強くなるためにタイへ行く!日本キックボクサー「ムエタイ修行」今昔物語

日本のキックボクサーがムエタイ選手の強さを追求し、追いつき追い越そうと、また日本人ライバルにも差を付けようとタイ本場のムエタイジムへ修行に向かい、厳しい環境の中で技術を学ぶ。その歴史はキックボクシング創生期から始まり、現在も続いています。

1980年以前は、海外へ渡航すること自体、困難な時代でした。海外を拠点とするビジネスマンでもなければ日本を離れることは無く、高額所得者でなければ航空券すら買えず、海外旅行は一般庶民には程遠く夢の時代。それでもチャンピオンクラスやその陣営の人たちは度々タイへ渡りました。

1988.9.21 ナ・ラーチャワットジム

◆80年代に始まった「強くなるためのタイ修行」

そんな時代も徐々に変化し、格安航空券なるものが当たり前に蔓延。更に円高が拍車を掛け、1980年代に入ると世間は海外旅行ブームに入っていきました。タイへ渡り試合を観てジムを見学する“ムエタイ観戦ツアー”なるものも増え、「タイへ修行に行こう」という志豊かな若者がドッと増えたのもこの頃でした。

そうなるとムエタイ業界にも影響が現れました。ムエタイ修行に向かう各国の選手。元々“お客様”を受入れる態勢など無かった奴隷のような男だけの汚いジムが、徐々に外国人受入れ態勢が出来ていったジムも相当数になると見られます。試合で稼いでくれるチャンピオンやランカーではない、練習費を払ってくださるお客様だけに、空港までの送迎、エアコンの効いた日本人(外国人)専用部屋、食事は不備の無い調理と冷蔵庫と浄水器のある設備、お湯の出るシャワー、女性練習生受入れ態勢も充実という練習以外の苦痛は無いと思える環境。

1988.9.21 ナ・ラーチャワットジム

◆2000年代からはオシャレでセレブなフィットネス系ムエタイジムが増加

2015.11 フィットネスジム

2000年代から観光化したムエタイジムに変貌していくジムも増えました。体験入門としての緩い練習内容の初心者コースもあり、今はほとんどプロ選手に限らず、一般学生やビジネスマンのタイ人も受入れ対応可能なジムが多くなりました。

タイの現在は、ある意味ムエタイブームで、ガラス張りの綺麗なフィットネスムエタイジムがたくさん出来て、ショッピングモールのテナントにヨガ&フィットネスジムと一緒にサンドバッグやリング設備があり、富裕層の女性が“ダイエットに最適”と通うことが流行っているようです。この辺はビジネス的に商売としてやっている傾向のジムで、選手の育成の概念が無いフィットネスムエタイジムと、稼げるチャンピオンを目指すプロムエタイジムは別物と考えなければいけません。

◆有力キックボクサーたちのムエタイ修行列伝

タイに渡ってキツイことは、ジムワークや南国特有の暑さだけではありません。外国人受入れ態勢の無い、はるか昔の汚いジムに単身乗り込んで行った日本人選手もたくさんいました。

1983年春、青山隆(元・日本フェザー級チャンピオン/小国=当時)氏は、バンコクに着いて、空港のタクシー運転手に、知人に書いてもらった英文字の住所の紙を見せ、英語のわからない者同士で片言の値段交渉。ジムに着いてもそのままタイ人選手の居る雑魚部屋へ通され、言葉が通じないことや、選手と輪を囲み、同じオカズに箸を進める食事も慣れるしかなく、練習も自分から皆の輪に入っていかないとミット蹴りも首相撲の相手もやってくれず、浄水器など無い濁った水道をタイ選手と一緒に生水をガブガブ飲んだり、それでも下痢は一度もしなかったという、普通の人では耐えられない環境。

1987年には、立嶋篤史(元・全日本フェザー級チャンピオン/習志野=当時)氏のデビュー前、彼はまだ中学を出たばかりの15歳の春、「タイは若いうちに行っておいた方がいい」という先輩の助言を信じ、両親にお願いしてタイ修行を決めたが、行くのは自分ひとり。彼にとっての苦難は練習よりも生活環境でした。潔癖症というほどではないが、生理的に受け入れ難い範囲ながら、雑魚部屋でゴキブリが出る、ヤモリが天井に這い、それが寝ていて視界に入る。床はコンクリート、茣蓙を敷いたり、薄いマットレスでは硬くて眠れるものではなかった状況。トイレは汚い便器で、排水の悪い水浴び場所と一緒。暑い部屋で、過去の日本人先輩方が置いて行った扇風機が一台あるのみ。更に悩ませられたのは食事。選手が輪を囲んで、市場で買ってきた何種類かの惣菜をそれぞれ器に入れ御飯を食べるが、みんなが一斉に同じ器にフォークやスプーンを運ぶ。辛かったり臭かったり、人によってはタイ料理やタイ米が美味しく、みんなでワイワイ言いながら食べる食事が楽しく感じるものが、彼には苦痛でした。タイ料理が口に合わず、日本から持っていったフリカケとインスタント味噌汁が毎日のオカズ。練習が休みとなる日曜日にはタクシーに乗ってバンコク中心街のセントラルデパートの日本料理店に駆け込んだという。更なる苦難は一人でマレーシアに行かねばならなかったこと。小学校卒業記念に貰った英和辞典を持って夜行列車に乗って24時間掛けての旅。当時の観光ビザは2週間以内がビザ無しで入国できる範囲。それ以上の滞在は一旦国外に出てビザを取り直す必要がありました。帰りはお金が無くてバンコク・ホアランポーン中央駅から20kmほどあるジムまで線路を歩いたという途方にくれる一人長旅となりました。

また立嶋選手が来る以前のこのジムでも日本人選手は幾人か修行に来ていましたが、手癖の悪いタイ選手が居て、平気で人の歯磨き粉を目の前で勝手に使ったり、身の回りの物は勝手に持ち出される。日本人から見れば相当頭に来る行為であり、喧嘩も絶えなかったと当時の日本人選手が語っていましたが、タイ選手の“盗った意識”の全く無い態度。これは育った環境の違いがあってのことでした。タイの田舎で育った者は、高床式で扉の無い家も多く、隣の家だろうが簡単に行き来し、家族のように互いに必要なものを使い合う、そんな習慣がバンコクのジムに来てもその癖が出る。タイ人同士でも、すべてが許される訳ではありませんが、そんなことも理解し妥協しなければならない面も多かったようでした。

◆練習以前の難題は劣悪な生活環境に打ち勝つこと

1990年に入って徐々にムエタイ修行の環境は変わっていきましたが、まだ古いジムもあり、かつてWBC世界ジュニアウェルター級チャンピオンだったセンサック・ムアンスリンが所属したムアンスリンジムにアポ無し入門したヤンガー秀樹(=当時/仙台青葉)氏は、ジム脇のトイレ横の窓もない倉庫のような部屋にタオルケット一枚で、コンクリート張りにシートを敷いた床に直接寝るので硬くて眠れないし疲れは取れない状況で、コンクリートのざらついた地面のジムでは足の裏の皮が60%も剥けて、寝てると蝿がガンガンタカる始末だったという。

2015.11 現在のプロのジム

このような体験談は、ムエタイの練習だけが修行ではない、あらゆる不便で不愉快な、不安な日々も忍耐力の修行の一部であったことの一例ですが、いずれの選手も図太い神経で乗り切った経験が後の人生でも活かされています。

今や外国人受入れ態勢の無い、昔ながらの環境劣悪なジムは、首都圏ではほとんど無く、あとは観光地とは無縁の田舎のジムに行かねばならないでしょう。強くなる、技術を習得するなら設備整ったムエタイジムでの修行が最適ですが、昔ながらの不便苦痛なムエタイジムの存在が懐かしく思える体験者との昔話です。

2015.11 現在のプロのジム

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない。」

◎大塚隼人が引退し、ムエタイ王者がリングに上がった11.15「Kick Insist 5」
◎キック新時代を牽引するRIKIXジムの「NO KICK NO LIFE」
◎ルール変更の紆余曲折から辿る日本キックボクシング界の栄枯盛衰クロニクル
◎新日本キック「MAGNUM39」──トップ選手のビッグマッチと若いチャンピオンたち

 

7日発売『紙の爆弾』!タブーなきラディカル・スキャンダル・マガジン

菅直人VS安倍晋三裁判──請求棄却判決の不当とねじれ過ぎた真実

菅直人元首相が名誉棄損で安倍晋三現首相を訴えた裁判が12月3日に行われ、東京地裁は菅元首相の請求を棄却した。この判決について毎日新聞はこう報じている。

東京地裁:菅元首相の請求棄却 「安倍首相が名誉毀損」(毎日新聞2015年12月03日付)

民主党の菅直人元首相が、東京電力福島第1原発事故の対応を巡る安倍晋三首相のメールマガジンの記載で名誉を毀損(きそん)されたとして、謝罪記事の掲載と1100万円の賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は3日、菅氏の請求を棄却した。永谷典雄裁判長は「メルマガの重要な部分は真実」と述べた。

安倍首相は自身の公式ホームページに2011年5月20日付で「菅総理の海水注入指示はでっち上げ」と題したメルマガを掲載。東日本大震災発生翌日の同年3月12日に実施された原子炉への海水注入について「やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だった」などと記した。実際は海水注入は停止されず継続された。
判決は「再臨界の可能性を質問した菅氏の気迫に押され、東電幹部や官邸のメンバーが海水注入を再検討した経緯があった。菅氏には海水注入を中断させかねない振る舞いがあった」と指摘した。

菅氏は判決後に記者会見し「重大な事実誤認があり承服できない。控訴する」と話した。安倍首相の事務所は「当方の主張が認められた」とのコメントを出した。【島田信幸】

これだけの記事では詳細が何のことやら一般の読者には充分な理解が出来ないのではないだろうか。

この問題を含めて、私たちは10月8日菅元首相に取材を行っている。そのインタビュー記事は先月25日発売されたばかりの脱原発雑誌『NO NUKES voice』第6号に掲載されている。簡単にまとめれば経緯は以下の通りだ。

◆安倍メルマガ掲載翌日の2011年5月21日、読売、産経の2紙が一面トップで報じた理由

安倍現首相は自身のメルマガに上記通り「菅総理の海水注入指示はでっち上げ」と題した文章を2011年5月20日に書いている。元首相といえども当時の安倍は野党の一議員に過ぎない。しかし翌日、読売新聞、産経新聞は1面トップでこの「恣意的誤報」を大々的に報じている。読売新聞の見出しは「首相意向で海水注入中断」だ。ご丁寧にも安倍の「首相が誤った判断で(海水注入)を止めてしまった。万死に値する判断ミスでただちに首相の職を辞すべきだ」とのコメントまでと掲載している。

菅元首相によると、この「海水注入中断造話」は東電社員が情報を大手メディア各社に配ったのだという。

このメルマガでの安倍の記述を大々的に報道したのは全国紙では読売、産経のみで朝日、毎日は掲載していない。そのことからも事実がどこにあったのかを推認することは難しくない。

2011年5月21日付読売新聞1面

◆その後、安倍側が2011年5月20日掲載記述を削除した理由

菅元首相は訴えの中で、1)メルマガ記載文章の削除、2)謝罪、3)名誉棄損の損害賠償を求めていると取材の中で明らかにした。安倍側は当初、全面的に争う姿勢を見せながら、ある時期こっそりと2011年5月20日の掲載内容を削除している!やましくないのであれば係争中の文章をこっそり削除する必要があるだろうか。

菅元首相は「傑作なのはこれから1週間経った時に吉田昌郎(当時福島第一原発所長・故人)がそんなことはなかったと言っていることです」と続けた。さらに「なんで新聞がこんなことを書くのか、私は海水注入を怒鳴って止めたことは一度もないですよ。海水注入で廃炉になるのだというのなら、それは東電が気にする事であって、私がそんなことを気にするはずもないですよ。海水に変えることを誰も反対していませんでした」と私たちの質問に明言した。

3月12日午後6時頃から官邸での打ち合わせで海水に切り替える相談をしていました。そこに東電から来ていた武黒一郎氏(当時副社長)は『切り替えに1時間半くらいかかる』というので、私は原子力安全委員会委員長の班目春樹氏に2つ質問をしました。
12日朝ヘリコプターで福島第一に向かう途中班目氏に『水素爆発は大丈夫ですか』と聞いたところ『圧力容器に水素が漏れても、格納容器内は窒素で満たされているので爆発はしません』との答えでした。でも午後3時ごろ1号機は爆発するわけです。私と班目さんは同じ場所にいて、その時も東電からの連絡は大幅に遅れました。民間のテレビ局が放送するまで連絡をしてこないのです。東電は。爆発から2時間後です。そこで班目氏が言ったのは『建屋まで水素が流れていくことまで気が回らなかった』でした。
そういうことがあったので(心配して)海水を注入した時、塩分の影響が出ると想像されるがそれはどうですかと、それが一つです。もう一つはメルトダウンしてメルトスルーすると再臨界の恐れはないか、それを非公式に外部の専門家にも意見を聞き、「懸念がないわけではない」と言われていたので『再臨界の恐れはないですか』と班目さんに聞きました。『可能性はゼロではありません』と彼は答えました。
このやり取りを誰かが「海水注入を止めた」と全く脈略の違う解釈をしたわけです。(『NO NUKES voice』6号特集インタビューより

つまり、菅元首相は一度も海水注入を止めていない。「塩分による影響」に対する質問が「海水注入停止」にすり替えられている。判決も「海水注入停止はなかった」と認定しながら安倍がメルマガで「やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だったのです」と安倍の事実誤認を問題にしていない。いかに時の最高権力者への司法判断とはいえ、全くの不当判決というほかない。

「安倍晋三議員の虚偽メルマガ」(菅直人氏公式ブログ2015年12月01日付「今日の一言」より )

「安倍晋三議員の虚偽メルマガ」(菅直人氏公式ブログ2015年12月01日付「今日の一言」より )

◎「安倍晋三議員の虚偽メルマガ」(菅直人氏公式ブログ2015年12月01日付「今日の一言」より )

◆菅元首相の「承服できない判決・控訴する」は当然だ!

菅元首相は12月4日、自身の公式ブログで「承服できない判決・控訴する」と強い決意を述べている。私が電話取材をお願いしたところ、ご本人が「係争中なので公式のコメント以上は述べにくいから理解してほしい」と話されたが、周辺事情を含め丁寧なご説明を頂いた。

この裁判の背景を含み菅元首相が語る3.11──。その直後から官邸内でなにが起こったのか、何が隠されたのか、知られざる多くの事実を菅元首相は『NO NUKES voice』第6号で語ってくれている。是非ご一読を。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎「難民受け入れ」表明前にこの国が顧みるべき「中国残留日本人」帰国政策
◎大阪ダブル選挙──「安倍と橋下どっちを選ぶ?」の選択肢しかなかった不幸
◎挙句の果ての「1億総活躍」──狂気、矛盾、悪意、恫喝づくしの安倍暴走政権
◎隣のクルド人──「国を持たぬ民」が日本社会で暮らすということ

「脱原発」×「反戦」の共同戦線誌『NO NUKES voice(ノーニュークスヴォイス)』第6号!

《脱法芸能42》「美の女王」吉松育美VSケイダッシュ谷口元一裁判(2)

前回に引き続き、吉松育美対谷口元一裁判の証人尋問の模様をレポートする。
吉松さんの訴訟代理人である西川紀男弁護士が日本テレビ内での谷口氏と吉松さんのやりとりについて質問が続く。

理不尽に負けない生き方。(2015年10月13日付吉松育美FBより)

◆私は会いたくないと言いました

西川紀男弁護士 (谷口氏から)あなたに対する暴行はありませんでしたか?

吉松育美 ありました。生放送の番組が終わった後、スタッフの誘導により、私は控室に行きました。でも、そのすぐ後ろに本来ならば、付き添いであったテーラー氏が私のすぐ後ろにいなければならないのに、彼を無理やり押しのけて(谷口氏が)私の方に近づいてきて、控室まで追いかけてきました。そして私は控室に怖くなって入った瞬間に後ろから谷口さんが右腕をつかみ、私を控室から連れだそうとしました。

西川紀男弁護士 その前に確認したい。甲38号証を示します。これは星野陽平さんの『芸能人はなぜ干されるのか?』という本なんですが、最後の「あとがきにかえて――」というところで、石井さん、ご存じですか? (K-1の)石井館長。その石井さんが「われわれが日本の芸能界の掟を決めている。芸能の仕事をしたければ、バーニングプロダクションの周防郁雄社長の許しを得なければならないと諭した」とありますが、これは事実ですか?

吉松育美 はい。

西川紀男弁護士 で、その次に308ページ下の段落に自分と周防の親しい友人であるケイダッシュの幹部、谷口元一と面会することを求めたとありますが、これも事実ですか?

吉松育美 事実です。

西川紀男弁護士 で、面会するように求めたことに対してあなたは拒否されたということで、いいんですね。

吉松育美 私は会いたくないと言いました。(中略)

◆とても怖いし、どんな手を使ってでも、人を追い詰めてくるようなという印象がありました

西川紀男弁護士 最初に初めて谷口さんと会われた時に、谷口さんがどういう方か、あなたは知っていた?

吉松育美 面識はありませんでしたが、噂は聞いていました。とても怖いし、どんな手を使ってでも、人を追い詰めてくるようなという印象がありました。

西川紀男弁護士 腕を掴まれたとおっしゃいましたが、その後、どうされましたか?

吉松育美 何するのよと悲鳴を上げて振り払いました。

西川紀男弁護士 谷口さんは結局、どこまであなたのところに来たのですか?

吉松育美 細かく言うと、控室の中まで入ってきました。そして、谷口さんの後ろにいたテーラーさんがその状況を見て、危険と判断し、谷口を無理やり、押しのけて、すぐ控室のドアを閉めました。そのやり取りはほんの一瞬ですが、提出した録音記録の中にも残っています。

西川紀男弁護士 その時、谷口さんはあなたに対して、新しいマネージャーをつけるからねとか、そういった趣旨のことは言っていたんですか?

吉松育美 その後、テーラー氏が谷口さんを控室から追い出した後、関係者に事情を説明しているやりとりがありました。私はそのやり取りをドア越しに聞いていたのですが、その中で「本当のマネージャーじゃない、本当のマネージャーを用意した」とか、また日テレのとても力のあるような人の名前を出したり、自分の会社であるケイダッシュの名前を出したり、とても、自分には力があるということ言って周りに圧力をかけようとしていました。

西川紀男弁護士 「私の事務所を知ってるね」と谷口さんが言った言葉は聞きましたか? どういう趣旨でしょうか?

吉松育美 先程も言いましたように、インターネットには谷口さん、また関連する事務所は、反社会組織と深いつながりがあると言われていました。ですから、その名前を出すと、業界関係者であれば、誰でもが怖がってしまう状況が簡単に想像ができます。なので、彼はあえて自分の名前や名刺を差し出して、そういった名前を関係者に言ったのだと思います。

◆(日本のマスコミは記者会見に対して)ほとんどゼロに近い反応でした

西川紀男弁護士 そういった趣旨のことはあなたの陳述書や司法記者クラブでの記者会見とか全部入っているんですが、司法記者クラブでこういう会見をした、あなたの目的は何ですか?

吉松育美 私の目的はそのような自分自身の経験により、社会の中には泣き寝入りをしている多くの女性、また、ストーカーの被害者がたくさんいることを知りました。なので、私は日本人初の世界一のミス・インターナショナルとして、この自分に陥った状況を自分の使命だと感じて、私が立ち上がらなければならないと思い、記者会見を開きました。

西川紀男弁護士 記者会見、司法記者クラブでの記者会見、日本のマスコミでの反応は?

吉松育美 ほとんどゼロに近い反応でした。でも、私の記者会見には多くの、ほとんどといっていいほどのメディア関係者が取材に来ていました。質問も多くいただき、感覚としてはみなさん、興味を持たれている、これは報道されることなんだなという印象でした。

西川紀男弁護士 海外は?

吉松育美 海外の反応は日本の反応とは真逆で、私が記者会見をした数分後からアメリカを中心に世界中に私の言ったことが報道されました。

◆電話口で谷口氏は(母親に)「育美さんが川田亜子さんのようになることを心配しています」と言いました

西川紀男弁護士 あなたのご両親、ご両親に対して、谷口さんのいろんな行為があったと?

吉松育美 ありました。まず、父親の携帯番号を知るはずのない谷口さんから職場にいた父親へ連絡がありました。また、谷口さんは私の実家にまで私のスキャンダル記事やテーラー氏(と谷口氏)の裁判資料、そして、私が嘘をついているという主張をして、とても両親は怖い思いをしました。

西川紀男弁護士 実家の住所とか、電話番号をどうして知ったのでしょうか?

吉松育美 分かりません。父親の携帯番号も私の実家も、公に公表しているものではないので、どうしてどうやって調べたのかと、父親は怖い、気持ち悪いという思いでいっぱいでした。

西川紀男弁護士 谷口さんは、郁実さん、さらにその先の郁実さんのお父さんやお母さんと関係ないじゃないですか? つながりとか、心当たりは?

吉松育美 谷口さんの行為を正当化する理由というのは特に思い当たりません。

西川紀男弁護士 お母さんはこの裁判で陳述書をお書きになっている。もちろん、あなたも読んでいますね? 非常に心配されている。苦しんでいる。

吉松育美 そうですね。母親も情報ソースがインターネットしかないので、谷口さんのことを調べると、さっきも言いましたように川田亜子さんの自殺の件が出てくる。そして、電話口で谷口氏は「育美さんが川田亜子さんのようになることを心配しています」と言いました。なので、いくら言葉が丁寧でも、インターネットに書かれているようなに自殺に追い込まれてしまうとか、もしくは自殺と見せかけて誰かに殺されてしまうのではないか、娘の命までなくなってしまうんじゃないかという恐怖で眠れぬ夜を過ごしたと言いました。その気持は私も同じです。(続く)


◎[参考動画]日本外国特派員協会での吉松育美さん記者会見(日本外国特派員協会=FCCJ公式チャンネル2013年12月16日公開)

▼星野陽平(ほしの ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

◎《脱法芸能41》「美の女王」吉松育美VSケイダッシュ谷口元一裁判(1)
◎《脱法芸能36》宮根誠司──バーニングはなぜミヤネ独立を支援したのか?
◎《脱法芸能37》『あまちゃん』能年玲奈さえ干される「悪しき因習」の不条理
◎《脱法芸能38》音事協の違法性──芸能界が「独占禁止法違反」である根拠
◎《脱法芸能39》叶姉妹──芸能界に蔓延する「枕営業」という人身売買

芸能界の歪んだ「仕組み」を綿密に解き明かしたタブーなき傑作ノンフィクション『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)

「難民受け入れ」表明前にこの国が顧みるべき「中国残留日本人」帰国政策

シリアの政情不安長期化に伴い、膨大な数の難民が欧州に押し寄せている。あまりに急激な人口流入に戸惑い、国境を閉ざそうとする国もあるが、移民、難民受け入れ経験の豊富なドイツなどは(本音はともかく)「難民受け入れ」を表明している。


◎[参考動画]Germany’s winning refugee welcome formula(2015年09月07日にeuronewsが公開)

日本で行われる「反差別」を標榜する集会やデモなどで「Refugee Welcome」(難民歓迎)を掲げる人びとの姿も増えてきた。この国で市民が「難民受け入れ」に歓迎の意向を示したことは初めてではないだろうか。古くは朝鮮半島から日本に渡り工芸、芸術、文化などを伝えた「渡来人」、「帰化人」と名付けられた人々が「文化の伝道師」としての尊敬を集めたとの記録があるが、それ以降この島国では他国からの積極的な「定住意思」を持った人々を歓迎してきた歴史は見当たらない。

◆村長、町長や中学校校長らに選出ノルマが課せられた「満蒙開拓団」

私の気持ちは複雑である。

海に囲まれた島国だからだろうか、第二次大戦で敗北し経済成長を遂げた後もこの国は外へ門戸を開くことにことのほか後ろ向きであった。政策的にまとまった数の外国生活背景のある人々を受け入れたのは、おそらく「中国残留日本人」(「中国残留邦人」、「中国残留孤児」などと呼ばれることもある)の帰国活動が初めてだろう。

日本の傀儡国である「満州」を中心とする中国へ渡った人々の数は確定していないものの500万人を超えるとする説もある(彼らは一義的に『侵略者』であった)。自由意思で「一旗揚げよう」と移住した人の他に、「満蒙開拓団」と呼ばれる主として裕福ではない人々が全国の市町村長や中学校長などにより選出され、中国大陸に送り込まれた。

「五族協和」、「王道楽土」といった甘言をぶらさげた渡航者の選出にあたっては村長、町長や中学校の校長に「ノルマ」が課せられていたそうだ。「満蒙開拓団」に選出された方々はそれを拒否することなどできなかった。

敗戦と同時にいち早く敗走した関東軍と異なり、下級兵士や中国大陸でも貧しい生活を送っていた人々を中心に日本への帰国がかなわず、現地に留め置かれることとなる。帰国できず亡くなった方も多い。

その時期幼少で現地の中国人に身柄を預けられた人が、後に帰国することになる「中国残留日本人」だ。日本にやってきて服装も表情も当時の中国人と違わない人々が悲痛な思いで親族を探す姿は、当時多くの紙面や時間を割いてマスメディアで扱われた。幸い親族が見つかった方々が日本に帰国し定住した。その際に本人だけではなく配偶者や子供、場合によっては義理の兄弟などの親戚も入国、定住を認められたことから中国から定住した方々の総数は数十万人にのぼる。

帰国後は日本語のトレーニングや一定の生活支援、就業支援が行われたものの、日本の生活にはなじめず、家に引きこもりっぱなしの帰国者も少なくなかった。


◎[参考動画]アーカイブス中国残留孤児・残留婦人の証言 Eさんの場合①(2013年10月24日に藤沼敏子さんが公開)
※藤沼敏子さんのHP「アーカイブス中国残留孤児、残留婦人の証言」には中国残留孤児・残留婦人による貴重な証言インタビューが多数掲載されている。http://kikokusya.wix.com/kikokusya

90年代はじめに彼らが住んでいた公営の集合住宅を訪れたことがある。生活支援をしているボランティアの方の案内で数件を尋ねると、帰国者ご本人はほとんど日本語が話せなかった。そのお子さんは工場労働などに出ているというから社会生活が可能な程度には馴染まれていたのだろう。そしてお孫さんは地元の小学校に通っているとのことだった。お孫さんは言葉に不自由はないし不都合も感じていないようだった。

私が訪問した数件のご家族は、不幸せそうではなかったけれども「帰国」したことを心底喜んでいるようでもなかった。

「残留日本人」を除けば日本に「政治難民」として逃げてきたい、という人々に対して法務省や入国管理局は実に冷淡だった。私も10人以上の難民申請の支援に関わったことがあるが私の知る「政治難民」は全員が門前払いだった。

◆政府の「外国人受け入れ」に対する姿勢変化と「ユニクロ」柳井正のインタビュー

ところがここへきて政府の「外国人受け入れ」に対する姿勢は変化を見せはじめている。理由は簡単だ。人口減に歯止めがかからずこのままでは「労働力」の確保がままならない、と考えた奴らは突如善人ぶって「さあ、さあ日本は門を開いていますよ」とその実またしても「経済奴隷」としてのみ外国人を招き入れようとしているのだ。

その本音を代弁しているのがブラック企業「ユニクロ」で有名なファーストリテイリング会長兼社長柳井正のインタビューだ(2015年11月21日付産経新聞)。

柳井は「移民・難民を受け入れなければ国そのものが滅ぶ危機」と題したこのインタビューの中で、
--日本企業の問題点は
「完全な実力主義になっていないことだ。古い制度を根本から変えていく必要がある。国主導ではなく、民間が主体的に変えていくことも必要だ。政府に頼めば何とかなる、という発想をやめなくてはならない」
--人口減少問題も企業経営に影響する
「人口減少は非常に深刻な問題だ。このまま放っておくと、日本は労働人口が不足する社会になる。人口が減って栄えた国はない」
と「移民・難民」の受け入れの必要性が、あくまで「国」(=日本)の利益のためであることを正直に告白している。

このインタビューの中では「国際感覚を身につける」などといった美辞も見られるが、ならば今よりも日本の「集中豪雨的輸出」が世界で問題とされた70年代後半から80年代になぜこのような「移民・難民受け入れ歓迎」という主張が国や大企業からなされなかったのか。

理由は簡単、当時は日本人だけで労働力が充足していたからだ。ここへ来て政府もこのまま行けば2030年に労働人口が200万人不足する、などと言い出した。あったりまえだろう。これだけの貧困と格差社会で非正規雇用がさらに増加すれば出生率は低下し、人口は確実に減っていく。日本は既に人口激減期に入っている。

◆経済奴隷になり果てることを希望する難民がいるだろうか?

そこで冒頭の命題だ。難民受け入れ。移民受け入れに私は賛成の立場である。しかし、今それを政府や大企業が主張し出した狙いは単に「労働力」の充足を目的とするものである。「人道上」の配慮では断じてない。難民は母国を何らかの理由で追われ、仕方なく他国に安心を求め移動する人びとだ。

彼らの目的は一義的には「生きること」であり「金儲け」ではない。だから言語や生活習慣の全く異なる背景をもった難民をこの社会で生活してゆけるようにするためには、様々なトレーニングやサポートが必要とされる。当然お金もかかる(為政者が「社会的コスト」と呼ぶものだ)。

本当にそこまでの覚悟が総体としてあるのか。「難民を不足する労働力の補填へ」とのユニクロ柳井や政府の下心は経済的侵略者のそれと変わりない。そんな理由での難民受け入れなら私は反対する。経済奴隷になり果てることを希望する難民がいるだろうか。難民の立場で我々はこの島国のありようをもう一度見直す必要を感じる。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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話題騒然!「脱原発」×「反戦」の共同戦線総力誌『NO NUKES voice』第6号発売中!

 

《脱法芸能41》「美の女王」吉松育美VSケイダッシュ谷口元一裁判(1)

2015年8月6日、東京地方裁判所806号法廷において、ミス・インターナショナル2012年グランプリの吉松育美さんが大手芸能事務所、ケイダッシュ幹部の谷口元一氏を訴えた裁判の証人尋問が行われた。

2014年2月4日付吉松育美FBより

裁判に至るまでの経緯をざっと説明する。

吉松さんと谷口氏とのトラブルの発端は、2012年春、吉松さんがミス・インターナショナルのグランプリを獲得すると、元所属事務所顧問で総合格闘技団体、K-1の元プロデューサー、石井和義氏が現れ、吉松さんを「芸能界のドン」と呼ばれる周防郁雄社長が経営する芸能事務所、バーニングプロダクションに連れてゆき、「われわれが日本の芸能界の掟を決めている。芸能の仕事をしたければ、バーニングプロダクションの周防社長の許しを得なければならない」と諭し、バーニンググループに入るよう要請した。

吉松さんがミス・インターナショナルを獲得し、それまで所属していた芸能事務所から独立すると、石井が再び現れ、「独立は支援するが、われわれのグループに入ることが条件だ」と主張し、自分と周防社長の親しい友人であるケイダッシュの谷口氏と面会するよう求めた。

それからしばらくして、吉松さんが出演していた日本テレビの番組「真相報道 バンキシャ!」の撮影現場に谷口が現れ、控室まで吉松さんを追いかけ、腕をつかんで拉致しようとし、番組スタッフに吉松さんに新しいマネージャーをつけると主張した。以降、谷口氏は業界中に圧力を強め、様々な嫌がらせが続き、吉松さんは仕事を失ってしまった。

2013年12月16日、吉松さんは日本外国特派員協会で記者会見を行い、谷口氏から受けたストーカー被害の実態を明らかにし、その後、提訴に踏み切った。


◎[参考動画]日本外国特派員協会での吉松育美さん記者会見(日本外国特派員協会=FCCJ公式チャンネル2013年12月16日公開)

一部報道では、2014年8月15日に吉松さんの訴えが却下されたと報じられているが、これは仮処分の申請についてのものであり、その後、吉松さんは東京地裁に提訴し、今回の証人尋問はそれに関わるものである。なお、谷口氏からも吉松さんに対し、名誉毀損があったとして反訴している模様だ。

以下、吉松育美さんの主尋問(吉松さんの訴訟代理人側からの質問)の模様をレポートする。

◆私は谷口元一氏という名前を聞いただけでも怖い、恐怖を感じていました

西川紀男弁護士 本件で被告になっている谷口さん、ご存じですか? お会いしたのは、2012年の12月30日が最初でしたね。日本テレビが最初。それ以前に噂とか、あるいは雑誌、新聞で話を聞いたことは?

吉松育美 あります。私が最初に谷口元一氏の名前を知ったのは、2008年の元アナウンサーであります川田亜子さんの自殺の件で知りました。

西川紀男弁護士 その時から怖い人とか、優しい人とか、どういう印象を持ちましたか?

吉松育美 その事件をきっかけに、川田亜子さんの自殺は、不明な点も多く、大きな波紋を呼んでいました。謎の死、謎の自殺に深く関わっていたのが谷口元一氏であり、また、谷口さんの所属している事務所、反社会的組織と深く繋がっていると噂されております。それはネットや週刊誌、新聞などからでも一般的に誰もが知っている知識です。そういうことから、私は谷口元一氏という名前を聞いただけでも怖い、恐怖を感じていました。

西川紀男弁護士 司法記者クラブでお話になったのがありますね。甲24号証に出ているんですけど、司法記者クラブで言ったのと間違いない? マットさん(※)からは谷口さんのことについて、何か聞いていますか?(※マットさん=吉松さんの海外エージェントであるマット・テイラー氏のこと。)

吉松育美 谷口さんとマット・テイラーさん、間に1000万円の債務関係があることを知っています。

西川紀男弁護士 それはいつごろの話ですか? 聞いたのは?

吉松育美 私が(マット氏から)コーチングを始めてわりと最初の方です。

西川紀男弁護士 日本テレビにおける、谷口さんとあなたが最初に会ったその時の出来事を、2012年の12月30日、『バンキシャ!』という番組でしたよね。その時に谷口さんが来た。谷口さんは、その番組の関係者だった?

吉松育美 当時、谷口さんは『バンキシャ!』の関係者としてまったく関係がない。でも、なぜ彼がその場にいたかというと、別の入館許可証を首からぶら下げていて、その番組にいました。

西川紀男弁護士 そうすると、谷口さんは番組と関係ない。いわば無断侵入のようなものですか?

吉松育美 はい。その後、谷口さんが現れたあと、スタッフさんからも、大変申し訳ありませんでしたと何度も言われました。

西川紀男弁護士 その時、谷口さんは、簡単に言うと、あなたに対して、どういうことを言ったんでしょうか?

吉松育美 まず、「吉松さんはこっちに来てください」と。それからマット・テイラー氏に対しては、「詐欺師だ」そして、「本物のマネージャーではない」と。私に向かっても「金返せ、金返せ」と心当たりのないことを、彼は私に向かって発言しました。(続く)

○吉松育美さん公式サイト=http://ikumiyoshimatsu.com
○吉松育美さんFacebook=https://www.facebook.com/yoshimatsuikumi?ref=hl
○吉松育美さんYouTube=http://www.youtube.com/user/yoshimatsuikumi

▼星野陽平(ほしの ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

◎《脱法芸能36》宮根誠司──バーニングはなぜミヤネ独立を支援したのか?
◎《脱法芸能37》『あまちゃん』能年玲奈さえ干される「悪しき因習」の不条理
◎《脱法芸能38》音事協の違法性──芸能界が「独占禁止法違反」である根拠
◎《脱法芸能39》叶姉妹──芸能界に蔓延する「枕営業」という人身売買
◎《脱法芸能40》安室奈美恵──「移籍劇」は芸能界決壊への「パンドラの箱」を開いたか?

芸能界の歪んだ「仕組み」を綿密に解き明かしたタブーなき傑作ノンフィクション『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社2014年5月13日刊)

大阪ダブル選挙──「安倍と橋下どっちを選ぶ?」の選択肢しかなかった不幸

「橋下打倒を!」と書きながら、本心どこか冷めている自分がいた。橋下徹が先導する地域政党「大阪維新の会」と、自民推薦、民主、共産なども推した候補者の実質的な対決となった大阪府知事、大阪市長の同日選挙は11月22日投開票され、知事には現職の松井一郎、市長には元衆議院議員、吉村洋文の両氏が当選した。

◆「自民党議員にも考え方に幅のある人がいる」という擁護論の終わり

嘘八百はいい加減にしてくれ!と「ハシモト」についてはこれまでも散々書き連ねてきたけれども、今回大阪同日選挙の何よりの不幸は「反ハシモト」として投票意欲を掻き立てる候補者が擁立されなかったことだ。知事候補だった栗原貴子氏、市長候補の柳本顕氏とも、出馬前はそれぞれ自民党所属の大阪府会、市会議員だった。

「地方に行けば自民党所属の議員といえども、考え方に幅のある人がいる」という擁護論は昔からある。「人格が立派な地方議員の中に自民党所属の人がいる」という話は散々聞かされてはいる。しかし、私そういう人に会ったことがない。中央であろうが地方であろうが「自民は自民」なのだ。とりわけ21世紀に入って以降の自民党には、寸分の油断もならないと感じてきた。麻生政権が瓦解し民主党が政権を担った時は「これで憲法改正へ向かうスピードだけには歯止めがかかった」と多少安堵したことは確かだった。

しかし、省みればこの「安堵」すらが油断だったのだ。民主党政権下では小泉政権や第一次安倍政権時のような露骨なファシズム指向政策が表出はしなかった。だが、今日の自民党政権に負けず劣らぬ「悪政」が行われていたじゃないか。思い出してみよう、原発事故後に「脱原発依存」を掲げた民主党政権は野田首相時代に大飯原発の再稼働を行っていたじゃないか。消費税の引き上げだって民主党政権時代に決定していたじゃないか。そして野田政権は自爆的に瓦解したことを。

◆「古いもの、しがらみ、旧弊とは相いれない」という言説ポーズが橋下の真骨頂

大阪人に限らず「ハシモトはうんざりだ、とんでもない」の認識は広がりを見せた。国政の場でも「維新の党」から設立者である「ハシモト」や「マツイ」が離党し、維新周辺にうごめく議員たちは混乱を極めている真っ最中だ。

実際には最高の指揮権を握っていた「ハシモト」がわざわざ離党する必要などなかった。松野頼久や民主党から合流した連中が気に入らなければ、これまで通り「首を飛ばせ」ばよかったのだ。市長の任期途中で「信任を得るため」と不要な選挙に打って出るわ、住民投票までやって否決された「大阪都構想」をまたぞろ蒸し返すは、世論は「ハシモト」や「維新」を選択肢から外し始めていた。メディアの狂気じみた「ハシモト」礼賛もトーンが下がってはいた。

でも「ハシモト」の目論見は的中した。私は「ハシモト」離党は大阪での同日選挙に向けたパフォーマンスだと感じていたが、残念ながら結果がそれを示している。

「古いもの、しがらみ、旧弊と相いれない」ポーズ──。これこそが「ハシモト」言説の真骨頂だ。有権者を騙し続けてきた嘘八百、朝令暮改の神髄はここにある。あくまで「ポーズ」である。そのポーズに無批判なマスメディアが便乗する悪循環。

この時代の閉塞感を感じている少なくない人々が「古いもの、しがらみ、旧弊と相いれない」ポーズに程度の差こそあれ期待を寄せていた(全く的外れにも)。実態は何もないこのポーズに共鳴する人は表面上「ごく普通の良き市民」である。

◆TPP甘利や極右稲田朋美が応援演説に来る対抗候補に誰が投票する気になるか

対する「古いもの、しがらみ、旧弊」の実態はどうだ。その中心である自民党、安倍晋三を総裁に無投票で再選した自民党の実像はどうだ。

わざわざここで私が詳述することもあるまい。戦争へ向かい、米国の下僕としての忠犬振りに熱をあげることを専らにする安倍自民党はちょっと政治に関心が芽生えた高校生からも「自民党感じ悪いよね」とプラカードに書かれるほどだ。

知事候補だった栗原貴子氏のTwitterとFacebookにはこんな言及がある。

この選挙戦、自民党本部から本当にたくさんの閣僚や党役員の皆さんが応援に駆けつけて下さいました。谷垣禎一幹事長、石破茂地方創生担当大臣、稲田朋美政調会長、甘利明経済再生担当大臣…国とのパイプを活かし、力強く大阪の発展を進めて参ります。 (2015年11月21日付くりはら貴子FB)

このコメントと顔ぶれを見て、「反ハシモト」の気持ちを抱いていた人の中には落胆を感じた人が少なくなかったのではないだろうか。「国とのパイプを活かし」なんて地方自民党候補者の常套句じゃないか。TPPを進める甘利、確信的右翼の稲田の顔見て投票する気になるだろうか。

◆安倍自民と橋下維新の両方に反対する人にとって投票の選択肢は100%なかった

つまり、こういうことだ。今回の大阪同日選挙には安倍自民党政権、「ハシモト」の両方を嫌う人には選択肢がなかったのだ。どちらの候補者に投じても「安倍を支持する」か「ハシモトを支持する」ことへ繋がる。そして中央では「維新」が割れ、形ばかり自民党と少しは異なる方向性を見せようとはしているけれども「大阪維新の会」はその主張において自民党と大差ない。何よりもハシモト自身が安倍に直談判しに上京していた様を見れば、こいつら2人が「同じ穴の狢」であることは明らかだ。こういった「投票に値する候補者がいない不幸な選挙」は小選挙区制導入後以前にもまして増えている。

「安倍とハシモトのどっちを選ぶか」の選択肢しか示し得なかった時点で大阪の同日選挙は意味を失っていたといっても言い過ぎではないだろう。「反ハシモト」陣営は真剣に主張や手法が「ハシモト」とは異なる候補者を早期に擁立すべきだった。「オール大阪」などという馬鹿げた茶番が敗因なのだ。なぜ実質自民党候補に共産党が相乗りできるのか。してしまったのか。師走に入って政治でろくなことがなかったこの1年を痛感する。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎挙句の果ての「1億総活躍」──狂気、矛盾、悪意、恫喝づくしの安倍暴走政権
◎隣のクルド人──「国を持たぬ民」が日本社会で暮らすということ
◎パリ襲撃事件報道の違和感──言葉の収奪、意味の無化を進める不平等な世界
◎《追悼》杉山卓夫さん──「不良」の薬指に彫られた指輪のような刺青の秘密

11月25日発売開始!「脱原発」×「反戦」の共同戦線総力誌『NO NUKES voice(ノーニュークスヴォイス)』第6号!

 

《ウィークリー理央眼028》秋山理央写真集『ANTIFA』遂に発売!

自身初の単行本『秋山理央写真集 ANTIFA ヘイト・スピーチとの闘い 路上の記録』が、11月21日に発売になった。是非お近くの書店で購入して欲しい。


『秋山理央写真集 ANTIFA ヘイト・スピーチとの闘い 路上の記録』
写真=秋山理央 文=朴順梨 発行=鹿砦社
定価1944円(本体1800円)

もともとジャーナリズムに興味があったわけでもなく、何の志も持たないカメラマンである私はただただ「今の日本」を記録することだけに専念してきた。

3.11以降、福島原発事故に端を発した反原発デモが日本各地で頻発していたにも関わらず、大手メディアはなかなか取り上げなかった。もちろん様々な理由があって、それはある意味で仕方がないことだった。
「ならば自分でやってやろう」と、2011年6月から反原発のデモにカメラを向け徹底的に記録することにした。こんなにもデモが起こっているのに報道が少な過ぎるのは不自然だと思ったからだ。
当時は、あるいは今でもそうかもしれないが、デモはハードルが高く特殊な行為という感覚が強かった。私もその感覚を持っていた一人だったが、考えてみると私たち市民にとって一番身近な主張の場はデモだった。

次の行動に繋げてもらう為にも、明確な「原発反対」の立場の自分が一つのメディアとなり、人々の消えていくはずだった想いを記録し残すことにした。デモのマイナス・イメージを払拭し、デモ文化を根付かせようと心に決めたのだ。
現在でもほぼ全ての土日は取材に出掛け、年間100?150回程度の撮影を続けられている理由はそこにあるのかもしれない。

デモや抗議を行なう人々を撮り始めて4年半、反原発から反レイシズム、反安保法制を訴える路上の姿を追い続けて、遂に写真集が世に出ることとなった。正直なところ、出版が決まっても感動があったわけではなかった。月刊誌と季刊誌での連載を抱え、本・新聞・テレビ・その他に多数の写真や映像を提供していたので、本が出るからと言って特別な感情が沸き起こりはしなかった。…現物を手にするまでは。
制作の過程で見ることができたのは印刷見本のみで、きちんと製本されている完成状態のものがなく、出版の素人の私には想像が全くできていなかった。しかし、写真集の現物を手にしてみると、紙も印刷も良くて驚いた。質感も良かったし、重量感があって、「絶対に買って損はしない!値段以上の価値がある本だ!」と仲良くしている友達にメールしてしまった。自分が撮って選んだ写真なのに、だ。

この写真集には、2013年3月31日?2015年10月4日までの期間、12都道府県と韓国・ソウルの路上で行なわれた41の反レイシズム行動の写真140点が時系列に沿って収録されている。時が進むにつれて、路上でのヘイト・スピーチとの闘いが広がりを見せていくことを感じる事ができるはずだ。
今回、掲載写真にはキャプションはあえて付けず、記すのは日付と撮影場所だけにした。彼女自身がヘイト・スピーチの被害者でもあるライターの朴順梨さんに寄せてもらった文章に心を揺さぶる力を感じたので、写真ページはビジュアルに特化し「写真集」としての完成度を重視した。言葉は彼女に任せ、私の想いは全て『ANTIFA(アンチ・ファシズム)』と冠したタイトルに込めた。

ヘイト・スピーチに抗議するカウンターは広く理解され、多数の支持を得る必要はないのかもしれない。そもそも差別が無ければ不要の存在なのだから。しかし、カウンターをするしかない状況は今でも変わらず存在している。
私はこれからも記録者として、路上の事象を写し取っていくつもりだ。

▼秋山理央(あきやま りお)
1984年、神奈川県生まれ。映像ディレクター/フォトジャーナリスト。
ウェブCM制作会社で働く傍ら、年間100回以上全国各地のデモや抗議を撮影している現場の鬼。
人々の様々な抗議の様子を伝える写真ルポ「理央眼」を『紙の爆弾』(鹿砦社)で、
全国の反原発デモを撮影したフォトエッセイ「ALL STOOD STILL」を『NO NUKES voice』(鹿砦社)にて連載中。
11月21日には全国の路上でヘイト・スピーチと闘うカウンターの姿を追った初写真集『ANTIFA アンティファ ヘイト・スピーチとの闘い 路上の記録』(鹿砦社)が全国書店にて発売決定!

《ウィークリー理央眼》
◎《027》戦争法案に反対する若者たち VOL.21 金沢
◎《026》戦争法案に反対する若者たち VOL.20 新宿
◎《025》戦争法案に反対する若者たち VOL.19 川越
◎《024》戦争法案に反対する若者たち VOL.18 郡山
◎《023》戦争法案に反対する若者たち VOL.17 弘前

 

大塚隼人が引退し、ムエタイ王者がリングに上がった11.15「Kick Insist 5」

今年の新日本キックボクシング協会は、年間11回興行があり、興行はジム持ち回りですが、後楽園ホールだけで8回、定期興行において各チャンピオンが随時出場する安定した団体です。興行のひとつを受け持つビクトリージムは共催ながらリーダーシップを持って年1回のディファ有明で興行を打ち、「Kick Insist」という興行タイトルで東日本大震災復興チャリティーイベントとしての5年目を迎え、そのスケールも年を重ねる毎に大きくなってきました。
Kick Insist 5 / 11月15日(日)16:00~20:25(主催:ビクトリージム、治政館ジム / 認定:新日本キックボクシング協会)

◆元・日本ウェルター級1位の大塚隼人引退式

今回のイベントのひとつは、元・日本ウェルター級1位の大塚隼人(ビクトリー)が引退式を行ないました。2012年10月、当時の日本ウェルター級チャンピオン、緑川創(目黒藤本)に挑戦も3-0の判定負け。その緑川創選手が今回快くエキシビジョンマッチの相手となって対戦に応じてくれました。

大塚は試合から遠ざかり、“太った”という言い方は正しいとは言えませんが、ドッシリとした体格に変貌。悔いなくお互いが激しく打ち合いました。引退式は興行を開催するジム会長との信頼関係が伺える、最後の勇姿を披露させて頂けるリング。大塚は協会役員に囲まれ、伊原信一協会代表から労いの言葉を受けたセレモニーの後、引退テンカウントゴングを聴きました。

大塚隼人テンカウントゴング

大塚隼人もビクトリージム坂戸支部を任される立場となって第2の人生を歩み出しています。王座挑戦は2度。2014年7月には、緑川創が返上して王座決定戦となって、同級2位の渡辺健司(伊原稲城)に2-1接戦の判定負け。恵まれた環境で、入門からタイトル挑戦まで育ててくれた八木沼広政会長への恩返しを果たすため「絶対チャンピオンになります」と言って挑んだいずれの試合も敗れ去ってしまいました。

しかし、2010年6月には日本人キラーだった元ラジャダムナン系スーパーライト級チャンピオンのガンスワン・Bewell(タイ)をパンチでグラつかせると一気にノックアウト勝利し、2012年2月には過去にKO負けを喫した相手、元ラジャダムナン系ライト級チャンピオンのソーンラム・ソー・ウドムソン(タイ)に狙ったカウンターヒジ打ちで切ってリベンジTKO勝利。チャンピオンにはなれませんでしたが、これを超えなければ世界に行けないという“日本人の壁”となって立ちはだかったムエタイボクサー2人に貴重な勝利を挙げている大塚隼人選手でした。

大塚隼人EX緑川創

そんな中、日本人の壁の向こうにある本場の試合を披露しようと、ビクトリージムの八木沼会長が、頻繁にタイ国のムエタイジムを回り、選手を選抜して招聘された今回のビッグカードが実現。

◆メインイベント56.0kg契約5回戦

タイ国ルンピニー系バンタム級チャンピオン=クワンペット・ソー・スワンパッディー(タイ/56.0kg)
VS
タイ国ムエスポーツ(プロムエタイ)協会バンタム級9位=ペップンソーン・ペッチンダー(タイ/55.4kg)

勝者:クワンペット・ソー・スワンパッディー / TKO 5R 1:44 / 主審.ノッパデーソン・チューワタナ(タイ)

現役ルンピニー系バンタム級チャンピオン.クワンペット

一流ムエタイボクサーの簡単には崩れないバランスいい体幹と技。その関節柔らかい蹴りの躍動感が美しく、ムエタイの神秘さが冴え渡ります。序盤は静かな展開から、ややクワンペットが好戦的に、日本人でもわかりやすいパンチと蹴りで次第に優勢に進めている印象。第4ラウンドには攻めの圧力が増していき、その勢い維持したまま第5ラウンド途中、レフェリーが突然試合を止め、クワンペットのTKO勝利を宣言。攻防の差がつき、ペップンソーンの勝ち目は無いと判断されてのストップ。日本では相当の劣勢にならないと止めず、ダメージが深くなければ最後までやらせるのが普通でしょう。タイでは実力均衡する対戦が多く、接戦を展開し、ギャンブラーを唸らせる試合が圧倒的ですが、“接戦”という範疇から外れ、試合を止めてしまう展開も珍しいことではないようです。「何で止めたのだろう」という疑問も残りつつ、タイからのレフェリーに対する抗議も無く、堂々としたレフェリー裁定に貫禄すら感じた観客の様子でした。

◆セミファイナル63.0kg契約3回戦

WKBA世界スーパーフェザー級チャンピオン=蘇我英樹(市原/62.8kg)
VS
元・ラジャダムナン系フェザー級6位=セーンアティット・ワイズデー(タイ/62.4kg)

勝者:セーンアティット・ワイズデー / TKO 3R 2:24 / 主審.桜井一秀

レフェリーが止めた後も諦めない蘇我英樹

5年連続のKick Insistに出場し、激戦を繰り広げる蘇我英樹は、第3ラウンドにヒジで切られてTKO負け。セーンアティットが一枚上手な蹴りと、蘇我の攻めを見透かす中、諦めない捨て身の攻めはいつもの蘇我。5月に爆椀・大月晴明に劣勢に立たされるも、倒すか倒されるかの好ファイトを展開して判定で敗れ、8月には元・ラジャダムナン系スーパーバンタム級チャンピオンのペッシーニ・ソー・シリラットにも激戦の末判定で敗れましたが、ムエタイ第一線級の倒しに来るタイプとの対戦を好む試合ばかり。激戦の末、倒して勝つことも多く人気を誇るが、現在はこれで3連敗と今後の巻き返しロードの展開が注目されます。

◆55.0kg契約3回戦

日本バンタム級チャンピオン=瀧澤博人(ビクトリー/55.0kg) VS チャンプアレック・ゲッソンリット(タイ/55.2kg)

勝者:瀧澤博人 / 3-0 (主審.椎名利一 / 副審.仲 30-27. 桜井 30-26. 和田 30-28)

瀧澤博人は200グラムオーバーで来たチャンプアレックに危なげない圧倒。来年1月には世界へ向けたビッグマッチが予定されます。

◆52.0kg契約3回戦

日本フライ級チャンピオン=麗也(高松麗也/治政館/51.8kg) VS クックリット・ゲッソンリット(タイ/54.0kg)

勝者:麗也 / 3-0 (主審.仲俊光 / 副審.椎名 30-27. 桜井 30-26. 和田 30-27)

麗也は2kgオーバーで来るクックリット・ゲッソンリットにパンチでダウン奪って判定勝利。倒しきれなかったことに不満の表情ではありましたが、2kgオーバー相手に圧勝。

ビクトリージムから出場した選手は6名で2勝3敗1分。ランカー以下は負けが多かったようですが、日本フェザー級3位.石原将伍(ビクトリー)は元・ルンピニー系フェザー級チャンピオンのナコンレック・エスジム(タイ)にKO寸前の計3度ダウン奪うも、ナコンレックも強いパンチで油断ならない捨て身の反撃あって大差判定勝ち。瀧澤博人と共に2人が勝利を挙げました。日本vsタイ国際戦としては3勝1敗でした。

◆『CHACHACHA』『LAMBADA』の石井明美さんがミニコンサート

休憩の合間にもうひとつのイベント、石井明美さんのミニコンサートで過去ヒット曲の『CHACHACHA』と『LAMBADA』を唄いました。テンポのいい曲とまたちょっと懐かしい曲に休憩時間ながら、観衆も聴き入っている人が多く、終わった後も拍手がたくさん鳴り響いていました。

「昔から、お父さんがキックボクシングを見ていて、テレビでは(私も)観ることあったんですが、こうやって実際にまさか自分がリングの中で唄えるとは。どのようなタイムテーブルになるのかなと見てみたら、唄う場所は“リングの中”と聞いてから気分が高まっています。」という石井明美さんでした。現在もテレビには昔ほど頻繁ではないですが、歌番組に出演されているようです。

石井明美さん初のキックのリングでミニコンサート

今年最後の興行は、12月13日(日)に後楽園ホールでの目黒藤本ジム主催興行、日本ライト級チャンピオン.勝次(目黒藤本)の初防衛戦、3位.春樹(横須賀太賀)の挑戦を受けます。先日のNO KICK NO LIFEで黒田アキヒロ(フォルティス渋谷)に逆転負けを喫した勝次のメンタル面と技術の建て直しがどういう展開に持っていくか興味ある一戦となります。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない。」

◎キック新時代を牽引するRIKIXジムの「NO KICK NO LIFE」
◎ルール変更の紆余曲折から辿る日本キックボクシング界の栄枯盛衰クロニクル
◎新日本キック「MAGNUM39」──トップ選手のビッグマッチと若いチャンピオンたち

タブーなき総力取材!「脱原発」×「反戦」の共同戦線雑誌
『NO NUKES voice(ノーニュークスヴォイス)』第6号
11月25日発売!

「年末ジャンボ」狂騒曲!所ジョージ、米倉涼子、原田泰造らが銀座に現る

一攫千金を! 宝くじの当選欲に飢えた人々が銀座に集結。11月25日、「年末ジャンボ宝くじ」の販売初日とあって、すでに朝6時から300人を超える人が今か今かと「西銀座チャンスセンター」の前で「年末ジャンボ宝くじ」の発売を待っていた。

そんな中、普通の芸能人、またそれを取材するスタッフならまず寝ている午前8時40分から「西銀座 チャンスセンター」前で「年末ジャンボ宝くじ&年末ジャンボミニ7000万記念イベント」なるイベントが開催。所ジョージ、米倉涼子、原田泰造ら「宝くじCM」に出ているメンツが集まり、1等賞金が7億円、前後賞が各1億5000万円ということで、「10億円分の札束を積み上げたツリー」の前で「もし1億円当たったらどうするか」をテーマにMCを展開するという、必死に並んでいる客からすればなんともむかつく〝ちゃらいイベント〟が行われていた。


カメラ約50台がひしめくなかで、「もし10億円が当たったら」というテーマでトークは進む。米倉涼子が「セレブ留学」、原田泰造が「サウナ経営」、所ジョージが「世田谷のガレージを改造する」というなんのひねりもない答えをフリップに書 いて、スタッフだけの乾いた笑いと拍手が、雨模様の空にむなしく響いていた。

所ジョージが「俺のところなんか朝着いたとたん、連れてきたスタッフがいつのまにかいないと思ったら、宝くじをいつのまにか買いに言っていたよ」などと購入を誘導するような台詞を吐けば、女性MCが原田に「どこで宝くじを買う予定ですか」と聞くと「あちこちで買います。今日もマネージャーにここで(西銀座チャンスセンター)で買いに行ってもらいましたけど」と暗に購入を勧めれば、米倉も「ぜひ年末ジャンボ宝くじを買ってこのツリーを一度、自宅で見てみたいです」とまるで街中で「年末ジャンボ」のコマーシャル撮りが行われているのではないか、というわざとらしさだ。


米倉たちは、札束のツリーを目の前に奪い合うようなポーズをしてお茶目なフォトセッションになっていたが、実はスタッフが「撮影禁止」という札を持って立ったポイント(パーティションで仕切られていた)の裏では売り場があり、客がタレントたちをうらめしそうに見ていた。

「この仕切り線が天国と地獄を分けているよな。何が夢の10億円だよ。3人あわせれば10億円くらいありそうなメンバーだよな」とサラリーマン風の中年男性が友人とおぼしき若い男につぶやいていた。囲み取材では、米倉が私生活のことを聞かれるのを避けたためか、原田と所だけがインタビュアに対応し、シナリオありきのやりとりをこなした。

「まあ、庶民と金持ちタレントの差がクリアになったイベントだったな」と見物客。イベント終わりで大粒の雨が落ちてきて、濡れながら長蛇の列を作る客たちがまるでこの「年末ジャンボ」狂騒曲に踊らされたようにも見えた。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。
◎愛国的な韓国人や日本のネトウヨが卒倒しそうな韓国艦「テ・ジョヨン」の姿
◎美しきムエタイ女子リカ・トングライセーンのど根性ファイトに大喝采!
◎川崎中1殺害事件の基層──関東連合を彷彿させる首都圏郊外「半グレ」文化

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第3回を迎え、ANTIFAのパレード/デモとなった「東京大行進」

JR新宿駅の南口改札付近は今から約3年前に、演説中の在特会関係者が、「うるさい」と抗議をした老人を暴行した場所である。しかし今日はその前を、「差別をやめよう! 一緒に生きよう!」というコールと「SAY NO TO RACISM」などのプラカードを掲げた一団が、笑顔で通り過ぎていった。
11月22日、パレード『東京大行進2015』が、新宿の中央公園を起点に約4キロに渡って開催された。東京大行進は「差別を許さない。一緒に生きよう」をテーマに、2013年9月から始まった。人種や国籍、ジェンダーその他の偏見に基づくすべての形態の差別に反対するためのもので、今年で3回目を迎える。今回は4つのフロート(梯団)が登場し、それぞれ「I AM THE BEST ?? ?? ? ??」「人種差別撤廃推進施策法案のすみやかな成立を!」「ファシズムを許さない」「Refugees Welcome! Bring The Noise, Tokyo 難民ウェルカム! 騒げ東京!」とテーマを掲げ、音楽やスピーチなどで盛り上げていた。

フロートはそれぞれに違ったカラーを持ち、道行く人達の目を引いていたが、なかでも注目されていたのは「ファシズムを許さない」若者による第3フロート、「YOUTH AGAINST FASCISM」(Y.A.F)だろう。SEALDsが参加し、「憲法守れ!」「安倍は辞めろ!」「民主主義ってなんだ?」の、おなじみのコールを繰り返していたからだ。メンバーの何人かは過去2回の行進にも参加していたが、フロートとして参加したのはこれが初めてになる。アップテンポで新宿を軽やかに駆け抜ける姿に、「SEALDsだ!」などの声が沿道からあがっていた。

しかし同時に、
「彼らは、差別反対って言わないんだ……」
という声も聞こえてきた。そして一部参加者からも「ワシントン大行進へのリスペクトから始まっているのだから、差別反対に絞った方がよいのではないか」「政権批判は、主張がぶれている気がする」などの意見が、パレード終了後にあがっていた。
なぜ差別反対で始まったにも関わらず、政権批判を盛り込んだのか。それに対して、実行委員代表の西村直矢さんは言う。
「これは東京大行進2015がANTIFA(アンチ・ファシズム)のパレード/デモでもあり、現政権が排外主義を内包する極右である以上、反安倍政権の主張が出現するのは必然だと私は考えています。そしてすべての参加者に通底するのは、自らの社会を自ら正し守るというポジティブな意識ではないでしょうか」と。つまり現政権が右傾化にかじを切り続けている以上、その存在を許容していては差別問題も解決には至らない。あらゆる差別に反対するなら、政治の在り方そのものを変えなくては、道が開けないのかもしれない。
そしてもうひとつ、これは私自身も被差別当事者として残念に感じてやまないのだが、今の日本には、差別問題に対して憤りや関心が向かないマジョリティが多数存在する。そんな彼らにいくら「差別はいけないことだ」と訴えても、なかなか響かない。しかし自身の生活と密接している政治についてなら、関心や怒りを持つ人の数はぐんと増える。自分事への関心をきっかけに、日本で起きているレイシズムにも目を向けてもらえたらと、個人的には思う。
「すべての被差別者や支援者が連帯することは、1人が100歩進むのではなく、100人で1歩前に踏み出せることになる。より広い連帯のなかで、在日が抱える差別問題を問い直して行動すれば、運動の幅も広がっていくと思う」
これは今年もパレードに参加していた、上瀧浩子弁護士が第1回の頃に話していたことだ。今年の第1フロート先頭で横断幕を掲げていたのは、反差別を訴え続けてきた民主党の有田芳生議員と、政権与党に反対の立場を取る共産党の池内さおり議員、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ事務局長の伊藤和子弁護士、そして東京レインボープライドの山縣真矢共同代表だった。違う問題に取り組む彼らが一緒に歩くように、より広い連帯をしていくことで、重たいドアをこじ開けることができるようになるかもしれない。

2時間に渡るパレードには約2500人(主催者発表)が参加し、無事に幕を閉じた。しかしながらパレードの最中、参加した児童に向かってモノを投げつける事件が起きている。幸い大事には至らなかったものの、これは立派な犯罪である。子どもをターゲットにしていることも、卑劣極まりない。このような犯罪を未然に防ぐという課題はあるものの、第4回を楽しみにしながら、2016年を待ちたいと思う。

▼朴 順梨(パク・スニ)
1972年、群馬県生まれ。早稲田大学卒業後、テレビマンユニオンに参加。雑誌編集者を経てフリーライターに。主な著作に北原みのりとの共著『奥さまは愛国』(河出書房新社)、『離島の本屋』、『太陽のひと ソーラーエネルギーで音楽を鳴らせ!』(共にころから)など。ヘイト・スピーチに抗うカウンターの姿を追った『秋山理央写真集 ANTIFA アンティファ ヘイト・スピーチとの闘い 路上の記録』に収録された『「私」と秋山理央、新大久保の路上にて』も話題に。