天皇制はどこからやって来たのか〈20〉近世・近代の天皇たち── 江戸期の女帝〈2〉後桜町天皇

◆博識の女帝

江戸期のもうひとりの女帝は、後桜町(ごさくらまち)天皇である。彼女の即位は、幕府と朝廷の対立ではなく、公家社会の大きな変化によるものだった。

後桜町(ごさくらまち)天皇

江戸期の朝廷の課題は、朝儀(皇室行事)の復活という、貴族社会の伝統文化を取りもどすことにあった。明正天皇の異母弟で俊英の後光明帝が最初に手をつけ、幕府も徐々に予算を付けるようになっていた。名君のほまれが高い八代将軍徳川吉宗による享保の改革は、奢侈をいましめる反面、朝廷に対しては理解があり、この時期には朝儀の復興も行われている。

こうして朝儀というかたちは整いつつあったものの、その担い手である摂関家は衰亡の危機にあった。摂関家では若年の当主ばかりとなり、朝儀の運営も満足にできない状況に陥っていたのだ。これに対して政務に関与できない位階の低い、若い公家のあいだで不満が高まりつつあった。

徳大寺家の家臣で、山崎闇斎の学説を奉じる竹内式部が、その急先鋒となった。竹内は大義名分の立場から、桃園天皇の近習である徳大寺公城をはじめ、久我敏通、正親町三条公積、烏丸光胤、坊城俊逸、今出川公言、中院通雅、西洞院時名らに神書や儒書を講じるようになっていく。幕府の介入と摂関家による朝廷支配に憤慨していた若手の公家たちは、桃園天皇にも竹内式部の学説を進講させることに成功した。宝暦6年(1756年)のことである。 やがて、竹内の講義をうけた若手公家の中に、雄藩の勤皇有志を糾合して、徳川家から将軍職を取り上げる計画を広言する者まで現れるにいたる。

これに対して、摂関家がうごいた。幕府との関係悪化を憂慮する関白一条道香は、近衛内前、鷹司輔平、九条尚実とはかって、天皇近習7名(徳大寺、正親町三条、烏丸、坊城、中院、西洞院、高野)の追放を断行したのである。ついで一条道香は、武芸を稽古したことを理由に、竹内式部を京都所司代に告訴し、徳大寺など関係した公卿を罷免・永蟄居・謹慎に処した。竹内式部は京都所司代の詮議を受け、宝暦9年(1759年)に重追放に処せられた。

この事件で幼いころからの側近を失った桃園天皇は、一条道香ら摂関家の振舞いに反発を抱き、にわかに天皇と摂関家の対立が激化する。すでに幕末の反幕勤皇派と旧守派公卿との対立が、ここに胚胎していたといえよう。

宮中が混乱するうちに、桃園天皇は22歳の若さで急逝した。皇子の英仁親王はまだ五歳である。代わりに桜町天皇の娘・智子が後桜町天皇として即位した。新しい女帝は22歳、宝暦12年(1762年)のことである。
 
8年後の明和7年(1770年)、13歳になった英仁親王が後桃園天皇として即位する。31歳で上皇となった後桜町は、新天皇のことをとても心配していたようだ。後桃園の即位直後に、前関白近衛内前に、「をろかなる われをたすけの まつりごと なをもかはらず たのむとをしれ」という和歌を書き送っている。翌年の歌会始めでは、「民やすき この日の本の 国のかぜ なをたゞしかれ 御代のはつ春」と詠んでいる。女帝の日記には、幼い皇太子に教え、詩歌を添削する記録がのこされている。

かように後桜町天皇は、古今伝授に名を連ねる歌道の名人であった。筆にもすぐれ、宸記、宸翰、和歌御詠草など、美麗な遺墨が伝世している。彼女は『禁中年中の事』という著作を残し、和歌の他にも漢学を好み、譲位後には院伺候衆であった唐橋在熙と高辻福長に命じて、『孟子』『貞観政要』『白氏文集』等の進講をさせている。まさに博識、学者天皇と称するにふさわしい女帝であった。

安永8年(1779年)11月、女帝が薫陶をたくした後桃園天皇も、父と同じ22歳で急逝してしまう。今度は亡き帝の生まれたばかりの娘(欣子内親王)が一人いるだけで、また帝の弟で伏見宮家を継いでいた貞行親王も、7年前に12歳で亡くなっていた。

そこで、後桃園天皇の死が秘されたまま、公卿諸侯、幕府などと調整が行われた結果、閑院宮家六男の兼仁親王を後継にすることになった。その兼仁親王は、亡帝の後桃園天皇から見れば父の又従兄弟ということになり、血筋はまったくの傍系であった。これが光格天皇である。

この即位以前に、後桜町上皇は貞行親王(光格天皇)の和歌を熱心に添削している(日記)。ことあるごとに光格天皇の相談に乗り、さながら影の女帝のごとくであった。朝廷の教育者として君臨し、あるいはのちに「近代への国母」と呼ばれる女帝は、やはり独身で生涯を終えている。

◎[カテゴリー・リンク]天皇制はどこからやって来たのか

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

村田裕俊、優勝で有終の美を飾る! 交戦シリーズVol.5

昨年12月14日にスタートしたジャパンシフトランド杯59kg級トーナメントの決勝戦。村田裕俊は初戦(準々決勝)、テープジュン・サイチャーン(ReBORN経堂)に判定勝利。2月8日の準決勝、遠藤駿平(WSR・F三ノ輪)に判定勝利。

髙橋亮は初戦(準々決勝)で、一仁(真樹AICHI)に判定勝利。準決勝、コッチャサーン・ワイズディー(タイ)にTKO勝利。

辛うじて、しかし激闘の末、優勝を果たした村田裕俊

コロナ禍の中、4月予定だった決勝戦は先行き見通しが立たない中、10月開催が決まった。このトーナメントを優勝か、それまでに敗れた時点で引退を宣言していた村田裕俊は有終の美を飾ることとなった。

村田は、髙橋兄弟三人とも戦い、苦しい戦いを経ながら三兄弟の御陰で強くなれたことや、ジム会長をはじめとする応援してくれた関係者への感謝、両親へは産み育ててくれたことへの感謝を述べ、引退テンカウントゴングが打ち鳴らされて公式戦最後のリングを降りました。

◎交戦シリーズVol.5 / 10月10日(土)後楽園ホール18:00~20:55
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

◆第8試合 ジャパンシフトランド杯59kg級トーナメント決勝 5回戦

村田裕俊は右ハイキックをブロックの上からでも蹴って出る

NKBフェザー級チャンピオン.髙橋亮(真門/25歳/58.7kg)
    VS
同級2位.村田裕俊(八王子FSG/31歳/59.0kg)
公式5回戦判定は引分け三者三様
延長戦0-3 / ジャパンシフトランド杯トーナメントルールにより勝者:村田裕俊
主審:前田仁
副審:佐藤友章49-48(9-10) 馳大輔49-49(9-10) 仲俊光48-50(9-10)

元々は体格さ有った両者。高橋亮はバンタム級から上がり、村田はフェザー級がベストウェイトながら、ライト級で高橋一眞と王座決定戦で戦った経験を持つ。

長身の村田が距離を活かしたリズムを作っていくが、高橋亮は蹴りの素早さで攻撃力を増していく。組み合うと村田のヒザ蹴りのしつこさがやや有利な展開を見せるが、転ばしにいくのは高橋亮。

後半は両者とも主導権を握ったかとは言えない流れで倒しに行く攻撃力が増すも、三者三様の引分けとなってしまう。延長戦は両者我武者羅。高橋亮はパンチ中心。村田は組み合ってのヒザ蹴りでの粘り強く出る印象が強くなり、優勢を掴む。

高橋亮のヒジ打ちは外れるもどちらが斬られるか分からない両者の攻防
村田裕俊は斬られながらも悔いを残さない最後のラッシュに懸ける
最後はタイ式に拝み(ファン、師匠、両親へ)、リングを降りた

◆第7試合 第15代NKBウェルター級王座決定トーナメント決勝戦 5回戦

ガルーダ・テツ会長と勝利のツーショット

NKBウェルター級2位.稲葉裕哉(大塚/33歳/66.68kg)
    VS
同級4位.蛇鬼将矢(テツ/31歳/66.5kg)
勝者:蛇鬼将矢が新チャンピオン / 判定0-3 / 主審:鈴木義和
副審:川上47-50. 仲47-49. 前田46-50

昨年6月15日に引分けている両者。蹴りとパンチの正攻法な様子見から、蛇鬼の変則的な動きに移ると冷静にかわす稲葉。しかし第3ラウンドには稲葉がパンチで攻めたところでやや前屈みになると、蛇鬼のカウンターのヒザ蹴りをアゴに受けてしまいノックダウンを喫してしまう。

ここからバランスを崩しやすくなった稲葉。互いの攻撃力は増すも、稲葉は蛇鬼のヒジ打ちで目尻や額を斬られ、蛇鬼は主導権を譲らず判定勝利を掴む。

2002年から始まったNKB各階級王座。ウェルター級は石毛慎也(東京北星)が小野瀬邦英(渡辺)をKOで下して初代チャンピオンとなった試合から第15代目となったのは蛇鬼将矢となった。

蛇鬼将矢が稲葉裕哉に相打ち気味のカウンターパンチがヒット
毎度の流血戦となる稲葉と打ち合いとなる蛇鬼将矢

◆第6試合 ライト級3回戦

NKBライト級2位.髙橋聖人(真門/22歳/61.2kg)
    VS
同級3位.野村怜央(TEAM KOK/30歳/61.2kg)
勝者:高橋聖人 / 判定3-0 / 主審:佐藤友章
副審:川上30-25. 前田30-25. 馳30-25

互角の蹴りとパンチの様子見から、高橋聖人はハイキックや前蹴りが顔面を捉える見映えいい蹴りが続き、徐々に勢い増していく。

第2ラウンド、髙橋聖人は組み合ったヒザ蹴りからやや離れたところで右ストレートでノックダウンを奪い、第3ラウンドにも野村をコーナーに詰めた辺りで右ストレート気味のパンチでノックダウンを奪い、高橋聖人の順当な大差判定勝利となった。

チャンピオンは高橋三兄弟長男・一眞だが、タイトル争いの行方も気になるところである。

高橋聖人の前蹴りで野村玲央の前進を止める
高橋聖人のハイキックは素早くしなやかに高く上がる蹴りでヒット

◆第5試合 67.0kg契約3回戦

NKBウェルター級3位.笹谷淳(TEAM COMRADE/45歳/66.95kg)
    VS
CAZ JANJIRA(JANJIRA/33歳/67.0kg)
勝者:CAZ JANJIRA / 判定0-2 / 主審:仲俊光
副審:鈴木30-30. 前田28-30. 馳28-30

◆第4試合 63.0kg契約3回戦

福島勇史(ケーアクティブ/34歳/62.8kg)
    VS
洋介(渡邉/40歳/62.6kg)
勝者:洋介 / TKO 1R終了 / 主審:川上伸

◆第3試合 54.0kg契約3回戦

古瀬翔(ケーアクティブ/24歳/53.95kg)
    VS
七海貴哉(G-1 TEAM TAKAGI/23歳/53.85kg)
勝者:七海貴哉 / 判定0-3 (23-30. 23-30. 23-30)

◆第2試合 バンタム級3回戦

ナカムランチャイ・ケンタ(team AKATSUKI/20歳/53.4kg)
    VS
幸太(八王子FSG/22歳/53.4kg)
勝者:ナカムランチャイ・ケンタ / TKO 3R 2:59

◆第1試合 60.0kg契約3回戦

誠太(アウルスポーツ/29歳/59.8kg)
    VS
龍ヶ崎マサト(SIROI DREAM BOX/51歳/59.4kg)
勝者:誠太 / TKO 2R 1:46

《取材戦記》

交戦シリーズの「Vol.5」は当初の予定に組まれた興行ナンバー。実質今年2回目の興行となります。年明けから興行は少なかったが、昨年のPRIMA GOLD杯トーナメント決勝戦は台風の影響による延期と、今年のジャパンシフトランド杯トーナメントはコロナ禍の中での延期、決勝戦を控え、長く引きずってしまうも止むを得ないところです。

村田裕俊、やり残したことは無く、悔いを残さず完全燃焼した様子。31歳での引退は現在ではまだ早過ぎると言われる年齢だが、完全燃焼したか、まだやり残したことがあるか、まだ必要とされているか等、選手それぞれの生き方があり、過去には引退の時期を逃してしまった選手も居たり、引き際は難しいものかもしれません。
村田は今後、タイと日本を行き来し、バンコクが拠点という現役中に設立したセレクトショップUT-Jaiの店長として覚悟を持って頑張っていくという。プロスポーツ選手の年齢を重ねた引退後のビジネスは大手企業に新卒採用されるような枠は無く、新たな生き方を設計しておかねばならない。キックボクシングの貴重な経験を活かし、軌道に乗ることを願いたい。

第3試合、古瀬翔からノックダウンを奪った七海貴哉にカウントを始めたレフェリー。暫くして気付いたか、周りが指摘したかは聞こえなかったが、七海貴哉はよく抗議しなかったものだ。パンチで倒れ、加撃を防ぐ為、両者を分けて入って間違ったか。20年ほど前にもこの団体で同じことがあった。レフェリーは選手をしっかり見極めねばならない。

日本キックボクシング連盟年内興行は、11月15日(日)大森ゴールドジムに於いて、テツジム主催のプロ3試合を含むオヤジ・オナゴキック関東大会が開催。

12月12日(土)は後楽園ホールに於いて、交戦シリーズ最終戦が開催予定です。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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国立看護大学校でアカデミーハラスメント 厚労省の組織体質の病根がここにも?

◆日本は中国よりも遅れていた!

国慶節の中国、武漢には観光客が殺到しているという。3世紀に建造された黄鶴楼(こうかくろう)が人気だという。高校の漢文の時間に習った李白の詩「黄鶴楼にて孟浩然の広陵にゆくを送る」が懐かしい。

故人(こじん)西のかた 黄鶴楼を辞し
煙花(えんか)三月 揚州に下る
孤帆(こはん)の遠影 碧空(へきくう)に尽き
唯(ただ)見る長江の天際に流るるを

何となく悔しいが中国では、ほぼ新型コロナウイルスの封じ込めに成功したようだ。台湾は初期に封じ込めた。

それに引きかえ、日本ではようやくPCR検査がふつうに受けられるようになったばかりだ。PCR検査が行なわれなかった理由に、厚労省の医系技官のセクショナリズムが指摘されてきた。4月段階で「病院が溢れるのが嫌で(PCR検査対象の選定を)厳しめにやっていた」と発言して物議をかもした西田道弘さいたま市保健所長も元医系技官である。

中国や台湾が素晴らしいばかりとは言わないが、日本の国家と社会に欠陥があるとしたら、ここは必死にその病根を検証する必要があるだろう。

◆問題続出の組織体質

そもそも厚労省という組織の体質に原因があると、消えた年金問題(2007年)でも批判されてきたものだ。しかるに原因の究明は「組織全体としての使命感、国民の信任を受けて業務を行うという責任感が、厚生労働省及び社会保険庁に決定的に欠如していた」(厚労省の調査報告)という一般論、精神論に終始した。

今回のコロナに引きつけていえば、年金問題当時の舛添要一厚労大臣は「医系、薬系含め技官人事、誰も手をつけないで聖域になっている」(「ロハス・メディカル」2008年8月号)と指摘していた。

昨年は「不適切統計問題」が発覚した。厚労省が実施する毎月勤労統計において不適切な調査があったのだ。雇用保険や労災保険、船員保険の給付額に誤りがあることが判明し、影響人数は延べ2千十五万人に及んだ。当事者が既に死去していることから詳細な原因は不明だが、厚労省には当時COBOL(プログラム言語)を理解できる職員が2人しかおらず、チェック体制が不十分だったとしている。

厚労省の組織体質の問題点は、ひとつにはIT化の遅れである。消えた年金ではオンライン化する前の記録ミスがコンピュータに残り、元になった紙記録が破棄されたこと。不適切統計問題はまさに、IT化に対応できなかった結果である。今回も保健所からのPCR検査結果がファックスで行なわれ、正確な数値が出ないなどの問題点が浮上した。そこには労働組合(自治労)の労務強化反対、オンライン化による中層集権化への抵抗なども指摘されるところだ。

もうひとつの体質は、官僚組織にありがちなトコロテン方式の人事であろう。とくに管理職レベルでの持ち回り人事である。

官僚人生のコースが決まっていることから、キャリア組の審議官レベルの人事は一年ごとに交代する。その結果、専門外の部署にトコロテン式に就任した事務官や技官が、何も仕事をせずに過ごすことになる。そこに管理職務の空白が生まれるというわけだ。管理職が何もしないのだから、業務に問題が起きないわけがない。

◆国立看護大学校でもトコロテン人事

そんな厚労省人事の悪慣習が、その傘下にある国立看護大学校(清瀬市)でも行なわれているのだ。

主任の教授が担当の講義を満足に行なえないまま、看護学生たちが必要なスキルを身につけられない事態が発覚したのだ。教授の代わりに講義した助教も、時短講義だったというのだ。

文系の学生や教養科目ならば、休講や手抜き講義も大いに歓迎かもしれない。退屈な講義に出るよりも、夢中になれる読書に時間を使ったほうが有益であろう。

けれども、看護師のような基本スキルが業務になる実務系の大学校では、いやでも実習のさいに手抜き教育が発覚するのだ。学生の実習が現場の実務に直結しているのだから、事態は深刻である。

昨年の秋のことだ。4年生の助産師コースの学生たちが、実習先の病院で研修中だった。ところが、学生たちが助産師の指示がわからず、満足に分娩介助ができなかったのである。

そこで「あら、あなたたち。学校で習ってないの?」となったわけだ。複数の助産師が学生の知識不足に気づき、実習は中断となった。

くわしく訊いてみると、学生たちは「助産診断・技術学Ⅰ」で修得する知識がないばかりか、その理由が担当教授の手抜き講義にあることが判明したのだ。

けっきょく、その病院実習は中断となった。保健助産師の養成所指定規則では「分娩介助を、学生一人につき十回程度おこなわせる」という決まりがある。したがって学生たちは、規定の分娩介助をクリアできなかった。

病院実習が中断になった学生たちは、年末になって担当のK教授とH学部長に呼び出された。そこで学生たちが申し渡されたのは、看護師国家試験(2月)後の3月に補習実習を受けることだった。厚労省管轄の大学であるため、指定規則を絶対に守る必要があるのだ。

就職のための引っ越しを計画していた学生たちがそれを拒否すると、H学部長は「そんなにやる気がないなら、就職もすべてやめてしまいなさい」「そんな人たちに来られる病院もいい迷惑だ」などと言い放ったというのだ。

怒りにまかせたこれらの言葉も、教授たちが育った半世紀前ならOKかもしれないが、あきらかにアカハラであろう。

その後、新型コロナウイルスの流行で補習実習は行なわれなくなったが、「助産診断・技術学は必修科目である。文科省管轄ではない看護大学校の学生にとって、単位を取得できていないことは、学士号の認定を左右されかねない。看護師国家試験の欠格事由にもなりかねない事態だったのだ。

それにしても、K教授は分娩技術が専門外とはいえ、シラバスに記載した講義を部下の助教まかせっきりだったという。その助教の講義も通常より30分早く終わり、講義中も個人的な趣味の話をするなどの手抜き講義だったというのである。

学生たちの告発と学生たちの父兄の要望によって、上部組織である国立国際医療研究センターおよび看護大学校の校長が対応する事態となり、この問題はH学部長やK教授への処分等もないままとなった。

ぎゃくに言うと、早急な対応で問題の芽を摘む手際よさこそ、厚労省所轄の組織らしい事なかれ主義、官僚主義といえるかもしれない。そしてその意味では、トコロテン式の人事で専門外の科目を担当した教授陣も犠牲者なのかもしれない。

東京都清瀬市にある国立看護大学校

◆厚労省こそ民営化するべき

学術会議の任命拒否問題では「学術会議を民営化せよ!」という意見が飛び出している。長期的には理系研究者の育成不足が憂慮される中、それも一案だとは思うが、そうであれば官僚機構を民営化してみてはどうか?

今回のコロナ防疫では、わが国のIT後進国状態(スマホ普及率60%)や官僚組織の限界(PCR検査=厚労省医系技官問題、アベノマスク配布=旧郵政省・日本郵便)が露呈したではないか。

かつて、官公労の労働運動潰しのために民営化に踏み切った。JRは不採算部門の切り捨て、郵政はあいかわらず親方日の丸の体質を残していたのだ。

そして中小企業の持続化給付金において、経産省(中小企業庁)は電通配下の民間企業に委託することで、何とか国のかたちを保った。

このまま後進国に甘んじたくなければ、どんどん官僚組織にメスを入れればよい。問題続出の厚労省こそ、分割民営化するべきではないか。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

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〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』Vol.25

河井議員夫妻事件、本当に悪いのは「検察」「裁判所」「マスコミ」だ 片岡 健

河井克行氏、案里氏の議員夫妻に対するバッシングがいっこうに止まらない。

2人は昨年7月の参院選で大規模な買収をした疑いをかけられ、公職選挙法違反で逮捕、起訴された。裁判では、地元広島の地方議員らに金を渡したことは認めつつ、「買収目的ではなく、統一地方選に出馬した人への陣中見舞いや当選祝いだった」として無罪を主張している。

だが、金をもらった側の地方議員らが次々に法廷に立ち、「金は、買収目的で渡されたと思った」と検察主張に沿う証言を繰り広げ、夫妻のイメージは真っ黒に染まり切っている。

さらに克行氏は先日、弁護人を全員解任し、公判が開けない状態に。そんな異例の事態になっていることも含め、夫妻は全マスコミから極悪人のように叩かれ続けている。
 
しかし、結論から言おう。河井夫妻は悪くない。悪いのは、検察、裁判所、マスコミだ。

◆広島の事件を東京で裁くおかしさ

まず、検察。河井夫妻側から金をもらった地方議員ら100人の大半が「金は、買収目的で渡されたのだと思った」と証言しているにもかかわらず、誰も立件していない。これは河井夫妻側も主張しているが、検察は無罪を主張する河井夫妻を有罪にするため、金をもらった地方議員らと違法な司法取引をしているとみるほかない。

この点に関しては、「買収目的と知りながら、金をもらった地方議員らも検察は全員立件すべきだ」と主張する人たちがいるが、この意見も間違っている。ここでまず問題とすべきは、「金は、買収目的で渡されたのだと思った」という地方議員らの証言が信用できるか否かだ。

なぜなら、検察がすねに傷を持つ人物たちと裏で司法取引し、有罪立証に沿う虚偽の証言をさせるのは、冤罪で非常に多いパターンだからだ。この事件もそれに該当する可能性がないか、慎重に検証されるべきである。

また、この事件は現在、東京地検特捜部が担当し、逮捕した河井夫妻を東京拘置所で勾留したうえ、東京地裁で裁判をやっている。これもおかしな話だ。この事件の現場は広島であり、関係者の大半は広島の人間だからだ。

この事件は当初、広島地検が捜査を手がけていたから、河井夫妻も任意捜査の段階で広島の弁護士に弁護を依頼していた可能性が高い。そうであれば、広島の弁護士が河井夫妻との接見や公判のためにいちいち上京しなければならない状態は、河井夫妻に必要以上の裁判費用を負担させていることに他ならない。これも不当なことである。

また、金をもらった地方議員らが証人出廷する際、広島からいちいち上京させていたのでは、税金の使い方としても問題だ。河井夫妻の裁判は広島地裁でやるべきだし、勾留する必要があるなら、広島拘置所に勾留すべきである。

そもそも、事件の舞台が東京に移されたのは、なぜなのか。それは、検察の最終的なターゲットが河井夫妻ではなく、官邸だったからであることは明白だ。河井夫妻側が広島の地方議員らに渡していた金の原資は、自民党本部が参院選前に夫妻側に送金した1億5000万円だった可能性が疑われているからだ。

しかし結局、検察は官邸に捜査のメスを入れるまでに至らなかったのだ。現在、東京が事件の舞台とされ、河井夫妻がそのために不要な負担を強いられているのは、検察が「スジ読み」を誤ったことによる人災だというほかない。

河井夫妻が勾留されている東京拘置所

◆不当な検察の応援団と化しているマスコミ
 
河井夫妻が東京拘置所で延々と勾留されているのは、裁判所が勾留を認め続けているからだ。つまり、検察が不当なことをやりたい放題なのは、裁判所がそれを許しているせいである。

6月に逮捕された河井夫妻は入稿時点でそれぞれ4回、保釈請求をしながら、いまだに身柄を解放されていない。しかし、夫妻がこれだけ長期間、勾留されなければいけない正当な事情があるとも思い難い。

こうした状況をみると、何より問題なのはマスコミだと言えるかもしれない。河井夫妻は検察、裁判所からかくも不当な仕打ちを受けているにもかかわらず、マスコミは検察の応援団と化し、河井夫妻へのバッシングをひたすら続けているからだ。

河井夫妻が国会議員を辞めず、歳費をもらい続けていることを揶揄する報道もあるが、夫妻は収入がなくなれば、裁判費用を捻出することも苦しくなる。つまり、無罪を主張する夫妻が歳費をもらい続けているのを批判するのは、夫妻の被告人としての防御権を否定するに等しい暴論だ。

この事件に関しては、冤罪問題に比較的詳しい左派の人たちも、検察や裁判所、マスコミのおかしさに気づいていないのが現状だ。左派の人たちの多くは安部晋三前首相が嫌いなので、安倍前首相と近い関係にある河井夫妻が不当な刑事訴追を受けてもそれが良いことだと錯覚しているのだ。

こうした状況は大変危ない。当欄では、この事件の見過ごされた問題性を今後も適時、指摘したいと思う。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。8月に創業した一人出版社リミアンドテッドから編著『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著・久保田祥史)が近日中に発売予定。

月刊『紙の爆弾』2020年11月号【特集】安倍政治という「負の遺産」他
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

《NO NUKES voice》福島原発かながわ訴訟 「低線量被曝」訴え続ける小賀坂弁護士【後編】「『わが子を200人に1人』にしないための避難は当然」 民の声新聞・鈴木博喜

国も東電も、法廷では「100ミリシーベルト以下では被曝リスクは無い」との姿勢を貫いている。

「避難等の相当性の判断に関しては、まず科学的知見の到達点を踏まえる事が重要だと考えており、そうした到達点に立って考えれば、避難指示区域外の原告であっても命にかかわる重大な健康影響を否定出来ない。したがって社会通念上、避難等の相当性は十分に認められると考えております。それが一審原告らの基本的立場です」

「これに対して一審被告らの基本的立場は、『低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ報告書』にあるように『放射線による発がんリスクの増加は、100ミリシーベルト以下の低線量被曝では他の要因による発がんリスクに隠れてしまうほど小さく、放射線による発がんリスクの明らかな増加を証明することは難しい』。結論的には100ミリシーベルト以下の放射線の健康影響を実質的に認めない立場をとっております」

「低線量被曝の健康影響」という観点から避難の相当性について主張を続けている小賀坂徹弁護士

今年7月に広島地裁で言い渡された「黒い雨訴訟」の判決では、内部被曝について踏み込んだ判断がなされた。小賀坂徹弁護士は判決文を引用しながら、避難継続の相当性を判断するにあたっては内部被曝も考慮するべきだと主張した。

「内部被曝に関する重要な知見はいくつもありますが、今回引用したのは『黒い雨訴訟判決』です。より広範な範囲での被爆者手帳の交付を認めた判決ですが、内部被曝について次のように述べています。
『内部被曝には外部被曝と異なり、危険性が高いとする知見がある』
『比較的少量の放射性微粒子を摂取したにすぎない場合であっても重大な障害を引き起こすおそれがあるということができる』
『内部被曝については、低線量であっても細胞に長時間放射線が当たることで大きな障害が起こり得ること、低線量・長時間被曝の方が、一次に大量被曝に遭った場合より健康被害へのリスクが高い等の知見がある』
放射線の健康影響については、内部被曝を十分に考慮する事が非常に重要になってきます。その際にはモニタリングポストに示された空間線量のみを基準に影響を考えるのでは不十分で、外部被曝もそうですが、地表面や土壌からの影響を十分に踏まえなければいけません。より被曝の影響が大きいとされる子どもを中心に考えると、より地表に近い地点での放射線量が重要になってきます。これも疑い無いと思います。既に一審で証拠提出していますが、ほぼ全ての原告の避難元居住地の土壌が放射線管理区域の基準値(1平方メートルあたり4万ベクレル)を大幅に上回る結果となりました」

資料図版「外部被ばくと内部被ばく」。国が証拠として提出した資料でも、内部被曝やLNTモデルについて言及されている。一審原告たちの避難の相当性を判断するには、これらの要素は欠かせない

そして、陳述は「LNTモデル」へ移った。確率的影響にしきい値はなく、わずかな被曝によっても健康影響が生じるとする考え方をLNT(直線、しきい値なし)モデルと呼ぶ。

「放射線による『確率的影響』はガンや白血病など、DNAの損傷によって引き起こされるもので、一般的にはしきい値が無いもの。つまり、わずかな放射線量によっても発症すると考えられております。国の提出した「低線量放射線の人体影響を考察する」(放射線総合医学研究所)でも『100ミリシーベルト未満の低線量でも発生することは否定できない影響であり、しきい値はないと考えられている』とされています」

資料図版「LNTモデルをめぐる論争」。国が証拠として提出した資料でも、内部被曝やLNTモデルについて言及されている。一審原告たちの避難の相当性を判断するには、これらの要素は欠かせない

一審原告側が特に重要視しているのは累積被曝線量だ。避難しない、もしくは避難をやめて避難元に戻るという事は、その後何十年にもわたる被曝を強いられるという事だからだ。原告たちはそれを避けるために避難し、今も神奈川県内での避難生活を続けている。

「原告らが居住地を離れて避難をするという事に関しては、長い間そこに生活するうえでの被曝の健康影響を恐れて避難しているわけですので、本件における避難の相当性、避難継続の相当性を判断するにあたっては、一時期の被曝線量では無くて、生涯そこで生活した場合、避難せずに生活した場合の累積被曝線量を考える事が非常に重要です」

「原爆被爆者の疫学調査からは、50ミリシーベルトの被爆では、ガンによる過剰死亡は0・5%とされています。原告らが避難元の居住地で50年間生活すると仮定した場合、累積被曝線量は最も線量の低い原告であっても概ね50ミリシーベルトです。しかもこれは空間線量のみの話です。土壌汚染を考慮すれば、それ以上の健康影響があると考えられます。したがって、本件事故によって50ミリシーベルト以上の累積被曝をした者のうち、少なく見積もっても200人に1人の割合でガンで亡くなるという事になります」

わが子が「200人に1人」に該当しても構わないと考える親がどこにいるだろうか。

「原爆被爆者の疫学調査ではさらに、年齢が10歳下がると、リスクは約29%増加すると報告されています。わが子をこの『200人に1人』にしないために、事故による健康影響で死亡する事を避けるために避難を選択した事が社会通念上過剰反応と言えるかどうか。それが問われているのです。私たちはこれが極めて合理的な、人として当たり前の判断だと確信しております」

「かながわ訴訟」の一審原告のうち、避難指示区域外から避難した原告は23世帯。子どもを連れて避難したのは18世帯だが、うち7世帯は母子避難。事故以前から母子家庭だった5世帯を含めると、12世帯が母子のみの〝過酷避難〟を選択した事になる。

「区域外から避難を選択した原告らは、子どもの命や健康のために自ら家族がバラバラになるような母子避難を含めて選択せざるを得なかったのです。多くの人が自分が生まれ育った故郷でわが子を育てたいと思っていました。しかし、そうした場所にわが子をとどめておくことが出来るかどうか、その選択によって将来、後悔する事にならないかどうか、親としてわが子に何が出来るのか、何をするべきなのか。そうしたものすごい葛藤を経たうえで、やはりわが子の命を守らなければならないという事で避難を選択した。文字通り苦渋の選択をして避難生活を続けています」

2018年7月に一審が結審した際、横浜地裁で小賀坂弁護士はこう述べている。

「原発事故を今回限りのものとするため、二度と被害者を出さないためには、いったん原発事故が起きてしまった場合の損害の重大さ、深刻さ、そして被害回復の困難さというものを社会全体に刻み込まなければなりません。だからこそ、加害者である国や東電の責任を1ミリたりともあいまいにする事は出来ない。だからこそ、有形無形の損害を一つも漏らさず賠償の対象としなければならない。被告らの責任を明確にし、原告らの損害を完全に賠償する事、これらが一体とならなければ再発防止にはつながりません」

それには、汚染と被曝リスクの問題は避けて通れない。控訴審での意見陳述を次の言葉で締めくくった。

「放射線の健康影響に関しては、様々な議論がある事は承知しております。しかしながら、わずかでも過剰被曝をした場合に健康影響は避けられないというLNTモデルに関しての科学的合理性は明らかではないか。しかも、本件原告の場合はわずか1~2ミリシーベルトというレベルでは無くて、50~70ミリシーベルトという線量での被曝影響を考慮して避難しているわけですから、それが科学的知見を前提とした社会通念に照らして妥当だったかどうか。この事に関してはもう、議論の余地はありません。わが子の命を守るために、『200人に1人』にしないために避難を選択した原告たちの避難の選択に関しては十分な合理性があると考えますし、依然として放射線の汚染が続いています。(避難元に戻れないというのは)単なる不安では無くて、科学的根拠に照らした当然の合理的な判断だと考えています。以上です」

第4回口頭弁論は12月4日、14時から行われる。

◎福島原発かながわ訴訟「低線量被曝」訴え続ける小賀坂弁護士
【前編】「避難強いられた原因を忘れていませんか?」
【後編】「『わが子を200人に1人』にしないための避難は当然」

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ、48歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

月刊『紙の爆弾』2020年11月号【特集】安倍政治という「負の遺産」他
NO NUKES voice Vol.25
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「寡黙な独裁」菅義偉総裁は自民党にとっても、最悪の選択だったのではないか 安倍の罪業と安倍より悪い政策継承者の素顔を暴く『紙の爆弾』11月号

◆「菅さん、横浜をカジノ業者に売り渡すのか」(横田一)

 
タブーなき最新月刊『紙の爆弾』2020年11月号!

冒頭、菅義偉の冷酷非情さを暴くのは横田一である。総裁選出馬会見のさいに、横田は菅に「菅さん、横浜をカジノ業者に売り渡すのか」「藤木(幸夫)会長を裏切るのですか」と、問いかけた一幕を紹介している。藤木幸夫会長とは、この6月まで横浜港運協会の会長をつとめた、菅義偉総理の恩人である。

カジノ推進をはかる菅総理が「ハードパワー」(藤木会長)を発揮し、林文子横浜市長にカジノ誘致の表明を強いたのは、この欄でも記事にしたことがある(2019年8月30日「横浜IR誘致計画の背後に菅義偉官房長官 安倍「トランプの腰ぎんちゃく政策」で、横浜が荒廃する」)。

それにしても、菅総理の「寡黙な独裁」とあえて表現したいが、フリージャーナリストへの冷淡さは筋金入りというべきだろう。横田は岸田・石破両候補(総裁選当時)にも同じ質問をぶつけ、三者三様の反応をレポートしている。自民党にとっても、やはり菅総裁は最悪の選択だったのではないか。

◆「創価学会が『菅首相』を誕生させた」(大山友樹)

「創価学会が『菅首相』を誕生させた」(大山友樹)は、菅義偉が衆院に初当選した96年の「血を血で洗う選挙」を朝日デジタルの編集委員のレポートでふり返り、その後の両者の変節・変貌を暴露している。菅陣営は上記の選挙でなんと、池田大作のことを「人間の仮面をかぶった狼」と書いたビラを配布したのだという。ために菅の選挙カーは、創価学会の中年女性数人の自転車ごと体当たり攻撃を受けたというのだ。

その後の変節は、手のひらを返したような菅の謝罪劇によるものだ。菅がマキャベリを崇敬しているとは、あまりにも露悪的ではないか。かつて大平正芳は「尊敬する政治家はロベスピエール」と語ったものだが、菅は本当に『君主論』を読んだ上で言っているのだろうか。

◆【特集】安倍政治という「負の遺産」

アベノミクスの総括は、フランス在住の広岡裕児、および非正規の増加を解説する小林蓮実。2013年の1727万人から19年は2120万人に上昇しているという。女性の上昇率はとくに高く、年間数十万で増加している。このまま増え続けると、いよいよ消費は頭打ちになるであろう。

安倍政権の罪業という意味では、「原発ゼロ」が潰されてきたことだろう。小島卓のレポートは、『NO NUKES Voice』に登場した識者たちによる、安倍政権下での原発政策・負の遺産の軌跡を検証したものだ。故・吉岡斉、望月衣塑子、森まゆみ、鵜飼哲、田中良紹、本間龍、米山隆一、菅直人、広瀬隆、孫崎亨ら。

◆衝撃報告「在日米軍がプルトニウムを空中散布している」(高橋清隆)

ショッキングな告発に驚かされる。元海兵隊員の「在日米軍がプルトニウムを空中散布している」(高橋清隆)だ。Chemical trail(空中散布化学物質)のことである。戦闘機のジェット燃料にはハイブリッド燃料が使われているが、その成分にラジウムや臭化セシウム、そしてプルトニウムが含まれているというのだ。

◆「士農工商ルポライター稼業」は「差別を助長する」のか?(松岡利康)

本欄でも既報(松岡利康)のとおり、『紙の爆弾』9月号の記事「政治屋に売り飛ばされた『表現の自由』の末路」(昼間たかし)について、部落解放同盟から申し入れがあった。「士農工商ルポライター稼業」という表現が、部落差別を助長するとの指摘である。本号から数ページを当該記事および「部落差別とは何か」「内なる差別」についての検証に当てるという。

被差別部落の発祥(歴史)、および差別が再生産される社会的・経済的な理由(差別の根拠)については稿を改めたいが、基本的にレイシズム(差別意識)は人間社会に根ざすもので、誰でも犯すものということであろう。まぎれもなく日本は差別社会であり、なかでも歴史的に形成された部落差別は、つねに再選産されているものだ。

とりわけメディアに関わる人間にとって、部落差別を助長する言葉を単に「使わなければ良い」というのではない。差別社会の反映として生み出される差別的な言葉・文章を契機に、その問題点を分析することを通じて、差別をなくす人権意識・反差別の運動に生かしていくことが肝要なのである。70年代の部落解放運動に関わった者として、小生も及ばずながら本欄に論考を寄せていきたい。(文中敬称略)

月刊『紙の爆弾』2020年11月号より
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月刊『紙の爆弾』2020年11月号【特集】安倍政治という「負の遺産」他

《NO NUKES voice》福島原発かながわ訴訟 「低線量被曝」訴え続ける小賀坂弁護士【前編】「避難強いられた原因を忘れていませんか?」 民の声新聞・鈴木博喜

福島第一原発の事故で神奈川県内に避難した人々が、国と東電を相手取って横浜地裁に起こした「福島原発かながわ訴訟」(村田弘原告団長)の控訴審が東京高裁で行われている。弁護団の中で、低線量被曝の危険性から避難や避難継続の相当性について主張を続けているのが小賀坂徹弁護士。2日午後に東京高裁101号法廷で開かれた3回目の控訴審口頭弁論期日では、原告たちが被曝回避のために避難継続している事の相当性を訴えた。原発事故発生から来春で丸10年。小賀坂弁護士の主張を振り返りながら、低線量被曝のリスクや区域外避難について考えたい。

原告団長として闘い続ける村田弘さん。原発事故による放射能汚染が無ければ、住み慣れた福島県南相馬市小高区を離れる事も無かった

「原発事故って何だったのか。それは当然、地域が放射線に汚染されて住めなくなったという事です。そこに子どもなんて住まわせられない、健康に重大な影響が出る恐れがあるから皆さん避難したのです。この裁判は、国の指示に従って避難した人を補償しましょうという裁判では無いんです。もちろん避難指示区域への補償は必要なんですが、そうじゃなくて原発事故って何かというと、放射能の汚染です。放射線によって命に関わる危険にさらされて逃げざるを得なかったという事です。それを忘れていませんか?そう言いたくなります。(『生業訴訟』の仙台高裁判決でも)区域外避難者に対する認容額は、あんなに低い。そこはやっぱり裁判官の発想を変えなければいけないし、世論化して行かなければいけないし、運動の中軸に置かなければいけないと考えています」

小賀坂弁護士は2日、閉廷後の報告集会で力を込めて話した。提訴から一貫して「低線量被曝の健康影響」と「避難(継続)の相当性」について主張してきた。

2016年5月には、100mSv以下の被曝リスクについて「他の要因による発がんの影響に隠れてしまうほど小さい」と過小評価している国の「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ(WG)報告書」に対し、「もはや科学的価値が無い」と批判している。

WGが論拠としている広島・長崎での被ばく調査(約12万人)について「意味はあるが実測できず、核実験のデータから推計するしかない。そもそも限界がある」とした上で「残留放射線や降下物による被曝はほとんど考慮されていない。『非被ばく者』の中にも、実際には被曝した人が相当数いると思われる」と主張。医療被曝に関する疫学調査を引用し、「避難は過剰反応でも何でも無い。低線量被曝のリスクは福島に住んでいる人にも伝えて行かないといけない」と結論付けた。

2019年2月の判決言い渡し直前には、次のように語っていた。

「避難をやめて戻り、避難元に滞在するという事は、被曝し続けるという事を意味するわけです。長期間、被曝し続ける事の意味をどう考えるのかという事を相当詳しく、空間線量や土壌汚染など具体的な数値を提示してきました。原爆被爆者研究の蓄積の中で、同じ放射線量であれば短期被曝も長期被曝も影響はほとんど変わらないと考えて良いという知見もあります。つまり低線量であっても、長期間滞在する事での被曝影響を見ないといけないという事を強調して来ました。その意味では、他の地裁での訴訟よりも踏み込んだ主張をして来ました。そこを裁判所に十分に分かっていただければ、今までの判決の水準を大きく超えるんじゃないかと思っています。それは区域外避難に限らず、避難指示区域であっても基本的にはどの地域での同等の扱いをされるべきだと考えています。それについてどう判断されるのかについても非常に大きな問題です。低線量被曝の健康影響について裁判所が科学的に決着をつけるという問題では無くて、科学的知見を前提にして避難をする事、避難を継続する事が法的に見て原発事故と因果関係があると言えるかどうかを見極めてもらいたい」。

だが、一審・横浜地裁が言い渡した判決では、低線量被曝の危険性について正面から向き合ってもらえなかった。

当時、記者会見で「賠償の内容を考える上で、実際の被曝線量や健康影響に関する科学的な到達点から見てどうなのかというところを全部すっ飛ばしてしまって一般通常人から見てどうかという話になってしまったところが、賠償額の認定に大きく影響したのではないか」、「さまざまな知見を重ねてLNTモデルに従う避難は科学的に合理的だと主張したが、裁判所には十分に伝わらなかった。極めて残念」、「母子避難に対してはそれなりの賠償額が認められたが、賠償額を大幅に引き上げるまでには至らなかった」と悔しさを口にしていた。控訴審では何としてもその壁を打破しなければならない。東京高裁の法廷では、これまでの主張を30分に凝縮して意見陳述した。

「30分にまとめるのは苦労しましたが、きょう法廷で話した事は基本的には誰も反論出来ない話だと思っています。その事を裁判所にきちんと伝える事によって、避難指示区域外から動いた人たちの〝底上げ〟をしたいのです。避難指示が出された内側の区域か外側かでこれほどまでに賠償額に差があるという現実を何とか変えなければいけないと考えています。そのためには被曝の問題をやらざるを得ません。それをこれからもやっていきたいと思います」

「低線量被曝の健康影響」という観点から避難の相当性について主張を続けている小賀坂徹弁護士

法廷での30分間は、福島第一原発事故による被曝リスクや区域外避難を考える上での〝基礎講座〟のようだった。パワーポイントの資料を壁に映し出し、次のように陳述した。

「本件事故によって大量の放射性物質が環境中に放出されて、福島を中心とした広範な地域が汚染されました。その結果、他の災害とは大きく異なる広範、甚大かつ深刻な被害が発生しています。多くの避難者、原告は放射線被曝による重篤な健康影響を避けるために避難指示の有無にかかわらず避難生活を続けているわけです。放射線の健康影響を論じる意味はまず、避難指示が出ていない区域からの避難の相当性。そして、避難指示が出されていた区域の住民も含めて、避難継続の相当性。これを判断するために放射線の問題に言及する必要があります」

「放射線の健康影響そのものについては、未解明の部分が多くあります。むしろ、ほとんど解明されていないと言っても過言ではありません。白血病やガンなど重篤な健康被害が及ぶ事は広く知られていますが、そのメカニズム自体は十分に解明されているとは到底言えない状態です。したがいまして、放射線の健康影響に関しては主として広島・長崎の原爆被爆者の疫学研究に依拠して解明が進められて来ました。この点についても争いが無いところだと思います」

「このように科学的に十分解明されていない放射線の健康影響について、どういう形で司法判断するかという事に関し、(これも何度も引用して来たが)2009年5月28日の原爆症に関する東京高裁判決が極めて明瞭に示しています。そこでは『科学的知見が不動のものであれば、これに反することは違法であるが、科学的知見の通説に対して異説がある場合は、通説的知見がどの程度の確かさであるのかを見極め、両説ある場合においては両説あるものとして訴訟手続上の前提とせざるを得ない。科学的知見によって決着が付けられない場合であっても、裁判所は経験則に照らして全証拠を総合検討し、因果関係を判定すると。まさにこれが確立した判例の法理である』と言っているわけです。これに対して一審・横浜地裁においては、放射線の健康影響に関して『放射線医学や疫学研究上の専門的知見は直接的な基準とならないと解すべき』と判断してしまっており、この事が本件事故の被害について十分理解出来なかった大きな要因になっています」(後編に続く)

◎福島原発かながわ訴訟「低線量被曝」訴え続ける小賀坂弁護士
【前編】「避難強いられた原因を忘れていませんか?」
【後編】「『わが子を200人に1人』にしないための避難は当然」

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ、48歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

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天皇制はどこからやって来たのか〈19〉近世・近代の天皇たち── 江戸期の女帝〈1〉明正天皇

古代の6人の女帝たちは、慌ただしい政治情勢に翻弄されながらも、大王(おほきみ)としての強権政治をもって政局を乗りこえた。その態様はおよそ「中継ぎ」という飾りではなかった。

蘇我・物部両氏の権力闘争を、そのいっぽうで体現した推古女帝。政争と戦争に身を投じた皇極(斉明)女帝。壮大な藤原京造営を実現し、古代律令制国家の天皇権力の頂点をきわめた持統女帝。女系天皇として君臨した元明女帝・元正女帝。そして藤原氏との仏教政策をめぐる暗闘ののちに、古代巫女権力の最後を飾った孝謙(称徳)女帝。

三十三代推古から四十八代称徳までの十五代(207年間)のうち、女帝の在位はじつに六人八代(80年間)におよんでいる。その天皇権力の全盛時代、女帝は男性天皇と天を二分していたのである。

武家の時代には将軍家の北条政子や日野富子、今川氏の寿桂尼など、政治に辣腕をふるう女性たちが歴史をかざった。戦国期の井伊直虎、立花誾千代、北条氏姫など、武家の当主として名を残した女性たちもいる。そのいっぽうで、逼塞する禁裏には女性が活躍する場はなかった。それは朝廷が政治的な求心力をうしなっていたからだ、と見るべきであろう。

皇統の中にふたたび女帝が現れるのは、儒教的な男尊女卑の気風がつよくなった江戸期においてだった。徳川幕府の禁中並公家諸法度によって、朝廷が政治的な権能をうしなっていたからこそ、新たなパワーが公武の緊張感をつくりだしたのではないか。それは公武の軋轢でもあり、新しい時代への萌芽でもあった。具体的にみてゆこう。

称徳(孝謙)天皇いらい、じつに八五九年ぶりに女性として帝位についたのは、明正(めいしょう)天皇である。「和子入内」でもふれたとおり、幕府の公武合体政策によって生まれた皇女である。

明正天皇

◆孤独の女帝

践祚したとき、女帝はわずか七歳だった。彼女の即位は、実父・後水尾天皇の突然の譲位によるものだ。この天皇交代劇には、三つの事件が背景にある。

そのひとつは、後水尾天皇に将軍秀忠の娘・和子を嫁さしめようとしていたところ、女官の四辻与津子とのあいだに子があることが発覚したのである。幕府は天皇の側近をふくむ六名の公卿を「風紀紊乱」の名目で処罰し、四辻与津子の追放をもとめてきた。後水尾天皇に抵抗のすべはなかった。禁中並公家諸法度がただの空条文ではなく、幕府の強権であることに禁裏は震えあがった。

幕府の政治介入はつづく。後水尾天皇はこれまでの慣習どおり、沢庵ら高僧十人に紫衣着用の勅許をあたえた。だが、これが幕府への諮問なしに行なわれたため、法度をやぶるものとして勅許は無効とされる。これにたいして沢庵宗彭(そうほう)、玉室宗珀(そうはく)らが意見書をもって抗議するや、幕府は高僧たちを流罪としたのである。怒ったのは後水尾天皇である。

さらに幕府は和子の入内にあたって、春日局(斎藤ふく)を参内させる。前例のない暴挙と受けとめられた。無位無官の女房が昇殿したことに、宮中は大混乱となる。怒り心頭にたっした天皇は突如として譲位し、七歳の少女を帝位に就けたのがその顛末である。

この譲位はまた、幕府からの血である皇后和子の娘・明正を帝位に就けることで、皇統から排除しようというものでもあった。朝廷は徳川家が外戚になることを嫌ったのである。女帝が生涯婚姻できず、したがってその血脈は独身のまま絶えてしまうのだから──。

在位中の明正天皇はまったくのお飾りであって、後水尾上皇の院政はその後に生まれてくる皇子を後継とするものだった(中和門院の覚書)。じっさいに女帝は二十一歳で退位し、異母弟である後光明天皇が即位する。

この譲位の直前に、将軍徳川家光は四か条からなる黒印状を、新しい院となる明正天皇に送付した。すなわち、官位など朝廷に関する一切の関与の禁止。および新院御所での見物催物の独自開催の禁止(第一条)。

血族は年始の挨拶のみ対面を許し、他の者は摂関・皇族といえども対面は不可とする(第二条)。

行事のために公家が新院御所に参上する必要がある場合は、新院の伝奏に届け出て、表口より退出すること(第三条)。

両親のもとへの行幸は可。新帝(後光明天皇)と実妹の女二宮の在所への行幸は、両親いずれかの同行ならば可。新院のみの行幸は不可とし、行幸の際にはかならず院付の公家が二名同行するべきこと(第四条)であった。これら上皇の院政を寸分もゆるさない、徳川幕府の異様に強権的な命令で、女帝は駕籠の鳥となったのである。院政をみとめない幕府の方針は、時代は前後するが霊元天皇の項でみたとおりである。

のちに明正は得度して太上法皇となり、仙洞御所で72歳の孤独な生涯をすごす。手芸や押し花が趣味だったという。まことに、政治の犠牲となった生涯であった。

◎[カテゴリー・リンク]天皇制はどこからやって来たのか

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

熾烈極まる大阪維新の野宿者苛め センターからの強制立ち退きを許すな! 私たちは一晩でもセンターのシャッター前で寝てみる勇気があるだろうか 尾崎美代子

「あいりん総合センター」(以下センター)周辺の野宿者らに、強制立ち退きの危機が迫っている。大阪府が7月22日提訴したセンター明け渡し断行仮処分の2回目の審尋(非公開)が10月12日行われる。

債権者(大阪府は)は、4月22日に土地明け渡し訴訟を提訴した時点では、その裁判の判決を待って対応できると判断していたにもかかわらず、数か月後の7月22日明け渡し断行の仮処分を提訴してきた。その間、新型コロナウイルスの影響で裁判が中断されたとはいえ、明け渡しが緊急に必要となる新たな事情が生じたのだろうか? 大阪府の主張書面では、この点に全く触れられていない。

◆センターは「公の施設」ではないのか?

大阪府は、センター解体のための条例を作ったり、正式な議会にかけずに強制立ち退きを強行しようとしているが、その理由をセンターは「公の施設」ではないと主張する。そんなことはない。「公の施設」について、地方自治法244条1項は、「住民の福祉を増進する目的をもって、その利用に供するために施設」であると規定する。

それに沿って説明すれば、センターは、「青空労働市場の解消と地区労働者の福祉の向上」を目的として建設されてきたし、そのため建物内には労働者のためのシャワールーム、ランドリー、食堂、売店、理髪店、喫茶室、ロッカー室などが設置されていた。

大阪府も「愛隣地区の実態と労働対策」というパンフレットで、建設を大々的に公表していたし、賃借契約書にも「日雇い労働者の福利厚生」の用途に供しなければならないと規定していた。

センター1階の食堂横。「施設内は駐輪禁止です」の看板に「大阪府」の名前が明記されている

また、写真のように、大阪府が土地や建物を管理していた事実を示す看板もある。このように、大阪府は、センターの土地、建物を釜ヶ崎の日雇い労働者の福利厚生のために建設し、その用途にそって利用・管理してきたのであり、センターが公の財産にあたることは明白だ。大阪府は「大阪府が普通財産として管理し、公益財団法人西成労働福祉センターに貸し付けていたから、公の財産に該当しない」というが、これは大阪府が本来行うべき条例の制定を怠っているというだけのことだ。

また、大阪府は、仮にセンターが公の施設であっても、2019年3月に閉鎖されたので(実際には4月24日)、使用は廃止されたと主張する。しかし地方自治法244条2第1項では、「公の施設の設置及びその管理に関する事項」は条例で定めなければならないと規定している。つまりセンター閉鎖に関する事項もまた条例で規定し、それにそった措置が取られていなければ、使用廃止とはいえない。物理的に閉鎖されたからといって、センターの使用が廃止されたとはならないのだ。

また、強制立ち退きのうち、仮処分手続きによる明け渡し断行は、社会権規約委員会が一般的意見4及び7において示したガイドラインに反することが明言されているが、これについても大阪府は、なんの反論も行っていない。

◆「代替措置が取られている」というが……

大阪府は、様々な代替措置が取られているから、仮処分断行しても、野宿者らの行き場がなくなるわけではないと主張し、市役所職員とセンター周辺の野宿者に「生活保護を受けるよう」と説得しまわっている。

もちろん生活保護を受けたい人はうければいい。問題なのは、普段は生活保護の申請を水際作戦で拒んだり、生活保護者に「働けるだろう」「若いだろう」と保護の辞退を迫っているくせに、強制立ち退きまでに野宿者を減らしたいがために、甘い声で「今なら大丈夫」と生活保護を進めていることだ。

また、生活保護を申請しても、三徳寮や無料・低額宿泊施設など、個人のプライバシーの守れない集団施設に押し込まれたりするため、生活保護の利用自体を諦める人も少なくない。現在、野宿する人の中にも、以前生活保護を受けていたが、そのような理由や「囲い屋」など貧困ビジネスに餌食になり辞めた人も多い。

そうした諸問題を放置しなから、今だけ「生活保護を」とは余りに虫が良すぎるはなしだ。なおシェルターも、決められた時間に遅れたら入れない、ゆっくり眠るために飲む酒が禁止されている、大きな荷物が持ち込めないなどの理由で利用しない人も多い。

近くの公園に野宿しながら、センター近くにアルミ缶、銅線などを集めにくる労働者。雨降りの日でも「やらんと食っていけんやろう」と

◆趣味や好きで野宿しているわけではない!

大阪府が主張する以下の点は、とりわけ野宿者を愚弄する許しがたい内容だ。

「債務者A(野宿者の実名)はシャッターが閉まる前から生活保護やシェルターなどを利用してないが、望めば利用できたことはいまでもない」。(またA自身が生活保護を受けたら緊張感がなくなると考えていることを受け)「債務者Aが、緊張感のない生活をしないという意思に基づいてホームレス状態を継続することは、他者の権利や公益を侵害しない限りは明け渡し断行によって実現しようとまでされるべきことではないが、これにより債権者には重大な損害が生じるから、これらの対比でいえば、かかる利益が保護されるべきであるとはいえない」。

これに対しては、原告団はこう反論している。

「債務者Aは、センターが閉まる前から、昼間は3階に、夜は現在の場所に継続して住み続けてきた。他に行くところがあるのに、気にいらないから、そこに住んでいたわけではない。他に行き場がないから、このように暮らしてきたのである。例えば、トイレが確保できる場所は容易には探せない。ホームレス状態にある人々の権利の問題が考えられるとき、このことが出発点にならなければ、およそ話にならない。行くところがあっただろう。趣味で済んでいるんだろう。これらは法的主張ではなく、日々ホームレス状態にある人々になげつけられた社会偏見以外のなにものでもない。そこに住まざるをえない事情を、野宿せざるをえない人々に立証する証明責任が課せられてはならないのである。その証明責任は、彼らを野宿状態に放置している私たちにある。理由は簡単である。私たちは一晩でもセンターのシャッター前で寝てみる勇気があるだろうか」(債務者主張書面1)。

雨風をしのぐことが出来るシャッターの真下が寝場所だ

◆13年間も放置されてきた耐震工事

大阪府は訴状で、耐震問題を理由に「センターを一刻も早く建て替える必要がある」と主張する。それならば、3月24日本訴を提訴した段階で、仮処分を申請すべきではなかったのか。それをせず、何をいまさら「一刻も早く建て替えを」だ。「耐震性がー」と叫ぶ大阪府は、これまで何をやってきたか? 

センターの耐震性問題は、2008年の耐震診断に始まり、いったんは減築工法なども検討されながら、2016年7月26日の「まちづくり会議」で建て替えが正式に決められ、センター解体工事の仮契約は2020年12月上旬、本契約は2021年2月下旬との予定が組まれている。耐震診断の2008年から本契約まで13年間かかるが、これまで大阪府が「一刻も早く建て替える必要がある」と考えていた形跡は全くない。

つまり、センターの耐震工事(建替え工事)は、2008年耐震診断でその必要性が判明したが、2012年2月に大阪維新の橋下元市長が打ち出した「西成特区構想」をうけ、それに歩調をあわせ進められ、現在、そのスケジュールを守りたいとの理由だけで、強行されようとしている。そのための野宿者の強制立ち退きだ。

なぜ大阪維新の金儲けのために、労働者の拠り所のセンターが潰されなくてはならないのだ! 11月1日に再度強行される住民投票に反対を突きつけ、弱いもの苛めの維新政治を、ここ釜ヶ崎から終わりにさせていこう!

壊されたため、安い中古バスに買い換えられた釜ケ崎地域合同労組のバス。寝場所のない人に解放されている

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

月刊『紙の爆弾』2020年11月号【特集】安倍政治という「負の遺産」他
NO NUKES voice Vol.25

ふたたび、さらば反原連!秋風に吹かれたゴミは歴史の屑箱へ!── 反原連の「活動休止」について【後編】 松岡利康&『NO NUKES voice』編集委員会有志

◆大学院生リンチ事件加害者と繋がる反原連

さらに、偶然(必然か?)とはいえ、鹿砦社には「しばき隊/カウンター」内で発生した、極めて深刻な大学院生リンチ事件が持ち込まれました。反原連とリンチ事件は当初、別個の事案のように思われましたが、取材を進める中で反原連の人間と「しばき隊」の幹部連中が、相当数重なっていることが判明しました(今では常識ですが)。

結語から述べれば、その人々は“「リベラル」を纏った権力別動隊”でした。思慮に乏しく、排他的で、政治・行政権力との緊張関係に欠ける。この集団はリンチ事件発生時、「ヘイトスピーチ規制法」の立法化に力を入れており、それ故にリンチ事件が社会に知れ渡ることを、過剰に警戒しました。その数々の証拠はこれまで5冊の出版物(雑誌増刊号4冊+リンチ最中の音声CDを付けた書籍1冊)として上梓してきた中で詳述してありますが、とりわけ悪質であったのは、集団暴行被害者をあたかも「加害者」のように扱うメールを金展克氏に送付した師岡康子弁護士でしょう。すでに本通信6月25日号でも述べていますので、ここでは詳しくは述べませんが、師岡弁護士こそ、危険なイデオローグだと断じます。

もう一つ注目していただきたいのは、このリンチ事件が2014年12月に起き、加害者側の隠蔽活動で1年余りも隠蔽されてきたことです。この間、安保法制問題が大きく盛り上がり、リンチ問題など世間に公になりませんでした。この実態が公になっていたなら、反原連もSEALDsも、また安保法制反対の運動も、かなりの影響を受けたものと思われます。隠蔽は成功しました。しかし、こういうことはいつか露見します。実際に2016年3月以降露見しました。

◆必要以上に横文字を使い、なにかしら目新しさで人をごまかす反原連(~界隈)の人々

 
ミサオ(2015年6月7日福岡にて)

私たちは、このように人間の尊厳や多様性を無視し、集団暴行を容認・隠蔽する人々を人間として全く信用できません。反原連は横文字が好きで、今回も「ステートメント【活動休止のご報告】」と銘打った文章が公開されていますが、こういった言葉の使い方は使用者の自由であるものの、思考傾向を表わす特徴として捉えることも可能です。カンパと言えばいいものの「ドネーション」と馴染みのない言葉を意気揚々と使ったり……よほど頭のいいことをひけらかせたいのか!?

ラップを採り入れなにかしら目新しさを出し、マスコミの恣意的な報道により世間では評価が高かったSEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)について、憲法9条改憲派としての本性を出し、私たちは次第に首を傾げざるをえなくなりましたが、このSEALDsがいまだに反原連にとっては「成果」であったように記されています。SEALDsは、「民主主義って何だ!」と叫んだだけで、その、憲法9条改憲を志向していた団体でした。SEALDsは9条改憲派だったのだ!! 世間の人たちも私たちも、このことに気づくのが遅過ぎました。

これまでの学生運動のイメージを覆したことで錯覚してしまいますが畢竟エセ学生運動としか言いようがありません。詰まる所、この学生たちは何がしたくて、何が言いたかったのか全く理解できません。理解しようとして松岡はSEALDsを代表する人物、奥田愛基君にインタビューしましたが(『NO NUKES voice』6号掲載)、松岡も年甲斐もなく、結局は目くらましにあったようです。唯一はっきりしていることは、SEALDsがしばき隊や、時には親御さんに見守られながら展開された事実でしょう。こんなもの評価するのも馬鹿らしい。

SEALDs奥田とミサオ(2015年9月22日帝国ホテル地下の和食屋にて)

◆活動をやめるためにカンパを集めるだって!?

そうして今回の反原連の「活動休止」声明(ステートメント)には以下のくだりがあります。いみじくも彼らの本音が表われています。

〈それは脱原発運動が市民運動の中心から外れてくるに従い寄付金が減少し、これまでの多岐にわたる活動内容に対し、運営資金の捻出が難しくなってきたことがあげられます。〉

福島原発事故の被災者は、金銭を理由に「被害者」であることをやめられるでしょうか。広島・長崎の被爆者や被曝2世、3世は経済理由から「被爆者」であることから自由になれるでしょうか。

私たち(鹿砦社)とて、会社がいつまで存亡できうるか、あるいは出版業界の今後は、コロナ禍の今日見通せません。ですから「未来永劫『NO NUKES voice』の発刊を死守する」などと宣言はできません。しかし、現編集委員会が生存している限り、何らかの方法で反・脱原発運動を微力ながら支えるべく『NO NUKES voice』を発行し続ける所存です。

反原連は活動の休止を告知しながら同時にこれまで通りカンパ(彼らの言葉でいえば「ドネーション」)を求めています。活動をやめるためにカンパを集めるなど聞いたことがありません。幹部の“退職金”にでもしたいのでしょうか!? 活動休止するのであれば、カンパ募集はやめるべきではないでしょうか。「脱原発運動が市民運動の中心から外れてくる」から活動をやめる? こういったジコチューな物言いはみっともないとしか表現できませんね。

反原連「活動休止のご報告」ステートメント(2020年10月2日)

「脱原発運動が市民運動の中心から外れてくる」にしてもしなくても、福島現地で頑張って日々生きている人々や、故郷から遠く離れて避難している人々は生きていかねばなりませんし、多くの方々が裁判闘争を頑張っておられます。私たちは、こういう人たちを見捨てて「活動休止」するわけにはいきません。反原連のみなさん、あなた方も、曲がりなりにも「反原発」の声を挙げたわけでしょう。ならば、「ステートメント」でも記しているように、口先だけではなく真に「初心に戻り」初志を貫徹していただきたいものです。

反原連に私たち鹿砦社は、多額の資金支援をしましたが(少しは感謝しろ!)、にもかかわらず、みずからの意に沿わないならば「絶縁」するぐらいなら、他力本願な「ドネーション」に頼らず、みずから汗を流して働いて資金を集めるという運動の原点に立ち帰ったらどうですか?(ちなみに、ミサオが言うところでは、当時活動をやるために共産党に頼んで生活保護を受けた人物がいました。共産党も、こんなことをやっていいのか!?)反原連の連中の、人の厚意を蔑ろにするような態度から、今日の姿はイメージできましたがね。

私たちは反原連的な社会運動に(それが社会運動であれば)、強烈な違和感しか感じませんし、こんな運動体が大手を振って歩くようになれば、日本のファシズム完成を早めるだけでしょう。

私たちは時に激しい言葉を使うことはありますが汚い言葉を使うことは滅多にありません。しかし今回はあえて使わせていただきます。やはりゴミはゴミでしかありませんでした。秋風に吹かれたゴミは歴史の屑箱に放り込まねばなりません。「お前はただの現在にすぎない」(トロツキー。テレビマンユニオン創設の頃の書籍のタイトルにもなっています。初版田畑書店刊、のちに朝日文庫)── むべなるかなです。

◎ふたたび、さらば反原連! 秋風に吹かれたゴミは歴史の屑箱へ!── 反原連の「活動休止」について(松岡利康&『NO NUKES voice』編集委員会有志)
【前編】http://www.rokusaisha.com/wp/?p=36691
【後編】http://www.rokusaisha.com/wp/?p=36698

月刊『紙の爆弾』2020年11月号!【特集】安倍政治という「負の遺産」他
『NO NUKES voice』Vol.25

『NO NUKES voice』Vol.25
紙の爆弾2020年10月号増刊
2020年9月11日発行
定価680円(本体618円+税)A5判/132ページ

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総力特集 ニューノーマル 脱原発はどうなるか
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[グラビア]〈コロナと原発〉大阪、福島、鹿児島

[報告]小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教)
 二つの緊急事態宣言とこの国の政治権力組織

[インタビュー]水戸喜世子さん(「子ども脱被ばく裁判」共同代表)
    コロナ収束まで原発を動かすな!

[座談会]天野恵一さん×鎌田 慧さん×横田朔子さん×吉野信次さん×柳田 真さん
    コロナ時代の大衆運動、反原発運動

[講演]井戸謙一さん(弁護士/「関電の原発マネー不正還流を告発する会」代理人)
    原発を巡るせめぎ合いの現段階

[講演]木原壯林さん(若狭の原発を考える会)
    危険すぎる老朽原発

[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)
    反原発自治体議員・市民連盟関西ブロック第四回総会報告

[報告]片岡 健さん(ジャーナリスト)
    金品受領問題が浮き彫りにした関西電力と検察のただならぬ関係

[報告]おしどりマコさん(漫才師/記者)
「当たり前」が手に入らない福島県農民連

[報告]島 明美さん(個人被ばく線量計データ利用の検証と市民環境を考える協議会代表)
    当事者から見る「宮崎・早野論文」撤回の実相

[報告]鈴木博喜さん(ジャーナリスト/『民の声新聞』発行人)
   消える校舎と消せない記憶 浪江町立五校、解体前最後の見学会

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
    《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈9〉
    「原発事故被害者」とは誰のことか

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎共同代表)
    多量の放射性物質を拡散する再処理工場の許可
    それより核のゴミをどうするかの議論を開始せよ

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
    具体的なことと全体的なことの二つを

[報告]板坂 剛さん(作家/舞踊家)
    恐怖と不安は蜜の味

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
    山田悦子の語る世界〈9〉普遍性の刹那──原発問題とコロナ禍の関わり

[読者投稿]大今 歩さん(農業/高校講師) 
    マンハッタン計画と人為的二酸化炭素地球温暖化説

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
    コロナ下でも萎縮しない、コロナ対策もして活動する
《北海道》瀬尾英幸さん(脱原発グループ行動隊)
《石川・北陸電力》多名賀哲也さん(命のネットワーク代表)
《福島・東電》郷田みほさん(市民立法「チェルノブイリ法日本版」をつくる郡山の会=しゃがの会)
《規制委・経産省》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
《東京》柳田 真さん(たんぽぽ舎、とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
《浜岡・中部電力》沖 基幸さん(浜岡原発を考える静岡ネットワーク)
《読書案内》天野恵一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)

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