「あいつが無罪になったら、被害者の遺族は納得できないんじゃないでしょうか?」
冤罪の疑いを抱いて最近取材を始めた殺人事件の裁判を傍聴後、男性被告人の家族や友人と一緒に弁護士の説明を聞いていた時のこと。被告人の無実を信じる友人の男性が、心配そうに弁護士にそう聞いていた。
「そういうことを考える責任があるのは、我々ではなく検察官でしょうね」
弁護士はそう説明していたが、まったく正論だろう。この男性に限らず、「犯罪被害者やその遺族をいかに救済するか」という問題と、「被告人は白か黒か」という問題を混同して考える人は世間に少なくない。しかし言うまでもなく、この2つの問題はあくまで別問題である。
世間の注目を集めた橋下大阪市長と週刊朝日のバトルは、橋下市長の完勝に終わった。このバトル自体については、筆者はここでとくに述べたいことはないのだが、差別云々が論点になったこのバトルを伝えるニュースに触れ、自分がやっておかねばならなかったことを1つ思い出した。それは、先日取材した裁判員裁判の法廷で浮上した現役検察官の民族差別発言疑惑を少しでも世の中に広めることである。
パソコンの遠隔捜査による犯行予告事件をめぐり、警察庁の片桐裕長官が全国各地で誤認逮捕された4人の人たちへの謝罪を検討していると述べたのは今月18日のことだった。すると実際、その翌日以降、今回誤認逮捕を引き起こした三重県警、神奈川県警、警視庁、大阪府警が誤認逮捕被害者たちに相次いで謝罪していった。
8月にフィンランドに行ったのは、エアギター世界選手権のファイナルステージを見るためだった。
ゆったりとしたバイオリンの調べに、チェロとビオラが重なる。ドラムがリズムを刻み始めると、ピアノ、エレキベース、エレキギターがサウンドを重ねていく。