自分が何を知っていて何を知らないか、それを知っているのがインテリジェンスだ、とはよく言われることだ。だから知識も分業化され、様々な専門家に分担されることになる。
筆者のようなライターは、得意分野もあるが、浅く広く様々な領域のことを知っていることが求められる。必要に応じてそれを掘り下げる訳だが、その場合にも、自分が何を知っていて何を知らないか、を分かっていることは大事だ。

このところ、ヘンな専門家、に出会うことがあった。
小説の原稿を見てほしい、と持ってきた看護師がいた。50代の女性。ベテランだ。
テーマは臓器移植。妻を事故で亡くした男性が、親や子どもたちと長い時間をかけて話し合い、自分がもし事故に遭ったら、移植のために自分の臓器を提供する、という決意を皆に納得させる。
そしてある日、男性は交通事故に遭い、病院に運び込まれる。看護師だけあって、その辺りの描写はリアルだ。
臓器提供の意思表示をするドナーカードが確認され、翌日、家族たちが見守る中、臓器摘出手術が行われる。提供を受けた患者の体内で、その心臓が脈打ち始めた、という知らせを受けて、家族たちは喜ぶ、というところで話は終わる。

「事故の翌日に臓器摘出って早すぎない?」と訊くと、「調べたんですけど、2日後という例があるんです」と言う。
「2日後というのは最短の例でしょう。もっと長いのが普通じゃないですか?」というと、彼女はポカンとした顔をした。根本的なことを彼女は分かっていないのだな、と思う。時間をかけると、臓器が死んでしまう、と思っているのだ。

医学の発達により、人工呼吸器を付けチューブで栄養を送り続ければ、脳が死んでも心臓は動き他の臓器も生き続ける。そこで浮上してきたのが、脳死の問題だ。臓器移植を行うには、脳死しているということを確実に見極めなければならない。100時間かけて脳死だと判定できずに臓器摘出を断念したという例もあれば、1カ月後に行ったという例もある。交通事故などの場合、脳以外にも身体にダメージを受けており、医師は、脳死判定と臓器摘出を急ぎたがるという傾向はある。それにしても、事故の翌日に臓器摘出は早すぎる。

いくらベテランの看護師でも、臓器移植の現場に立ち会うという機会はそうそうあるものではない。彼女も実体験はないのだろう。しかし、門外漢の筆者のほうが知っているのだから、もっとよく調べてから書いてほしいものだ。

(FY)