「アナタハ ナニモノ デスカ?」  他者が本当に大切にしているものに対して、私たちはいかに誠実でいられるか?

敬虔な、イスラム教徒のかたと外食をする。想像していただきたい。そして、ご経験のあるかたは、その困難さが理解されるだろう。豚の肉は絶対に口にはできないし、豚のエキスが入っているものもダメだ。原材料に、食べることが許されない材料が「ない」、と確信できない限り食べるもの、入る店は決められない。

一般的な外食のチェーン店はまず無理だ。「日本語がわからないから、適当なところで誤魔化そうか……」空腹で1時間以上、飲食店を物色していると、邪念もわいてくる。しかし、そのかたにとってのイスラム教は、日本人の「葬式仏教」は訳が違うのだ。母国の法律はイスラム教を書き換えたものだ。生活のすべてがイスラム教に依拠している、といっても言い過ぎではない。そんな人を欺くことはできるものではない(敬虔ではなく、比較的緩いイスラム教徒の中には、日本滞在が長くなると、あまり食を気にしなくなり、なかにはビールを飲んで歓談することも平気になったひともいる)。

そのひとが、本当に「大切」にしているもの、は簡単には茶化せないし、茶化してはいけない。繰り返すが「そのひとが本当に大切にしているもの(勘違いで妄信しているものや、演技では断じてない)」にどう接するか、いかに誠実でいられるか、が実は「アナタハナニモノデスカ」に対する、回答との写し鏡ではないだろうか。

「アナタハナニモノデスカ?」

あなたは人間だ。この通信を読んでくださっている読者は、日本語が理解できるひとだ。あなたは、いくぶんかでも、わたし、田所敏夫という名前に、引っ掛かりがあるか、疑っているか、嫌いか、そういった感情をもつひとだろう。

わたしは2019年9月某日。日本の総体を好感せず、あれやこれやと文句を書き並べる、売れないフリーライターだ。日本の総体、なかんずく日本の政治の悪質さ、マスメディアの馬鹿さ加減、庶民のファッショ化(ファッション化ではない)、の悪化に日々「いやだなぁ」と暮らしにくさを、心に刻んでいる。きのうきょうにはじまったことではない。「アナタハナニモノデスカ?」と聞きはしない。内心、そのように問わずに、安心してそのひとの大切にしているもの、の心象的な手触りを、かんじることができる人がどんどん減ってしまって、軽々に本音の話ができない。

この苦しさは、たとえが、ずいぶん的外れかもしれないけれども、敬虔なイスラム教徒の来訪者と、食事をしようと街のなかを歩き回った、あのときのたじろぎよりも、何万倍もたちがわるいく、きもちわるいのだ。あの来訪者の、人格まで知りうるほどの付き合いではなかった。あのひとは、わたしにとって「敬虔なイスラム教徒」と大雑把に決めつけるしかない。その程度の関係性だった。でも空腹はつらかったものの、どこかに「アナタハナニモノデスカ?」と質問したくならない、非日常的な幸いがあった。失礼ながらイスラム教徒のかたとは接して、職場を何年もともにしたことはあったけれども、敬虔なイスラム教徒のかたとの邂逅は、「アナタハナニモノデスカ?」が頭に浮かぶ隙も与えはしなかった。

改憲・原発・死刑・天皇制・自然災害・差別・選挙制度・日本の戦争責任・自民党と公明党・お子さんの教育・受験・学歴・就職活動・雇用形態・組合・残業代不払い・年金・介護・相続・法律……(あるいは「服従と不服従」、「倫理と不倫」、「合法と非合法」、「埋没と非埋没」、「協調と独立」)。

あまた、あなたも直面してきたであろう(するであろう)選択に際して、あなたはどんな基準(ちょっと小難しく言えば思想と哲学)で判断を決めてこられただろうか。判断の積み重ねが、こんにちの「アナタ」を形成し、あなたの人となりを決めているのだと思う。「保守」、「リベラル」、「革新」(死語)、「人権派」、「エコノミスト」、「エコロジスト」。

実際のところ、一部の個性的なひとびとを除いては上記にあげた、概念はほとんど死滅してしまっている。たとえば池上彰、佐藤優、内田樹。そこまで有名ではなくともちょっとした場面で、自分が考えたように、どんな話題にも滑舌よくしゃべるひとたち。あなたは「大昔にジョージ・オーウエルが描いた人物像以下だよ」と囁いてやりたい、軽口ども。「何にでもなれる」つまり「何物でもない」のに、自説を口角泡を飛ばす勢いで、展開しているような偽物。

「アナタハナニモノデスカ?」

人間の内面像があいまいになってはいまいか。わたしの錯視、勘違いか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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立花孝志N国党代表にみる「内ゲバの構造」 身近な者に向けられる悪罵と暴力

一定の国民が支持するNHK受信料反対・モザイク放送化以外は、N国党はある意味でどうでもいいかな(勝手にやってくれ)と思っていたが、立花孝志のこのかんの言動に典型的な「内ゲバの構造」を見た。

税理士で江東区議の二瓶文隆と東京都中央区議の文徳氏親子にたいして「25歳の二瓶文徳はこれからもね、徹底的に叩き続けますから。オレ、奥さん、この子のお母さんも彼女も知ってますよ。徹底的にこいつの人生を僕は潰していきますからね。二瓶親子、特に息子、覚悟しとけ。許さんゾ、ボケ」などと発言する動画をYoutubeにアップしていたのだ。この感情のなかに、深刻な内ゲバの論理が潜んでいるのを、やや遠回りしながら解説していきたい。


◎[参考動画]裏切り者【二瓶文徳】(25才)中央区議会議員をぶっ壊す!(NHKから国民を守る党 総合チャンネル2019年7月3日公開)

◆内ゲバの論理はこえられなかった

かつて高橋和己は「無私だからこそ」、革命運動の内部ゲバルトは生じると、政治運動の崇高性を前提にしていた(内ゲバの論理はこえられるか)。

高橋和己が体感してきたのは、日共50年分裂(所感派と国際派の軍事路線をめぐる対立)における学生組織のリンチである。その後、全共闘運動の自由な組織感、たとえばデートがあるからデモを休むことが、気軽に受け容れられるなど、新しい学生運動への期待が彼の中にはあった。

しかしながら、高橋死後の日本の学生運動は、周知のとおり連合赤軍の同志殺し、中核VS革マル、社青同解放派(革労協)の内内ゲバに至るまで、まさに惨憺たるものだった。このあたりのわたしの体験は、11月に発売される『鹿砦社創業50周年記念出版 一九六九年 混沌と狂騒の時代』にも書いたので、ぜひお読みいただきたい。

その新左翼運動の内ゲバに「私利私欲」はあったと、故荒岱介は『新左翼とは何だったのか』(幻冬舎新書)で明らかにしている。それは自治会の利権であり、学生活動家の天下り先としての大学生協の維持をめぐって、他党派を排除する内ゲバの論理があったと。

その意味では「カネと女をめぐる対立」というマスコミの下卑た論評は、半分当たっていたことになる。他党派解体という、世界で類を見ない革命運動の陥穽、あるいは病理というべき政治現象は、他党派を排除することで自派が伸長することを意味する。宗派的で独善的なドグマでありながら、市場原理をそのまま運動に体現した、ある意味ではわかりやすい構造である。

◆内ゲバの動機は「感情」である

しかしながら、内ゲバは人間の感情に根ざしたものでもある。単なる私利私欲ではなく、憎悪に組織された暴力でもあるのだ。仲間を殺された恨みと怒り、等価報復で敵に罪を償わせる報復の論理だ。いや、それだけではない。裏切りという即自的な怒りが、裏切り者を徹底的に叩くことへと向かわせる。この即自的な怒りこそ、内ゲバの血の底流なのだ。最大の敵である政治権力に向かう怒りが、それを掘り崩す「裏切り者」へと向かう。

たとえば李信恵らのM君リンチ事件を思い起こしてほしい。もっとも身近な、したがって裏切りへの応報という論理が通じやすい相手が標的にされた事件だ。そこには内輪のことだから泣き寝入りするだろう、という計算もひそかに働いていたに違いない。身近な、自分たちの言語(掟の了解)が通じる相手にこそ、内ゲバの暴力は向かうのだ。


◎[参考動画]二瓶文徳はこんなに応援してもらってあっさり裏切る政治家です (NHKから国民を守る党 総合チャンネル2019年8月13日公開)

◆勝手にやめたのが気に入らない

9月9日の会見において、N国党の立花孝志代表はこう語ったという。「これが恐喝にあたるんですか。起訴され、罰金刑や執行猶予になれば議員を辞職します。けれども、起訴猶予や不起訴なら戦います。世論で辞めろという声が60%以上なら考えるし、80%なら、辞職を考えます。議員にしがみつくつもりはない」などと。まったくもって、完全に常軌を逸した見解である。記者会見では、こうも語っている。

「脅迫になるかどうかについては警察が動いている。私が今日お願いした弁護士さんは正当防衛みたいなものと言っていた。人が殴ってきたのを殴ったのは正当防衛になる」

そもそも、原因は何だったのだろうか。会見からひろってみた。

―― 党におさめるべきお金を収めなかった?

「はい、彼(文隆氏)は党の仕事をせず、お金で解決しようとしていた。コールセンターのシフトに入らず、金を払って代理にやらせていた。コールセンターの仕事をすることなく、父親は領収書を前に、一生懸命、税理士の仕事をしていた。お父さんの方は政党の監査をする資格をお持ちなんですよ。それに対して現場に行ってやらなきゃいけないのをいかずに、通常15万円かかることを10万円でやる。そういうことをやっている。とにかく、裏側にまわってやりたいと、(文隆氏からの)ツイッターのダイレクトメールによれば、『私は政治資金監査人としては希有な人材と自負しています』と。N国党を辞めたからといって、当選して2カ月後に辞めたからといって、ちょっと怪しい人だなと思っていたところ、お父さんが、最初からN国党にいたくなかったと、のうのうとフェイスブックに書いている。これは国民をばかにしていると思って動画の作成に至った」

事務所番をせずに、勝手に党をやめたことが気に入らないというのだ。党に損害が生じたというのならば、ほかに方法があるではないか。今回の二瓶親子の被害届には、NHKがバックにいるとも立花代表は主張している。

「どうしてNHK職員と二瓶さんと接触しているのか。それが被害届けの提出につながっているのではないか、疑っている。(文隆氏の)事務所に行ったら、机の上にNHKの職員の名刺があった」

この一件で、警視庁は立花代表を書類送検した(10月2日)。「徹底的にこいつの人生を僕は潰していきます」とネットで宣言したのだから、ある意味で当然の措置であろう。

N国党は参院選挙を前に、所属の地方議員から130万円を徴収しようとして、支払わない議員を除名にしている。除名された議員のなかには、とんでもネトウヨ議員(NHKは在日に占められていると主張)もいたことから、立花代表の「英断」ととる向きもないではなかった。しかし、勝手に党をやめたことで腹を立て、恐喝まがいの行動に出る。ここに内ゲバの感情が横溢しているのは明らかだ。いずれにしても、事件の帰趨を見極めたい。


◎[参考動画]【10月4日党首会見】豊田真由子さん、堀江貴文さん、小西ひろゆき議員…すべて話しました。(立花孝志10月4日公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

総理大臣を知れば日本がわかる!!『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』

江幡睦の挑戦を受けるバンタム級チャンピオン、サオトーのインタビュー!

サオトー・シットシェフブンタム(撮影:山本有佐)

江幡睦が、10月20日(日)の後楽園ホールで開催される新日本キックボクシング協会MAGNUM.51に於いて、タイ国ラジャダムナンスタジアム・バンタム級王座へ4年半ぶり4度目の挑戦が予定されています。

現・チャンピオンは、サオトー・シットシェフブンタム(Saotho Sitchefboonthum)で、今年1月23日に当時のチャンピオン、ゴーンサック・ソー・サータラーに判定勝ちして王座獲得してから、現在まで6連勝中。6月27日にはゴーンサックにヒジ打ちでTKO勝利し返り討ち。江幡睦戦が2度目の防衛戦となります。

サオトー・シットシェフブンタム 
1997年8月16日、バンコク出身(22歳)
現・ラジャダムナンスタジアム・バンタム級チャンピオン 
約120戦をこなし80ほどの勝利(約10のKO)

噂の範疇ですが、サオトーは幼い頃、家が凄く貧乏な暮らしだったという。現在は経済発展著しいタイ国ではあるが、貧富の差はより激しくなった中、そんなハングリー精神は昔からあるムエタイボクサーの本能を持っているだろう。

双子の兄は、サオエーク・シットシェフブンタム。現在、スーパーバンタム級で、元・ラジャダムナンスタジアム・スーパーフライ級チャンピオン。

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レックトレーナーのミットに打ち込むサオトー(撮影:山本有佐)

◆サオトー・シットシェフブンタムインタビュー(9月21日現地 / 聞き手:山本有佐)

── 今回初めての海外遠征で日本での試合ですが、どうですか?

サオトー 日本に行くことが嬉しいです。

── 相手のことは知っていますよね?

サオトー はい。以前、(江幡陸が)シェフブンタムジムに練習に来ていたので知っています。

── その時、相手を見てどんな感じでしたか?

サオトー さほどの印象はないですね。でも、油断だけはしないようにします。

── 特に相手の攻撃で注意することはありますか?

サオトー 全部です。特にパンチと肘です。

前蹴りで相手の動きを止めるサオトー(撮影:山本有佐)

── 首相撲でも組み合ったと思いますが、どうでしたか?

サオトー なかなか強かったです。

── サオトー選手の得意技は何ですか?

サオトー 肘打ちです(右の肘打ちのポーズ)。

── 今回は肘でKOを狙いますか?

サオトー チャンスがあれば狙いたいと思いますが、それはタイミングだと思います。

── 初めてムエタイをしたのは、いつですか?

サオトー 6歳の時、ノンタブリーでしました。

―― 通常体重はどのくらいですか?

サオトー 59キロです。118パウンドでの試合は全く問題ありません。

── 10月の日本は涼しいですが、調整は大丈夫ですか?

サオトー タイで体重は調整して行きます。前日計量なので、試合は全く問題ありません。

── 今まで一番の強敵はだれでしたか?

サオトー ノーンヨットです(2019年8月15日、判定勝ち)

── 最後に日本のファンに一言お願いいます。

サオトー 10月20日は全力で戦います!

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左がサオトー、右が兄のサオエーク(撮影:山本有佐)

サオトーのトレーナーのレック氏は、江幡陸が今年タイ遠征し、シットシェフブンタムジムで練習していたのを見ているので、しっかり対策を立て、相手を想定してシュミレーションしながらミット打ちを指導していた様子。江幡陸にとって過去最強の難敵襲来、厳しい戦いが予想されます。

双子の兄、サオエークは11月1日、「KNOCK OUT」興行に於いて、睦の弟、塁に敗れている小笠原瑛作との対戦が予定されており、江幡兄弟とサオエーク・サオトー兄弟を絡む、興味を引く対戦が増えそうな日本のリングである。
 
WKBA世界バンタム級チャンピオン.江幡睦は1991年1月10日生まれの28歳。2013年3月10日にラジャダムナンスタジアム王座初挑戦も、当時のチャンピオン、マナサック・ピンシンチャイに3-0の判定負け。同年9月16日には江幡ツインズ弟の塁とラジャダムナン王座ダブル挑戦(睦は2度目の挑戦)で、当時のチャンピオン、フォンペット・チューワタナに2-1の判定負け。3度目の挑戦は、2015年3月15日にまたもフォンペット・チューワタナに3-0の判定負けの返り討ちに遭い、ここから4年半、タイのテクニシャン相手に待ち続ける戦いの年月を送った。

長年追い続けたムエタイ最高峰の王座、特に軽量級の50kg台のフライ級からスーパーフェザー級域は、本場タイでの激戦区で、外国人が絡むことが難しい階級であり、最軽量級(105LBS)では今年、吉成名高が二大殿堂制覇を果たしたが、この激戦階級では江幡睦が歴史を変える快挙を達成したいところだろう。更には現地での防衛を果たし、弟・塁との同時チャンピオンや二大殿堂制覇など、ファンが望む終わりなきトーナメントは続くのである。

左が挑戦する江幡睦、右が塁(2018.9.2)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』
上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!

「体罰」ではなく、すべて「暴力」だった〈3〉わたしが振るった「暴力」考

◆「満期出所」後、大学へ──薄紅のソメイヨシノが「自由」と重なって見えた

前回までご紹介したような、「教育」の名に値しない高校の「満期出所」=卒後を控え、わたしは愛知県に強い嫌悪を抱いていたので、東京と関西の大学しか受験しなかった。しかもその年の3月(高校の卒後式後)には、数名で執筆した「愛知の管理教育を弾劾する」内容の書籍の発行が決まっていたので、大学に合格しなければ、翌年「卒業証明書」、「成績証明書」の発行が拒否される可能性を考慮していた(「そこまではしないだろう」と読者はお考えかもしれないが、法律など考慮もしない高校教師の狼藉は、その懸念を抱かせるに十分であった)。

二部(夜学)も含め複数の大学から合格通知を得たわたしは、学費などを考慮して、関西の大学への進学を決める。4月1日の入学式を前に、阪急電車の中から目にした桜並木のあでやかさが、忘れられない。桜なんか毎年見ていたはずなのに、「出獄」直後だからだろう。薄紅のソメイヨシノが「自由」と重なって見えた。

◆バブルな新卒2年を経たある日、通勤途上で「きょうで辞めよう」と思い立つ

さて、大学に入ると、時代はバブル真っ最中。キャンパスは浮ついており「夏はテニス。冬はスキー」というサークルが200以上はあっただろう。「大学に入ったら勉強して、世の中の不条理をただしたい」。「時代遅れ」とか「難しいこと言うな」あるいは「お前ひとりがそんなこと考えても仕方がないだろう」と散々揶揄されながらも、「授業料を払って通う刑務所」のごとき「あってはならない」行政悪を強制された身には、浮かれて遊ぶ気にはならなかった。

教職課程を履修するならば、1年時から「日本国憲法」を採ることができたけれども「教育関係機関には絶対勤めない」と確信していたわたしは、当然のごとく、教職課程は履修しなかった。そしてはっきり言えば講義の8割はクダラナイ。語学と体育だけは出席があるので出なければならないけど、科目名と講義内容の乖離。レベルの低さに嫌気がさした。かといって、大学内のいかなるサークルや部活動にも足場がなかったので、いきおいわたしが大学に出かける回数は減っていった。

少数話が通じる相手と、下宿で議論したり酒を飲んだりする時間以外は、読書かアルバイトばかりしていた。やがて卒業が迫ってくる。幸運にもバブルはさらにヒートの度を挙げるばかりで、わたしのような私学の大学生でも、下宿で寝ていたら企業から電話がかかってきた。

「面倒くさない。企業なんかどこに勤めてもどうせ大同小異だろうが。そんなところで俺が持つはずがないじゃないか」いまでいう「自己分析」はしっかりできていた。ただ、親の手前一度は世間に名の知れた企業に就職し「あいつでも就職できるんだ」と安心させてやるもの、子供の宿命と考え、当時就職人気1番と2番の会社から内定を得た(その後何度か転職をしたが「就職試験」で落とされたことは2度だけだ)。

予定通り2年ほど会社に勤務し、予想を超える「企業人」の苦痛さを実感したわたしは、寒い時期のある日通勤途上で「きょうで辞めよう」と思い立ち、10時の文房具屋開店を待ち、便箋と封筒を購入し「辞表」を書き上げて職場へ向かった。

◆転職した京都の名も知らない私立大学で過ごした稀有な時間

その会社を辞め、転職した会社の本社は大阪だったけれども、配属先は東京だった。「数か月したら海外の勤務に就かせる」との担当者の話を信じて就職したのだが、どうも数か月勤務してもその雰囲気はない。この頃出勤の際は独身寮から会社まで新聞を読んで時間を潰すのが、習慣だった。中でも、毎日目が行くのは「求人欄」だ。ある日京都の名も知らない大学が職員を募集する広告を出していた。

その後京都の私立大学に事務職員として採用された。『大暗黒時代の大学』で、ほぼ大学名が特定できるように記述したが、わたしにとってはまったく望外の職場と、職場にとどまらず精神性豊かなひとびとに、濃密に接する稀有な時間がはじまった。

先にわたしは、学生時代に「教育関係機関には絶対勤めない」と考えていたと述べた。その決意は簡単に翻った。簡単に決意を翻す人間と思われても仕方がないだろう。

ただ、結果的ではあるが、わたしはその大学で当時95%以上の日本の大学では、得ることができなかったであろう、生涯の記憶に残る経験をさせていただくことになる。本コラムで報告してきたのと、真逆の世界がそこにあった。

わたし自身は、学生時代に教職員と親しく接した経験はあまりない。ゼミの指導教員とはかなりいろいろな話をしたが、職員さんと話をしたのは数回だろう。だからわたしの「大学職員」という仕事のイメージは「地味で無難な方々が、基本定型業務に従事する」というものだった。これは多くの大学事務職員に対して、誤った像ではなかった。

ところが、わたしが採用された大学は違った。規模が小さいからであろうか、学部事務室がなく、本部機能が集中している事務棟には、講義中も休み時間も、ひっきりなしに学生が入ってくる。しかもカウンターの間から事務机の横にやってきて、先輩職員と話をしている。先輩職員は学生の名前を記憶しているだけではなく、学生の個性や問題まで把握していた。そして多くの学生も職員の名前を知っている。勤務時間中事務室にやってきた学生は、自分の悩み事や世間話を先輩職員とかわしている。いったいこの大学はどうなっているのだろうか?と唖然とさせられた。しばらく過ごすうちに、わたしの職場は「稀有」な理念で設立された大学であり、それが、一定程度当時は残っていたことに気がついた。

◆覚悟を決めて及んだ「暴力」

おおかた大学は「自由」や「理想」のかけらのようなものを、建学の精神としている。が、その多くは死文化し、形骸だけが支配している(今日の大学ほぼすべてがそうであるように)。ところが当時わたしの職場では「理想」の実践がまだ目に見える形で残っていた。学生と教職員の関係。教員と職員の関係。大学の在り方についての議論など、他大学のそれとは大きな違いがあった。

わけても顕著であったのは学生と職員の関係性だろう。採用された当時は諸先輩が学生と友達のように歓談する姿に圧倒され、劣等感を感じたが2年もするとわたしも多くの学生と知り合い、先輩同様に学生たちと毎日のように就業時間が終わると、職場での宴会を楽しむ関係になっていた。

学生との関係性が近くなるということは、単に享楽的な時間を共有することだけを意味するわけではない。下宿している学生が夜間に体調不良になれば助けを求める電話がかかってくるし、思い詰めて「自殺を考えている」という電話も本人や友人から何度もかかってきた。あるいはトラブルに巻き込まれ警察からの連絡であったり、恋人同士の別れ話……。とにかく大学で仕事に従事している時間以外にも、頻繁に学生から電話がかかってくる。恋人同士の別れ話など付き合っていられないから「勝手にせいや」とほおっておくが、「自殺」に関する話や、行方不明などは、すぐに現場に直行しないと取り返しがつかないことになる。

そのようなギリギリの場面で、わたしは学生に何度が暴力を振るったことがある。

落ち込んで、気力をなくしている学生。彼とは普段から付き合いがあって、だからこそ気持ちの吐露にわたしを選んで電話してくれたのだろう。「お前、そんな程度のことで死んどったら、命いくつあっても足りへんぞ!」わたしは怒ったふりをしながら、頭の中は冷静で「ここでは張り手を見舞うしかない」と覚悟を決めて彼の顔を張った。この件で後に「暴行」や「傷害」と問われても後悔すまい、と心に決めてからだ。

3回にわたるこのシリーズの冒頭で、「体罰。一見、理がありそうで生徒・児童に何らかの教育的効果が期待できそうな響きを持つ倒錯。わたしは教育機関におけるあらゆる「体罰」を全面的に否定する。高校・大学の運動部においても同様。わたしがこれまで体験してきた「体罰」は、生徒・児童の不適切行為に対する教師の、やむにやまれぬ選択であったことは一度もない」と書いた。そうだ。体罰などというのは、暴力を振るった大人の弁解・欺瞞で、暴力は暴力でしかないと、いまでも考えている。

だからわたしが彼に振るったのは、「自殺」を止めるためとはいえ、「暴力」であったと思っている(そのときに「暴力」以外に彼を覚醒させる方法を思いつかなかったし、いま振り返っても、同じ状況であれば同じ行動を選択していた)。

また、数百人の学生と学外からの侵入者が、大乱闘を繰り広げた際に、騒動を鎮めるために、泥酔したある卒業生を殴ったこともあった。この折には学生に何人もの重傷者が出ていたので、騒動の鎮静化が第一と考え、1対数百では「ショック」しか方法が浮かばず、大声を上げてある卒業生を殴った(勿論在学中から知り合いの人間だ)。

当然、このときは数百人の目撃者がいる前での「暴力」であり、のちにわたしの行為が問題化されることは覚悟の上であった。

あれらは決して体罰などではない。暴力だ。ただし、わたしが「授業料を払って通う刑務所」で受けた暴力と、あえて違いを弁解するのであれば、わたしは、自分がその後批判されたり、罰を受けようとも構わない覚悟があって、その時には、それしか方法がないと覚悟を決めて暴力に及んだことである。

わたし自身に暴力を振るいたい衝動や動機などはまったくなかった。大学生、あるいは卒業生で、普段から酒を飲むなど一定以上の関係性が成立している「大人と大人」の間での関係が成立したうえでの「暴力」だ。そうであっても人間関係が崩れたり、刑事罰を受ける覚悟はあった。そのくらにい腹をくくらなければ「暴力」の行使に及んではならない、とわたしは考える。(完)

◎「体罰」ではなく、すべて「暴力」だった(全3回)
〈1〉1980年代、愛知県立高蔵寺高校の暴力教師たち
〈2〉授業料を払いながら通う『刑務所』には「組合」に入っている教師がほとんどいなかった
〈3〉わたしが振るった「暴力」考

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

アスリートに敬意がない真夏の炎天下オリンピックマラソン 視聴率のために選手を犠牲にしていいのか

◆死者が出かねなかったドーハの惨状

ドーハで開かれている世界陸上選手権の女子マラソン(9月27日)で、棄権者が相次いだ。気温は33度。出走68人のうち、じつに4割以上にあたる28人が途中棄権したのである。優勝したチェプンゲティッチ(ケニア)の2時間32分という記録は2007年大阪大会の2時間30分よりも2分遅い歴代最遅記録だった。

英BBCによると、5位だったマズロナク(ベラルーシ)はレース実行に踏み切った国際陸連を批判し、「アスリートに敬意がない。多くのお偉方がここで世界選手権をすることを決めたのだろうが、彼らはおそらく今、涼しい場所で寝ているんだろう」と皮肉ったという。

医療施設がゴールラインの隣に用意され、コース上で人が倒れるたび、選手たちは担架でそこに運び込まれたという。そもそも炎天下でマラソンを行なうこと自体が正気の沙汰ではない。

◆真夜中のレースでこの惨状

いや、このレースは炎天下ではなく、真夜中に行われたのである(午前0時過ぎにスタート)。気温は33度、湿度は73.3%だった。おなじく真夜中に行われた男女50キロ競歩、女子20キロ競歩でも棄権者が多数出た。ロシアメディア「スポルトエクスプレス」によると、22位でゴールしたトロフィモワ(ロシア)は、レース後に「非人道的な環境だった」と語った。自身のインスタグラムで「10キロで少女たちがまるで“死体”のように道路に横たわるのをみた」と惨状を明らかにした。まさに修羅場である。こんなのを“スポーツ”というのだろうか。

けっきょく、日本選手は7位に谷本観月(天満屋)、11位に中野円花(ノーリツ)と2人が完走したが、池満綾乃(鹿児島銀行)は30キロ過ぎに力尽きた。代表コーチを務める武冨豊天満屋監督は「こんな環境では、もう二度と選手を走らせたくない」と言いきった。

この結果をうけて、オリンピック委員会は来年の東京五輪マラソンを見直すのだろうか。いや、スタートを午前6時に繰り上げたばかりで、本気で強行するかまえを崩していない。選手ファーストどころか、アメリカ巨大ネットワーク放送の意向をうけた、買弁オリンピックを強行しようというのだ。

◆オリンピックで死者が続出してもいいのか

これまでに世界陸上で最低の完走率を記録したのは、1991年の世界陸上東京大会男子マラソンである(9月1日開催)。同大会では60選手がレースに出場し、40%に当たる24人が途中棄権した。当日の気象条件は、午前6時のスタート時で気温がすでに26度、湿度は73%と高温多湿のレースとなった。25キロ付近では気温30度を超え、日本のエース格だった中山竹通も途中棄権を余儀なくされている。

来年の東京オリンピックマラソンは、女子が8月2日、男子が8月9日である。今年の同日の気温を調べたところ、2日が35度、9日は36度である。この夏の驚異的な暑さは、いまも焼けた素肌感覚で残っている。このまま来年のレースが強行されたら、死屍累々たる結果は目に見えている。

しかるに、大会組織委員会、東京都、陸連の対策はといえば、打ち水や温度をためにくい舗装路にする、前述のスタート時間の繰り上げなど、抜本的なものはない。当たり前である。室内ではなく暑い東京の夏を走るのだ。

打ち水はいかにも日本人的な風情というか知恵のようにみえるが、熱気をもった水蒸気が選手に襲い掛かるという。湿度を上げるのだからそれも当然かもしれない。そしてスタート時間の繰り上げにも問題がある。

寝ている時と起きている時では、血圧に差があるのだ。寝ている時は最も血圧が下がってるが、そのため朝起きると血圧が急に上昇するという。その状態で、ランニングをすると、ただでさえ血圧が上がっている状態にさらなる負荷がかかり、血栓が血管を塞いでしまう。したがって、脳梗塞や心筋梗塞を起こしやすくなるというのだ。

一般的に突然死が起きやすいのは午前中というデータがあるが、その理由の一つとして血圧の急上昇が挙げられるのだ。ようするに、気温の比較的低い朝のランニングこそ、人間の体に負担をかける。いや、負担どころか死をまねきかねないというのだ。暑さを考慮して繰り上げたスタート時間が、本当に選手の生死を左右しかねないのである。

◆今からでも遅くない、真夏の大会はやめるべきだ

それもこれも繰り返しになるが、アメリカの大手放送ネットワーク資本の事情によるものだ。

周知のとおり、アメリカでは大リーグのワールドシリーズ(プレイオフをふくむ)、アメリカンフットボールのレギュラーシーズンと、秋にスポーツのビックイベントが重なっている。大きなスポーツ大会のない7、8月の視聴率を埋めるために、オリンピックは夏場に開催されるようになったのだ。このままでは巨大資本のための大会に、選手たちが犠牲となるのだ。

1964年の東京オリンピックの記憶がある方は、あの素晴らしい青空のもと、すがすがしい風と共に思い出されるのではないだろうか。テレビ録画で55年前の入場風景をご覧になった方も、透明感のある空気とスポーツ日和を感じられるはずだ。スポーツの秋という言葉を引くまでもなく、真夏にオリンピックをやる愚は犯すべきではない。いまからでも遅くはない。アスリートファーストという言葉が嘘ではないのなら、今回のドーハの惨状に学ぶべきである。


◎[参考動画]【ドーハ2019世界選手権】日本代表発表!新ユニフォーム発表!記者会見 選手コメント(日本陸上競技連盟2019年7月4日公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

創業50周年 タブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』10月号絶賛発売中!

「体罰」ではなく、すべて「暴力」だった〈2〉授業料を払いながら通う『刑務所』には「組合」に入っている教師がほとんどいなかった

「授業料を払いながら通う『刑務所』」に集められた教師たちには特徴があった。新卒教員が極めて多いこと、そして「組合」に入っている教師はほとんどいないことであった。

◆一人だけまともな教師がいた

なんの間違いか「授業料を払いながら通う『刑務所』」に配属された、のちの恩師にO.K先生がいた。O.K.先生は早稲田の政経学部から明治の大学院に進み、橋川文三に師事したインテリだった。彼と初めて言葉を交わしたのは2年生のときだった。わたしがどういうわけか1年生の前で「講話」をするように教師どもから指示を受けたときだった。「講話」というのは朝礼や、それ以外の任意の時間でも高校がその気になれば生徒を集めて、教師が気まぐれな話をすることを指す。

ある時は、役職者の矢野という教師が「本校は教育でいく!『今日行く』、『Today Go』です!」と真顔で語っていたことを思い出した。

そう。新設校の教師はなべて知的水準が低かった。「教育」を「Today Go」と訳す馬鹿に指導されて大学に入るのは、至難であることは理解されやすかろう。

「新設校の常套手段だ! 核になる『生徒づくり』!」O.K先生は幾分ぶっきらぼうにわたしを斜めに見ていたように記憶する。わたしは友人の情報で「一人だけまともな教師がいる」にすがる思いでO.K先生に相談に行ったのだが、彼のフラストレーションも限界に来ていたのだろう。

高校卒業後にO.K先生とは何度も飲んだ「意地悪だったよね。初対面のとき」とわたしはいつも嫌味を繰り返したが、「ゴメン、本当に記憶がないんだ」と深刻そうな表情をするO.K先生とは、彼が不慮の事故で他界するまで親しくお付き合いさせていただいた。

◆威張り方だけは十分仕込まれていたノンポリ「漂白済み」新卒教員たち

新卒教員連中は、勘違い激しく先輩暴力教師の真似をして、どんどん不良教師として成長していった。山口県光市出身で東京理科大卒の数学の教師は、きわめて口下手だった。民間企業では絶対に務まらない域だ。その彼が珍しく身を乗り出すようなことを語ったことがあった。

「みんな、高校に入って、『なんだか自由がない』と思ってるんだと思う。どうしてこういう教育になったかというと、大学や高校が『学園紛争』で荒れた時代があったんだね。そういうことを起こさせないために、こういう教育になっている」

ほおー。愛知県の新任教師研修ではそこまで「本音」が語られているのか、とちょっと驚いた。弾圧は明確な意図と言葉で成立していたのだ。もちろんノンポリで東京理科大に行けるくらいだから、試験の成績は良かったのだろう。しかしこの新任教師は、リアルな「社会」を全く知らなかったし、興味を持ったこともなかったのだ。事程左様にノンポリ「漂白済み」のような教師(22、23才だろう)のくせに、威張り方だけはすでに十分仕込まれていた。

ところがものごとは直線状に進むとは限らない。教師どもの本音を知った同級生の中からは、本腰で教師と非妥協な関係を構築するものがむしろ増えた。わたしはO.K先生に数学新任教師が「本音」を語ったことを、半分笑いながら伝えた。

「笑いごとじゃないんだよ。君らはいいけど、僕は職員会議では完全に孤立している。もう疲れた…」。「授業料を払いながら通う『刑務所』」に勤務していた当時、O.K先生の口癖は「もう疲れた」だった。

◆「真っ当な神経の持ち主」の教員は「登校拒否」となった

O.K先生だけではない。わたしの1年生時担任だった九州出身で夜学を出た苦労人の先生は、学年途中から半分「登校拒否」になってしまった。わたしたちはその先生の「登校拒否」を批判しなかったし、むしろ肯定的にとらえた「真っ当な神経の持ち主」だと。卒業後O.K先生の自動車に苦労人の先生と同乗したことがあった。苦労人の先生は「僕はまっぴらごめんだけど、田所には高蔵寺高校に入ったことを後悔してほしくないな」というようなことを言われた。わたしは少し言葉を荒げた。

「先生は嫌いではないですよ。でもわたしたちの『失われた3年間』は誰がどうやって返してくれるんですか? ご存じですか? 高蔵寺高校は『青春の墓場』と他の高校から比喩されていることを」この発語は今も撤回するつもりはない。いい年をとったが、あの3年間の息苦しさは「教訓」にこそなれ誰も、あがなうことはできはしないのだ。やや過剰な表現を使えば「戦場体験」と似ているかもしれない。時間がたてば忘れられる。そんな類の浅い傷ではない。

◆夕方のTVニュースで映った高蔵寺高校校長、伊藤一太郎の顔

高校を卒業して大学1年のとき、暑い夏の夕方TVの報道番組を見ていたら、どこかで記憶に残っている顔は映っている。あ! 伊藤一太郎じゃないか! 「授業料を払いながら通う『刑務所』」こと愛知県立高蔵寺高校の校長だ。

何が起こったのか? 報道によると校長や事務長がPTA費を流用していたらしい。「ほら見やがれ!」無意識にわたしは叫んでいた。狭い下宿で上半身裸のまま、シャワーを浴びた直後にもかかわらず、再び怒りと興奮で汗が止まらなかった。

「権力」、「暴力」、「保身」の本質とは何か。人間はいかに情けない動物か。わたしは3年間の「授業料を払いながら通う『刑務所』」生活で学んだ。実名で名前をあげた当時の教師どもはまだ健在か。あるいはすでに他界したものもいるかもしれないが。君たちに告げておこう。「あなたたちが冒した罪を、わたしは死ぬまで忘れないし、許さない」と。(つづく)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

けっして奇跡ではない ジャパンラグビーの勝利

ワールドカップの一次リーグでジャパン(日本代表)が世界2位のアイルランドを19対12で破り決勝トーナメント進出への足掛かりを得た。これをメディアはこぞって「奇跡がふたたび」「大番狂わせ」と報道しているが、そうではない。観ていた方はわかると思うが、フィットネスの面でジャパンはアイルランドを圧倒していた。


◎[参考動画]【ラグビーワールドカップ2019ハイライト】日本×アイルランド(DAZN Japan 2019年9月29日公開)

この勝利は勝つべくして勝ったというべきである。そもそも、ラグビーというスポーツに「偶然」は「ラッキー」はない。いや、楕円ボールのラッキーバウンドすらも、練習によって見きわめられた想定内の運動なのである。ラグビーを多少やっていた人間として、ジャパンの強さを解説しておこう。

◆世界にほこるトレーニングの量

もう十数年前になるが、わたしは鹿砦社の松岡社長の紹介で日本ラグビーフットボール協会のA氏(慶応OB)を紹介されたことがある。それが機縁で社会人ラグビー(当時)のプロ化の準備に向けたサイトの運営、テストマッチ(国の代表チームの対戦)や日本選手権の取材などを引き受けていた。

そしてその中で、代表チーム(ジャパン)の個別のトレーニング管理という、きわめて徹底したマネジメントを知って驚いたものだ。代表候補選手に携帯のメーリングシステムを通じて、個人練習(その日に何キロ走ったか、など)を管理するというものだ。そこまでやるのかという、わずかに嫌な印象を持ったものだ。

現在はプロ化(完全ではない)が達成され、代表チームの招集も個別の所属チームに優先するようになったので、スマホで個人トレーニングを管理する必要もなくなったが、それでも激しいトレーニングは世界レベルでもトップではないか。

エディ・ジョーンズヘッドコーチの時代、ボールを使った練習中にホイッスルが鳴ると、数分間走り続ける、選手にとってはうんざりするようなトレーニングが課せられたものだ。80分間走るフィットネスにかけては、世界に敵はいないだろう。

アイルランド戦の勝利は、けっして奇跡ではないのだ。アイルランド選手が動けなくなっているときに、ジャパンの選手たちは体を躍動させていたではないか。そしてリザーブ選手がすぐに試合に順応できる層の厚さも、アイルランドとは好対照だった。

◆日本のラグビー文化の素晴らしさと限界

今回のジャパンの活躍で、にわかラグビーファンが増えるのは悪いことではないが、その反面でラグビーというスポーツ文化への一知半解が従来のラグビーファンの眉を顰めさせることもあるはずだ。

たとえば、テレビでは「サポーター」というサッカー用語をさかんに使っているが、ラグビーのサポーターという意味ならばともかく、個別のチームのサポーターがラグビーに存在するわけではない。よいプレイがあれば相手チームであれ、応援しているチームであれ、拍手で讃えるのがラグビーの観戦マナーである。

サッカーJリーグはファンにサポーターという地位を与えることで、応援で「活躍」する場をあたえた。これは野球にみられる応援文化を、そのまま海外におけるサッカーの応援シーンに合致させたものだ。ラグビーにもプロがあり、南半球のラグビー応援シーンはなかなか派手だ。しかし、大学ラグビーを底辺に構築されてきた日本のラグビー文化は、サッカーのそれを後追いするには異質なものがある。

たとえばアイルランド戦で活躍した福岡啓太選手は、医者を志望しているという。ラグビー選手がプロとしてチームに残る際も、企業のマネージャーとしての立場が必要である。高学歴ゆえに、組織マネージメントや技術者としての役割性を期待されるのだ。

ひるがえって、フリーランスでラグビー解説者やタレント化するほど、ラグビー人気に厚みはない。プロ化のいっそうの推進がどこまで可能なのか。ファンの支援が、サッカー並みに「サポーター」として厚みを持てるのか、これも昔の話で恐縮だが、伊勢丹ラグビー部が解散するときに「おカネがないのなら仕方がないね」で済まされたものだ。ラグビーはエリート社員たちの「余暇」としかみなされなかったのである。

◆ウエイトトレーニングが決め手だった

かつて、早明ラグビー人気を中心に、80年代にはラグビーブームという言葉があった。伏見工業ラグビー部をモデルにしたテレビドラマ「スクールウォーズ」の人気もあって、ラグビー精神のオールフォアワン、ワンフォアオールが人口に膾炙したものだ。その後、早明両校の低迷やJリーグサッカーの隆盛もあって、ブームの去ったラグビーは低迷期に入った。早明に代わって大学ラグビーの王者となった関東学院の生活事故(部員の大麻栽培)による凋落、出発したトップリーグも旧来の社会人ラグビーをリニューアルした以上の印象ではなかった。

ラグビーの変革はやはり、大学ラグビーに表象した。早明ラグビーはラックの早稲田(スピード)モールの明治(圧力)、早稲田の横の展開力に明治の縦の突進という戦術思想に限界がきていた。日本代表もスピードを基本に、日本人に合ったラグビー戦術を採っていたが、世界標準は戦略・戦術の総合力をもとめていた。それをいち早く達成したのは、岩出雅之監督がひきいる帝京大学だった。ウエイトトレーニングの導入で選手の体格・パワーアップに成功。相手をリスペクトするメンタルの高度化によって、規律のある(反則をしない)プレイを徹底した。この戦略は、じつに大学選手権9連覇という偉業を達成した。

そして名門明治がウエイトトレーニングを本格的に導入することで、もともと素材に勝る明治が帝京を破るという流れが、このかんの大学ラグビーである。このような動きと、ジャパンの強化策も同じである。けっきょく、スピード(軽さ)とパワー(重さ)という相反しがちなテーマは、徹底したウエイトトレーニングと走りこむことによってしか得られない。その苦行に、ジャパンは勝ち抜いてきたのである。

かつて、ジャパンはフランス大会においてニュージーランド(オールブラックス)に17対145(ワールドカップ記録)という大敗を余儀なくされていた。ヨーロッパ各国代表とのテストマッチでも100点差ゲームはふつうだった。奇跡ではなく、総合力のアップがジャパンの躍進をささえている。ジャパンのいっそうの活躍を期待したい。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

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関西電力・裏金事件は組織的な犯罪! 裏金で動かす原発はいますぐ止めろ!  福島第一原発事故以後も「焼け太り」し続けた関電・原子力ムラ癒着構造の衝撃

◆電力会社と地元原子力ムラの切っても切れない癒着構造

福井県高浜町で、元助役を勤めた森山栄治氏(今年3月90歳で死亡)が、関西電力の八木誠会長や岩根茂樹社長はじめ幹部ら20人に、2011年から7年間で約3億円2000万円もの金品を提供していたという、驚くべきニュースが飛び込んできた。2018年金沢税務署が、高浜原発や大飯原発の関連工事を請け負う高浜町の複数の建設会社に税務調査を開始、これらの建設業者から、仕事を発注した森山氏に、3億円が手数料として流れていることがわかった。


◎[参考動画]関電役員の金銭授受 会見から見えた“癒着の構図”(ANNnews 2019年9月27日公開)

森山氏は、1969年高浜町役場に入庁後、総括課長(現総務課長)、収入役を経て、1977年から退職する1987年までの10年間、助役を務めた。関西電力は1960年後半から高浜原発の建設に着手し、1974年1号機、75年2号機の営業運連を開始。森山氏はその後の1980年3号機、84年4号機の誘致に尽力し、その間に関電との関係を強めたと言われている。地元では「天皇」と呼ばれ、「関電が大きくなったのは、あの人のおかげ」と言う元町議までいるそうだ。原発関連工事に関しても、地元業者の下請け参入に影響力を持ち「あの人に頼めば、100%仕事が出る」と言う関係者もいた。

森山氏が関電幹部らへ金品の提供を始めたのは、2011年以降だが、福島第一原発事故後の新規制基準に沿った安全対策工事が増え、高浜の建設業者にもバブルが訪れたという。実際、森山氏に3億円を渡した吉田開発にも原発関連の工事が増え、2013年8月期で3億5,000万円、2015年8月期10億円、2018年8月期21億円と、売上高を6倍にも伸ばした。

じつは森山氏は退任後、いくつもの原発関連会社の顧問や相談役を務めたが、吉田開発もそのうちの1社であることが判明した。森山氏が顧問を務めた吉田開発の主な仕事は、前述の通り3・11後強化された安全対策工事だ。いわば福島の原発事故で「焼け太り」したようなものだ。

後述する会見で、このような発注業務に不正はないか問われた社長は、「そのような認識はない。対価的行為もなく、工事の発注も社内ルールに基づいて適切に実施した」と説明した。これだけコンプライアンスが叫ばれるご時世に、「現金の入った菓子箱」「スーツの仕立て券」などの「賄賂」を平気で受け取る人物の発言を、だれが信用するというのか?

野瀬豐高浜町長はこの件について「非常に遺憾。町民の民さんに信頼してもらえるような組織文化の再構築を図っていただくよう強く申し上げたい」と語った。高浜原発は、3、4号機が2017年に再稼働、稼働から40年超を超えた1、2号機についても再稼働に向け、現在安全対策工事が進められている。それについて町長は「今回の事案は当然プラスには働かない。信用、信頼と言う部分で関電の対応を見極めていきたい」として、「経緯や詳細が十分にわからない部分もある」と、近く関電側に説明を求めていくと言う。

◆原資は私たちの払った電気料金、「返した」ではすまないぞ

9月27日午後から関電の記者会見が行われた。岩根社長は金を受け取った事実を認め、理由について「元助役は地元の権力者でお世話になり、関係悪化を恐れて、一旦お預かりした」などと説明。「コンプライアンス上、疑義をもたれかねないと厳粛に受け止めている」と謝罪する一方で、金品の詳細や、誰が幾ら授受したか、社内処分、返却時期などについては具体的な説明を避け、会長とともに自身の辞任を否定した。更にそうした事実を、昨年9月に実施した社内調査で把握していたのに、公表しなかったことについて「(金品授受は)不適切だが、違法とまでは行かないと判断した」と釈明した。

会見で「関電が、森山氏に世話になっているという感じだったのに、実際は森山氏が世話になっている関電に金品を渡していた。それは何故か?」と質問された岩根社長は「本人が死亡しているので、我々にもわからない」と答えた。まさに「死人に口なし」だ。

またこの事態を受け経済産業省は翌28日、関電に対して、ほかに類似の事案がないか調査するよう命じた。「ほかの事案」もだが、今回の事案にも厳しい調査が必要ではないか。じっさい八木会長は「(金品を受けたのは)2006年から4年間」と、岩根社長の説明と食い違う説明をしている。そもそもこの金は、関電が工事費用として原発立地に流した金で、それが再び関電幹部に還流されているのだ。原資には当然私たちの払った電気料金も含まれている。「返した」で済まされるものではない


◎[参考動画]関電 金品受領問題で会見へ(テレ東NEWS2019年9月30日公開)

◆一刻も早く原発から脱却する福井へ舵をとれ!「反原発福井コラボレーション」の若泉政人さんに聞く現地の声

毎週金曜日、福井県庁前で「再稼働反対!金曜デモ!」(9月27日で第364回を迎えた)を行う「反原発福井コラボレーション」の若泉政人さんに電話でお話を伺った。9月27日、若泉さんら「オール福井反原発連絡会議」は、関電に「原子炉容器脆化の進んだ老朽原発(高浜1、2号機、美浜3号機)の廃炉及び企業に社会的責任を果たすことを求める要望書を関電に提出する予定だった、

9月27日午後、美浜町の関電原子力事業本部で、要望書と抗議文を提出した

── どういう内容の要望書ですか?

若泉 原子力安全保安院の「原子炉圧力容器の中性子照射脆化について」(2012年1月23日)によると、(廃炉の玄海1号機を除き)高浜1号が最も脆化が進んでおり、高浜2号機、美浜3号機も危険性が高まっていることが示されています。関電からこの致命的な問題に、どんな対策をとるのかの説明がありません。私たちはこれを原子炉の危険性を隠すものではないかと考えています。また新聞に入っている関電の広告物にも「取り替えが難しい設備の劣化状況を把握するための特別点検などを行なっている」とありますが、具体的な説明はありません。これは福井に住む私たちを欺いているとしか思えないので、高浜1、2号、美浜3号機の廃炉を求めています。あと大飯3、4号機については、昨年度、関電が、福井県と交わした「使用済み核燃料の中間貯蔵施設設立地点公表」の約束を果たせなかったということがありました。私たち、大飯原発から出る使用済み燃料の中間貯蔵施設を県外へと要求し、関電は昨年度内に場所を決めると約束しましたが、それが果たせなかった。それについて私たちは、企業の社会的責任(CSR)に基づき、大飯3,4号機の運転を停止しろと要望しています。

2019年9月28日付け福井新聞

── そうした中、急遽、この裏金問題が発覚したため、その抗議もあわせて行うとなったのですね?

若泉 はい。要望書とともに、裏金問題への抗議文も渡しました。抗議文では「原発の建設費は電気料金や国からの補助金で賄われており、いわば国民の金を裏金ルートに乗せ着服したもの。組織的に行われた犯罪としか考えられない」と強く抗議しています。要望書についてはこちらから返答期日を伝えましたが、毎度のことですが、担当者は返事をせずに受け取っただけです裏金に関しても何も言わなかったです。参加者の中には裏金について「うすうす気づいていた」という人もいました。

── 高浜原発では、9月19日に敷地内のトンネルで作業員9人が、酸欠状態の症状で重軽傷を負うという事故がありました。裏金よりも現場の作業員の安全ですよね?

若泉 そうですね。昨日のデモの途中、原発関連ではないが、どこかの作業員の人たちから「お願いしますよ」と声をかけられました。原発関連で働く人たちの中からも「一体金がどこに使われているのか?俺たちの安全対策は大丈夫か?」と声を上げる人たちが出てくればと思います。

── 皆さんの運動の中で、この裏金問題をどう考えていくつもりでしょうか?

若泉 来年4月から新検査制度が施行されます。これは「若狭ネット」の長沢先生も指摘していますが、「『ひび割れた機器・配管を補修せずとも次回定期検査まで耐えられる』と電力会社などが評価すれば、そのまま運転を継続でき、運転期間も13ケ月から24ケ月まで延長できる」というとんでもないものなのです。こうした制度と老朽原発の危険性が悪い方に重ならないとは言えません。こうした面と使用済み燃料の問題を併せて追及し、一刻も早く原発から脱却する福井に舵をきるよう、福井県や立地自治体に求めて生きたいと思います。

2019年9月28日付け県民福井

◆裏金問題の闇を徹底的に暴いていこう!

若泉さんらは、申し入れを行った9月27日のデモ行進では「関西電力は裏金で原発を動かすな!」とコールし、「危険性は地域に、裏金は関電幹部。それでいいんですか!?」と行進の際にアピールした。

高浜町の住民、福井県の住民、作業員、そして電力を消費する関西の人たち、すべての仲間と共に、裏金問題の闇を徹底的に暴いていこう!

9月27日夕方、県庁のある福井市に移動し、デモと抗議行動を行った

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。最新刊の『NO NUKES voice』21号では「住民や労働者に被ばくを強いる『復興五輪』被害の実態」を寄稿

〈原発なき社会〉を求める雑誌『NO NUKES voice』21号 創刊5周年記念特集 死者たちの福島第一原発事故訴訟
創業50周年 タブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』10月号!

マスメディアがたれ流す新内閣報道の無意味

◆そもそも「自公政権による、よりましな内閣」などありえるか?

内閣が代わるごとに大手報道機関は、野党党首に新内閣についての感想をもとめる「新鮮味がない」、「この内閣でわが国が直面している問題を解決できるとは到底思えない」、「順送り論功勲章内閣」。いつも野党が批判をすることばの調子には大きな変わりはない。それはそうだろう。主義主張が違うから政党を構成しているわけであって、自民党と公明党の与党を野党が褒めていたら、八百長がばれてしまう。

まず、こういった紋切り型の質問をルーティンワークとして、なんの疑問もなく記事化するマスメディアの思考停止が前提ではあるが、このような意味のない質疑や報道があろうがなかろうが、「自公政権による、よりましな内閣」などありえるだろうか。岸田や石破が入閣すれば、なんらかの望ましい変化が起こるだろうか。わたしはほぼ100%に近く、そんな可能性はないと考える。誰が入閣しようが、自公政権の内閣に期待できる理由があったら、おしえてほしい。

◆野党にだって、期待できる勢力があるか?

そして(またこのようなことを書くと嫌われるのは承知の上である)、野党にだって、期待できる勢力があるだろうか。個々の問題で活躍している議員や、政治家がいることは否定はしない。しかし、立憲民主だか国民民主だか知らないけれども、一度は京都の「ここぞというときに必ず失敗する」前原の口車に乗せられ、あろうことか、小池百合子との合流を模索した連中。そして今日の惨憺たる悪政の基礎(総評解体、国鉄分割民営化、小選挙区制導入、諸規制の撤廃)の基礎を80年代に築いた、小沢一郎にどういうわけか惹かれるひとびと。

山本太郎がつくった新党だって同様だ(繰り返すがこの政党の名称は、あまりに反動的過ぎるので記すことを拒否する)。山本太郎自身が少し前まで、自由党の共同代表として、小沢と同じ船に乗っていたじゃないか。

山本太郎がつくった新党は「消費税の廃止」を公約に掲げた。結構。これについてはまったく異論はない。しかし、報道では一向に消費税率上昇の問題が報じられないじゃないか。あるのは軽減税率(この言葉もごまかしだ。「軽減」されるのではなく8%に据え置かれるだけじゃないか)と、増税の分かりにくさや混乱が取り上げられるのみで、「消費税率10%へ上昇」の根本的な問題は、一向に取り上げられない。

◆権力とマスメディアとの見え見えの構図

なぜだろうか。そこにはあまりにもわかりきった、見え見えの構図がある。新聞協会は(古い話になるが)民主党菅直人政権時代に、「次回の消費税アップの際は、据え置きを」と協会として申し入れをおこない、内諾を得ていた。民主党であろうが自民党であろうが、霞が関であろうが、既に「権力のチェック機能」を失ったマスメディアは、いわば、民間の広報官の役割を果たしてくれている。

「ウムウム、そちの働きぶりを勘案すれば、それも考えんわけにわいかんわのう」
「ありがたきご高配で」
「ハハハ、そちもワルじゃのう」
「なにをおっしゃります。お代官様ほどではござりませぬ」

の現代版を新聞協会と政権はやったわけだ。だから批判しない。なにしているんだ! 新聞社各社は! しかし、しっぺ返しは部数減で明確に表れている。いまのところ大新聞内の記者たちの待遇に変化はないようだ。しかし、急激な部数減は近い将来必ず経営を圧迫する。そのときに一挙に現場労働者の待遇が悪化し、消滅する全国紙も出てくるだろう(その筆頭は産経新聞であろうと予想している)。

◆昔、橋本聖子を叱りつける夢をみたことがある

だいぶ昔に橋本聖子を叱りつける夢をみたことがある。あったこともないし、それほど気にしたこともない橋本聖子。冬季五輪スケートで全種目に出場するだけではものたらず、自転車競技で夏季五輪にも出場、あれが気に入らなかった。選考はフェアーに行われたのだろうけど、自転車競技専門の選手がかわいそうじゃないか、というのが、わたしの直感だった。

夢の中でわたしは橋本聖子をっ叱っていた「力を過信して、力が通じればなんでもしていいと考えるのは間違いだ。それでは政治家とおなじじゃないか」と。

とうとう橋本聖子は入閣してしまった。もっと叱っておくべきだったと反省している。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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「風化」に楔を打ちこむ『NO NUKES voice』21号

IBFムエタイ世界戦、波賀宙也が接戦を制す!

波賀宙也は、圧倒は出来ず採点も際どくも、我武者羅に攻めた前進が世界王座獲得に導いた。

波賀宙也が前進強めて蹴って出る。トンサヤームは下がり気味
トンサヤームの転ばす技は冴えていた

S-1トーナメント55kg級は4名が前日計量時に、くじ引きで対戦相手が決まる方式。勝ち上がった馬渡亮太と大田拓真が次回興行で決勝戦が行なわれます。

前日の大阪・旭区民センター大ホールに於いて行なわれた誠至会主催興行で、NJKFウェルター級チャンピオン.中野椋太(誠至会)がチョ・ギョンジェ(韓国)を破り決勝進出を決め、畠山隼人は中野椋太と次回、65kg級決勝戦を争います。

鮮やかな彩りで舞うPPP

アトラクションとして歌のゲスト、川神あいさんが新曲の「愛の漂流船」と、出場選手へのエールとして「栄光の架け橋」を唄われました。

NJKFラウンドガールとして今後一年間の登場が決まった、PPP(トリプルP)の三名が披露されました。

◎NJKF 2019.3rd / 2019年9月23日(月・祝) 後楽園ホール17:00~21:15
主催:ニュージャパンキックボクシング連盟 / 認定:NJKF、IBFムエタイ本部

◆第11試合 IBFムエタイ世界ジュニアフェザー級王座決定戦 5回戦

1位.波賀宙也(立川KBA/55.3kg)
    vs
2位.トンサヤーム・ギャッソンリット(タイ/55.2kg)
勝者:波賀宙也 / 判定2-1 / 主審:ソムサック・プラサート
副審:チャッチャイ48-49. 竹村49-48. 宮本49-48

ローキックで攻める波賀宙也
組み合っても波賀宙也のヒザ蹴りが優った

トンサヤームがミドルキックやヒザ蹴りは波賀を上回るが勢いはあまり無い。組み合ってのバランスを崩して転ばす技はムエタイらしさを見せるテクニシャンぶりを発揮。

第3ラウンドに入ると押され気味だった波賀が、我武者羅に出始めた。追う波賀に下がり気味のトンサヤームは、組み合ってのヒザ蹴りは波賀が多くなっていくが、トンサヤームの蹴りが、どう採点に表れるかは分かり難い展開。

波賀のローキックや衰えぬヒザ蹴りのしつこさが堪えたか、インターバルではやや曇りがちな表情だったトンサヤーム。

四名の審判構成は主審がタイ人、副審二名が日本人、副審一名がタイ人で採点が割れる結果となり、キックボクシングとして見極めれば確かに波賀の勝利は間違いないところ、タイ人だけの審判構成だったら結果は逆になっていたかもしれない際どさだった。

下がるトンサヤームに追う波賀宙也、ローキックは効果ある蹴りだった

◆第10試合 S-1ジャパントーナメント65kg級初戦3回戦

NJKFスーパーライト級チャンピオン.畠山隼人(E.S.G/64.4kg)
    vs
WMC日本スーパーライト級チャンピオン.栄基(エイワS/64.7kg)
勝者:畠山隼人 / 判定3-0 / 主審:多賀谷敏朗
副審:神谷30-26. 竹村30-26. 宮本29-26

蹴りでの探り合いからパンチの距離に移っていくと畠山のパンチがヒットし、これでリズムを作った畠山。栄基は重い蹴りがあり、時折、ハイキックを繰り出し畠山の勢いを止める。

第3ラウンドには打ち合いが増すと、栄基のパンチもヒットし、相打ちも起こるほど激しくなる。栄基が打たれ気味に陥ったところで畠山の連打で栄基はノックダウンを喫する。畠山が勢い強めて出ると更にパンチで栄基をロープ際まで吹っ飛ばすようにロープダウンに繋げる。栄基は残り少ない時間でも巻き返しに出るが逆転成らず。

栄基の蹴りに合わせて右ストレートを打ち込む畠山隼人

◆第9試合 S-1ジャパントーナメント55kg級3回戦

JKAバンタム級チャンピオン.馬渡亮太(治政館/54.95kg)
vs
WMAF世界スーパーバンタム級チャンピオン.知花デビット(エイワS/54.9kg)
勝者:馬渡亮太 / 判定3-0 / 主審:和田良覚
副審:多賀谷30-28. 竹村30-28. 宮本30-28

馬渡亮太のハイキックが何度も知花デビットを捕らえた
知花デビットの負傷した額に前蹴りをヒットさせた馬渡亮太、足の裏に血が残る

蹴りの様子見から馬渡が長身で手足の長さを活かしハイキックでリズムを掴む。知花はパンチとローキックで出るが、主導権を手繰り寄せることが出来ない。

馬渡のヒジ打ち、ヒザ蹴りの圧力が増していくと、一瞬のヒジ打ちで知花の額をカットする。

ヒットを増やし、更に負傷箇所を深くしたが、2度のドクターチェックもレフェリーは続行を認め、知花は逆転を狙って打ち合いに出て行く。

第3ラウンドも馬渡の主導権は譲らぬまま進み、知花は打ち合いに出るも負傷箇所への更なる悪化は免れ終了まで攻めて出た。  

流血激しくなった知花デビットを再度ドクターチェックへ導く
打ち合う両者、知花デビットも最後まで諦めなかった

◆第8試合 S-1ジャパントーナメント55kg級3回戦

WBCムエタイ日本フェザー級チャンピオン.大田拓真(新興ムエタイ/54.95kg)
    vs
JKIスーパーバンタム級チャンピオン.岩浪悠弥(橋本/54.9kg)
勝者:大田拓真 / 判定3-0 / 主審:神谷友和
副審:多賀谷30-29. 竹村29-28. 和田29-28

互いのパンチと蹴りの交錯が続き、第2ラウンドはやや距離が詰まるとパンチとヒザ蹴りが増える。

第3ラウンドに入って岩浪がパンチの圧力を強めるも、太田もパンチと蹴り、ヒザ蹴りのコンビネーションでややペースを上げて岩浪の手数を減らすと、太田の攻勢的印象が残った。

大田拓真の右ミドルキックが岩浪悠弥にヒット
攻めのリズムが上回っていった大田拓真
シンダムの重心はブレず、ヒザ蹴りのバランスが良かった

◆第7試合 58.0kg契約3回戦

MA日本フェザー級チャンピオン宮崎勇樹(相模原S/58.0kg)
    vs
シンダム・ゲッソンリット(タイ/57.85kg)
勝者:シンダム / 判定0-2 / 主審:宮本和俊
副審:多賀谷29-29. 神谷28-30. 和田28-30

体幹しっかりしたシンダムのバランス良い蹴り、組み合ってもヒザ蹴りが目立ち、パンチで勝負を懸ける宮崎を上回って判定勝利。

◆第6試合 63.0kg契約5回戦

NJKFライト級チャンピオン.鈴木翔也(OGUNI/62.9kg)
    vs
晃希(team S.R.K/62.65kg)
勝者:鈴木翔也 / TKO 5R 1:32 / カウント中のレフェリーストップ
主審:竹村光一

5回戦ならではの総合力が試された展開。晃希にヒジで切られた鈴木翔也のジワジワ巻き返しが活きた計3度のノックダウンを奪った逆転TKO勝利。

後半の鈴木翔也のしぶとさが活きていった
川神あいさんの歌声が響いた後楽園ホールのリング

◆第5試合 57.2kg契約3回戦

NJKFスーパーバンタム級チャンピオン.久保田雄太(新興ムエタイ/57.2kg)
    vs
J-NETWORKフェザー級チャンピオン.一仁(真樹AICHI/57.15kg)
勝者:一仁 / 判定0-3 / 主審:多賀谷敏朗
副審:宮本27-30. 神谷28-30. 竹村28-29

◆第4試合 66.0kg契約3回戦

NJKFライト級1位.野津良太(E.S.G/65.9kg)
    vs
NJKFウェルター級10位.洋輔YAMATO(大和/65.6kg)
勝者:洋輔YAMATO / 判定0-3 / 主審:和田良覚
副審:宮本28-29. 多賀谷28-30. 竹村28-30

◆第3試合 60.0kg契約3回戦

NJKFスーパーフェザー級3位.梅沢武彦(東京町田金子/59.85kg)
    vs
NJKFスーパーフェザー級7位.吉田凛汰朗(VERTEX/59.7kg)
勝者:梅沢武彦 / 判定3-0 / 主審:神谷友和
副審:和田30-28. 多賀谷30-27. 竹村29-28

◆第2試合 バンタム級3回戦

雨宮洸太(キング/53.35kg)vs 七海貴哉(G-1 team TAKAGI/53.2kg)
勝者:七海貴哉 / TKO 1R 2:08 / 主審:宮本和俊

◆第1試合 ライト級3回戦

慎也(ZERO/59.9kg)vs 蓮YAMATO(大和/59.9kg)
勝者:蓮YAMATO / TKO 1R 2:06 / 主審:竹村光一

決勝戦で対戦する大田拓真と馬渡亮太

《取材戦記》

新しいテーマが加わったNJKF興行。2005年のWBCのムエタイ進出に加え、IBFも2年前にムエタイ界進出し、タイで立ち上げられた世界タイトル。

S-1トーナメントはタイの大物プロモーターで長年名を馳せるソンチャイ・ラタナスワン氏が掲げるイベントで、今回の日本版が開催。この優勝者はタイでのS-1トーナメント出場やIBFムエタイ世界ランキングにランクされるなど、好待遇が得られるという。近年、いろいろなビッグイベントが立ち上げられてきましたが、いずれも3年後に存続しているか、活性化しているかが注目点でしょう。

キックボクシングとムエタイ界で世界機構は幾つも誕生してきた過去に対し、プロボクシング主要団体がムエタイ界に進出してきた近年、元からあるキックボクシングとムエタイの世界機構より優らなければ意味が無いところで、WBCやIBFブランドだけが一人歩きしている感もある中、数ある世界機構の中に埋もれてしまわないよう願いたいところです。

波賀の防衛戦は期限が9ヶ月で、「来年の6月に初防衛戦を予定しています」と言う伊藤会長(立川KBA)。IBF傘下として、プロボクシングの規定を継承し、指名試合も明確に行なって欲しいところ。強い相手と防衛していかねば王座の価値が上がらないし、波賀宙也には過酷な防衛ロードをこなしてこそ世界の頂点に立つ証となるでしょう。

次回、NJKF興行は11月30日(土)に後楽園ホールで「NJKF 2019.4th(ファイナル)」が開催、S-1 55kg級と65kg級決勝戦が5回戦で行なわれます。

PPP登場、左からKANAさん、岬愛奈さん、星紗弓さん

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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