しかし試合は「リコー VS NTTコミュ」は、39-12でNTTが勝利し、「東芝-クボタ」のマッチは47-3と一方的で、ダブルヘッダーにもかかわらず後半は2試合とも負けているためかバックスも守備で走らず、やや気が抜けた雰囲気がスタンドを支配。2試合目の「東芝 VS クボタ」戦では日本代表のキャプテンで、東芝でフランカーを務めるリーチ・マイケルが最初のトライを決めた前半が終わると「雨も強いし、もういい」とばかりに多くの人が席をたった。つまり「記念観戦」の一見客がほとんどだったのだ。
2003年11月にはRIKIXジムを大田区北千束(大岡山)に開設。2005年10月には自身の引退興行として大田区体育館で「NO KICK NO LIFE」を初開催。同年、ラジャダムナン系とルンピニー系のフェザー級王座統一を果たしたアヌワット・ゲオサムリット(タイ)にパンチの強打で2ラウンド3ノックダウンでKO負けを喫するも、最強相手を選んでの完全燃焼に更なる評価を得ました。
プロモーター小野寺力RIKIXジム会長(2014.2.10)
8年4ヶ月ぶり「NO KICK NO LIFE」開催となった2004年2月、大田区総合体育館で今度は後輩の、前・ラジャダムナン・スーパーライト級チャンピオンの石井宏樹(目黒藤本)がムエタイ4階級制覇のゲーオ・フェアテックス(タイ)とWPMF世界スーパーライト級王座決定戦で対戦。ハイキック一発で2ラウンドKO負け、2005年2月の第3回開催では、RIKIXジムから初のチャンピオンとなった愛弟子・田中秀弥が引退試合、シュートボクシングの代表的名チャンピオンのアンディ・サワー(オランダ)にハイキック一発で2ラウンドKO負けを喫しました。この完全燃焼しての引退は選手の理想像となり、今後も選手の感情を受け止め、その舞台に力を注ぐであろう小野寺会長です。
全8試合中、RIKIXジムから4人が出場で1勝2敗1分。目黒藤本ジムから2人が出場で1敗1分。他はフリーのジムが中心です。来年はまた大田区総合体育館から始まる予定。どこの団体問わず、今度はどんなメンバーが揃うかも期待されます。興行も継続化され「NO KICK NO LIFE」も軌道に乗ったと言えるでしょう。
1月7日に起きた「シャルリー・エブド襲撃事件」の後に感じたのと似た感覚だ。あの時は世界中が「Je suis Chralie」(私はシャルリー)と発言したり、プラカードを持つ人がフランスだけでなく、世界に溢れた。私はこのコラムで「Je suis Chralie」に疑問を呈し、私はその立場ではないと表明した。
その後被害者や、敵を主語にした語感に馴染めないこのいい回しが流行した。日本においては「I am not Abe」のように。
ひねくれ者の私は「I am not Abe」にも軽い眩暈がした。「あべ」を苗字にする人以外は誰も「Abe」じゃないことは当たり前じゃないのか。こんな表現のどこに「反安倍」の怒りを詰め込めるというのだ。何百人、否何千人もの人が集会で「I am not Abe」のプラカードを頭上に掲げているようすに、何か違うの思いは増すばかりだった。
やはり、ごく初歩的な語法にのっとっても「Je suis Chralie」や「I am not Abe」はシニフィアンとシニフィエがあまりにも倒錯しているのではないか。それは権力者や抵抗者の意に沿いつつも、裏切りつつも。