(縁戚)で、四国担当から外された光秀は公私ともに面目をうしなった。これがきっかけで、信長への謀反の決意をかためたのは想像に難くない。

それにしても主君を裏切るか、という問題だが、戦国時代にはけっして珍しい話ではない。ましてや、信長においては。

◆裏切られる信長

じつは信長に謀反した人物はといえば、ひとり光秀だけではない。じっさいに信長を裏切った男女は10人を下らないからだ。名前を列記しておこう。

織田勘十郎信行(信長の弟)
柴田勝家(信行の謀反に加担するが、許される)
林秀貞(同上。許されるも、のちに追放処分)
浅井長政(信長の義弟。朝倉氏と結んで反旗をひるがえす)
十五代将軍、足利義昭(信長追討の挙兵)
別所長治(三木城に籠城)
松永久秀(二度にわたり謀反)
荒木村重(本願寺に内応)
織田つや(信長の叔母。敵将の遠山景任と結婚)
樋口直房夫妻(木目峠の砦から逃亡し、秀吉に討ち取られる)

どうです。部下に裏切られまくりのバカ殿(あるいは嫌な上司)信長の実像が浮かび上がってくるではありませんか。

これほど大量の謀反人を出した戦国武将を、わたしは管見のかぎり信長以外に知らない。上杉謙信や武田信玄も家臣から謀反人(大熊朝秀、勝沼信元)を出しているが、自主的なものではなく相手方に調略されたものである(大熊は信玄に、勝沼は謙信および秩父藤田一門に)。

しかも松永久秀や荒木村重の謀反にさいして、信長は「いかなる理由か?」とその謀反の原因を理解できていないのだ。安国寺恵瓊が「高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候(いずれは、高転びに滅ぶであろう)」と指摘していたとおり、家臣の気持ちがわからない人だったのだ。

したがって光秀に「怨恨」や「野望」は、大いにあったであろう。それはほかでもない、「怨恨」を突き払うように合戦にいどみ、おのれの「野望」を実現するものが戦国武将だからだ。

だが、黒幕説となると問題はちがってくる。そこには本人の「感情(怨恨や野望)」だけではない、第三者の具体的な関与と行動がなければならないからだ。そこで多数ある「黒幕説」を簡単に検証してみよう。(つづく)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】 新型コロナ 安倍「無策」の理由