昨年もキックボクシング界の出来事は細かく見れば沢山ありました。しかし世間一般の方々に心響かせるニュースは、毎年のことながら少なかったと言えるでしょう。

そんな一年間、キックボクシング業界関係者、ファンの中では比較的インパクトあった話題をここだけの独断と偏見で纏めてみました。

◆重森陽太、本場ラジャダムナン王座初挑戦も奪取成らず

今年2月19日に、ラジャダムナンスタジアム・ライト級王座挑戦した重森陽太(伊原稲城=当時)、チャンピオンのジョーム・パランチャイに判定負けで王座奪取成らず。ポイントは僅差であっても、相手に優る駆引きの差は大きいムエタイの壁でした。

その翌月、新日本キックボクシング協会から伊原稲城ジムの脱退があり、重森陽太は脱退した稲城ジムからの離脱で、個人でもフリーとなりました。その後は主に「KNOCK OUT」に出場しており、今後の彼自身のビッグイベントに注目されます。

殿堂ムエタイ王座奪取成らなかった重森陽太(2023.2.19)

◆吉成名高はラジャダムナン王座二階級制覇と現地で初防衛

 

7月に殿堂王座二階級制覇した吉成名高(2023.11.26)

吉成名高が11月26日に1年ぶり2度目のジャパンキックボクシング協会KICK Insist出場。1年前と比べ、新たな実績が上積みされていました。

2018年12月9日のラジャダムナンスタジアム・ミニフライ級に続き、2019年4月14日にルンピニースタジアム同級王座をも奪取には、二大スタジアム同時制覇は初と言われた当時の快挙の後、昨年は7月9日にラジャダムナンスタジアム・フライ級王座奪取し、殿堂王座の二階級制覇は外国人として初快挙。

8月12日には本場スタジアムでKO初防衛と更なる快挙を達成。2001年1月8日生まれの吉成名高の今後は三階級制覇や日本でのムエタイの浸透、メジャー化を目指しています。その表れが今年の防衛戦や井上尚弥並みの複数階級への挑戦でしょう(“名高エイワスポーツジム”がリングネームですが、世間一般に伝わり易いように、ここでは本名にしてあります)。

◆武田幸三の新天地

昨年1月29日はジャパンキックボクシング協会の興行で、いつもの武田幸三氏の気合いが入るYashioジム主催の「CHALLENGER」興行でしたが、5月14日に予定されていた「CHALLENGER」興行は中止となっていました。

しかし、9月10日にはNJKFアマチュア部門の「EXPLOSION.38」に於いて、武田幸三氏が登場。ベストファイトに送られる「武田幸三賞」が復活していました。すでに察する情報はありましたが、10月に入って武田幸三氏はニュージャパンキックボクシング連盟にTAKEDAジムとして移籍加盟。その存在感は健在。

11月12日のニュージャパンキックボクシング連盟興行「NJKF 2023.5th」は「CHALLENGER」興行復活となって武田幸三氏にNJKFが乗っ取られたような興行の変わりようでした。2024年は2月11日から「本気でトップ狙って本気でトップの団体にしようと思っています。」と語った武田幸三氏主催の興行が続きます。

新天地で活動開始した武田幸三氏(2023.11.12)

◆“新団体”全日本キックボクシング協会誕生

2月19日の重森陽太が挑戦したラジャダムナン王座の興行後、伊原稲城ジムが脱退したことはすでに述べたとおりですが、「新団体を立ち上げる!」と言っていた栗芝貴会長。当初はフリーのプロモーターとしての活動かと思いましたが、実際に団体として8月に全日本キックボクシング協会を設立されました。

12月17日には稲城ジムでアマチュア大会を開催。すでに稲城、SQUARE-UP、JTクラブ、バンゲリングベイ、ウィラサクレック、MONKEY-MAGICといった知名度有るジムを含めた20軒のジム加盟が発表されていて、3月16日(日)には後楽園ホールで設立記念興行が開催されます。

この団体名は昭和40年代の創生期に、老舗の日本キックボクシング協会(TBS系)に対抗する形で存在した全日本キックボクシング協会(日本テレビ系、東京12チャンネル系)や、1987年(昭和62年)に復興する形で始まった全日本キックボクシング連盟とも直接的な関係は無い新団体となります。この名称、使えるのかなと思いましたが、引き継いだ人物がいないことや商標登録されていなければ問題無いと考えられます。

比較的歴史の浅いジムが多いことから新時代の展開が見られると考えられますが、どんな歴史を作り上げるか、設立興行から今後の運命が掛かるでしょう。

新生全日本キックボクシング協会発動

◆老舗を継承する新日本キックボクシング協会の今後

 

江幡塁が復活宣言(2023.10.15)

2019年の分裂とコロナ禍明けに稲城ジムが脱退し、5月に日本ライト級チャンピオン、髙橋亨汰(伊原)がジムと協会脱退。勝次(藤本)は先に発表済ながら10月15日の試合を最後に脱退しTEPPENジムに移籍。メインイベンタークラスが次々脱退が続く中、フリーとなった重森陽太が7月に新日本キックボクシング協会のリングで御挨拶に立ちました。

「今後の進路を迷っていた時に、伊原会長から『お前はキックボクシングを続けなさい。今迄頑張って来たのだから、お前の好きなようにやりなさい。』と激励の言葉を頂き、背中を押されました。」と語っていましたが、伊原信一代表の“去る者は追わず”、激励の言葉を掛けて送り出す姿には粋な計らいの印象が浮かびます。髙橋亨汰や勝次、栗芝貴氏にも同じ計らいだったと言えるでしょう。

ただ、これで新日本キックボクシング協会が、散々噂された崩壊へ繋がるとは思えません。立て直しへの兆しが10月15日興行で復活宣言した江幡塁の存在で、「僕は今後、新日本キックボクシング協会代表のもとで、選手育成を行なっていきたいと思っています。」

「新日本キックボクシング協会から世界を獲れるような強さ、そして自覚を持った選手を輩出していけるように力を尽くしていきます!」という言葉から読めて来るものが今年の興行に表れて来るでしょう。

◆東京町田金子ジム閉鎖とこの年引退した選手

前身は1972年(昭和47年)に創設された萩原ジムで、後にジムを引き継いだ金子修会長でしたが、その後は1987年の全日本キック復興の頃からチャンピオンが育ち、存在感も増していったかと思います。一昨年の千葉ジム閉鎖に続く、歴史あるジムの閉鎖は時代の流れ、世代交代を強く感じます。

東京町田金子ジムが閉鎖、金子修会長に花束贈呈(2023.4.16)

更にこの年、引退テンカウントゴングを聴いたのは2月11日の「NO KICK NO LIFE」興行で森井洋介、喜入衆、緑川創、4月15日のNKBでの笹谷淳、10月8日のジャパンキックボクシング協会での内田雅之がいました(確認出来る範囲まで)。

皆、長らくの現役に完全燃焼した姿。緑川創は目黒イズムを継承するかのように、その時戦える最強の相手、海人と対戦。完膚なきまで打たれ続け散った緑川創でした。内田雅之も体調の影響でラストファイトは王座決定戦での睦雅戦となりましたが、ボロボロになるまで5回戦を戦い抜いての完全燃焼でした。

完膚なきまで倒された緑川創に内山高志氏より労いの花束贈呈(2023.2.11)

森井洋介の引退テンカウントゴング、身体の故障でセレモニーのみだったが完全燃焼の現役生活だった(2023.2.11)

◆プロに繋がるアマチュアの存在感

アマチュアではWBCムエタイジュニアリーグ全国大会の存在も将来に繋がり、世界大会は2年に一度の開催として第2回が今年2月2日~5日、タイ・バンコクのルンピニースタジアムでの開催予定で、これがプロに繋がるステップとして注目が集まるでしょう。まずは2月の世界大会に注目です。

WBCムエタイジュニアリーグ全国大会から世界大会へ舞台は整った(2023.11.5)

◆ガルーダ・テツ東京進出のその後

テツジムが目標だった6人目チャンピオン誕生には繋がっていませんが、NKBでのタイトルマッチが停滞している中では無理があったでしょう。12月16日に棚橋賢二郎を破ったばかりの勇志は今年、フェザー級王座争奪トーナメントに出場予定でチャンピオン有力候補。一昨年から続く、日本列島テツジム計画は着々と進行中でしょう。

思い付くままの回顧録でしたが、今年も幾つも新たな展開が見られるでしょう。それが世間一般の人に少しでもインパクトを与えるなら、吉成名高が目指す日本でのムエタイメジャー化、武田幸三氏の言う「自己主張がしっかり出来る人間、目標が明確な人間、本気でキックボクシングに命を懸けている人間が勝ち残るリングへ」という意識向上へ、キックボクサーを大舞台に立たせる計画へ繋がることでしょう。

また今年の一年を振り返った際、業界の前進・飛躍が見られることに期待致します。

日本列島テツジム計画中のガルーダ・テツ会長とデビュー戦を終えた期待の新星・中山航輔(2023.12.16)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」