「企業欲の祭典」東京五輪に対する最善の処方箋は開催の「中止・返上」である

「国際オリンピック委員会(IOC)は10月16日、東京五輪の猛暑対策として陸上のマラソンと競歩を札幌開催に変更する案の検討に入ったと発表した。東京より気温が約5度低く、地理的な条件などを理由としている。五輪開幕まで1年を切り、IOCが会場変更を提案するのは異例の事態で、実現には難航も予想される。猛暑を見据えて準備を進めてきた現場サイドでは驚きと戸惑いの声が上がった。」(10月17日付スポーツ報知)

◆いよいよ混乱が本格化しはじめた

ほーらみろ。いよいよ「企業欲の祭典」、東京五輪の混乱が本格化しはじめた。前回1964年に東京で五輪が開催されたのは、10月。台風の懸念はあるが、年間通じて普通のひとにも過ごしやすい時期だ。あれから半世紀以上がたち、いまの東京8月は、もう「温帯」の気温ではなく「熱帯化」している。わたしが説明するまでもないだろう。関東にお住まいの方であれば「8月の東京」の灼熱ぶりが、五輪に適すか適さないかくらい、簡単にお分かりいただけよう。

そういう自然条件を承知のうえで、五輪招致委員会は「8月の東京」にこだわったのであり、IOCもそれを了承した。どうして8月でなければならないのか? それは北半球の多くの国で、8月が夏休みに充てられ、高い放送料が設定できるからだ、これが10月にずれ込むと放送料は数割安くなってしまう。つまりIOCも招致委員会も、最初から「商売第一」で「8月の東京」をごり押ししたのだ。

ところがである。先に行われたドーハで行われた世界陸上では、あまりの高温多湿にマラソンや長距離競技、競歩で棄権する選手が続出した。当然選手から批判の声が相次いで上がり「二度とこんなコンディションでは、走らせたくない」とコメントするコーチも現れた。

しかもそう発言したのは日本人選手のコーチだった。夜間でも40度を上回り湿度も90%を超える気候で、長距離競技が行われることを前提に、ルールはできていない。日本でも歴史あるマラソンは(福岡国際、別大、琵琶湖、女子マラソン)はすべて冬季に集中しているし、駅伝競技も同様だ。

◆ビジネス最優先のIOCと関連団体の「勘定論」

マラソンは15度くらいに温度が上がると「暑い」と表現され、20度を超えると「厳しい」、25度を超えると「過酷な」コンディションと表現される(気温は概ねの値である)。30度や40度近い気温の中で行われる競技ではないのだ。マラソンだけではない。トラック競技の1000mや20キロ、50キロ競歩なども同様だ。

さて、例年東京の8月の気温はどうであろうか。「熱帯夜」と呼ばれる最低気温が25度を下回らない夜は当たり前。25度どころか30度を下回らない夜も珍しくはない。そんな気温の中で「根性論」ならぬ「勘定論」の上に計画されたのが、東京五輪である。

けれども「勘定論」であるから、競技中に選手がバタバタ倒れたり、救急車がやってくる様子が画面に映ったのでは、非常に具合が悪い。スポンサーのイメージはむしろ下がってしまうから、高いスポンサー料を払っている企業からすれば(その中には朝日、毎日、読売、日経、産経など全国紙も含まれる)「惨憺たる灼熱地獄」を放送したくはない。

そこで、急遽「選手の健康第一」など殊勝な理由をでっちあげて、札幌でのマラソン実施を発案したのだ。IOCをはじめとする「スポーツに詳しいはず」の団体が、競技コンディションなどは二の次で、金勘定だけでうごいていることを証明することになった、象徴的な出来事といえよう。

しかしすでに述べた通り、灼熱地獄で行われるのは、マラソンだけではない。トラック内で行われる1000mは競技時間はマラソンよりは短いが、すり鉢状の競技場を観客が埋めれば、自然気温以上に空気が滞留し、高温化する可能性が高い。そして、あえて指摘しておけば、関東のかたがたがつい最近経験したような、大雨による水害や、地震はいつ発生するか予想ができない。関東を台風19号が直撃した日、千葉沖を震源とする最大震度の地震も同時に発生していたことを、関東以外にお住まいのかたはご記憶だろうか。

◆被災した人々の生活回復を第一に考えれば

自然災害は防ぎようがない。だから「東京五輪」を自然災害だけを理由に批判するのは的外れかもしれない。しかしながら、地震、大雨、火山噴火などここ数年の自然災害により、通常の生活を送ることができなくなっているかたがたがまた増えた。台風19号による被害者がもっとも多かったのは、福島県であった。

福島県……。人間も、自然もどこまで福島に不幸を強いるのであろうか。

被災した人々の生活回復を第一に考えれば、マラソンを札幌に持っていく程度のちゃちな子供だましで、被災者は救われないことくらい理解されるだろう。

東京五輪に対する、唯一最善の処方箋は、「中止・返上」することである。


◎[参考動画]Learn about Olympic Agenda 2020 The New Norm(IOC Media 2018年10月10日公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

原発利権構造の主語はあくまで関西電力である! ── 大阪で開催された10・14緊急集会「関電の原発マネー徹底究明と原子力からの撤退を求める!」報告

10月14日、大阪国労会館で「関電の原発マネー徹底究明と原子力からの撤退を求める!」と題された緊急集会が開催された。関電幹部の原発マネー還流問題が発覚して以降、初めての集会だけあり、関西はじめ和歌山、四国からの参加者含め、大勢の方々があつまり、会場は怒りで溢れかえった。

「ふるさとを守る高浜・おおいの会」の東山幸弘さん

◆1987年、58才で役所を退職していた森山氏

最初に「ふるさとを守る高浜・おおいの会」の東山幸弘さんが発言された。事件発覚後の町と町民の様子、また森山元助役が町で何をやってきたかなどが離されたが、以下、マスメディアが余りとりあげない、しかし非常に重要な点をいくつか紹介する。

3、4号機増設を進める中で、関電との密な関係を築いていった森山氏だが、実は1987年に58才で早めに退職している。その理由が、あちこちから金品を受け取っていたことで、警察が動き出したことが背景にあったという。東山さん自身は、退任後の森山氏が原発にそう関わってないとみていたが、今回の件で、退任後のほうが一層深く関わっていたことが力をもっていたことが、驚いたという。

背景には、高浜の下請け業者が森山氏に頼めば、仕事が回してもらえるということがあった。高浜町の50~60歳以上の人はみな森山氏を知っている。「町に貢献した」「いい人だった」とはいうが、本音はいわない、いえないという状況がある。

◆元請けは常に大手ゼネコンやプラント会社である

問題なのは、今報道されている「吉田開発」だけではないということだ。森山氏が筆頭株主となっている警備会社「オーイング」(同社には福井県警の退職者が大量に入っている)や、同じく森山氏が役員を務めていた姫路の「柳田産業」など含め問題を解明すべきだ。

そもそも原発の元請けは大手ゼネコンやプラント会社で、地元の会社はそこの2、3次業者から仕事をもらう仕組みだが、そのことが余り表に出てこない。それこそが、この原発問題で一番大きな問題だ。

高浜原発では、1、2号機建設で前田、ハザマ、大成、3、4号機で竹中、大林、大成、ハザマ、前田などが入っている。大きな「特需」はほとんど竹中がやっている。今も竹中の社旗を付けた下請け会社のトラックが町中を走り回っている。

1、2号機の改修工事と、3、4機裏手の山の工事は特需で請け負っているのは安藤ハザマ。吉田開発はハザマの下請けで、土捨て場の開拓・管理工事で35憶円の工事を受注した。

これらの工事全体で関電は、5,000億円をつぎ込んだと言われているが、「5,000億かかるわけない、半分とは言わないが、相当な額で水増しされているのではないか」と話す建築関係者もいる。

「こんなことが起きるのも、原発はいくら金をかけてもいい「総括原価方式」になっているからだ。これは兵器産業、軍需産業と一緒だが、軍需産業の場合は税金なので、軍事費という数字で出るが、原発の場合は、この金額の工事が妥当だったかはわからない。こうして原発建設で大きな金を使うことで、ゼネコンに金が回るという仕組みになっているため、なかなか辞められない。これが原発をめぐる大きな問題ではないのか」(東山さん)。

◆主語はあくまで関西電力である

福島県浪江町から兵庫県に避難した菅野みずえさん

「主語は関西電力に置くということをはっきり確認していきましょう」。次の主催者「避難計画を案ずる関西連絡会」の報告では、登壇者が冒頭、宣言するようにそう発言した。

メディアの多くは、亡くなった元助役の経歴、関電に対する高圧的で異常な態度に注目するが、問題は被害者ヅラし続ける関電側にあるのだ! 主催者の報告から重要な部分を、一部を紹介する。

「関電は現在、トップが辞任と12月下旬に調査報告を出すことで批判をかわそうとしている。しかし第三者委員会の弁護士4名を指名したのも関電であり、委員会そのものの権限も不明、調査の範囲も、関電の書面では、関電と協議して決めていくとなっている。これでは真実は明らかにならない。しかも今これだけのことが起きているのに、高浜3号、大飯3号は動いたまま、定期検査で停止中の高浜4号も、予定通り12月中旬に起動すると言う。調査報告が出る前だ。これについてはぜひ止めていきたい。一方で関電は、40年越えの老朽原発の工事も進行中、使用済み燃料の中間貯蔵施設の場所を探すことも諦めてはいない。国会では野党の合同チームが追求を強めているが、政府与党は、関電幹部の国会招致を拒否するという無責任な対応を続けている。監督官庁の警察庁も、すべて関電任せ、原子力規制委員長は「自分たちは技術的、科学的問題についてやることで、それとは違うとコメントし、工事中止の命令も出さず、淡々と進めている。しかし、関電の原発推進派がこれまでにない窮地に追い込まれているのも確かだ。中間貯蔵施設について関電は『信頼回復が第一歩で、すぐには進められない』と述べているが、私たちはこれを一つの契機に運動を強め、関電の原発からの撤退を具体的に進めていきたいと思う」

「吉田開発への税務調査が2011年から始まっている。福島の事故後、被災者や避難者の苦労も全く顧みることなく、原発邁進してきた関電の推進策、その隠蔽策が、今回の問題の根源にあると思う。発端は原発マネーの還流であり、この原資が電気料金であり、それを関電らが懐にいれたということだ。今回の件で、関電の隠ぺい体質と異様なまでの傲慢さが、改めて浮きぼりになった。企業のコンプライアンスやガバナンスの欠如も底なしである。この問題はまた、過去の原発の長期にわたる深い闇の一環であることも明らかにした。これを国策として進めてきた政府の責任も追及していかなければならない」

10月14日、大阪国労会館で開催された緊急集会「関電の原発マネー徹底究明と原子力からの撤退を求める!」

「関電の資料から判るのは、吉田開発の2014年から2018年の売り上げのうち約9割が関電発注分であるが、関電は吉田開発に発注した121件中、75%にあたる91件で、森山助役を介して詳細な概算額を事前に伝えている。しかも競争入札ではなく特命発注。吉田開発の売上が上がるのと符号する形で、関電への金品供与が行われていたことが明らかにされている。この多額発注の背景は大きく2つある。1つは、福島の事故後に作られた新基準にあうような安全対策が求められたこと。老朽原発の工事、重要施設、テロ対策の施設などの関連工事、いわゆる「再稼働特需」と言われる工事に、報道されているだけでも1兆円近く使われてきた。もう1つが、2004年、美浜3号機で11名が死傷した事故後、関電の原子力事業本部が、当時の知事の要請で大阪から美浜町に移ったが、このことが関電と地元の癒着を一層深めるものになった」

「高浜原発の再稼働について。高浜再稼働は、2016年だが、この時期、福井地裁では運転差し止めの仮処分が出され、その後大津地裁が3、4号の仮処分を出すということで、高浜原発は、住民の運動と裁判所の決定によって、長く動かせずにいた。こうした事態をなんとかしたい関電は、元助役や、金品が渡っていたという警察などを使い、住民対策を強化していったのではないか」

◆関電に危険な原発をこれ以上運転させてはならない

最後に、関電の責任を追及し、関電に危険な原発をこれ以上運転させてはならないとして、以下を要求していく集会決議(案)が読まれ、参加者からの拍手を得て了承された。

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関電の「原発マネー還流」を徹底究明し、金品を受領した20名は辞任せよ!

高浜4号機の12月中旬原子炉起動阻止!運転中の高浜3号、大飯3、4号の運転停止!

高浜1、2号、美浜3号の老朽原発延命工事を中止へ、廃炉へ!

原発推進のための使用済燃料「中間貯蔵施設」、サイト内乾式貯蔵施設の建設を断念せよ!

関電は原子力から撤退を!


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当面の活動として、怒りの声を集めようと始めた署名は10月14日で3810筆集められた。

署名提出は10月17日(木)午後15時、関電本店前に集まろう!

最後にネット署名に寄せられた声から、1つ紹介する。

「今回の事案により、関西電力だけでなく、検察や国に対する不信も高まっています。私たちはこの不透明なお金の流れがどこまで精査されるのかについて、最後までしっかり監視しています。このような不透明なお金の流れを生み出す原発の稼働は、今すぐ停止するべきです」(鳥取)

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。最新刊の『NO NUKES voice』21号では「住民や労働者に被ばくを強いる『復興五輪』被害の実態」を寄稿

〈原発なき社会〉を求める雑誌『NO NUKES voice』21号 創刊5周年記念特集 死者たちの福島第一原発事故訴訟
タブーなき言論を!絶賛発売中『紙の爆弾』11月号! 旧統一教会・幸福の科学・霊友会・ニセ科学──問題集団との関係にまみれた「安倍カルト内閣」他

畜産業崩壊だけで済まない危険な激安牛肉 米国に国益を売り渡した安倍晋三

◆アメリカの一方的なウィンを「ウィンウィン」と強弁する安倍晋三

「秋になったら、すごい報告ができる」と、トランプ米大統領がマスコミに語っていたのは、日本の参院選挙の前だった。ぎゃくに言えば、参院選挙前には発表がはばかられる内容なのはわかっていた。というのも、日本にとって一方的に不利な貿易交渉であり、安倍総理の見え見えの国益売り渡しだったからだ。にもかかわらず、自民党を大敗させなかった国民は、やはり政治を見放しているのだろうか。だとしたら、その危険なツケをも支払わなければならない。

事態は深刻である。70億ドル相当のアメリカ農産物を市場開放するいっぽう、日本がバーターとして考えていた自動車の関税撤廃は見送られたのだ。安倍総理は記者会見で「日本の自動車と自動車部品に対して追加関税を課さないという趣旨であることは、私からトランプ大統領に明確に確認をし、大統領もそれを認めた」と言い訳に終始したが、これは本末転倒だ。オバマ政権とのTPP交渉では、自動車の関税撤廃が約束されていたのに、トランプのTPP撤退によって関税はそのままになってしまったのである。

◆激安化する牛肉市場

この安倍総理が「ウィンウィン」だと強弁する不公平な貿易交渉で、日本の農業とくに牛肉畜産業はほぼ完全に崩壊に追い込まれるとみられている。日米が合意した農産物の関税引き下げによって、牛肉は現在の38.5%から段階的(26.6%から)に引き下げられ、最終的には9%となる(2033年)。豚肉はキロ当たり現在482円から、最終的には50円まで引き下げられるのだ。

買い物に行かれる方はおわかりだろう。スーパーの店頭では、牛肉はOGビーフ(オーストラリア産)とアンガス牛(国産と表記がないものはアメリカからの輸入)が安く出まわっている。250円(100グラム)前後のOGビーフやアンガス牛はステーキ肉としては最底辺クラスで、等級認定クラスの和牛は750円から2000円という価格帯である。OGビーフもアンガス牛も赤身が主流だが、アメリカには和牛の飼育法を参考にした霜降り肉がある。今回の関税引き下げで、500円以下のアメリカ産「高級肉」が入ってくると予測されている。

関税が下げられた場合、価格はどうなるのだろうか。

アメリカ産で現在250円(100グラム)のものが、26.6%ならば229円、9%になった場合は197円まで下がることになる。これがグラム500円前後の高級部位の場合は、グラム400円を切ることになる。もはや少ロット生産の和牛が対抗できる価格帯ではない。その結果、生産をあきらめる畜産業者が続出するとみられている。だが問題は、わが国の畜産業の崩壊だけではないのだ。

◆危険な薬品漬けのアメリカ牛肉

ラクトパミンという薬品をご存じだろうか。EU、ロシア、中国では使用が禁止され、使用された肉の輸入すら認めていない人口ホルモン剤である。肉牛や乳牛の成長を早めるために、このラクトパミンを投与されるのだ。早く成長すれば、それだけ飼育期間が短くなり早く出荷できるため、農家にとっては経済的メリットが大きい。ほかならぬわが国が、牛肉輸入の門戸を大きく開いているアメリカとカナダの牛肉生産者において、このラクトパミンが使用されているのだ。

ラクトパミンは、女性の乳がんや子宮がん、男性の前立腺がんといったホルモン依存性がんを誘発する発がん性物質の疑いが持たれている。EU、ロシア、中国が輸入禁止に踏み切ったのは、こうした理由からだ。

日本でもホルモン依存性のガンが顕著に増えていることから、牛肉の輸入量が伸びていることとの間に、何らかの相関性があるのではないかといわれてきた。疑問を持ったがんの専門医らが10年ほど前に、専門的な調査を実施している。その結果、米国産牛肉には女性ホルモンの一種であるエストロゲンが、和牛に比べて非常に多く含まれていることを確認し、日本癌治療学会で発表している。

ところが、前述したとおり米国やカナダでは、このラクトパミンが飼料添加物として、牛や豚に与えられているのだ。そしてこの薬品自体は、日本国内でも使用は禁止されている。だが輸入肉の使用、残留は認められ、市場に出回ってしまっているのだ。

安価に牛肉が食べられると思いがちだが、こんなところに危険な落とし穴があったというべきであろう。じつはアメリカ国内でも、消費者は普通の安価な牛肉を避け、健康によいイメージの有機やグラス・フェッド(牧草飼育)の牛肉を選ぶ消費者が増えている。日本は先のトウモロコシに続き、またしても安全面で不安の残る米国産農産物を大量に引き受けることになるのだ。

あれ(自動車関税の固定化)も、これ(危険な牛肉の安価流通と国内畜産業の崩壊の危機)も安倍総理のトランプ追従政策の結果である。強いものに巻かれ、独自の外交政策を持たないがゆえのアメリカ追従。安倍にとって「国益」とは、自分の政治的な立場をまもり、アメリカに庇護される代わりに国民に危険なツケをまわすことでしかないのだ。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

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書家・龍一郎さんが長年の沈黙を破り、11月10日同志社大で語る「教育のあり方を問いかけたゲルニカ事件から30年の想い」

本通信で「『体罰』ではなく、すべて『暴力』だった」を3回にわたり掲載した。個的な経験の紹介ではあるが、ある時期、公権力(教育委員会)の明確な意思にもづき、堂々と行われた「教育」に名を借りた「犯罪行為」であるから、私怨としてではなく、記録として留められる必要があると考えたからだ。

愛知県をはじめとする「管理教育」について『禁断の教育』(宇治芳雄、同時代叢書1981年)『虚構の教育』(宇治芳雄、同時代叢書1982年)など問題を指摘する書籍も発売され、校内暴力などで荒れる学校の問題と対極に、行政暴力により吹きまくる公立高校内での「犯罪」は限定的であるとはいえ、教育や社会問題に関心のあるひとびとの間では、認知されていた。

NHKも東海地方では教育テレビで特集番組を放送し、『ある小学校長の回想』(岩波新書1967年)の著者である金沢嘉市氏がゲスト出演し、学校内で行われる異常な「教育」の実態を記録したビデオ映像を目にして、「ついにここまで来たか……という感じです」と絶句していたことが思い出される。

わたしは運悪く(あるいはのちの人生を考えれば逆説的に「幸運にも」との評価も成立するかもしれない)管理教育の被害者になったことで、人格形成のかなり重要な部分に多くの傷をすりこまれた。かといって教育界にはわたしに接したような、最低レベルの人間ばかりが巣くっているわけではなく、教育者としてだけでなく、人物としても尊敬に値するかたがたが熱心に児童・生徒・学生のために献身的に身を削っておられることを、身をもって後に知ることになる。

「ゲルニカ事件」は、ウィキペディアに下記の通り、記載されている。

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1988年3月の卒業式の際に、卒業生たち卒業記念作品としてパブロ・ピカソの『ゲルニカ』を模倣した旗(以降、「ゲルニカの旗」と呼称する)を作製した。児童はゲルニカの旗を式典会場の正面ステージに貼ることを希望したが、校長の指示により、ステージ正面には日章旗が掲げられ、ゲルニカの旗はパネルに貼られた状態で卒業生席背面に掲げられた。なお、ゲルニカの旗をパネルに貼って掲げることは校長によって提示された修正案だが、職員会議での合意は得られていない。

これに対する抗議の意味で、卒業式当日には、卒業生代表児童挨拶での校長への批判発言もあり、「君が代」の斉唱の際に着席するなど児童がいた。この児童らに同調し、着席、また退場の際に右手こぶしを振り上げる行動をした教諭に対し、福岡市教育委員会は同年6月、教育公務員としての職の信用を傷つけるものとし、地方公務員法に基づき戒告処分を行った。(ウィキペディア『福岡市立長尾小学校ゲルニカ事件」の項)

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事件後報道もされたので、「へー、世の中には立派な先生がいるもんだな」と感嘆した記憶があった。その立派な先生の名前は井上龍一郎さんだ。わたしが井上龍一郎さんと初めてお会いしたのは、熊本で行われた鹿砦社も支援するイベント『琉球の風』だったと思う。3年ほど前だろうか。当時から鹿砦社のロゴやイベントの際の横断幕などを力強く書く「書家」としてお名前は伺っていた。ニコニコして人柄の優しい井上さんはみずからが出向いて書を描く行為を「テキヤ」と自嘲気味に表現される清々しい方、との印象があった。


◎[参考動画]龍一郎さん 書道 亥(2019年2月16日公開)

けれども、のちに鹿砦社代表の松岡氏から「龍一郎は『ゲルニカ事件』で有名だったんですよ」と聞かされるまで、井上さん(ご本人は「龍一郎」を仕事で使っておられるので以後の記載は「龍一郎さん」とさせていただく)が、まさか、あの『ゲルニカ事件』の先生だとは気が付くはずもなかった。

後日松岡氏の好意で『ゲルニカ事件 どちらがほんとの教育か』(井上龍一郎とお母さんたち1991年、径書房)をご紹介いただいき、即読了した。

井上龍一郎とお母さんたち『ゲルニカ事件 どちらがほんとの教育か』(径書房1991年)

龍一郎さんは1987年4月6日に長尾小学校に赴任して以来のできごとを、同書第一章「君は何をするために学校に来たのか」で克明に綴っている。若く情熱に溢れた教師が、すさんだクラスに赴任してから児童のこころをどうやって解きほぐしていったのか。いうことを聞かないやんちゃ坊主とどのように打ち解けたのか。実に細かく日々の学校生活と児童の様子・変化が記録されている。残念ながら『ゲルニカ事件 どちらがほんとの教育か』は絶版になっているので、簡単に入手することはできないが、できれば教育に携わるすべてのひとびとと、お子さんを小学校に通わせている、あるいはこれから通わせる保護者のかたがた全員に読んでいただきたい。心揺さぶられる名著だ。

龍一郎さんは個性豊かな(と表現しておこう)児童が集う6年3組の担任を任されることになるのだが、このクラスは校長や教務主任がいうには「問題の多いクラス」ということで、龍一郎さんも心配しながらの新学期が始まった。そして「問題の多い」原因が同じ児童が5年生(5年生と6年生はクラス替えがなかった)の後半に、担任の先生が産休となり、代わりに赴任してきた先生に「毎日叱られてばかいりた」ことが原因で、教師不信に陥って反抗的な態度をとるようになったことを知る。龍一郎さんは毎日手探りを続ける中で、児童「教師に対する猜疑心」を徐々に希釈してゆき、やがては圧倒的な信頼を得るようになる。

「卒業といってっても、何もあわてて特別なことやっても駄目だ。やはり、一学期、二学期の取り組みの延長線上に明確に位置付けるべきだ。私たちは、子どもの主体的活動を基礎に学級集団を作り高めようとしてきた。三学期は、これを土台に学年の集団をはっきりつくりあげていかなければならない。そして、何より子ども達が燃えて燃えて燃え尽きるまでものごとに取り組み卒業してゆくこと――。こんな当たり前のことにたどりついた。具体的な計画を立てるときは、子ども達の興味、関心を最大限に引き出せるように工夫した。何といっても学習の主体者である子どもの意欲が問題なのだから、当然なことではある。」

「何といっても学習の主体者である子どもの意欲が問題なのだから、当然なことではある」と龍一郎さんは当たり前に考えておられたが、その真逆の人間が「教師」を名乗っている事実があまたにこびりついているわたしにとって、龍一郎先生の言葉は、新鮮を通り超え驚愕ですらあった。

そして、子供たちは卒業の記念にゲルニカを作成することを決めて、見事に完成する。その過程で児童が戦争や差別など社会問題に興味を持ってゆく過程などは、「これがほんとうに小学生が、みずから考え行動したことなのか」と驚愕させられるほどレベルが高い。2019年、大学生でも龍一郎さんが担任を受け持った児童のレベルに遠く及ばない学生が大半ではないか。

宇崎竜童さん(左)と龍一郎さん(熊本「琉球の風」にて)

はたして、児童たちは見事な学年の旗ゲルニカを完成させ(その完成度も驚愕に値する)卒業式が行われる体育館のステージにいっぱいに、自分たちの小学校生活集大成を見つめながらの卒業式を楽しみにしていた。だが、柳校長は職員の総意と児童たちの思いを踏みにじり、ゲルニカを壇上から外し、代わりに日の丸を掲げた。

卒業式では、卒業証書を受け取った児童が思いを述べる。ある児童は「私は怒りや屈辱をもって卒業します。私は、絶対、校長先生のような人間にはなりたくないと思います」と宣言した。

一連の出来事は「筑紫哲也のニュース23」で特集された。わたしはつい最近その映像を見る機会があった。失礼ながら一番印象深かったのは、わたしの知る、個性派書家龍一郎さんではなく「若い好青年」だったことだ。そして龍一郎さんは「処分」を受け、それを「不当」とし裁判闘争に立ち上がる。『ゲルニカ事件 どっちがほんとうの教育か』を読了するまでにも、わたしは何度もすなおに感激し落涙をおさえられなかった。

長年の沈黙を破り、龍一郎さんが11月10日、13時から同志社大学今出川キャンパス良心館で「教育のあり方を問いかけたゲルニカ事件から30年の想い」をテーマに講演会を行う。(講演会参加者には龍一郎さん揮毫の来年2020年の鹿砦社カレンダーを進呈します!)

子どもに向ける情熱を書に切り替えても、龍一郎さんの情熱は変わらない。そんな龍一郎さんは30年前を振り返り、今日の教育問題をどのように感じておられるのだろう。いまからお話が楽しみだ。

同志社大学学友会倶楽部第7回講演会 書家・龍一郎さん「教育のあり方を問いかけたゲルニカ事件から30年の想い」
同志社大学学友会倶楽部第7回講演会 書家・龍一郎さん「教育のあり方を問いかけたゲルニカ事件から30年の想い」

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなき言論を!絶賛発売中『紙の爆弾』11月号! 旧統一教会・幸福の科学・霊友会・ニセ科学──問題集団との関係にまみれた「安倍カルト内閣」他
田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

六代目山口組・高山清司若頭の出所で抗争は再燃するのか?

◆音が鳴った

10月18日、六代目山口組若頭の高山清司が府中刑務所を出所する。組長の司忍以上に組織統制の要と言われる高山の出所を前に、4度目の「音が鳴った(銃撃が起きた)」。

すなわち、10月10日に山健組本部前で、六代目山口組の中核組織・弘道会(竹内照明会長)の丸山俊夫幹部組員(68歳)が、山健組幹部2人を弾いた(射殺した)のである。


◎[参考動画]神戸で組員2人射殺 逮捕の男は報道関係者を装う(FNN 2019年10月11日公開)

周知のとおり、弘道会は高山若頭、司忍組長の出身母体だ。この事件をうけて、兵庫県警は11日に六代目山口組総本部事務所と神戸山口組事務所など同県内計11カ所の組事務所について、暴力団対策法に基づく使用制限の仮命令を出した。

9月29日にも、埼玉県飯能において銃撃事件が発生したことが週刊誌で大きく報じられている。撃たれたのは任侠山口組の幹部の弟(堅気の塗装業者)だった。任侠山口組(織田絆誠代表)への攻撃であれば、六代目山口組の組員による犯行との見方がつよい。

それに先立つ8月21日には、六代目山口組の弘道会の兵庫県神戸市熊内町にある関連施設で、やはり発砲事件が発生している。弘道会傘下の二代目藤島組に所属する加賀谷保組員(51)が、複数の銃弾を浴びたのである。撃たれた加賀谷組員は、腕を切断せざるをえなかったという。

さらにさかのぼる4月18日に神戸市内の路上で、神戸山口組の中核組織である山健組の與(あたえ)則和若頭が、弘道会系の組員に刺されている。

8月の事件は4月の事件の“返し”として、山健組が神戸にある弘道会の拠点を襲撃した可能性があり、そうであれば10月10日の事件は、高山若頭の出所を前にした、弘道会の血の報復とみるべきであろう。8月21日の事件は、ほかならぬ高山若頭の住居で行なわれたのだから――。

ここまで読まれて、ヤクザマニアでなければ何が何だかわからないのではないだろうか。いったいどことどこが戦い、山口組はそもそもどうなっているのか(苦笑)。


◎[参考動画]六代目山口組総本部など「抗争状態」判断で使用制限(FNN 2019年10月12日公開)

◆3つの山口組

そこそこに知っている方も、ここでおさらいだ。山口組が分裂したのは2015年8月のことである。

六代目司忍組長・高山清司執行部体制に不満を抱いていた直参グループが、井上邦雄(山健組)を組長に、神戸山口組を旗揚げしたのだった。六代目に対する批判は、弘道会による役職の独占および上納金(月額100万円)、そして生活物資の買い取り(本家からの購入強要)であった。暴対法、暴排条例でシノギが厳しくなった中で、カネに執着する本家への反発である。五代目渡辺芳則組長は、組織拡大路線のもと、上納金を低く抑えていたではないか、と。

ところが、井上組長の神戸山口組もまた、直参組織を上納金で縛るという実態が明らかになったとして、織田絆誠(金禎紀)を首班とする任侠山口組がたもとを分かったのが2017年の4月である。こうして山口組は3鼎立することになったのだ。

六代目山口組 10300人 
神戸山口組   2700人
任侠山口組   460人

もともと、六代目山口組が発足したとき(2005年)に、それまで主流派だった山健組(渡辺五代目の出身母体)は人事で不満を抱いていた。弘道会による執行部人事の独占である。実力派の後藤忠政(後藤組組長)が除籍になったのを機に、13人の直参組長たちが謀反の談合を開いたところ、各個呼び出されて除籍処分になったのが、2015年分裂の遠因である。この除籍の顛末は、談合自体が弘道会の謀略だったという(『血別』太田守正、サイゾー刊)。

◆本格的な抗争は起きない

それはともかく、ヤクザジャーナリズムが騒ぎ立てるほど、本格的な大抗争が再燃するとは思えない。少なくとも組織としての山口組三派は、抗争を禁じる措置をとっているからだ。民法上の使用者責任が組長におよぶ、というのが一番の決め手である。

事件によって挙げられるのは、もちろん組長だけではない。銃撃したヒットマンも、よほどの覚悟がなければ出頭することはできないだろう。むかしなら新聞や実話誌で派手に報じられて、十数年の懲役を受けながらも任侠界に名をとどろかすという一幕だが、いまはそうではないのだ。

ヤクザなら相手を殺せば長期刑(30年か無期)、無期になれば堅気にならないかぎり、仮釈放は認められない(2000年に思想犯の除外を検察庁が更生保護委員会に指示)。見かけだけ堅気になったとしても、組に復帰すれば収監される。無期懲役の仮釈放は、刑期満了ではないからだ。かりに懲役30年になったとして、25歳の若きヒットマンは55歳でやっと出所ということになる。

人生100年時代とはいえ、人生の盛りの大半を獄中の労役で過ごすのである。ちょっと落ち着いて考えれば、捕まりたくないはずだ。そんなわけだから、9月の事件では、ターゲットを誤爆するというチョンボを犯している。しかるに10月10日の事件(2名殺害)は、斯道界のみならず警備当局、市民社会を震撼させるものだった。それがヤクザの犯行ではなく、マフィア的な犯行だからだ。

◆日本任侠道のマフィア化のきざし

当日は山健組の定例会が開かれている場所で、丸山容疑者は取材の実話誌記者たちとともに、記者を装ってカメラバッグの中に拳銃をしのばせていたというのだ。警察官の職務質問にも「実話誌の記者です」と答え、じっさいにカメラで撮影もしている。そして定例会が終わったとき、山健組の組員たちに誰何された段階で、2名射殺という襲撃を成し遂げたのだ。厳重警備を敷いていた警備当局に、その場で逮捕されたのは言うまでもない。

丸山容疑者はしたがって逮捕覚悟、あるいは死を覚悟のヒットマンだったことになる。2名殺せば、ヤクザでなくとも死刑(永山則夫規準)である。家族の将来を組織に託して、抗争事件でヤクザのレジェンドになる。それは確実な殺害と引きかえにヒットマンの犠牲を強いる、マフィア的な犯行である。

末端が禁じられている麻薬や詐欺事犯に手をそめ、捜査当局の締め付けのなか危険なシノギで生き延びる。そして抗争もまた、マフィア化しているというべきであろう。

ワールドカップラグビーの荒々しいプレイが、ある意味で「怖いもの見たさ」の求心力を持っているように、ヤクザ抗争は黒く熱い日本文化でもある。だから抗争事件は恐怖とともに、一般市民にも「のぞき見たい」刺激をあたえる。そうであれば、できれば親分同士が、どつき合いで決着(太田守正)をつけて欲しいものだ。そのときは、かならず取材に馳せ参じる所存だ。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

タケナカシゲル『誰も書けなかったヤクザのタブー』
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壱センチャイが次なるビッグイベントへの前哨戦を圧勝!

壱の左ハイキックが誓を攻める

11月1日に「KNOCK OUT」に於いて、HIROYUKI(=茂木宏幸/藤本)と対戦が予定されている壱(=いっせい/センチャイ)が、誓(=飯村誓/ZERO)をヒジ打ちで圧勝。

鳩(=あつむ/TSK JAPAN)がボディーブローで、ムエタイオープン・スーパーバンタム級王座獲得。

8月11日にタイ・チョンブリー県でWPMF女子世界ピン級王座獲得した田中“暴君”藍(PCK亘理)も、より成長した強さを発揮し、ヒジ打ちでTKO勝利。

8月31日、タイ・バンコクに於いてルンピニースタジアム最高責任者、デットウドム・ニチャラット将軍より、日本支部となる「ルンピニー・ボクシング・スタジアム・オブ・ジャパン」の認定が2年延長されました。

2015年8月7日、ムエタイの殿堂、ルンピニースタジアムが認定する史上初の海外支部となる「Lumpinee Boxing Stadium of Japan」発足以来、ムエタイオープン興行を中心に、ルンピニー日本王座とランキングを管理し、ムエタイ文化の国際普及に貢献してきたルンピニージャパン代表、センチャイ・トングライセーン氏は、この4年間に及ぶ功績を認められた様子です。

壱と誓のまだ静かな立ち上がりの蹴りあい
劣勢を撥ね返そうとパンチで出る誓

◎MuayThaiOpen.46 / 2019年9月29日(日)新宿フェース16:00~19:27
主催:センチャイジム / 認定:ルンピニー・ボクシング・スタジアム・オブ・ジャパン(LBSJ)  
 
◆第12試合 バンタム級ノンタイトル3回戦

LBSJバンタム級チャンピオン.壱センチャイジム(=与那覇壱世/センチャイ/53.3kg)
    vs
NJKFフライ級1位.誓(ZERO/53.25kg)
勝者:壱センチャイジム(赤コーナー) / TKO 3R 2:18 / 主審:山根正美

左瞼を腫らし、左目尻を切られた誓は苦しい展開

初回、誓の蹴りのけん制から壱の蹴り返す圧力が増し、第2ラウンドも攻防は壱が圧力を掛け、誓はロープ際に圧される展開が続く。接近戦から組み合うとヒジ打ちやパンチの交錯が続くと、誓は圧されながらもヒジ打ちをヒットさせ、壱の右目尻を小さくカット、攻勢を保ちながら切られた壱もやりかえそうと手数を増して出て行く。

第3ラウンドには蹴り合いから縺れ合って首相撲になると、壱がヒジ打ちを放った様子で誓の左目尻をカットする。すでに第2ラウンドにヒジ打ちで左目辺りにダメージがあった様子で、左瞼がやや腫れ、見え難いのか顔をしかめてしまう誓。更に蹴りから組み合うと、壱は誓の頭を下げてヒザ蹴りを蹴り込み攻勢を維持。蹴り合いから縺れ合って倒れるとヒジが当たったか誓の負傷箇所が悪化し、ドクターの勧告を受入れたレフェリーが試合を止めた。誓は格上との対戦の試練が続く4連敗となった。

相打ち気味の誓の右パンチが壱にヒット
至近距離の打ち合いは互角
離れての蹴りは壱が優勢
あっけなくも狙ったボディーブローでTKO勝利した鳩

◆第11試合 MuayThaiOpenスーパーバンタム級王座決定戦 5回戦

鳩(TSKJapan/53.0kg)
    vs
デンナダーオ・モー・ピンガローイジュンボーイ(タイ/52.65kg)
勝者:鳩(赤コーナー) / TKO 1R 1:44 / 主審:河原聡一

両者のローキックのけん制の様子見が続き、鳩が軽い右ローキックから強い左ボディーブローをヒットさせるとデンナダーオは蹲るように倒れ込んでしまうとレフェリーがカウント中に試合をストップし、鳩のTKO勝利となった。

左ボディーブローに移る鳩、これで仕留めるとは……
ラウンドガールとセンチャイ氏に囲まれる鳩
44歳の松崎公則のミドルキックが冴える

◆第10試合 スーパーフライ級3回戦

バンサパーン・センチャイジム(タイ/51.9kg)vs 松崎公則(Struggle/51.95kg)
引分け三者三様 / 主審:神谷友和
副審:河原29-28. 桜井30-30. 山根29-30

激しさは無いが、ローキックやミドルキックの攻防が休むことなく続く両者。そして松崎のしぶとく落ち着いた表情は激戦の兵と感じさせる。

最終ラウンドは松崎が攻勢を掛けてパンチと蹴りで前に出るが、バンサパーンは上手く捌きながらポイントに繋ぐようにハイキックを繰り出し劣勢を凌いだ。

三者三様の引分けがコールされて残念そうな両者

◆第9試合 スーパーフライ級3回戦

白幡裕星(橋本/51.9kg)vs 佐藤仁志(新宿スポーツ/52.16kg)
勝者:白幡裕星 / 判定3-0 / 主審:少白竜          
副審:河原30-28. 神谷30-28. 山根30-28

組み合えば田中のヒジが襲う、Saeは防戦一方

◆第8試合 女子47.5kg契約3回戦(2分制)

KOKOZ(=ココゼット/TRYHARD/47.4kg)vs 443(=よしみ/NEXTLEVEL渋谷/47.3kg)
勝者:KOKOZ / 判定3-0 / 主審:桜井一秀
副審:河原30-29. 神谷30-29. 少白竜30-29    

◆第7試合 女子45.5kg契約3回戦(2分制)

WPMF女子世界ピン級チャンピオン.田中“暴君”藍(PCK亘理/45.1kg)
    vs
Sae-KMG(=さえ/クラミツ/45.0kg)
勝者:田中“暴君”藍(赤コーナー) / 公式TKO 2R 0:02 実質1R終了 / 主審:山根正美

互いが対峙してのローキックのけん制から組み合うと早くも田中“暴君”の勢いが増していった。首の掴み方、体重の掛け方のバランスが良く、すぐさまヒジ打ち、ヒザ蹴りを入れ、田中の圧力を抑えることが出来ないSaeは険しい表情。

田中のヒジ打ちで左頬を切られたsaeは第2ラウンド開始と同時にドクターチェックが入り、そのままレフェリーに試合を止められた。

第2ラウンドの開始ゴングを待ってのドクターチェックで、再開されないままの終了であり、実質は1ラウンド終了時のTKOとなる。おそらくJBC式でも「TKO 1R終了時」となる。

田中“暴君”藍のヒザ蹴りがSaeにヒット
WPMF世界ピン級チャンピオンとしてより実力アップした田中“暴君”藍

◆第6試合 女子フライ級3回戦(2分制)

RAN(Monkey☆Magic/50.55kg)vs 竹井成美(エイワスポーツ/50.35kg)
勝者:RAN / 判定3-0 / 主審:河原聡一
副審:桜井30-27. 山根30-27. 少白竜30-28

◆第5試合 バンタム級3回戦  

稔之晟(=じんのじょう/TSK Japan/53.15kg)
    vs
チャローンリット・ソー・ウィセットキット(タイ/53.5kg)
勝者:稔之晟(赤コーナー) / KO 1R 1:43 / テンカウント / 主審:神谷友和

◆第4試合 66.0kg契約3回戦

ポッキー・ラジャサクレック(タイ/65.4kg)vs 雑賀弘樹(NEXT LEVEL渋谷/65.7kg)
勝者;雑賀弘樹 / 判定0-3 / 主審:少白竜
副審:神谷28-30. 山根28-30. 河原29-30

◆第3試合 スーパーフェザー級3回戦 

洸杜(T’sKICKBOXING/58.8kg)vs 直希(AKT/58.5kg)
勝者:洸杜(赤コーナー) / TKO 2R 2:10 / カウント中のレフェリーストップ / 主審:桜井一秀

◆第2試合 フェザー級3回戦  

三浦翔(クロスポイント大泉/56.85kg)vs 成澤龍(SRC/56.55kg)
勝者:三浦翔(赤コーナー) / KO 1R 1:58 / テンカウント / 主審:山根正美

◆第1試合 フェザー級3回戦  

健・センチャイジム(センチャイ/56.6kg)vs 岡田将充(クラミツ/56.2kg)
勝者:岡田将充 / 判定0-3 / 主審:河原聡一
副審:山根29-30. 少白竜28-29. 桜井29-30

着実に日本のトップ戦線に躍り出た壱、次戦はHIROYUKI戦

《取材戦記》

壱(=いっせい)は、昨年11月25日のMuayThaiOpen43に於いて、小嶋勇貴(仲FS)からルンピニージャパン・バンタム級王座奪取。この日、誓を下し、11月1日には「KNOCK OUT」に於いて、日本バンタム級チャンピオンのHIROYUKI(=茂木宏幸/藤本)と対戦が予定されています。2017年11月26日のデビュー戦では敗れたが、この日で15戦13勝(5KO)1敗1分。このMuayThaiOpenから生まれたスターが日本のトップクラスのリングで他団体チャンピオンと戦います。

「キックボクシングは今が全盛期ではないか」と言う運営関係者が居ました。

「乱立はしているが、組織の在り方は軟弱だが、多くの興行が成り立ち、ビッグマッチが行なえるイベントが増えてきた。イベントの盛り上げ方は、昭和の全盛期を上回るのではないか」と言う意見。団体や興行プロモーションは増え、王座は乱立したが、確かに興行が増え、交流戦が当たり前になり、トップクラスの戦いも増えた。これが時代の流れなのだろう。全国ネットで放送され、2団体しかなかった“昭和の良き時代”の語り部となっている我々世代はもう戻らぬ時代を想い、懐かしむだけの遅れた人間なのだろうと気付かされる。

地道に進むムエタイオープンも紆余曲折を経て46回目を迎えました。会場に入る度、センチャイファミリーが運営する興行という雰囲気が漂います。タイ人プロモーターによる、イベントタイトルどおりにムエタイの趣が表れる興行は幾つか存在し、ムエタイ殿堂のルンピニースタジアム傘下のルンピニージャパンタイトルは、公式ルールを遵守する運営で、より伝統・格式が付いてくるもので、しっかり継続して貰いたいタイトルであります。

と、毎度綺麗ごとで纏めてしまうが、タイ人関係者(プロモーター)との意思の疎通は難しいと感じることがあります。疑問点が生じて事情を伺うと、言葉は伝わっても意味が伝わらないこと多い。しかし日本人であっても問題摩り替えて答えを無難に、はぐらかす者も多いから、記者が挑む取材は難しい仕事と思う。

ムエタイオープン47は12月1日(日)に、やっぱり新宿フェースに於いて行なわれます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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◆二階斬りに失敗した安倍総理

安倍新内閣の総評が、「安倍内閣を構成する『こんな人たち』に負けるわけにはいかない――派閥にとらわれてボロだらけ」(朝霞唯夫)、「問題集団との関係にまみれた『安倍カルト内閣』」(藤倉善郎)、そして「小泉進次郎の正体は官邸言いなり“客寄せパンダ”」(横田一)である。

 
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本欄でも指摘してきたとおり、派閥順送りの閣僚人事はサブタイトルにあるように「ボロだらけ」である。武田良太国家公安委員長のヤクザ交際。78歳の竹本直一科学技術・IT担当大臣(日本の印章制度・文化を守る議員連盟会長)の「ハンコを大切に」発言、橋本聖子五輪担当相の高橋大輔とのキッス。そして菅原一秀経産大臣のパワハラ。

しかし諸悪の根源は、理念や政策によらない派閥の領袖・二階俊博幹事長(80歳)の続投であると、朝霞は指摘する。幹事長続投をめぐる安倍・二階会談は「どうなってもいいなら、どうぞ」という二階の切り返しで、安倍の「引き続き、お願いします」となったという。「この間、わずか30~40秒だった」。二階斬りに失敗した安倍は、派閥順送りの「ボロだらけ」を囲い込むことになったのだ。

◆カルト内閣

ヒトラーとチャーチルが、ともに占星術に凝っていたのは有名な話だ。ヒトラーは作戦計画にも占いを持ち込み、国防軍の将軍たちを辟易させたという。占星術はまだしも個人的な趣味にすぎないが、宗教と政治が結びつくことで、政教一致委という戦前の国家神道に代表される宗教国家が出現する。だからこそ憲法は20条3項で「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と規定しているのだ。

個人(私人)としての信仰はともかく、大臣(公人)としての靖国参拝が問題視されるのは、憲法に抵触するグレーゾーンであるからだ。じつは安倍内閣は多くの閣僚が、そのグレーゾーンに踏み込んでいるのだ。

閣僚の多くが、神道政治連盟(略称・神政連)日本会議統一教会(現・世界平和統一家庭連合)霊友会不二阿祖山太神宮などの会員なのだ。とくに安倍総理は多くの宗教団体にかかわり、高額お布施で信者から訴訟を受けているワールドメイトにも関係しているという。

政治家の多くが、その集票力を頼んで宗教団体と関係を持つわけだが、政教一致を禁止している憲法のもと、宗教団体の献金は禁じるべきであろう。創価学会と公明党の関係にも、そろそろ明確な法の処断が必要ではないか。宗教は個人のものであり、政治に介入するべきではないのだ。

◆小泉進次郎の不勉強・無策が明らかに

横田一の論考では、小泉進次郎の「客寄せパンダ」としての実像が明らかにされている。都合の悪い質問は聞き流し、ソフトなパフォーマンスで政権のイメージをアップする。そのいっぽうで、安倍政権の原発推進政策にはまったく踏み込まない「原発ゼロ政策」の欺瞞性。横田一はあまり触れていないが、小泉進次郎を人寄せパンダにすることで、その「ボロ」を出させ、将来の政敵のひとりを葬るのが安倍総理の思惑ではないか。

本欄でも記事を書いている小林蓮実の「実録・台風15号の『人災』」は、ご本人が南房総市在住である。停電でATMを使えず、懐中電灯と水・食料を買ったら手持ちが40円に。この日、東京でのイベントに彼女を招いたのは、ほかならぬわたしで、その講演料が少しでも役立ったのか、それとも災害時に負担をかけたのか忸怩たる思いだが、彼女の行動力には感謝しかない。

行政の対応の遅れが、住民にどんな「二次災害」を与えるのか。記録して教訓とすべきであろう。これを書いている10月10日現在、新たな大型台風19号の接近、関東地方直撃が確実視されている。行政の準備を期待したい。

宮崎県都城市議会の「政治倫理」をめぐる攻防(中東常行)は、地方議会にありがちな疑惑事件の数々、セクハラ、地元政界と警察の癒着を告発した女性ブロガーの怪死事件、市庁舎の整備事業の不透明など、事件好きの好奇心を煽る。

木村三浩(一水会代表)は久しぶりの執筆。内閣官房参与・飯島勲の外交シーンにおける傲岸な態度(フランスが準備したホテルの部屋が気に入らないと勝手に帰国)を枕に、政治とマスコミが傷つけている日韓両国民の関係を掘り下げている。切れ味の良い論考だ。

三田和成の「“横浜のドン”がカジノ反対派になった理由」は、藤木幸夫港湾組合会長の人となりを伝える。父親がヤクザの親分(埋地一家総長)だったのは初見である。IR(カジノをふくむ)の誘致をめぐって、どんな展開が待っているのか、注目したい。

「シリーズ・日本の冤罪」が始まった。初回は本欄でもおなじみの尾崎美代子(釜ヶ崎でフリースペースを主宰)の「湖東記念病院事件」である。鹿砦社系ライターの得意とするジャンルだけの連載に期待したい。

以上、筆者の好みだけでピックアップさせていただいたが、ほかにもファクトでインパクトのある記事満載。「紙の爆弾」11月号をよろしく。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

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いま、起こっていることは「風化」でなく、「事実の矮小化」と「隠ぺい」です 福島原発事故避難者に聞く〈1〉森松明希子さん

3・11からまもなく9年、「復興五輪」と銘打った東京オリ・パラの開催まで1年をきった。国は「復興五輪」で、福島の事故は終わったものしようと企んでいる。そんな中で避難者の存在が消されようとしている。原発事故の被害を無かったものにするためだ。しかし実際は、今も福島や関東など高線量地域から、被ばくを逃れてきた人たちが大勢いる。

そうした避難者らが現在、どんな状況に置かれているかを同通信では追っていく。第1回目は、森松明希子さん(45)です。

森松明希子さん

◆「私は幸運にも避難できたが……」

「2011年の3月11日、金曜日でした。私は家で、生後5ケ月の赤ちゃんをベビーチェアに乗せながら、ゆったりした時間を過ごしていました」。

あの日のことをそう話し出す森松明希子さんは、事故当時、福島県の郡山に夫と3才の息子、生後5ケ月の娘と4人で暮らしていた。事故でマンションが壊れ、夫の勤務する病院へ避難し、1ケ月間不自由な生活を余儀なくされた。

関西出身で、中学校の修学旅行で広島、高校で長崎を訪れており、「被ばく」の意味を知っていた森松さんは、原発が爆発したと知り、原爆でまき散らされた放射能のことを思い出し、遊び盛りの上の子には、外遊びを禁じていた。休日は新潟や山形のありふれた公園で、子供を外にだして遊ばせるためだけに、往復3時間かけて出かけるような生活だった。

事故後10km圏、20km圏へと「屋内待避」が命じられるなか、福島第一原発から60km離れた郡山にも放射能が広がるのは時間の問題だと思っていた。夫の車のガソリンを満タンだったので、いつ逃げるべきなのか、いつ避難指示を政府は出してくれるかと思っていた。

しかし地元のニュースは「通行止めだった道路が開通した」「●●スーパーが再開した」「〇〇病院が通常通りの営業時間に戻った」などばかり。原発が爆発したニュースは、全国一律で報じられる事以上の詳細は、放射線量も放射能汚染から身を守るべきことも伝えられなかった。

地元のローカル局の報道は、原発が爆発したニュースも一瞬画面に映しだされたが、4月に入ると小中学校や幼稚園の入学式・入園式が通常通り行われると報じ始めた。避難は政府の指示に従って、汚染の激しい原発に近いところから順番に、というのが合理的だと考えて順番を待っていたが、一向に被ばくに対する警鐘も注意喚起もなされないなか、子どもたちを一歩も屋外に出さないという生活に極度のストレスが溜まった。

幼稚園が休みになるゴールデン・ウイークに外遊びさせられる場所を求めていた森松さんに、実家の関西にいくことを進めたのは夫だった。両親、親戚らが住む関西に向かったのは、5月の連休だ。そこで初めて関西のローカル局のテレビの情報番組を見た。番組で福島とチェルノブイリの比較をやっていた。福島では知ることのない情報だった。郡山に残る夫と電話で話し合い、避難を決意、そのまま5月の長い連休を使い、母子避難の準備を一気に進めた。

「私は目の前に3才と0才の子どもがいたから、避難を決意できたのかもしれません。あと関西は土地勘もあり、両親や親戚もいたし。子どもが就学していたら、できなかったかもしれない」と森松さんは話し、さらに「私は子どもを守りたい一心で避難した。私の目の前には、守りたい子どもがいる。だから我慢できる。守りたい子どもが目の前にいない夫は、どうやって精神状態を保っているのだろう」と、仕事で福島に残り続ける夫を思いやった。

勤務医の暁史さんは、家族、とりわけ子どもたちとのコミュニケーションをとるために、毎週でも大阪に行きたい思いでいっぱいである。しかし患者の様態が急変することもあり、早め早めに予定を決めるのは難しい。月に一度が精いっぱいの時もある、勤務が終わった金曜日、夜行バスに飛び乗り、朝大阪に着く。土、日を家族と過ごし、日曜日深夜バスで福島に戻り、朝到着したそのまま仕事に就く、ということもしばしばあった。

◆支援が切られ、泣く泣く帰った仲間……

事故後、自主避難者へも住居などに行政の手が差しのべられたが、それも2017年で打ち切られた。森松さんが代表を務める東日本大震災避難者の会 Thanks & Dream (通称サンドリ)は、月1回、避難仲間や支援者が自由に集まり、情報交換したり、とりとめのないおしゃべりをする「イモニカイ」をやっている。そこへ集まるメンバーも最初のころからは随分変わってきたという。避難元に帰った人、福島には戻らないが、実家のある宮城に移った人、関東近郊に移った人など、さまざまだ。

「帰った人の理由はさまざまです。戻らないと離婚させられるという人もいた。一番多いのは、やはり経済的な負担が大きいからだと思います。でもそうしたことは人には言いにくい。こちらも聞きにくい。とにかく泣く泣く本意ではなく帰った人が多くいたことだけは確かです」。

◆メディアに伝えてほしいこと

「メディアの中には、私たちのことを取材してくださるところもあり感謝しています。でも、言いたいことも山ほどあります」と森松さんは話し始めた。

例えば「原発事故」という表現。事故はアクシデント、「それはちょっとしたアクシデントだね」という軽い感じに思われがちだ。チェルノブイリ被害国ではカタストロフィー(大惨事)という。森松さんは、「放射能ばらまき事件」と言うようにしている。今でこそ声を大にして、そのように表現することができるようになってきたが、8年前そう言うと、大バッシングにあったという。「放射脳」と揶揄されたり、「非国民」呼ばわりされたり……。

2つめは、「自主避難者」というメディアがつけた表現に起因すると森松さんは分析する。「自主」は 「自主トレ」などのように一見前向き、主体的に聞こえるし、そういう先入観を植え付ける。または「やらなくてもいいのに、わざわざ自主的にやっている」という印象もある。しかしそのことで、福島が未だに放射能に汚染されている「実態」が隠されてしまう、と森松さんは危惧している。

「私たちは汚染があるから、福島から出て来たのです。『自主』ではなく『自力』避難と言って欲しいくらいです。また、国連の勧告でも指摘されている通り、原発避難者は国内避難民(IDP)に該当します。政府には保護義務があるということ、国際社会から日本という国はどのようにみられているかということを、もっとマスメディアは報じるべきです」。

◆「風化」ではなく、被害事実の矮小化と隠蔽

事故から8年経ち、原発関連や福島の汚染状況などを伝えるメディアが徐々に減っている。こうした傾向は、来年の五輪開催へ向けて一層強まるだろう。人々はそれを「風化」という。しかし森松さんはきっぱりこう言う。

「『風化』ではありません。風化とは、形あるものがなくなっていくこと、時の経過とともに忘れ去られることです。放射能汚染の事実も被害の実相も、放射能が目に見えないことを良いことに被害の実相も認知されていない。つまり風化ではなく、それは単なる事実の矮小化と隠ぺいです」。大阪に避難するまでの2ケ月間、放射能に襲われるという被ばくの恐怖を「肌感覚」で感じてきたからこそ、そう言えるのだという。

「私は『歩く風評被害』といわれた時もあります。でも『風評』ではなく『実害』です。確かに線量は下がったが、放射能は土壌に深く積もったまま。そこに住まわすことを『人体実験だ』『モルモットだ』という人もいる。福島の人たちを差別するなという人もいる。以前に「フレコンの前で子育て、私ムリ」という川柳を作りました。これを読んで辛い人もいるのだからという批判も受けました。ですが、私は、でもこれ以上事実が封じ込められてはいけない、『私はフレコンバッグの前で子育てはしたくない』と誰もが堂々と被ばくを拒否する権利をコトバにできる社会であるべきだと思ったのです」。

原発賠償関西訴訟 第24回口頭弁論は11月21日(木)大阪地裁にて

◆子どもとともに裁判へ

森松さんの頭の中には、泣く泣く戻ったママたちのこと、様々な事情で避難できず福島にとどまった人たちのことが、いつもあるという。お金が欲しいだけなら、個人で訴えることもできるが、福島にとどまった人たちも救われる、そして避難した私たちも含め、すべての被害者が救われるための施策に結びつけたい、そして同じ過ちを繰り返さないで欲しい。

そんな思いから、「避難の権利」を求めて、2013年9月17日、大阪地裁に提訴、「原発賠償関西訴訟原告団」の代表も引き受けた。第一次提訴者数は27世帯80人、森松さんの家族は子ども2人と森松さんと夫の4人が原告となった。現在原告は238人、うち3分の1が子どもだ。

「私たちは、国が『国策』で進め、万が一にも事故を起こさないと公言していた原発から無差別に漏れ出た放射能のことを問題にしています。国策で進めてきたのだから、避難したい人には避難させ、その生活を保障する、そういう制度がつくれればと考えています」と裁判の意義と将来の展望を語ってくれた。

最後に、9月19日、東電の3役員に原発事故の刑事責任を問う裁判で、3人に無罪判決が下されたことについてお聞きした。

「東電は『万が一』といいます。17メートルの津波が来ることがわかっていたなら、万が一でも万が三でも(原発を止めないにしても)やるべきことがあったはずです。実際ちゃんと対策し、被害を免れた原発もあるのですから。ただあの判決を見た人たち、つまり市民社会が、今度はどう本気になって動くか、あるいは世論がどのように喚起するのかが、カギになると思います」。

森松明希子さん

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。最新刊の『NO NUKES voice』21号では「住民や労働者に被ばくを強いる『復興五輪』被害の実態」を寄稿

〈原発なき社会〉を求める雑誌『NO NUKES voice』21号 創刊5周年記念特集 死者たちの福島第一原発事故訴訟
タブーなき言論を!絶賛発売中『紙の爆弾』11月号! 旧統一教会・幸福の科学・霊友会・ニセ科学──問題集団との関係にまみれた「安倍カルト内閣」他

ダライ・ラマ制度維持の問題 ── チベット民族自決権と中華人民共和国

「チベット亡命政府があるインド北部ダラムサラで3日から続いていた世界の亡命チベット人の代表による特別会議は5日、閉幕した。チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世(84)の後継者選出を巡り、主導権を主張する中国に資格はないと拒否し、ダライ・ラマのみに権限があると宣言する決議を採択した。」(10月5日付け共同通信)

このニュースを最も喜んでいるのは、中華人民共和国政権中枢ではないだろうか。別のニュースでは「チベット人がいる限り、ダライ・ラマ制度は維持される」との声明もあったようだ。

84歳になったダライ・ラマ14世、本名テンジン・ギャツォ氏はチベット仏教の最高指導者であるとともに、明確な制度はないものの仏教界の最高指導者的な存在として、世界から尊敬を集めている人物である。チベットはもともと主権国家だったが、中華人民共和国に武力併合された。チベット民族は現在も約600万人が中国領域内に居住しているとされるが、中国は経済成長の過程で、表面上は自治州における民族自治の尊重を装いながら、漢民族以外への文化破壊をますます進行させてきた。ウイグル人の問題が近年日本でも報じられるようになったが、中国国内には指導者はともかく、独立を志向する100万人以上の民族集団として、チベット、ウイグル、内モンゴルが存在している。

ダライ・ラマは中国からの独立ではなく「高度の自治」を求めるにとどめているが、わたしの知る限りチベット人のあいだには「独立」を指向する人が少なくない。チベット問題は長く国際的な人権問題として西欧各国では取り上げられ、日本では右派が中国を攻撃する材料として利用されてきた。日本にはチベット亡命政府の大使館的(主権国家ではないので、パスポートやビザの発行業務は行えないが)存在として「ダライ・ラマ法王日本代表部事務所」がある。

第二次大戦後のアジアの混乱を象徴しているのが、ダライ・ラマであり、チベット人であるといえよう(彼の波乱に満ちた半生は「Kundun 」、「Seven Years in Tibet Little 」など映画化されてもいる)。しかし、今回の「ダライ・ラマ制度維持」の決議には、追い込まれたチベット亡命政府の焦りを感じざるを得ない。なぜならば、中国のチベット併合の理由は「前近代的な宗教国家からの解放」であったのだ。

そのトップがダライ・ラマであるけれども、ダライ・ラマ同様の「活仏」(生まれ変わりによる仏教上の地位)が実は数十人もいるのである。ダライ・ラマに次ぐ地位として、パンチェン・ラマがある。パンチェン・ラマは1995年5月14日に、ダライ・ラマ14世が当時6歳のゲンドゥン・チューキ・ニマ少年をパンチェン・ラマ11世と公式に承認後、5月17日に、両親共々同少年は行方不明となり、「世界で最年少の行方不明者」と話題になった。中国政府が親子ともども誘拐してしまったのだ。

このように出自により仏教上の地位が決まる選出方法を、中国は「前近代的だ」と批判する最重点課題においていたのであるが、残念ながらそれは正しい指摘だったといわねばならないだろう。卑近な例では天皇制と同じである。

ダライ・ラマ14世は、個人として非常に聡明であり、科学的思考に長けた人物である。が、同時にチベットからインドへの亡命前後から、米国への依存が強く、仏教の教えでは説明のつかない、軍事大国、侵略戦争国家=米国を批判できない立場にある。このあたりの矛盾とチベット伝統の仏教文化を継承するのは容易ではないことは理解に難くない。

ただし、わたしの記憶にある限りダライ・ラマ14世はわたしとの非公式な会話の中で、なんども「ダライ・ラマ制度はもはや時代遅れだ。これからの世界に認められる国家は、民主的であらねばならない。だからわたしが最後のダライ・ラマになるはずだよ」と語っていた。そしてチベット亡命政府は2011年選挙によりロブサン・センゲ氏を首相として選出している。

中国国内のチベット人居住区域でも、拝金主義は横行しているという。チベット人が望んだのではなく、中国政府が独裁を維持ずるためには、政府批判を避ける手段として拝金主義というイデオロギー注入を行ったのだ。しかし依然としてチベット人のアイデンティティーから離れないで、伝統的な生活様式を維持しているひとびとが国境を越えてインドに亡命を繰り返していた。ことしに入りインドと中国の緊張関係が高まり中国からインドへの亡命は激減していることだろう。

わたしは民族自決を支持したい。中国共産党という名前の独裁政党は、共産党を名乗りながら、社会主義、共産主義的経済や社会福祉を採用せず、実態は社会主義の「負の側面」=独裁だけを保持した帝国主義政党である(中国共産党が帝国主義政党であることと、日本がかつて中国大陸に筆舌に尽くしがたい侵略を行った事実は、双方とも注視され記憶されねばならない)。このあたりの認識が亡命チベット政府や、ダライ・ラマ14世には不足しているのではないか。

ダライ・ラマ14世は、信者の間では神様に等しい。しかし、仏教に神などはいないのであり、「無根拠な妄信」を戒めているのはほかならぬダライ・ラマ14世だ。

中国の侵略から半世紀以上が経過し、ダライ・ラマ14世も高齢化するなか、亡命している、あるいは中国内に留まっているチベット人の辛酸は察して余りあるが、利敵行為を採用するのはいかがなものか。ダライ・ラマ14世は幸運にも聡明な頭脳の持ち主(彼の政治判断全てを支持しているわけではないが)であったけれども、「民主主義」と「生まれ変わり」はどう考えても両立しない。

確たる解決策もないわたしが、嘴(くちばし)を突っ込む話題ではないのかもしれないが、チベット人には未来志向でいていただきたいと切望する。安倍晋三や櫻井よしこはあなたたちの真の味方ではない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

「反社会勢力」という虚構〈1〉警察がヤクザを潰滅できない本当の理由

◆コンビニ店頭から排除され、終わりをつげる暴力&エロ雑誌

 
最終号となった『実話時代』2019年9月号(2019年7月29日三和出版発行)

もう発売は7月末のことになるが、任侠界の専門雑誌である『実話時代』が廃刊した。そのキャッチは「昭和・平成・令和――激動の時代を駆け抜け本誌完結」「侠熱の三十五年忘れえぬ男たちへ捧ぐ」とあり、記事は「名侠剛侠一代絵巻」「渡世の気魄――本誌が照射したヤクザ三十五年物語」などだ。

往時は公称20万部をほこり、風俗広告に頼らない実話雑誌として斯道界に君臨してきた。ヤクザ公認の「業界誌」あるいは「広報誌」として、抗争なき時代の象徴ともいえる雑誌だったが、近年は福岡県で「悪書指定」を受けるなど、警察庁および暴力団追放運動の販売規制に苦しんできた。

コンビニから排除され、置いてくれる小さな駅前書店が開発計画で廃業するなど、おもに販路の問題から廃刊に追い込まれたというのが、関係者の言うところだ。組織による買い取りや定期購読の努力も行われたが、一般のヤクザファンが気軽に買えない環境では、存続は難しかったというべきであろう。

継承式や事始め(12月13日)を招待されるように取材し、抗争事件を扱わない癒着関係が批判されてきたが、最終号(完結号)にみられるように、ヤクザの序列、貫目にしたがった掲載、役職名の正確さは「癒着関係」があって初めて可能なもので、その意味でも役割の大きな雑誌だったといえよう。

コンビニでは、成人雑誌も置かれなくなった。一説には40億円といわれる売り上げが宙に浮き、リストラと転業を余儀なくされる版元も少なくない。暴力とエロの時代が終わりをつげ、それらはネット社会に収れんされていくのだろうか。

◆ヤクザの業態変化

それはともかく、ヤクザ業界はどうなっているのだろうか。20年前には10万人といわれた組織暴力団の人数は、いまや4万人とも5万人ともいわれる。ちょうど半減したわけだが、暴対法および暴排条例によるシノギの狭隘化、合法部門からの排除が進んだ結果とされている。だが、実際には隠れ企業舎弟ともいうべきフロント企業は増えている。というのも、会員誌の『FACTA』や『選択』に掲載される記事の大半は内部告発だが、そこには「記事にならない記事」が水面下にある。

その記事をめぐって金銭が動く、その頂点にヤクザ組織が介在している。あるいは金銭のやり取りに介在しているのが実態なのだ。もはやみかじめ料や用心棒代といった、昭和時代のシノギは激減し、暴力団組織が情報産業化したといえるのではないか。

その意味では、蔓延する「特殊詐欺」も暴力団のシノギの一端といえるのだが、ヤクザ組織は公式には組員が詐欺にかかわることを禁じている。覚せい剤や賭博も禁じている組織が大半だ。博徒が賭博をやらなくなったのは、借金による組織の荒廃。たとえば格が上の親分が、若い組員に「支払いを延ばしてもらえんやろか」と、貫目にそぐわない人間関係が現出するからだという。そもそも賭場よりも、裏カジノなどのほうがわかりやすい。そもそも若いヤクザは博打のやり方を知らない。

◆暴力団の最後の武器とは?

ヤクザの取材が難しくなったのも事実である。ヤクザ取材には二つの方法があって、ひとつは抗争事件の情報が取りやすい末端の組員と仲良くなる。もうひとつは親分と入魂になることで、トップダウンの情報をもらう。後者が前出の「実話時代」であって、親分が優遇してくれるのだから何でもしてもらえる。が、褒め殺し的な記事しか書けない。

末端の組員と仲良くなるのはいいが、親分を介してない関係は、かなりシビアなものになる。取材をおえて記事を書き、雑誌が出たころにファックスが入る。そこには「貴様、殺す!」と書かれてあったりするものだ。わたしはトップダウンの取材方法で、九州の「最悪の暴力団組織」と呼ばれるトップや、Vシネマの脚本を書く関係で広島や四国、山口組の引退親分の回顧録などを執筆した経験がある。

そのなかで、たとえばわたしが親分が滞在するホテルの一室にいると、そこへ現役の大臣から電話がかかってくる。あるいは人気のお笑いタレントが部屋を訪ねてくる。その場でツーショットを撮る。いっしょに会食をするなどの事実。それが政治家とのプライベートなツーショットである場合、その政治家は「誰とでも写真を撮るので、相手が反社だと知らないケースが多い」と言い逃れることが出来るだろうか。講演会の延長で握手したとか、ホテルのロビーでたまたまとかではない、ホテルの一室で親しく会話している写真なのだ。

なるほど、反社会勢力といえども指定暴力団であり、結社の自由の名のもとに結成された団体。つまり、合法的な結社である以上、警察力をもってしても強制的に潰せるわけではない。だが警察が暴力団を潰さない理由は、みずからの権益拡張すなわち、企業や業界団体への暴力団対策要員としての天下り。あるいは防犯団体への天下り先の確保。こうした直接的な利害とともに、政治家と暴力団の癒着をよく知っているからなのだ。それは選挙がらみの集票マシーンとして、政治家が藁をもすがる思いで、ヤクザ組織を頼みにするからにほかならない。

昨年、安倍総理(当時は衆院議員)にかかる選挙スキャンダル。すなわち工藤會系の事業者に選挙妨害を依頼した事件(火炎瓶事件に発展)が、新たな展開をみせながら、肝心の証人(実刑を受けた当事者)が音信不通になるというミステリアスな結末を迎えた。次回はここだけでしか書けないヤクザのエピソード、暴力団と政治家の密通の現場をお伝えしよう。 ※このテーマは、随時掲載します。


◎[参考動画]【山本太郎事務所編集】2018年7月17日内閣委員会「総理とヤクザと避難所と」(山本太郎 2018/8/29公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

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