仮処分に対する滋賀医大病院の異議申し立て却下される! 仮処分の判断を大津地裁の裁判官6名が岡本医師の主張を全面支持! 同時に本訴6回目の弁論行われる

8月22日15時30分から大津地裁で、滋賀医大附属病院泌尿器科の河内明宏、成田充弘 両医師が23名の患者さんに施術の実績がないことを伝えずに手術を行おうとした「説明義務違反」の損害賠償を求める裁判の6回目の弁論が開かれた。また前日21日大津地裁から、原告弁護団に「22日に債務者(滋賀医大)が申し立てた『異議』についての審尋結果を報告する」との連絡がはいり、急遽22日の午前中に債権者(岡本圭生医師)の弁護団が大津地裁に結果を受け取りに行ったところ、債務者(滋賀医大)の主張はすべて退けられ、5月20日に下された「決定」が引き続き維持された。

この裁判報告も6回目の期日を迎え、毎回似たような記事構成になり、読者の皆さんにも退屈される恐れがあるので、今回は同日のイベントを時系列とは逆にご報告する。

16時から弁護士会館で記者会見が行われた。

期日の説明を行う井戸弁護団長

井戸弁護団長がこの日法廷でのやり取りと、仮処分に関する説明を行った。

「午前中に保全異議についての決定が出ましたので、これについてご報告いたします。記者の方のお手元には決定の写しがあると思います。主文だけ見るとちょっとややこしい。いったいどうなっているのか、と印象を受けられたかもしれません。主文の1に書いてあることは、『7月1日から7月17日までの取り消しを求める部分を却下する』。(大学が)異議の申し立てをしたのが7月18日だったので、17日までの妨害禁止、もう過ぎたことについては、『異議の申し立てができません』そういう話です。そして第2項の7月18日から11月26日までの妨害禁止を命ずる部分を認可する』これは5月20日の大津地裁決定が、相当であるからそれを認める。滋賀医大側の異議の申し立ては認めない。そういう内容の決定です。
 理由については基本的に5月20日の決定と同じ考えに立っています。(この審尋を)構成した裁判官は仮処分決定のときと違います。いずれも大津地裁民事部の裁判官ですが、合議体は違う裁判官が構成しています。したがって大津地裁の6人の裁判官が、この仮処分を認めたと受け取って頂いてよいと思います。
 異議段階で新たに出た滋賀医大の主張に対しては、判断を示しています。1つは『岡本医師の被保全権利が特定されていない』。妨害禁止と言われても、滋賀医大としていったい何をしていいのか。何をしてはいけないのかということがわからないから、裁判所が『どこまで許されて、どこから許されないかわからないような明確ではない決定をすべきではない』という趣旨の主張です。これについては『6月まで岡本医師がしていたことを、同じ体制でやれ』と言っているだけで、特定されていないということはない。特定されている。問題ないんだという判断です。医療ユニットの内実は何なのかですか、となるわけです。
 1つは理屈の問題です。それから保全の必要性について、『7月1日以降、小線源治療はできないにしても、いままでの治療実績をまとめたり、研究活動はできるわけであって、6月間治療ができないにしても、岡本医師の教育研究活動をする権利を、制限するものではない』というのが滋賀医大の主張でしたが、小線源講座の特任教授として、どういう治療・研究活動をするのかは、岡本医師の広範な裁量に委ねられているのであり、6カ月治療をさせないでもよい、という理由は成り立たない、と明確に述べています。
 岡本医師側の主張を全面的に認めた決定である、とご理解いただいていいと思います。これに対して滋賀医大側がどうしてくるかですが、保全抗告の申し立てをしてくるか、これで断念して受け入れるか、どちらかです。しかし、大津地裁の6人の裁判官が同じ判断をしたということ。しかも5月20日付けの決定を踏まえた主張も、ことごとく退けられているわけですから、滋賀医大としてはこれを受け入れ、保全抗告をしないで今後11月26日まで、期限は切られていますが、小線源治療の実施に協力すべきであると思います。
 現在毎月の第一火曜日の小線源治療の治療枠については、岡本医師にさせないという態度をとっていますが、それも撤回して11月26日までは全面的に岡本医師の小線源治療に協力する。そういう姿勢を取るべきだと改めて強調したいと思います。
 それから本日の訴訟口頭弁論の結果を御報告いたします。準備書面は今回被告側から準備書面6が出てきました。あまり大した内容はないのですが、前回被告が使っていた「責任教授」という概念、小線源講座における責任教授が河内医師である。岡本医師は特任教授であり河内医師が責任教授であると主張していたので、『責任教授とは、なにに基づく概念なのか』とこちらが説明を求めました。それに対して『規則上定められた概念ではない。診療科や講座について、運営の責任を負う教授を指す事実上の表現である』と、なんら根拠のある概念ではないと説明をしてきました。
 そして被告側から証人尋問、本人尋問の申請がありました。従前原告側からは原告4名の本人尋問、岡本医師の証人尋問、それから塩田学長と松末病院長の証人尋問の申請をしておりました。今回被告側は被告河内・成田医師の本人尋問の申請、証人としては塩田学長、松末病院長、それから放射線科の河野医師、トミオカ氏(事務職員)、オカダユウサク(以前泌尿器科の教授)の申請をしてきました。裁判所はトミオカ、オカダ証人については必要がないと却下されました。その結果尋問をするのは、原告4人と被告の河内・成田医師、補助参加人である岡本医師。それ以外に河野、塩田、松末。10人の尋問をすることになりました。
 次回期日は10月8日11時30分に決まりましたが、次々回と次々々回が尋問の期日で、きょう証人の予定者の都合がわからないということで、正式には決まりませんでした。11月、12月、一番遅くても1月14日までに2期日取って、10人の尋問をすることが決まりました。ずいぶん先になるなと印象を受けられた方もおられるかもしれませんが、裁判所の実情からすれば、かなり熱心に前向きに、早く尋問をしようと臨まれたと思います。西岡裁判長は来年3月に転勤が決まっているそうですが3月までに判決を書くと法廷に名言されました。この事件に積極的に臨まれていると評価していいのではないか、と思います」

次いで岡本医師が見解を述べた。

厳しい表情で滋賀医大の不正を弾劾する岡本医師

「私が本学に抱いている基本的な不信感は、なにを目的に異議申し立てをおこなったかです。裁判所の時間を使い、エネルギーを使ってなにを求めているのか全く理解できません。お手元の資料にありますが6月25日に『本院における泌尿器科の小線源手術を7月から開始します』と書いてあります。ところが(泌尿器科による小線源手術は)行われていないのです。非常に由々しき問題です。
 このコメントの中には、私が治療継続していることも、一切触れられていない。つまり泌尿器科が7月から小線源治療を行うことは、1年半前からずっと言ってきたことです。仮処分に関係なくやろうとしていたのですが、実際患者さんは一人もいない。何人かそこにトラップされた患者さんたちは、私のところへ逃げてきています。話を聞くと私が並行して手術をしていることを全く説明されていない。国立病院がやれもしない、患者さんのいない計画を、いまでも世間に向けてはやっていることになっているわけです。
 もう一つは、もし我々が仮処分を打たなければ、何が起こっていたか。7月も8月も9月も患者がいないわけですから、小線源治療手術室、スタッフなにも使われないわけです。ただ手術室を空室にして、病院としての役割を果たさずに、ここにおられる仮処分後に治療を受けられた方々に、治療をさせない。これが病院にとって合理的である、管理の権利であるなどと主張していますが、言語道断です。
 このようなことを認めていたら国立病院は成り立たない。泌尿器科に患者がいて、私の治療とバッティングして手術ができない、そういう主張であれば理解できますが、実際に患者はいない。この状況で1週目の治療枠を(泌尿器科が)とって、9月に至っても手術室を使わずに患者さんの治療機会を流す(失わせる)。このようなことを院長がやっていること自体を社会は許してはいけないと思います。まったく合理性がないどころか、反社会的行為としか言いようがない。
 それから私に対するバッシングをいろいろな形でやっています。資料にある6月11日、前回の口頭弁論の期日です。この日に病院長名で『前立腺がんについて』がホームページに掲載されました。これを見ると国立がんセンターのロゴが出てきます(※この部分説明が詳細に及ぶので割愛。なお、本問題については6月28日付、黒藪哲也氏の報告を参照されたい)。「岡本の治療に来なくても他へ行ってもいい」といいたいのかもしれませんが、このような情報操作のようなものを、平気で書き出してきて病院のHPにわざわざ書く。なにを狙っているかと言えば、明らかに岡本メソッドの誹謗中傷だと思います。問題は、このような情報は患者さんの判断を混乱させることです。やっていることが幼稚・稚拙でこのようなことを国立大学病院の院長が旗を振ってやっててもいいのだろうか。倫理も教育も成立しないのではないかと危惧します」

と、滋賀医大による行為の不適切性と、理不尽さに対する強い弾劾が語られた。

そのあとに仮処分申し立て人のお二人と裁判原告のお一人が、感想を述べた。

昨年8月1日にはじまった、本裁判も1年を経過した。私は提訴時の記者会見に出席して以来、本問題を追いかけている。当初はメディアの関心が高くはなかったが、MBSが1時間ものドキュメンタリー番組を放送したり、この日もMBS、ABC、関西テレビなどのほかに10社以上の新聞記者が詰めかけていた。メディアの関心は確実に高まっている。一方滋賀医大病院の厚顔無恥ぶりは度合いを増すばかりだ。どのメディアがどんな質問をぶつけようが、滋賀医大は内容のある回答を返さない。私も数度にわたり滋賀医大の広報担当に質問をしたが、回答にならない答えばかりであった。

岡本医師の治療継続を求める、多くの患者さんの行動は、仮処分の勝利という史上初の画期的勝利を得た。私見ではあるが、本訴訟も初回からすべてを傍聴してきた感触から、原告勝利は動かないように予想する。しかし岡本医師が執刀できるタイムリミットが迫ってきているのは冷厳な事実である。滋賀医大の狙いはズバリ、時間切れによる逃げ切りだ。その証拠にこの日の法廷で証人尋問の日程調整を裁判長が提案した際、被告弁護士は、早い期日の候補日には「証人の都合がわからないので」と回答しながら、遅い期日の候補日を耳にするや「その日は大丈夫です」と口にしていた。

裁判前の集会

開廷前には恒例となった、大津駅前での患者会の集会には蒸し暑い中、約80名の方々が集まり力強い声を上げた。55席しかない傍聴席には当然入りきることができない人数だが、これも毎回のことである。22日も法廷撮影があった。MBSが法廷撮影を行うのは、これが3回目である。証人尋問の期日は未定であるが、2期日で10人をこなすため、11月後半から1月中盤までの3期日の候補を持ち帰り、調整することとなった。証人尋問まで日があくが、いよいよこの裁判は大詰めを迎える。

歴史的な仮処分勝利を得ながら、岡本医師の治療継続をどのように実現するのか。非常に困難であるが、患者会の皆さんの真剣な取り組みと、無私の行為に対して社会はいずれ「賞賛」の評価を下し、現在の滋賀医大執行部や不正に加担した人物には「歴史が有罪を宣告するだろう」。その「歴史」は思いのほか早いかもしれない。
 

大津地裁へ向かう患者会の皆さん

◎患者会のURL https://siga-kanjakai.syousengen.net/
◎ネット署名へもご協力を! http://ur0.link/OngR

《関連過去記事カテゴリー》
滋賀医科大学附属病院問題 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=68

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

大日本新政会笠岡総裁から届いたバーニング周防社長をめぐる芸能界秘話〈1〉

「バーニング周防郁雄への最後警告(第3弾)
 神聖なる日本の芸能界を独断で食い物にする『やくざ芸能プロダクション・バーニング』周防郁雄(と、その関係者の数々の非道ぶりと、暴力団との癒着、未成年タレントへの強制的な淫行ワイセツセックス、麻薬の斡旋など数々の悪事を実名で追及する当サイト記事も『第三弾』となった」

こう始まる12枚つづりのFAXが先月、筆者のもとに送られた。送信主は右翼団体、大日本新政会の総裁、笠岡和雄氏だ。

笠岡氏は、2001年5月と10月に東京・赤坂にあるバーニングプロダクション事務所に銃弾が撃ち込まれるという事件があった際、同社の周防郁雄社長より、事態の収拾を依頼され、以降、周防社長の裏の仕事をたびたび請け負ってきた。だが、2人は11年ごろ金銭トラブルから決裂し、それをきっかけとして、笠岡氏は周防社長に対する抗議活動をブログや街宣車などで展開していた。

ブログは昨年、閉鎖してしまったが、先月、「未掲載の記事が見つかったから、FAXで送る」と笠岡氏より筆者に電話があった。筆者がFAXにざっと目を通すと、これまで明らかにされていなかった芸能界秘話がいくつも綴られており、資料的価値もあると考えられた。

現在、日本の芸能界は、NGT48や吉本興業の騒動やジャニーズ事務所に対する公正取引委員会の注意などが立て続けに起こり、変革の時を迎えているが、従来の芸能界がいかなるものであったのかを振り返る意味でも、笠岡氏のFAXをここで紹介したい。

記事では、まず、周防社長の異常な金銭感覚について触れられている。

笠岡氏は周防社長の用心棒を務めていた時、「成功すれば投資額の二倍の金を返済しますから」と、千葉の産廃事業への投資話を持ちかけられたことがあった。その言葉を信じた笠岡氏は15億円を都合し、「二倍なら30億円か!」と色めき立ったが、結局、事業は失敗し、大損害を被ることとなり、2人の関係は決裂してしまった。

そのように周防社長は、1億だろうと10億だろうと、簡単に人から借りる癖があったようである。記事では、1億5000万円を周防社長に貸し、危うく踏み倒されかかった男のエピソードが紹介されている。

「この男に周防を紹介して三年ほど経ったある日の昼下がりの事だ。東京のヤクザ事務所に、男が俺を訪ねてきた。かなり深刻な顔で『笠岡会長、申し訳ありません』と頭を下げるので、何だ!と問うと『実は内緒で周防に1億5千万円を貸してましたが、一向に返してもらえない』とぶちまける」

1億5000万円という大金を借りながら、周防社長は便箋に「1億5000万円借用」と書いただけで印鑑も押さなかったという。

周防社長といえば、「芸能界のドン」と呼ばれる大物だ。その男も周防社長を信用して大金を預けたのだろうが、「周防に何回も請求したんですがケンモホロロです。何とかなりませんか会長」と言う。

笠岡氏はすぐに周防社長を呼び出し、事務所で怒鳴りつけた。

「周防、お前、なにしとんじゃ。俺が紹介した人間から、了解も得ず勝手に金借りて放ったらかしか!おまえは誰にでも金を借りまくって、知らん顔とは、どんな神経しとるんじゃ!」

笠岡氏の剣幕に驚いた周防社長は、直ちに1億5000万円を返済し、その男は事業を再開できたという。

では、一体、周防社長はどうして人から大金を借り、返済の要求を無視していたのだろうか。笠岡氏は次のように考察している。

「あいつのあこぎさは、自分の身の安全を図るために『先ず相手に借金』することなんや。
 金を貸した側は、返済されんと困るから、何かと周防に便宜を図るわな。
(中略)
 周防は、いつもそうやって甘い餌をぶら下げて、アリ地獄のように相手をひきずり込んでゆく。
 他人様の持ち物を、ハイエナのごとく横取りして食い尽くす。ハイエナ周防の詐欺丸出しの錬金術に騙され続けて、最後はボロボロになって抵抗できんようにするわけや」

一般の社会では、借りた金をきっちり返すことで信用を築くが、芸能界では「貸した金が返ってこない」という恐怖心を与えることで相手を操るようなのだ。

周防社長は、そのような心理術を駆使することで「芸能界のドン」の地位を築いていったのだろう。

次に笠岡氏が俎上に載せているのは、周防社長の側近で、かつてK-1を主催していた格闘技プロデューサーの石井和義氏だ。

周防社長は元モーニング娘。メンバーとの淫行が盗撮され、笠岡氏がビデオの現物ネガの回収を請け負った。

その交渉を永田町にあるザ・キャピトルホテル東急で行った際、周防社長はビデオ回収の条件として笠岡氏に「謝礼1億円で」と申し出た。

再び、同ホテルでビデオの回収に成功した際、笠岡氏が周防社長に「おい1億円は?」と問いただすと、「会長まことに申し訳ない。来年になったら3億円払います」と釈明したという。

どちらの会合でも石井氏は立会人として同席しており、「回収の件はお願いします」と依頼し、ビデオの回収に成功すると、「ありがとうございます」と礼の言葉を述べていた。

ところが、謝礼の約束は果たされず、笠岡氏は腹の虫が収まらず、石井氏に不満をぶちまけている。

「言葉でハッキリ礼を言うたのなら周防に約束を守らさんかい! 立会人の石井和義よ。あれから何年経ったんだ。
 お前をまっとうな武道家として信用していたが、実はホラ吹き者か!
(中略)
 いや、金の問題よりも、先ず『無礼』を詫びに来るのが立会人と名乗った男としての最低の仁義とちがうか?それを俺は待っとる」

笠岡氏は続けて、回収した淫行ビデオで周防社長の相手だったのがモーニング娘。のメンバーだった石黒彩だと実名を明かしている。

さらにその数年後、京都でやはり元モーニング娘。の矢口真里と宝塚出身の女優、宮本真希の2人が周防社長とNHKのプロデューサーを接待した時のことを笠岡氏は回想している。

笠岡氏は矢口と宮本を周防とプロデューサーが宿泊するホテルに送ったが、翌日、その1人が東映の撮影所で周防社長が「ええか~ええか~」と言いながら「太い指でかき回すから痛いんです」と苦情を申し立てていたという。

当時、石黒、矢口、宮本の3人は皆未成年だったが、笠岡氏は「周防!お前は勃起の『塗り薬』と『媚薬』をいつも持ち歩いていたが、ロリコンのセックス中毒魔か?」と批判するのだった。(つづく)


◎[参考動画]タンポポ 1999年06月発売 飯田圭織-石黒彩-矢口真里(ken06169207 2010/11/12公開)

▼ 星野陽平(ほしの ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。近著は『芸能人に投資は必要か?』(鹿砦社)https://www.amazon.co.jp/gp/product/4846312690 著者ツイッター https://twitter.com/YOHEI_HOSHINO?lang=ja

星野陽平『芸能人に投資は必要か? アイドル奴隷契約の実態』奴隷契約、独立妨害とトラブル、暴力団との関係とブラックな世界―著者は公正取引委員会で講演、その報告書で著者の意見を認め、芸能界独占禁止法違反を明記! 芸能界の闇を照らす渾身の書!
芸能界の歪んだ「仕組み」を解き明かす! 星野陽平『増補新板 芸能人はなぜ干されるのか? 芸能界独占禁止法違反』在庫僅少お早めに!

好評の『紙の爆弾』9月号は参院選挙総括号! 安倍政権の終わりの始まり

『紙の爆弾』9月号が好評発売中だ。帰省中の時間の余ったひとときに、休みではない方は仕事中のリラックスタイムに、ぜひ一冊。マスメディアではわからない政界事情、政治情勢を把握するには、話題を追うばかりの週刊誌では足りない。

 
好評発売中!『紙の爆弾』9月号

というわけで、参院選挙後の政治再編が特集の大ネタである。

朝霞唯夫氏は、れいわ躍進によって始まる次の展開を、政治再編としてぶった切った。まず自民党は実質的に敗北したのであって、とくに改憲発議に必要な3分の2をうしなったことで、公明党の山口那津男の「憲法を改正する必要は今、どこにあるのかはっきりしません」という言葉をすっぱ抜いている。改憲をねらう安倍政治が行き詰った以上、秋の内閣改造で今回の「小敗北」を糊塗するしかない。

はたして朝霞氏が記事で予告したとおり、小泉進次郎への入閣要請が「結婚ご祝儀」として、このかん明らかになった。まことに慧眼である。初入閣が小泉進次郎にとって、試練になるのも当然のことだが、安倍にとっては政権批判を封じる一手となる。安倍は当面の敵を入閣することで封じ、小泉進次郎の人気を取り込むことで、政権の延命をはかろうとしているのだ。

小林蓮実氏は、れいわ新撰組の選挙に貼りついていた立場から、選挙運動の実態を伝えてくれる。今後とも、山本太郎が総理大臣になるまで、ともに闘ってほしい。大山友樹氏は、公明党・創価学会の得票数の低下、得票率の低下に助けられた「勝利」をあばいてくれた。組織力の低下とともに、れいわ新撰組への現役創価学会員・野原候補への衝撃がすさまじい。いずれ、執行部は憲法問題で追い詰められるとしている。もともと平和の党なのだから。

浅野健一氏は、公安警察とメディアによる「安倍自民党勝利」が「創作」されたと指弾する。今回の選挙で顕著だったのが警察によるヤジ封じであった。大音量で演説を妨害するのならともかく、いっさいの批判を封じるやり方は独裁国家のものである。その公安警察の街頭ヤジを封殺する「警護」はメディアでも報じられたが、そのメディア自体がキシャクラブをテコに安倍応援団にまわった。とくに、れいわ新撰組をブラウン管からパージすることで、政権の意に沿おうとした。しかしその目論見は、れいわの躍進によって覆されたというべきであろう。

◆メディアの政権賛美こそ、民主主義の危機である

平岡裕児氏は「2000万円不足問題」はフェイクであり、今回の報告書は金融業界の要請にほかならないと喝破する。横田一氏は秋田県民の選択、すなわちイージスアショアを焦点にした参院選で、配備に反対する野党統一候補が自民現職を破った壮挙をレポート。巨像をアリが倒した原因を、安倍のフェイク演説にあると指摘する。

政治のフェイクを見破るほど、選挙民は成熟しているというべきであろう。問題なのは、政治離れを促進するメディアの安倍政権賛美と忖度、そして政権の顔色をうかがうメディアの体質にある。井上静氏は、ハンセン病国賠訴訟の政府側控訴断念を、安倍総理の「司法の政治利用」として批判する。NHKが安倍政権に忖度しつつ、参院選挙前の政権評価にうごいたのは紛れもない事実だ。韓国に対する「禁輸措置」とともに、これら選挙用のメディア政策があったにもかかわらず、国民が安倍にNO!を突きつけたことは明記されるべきだろう。

以上は選挙特集のうちに数えられるが、紙爆ならではの芸能ネタも健在である。本誌芸能取材班は「ジャニーズ・吉本興業・ビートたけし“事件”で見えた芸能界の真相」をレポート。片岡亮氏は「芸能人と反社」の現在をレポートしている。とくに暴力団幹部の誕生会への潜入取材は白眉である。最大の問題は、反社と手を切れない吉本興業に安倍総理が肩入れをし、あまつさえ「クールジャパン関連事業」として、100億円規模の資金調達が行われようとしていることだ。

ほかに、西山ゆう子氏の「本当に殺してないのか? 『殺処分ゼロ』の嘘と動物愛護の現実」、本誌編集部による「役員総入れ替え『エフエム東京』の内紛劇」は」スクープである。FM東京およびMXで、いま何が起きているのか? 佐藤雅彦氏の「偽史倭人伝」は、「トランプのババ抜き、安倍のスッポン抜き」日米外交のバカさ加減を喝破する。

マッド・アマノ氏の「世界を裏から見てみよう」は、大評判の映画「新聞記者」をテーマに。この「新聞記者」は、昼時のランチの場で、あるいは夕方の居酒屋で、サラリーマンたちの話題トップだ。西本頑司氏の連載「権力者たちのバトルロワイヤル」は第三回「株式会社化する世界」。巨大ITメジャーによる国家買いである。

足立昌勝氏は、刑務所医療の実態を暴露する。死刑制度をめぐる新たな動きは拙稿、8月31日に開催される「死刑をなくそう市民会議」の設立集会とその背景にある運動のうごき、および死刑問題議連について簡単なレポート。水野厚男氏は、小6社会科教科書の「天皇への敬愛の念」教化をもくろむ、文部省のうごきを批判する。主要教科書三社の記述を分析する。読み応え満載の「紙と爆弾」9月号をよろしく!

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

月刊『紙の爆弾』9月号「れいわ躍進」で始まった“次の展開”
安倍晋三までの62人を全網羅!! 総理大臣を知れば日本がわかる!!『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』

あおり運転男の捜査で活躍のドラレコ、もしも「あの事件」の頃もあれば・・・

常磐自動車道で悪質な「あおり運転」を行い、被害男性の車を停めさせて殴りつけた男が指名手配の末、ついに逮捕された。この男を追い込んだのが、テレビとインターネットで公開されたドライブレコーダーの動画だ。

私はこの事件に関する報道を見ながら、四半世紀以上前に起きた「あの事件」のことを思い返していた。

◆茨城県警を早期の事件解決へと駆り立てたドラレコの動画

高速道路で蛇行し、真ん中の車線で後続の車を停止させたうえ、運転席の窓を開けさせて、運転手の男性を力いっぱい殴りつける――。

被害男性の車のドライブレコーダーに録画されていたこの動画は、テレビとインターネットで公開され、容疑者の男の凶暴性は世間を震撼させた。

そんな事件は発生9日目、容疑者の男が大阪市内のマンション近くで警察に身柄確保され、ひと段落ついたが、ここに至るまでにドライブレコーダーの動画が大きな役割を果たしたことに異論はないだろう。

この動画は今回、犯行状況の証拠化や、容疑者の特定に役立っただけにとどまらない。世間にインパクトを与え、ひいては、現場を管轄する茨城県警に少しでも早く事件を解決しなければならないという使命感を抱かせた。だからこそ、茨城県警は容疑者を指名手配するなど意欲的な捜査を展開し、それが早期の容疑者検挙につながったのだ。

そんな一連の流れを報道で見つつ、私が思い返した「あの事件」とは、いわゆる「飯塚事件」のことだ。

◆ドラレコの活躍に思い返す飯塚事件

1992年2月、福岡県飯塚市で小1の女児2人が朝の登校中に失踪し、学校から数十キロ離れた峠道沿いの山林で遺体となって見つかった「飯塚事件」では、2年後、失踪現場の近くで暮らしていた男性・久間三千年さん(当時54)が逮捕された。久間さんは一貫して無実を訴えながら、2006年に最高裁で死刑が確定、2008年に死刑執行されるに至った。

だが、有罪の決め手となった警察庁科警研のDNA型鑑定が当時はまだ技術的に稚拙だったことが次第に知れ渡り、今では冤罪を疑う声が非常に増えている。久間さんの遺族も無実を信じ、再審(裁判のやり直し)を請求している状況だ。

では、私がなぜ、あおり運転事件の経緯を見つつ、飯塚事件のことを思い返したのか。

それは、飯塚事件の頃にドライブレコーダーが今くらい普及していれば、久間さんは容疑者として検挙されず、別の人物が真犯人として検挙されていたのではないかと思えるからだ。

◆ドラレコがあれば「真犯人」が検挙されていた可能性も

飯塚事件は、DNA型鑑定のことばかりが注目されがちだが、久間さんの裁判では、ある目撃証言も有罪の有力な根拠とされている。しかし、この目撃証言も疑わしいものだった。

その目撃証言の主は、急カーブが相次ぐ峠道を車で下に向かって走りながら、路上に停車していた「久間さんの車と酷似する車」を目撃したかのように供述していた。その車の停車場所は、道路脇の山林に被害者たちの衣服やランドセルが捨てられていたあたりだったため、この目撃証言は久間さんの裁判で、有罪の有力な根拠とされたのだ。

しかし、この目撃証言の主は、わずか10秒程度すれ違っただけに過ぎないその車やそのかたわらにいた「不審な男」のことを不自然なほど詳細に供述していた。案の定というべきか、再審請求後、弁護側に鑑定を依頼された供述心理学者もこの目撃証言は信用できないと結論づけている。かくいう私もこの目撃証言はまったく信用できないと思うから、飯塚事件が起きた頃、ドライブレコーダーが今くらい普及していれば・・・と、つい思ってしまうのだ。

ありていに言えば、目撃証言の主の車にドライブレコーダーが備え付けられていれば、久間さんとは別の真犯人や、真犯人の車が撮影されていた可能性があると私は考えている。また、久間さん自身の車にドライブレコーダーが備え付けられていれば、久間さんは事件に無関係であることが証明された可能性があるとも思う。タラレバの話をしても仕方がないが、そういう話をしたくなるのは、私がこの事件を冤罪だと確信しているからだ。

この10月で、久間さんの遺族が再審請求をしてから、ちょうど10年になる。再審請求の可否は現在、最高裁で審理されているが、少しでも早く公正な判断が下されて欲しい。

このあたりで「久間さんの車と酷似する車」が目撃されたことになっているが・・・

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。著書『平成監獄面会記』が漫画化された『マンガ「獄中面会物語」』(著・塚原洋一/笠倉出版社)が8月22日発売。

月刊『紙の爆弾』9月号「れいわ躍進」で始まった“次の展開”
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

N国党と山本太郎新党の同時抬頭が孕む、危険な二大政党制時代への道

不良と秀才がともに人気者になる。いまは知らぬが30年ほど前の中学・高校ではよく見られた現象である。わたしは不良でも秀才でもないから、いつも傍観者であった。いま『NHKから国民を守る党』の立花孝志と『××○○組』党首の山本太郎氏の言動を見ていると、その程度が本質だろうと感じる。

◆極右勢力再編の触媒の役割を果たすN国党

『NHKから国民を守る党』の立花隆じゃなかった、立花孝志氏はかつて自身を『Youtuber政治家』と称したことがあった。非常に的確に自己分析ができている。が、加えて『極右』であることも正直に告白すべきだったろう。

立花氏と直接話を交わしたのは1度切りだが、彼のネット上での「活躍」(?)は何度も目にしていた。若者は新聞はおろかテレビにすら興味をを失い、インターネットが最も身近な情報源となっているこんにちにおいて、立花氏の半分危険なNHKをターゲットとした、集金人撃退や電話での激怒シーンに留飲を下げた視聴者も少なくなかったのではないか。

ところが、『NHKをぶっ壊す!』だけが主たるマニフェストであった、立花氏率いる『NHKから国民を守る党』は議員会館の個室にテレビがあることを知ると「法律で定められているから『契約』は結ぶ、が受診料は払わない」と宣言。しかし数日もおかずに、理屈が全く理解できないが「8割の受信料は払う」と、さっさと敗北・白旗を上げてしまった。

その代わりなのかどうかは知らないけれども「北方領土返還のためには、戦争しかない」との本音を発露し、維新から除名された丸山穂高衆院議員議員に急接近したり、もう役割を終えたと思われ、多くの人々が忘れていた渡辺喜美氏に「みんなの党」再興を促し統一会派を組むに至った。渡辺喜美氏は橋下徹氏を熱心に応援したファシストであり、自民党の極右路線の中で存在が希薄化していたが、思わぬ触媒により息を吹き返した。

このように『NHKから国民を守る党』は選挙前に立花氏が述べていた通り「理念もありませんし、大きくなりすぎると怖いから党は解散します」が妥当であったのが、いまや「NHK」との対決ではなく、某タレントに攻撃目標を変えながら、政界では極右勢力再編の触媒の役割を果たしている。

非常にたちが悪い。


◎[参考動画]放送法4条違反をしているテレビ局に出演しているマツコ・デラックスに対するデモ行為は今後も続けて参ります(立花孝志 2019/8/16公開)

◆山本太郎氏人気に危険な米国型2大政党誕生の萌芽をみる

一方、山本太郎氏が立党した『××○○組』(天皇制を肯定しないわたしには、あまりにも破廉恥すぎるから、その党名を記すことができない)は、選挙後一気に注目を集め、勢いが収まる気配はない。三流評論家で極右の三橋貴明氏の番組に出たのは、選挙前だったようだが、その後もいわゆる、「MMT」(Modern Monetary Theory=大きな政府、財政出動、自国通貨で国債を吸っている限り破綻はしない)にすがりたい、三橋氏同様の低レベルな藤井聡氏、はては「チャンネル桜」からも一定の評価を得ている。

広範な支持はいいだろう。山本太郎氏が掲げる「消費税廃止」、「累進税率の引き上げ」、「法人税の引き上げ」にはわたしも全く異論はない(彼が主張する前からこのことは主張してきた)。ところが三橋氏は「アベノミクス」賞賛者であり、藤井氏も、最近に至るまで「消費税廃止論」を聞いたことはない。ましてやチャンネル桜が、政策の一部とはいえ山本太郎を応援するなど想像できなかった。


◎[参考動画]【三橋貴明×山本太郎】Part1 絶対にTVでカットされる国債の真実(「新」経世済民新聞 三橋貴明 公式チャンネル 2019/3/18公開)

山本太郎氏は自身を「オポチュニスト」と語っているそうだが、三橋貴明氏や藤井聡氏。差別者の集まりチャンネル桜は山本太郎氏どころの「オポチュニスト」ではない。80年代消費税導入の前に内容は同じだが「売上税」との名称で政府が導入を強行しようとした時期があった。時はバブルのまっただなか。わたしの通う大学の前の通りには、政治に無関心な学生も「売上税絶対反対!」、「売り上げ税 右も左も 絶対反対」といった具合で、「自分が買うものに3%の言われなき税金がかけられることへの」健全な反対があったことが記憶にある。

それ以降は予想通り。あれよあれよというまに、次々と税率が上がり、近く消費税は10%に増税されることがきまっているらしい。この天下一の悪税は税率が上がるほど逆進性が強まる。山本太郎氏の指摘する通りだ。だから「究極的には消費税の廃止」を求める山本氏が立党した政党の「消費税」に対する姿勢に異論はまったくない。

けれども、財政出動はいいが、5兆円を超えた軍事費の削減、や自衛隊の存置についての議論はまったく彼の口から聞かれない。だから三橋氏や藤井氏、チャンネル桜といったいかがわしい連中が、安心して『××○○組』の政策を部分的にせよ評価できるのだ。思い返してほしい。山本太郎氏は園遊会でアキヒトに手紙を手渡した人であることを。そして、これまで一度も公然の場で天皇制批判をおこなったことのない人であることを。


◎[参考動画]【直言極言】戦後日本のなれの果て、山本太郎の皇室軽視について(SakuraSoTV 2013/11/1公開)

6年前、無所属で参院選に出馬したとき、彼の周りには「政治の素人」だけではなく、新左翼(組織された、あるいはノンセクトの)が付きっ切りで応援していた。

日韓問題について質問を受け、「ようは国益の問題だと思うんですよね。日韓の間には6兆円の貿易がある。インバウンドでたくさん観光客も来ている。それをチャラにしちゃうのかっていう視点がないですよね」

もうたくさんだ。!

「国益」、「経済」?あなたの口からそういう言葉が発せられるのは、いよいよ末期症状だ。末期症状とは『××○○組』を核にして次期総選挙もしくは参院選で、米国のように極めて危険な2大政党(かつての民主党とは違う)が誕生する萌芽ををわたしはみるのだ。

山本太郎氏は日韓の歴史を知っている。河野洋平の不肖の息子河野太郎外相よりも、朝鮮半島民衆の抗日史を知っている。その彼が「国益」を口にする。稲川淳二の怪談よりも背筋が冷える。


◎[参考動画]山本代表生出演“天下取り”への勝算は(ANNnewsCH 2019/8/3公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』9月号「れいわ躍進」で始まった“次の展開”
田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

NHKがキャンペーンする「昭和天皇の反省」  田島道治ノート「天皇拝謁録」

◆史料の焼き直しである

NHKはいまごろになって、何を言っているのかという印象だ。NHKが鳴り物入りで「第一級史料」としている元宮内庁長官・田島道治「天皇拝謁録」である。昭和天皇の戦争への反省を強調して、その思いが吉田茂(国民に選ばれた宰相)の輔弼によって遮られた。それゆえに昭和天皇の戦争責任および「反省」は、言葉にされないままになった、というものだ。

これが事実ではあっても、ことさら目新しいものではない。じつは先行する書籍が何冊もあるのだ。しかもそれらは、ほかならぬ「拝謁録」の記録者・田島道治の日記をもとにしている。

したがって「拝謁録」は、『昭和天皇と美智子妃 その危機に――「田島道治日記」を読む』(加藤恭子・田島恭二、文春新書、2010年)の原資料と考えてよい。その元本は『昭和天皇と田島道治と吉田茂――初代宮内庁長官の「日記」と「文書」から』(加藤恭子、人文書館、2006年)および『田島道治――昭和に奉公した生涯』(加藤恭子、阪急コミュニケーションズ、2002年)である。

不案内な人たちのために解説しておくと、「拝謁録」にある東条英機への「信頼」と「見込み違い」は、そのまま戦犯批判として「A級戦犯合祀問題」に顕われている。この東条英機に関するくだりは、ほんらいは戦犯訴追される身であった昭和天皇が、東条らA級戦犯を批判することで戦後象徴天皇としての地歩を占めてきたことにあるのだ。

◆靖国神社不参拝は、戦争責任からの逃亡である

すなわち『昭和天皇語録』にも収録されている「富田メモ」(元宮内庁長官)の「私は或る時に、A級が合祀され、その上、松岡、、白取(白鳥)までもが、筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが、松平の子の今の宮司がどう考えたのか 、易々と松平は、平和に強い考えがあったと思うのに 親の心子知らずと思っている だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ」と、靖国参拝を拒否することで戦犯と一線を画し、戦争責任を逃れたのである。

2006年7月21日付け日本経済新聞より

鎮魂の旅を重視した平成天皇、その意思を継承する令和天皇はともかく、大元帥だった昭和天皇は、軍人・軍属への「責任」と「謝罪」のために、靖国神社に参拝するのが道義的な責任ではなかったか? その意味では、戦争責任を「下剋上だった」とすることで、戦犯たちに押し付けた脈絡のなかに、昭和天皇「拝謁録」はあるのだ。三島由紀夫が昭和天皇を「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」と、磯部浅一に呪詛させた(『英霊の聲』)のは、この変わり身のゆえである。

とはいえ、軍部の「下剋上」のなかで、天皇が何もなしえなかった「悔恨」は事実であろう。今回の「拝謁録」に、ことさら虚偽が書かれているわけではない。「終戦というかたちではなく和平のため」にとある。これは「どこかで一度、有利な戦いをやって」「和平に持ち込めないものか」という発言として『昭和天皇語録』ほかにも収録されている。真珠湾攻撃の成功いらい、「戦果がはやく上がりすぎるよ」「ニューギニア戦線に陸軍機は使えないか?」「(特攻作戦は)そこまでやらねばならなかったか」など、第一線の情勢をめぐる大本営陸海軍部の代表への「御下問」も有名な話だ。昭和天皇はまぎれもなく、陸海軍を統括する最高司令官・大元帥だったのだ。

そして「反省」「悔恨」として「私ハどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」と田島長官に語り(昭和27年2月20日)、「反省といふのは私ニも沢山あるといへばある」と認めて、「軍も政府も国民もすべて下剋上とか軍部の専横を見逃すとか皆反省すればわるい事があるからそれらを皆反省して繰返したくないものだといふ意味も今度のいふ事の内ニうまく書いて欲しい」というのも事実であろう。

これにたいして、吉田茂が「戦争を御始めになつた責任があるといはれる危険がある」、「今日(こんにち)は最早(もはや)戦争とか敗戦とかいふ事はいつて頂きたくない気がする」などと反対したのも事実であろう。それゆえに昭和天皇は、在位50年にさいして「(戦争責任という)文学的なことには不案内である」としてきたのだ。

◆「戦争への反省」を継承した令和天皇

ひるがえってみるに、平成天皇の「さきの大戦への深い反省」は、昭和天皇の薫陶であったのだろうか。あるいは「退位論」におびえつつも、天皇家においては戦争への「痛苦な反省」が語られていたのだろうか。わたしは本欄で何度か、皇室の民主化こそ、天皇制の骨抜き・政治権力との分離につながると提起してきた。

元号や天皇制、あるいは天皇・皇室という存在そのものを批判、あるいは「廃絶」「打倒」などを唱えるのも悪くはないが、そこから国民的な議論は起きない。国民的な議論を経ない「天皇制廃絶」はしたがって、暴力革命や議会によらないプロレタリア革命などが展望できないかぎり、ほとんど空語であろう。コミンテルンとパルタイが30年代テーゼで天皇制廃絶を打ち出してから1世紀ちかく、新左翼が反差別闘争と反天皇制運動を結合させてから半世紀ほど。

いま、昭和天皇が「戦争を反省」していたと、国民的に知られることになった。そこから先に必要な議論は、その「反省」をもって戦争に向かう政治勢力への批に結びつけることにほかならない。8.15の追悼式で「戦争への反省」を継承した令和天皇をして、天皇という伝統的な朝廷文化と安倍軍閥政権が相いれないことを、認識させることこそ戦争回避の道ではないか。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

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波乱の幕開け、ジャパンキックボクシング協会、石川直樹は倒される!

5月12日のジャパンキックボクシング協会プレ旗揚げ興行に続いて、正式旗揚げ興行が開催。お笑いトリオのジャングルポケットの太田博久さん、斉藤慎二さんのお二人がリングアナで登場。

ジャパンキック協会設立御挨拶は武田幸三氏、ドスの効いた力強い声が響いた

◎KICK ORIGIN / 2019年8月4日(日)後楽園ホール 17:00~21:05
主催:ジャパンキックボクシング協会(JKA)

◆第12試合 メインイベント 52.5kg契約 5回戦

石川直樹の左ヒジ打ちはかすった程度、カウンターで大崎孔稀の左フックがヒット

JKAフライ級チャンピオン.石川直樹(治政館/32歳/52.15 kg)
   VS
WMC日本スーパーフライ級チャンピオン.大崎孔稀(OISHI/19歳/52.5kg)
勝者:大崎孔稀 / TKO 3R 1:22 / 主審:仲俊光

大崎孔稀の実兄・一貴は、ルンピニースタジアム王座にも挑戦した経験を持ち、兄弟揃ってムエタイ技術を持つテクニシャンで、石川直樹は大崎孔稀との首相撲争いが注目されていた。

序盤、大崎が強い前蹴りで石川を突き放し転ばす。石川の返しの前蹴りはやや浅く、大崎の距離の取り方が上手い。石川は大崎のリズムに付き合ってしまい、首相撲からのヒザ蹴りへ繋いでもバランス良く蹴るに至らず、いきなりの大崎の左ボディーブローを貰ったり、組み合った瞬間、大崎の転ばしに掛かかるなど、ムエタイ技で苦戦してしまう。

第3ラウンドにはヒザ蹴りに出たところへ大崎の右ストレートでノックダウンを喫し、更に接近して左ヒジ打ちに合わされた大崎のカウンターの左フックで2度目のノックダウンを喫すると、ダメージ大きい石川は、カウント中に止められ、新団体における認定チャンピオンベルトを巻かれたばかりで屈辱TKO負けとなった。

大崎孔稀の前蹴りで石川直樹を突き放す
いきなりの左ボディーブローも狙っていた大崎孔稀
大崎孔稀が石川直樹を倒した

◆第11試合 ジャパンキック協会バンタム級王座決定戦 5回戦

1位.馬渡亮太(治政館/19歳/53.52kg)vs5位.阿部泰彦(JMN/41歳/53.5kg)
勝者:馬渡亮太 / KO 2R 2:24 / 主審:椎名利一

阿部泰彦も王座挑戦の経験は2度あるが、2003年と2007年のこと。「若くて勢いのある馬渡に向かっていく姿を見て欲しい」と言う。昇り龍の馬渡と親子ほどの年の差がある阿部では勢いの差は有り過ぎたが、阿部は成長著しい馬渡に試練を与えられるか、そんな期待も持たれた試合ではあった。

試合は馬渡が早くからスピード差で主導権を握った展開。阿部を上回る蹴りパンチヒジのヒット。組み合えば阿部にもヒザ蹴りがあるが、馬渡を慌てさせるには至らない。馬渡は第2ラウンドもスピーディーにヒットを決め、2度右ヒジ打ちで阿部からノックダウンを奪い、このラウンド、何とか持ち堪えたい阿部だったが、再度、馬渡のヒジ打ちを貰って崩れ落ち、3ノックダウンによる馬渡のノックアウト勝利となった。

斉藤慎二さんのコールに乗って、ジャパンキックの若きエース格、馬渡亮太登場
馬渡のヒザ蹴りは何度も阿部を襲った
馬渡がノックダウンを奪ったのは効かせるヒットのヒジ打ち
不覚にも新人のヒジ打ちを喰らった瀧澤がノックダウン

◆第10試合 フェザー級3回戦

JKAフェザー級1位.瀧澤博人(ビクトリー/28歳/57.15kg)
   VS
WBCムエタイ日本フェザー級チャンピオン.新人(E.S.G/30歳/57.0kg)
勝者:瀧澤博人 / TKO 2R 2:24 / 主審:松田利彦

国内フェザー級トップクラス同士で、互いに負けられない立場。初回、様子見の蹴りやパンチに強烈なヒットは無いが、接近戦で新人のヒジ打ちが入ると瀧澤はノックダウン。

呼吸を整え立ち上がり、瀧澤はやや下がり気味の展開が続くも、当て勘鋭いのは瀧澤の方。時折、接近すると瀧澤の距離を計るようなヒジ打ちが軽くヒット。

第2ラウンドには接近して来る新人の額に、瀧澤の狙った強いヒジ打ちがヒットすると、新人の額から流血しドクターがストップ勧告するとレフェリーが受入れ試合終了。2試合連続で瀧澤博人が“ヒジ打ちの名手”と言える貫禄の勝利となった。

ヒジ打ちが優っていたのは瀧澤の方、この後、額を切る強いヒットになる
瀧澤のヒジ打ちで深い傷を負った新人の額から勢いよく出血

◆第9試合 73.5kg契約3回戦

JKAミドル級1位.今野顕彰(市原/36歳/73.4kg)
   VS
NKBミドル級チャンピオン.西村清吾(TEAM KOK/41歳/73.4kg)
引分け0-1 / 主審:桜井一秀
副審:椎名29-29. 仲28-29. 松田29-29

昨年10月に日本キックボクシング連盟興行で対戦した両者で、西村清吾が2-1判定で勝利しているが、今回も差が付き難い展開が続いた。単発ながら互いにパンチのヒットが多かったが、距離を詰めての主導権を奪う強いヒットは無い静かな戦いが続き、ポイント振り分け難い引分けとなる。重量級においては交流戦が充実している団体間で再々戦が期待される。

度々ヒットがあった今野と西村だが、差の付き難い展開だった

◆第8試合 62.0kg契約3回戦

JKAライト級4位.興之介(治政館/30歳/61.5kg)
   VS
キム・ボガン(韓国/22歳/60.8kg)
勝者:興之介 / 判定2-0 / 主審:少白竜
副審:椎名30-29. 桜井29-29. 松田30-29

◆第7試合 バンタム級3回戦

JKAバンタム級3位.翼(ビクトリー/23歳/53.2kg)
   VS
NKBバンタム級4位.海老原竜二(神武館/28歳/53.2kg)
勝者:翼 / 判定3-0 / 主審:椎名利一
副審:松田29-28. 桜井29-27. 少白竜30-27

初回のパンチとローキックの攻防から翼のヒザ蹴りでノックダウンした海老原だったが、凌ぎきるとパンチのヒットを増やし始める。

翼も打ち返し、ダブルノックダウンに繋がりそうな互いの強いヒットが続くが、やがて打ち疲れでスタミナ切れそうな中、このまま判定まで持ち堪えた。

新団体設立に伴ない5月のプレ興行から始まった、前半戦のベストファイターに贈られるヤングライオン賞はこの両者に贈られた。

ヤングライオン賞獲得となった海老原竜二と翼の攻防

◆第6試合 スーパーバンタム級3回戦

JKAバンタム級4位.田中亮平(市原/29歳/55.2kg)
   VS
WMC日本スーパーバンタム級2位.加藤有吾(RIKIX/19歳/55.25kg)
勝者:加藤有吾 / 判定0-3 / 主審:仲俊光
副審:椎名28-30.桜井28-30. 少白竜29-30

◆第5試合 ライト級3回戦

JKAライト級5位.大月慎也(治政館/33歳/60.7kg)vs野崎元気(誠真/24歳/61.23kg)
勝者:野崎元気 / KO 2R 2:22 / 3ノックダウン / 主審:松田利彦

◆第4試合 ヘビー級3回戦

JKAヘビー級1位.ショーケン(山田/33歳/94.2kg)
   VS
ゴリ・セノオ(月心会チーム侍/44歳/89.8kg)
勝者:ショーケン / KO 1R 1:17 / 3ノックダウン / 主審:桜井一秀

ヘビー級として力強いノックアウトシーンを見せ付けたショーケン。この新団体ヘビー級ではトップに立つ選手。

※前座3試合は割愛します。

直闘の涙の理由は“勝って獲りたかった”

《取材戦記》

新たに分裂して出来た団体とは感じ難い、新日本キックの名残ある雰囲気。しかしそこは元からある治政館ジム主催の活気ある興行でもあった。

また、他団体首脳陣の顔触れがリング周りにあり、新団体としての姿勢、協力態勢が表れている、今後の興行でも新日本キックを上回る交流戦を充実させていく印象があった。

新日本キックではランカー中堅クラスだった直闘が、この新団体で王座決定戦へ抜擢されるも、対戦予定だった永澤サムエル聖光が脱水症状による体調不良で出場不可能となり、戦わずしてチャンピオンベルトを巻かれてしまった。

国内王座が更に乱立するのは仕方無いにしても、初代から早々にチャンピオンに任命される“認定チャンピオン”も作られるなど、団体レベルで都合のいいルールを作り上げるから、反対論が出てももう止めようがない。

いずれにせよ、国内すべての団体タイトルは、日本の国レベルタイトルには追いつかないローカルタイトルであり、他の認定団体チャンピオンとの対戦や「KNOCK OUT」などのビッグマッチ興行へ選出される出場権でしかないが、そういう立て構造の図式が成り立つのも自然の成り行きかもしれない。

そんな直闘がチャンピオンベルトを腰に巻いて貰い、涙を流したのは、うれし涙ではない、くやし涙だった。勝ってチャンピオンベルトを巻きたかったのだろう。永澤選手には「体調戻して早くこのリングに戻って来て欲しいです。」と語り、真のタイトルマッチにおける決着戦を願ったが、この日、戦わずしてベルトを巻くより、後日へ延期して改めて王座決定戦をやることがプロスポーツのやり方だと思う。

ジャングルポケットのトリオのうちの御二人、太田博久さん、斉藤慎二さんはリングアナウンサーとしての存在感は大きかった。低い太い声で力強い。毎回やればいいと思うが、本業が忙しければそうはいかないのが芸能人。ジャパンキック協会も短期で新顔に替わるリングアナでなく、団体の、興行の顔となるメインリングアナウンサーを育てる方がいいだろう。

ジャパンキックボクシング協会の次回興行は、11月9日(土)新宿フェースに於いて昼夜の2部制で行なわれる予定です。新日本キックにおける昨年組まれた今年分の年間スケジュールで会場が押さえられているので、来年はジャパンキック協会としての年間予定が多く組まれることでしょう。

KO賞とMVP賞を獲得した大崎孔稀
勝ってチャンピオンとなった馬渡亮太、ジャパンキック協会初代バンタム級王座獲得

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

月刊『紙の爆弾』9月号「れいわ躍進」で始まった“次の展開”
一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』
上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!

遺伝子から万能細胞の世界へ ── 誰にでもわかる「ゲノム」の世界〈3〉遺伝子について

私の皮膚は日光に弱く、すぐ赤くなってヒリヒリ痛くなります。母も同じような肌でした。また、電話に出ると母の友達に母と間違えられることがよくありました。このように外見、性格、小さな癖など、親に似ているけれども、同じではないというのが私たち生き物です。今回はこれらをつかさどる「遺伝子」について、整理してみようと思います。

生物が持つ形や性質などを形質といい、形質が親から子へと受け継がれることを遺伝といいます。そして遺伝が起こるためには親から子へ何らかの要素が受け渡されているはずだと昔の人が考え、「遺伝子(gene)」と呼ばれるようになりました。その後、その遺伝子は染色体という細胞の核の中のヒモ状に見える構造物に、数珠つなぎになっていることがわかりました。染色体はタンパク質とDNAで構成されていますが、遺伝子の本体がDNAであることがわかったのは、20世紀中頃のことです。そしてDNAが自己複製するのに都合のよい二重らせんで構造であることが解明されたのです。

遺伝子とDNAは同じようなものであると見なされることが多いのですが、遺伝子はある特定の働きをする機能がともないます。一方DNAは「デオキシリボ核酸」という物質であり、遺伝子の本体といえます。つまり、遺伝子を数珠つなぎしているのがDNAです。すべての細胞(人間なら約60兆個)がこのDNAを持っていることが判明しています。しかもそれぞれの細胞(直径0.001~0.003㎜程度)に入っている遺伝子には、体全体のすべてにわたる形質の特徴が刻み込まれています。小さな小さな世界に、たくさんの重要な情報が秘められているのです。

DNAの情報をもとに形質の基となるタンパク質を合成する際、直接的にDNAがタンパク質を作っているわけではなく、DNA→RNA→タンパク質という一方向の順に進みます。この間に行われるのが「転写」と「翻訳」というプロセスです。

「転写」 DNAを鋳型にしてRNAを作ることを「転写」といいます。2本鎖DNAがほどけ、一本のヌクレオチド鎖をもとにして相補的なRNA(メッセンジャーRNA・mRNA)を合成します。

「翻訳」 mRNAの塩基配列をもとにしてアミノ酸の配列が決まりポリペプチド(タンパク質)ができることを「翻訳」といいます。

遺伝子は次の2つの能力を持っています。

(1) 自己複製能力
遺伝子は、幹細胞から生殖細胞へ、幹細胞から体細胞へ、細胞から体細胞へ、複製されながら伝わっていきます。結果、すべての細胞が完全な遺伝子を持っていることになります。この複製の制御が失われると、がん細胞になってしまいます。

(2)遺伝情報発現の能力
形質は遺伝子に刻まれた特徴が現れたものです。遺伝子の中に、手の形、目の色、消化液のつくり、皮膚の構成、などすべてが刻まれています。そういった特徴が、適切な条件で適切な場所に現れることを遺伝子の発現といいます。遺伝子の発現は遺伝子のスイッチがONになることです。そして、スイッチがONになれば、それに沿って、生物の形質が現れます。

さて、細胞がガン化するとか、細胞が脂肪を生産して肥満になるとかは、先に説明した複雑な過程において、何らかの異常が出現し、タンパク質が作用して細胞が変化することに由来します。

一方、薬とは、体の中で起きたこれらの遺伝情報の発現に作用して、症状を抑えようというものです。高血圧を下げたり、前立腺癌の増殖を抑えたり、病気の状態に合わせて様々な働きをします。私のような素人にはとても理解できない深くて複雑な世界ですが、ほんのわずかな違いで、薬の効果は変わってくるのでなないかということが想像できます。同じ名前の薬であっても、先発薬と後発薬では、どこか作用が違うのではということをよく耳にするのもそのためです。

 

◎連載過去記事(カテゴリー・リンク)
赤木夏 遺伝子から万能細胞の世界へ ── 誰にでもわかる「ゲノム」の世界 

▼赤木 夏(あかぎ・なつ)[文とイラスト]
89歳の母を持つ地方在住の50代主婦。数年前から母親の異変に気付き、本通信で「老いの風景」を連載中。

月刊『紙の爆弾』9月号「れいわ躍進」で始まった“次の展開”
大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

「投げさすべき」発言で物議の張本勲氏、甲子園への思いと自分自身の負傷歴

MAX163キロの大船渡高校・佐々木朗希投手が高校野球岩手県大会決勝で監督の判断からケガの防止のために登板回避し、敗退した一件をめぐっては、プロ野球解説者の張本勲氏が世間の批判にさらされている。出演番組『サンデーモーニング』(TBS)で、「絶対に投げさすべき」「けがを怖がったんじゃ、スポーツやめたほうがいいよ」などと根性論的な発言をしたためだ。

近年のスポーツ界では、「選手ファースト」の考え方が一般的になっている。そんな中、あのような発言をすれば、批判されるのも無理はない。

ただ、私自身は、張本氏の経歴からして、あのような意見になるのは当然だと思うし、張本氏の意見も1つの意見として尊重されるべきだと考えている。

◆理不尽な形で甲子園出場の望みを絶たれた高校時代

 
『誇り 人間 張本勲』(著・山本徹美/1995年講談社)。不屈の半生が詳細に綴られている

張本氏の経歴の中で、まず見逃せないのは、高校時代に甲子園を目指しながら理不尽な形でその望みを絶たれたことだ。

張本氏は広島市の公立中学を卒業時、地元の野球名門高校である広島商業か、広陵高校への進学を希望し、学業成績からして合格確実とみられていたが、まさかの不合格。野球があまり強くない地元の高校にいったん進学したが、甲子園出場の夢を諦め切れず、大阪の野球強豪校である浪華商業へ転校した。この野球留学では、兄と姉が生活を切り詰め、学費をねん出してくれたという。

しかし、転校してしばらくすると、浪華商業の野球部は不祥事のため、1年間の対外試合禁止処分に。最上級生になってからも、部内で暴力事件が起きた際、濡れ衣を着せられて休部処分を受け、チームは夏の甲子園に出場したのに、張本氏は出場できなかったのだ。

張本氏は、「サンデーモーニング」で次のように述べていた。

「1年生から3年生まで必死に練習してね、やっぱり甲子園が夢なんですよ。私らの時代はね、夢が欲しくてね、小雨の降る路地で泣いたこともあるんです。耐えて、耐えて」

張本氏としては、甲子園に出られるチャンスがありながら、それを自ら手放すに等しい行為は理解できなかったのだろう。

◆野球ができなくなるほどの負傷を2度乗り越えた

張本氏の経歴でもう1つ見逃せないのは、自分自身の負傷歴だ。

張本氏の利き手である右手は、幼い頃に負った火傷の後遺症で、小指と薬指、中指がくっついた状態だ。そのため、中学で野球を始めた時、投手を希望したものの、満足にボールが投げられなかった。しかし、張本氏はそれでも投手を諦めず、左投げを練習してマスターし、四番投手として県大会で優勝するまでになったのだ。

だが、そこまで努力し、左投手として頭角を現しながら、張本氏は高校時代、今度は左肩を故障してしまう。浪華商業のOBである立教大学の捕手がぶらりとグラウンドにやってきて、「受けてやろう」と言われたので、張り切って投球練習をしたのが原因だ。気づけば、300球近くも投げ込んでしまい、左肩を壊してしまったのだ。

「野球をやるからには四番で投手」と考えていた張本氏は、この負傷をした当初、野球をやめることまで考えたという。しかし、監督から「お前には並外れた打撃力があるやないか」と励まされ、奮起。猛練習により、打者として大成したのだ。

このように張本氏は野球自体ができなくなるような大きな負傷を繰り返しながら、その都度諦めずに乗り越え、3000本安打という偉業を成し遂げた。この成功体験がおそらく、「けがを怖がったんじゃ、スポーツやめたほうがいいよ」という言葉の背景にあるのだろう。

そうはいっても、佐々木投手が張本氏と同じ道を歩む必要はまったくないし、むしろ、大船渡高校の監督が教え子の将来性を考え、登板回避させたのは英断だと思う。だが、スポーツ選手はどんなに細心の注意を払っても、選手生命を失うようなケガをすることもある。そういう時、心に刺さるのは、「ケガをさせないことを第一に考える人の言葉」より、「ケガを乗り越えた先人の言葉」だと思う。

だから、張本氏の意見も1つの意見として尊重されるべきだと私は考える。

※参考文献:『誇り 人間 張本勲』(著・山本徹美/講談社)

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。著書『平成監獄面会記』が漫画化された『マンガ「獄中面会物語」』(著・塚原洋一/笠倉出版社)が8月22日発売。

月刊『紙の爆弾』9月号「れいわ躍進」で始まった“次の展開”
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

8月15日に際して あの時代といま、人間のどこが進歩しているのか?

人間(文明)が時間(歴史)とともに「進化」、「進歩」しているという「希望的妄信」は21世紀に入り、より一層怪しくなってきているのではないか。人間が生み出す科学技術は思想をもたないから、従前の蓄積を破棄したり無化することなしに新たな技術が開発される。しかし科学技術の新たな開発は人間の「進化」や「進歩」とはまったく関係ないどころか、人間の退行を引き起こす。

◆技術の進歩と人間の退行

インターネットがあれば、たいがいの疑問や情報を瞬時に得られるが、これは個々の人間の能力が向上したのではなく、「自ら体を使って調べる」行為からどんどん離れて行っていることを意味する。英単語の意味を調べるのには、英和辞書を開き、意味の分からい単語をページを繰りながら探す行為が当たり前だった。面倒くさいといえば面倒には違いないけれども、単語を探す過程で、「この単語のあとのページにあるのか。熟語ではこう用いられるのか。なんだ! 前にも調べていたじゃないか」という「回り道」を経験された方は少なくないであろう。あの「回り道」の時間こそが有機的に知識を広げるためには不可欠な「学び」の手順であり、それゆえ身に着くものが付加的に生じていたのだ。

日々の事務仕事でも同様だった。同じ作業をこなすけれども、どうやったら時間をかけずに完了できるか、効率の良い方法はないものかと知恵を絞るのが、個々の脳に対する刺激であり、設問であった。

デジタルが席巻したように思われる、こんにちの社会ではそのような作為が「無駄」と不当に評価される。義務教育でも持ち込みが許される電子辞書の利用は、確実に生徒の頭脳の低下を招いているし、スーパーコンピュータの演算速度が1000倍になっても会社員の残業は減らない。

おかしいじゃないか。そろばんを使って計算していた時代の1億倍の演算処理能力を皆が目の前のパソコンに持っているのだから、定型業務は1億分の1とは言わないけれども、仕事にかかる時間はなぜ激減しないのだ。

猛暑で頭がどうかしてしまったから、ボヤキ漫才のように愚痴をならべているのではない。科学技術の進歩が誘因する「人間の退行」の惨状を直視すると、「あなたたち、これでいいんですか?」と問わざるを得ないのだ。

◆わかりきっていることを発信できない、発言できない

米国では毎年何度も学校や人込みでの「銃乱射事件」が発生する。そのたびに紋切り型の報道がこの島国の新聞などでもなされる。

馬鹿じゃないかと思う。

兵器産業と政権が結びつき、戦争を筆頭とする定期的な兵器の棚卸と、小売りを続けなければ収支が持たない。「米国」という国家の犯罪性に切り込むことなしに、「銃乱射事件」を止めることなどできないことがどうしてわからないのだ。「銃乱射事件」実行犯の出自や日頃の言動をほじくりだしてなにがわかる。簡単に銃器が入手できる社会病理を「民主主義国」の擬態を被った米国が演じている欺瞞を撃たずに、何が解消するというのだ。

わかりきっていることを発信できない。発言できない。言わない。これが人間の退行でなくてなんだというのだ。この島国には「忖度」という便利かつ恥ずかしい文化がある。諸悪の根源であるとわたしは確信するが、世界は表層のホコリや汚れ、葛藤が拭き取られたように「報じられて」いるけれども、その実、人間の退行は恐ろしい速度で進行してはいまいか。

◆「戦争にルールがある」という違和感

被害者がかつての加害者に、同様あるいはそれ以上の暴虐をはたらく。こんなもの正義でもなんでもないだろう。イスラエルのパレスチナへの暴虐を許容する世界は19世紀のそれと変わらない。20年近く自宅軟禁や逮捕の憂き目にあっていたアウンサンスーチーは軍政とテーブルの下で取引を終えると、途端に少数民族弾圧に手を付けた。よくぞ騙してくれたな(騙されたわたしが馬鹿だったのだ)。「人々の夢を実現するのがわたしの仕事です」の言葉で、それ以前に感じたことのない感動を感じたわたしが馬鹿だったのか、変節した彼女が卑劣なのか。

侵略の歴史を、なにもなかったように横においておいて、韓国攻撃に嬉々とする安倍を中心とする「帝国主義」の復活勢力と、それに便乗する産経を筆頭とするマスコミと庶民。そこにあるのは、第二次大戦中に「国家の一大事」だからと進んで「大政翼賛会」を構成した社会大衆党(自称無産者政党であった)と強圧ではなく、みずから進んで「満州事変」に歓喜した厚顔無恥な大衆の姿もあった。

あの時代といま。人間のどこが進歩しているといえるのだろう。昨年までは「仮想敵国」であった朝鮮が飛翔体を発射したら「Jアラート」なる警報を鳴らし、分別のありそうな大人が「避難訓練」までしていた。あの偽りの危機感はどこへ行ったのだ。朝鮮は最近でも飛翔体を打ち上げているではないか。それでも去年までとはうってかわって、安倍はゴルフに興じている。おかしいだろう。わたしがおかしいのであれば、下段にメールアドレスを明記しているのでご指摘いただきたい。

そして最後に、かねがね疑問であったことを初めて書く。それは「戦争にルールがある」ことである。戦争=殺し合いにルールがあることにわたしはいたく違和感を感じ続けている。捕虜の扱いに関するジュネーブ条約。宣戦布告を戦争開始と定めた不可思議な国際法。これらはいずれも「戦争が起こる」ことを前提に(良心的に理解すれば、その被害を最小にとどめるよう)結ばれた国際法だ。

つまり、国際法は「戦争」という究極の野蛮行為が、「起こり続けること」を是認しているのだ。はたしてこれが「理性」だろうか。真っ当な神経だろうか。なにがあっても「戦争だけは起こさせない」との至極当たり前の前提に2019年8月15日世界は遠く及んでいない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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創刊5周年〈原発なき社会〉を目指して 『NO NUKES voice』20号【総力特集】福島原発訴訟 新たな闘いへ
田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)