歌舞伎町ぼったくり裏事情《2》 なぜ銀座のクラブにはゴタがないのか?

そもそもぼったくりとは、どのようなものなのか。

店の料金の設定権は店側にある。日本が資本主義国家である以上、個人や法人は経営において利潤の追求を第一の目的とする。当然、経営はボランティアではない。客を喜ばせるために、赤字経営になってはならないのだ。

まず、店を開店するにあたって投資した、敷金・礼金や不動産仲介料などの償却。毎月、支払わなければならない家賃に人件費。その他、管理費や水道・電気・ガス等の光熱費。酒代やおつまみ等の仕入れなども、大きな出費である。店のマットやトイレのタオル、カラオケがある店なら機械などのリース代。名刺代や伝票・領収書などの文具代。細かいものなどを合わせれば相当な金額がかかる。その出金を営業日数で割り、1日の最低必要経費を算出する。さらに、それを入店客数で割ったものが、最低限必要な個々の客単価となる。

◆客引きが入店に介在して、はじめて生まれる「ぼったくり被害」

何度もいうようだが、店の営業は慈善事業ではない。必要経費が1日10万円で、1日10人の客が見こめるなら、客単価は1万円以上でなければ利益は計上されない。2人の客しか入らないなら、客単価5万円以上は欲しい。1人の客しか入らないなら、客単価は(損益分岐として)10万円以上となる。銀座の高級クラブなみである。

だが、 銀座のクラブにはゴタがない。一晩で何百万円請求されても、客はぼったくりだと非難しない。銀座という土地柄なのか。歌舞伎町との格差なのか。否、客が自分の意志で店を選んでいるからである。つまり、客引き(=キャッチ、ポン引き)が入店に介在して、はじめてぼったくりが生まれるのだ。

キャッチの甘言に惑わされ、低料金だと思って店に入店する。そこで、自己の想像の範疇を超えた料金を請求されたとき、人は「ぼったくり被害に遭った」ことを認識するのである。[つづく]

歌舞伎町ーセントラル通り(撮影小林俊之)

(小林俊之+影野臣直)

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新宿・歌舞伎町ぼったくり裏事情──キャッチ目線で見た「警察の対応変化」
《1》「ぼったくり店」はどうやって生まれるのか?
《2》なぜ銀座のクラブにはゴタがないのか?
《3》メニューに金額明示があれば違法性はない? [近日掲載]
《4》東京五輪を前に警察が浄化作戦を始動? [近日掲載]
《5》御一人様51万円「クラブ・セノーテ」事件の衝撃 [近日掲載]
《6》ベテランキャッチが語る「ぼったくり」の世界 [近日掲載]
《7》「ガールキャッチ」復活と増えるプチぼったくり [近日掲載]
《8》警察の弾圧が盛り場の「食物連鎖」を増殖させる [近日掲載]

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「反社会勢力との取引」を拡大解釈する銀行の「口座開設拒否」は人権侵害だ!

1991年の暴対法(暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律)成立以降、暴力団(ヤクザ)に対する社会の締め付けが強まった。指定暴力団の構成員であることがバレると銀行で個人名義の口座を開くことは出来ないし、生命保険や損害保険に入りことも許されない。さらに借家を探そうにも不動産屋が指定暴力団の構成員だとみなせば、住居の紹介すら受けることが出来ない。

たしかに、暴力団(ヤクザ)は非合法のシノギ(金儲け)を収入源にしていることはあるだろうが、こんな扱いを受けたら一般的な社会生活すらおくれなくなるのではないだろうか。仮に組織を抜けて「堅気(カタギ)」に戻ろうにも、勤務先で給与の振込先を聞かれて「銀行口座がありません」と答えれば、不審に思われるのではないだろうか。それが原因で「不採用」になりはしないか。

◆暴対法で無法化する公安警察──市民に危害を加えるのは「ヤクザ」でなく「半グレ」「チンピラ」

暴対法は過剰だと思う。公務員として身分が保証され、昼間から日がな一日乱闘の訓練ばかりしている公営組織暴力団(機動隊)とは裏腹に、民間のヤクザには犯罪を犯していなくとも、基本的生活権が認められてはいない。だからヤクザの構成員数は右肩下がりで、「シノギ」も合法的な企業体を装わなければ、即座に警察から「中止命令」を食らってしまう。

でも、「ヤクザ」はどの時代にでも、どこの国にでも必ず必要とされる、緩衝材のような存在ではないか。日本語で「暴力団」と表記すると物々しいけれども、非合法部分で社会の緩衝材的役割を果たす組織は世界を見回しても相当多くの国や地域に存在する。日本の「ヤクザ」だって、戦後の混乱期、警察力が不足していた頃は正式に警察の依頼を受けて労働争議の弾圧や治安維持に加わっていたことは動かしがたい歴史である。時に権力の走狗となり「泥仕事」を請け負うのも「ヤクザ」の役割であった。

そして、警察や総務省、法務省が広報するほど、今日「ヤクザ」は一般市民に危害を加えることはない。そりゃぁその筋の人の集まりの近くに行けば、逃げ出したくなるような独特な雰囲気はあるし、どう真似しようとしたって私如き善良な市民(?)には模倣できない雰囲気はある。だからといって彼らが「おいおっさん、なにメンチ切っとるんじゃ!」と私に絡んできた経験はない。そういう言いがかりをつけてくるのは組織の人ではなく、いわゆる「チンピラ」だ。

「ヤクザ」と比較にならない厄介な存在が一部で「半グレ集団」と呼ばれる暴対法の網にはかからない、実質上の「犯罪集団」だ。最近個人的に「振り込め詐欺」を追及していたら、その元締めがかなり有名な「半グレ」集団であることが判明した。被害拡散防止の為に警察にその旨を連絡したが、相も変わらず警察は即応しない。「貴重なご意見ありがとうございます。情報は必ず上にあげておきます」と言うばかり。いったい何を仕事にしているのだ刑事警察は。

公安警察は頼みもしなくとも、でっち上げ逮捕した人の家に令状を示す前にズカズカ窓から入って来るほど、仕事には過剰に熱心だが刑事警察の程度の低さには、毎度呆れかえるばかりである。

◆冤罪を前科とみなし口座開設を拒否する銀行の姿勢は人権侵害にほかならない

そして「暴対法」や「反社会勢力」との取引を慎重に、という流れの中でお門違いにも被害をうけるのが、「暴対法」や指定暴力団とは何の関係もなく、刑法により有罪を受けた多くの人びとだ。例えば日本には「名誉棄損」の刑事事件で逮捕、勾留された経験を持つ存命の人物が1人だけいる。190日を超える拘置所での勾留がなぜに「名誉棄損」で必要だったのか。まったくもって理解できない扱いを受けたその人は、何と銀行で定期預金を開こうとしたら断られたのだという。因みにその方が定期預金開設を申し込んだ銀行とは長年商売上も、個人的にも取引があり現在も個人名義の普通口座は保有しているという。

どうして定期預金が開設出来ないのかを銀行に尋ねたところ「総合的に判断して」と馬鹿にした答えが返ってきたそうだ。「総合的に判断して」この言葉は企業や役所が「痛いところ」を突かれて明確な回答を出したくない時に利用する常套句だ。私も3ヵ月に1度くらいの割合で取材しているとこの言葉を返される。「総合的に判断して」の裏には、必ず確信の持てない、いい加減な判断や社会には出せない裏事情がある。

上記のケースでは金融機関に義務づけられている「反社会的勢力との取引禁止」を誤解、拡大解釈して、あってはならない「無辜の市民」を「反社会勢力」と断定することにより、失礼千万な口座開設拒否という暴挙に出ている訳である。当該人物を「反社会勢力」と断定するのであれば、これまで続けてきた取引をどう説明するのだ。現在も開設されている普通預金を放置しておいてよいのか。銀行に詳細を尋ねたが納得のゆく説明は得られなかったという。

これは明らかに銀行側が「暴対法」を拡大解釈し過ぎ、金融庁の顔色を忖度し過ぎた大失態であると同時に、無原則かつ説明の出来ない恣意的な「口座開設拒否」は明らかな人権侵害問題だ。

仮に何らかの罪で服役し、刑期を終えて社会復帰した人が銀行口座を開くことが出来なければ、居住場所を見つけることが出来るだろうか。就職先を探し出すことが出来るだろうか。

有罪が確定しても、裁判で確定した刑期を刑務所で過ごしたり、罰金を払えば、その罪は償ったことになるはずじゃないのか。それでも民間社会でさらに「制裁」を受け続けなければならないというなら「法の支配」はこの島国には存在しないことを意味する。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎挙句の果ての「1億総活躍」──狂気、矛盾、悪意、恫喝づくしの安倍暴走政権
◎さっそく検挙者を出した「マイナンバー」という「トラブルシステム」
◎NO NUKES! NO WAR! 板坂剛と松岡社長がデモの先頭で「反原発×反戦」を叫ぶ!
◎安保法採決直後に若者弾圧!ハンスト学生への「不当ガサ入れ」現場報告

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《大学異論43》奨学金地獄と高すぎる学費──揺るぎなき教育貧困国・日本

旧日本育英会ほか数団体が統合され発足した日本学生支援機構が貸与する奨学金がようやく世間でも問題化しはじめた。現在同機構が貸与する奨学金には2種類あり、1種は無利子で、2種は有利子だ。1種を申請すると成績や保護者の収入で借りられない場合があるが2種はほぼ無条件で貸与を受けることができる。

但し、貸与開始の際には連帯保証人を立てなければならないし、学費支弁者(多くの場合は親)以外にももう一人の保証人に印鑑を突いてもらわなければならない。債務者は学校を卒業した後の学生本人だが「とりっぱぐれ」の無いように「簡単に貸すが回収(取り立て)も厳しくいく」という体制が出来上がっている。サラ金のようなありさまだ。

◆「日本学生支援機構の奨学金(2種)≒ローン」という本音を吐いた中谷防衛大臣

「奨学金」は本来、その語句が示す通り「学びを奨めるための資金」であったはずだけれども、そこに「利息」を付加したことにより性格が大きく変容した。先の国会参議院特別委員会で中谷防衛大臣は「徴兵制」への懸念についての質問を受けた際に、「学資ローンを受けている学生」という言葉で答弁している。舌が滑ったのだ。本当は絶対に口にしてはならない本音が防衛大臣の口から出た。日本学生支援機構の奨学金(2種)は実質的に「ローン」だということを中谷大臣は告白してしまった。

同機構に問い合わせてこの発言についての見解を聞いたが「奨学金はあくまで奨学金で、ローンとは考えていません」との回答が返ってきた。そりゃそうだろう。実質国の機関なんだから、実態が「ローン」でも「奨学金」と言い張らないと体面が維持できない。

この失言を私は複数の野党議員に伝えたが、その後「中谷教育ローン」発言を追及する質問はなかったようだ。

◆平均給与所得世帯でさえなんらかの借金をしなければ子供を大学にやれない劣化社会

そもそも、学校に通うのに「教育ローン」を借りなければならない社会とはどんな世の中なんだ。高等教育に限れば今日私立大学理系の学費は150万円をゆうに超えるし、国立大学だって50万円以上かかる。国税庁によると2013年全給与所得者の平均給与は約414万円らしいが、一人の子どもを私立理科系大学にやれば、年間収入の3分の1以上を割かなければならない。

仮にその大学が自宅から遠隔地で一人暮らしをすることになれば、さらに生活費が少なくとも月に8万から10万はかかるだろう(多くの場合それ以上だろうが)。とすれば平均給与を得ている世帯では、他の原資(奨学金や親戚知人からの援助もしくは借金)に頼らなければ子供を大学にやることすら無理だという計算になる。

わかりやすい例を挙げよう。学生が学費を納める「大学」に勤務している人、すなはち大学教員や大学職員の給与は大学によって異なるものの、概して一般企業よりも高い。戦争推進法案に道を開いた畏くも偉大なる村田晃嗣氏が学長を勤める同志社大学教員60歳時の給与は額面で約1600万円だ。税金や社会保険の天引きがあるから手取りはおそらく1200-1300万円といったところか。

しかしこれだけの収入があっても、年の近い子供を下宿させている教員の中には「生活していくのに精一杯ですよ。3人の学費と仕送りで我々の生活費は年間300万は残りません」と語ってくれた人がいる。

おかしくはないか、この構造は。

額面1600万円といえば、給与所得者としては結構な高給取りだと思うが、そんな人ですら子供が3人同時に大学へ通うと、生活に余裕がない社会。こんなザマのどこが「先進国」なんだ。何が世界有数の経済大国だ。

◆高等教育無償のドイツとは雲泥の差──政府が執拗に進める日本の教育貧困国化

この島国と同じような狂信的な過ちを犯した歴史を持つドイツという国がある。ドイツでは食べ物など日用品の物価は日本より安い。そして大学の学費は無料だ。付け加えれば医療費も無料である。その一方最低時給は全国一律8.5ユーロ(約1129円)だ(日本の最低時給は都道府県別に決定されるが、2015年は最高でも東京都の907円で、鳥取、宮崎、沖縄は693円)。ドイツに限らず欧州の多くの国では高等教育を含めすべての教育機関の学費が無料である。その対極をなすのが英国・米国や日本、韓国などのアジアの国だ。

教育を「国が提供する当たり前の行政サービス」と考えるか、「市場原理で競争させる収益事業」と考えるかの違いが如実に現れる。この時代の日本では、大学に子供を通わせるのは所帯にとって一大事業だけれども、そんな心配や苦労を一切しなくてもよい国が世界には多数あることはもっと知られるべきだろう。それを多くの人が切実に認識すれば、「おい、この社会構造基本がおかしいんじゃないか」と疑問が湧くだろう。

「フロンティアスピリッツ」だの「自由と民主主義の国」といった虚飾にまみれた修辞を冠されることがさすがに近年少なくなったが、矛盾の集約形は米国において明らかだ。「99%の我々」というスローガンが米国で誕生したのには理由がある。世界一の経済大国であっても、庶民の生活が決して「世界一豊か」では全くなく、むしろ「貧困大国」と称されるのが実態であるということだ。だから米国の若い軍人の中には「大学入学するための資格と資金を得るために」入隊する者が多いし、一度軍人として籍を置いた人々には様々な社会的優遇措置がある。

かような「国のありよう」により近づこうとして、敢えて奨学金地獄を放置し、来るべき「徴兵制」の地ならしを政権は着々と進めているのだ。

ろくに内実にも詳しくもないのになんでもかんでも「外国はいい」という「外国かぶれ」の方がいるが、世界はそんなに一様ではない。でもこの島国で大学に行くことはこれほどの経済的負担を保護者にかけ続けている、そして負担が益々増加している様はもっと深刻な反発を招いてもおかしくはないのではないか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
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◎沈黙する大学の大罪──なぜこんな時代に声を上げないのか?
◎「人文社会科学系学部」ではなく、まず文科省を廃止せよ!
◎福岡教育大学「粛清」事件──安倍の弾圧に過剰適応する大学の罪
◎同志社大学・大麻所持者再逮捕報道の不可解

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歌舞伎町ぼったくり裏事情《1》「ぼったくり店」はどうやって生まれるのか?

新宿・歌舞伎町では、今年に入り、月平均で約200件の「ぼったくり被害相談」が新宿署にかかってくる。まさに「日本一、ぼったくりの多い町」だ。

「ぼったくり店」はどうやって生まれるのか。あなたが長年勤めた会社を辞め、夢にまで見た独立を決意したとしよう。商売の基本原則は「薄利多売」である。最初の3カ月は赤字でもかまわない。「先行投資」だ「出血大サービス」だと、集客効果を上げるために盛り上げる。店が繁盛すれば値上げを考えるという、確固たる自信を持って店はオープンした。

歌舞伎町ーセントラル通り(撮影 小林俊之)

開店後の1週間は友人知人が集まり、なかなかの盛況だった。だが、10日目を過ぎたあたりからバタッと客足は遠のき、2週間目に入ったころには店内に閑古鳥が鳴いた。頭をかかえ悩んでいた、ある日、顔見知りになったキャッチが、1人の客を連れてきてくれた。

「社長。この人、どこかそのへんのぼったくりバーでボラれたらしいんですよ。あまりに気の毒だから、3万円ぐらいの予算で飲ませてやってください」

3万円といえば、この店の客単価の3倍である。思わぬ新規の客の出現に、店はホステス総出でもてなした。店内は、華やいだ嬌声で溢れかえる。客も、終始笑顔で飲んでいた。

「ごちそうさま。楽しかった、また来るよ」

気持ちよく飲めたからなのか、店側の上にも下にも置かぬサービスが功を奏したからなのか。客は満足そうに店をでた。満面の笑みで、見送るホステスたち。客はヨタヨタと千鳥足で、歌舞伎町の雑踏の中に消えていった。

「社長、どうもすんませんでした。ウチの店でゴタ(=料金トラブル)った客です。いつまでもキャッチを探して、ウロウロしているので仕事にならない。仕方がないので、良心的な社長のお店に捨てさせていただきました」

歌舞伎町ーセントラル通り(撮影 小林俊之)

キャッチは悪びれずに言った。捨てるとは、トラブった厄介な客を別な店に入れてしまうことである。客も喜んで帰ったのだから、彼の計算どおりにことは運んだ。社長の目が険しく、キャッチを睨む。「また、あんな客がいたらお願いしますよ。今度は、ちゃんとお礼はいたします」

キャッチの意に反し、思いがけない言葉が返った。この店は、客引きを使い店が生き残るべき活路を見いだしたことになる。

「わかりました。ある程度の予算は聞いておきますけど、多少は高く獲ってもいいですよ。ボクら、客の状況やサイフの中身は把握しているんで。もちろん、おとなしい客ばかりで、厄ネタ(=面倒な客)は連れてきませんから……」

キャッチは、エレベーターのボタンを押す。そして、 振り向きざまに、思いだしたようにこう言った。
「あっ、社長。ここはカード使えますよね」
「はい、もちろん」
「それなら、バッチリですよ。ただ、どんな客でも店をでるときは連絡をください」
「わかりました」

店を出た客は、ぼったくられた恨み辛みをキャッチにぶつける。だから店としては、キャッチを逃がさないといけない。

クレジットカードは、コンビニのATMで現金をキャッシングできる上、限度額さえ残っていれば店での支払いにも使える。キャッチは、ニヤッと笑ってエレベーターに乗り込んだ。かくして新たなぼったくり店が、歌舞伎町に誕生する。[つづく]

(小林俊之+影野臣直)

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《4》東京五輪を前に警察が浄化作戦を始動? [近日掲載]
《5》御一人様51万円「クラブ・セノーテ」事件の衝撃 [近日掲載]
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隣のクルド人──「国を持たぬ民」が日本社会で暮らすということ

10月25日(日)の早朝6時50分頃、東京渋谷区のトルコ大使館前で、11月1日のトルコ総選挙の在外投票に来た人たちの間で乱闘が起きた。時事通信によれば、乱闘は断続的に発生。鼻を骨折するなど7人が重軽傷を負い、制止に入った警察官2人も負傷した。トルコ人とクルド系トルコ人の対立とみられ、同署は公務執行妨害と傷害容疑で詳しい経緯を調べる。(2015年10月25日付時事通信)

◆激化するクルド人とトルコ人の軋轢

この乱闘事件は大手マスコミでも盛大に報道されたので事件自体はご存知の方が多いだろうが、「いったいどうしてあんな騒動になったんだ?」とその理由や背景については、消化不十分な思いを抱いておられる方が多いのではないだろうか。

機動隊まで出動した、この派手な乱闘を単純化して解説すれば、トルコ国籍を持つ人たちが在外投票に大使館を訪れたのだが、そこで「トルコ人」と「クルド系トルコ人」が衝突を起こしたのだ。

我々から見ると外見ではなかなか区別しにくいが、クルド人はトルコ国籍を持っていようと独自の言語・文化を保持する民族だ。トルコでは今年6月7日に実施された総選挙(総議席数550)で、与党「公正発展党」(AKP)が第一党の285議席は確保したものの、初めて獲得議席数が過半数を下回った。

一方、公認候補を初めて擁立したクルド人の民族政党である「国民民主主義党」(HDP)は得票率13%を得て80議席を確保している。合法政党の進出もさることながらクルド人とトルコ人の軋轢は激化するばかりだ。

◆3000万人のクルド人──世界最大の「国家を持たない民族」

トルコは親日国として知られている。原発事故後の日本と原子力協定を結ぶほど、日本と仲が良い。7800万人ほどの人口を抱えるこの国には多彩な民族と宗教が混在するが、これまで西アジアでは比較的「治安の安定した」国と評価され、日本から観光で訪れる人も数多い。だが、トルコには長年に渡り頭の痛い問題がある。それがクルド人への対応だ。

A collection of photographs by the famous photographer Pascal Sebah on the occasion of the universal exposition in Viena in 1873.

クルド人。世界でおそらく最も悲劇的な歴史を背負って来たこの「国家を持たない民族」は約3000万人がトルコ、イラン、イラク、シリアなどを中心に世界中に分散しながら生活をしている。近現代史を少し紐解けばこの民族の足跡は悲哀に満ちていることがわかる。歴史と言わずとも、現在だってトルコ、イラン、イラクなどでは露骨な弾圧が加えられている。

クルド人の念願は勿論クルド人国家の設立だ。そしてそれは過去短期間ではあるけども実現したことがあった。1946年1月現在のイラン、西アゼルバイジャン州マハーバードを首都として「クルディスタン共和国」が独立を宣言する。ソ連からの援助を受けていたとはいえ、カーズィー・ムハンマド(Qazi Muhammad)を大統領とする「クルディスタン共和国」樹立はこの民族悲願の達成であった。

しかし、イラン政府(ならびに国際社会)は独立宣言から1年も経たない同年12月15日に武力で「クルディスタン共和国」を打倒する。大統領カーズィー・ムハンマドはチャール・チュラ広場で公開絞首刑となり、以降クルド人はひっそりと狩猟を中心とした生活を強いられることとなる。

しかし、西アジア、アラブ各国に広がるこの民族は独立国家の設立を諦めたわけではない。イラン・イラク戦争中には双方が相手国に居住するクルド人に支援を与え内からの弱体化を試みたのを契機に、散発的な武装蜂起がイラク、イラン両国で何度か発生した。

しかし、両国政府は自国に在住するクルド人弾圧の手を緩めることはなかった。とくにイラクでは毒ガス兵器によるクルド人爆撃が大規模に幾度も行われた。確認されている最初の攻撃は1988年3月17日ハラブジャ地方のクルド人居住地域に多量の毒ガス(マスタードガス、ブタンガスなどの混合と見られる)が撃ち込まれ、3700人の死者が出た。

また91年の第一次湾岸戦争後には欧米が「フセイン政権打倒」をイラク国内の反体制勢力に呼びかけたことに呼応する形でイラク国内での少数派シーア派と同時にクルドは蜂起するが、この時またしてもフセイン政権は毒ガス爆撃をクルド人居住地域に対して行っている。

◆沸き起こる心の発揚を抑えない硬質な闘争心に満ちた群衆の姿

90年代後半、私は出張で数日、オランダに滞在した。アムステルダムの目的地に歩いて向かっていると石畳の上を早足で迫ってくる数百人の群衆、否正確にはデモ隊に遭遇した。彼らは背格好がオランダ人ではない。「ひょっとしてクルド人か」との予想は外れていなかった。偶然にも当時少数民族問題に興味を持ちクルド、タタール、チベット、東ティモール、バスクなどの情報を集めていたこともあり、突然目の前に現れたクルド人デモ隊には、鮮烈な衝撃を受けた。

デモ隊は英語で書かれた横断幕も複数持っていたが、叫んでいる言語はクルド語だ。だから、そこで何を叫んでいたのかを私は正確には理解していないけれども、前述のような歴史を知る者として、彼らの叫びと石畳を踏み鳴らす音響には震えを覚えた。

これが沸き起こる心の発揚を抑え切れない(抑えない)硬質な闘争心に満ちた群衆の姿だと、しばし私は彼らの発するエネルギーに黙して見入っていた。

国土を持たない(実質的に歴史上も持ったことのない)分散された民族。その悲しみを私自身がしっかりと共有できているなどとは、おこがましくて言えない。そんな背景を持った人々が東京で見せた露わな姿。

ただ、騒動があった、と片付けてしまうには重たすぎる命題を私たちは示された。独立への指向、民族自決の要求は不当なものだろうか。それが末端では小競り合いや殴り合いという形で現れようが、歴史と現実から目をそむけてはならない。解決策はあるのか。国連は何をやっている。それらをこの島国の住人が少しでも知ろうとするところかしか、話ははじまらないだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎アフガニスタンの「ベトナム化」を決定づけたオバマ米大統領の無法
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何度死んでも本当は死なない「笑点」歌丸師匠の真顔話が遺言のようで気にかかる

落語が大好きなわたしですが、最近気になるのは何といっても歌丸師匠の体調です。「笑点」大喜利の進行も病欠がしょっちゅうですし、腸閉塞や床ずれにもなっていらしゃるようです。

それでも笑点に出演した時は、天敵、円楽から「まだ生きてる!」、「歌丸死んだ!」ネタをこれでもかと投げかけられます。それを見て笑ってるんですから、わたしも残酷なもんだなーと反省したりします。でも、聞いたところによると円楽と歌丸師匠の間ではこの「自虐ネタ」を推奨しよう!という協定がかなり前に結ばれていたそうです。

『座布団一枚! 桂歌丸のわが落語人生』(2010年9月小学館)

その歌丸師匠、10月18日には東京新宿で行われたイベントに車いすで登場されたそうです。体調は?と聞かれたら「ダメです」と即答されて、笑いをとっていました。さすが噺家ですね。

そして10月19日の朝日新聞にはこんな真面目な話も出ていました。

今や、芸歴60年以上。落語芸術協会の会長にもなった歌丸さんが「だいぶ後で気がついた」ことがある。「人間、人を泣かせることと人を怒らせること、これはすごく簡単ですよ。人を笑わせること、これはいっちばん難しいや」。涙や怒りはあっても、「人間にとって一番肝心な笑いがないのが、戦争をしている所」と感じている。

今の日本の政治家は「怒り顔」や「ぼやき顔」が目立ち、「油断できない」と話す歌丸さん。最近は、メディアで自身の戦争経験を語る。「今、日本は色んなことでもめてるじゃないですか。戦争の『せ』の字もしてもらいたくないですよね。あんな思いなんか二度としたくないし、させたくない」
(「涙や怒りはあっても笑いがない、それが戦争 桂歌丸さん」2015年10月19日付朝日新聞)

◆円楽の「歌丸殺し」ネタは残酷なようで愛情に満ちている

本当は歌丸師匠、こんな話したくはないんだと思います。だって「人を泣かせることと人を怒らせること、これはすごく簡単ですよ。人を笑わせること、これはいっちばん難しいや」とご本人がおっしゃっているじゃないですか。笑わせたいはずですよ。

一方「歌丸殺し」常習犯の円楽は、短いやり取りの中にもにも冴えを見せますね。昔ビートタケシが「権力批判で笑いがとれるか」と開き直ったことがありましたけど、権力批判だって、頭脳と芸があれば笑いの対象にできることがタケシには判らなかったのでしょうね。タケシは円楽の足元にも及びません。

円楽の「歌丸殺し」ネタは残酷なようで愛情に満ちている、だから見ている人間も笑えるんです。だってもう本当に死にそうな人に向かって「死ね」っていって笑わせるのは、愛情と冴えがなければ無理ですよ。

それに対してタケシは非情というか、この人の笑いは対象を貶めるのが一つのパターンですね。自分が馬鹿やる芸もできますけど。基本権威主義者なんですよね。タケシは。だから映画の監督なんかをやりたがる。

貶める「笑い」をタケシが確立して、世間も肯定しちゃってから、お笑い芸人の質が落ちましたね。「とんねるず」や「ダウンタウン」を「新しいタイプの芸人だ」なんて、とんちんかんな評価がありましたけど、こいつらの芸は基本「貶め」ですよね。タケシが敷いた路線の上を安全運転しているだけ。

悪いけどわたし「とんねるず」と「ダウンタウン」を見て、一度も笑えたことがないんですよ。いや本当に(「中川家」の方が数段面白いとおもいます)。「ダウンタウン」の松本が、クソ偉そうに「遺言」を出版した時に立ち読みして、やっぱりこいつは芸人じゃない。わかっていないなと思いました。「遺言」書くほどの仕事してもいないくせに一流気取りの松本。笑えるのはその己知らずのアホさ加減だけです。

さんまなんか最低ですね。今年は本物のさんまも不漁らしいですけど、この男自分で笑うしか芸がない。あんな低俗な笑い方につられた大竹しのぶには落胆したものでしたが、こいつもわたしが死ぬまでに1度くらい面白い芸をして欲しいものです。

さて、歌丸師匠の真面目なお話しが、ちょっと気にかかるんです。遺言のように聞こえてしまうのはわたしだけでしょうか。歌丸師匠は何回死んでも本当には死なないんです。

面白くもない「お笑い芸人」を張り倒す勢いの歌丸師匠の話にはジーンとさせられました。

(伊藤太郎)

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群雄割拠?大同小異?日本のキックボクシング系競技に「王座」が乱立した理由

「ボクシングと違ってキックは偽者チャンピオンが多い中、新日本キックのチャンピオンはみんな強いので、内田雅之(日本フェザー級チャンピオン=当時/藤本)選手と対戦させて頂けたらと思います」

JKIフェザー級2位の竜誠(=りゅうせい/ダイケン)が、8月30日の新日本キックボクシング協会・治政館ジム興行で、日本フェザー級6位の櫓木淳平(=ろぎじゅんぺい/ビクトリー)を倒した後、マイクアピールでこう宣言したように、キックボクシングの世界では、チャンピオンが名指しされることが明確な実力証明のステータスとなりつつあります。

◆キックボクシングはチャンピオンだらけの格闘技?

WPMFのベルト、WPMF日本Sバンタム級C.鷹大

「国内チャンピオンは偽者が多い」と言われる背景として、決して無造作にチャンピオンが認定されている訳ではなく、王座乱立が激し過ぎるというものです。しかし、コアなファンならば、どのチャンピオンが本物か見極めることが出来ても、“チャンピオンは一人”という固定観念がある一般人には「誰が一番強いのか?」よくわからない。それが“二人”であったとしても、その対立関係で成り立つプロ野球2リーグ制のような説明は付いても、国内の同じ階級に10人もチャンピオンが居ては、「初めてキックボクシングを観ました」という観客から見れば「何がどうなっているか」は見え難く、「キックボクシングはチャンピオンだらけの格闘技」となっています。

1966年にキックボクシングが日本で誕生して以来、国内外問わず、多くの王座(チャンピオン)が誕生してきました。国内では、新団体が出来る毎に王座が各階級で新設されていましたが、10年程前から徐々にその規模とスピードは拡大。団体の他、プロモーション単位の任意で作られた、興行看板となる王座がやたら増えたのがここ5年程で、更に国際的に世界チャンピオンを認定する世界機構の管轄下に置かれる日本王座も誕生し、価値の差はあれどチャンピオンは幾らでも作れる勢いです。

◆合従連衡の後──群雄割拠?大同小異?

新日本キックのベルト、日本ライト級C.高橋勝次

元々、高度経済成長期に乗ってKO率90パーセント超えの激しさからキックブームになった昭和40年代~50年代前半(1966年~1977年)の“主要団体”は、日本キックボクシング協会、全日本キックボクシング協会の二つしかありませんでした。テレビの全国ネットでレギュラー放送されていた時代は概ね昭和43年(1968年)から55年(1980年)で、それは2系列ではあっても日本のトップそのもので、これを目指して全国から血気盛んな若者がチャンピオンを目指してやってきました。

そんな黄金期を経て、昭和50年代半ば(1980年頃)にはテレビが離れ、世間から記憶にも残らなくなっていきました。そんな低迷期には業界大手が弱体化し、我道を行く団体分裂が激化。テレビ放映は無く、日本列島に響き渡らない時代に最大で7団体がひしめき合っていましたが、平成に入った時代(1990年)には定期興行が打てる“主要3団体”に落ち着いていました(当時は1984年設立の日本キックボクシング連盟、同連盟から枝分かれしたマーシャルアーツ日本キックボクシング連盟、1987年復興の全日本キックボクシング連盟)。

しかし、そこでも過去に似たような組織のトップ役員に対する反発が各団体で勃発。団体内の方向性の違いによる革命や金銭トラブルに対する反発で団体分裂が再び激化しました。更にそんな繰り返される問題から、フリーのジムが増え、団体に属さなくても独自でやっていけるという過去に無い変化が現れた時代になっていきました。昔はどこかの団体に加盟しなければ興行など成立せず、フリーでは団体興行に出場させてもらうことも難しかったのです。

WBCムエタイのベルト、WBCムエタイ日本ライト級C.宮越慶二郎

今、この競技の定期興行で運営される国内タイトルをまとめると、野口修氏創設の老舗を継承し、日本プロスポーツ協会に唯一加盟出来る存在の新日本キックボクシング協会の日本王座(加盟ジムのみ)、ニュージャパンキックボクシング連盟とジャパン・キックボクシング・イノベーションを統一する形で存在するWBCムエタイ日本王座(非加盟でもライセンス取得で出場可能)、本場タイ国の政府管轄下にあるタイ国ムエスポーツ(プロムエタイ)協会を母体とするWPMF(世界プロムエタイ連盟)の傘下にWPMF日本王座(実績次第で出場制約無し)が存在します。

◆2015年、本場のムエタイがやってきた

そんな中に今年また、「ムエタイ」ブランドを掲げる王座が新設。ルンピニースタジアムの海外初となる日本支部開設を発表したのが8月7日。今後12月以降、「ルンピニーボクシングスタジアムジャパン」としての興行が行なわれ、日本ランキングの制定と日本王座決定戦、そして本場ルンピニースタジアムのムエタイ最高峰王座への挑戦権も与えられていくことになるという構想です。

ルンピニーボクシングスタジアムは、ラジャダムナンスタジアムと双璧を成すタイ・ムエタイの二大殿堂のひとつです。ムエタイは500年の歴史を持ちつつ、戦後活発に発展したタイの国技です。地方での有望な選手がバンコクでの頂点に目標を持って大量に押し寄せる極めて難しい頂点。そこへギャンブル好きの賭け屋が大勢の観衆としてスタジアムを支え、確固たる発展を遂げたのが本場ムエタイの姿です。
更には認定機構管轄下にはないが、マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟、J-NETWORK、NKBなど定期興行が安定した団体王座があり、更にプロモーション単位の任意王座が続きます。

◆50年近く王座統一がなされないもどかしさ

世間一般の方々には、一本化されない競技に関心も沸かないところかもしれません。日本統一チャンピオンになるには、まだ程遠いプロモーションの結束が必要ですが、スポーツ庁などの公的機関が管轄されれば一気解決ながら、利害関係がもたらす問題も懸念され、キックボクシング系競技の真のメジャー化はまだ難しいところです。

統一されないこんなことが50年近くも続いている中、「今いっぱいチャンピオンが居るらしいじゃない、せめて昔のような2系列時代にならないとなあ」とは3月15日の江幡睦のダブルタイトル戦の興行前、昭和40年代の“小さな巨人”といわれた元・全日本バンタム級チャンピオン.大沢昇氏が創生期からの盟友、元・日本ミドル級チャンピオン.藤本勲(目黒藤本ジム会長)氏にしみじみ語っていたことが、ファンの声を代弁しているようでした。

大沢昇&藤本勲、沢村忠以外にも創生期を支えたチャンピオンたち(2015年3月15日)

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない。」

◎9.27WBCムエタイ戦──強豪たちの本気の対戦がムエタイの権威を高める!
◎倒すか?倒されるか?日本キックボクシング連盟「大和魂シリーズ」vol.4報告

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新聞紙面がネットに勝っている二、三の事柄──衰退していく読者の想像力

新聞の購読者数が減っている。前年度比で2015年前半は朝日、読売、毎日、日経、産経全ての全国紙が部数を減らしている。なかでも下落幅が大きいのは朝日で前年比4%以上の落ち込みで公称発行部数は679万部まで落ち込んだ。「1千万部発行」を売り物にしていた読売も前年比1.51%で1千万部を割り込み、毎日0.61%、日経0.51%、産経0.04%それぞれ部数を減らしている。(2015年08月19日付ガベージニュース)

朝日の部数減が際立っているが、これには昨年の「吉田調書」問題が大きく関係しているだろう。読売、産経や、週刊誌、はては政治家までが「弾圧」を加えてた「吉田調書」問題。朝日は謝罪などする必要は毛頭なかったのに筋違いの謝罪をしてしまった。その反響1月あたり5万部に相当する読者離れを引き起こしたのであろう。

しかし朝日以外の他の全国紙も全て部数を減らしている。この現象はどう考えればよいのだろうか。

◆20代~40代世帯のほぼ半数が新聞購読経験なし

解かりやすく一番明確な原因は、多くの人が「新聞を読まなくなった」ことだ。殊に20代-40代の所帯では新聞の宅配を一切経験したことがない、という人が半数近くに上る。必要な情報はインターネットで得るので新聞はほとんど読まないとう人も少なくなくなってきた。

また、紙ではなく電子版の普及が部数減につながっているという分析もある。電子版の販売部数を公表しているのは日経だけだ。それによると「朝刊(紙)販売数273万2989部、朝刊(電子)販売数39万0819部」だ。朝刊購読者のうち紙と電子の併読が18万4194部で、電子単独購読者が20万6697部となっている。

つまり従来の紙誌面の7%は電子誌面に取り込めているという計算になる。ただし全国紙の中でも日経は経済に重点を置く、やや特殊な新聞だから購読者総も一般家庭というよりは、ビジネスパースンが多く、彼らが出勤途中、タブレットなどで日経誌面をチェックする姿は想像に難くない。

◆紙面を広げられないから具合が悪い

一方、他の全国紙はどうだろうか。「紙ではなくなった新聞」に私は少なからず違和感を覚えるが、これから各紙とも電子化への移行が進むのだろうか。少なくとも電子化により部数減を食い止めたい、という新聞社の意向は明確のようだ。例えば朝日のホームページで記事を読んでいると記事の半分ほどで「無料登録をして先を読む」、「ログインして全文を読む」の選択肢が表示され、何もしなければそこから先は読めない。

朝日の商売下手なところは、ある程度以上の長さの記事になると、このメッセージをどの記事にも乱用しているところだ。インターネットで記事を読もうとした人は「ケチな奴だな」と感じることだろう。

読売のサイトは朝日とは異なり一応記事の要旨はまとまった所まで掲載されていて、その後に「読売プレミアムに登録済の方、記事の続きへ」と「未登録の方、新規登録へ」のタグが表示される。

これまで新聞を購読して来なかった人たちは、このようなタグが現れたら、おそらくその関連文字を検索エンジンに入力をして、他の情報源から知りたいことの内容を確認するのではないだろうか。

長年、何があろうと新聞を朝、夕ななめ読みする習慣のついている私にとって、新聞は紙でないと具合が悪い。なぜなら電子版では新聞を広げられないからだ。私にとって新聞は「何が書いてあるか」が勿論興味の対象ではあるが「何が書かれていないか」、「この小さな記事に隠れた意味は何か」を察知するのに欠かすことの出来ない情報源だ。

◆網羅的な情報に接する体験を失いつつある若者たち

そして新聞には、興味のない記事も多数掲載されている。それに無理から目を通すことが、私には貴重な情報インプットの源泉となっている。紙の新聞であれば仕方なく1頁づつめくって読んでいくけれども、電子版になれば興味のない記事には目もくれないだろう。新聞でなくたってインターネット上の情報の取捨選択には既にそのような習い性が多くの方の身に付いていることだろう。

今後新聞は衰退してゆくだろう。新聞的な情報の価値が下がったわけではなく、網羅的な情報に接することの貴重さを経験したことのない若年層が増加するからだ。スマートフォンやタブレットから拾える情報は無限大だろうが、新聞紙を広げてそこに「書かれていない」ことから世界を想像することも、それはそれで貴重な作業だとは思うが、時代遅れなのだろうか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎辺野古「埋め立て許可」を取り消した沖縄の自立意識は「琉球独立」へと向かう
◎安保法採決直後に若者弾圧!ハンスト学生への「不当ガサ入れ」現場報告
◎3.11以後の世界──日本で具現化された「ニュースピーク」の時代に抗す
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ガンから生還!「国松警察庁長官を撃った男」から届いた決意表明の手紙

〈長らくご無沙汰していましたが、最近は手術の予後の休養生活に入り、テレビの特番の放送も二回実現したことで、状況も一段落しました〉

先日、10カ月ぶりに届いた彼の手紙はそんな書き出しで始まっていた。手紙の主は中村泰(ひろし)、85歳。あの歴史的未解決事件、国松孝次警察庁長官狙撃事件の犯人だという説が根強い男だ。

中村から10カ月ぶりに届いた手紙

国松長官が自宅マンション前で狙撃され、瀕死の重傷を負ったのは今から20年余り前の1995年3月のこと。全国警察約26万人のトップが狙撃されるという超重大事件だけに警察は犯人検挙のため、威信をかけて捜査に取り組んだ。しかし、捜査を主導した警視庁公安部はオウム真理教犯行説に固執して迷走し、結局、2010年に事件を迷宮入りさせてしまう。一方、この間に警視庁の刑事部が犯人とみて、追及を続けていたのが中村だった。

中村が国松長官狙撃事件の捜査線上に浮上したきっかけは、2002年に名古屋で銀行の現金輸送車を襲撃し、逮捕されたことだった。中村はその後、獄中にいながらマスコミと接触し、自分が長官狙撃犯だと訴えるようになった。その自白内容には犯人でないと語れないような内容も多く、中村こそが長官狙撃犯だと考える取材関係者も少なくない。かくいう筆者もその一人である。

筆者は今年1月4日に当欄で、この中村が病に冒され、医療施設で闘病中だということを報告した。この時には病名は伏せたが、実は中村が見舞われた病は直腸癌だった。筆者は正直、年齢も年齢だし、大丈夫かな……と心配していたのだが、無事と近況を知らせるために届いたのが冒頭の手紙だった。

◆抗癌剤治療を受けながら著書を執筆中

手紙によると、服役先の岐阜刑務所は医療体制が不十分なため、中村は昨年末に大阪医療刑務所に移送され、今年初めに手術。術後の経過はよく、現在は岐阜刑務所に戻され、抗癌剤治療を受けながら静養しているという。

〈抗癌剤なるものはいろいろ副作用がありまして、万全の状態とは言えません〉

手紙では、そんな苦労も綴っていた中村だが、一方でテレビ朝日が昨年8月と今年3月、特別番組で自分のことを長官狙撃犯であるかのように報じたことを喜んでいた。

〈私としてはこれで警視庁の大嘘つきどもに一矢なり二失なり報いてやれたわけで、どうやら病苦の埋め合わせができたように思います〉

中村の犯人説を追った本「警察庁長官を撃った男」(鹿島圭介著)。中村曰く、本の内容は大半が事実だという。

中村は国松長官を狙撃した目的について、地下鉄サリン事件発生後もオウムへの強制捜査に及び腰だった警察をオウム制圧に駆り立てるためだったと語ってきた。そして自分の謀略通り、警察はオウムが長官を狙撃したと誤認し、制圧に動いたが、この自分の功績を世に知らしめたくなり、我こそは真犯人だと訴えるようになったと説明している。今回は取材協力したテレビの放送により、自分を犯人と認めない警視庁公安部に一泡吹かせてやったという思いらしい。

そんな老殺人者は現在、自著の執筆も進めているという。

〈不自由きわまる環境ですから、なかなか大変なのですが、支援者の協力も得ながら先行き短い命の続くかぎり、努力を続けていく覚悟を固めています〉

警察庁長官が狙撃されるという日本の戦後史に残る重大事件がこのまま未解決で終わっていいはすがない。中村が本当に国松長官を狙撃した犯人ならば、命あるうちに事件の真実を書き残してもらいたい。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

◎10月はなぜ未解決の重大事件が多いのか? 刺殺、放火、バラバラ殺人も迷宮入り
◎再審取り消し決定文書にもパクリ疑惑!──冤罪説が根強い鹿児島「大崎事件」
◎発生から15年、語られてこなかった関東連合「トーヨーボール事件」凄惨な全容
◎3月に引退した和歌山カレー被害者支援の元刑事、「美談」の裏の疑惑

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2020年にも到来する自動運転車実用化──最大障害は技術力ではなく法規制

現在、日米欧で「自動運転車」の開発が進んでいる。本稿では各メーカーの進展状況と、「自動運転車」が普及した場合、どのような変化が起きるかを述べた。変化は国々の状況により、大きく違い、地方と都市部など、国が同じでも地域によってる差が出ると予測される。

実運動の障害は、技術的な問題よりも、運転車、社会のメンタリティ、法的整備である事が判った。

以前より、「自動運転車」の開発は漏れ伝えられている状況であった。筆者も20年ほど前、本田技研の開発者より非公式ながら「あんなものは2、3年あればできる。問題なのは自動車よりインフラの整備だ」と聞いた。

今年になって突然、「自動運転車」の開発状況が公開されるようになった。今年6月に米Googleはハンドルもブレーキもない完全自動運転車「prototype」の公道走行試験を行うと発表。追いかけるようにApple社も二月にウォールストリートジャーナルが開発を報道し、8月にサンフランシスコ郊外の米軍試験基地跡地を取得し、舗装道路総延長32キロのテストコースでの疑似公道走行試験を開始。9月に入るとすぐに米当局に対して公道試験の許可を求めた。

日本メーカーも負けていない。トヨタ、日産、ホンダが自動走行車の開発を発表。10月にはトヨタが「自動運転車」が首都高を試験走行。自動車線変更に成功したと発表した。

一方、ヨーロッパではすでにボルボ、メルセデスが高速道路上に限り自動運転を実用化できるタイプを発表している。

◆自動運転車実用化で始まる生活革命

従来、自動車は二点間を移動するだけの道具であった。運転車や同乗者は移動のために車に乗り込む。同乗者であれば移動の間に寝ていようが、食事していようが好きにできたが、自動運転車では運転者も同乗者と同じように過ごす事ができる。いわば、バスや、電車に乗っているようなものだ。

新幹線などで顕著なようにパソコンで仕事をしたり、ビールを傾けているビジネスマンもみられるように、自動運転車もビジネスの場となる。しかも、電車やバスが公共施設的性質が強いのに対して、自動運転車は個人的スペース性質が強くなる。
自動運転車が実用化され、もっとも大きな影響を受けるのはアメリカだろう。良く言われるようにアメリカは自動車社会であり、通勤の主力は自動車である。若年者も16歳になれば免許を取得して自分で学校に通う。現行型であれば移動の間は運転に集中する必要があるが、自動運転であれば朝の会議の準備をするか、やり残しの宿題と格闘するかも知れない。

より大きな恩恵を被るのが車上生活者である。日本でもアメリカでも貧困層の路上生活者が問題となっているが、アメリカの場合、路上生活の前に「車上生活者」が存在する。アメリカの車上生活者はトレーラトラックに住む。トレーラーの中にバス、トイレを完備して、夫婦生活も車上で行う。地方であればこうした車を受け入れる余地はあるし、都市部でも車上生活者のために駐車場が存在する。車上生活者はなんらかの雇用が発生すれば、通勤に楽な場所に移動してそこから職場に通う。砂漠の真ん中のロードサイドショップであれば交通費はかからない。居住費がかからず、生活費も安いから、正規雇用にこだわる必要もない。

完全自動運転が実現すれば日本でも同じような状況が発生する可能性がある。地方であれば自動車を止める場所にこと欠かない。現行の乗用車の中で寝泊まりするのは苦痛が大きいが、夜眠るためのフルフラットのシートを開発するのは用意だ。そもそも、ハンドルやブレーキといった突起物もない。

現代の東京でもコインパーキングが発達して「1泊800円」などのケースがある。ここに自動車を止めて1ヶ月生活しても2万5千円程度にしかならない。ワンルームの家賃に加えて自動車を維持する価格と、自動車一台だけ維持する価格を比較すればどちらが優位か明白である。

小型乗用車でも単身者、あるいは夫婦が暮らすのに不都合はない。子連れでもワンボックス車で十分である。シャワーを浴びたければ漫画喫茶に行くか、自動車で温泉に向えばいい。

長距離出張も変わるだろう。東京大阪であれば新幹線往復一日というのも珍しくないが、「自動運転車」で夜、出発して、朝大阪について、仕事を済ませそのまま帰ってくる。新幹線より遙かに安い。社員にしても往復の自動車の中で飲もうが好きな映画を見ようが、場合によっては女性を同伴させてもなんら差し支えはないのだ。

自動運転車の発達により、物流も変化するだろう。タクシーやトラックから運転手がなくなる。Googleやappleなどのコンピュータ会社が先導している所から、車体やエンジンをOEM供給する自動車会社にも需要が発生するだろう。

◆2020年導入で足並みが揃えた日米自動車メーカー

現時点の発表だと、日米の自動車メーカーの市場投入が2020年と足並みが揃っている。他社メーカーに後れを取らない、かつ、ライバルメーカーの出方を見るため近い年代となったのだろう。

発売時期とはちがい、各社とも仕様はかなりの違いが見られる。現代のヨーロッパ車は高速道路上での運転を狙い、通常の運転装置に自動運転モードがある。ヨーロッパではドイツのアウトバーンで知られるように、高速道路での性能が重視されるためだ。五年後にどの程度まで技術力をアップさせるか興味深い。

トヨタは「自動車には運転する楽しみがある」という社是があり、手動運転機構を外すとは思えない。トヨタもすでに公道実験を成功させているところからかなりの発達が予期できる。

アメリカも高速道路は発達しているが、ヨーロッパのような高速移動は要求されない。近場へ向かう足と考えられれている。街、市街地と呼んでもよほどの大都市でない限りポツポツと郊外型店舗が並んでいる程度である。

Googleは市街地における完全自動走行を目的として、ハンドルもブレーキもない。ただし非常事態に備えて「緊急停止スイッチ」があるという。その場で完全に停止するのか、なんらかの判断で路肩に停止するかのは公表されていない。ただし、開発名とされているprototype(試験機)からして、実用型は相当の変化があると見られる。発表されている動画は日本製の軽自動車か、ベンツのスマートを思わせる小型車だ。

秘密主義のappleはコンセプト画像を発表しただけで詳細は不明だが、試験規模から考えて市街地での完全自動走行を狙っているようだ。

もちろん、最終的には、完全自動走行車が実現するだろう。技術的には問題はない。かつてホンダが「インフラの問題」と言ったように、GPSの精度も上がり数十センチの単位で自分の位置を特定できる。グーグルマップと重ね合わせれば、自分の家の前まで誘導できる。トヨタはすでに「プリウス」で「自動車庫入れ装置」を実用化した。車庫入れが終わると人間はスイッチを切ってドアを開けるだけである。

しかし、公道を自動走行している自動車を見て歩行者や、他のドライバーはどう反応するだろうか。運転手の居ないバスに乗りたがるだろうか? 自動走行車が死亡事故を起こしたら、責任は誰が取るのか? ドライバーなのか、メーカーなのか。その事故が飛び込み自殺の様な恣意的な場合はどうするのか。

法がまったくといって良いほど対応できていない。まだ、存在しない物に対応しろというのが無理であるのは当然だが、かなり妙な事態が発生するのは予期できる。

問題となるのは事故だけではない。交通規制に対応させる必要がある。あまり聞かない違反であるが「歩行者通行妨害」という交通違反がある。歩行者が信号のない道路を渡ろうと横断歩道のそばに立っている場合、自動車は一時停止して歩行者を渡らせなければならない。現実にはあまり守られないが、もし歩行者が立つ横断歩道で自動運転車がいちいち、停止していたら搭乗者は怒り狂うだろう。かといって、「歩行者通行妨害」を無視するプログラムを自動運転車に組み込むわけにはいかない。

1969年に高速道路が完成して直後、1キロでも速度超過すれば違反で、速度超過は5キロ刻みで罰則が違った。最大速度30キロ、40キロの生活道路に準じた規定である。

現在でも高速道路の速度超過の違反はあるが、30キロまでは一律の罰則であり、事実上50キロ以上でないと取り締まりはない。高速道路の完成から法が追いつくのに、50年かかっているのである。

日本に最初に登場するのはトヨタ型の自動運転モードつきの自動車となるだろう。しかし、いつかは完全自動運転車が入ってくる。

導入に備えて法を整備する必要がある。

もちろん、国土交通省が「導入を認めない」という恐れもあるが、日本国内の少子高齢化に逆行する動きとなるし、数少ない好況産業である自動車を圧迫しかねない。完全自動運転車導入の最大の障害は法規制なのだ。

(鈴木雅久)

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