東京大学のすぐ近くに本郷館という建物があった。日本最古の木造三階建てとして知られたその建物は、かつて下宿として活躍し、その最後まで学者や物書きに愛され続けた名建築だ。風呂なしキッチンなしトイレ共同。わずか3畳のスペースに、オットマン付きのイームズ・ラウンジチェアとB&Oの大型スピーカーを置いて生活していた摩訶不思議な友人を訪ねたことを思い出す。2011年に本郷館が取り壊された時、非常な喪失感とともに私は涙を流した。

二度とこの気持ちを味わうことはしたくない。いつか取り壊されてしまうその前に写真に収めれば、己の精神衛生管理に役立つはずだ。そんな思いでちまちまと古建築を撮影しているのだが、ここではその“古建築アーカイブ”活動の一部を紹介する。第1回は『JR原宿駅木造駅舎』としよう。

◆関東大震災の翌年1924年に竣工

原宿駅が日本鉄道の駅として開業したのは1906年(明治39年)。当時の駅舎は現在のものよりも代々木駅寄りに建てられており、貨物列車の営業も行っていたという。1920年(大正9年)の明治神宮完成、1923年(大正12年)の関東大震災を経て、1924年(大正13年)に改めて建設されたのが現在の駅舎だ。東京都内に現存する木造駅舎としては最も古いものであり、その特徴的な外観は初めて訪れた者の注目を集めること必至である。

ファサード(建物の正面)を含む外壁に用いられているのは、“ハーフティンバー様式”という建築技法で、壁(白色であることが多い)から覗く材木のラインが特徴的だ。イギリスやドイツ、フランスの木造建築に見られる様式だが、特に15世紀から17世紀に建てられたイギリスの住宅に用いられていることが多い。このハーフティンバー様式と、屋根に載った尖塔や時計の装飾とが相まって、原宿駅木造駅舎は“ヨーロッパの田舎町”風の趣を醸している。小ぶりで可愛らしいデザインの建物がものすごい数の乗降者を迎え送り出しているその姿を眺めていると、健気で微笑ましい感じがして面白い。設計したのは鉄道省公務局建築課の長谷川馨。同氏の作品である2代目横浜駅舎にも原宿駅同様の尖塔が付いていたというが、残念ながら取り壊されている(現在の横浜駅は3代目)。

◆この駅舎は残してほしい

2017年6月8日、東京オリンピックが開催される2020年までに原宿駅を改良し、新駅舎を建設するという計画が発表された。降者数に比し原宿駅舎は小さすぎるのだろう。他にも事情があるのかもしれない。しかし改良が進められるにしても取り壊しは避け、なんとか現在の駅舎を残してほしいというのが筆者の願いだ。連続したデザインで新駅舎と接続し、駅としての機能を新駅舎に移すということでも構わない。建築を含む都市の景観はそこに暮らす人々の感性に直接影響するものなのだから、都市計画に従事する人間や建築家はそのことをよく理解し、より真剣に扱ってほしいと思う。

 

 

[撮影・文]大宮浩平

▼大宮 浩平(おおみや・こうへい)
写真家 / ライター / 1986年 東京に生まれる。2002年より撮影を開始。 2016年 新宿眼科画廊にて個展を開催。主な使用機材は Canon EOS 5D markⅡ、RICOH GR、Nikon F2。
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