ピョンヤンから感じる時代の風〈19〉どうなるウクライナ戦争 小西隆裕

◆ウクライナ戦争の本質を問う

今日、世界の政治はウクライナ戦争を離れてはあり得ない。

ウクライナ戦争がどうなるかで、各国の政治も少なからず、影響を受けるようになる。

それで、この戦争の行方を探る様々な試みがなされている。

この戦争がどうなるか、それを究明することは、この戦争がいかなる戦争か、その本質を離れてはあり得ない。

それについては、これまで多くの人々がプーチン・ロシアによるウクライナ侵略戦争だと思ってきた。

しかし、このところの戦争の進展は、どうもこの戦争が単純なロシアとウクライナの戦争ではないことを教えてくれている。

ウクライナに対する米欧各国による武器の供与、経済的支援とロシアに対する制裁、それに同調せず、陰でロシアを支える中国など非米諸国の動き、そしてそのどちらにもつかず離れずの動きを示す国々、どうやらこの戦争をめぐって世界は大きく二分裂、三分裂の様相を呈してきている。

ここで、米欧、それに日本を加えた勢力がいわゆる旧帝国主義諸国なのは誰の目にも明らかだ。

それに対して、中ロなど非米諸国は、何なのか。これについて、一つは、中ロを後進の新興帝国主義と見ながら、それと結びつく非米諸国を一つの帝国主義ブロックとしてとらえる見方、もう一つは、中ロなど非米諸国を中ロまで含め、一つの非米脱覇権、反覇権勢力と見る見方があるのではないだろうか。

この中ロ・非米諸国に関する二つの見方の違いはどこから生まれてくるのか。それは、主として時代のとらえ方の違いによっているのではないかと思う。前者は、現時代をいまだ帝国主義、覇権の時代ととらえており、後者は、帝国主義、覇権時代の終焉、脱覇権時代の到来ととらえているということだ。

この前者と後者、二つの見方の違いによって、ウクライナ戦争をどうとらえるか、その本質も全く違ったものになる。前者の見方からは、戦争は、先進帝国主義勢力と後進帝国主義勢力による帝国主義間戦争になり、後者の見方からは、覇権か反覇権か、その雌雄を決する戦争になる。

◆現時代をどう見るか

時代分析の基準はいろいろあると思う。

しかし、その中でももっとも規定的なものは、人々の意識ではないかと思う。

人々の意識が転換すれば時代が転換し、時代の転換は、人々の意識の転換にもっともよく現れるようになる。

今、人々の意識の転換でもっとも顕著なのは、米覇権に対する意識の変化だ。

かつては、米国が世界のリーダーだった。米ソの冷戦時代にあっても、リーダーは米国だった。ソ連東欧圏の人々の中でも、それが潜在的にあったのではないだろうか。

しかし、今は違う。

米国が世界のリーダーだと思っている人は、もはや決定的に少数派になっているのではないだろうか。

世界的範囲での自国第一主義の台頭は、偶然的な「ポピュリズム」ではない。確固とした世界史的趨勢になっている。

ウクライナ戦争にあっても、米国によるウクライナ支援の呼びかけに対し、それに従わない自国第一の風潮がヨーロッパだけでなく当の米国をはじめ全世界に生まれているのはそのことを示していると思う。

この時代的転換の時、ウクライナ戦争をどう見るか。

古い帝国主義間戦争と見るのは無理があるのではないだろうか。

◆ウクライナ戦争の行方を予測する

ウクライナ戦争の行方を見定める上で、そのメルクマールとしてよく言われるのは、ロシアとウクライナ双方の武装状況の比較だ。特に、米欧からのウクライナへの武器供与状況がどうなるかで戦争の行方が云々されている。

戦争において、武器が占める比重が大きいのは言うまでもない。しかし、それで戦争の勝敗が決定されるかと言えば、そうではない。戦後、米国が引き起こした戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガン・イラク戦争、等々で米国が勝てなかったのはなぜか。その原因が武装の劣勢にあったのでないのは自明のことだ。それは間違いなく、他国を侵略する者と自国を守る者との意識の違いにあった。

ここから見た時、ウクライナ戦争はどうか。

そこで確認すべきは、この戦争の本質だ。重要なのはこの戦争がロシアによるウクライナへの侵略戦争でも帝国主義間戦争でもないことだ。

プーチン・ロシアは、なぜあの「特殊軍事作戦」を起こし、ウクライナに攻め入ったのか。それについて、プーチン自身、ウクライナの中立化、非武装化、非ナチス化をその目的として挙げている。すなわち、米欧覇権によるウクライナのNATO加盟の促進、対ロシア軍事大国化、ナチス化の推進を止めさせるための「作戦」だったということだ。

だが、ウクライナ戦争の進展は、先述したように、この戦争の持つ意味がそれに留まらず、より大きく広がっているのを示している。米欧日帝国主義覇権勢力と中ロを含む脱覇権勢力間の世界を二分する世界史的な戦いだと言うことだ。

実際、この数年間、米国は中ロを対象に衰退する米覇権を建て直すため、その覇権回復戦略として、「米対中ロ新冷戦」を、二正面作戦を避け、「米中」は公然と、「米ロ」は非公然に敢行してきていた。プーチン・ロシアによる「作戦」は、その米国を二正面作戦に引っ張り出し、覇権対脱覇権の世界的な戦いに決着をつける、そのような目的を持って引き起こされたのではないだろうか。

この目的は、若干の紆余曲折は経ながら、大きなところでは現実化されてきているように思う。そのような視点からウクライナ戦争を展望するとどうなるか。

この戦争が持つこうした本質は、米英覇権のプロパガンダがいかに巧妙であっても、それを打ち破り、ロシアの人々、ウクライナの人々の意識を変えていくと思う。この戦争は、ロシアにとってあくまで正義であり、ウクライナにとって、どこまでも米欧覇権に代理戦争をやらされる屈辱に他ならない。

 もちろん、こうした意識がロシアやウクライナの人々皆のものになるのには時間が必要かも知れない。しかし、何ものもこの戦争の持つ本質をごまかすことはできず、ロシアとウクライナ、そして全世界の人々の意識を欺くことはできないだろう。

小西隆裕さん

▼小西隆裕(こにし・たかひろ)さん
1944年7月28日生。東京大学(医)入学。東京大学医学部共闘会議議長。共産同赤軍派。1970年によど号赤軍として渡朝。現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)
『一九七〇年 端境期の時代』

『紙の爆弾』2023年5月号に寄せて 『紙の爆弾』編集長 中川志大

WHO(世界保健機関)が新型コロナワクチンの接種指針を改定。健康な成人への追加接種を非推奨としました。日本国内では、政府が2020年~21年の間に購入したワクチン8億8200万回分・4兆2000億円の購入に、会計検査院が「算定根拠が確認できない」と指摘。WHOは「効果が低い」ことを理由として挙げており、顕在化するワクチン接種による被害はいまだ認めてはいないようです。もう十分に儲けた、あるいはその目的を一定程度果たしたという判断でしょうか。会計検査院が指摘するまでもなく、日本人全員の8回分とは、狂気の沙汰としかいえず、政府の追加接種推進はその「在庫処分」と言われてきました。

 
4月7日発売! 月刊『紙の爆弾』2023年5月号

なお、本誌前号(4月号)で代表の藤沢明徳医師にインタビューした「全国有志医師の会」はTwitterで、「mRNAワクチンというコンセプトそのものが決定的な過ち」「抗原提示した全身の細胞が免疫による自己攻撃を受ける可能性は医学の常識」と主張しています。WHOの指針改定を歓迎する向きは多いものの、こうしたことを踏まえれば、現在のタイミングでWHOが発表すること自体が「予定通り」だったとみることも可能でしょう。

5月号で重点的に採り上げた「昆虫食」。その背景として、1キロの肉をつくるのに牛は11キロ、豚は7キロ、鶏は4キロの飼料が必要なのに対しコオロギは2キロといった、飼料変換効率をもって説明がなされます。鶏肉も十分に効率の良い食肉といえるものの、ここにきての鳥インフルエンザ騒動。すでにいくつかの指摘があるとおり、検証の必要がありそうです。本当に「肉かコオロギか」なのか。そもそも食料危機とは何かも考えなければなりません。本誌記事に「先人たちが昆虫を食べてこなかったのは理由があるに決まっている」との指摘があるとおり、歴史の中で積み重ねられてきた知見を軽視すべきではなく、同時に私たち個人としても、「食を選ぶ」ことに主体的でなければなりません。

今国会で論戦が繰り広げられている放送法解釈変更問題。安倍晋三政権の言論統制として考えたとき、テレビがターゲットとなったことも、ポイントとして挙げられるのではと思います。テレビは自民党が重視する「B層」に大きな影響力があるメディアです。「サンデーモーニング」や「モーニングショー」といった番組は、決して政権批判で突出した番組ではありません。とくに「モーニングショー」は、いつになったら“報道”をやるのかと呆れるWBCラッシュ。視聴率を目当てにコロナ煽りを加速させたことは、昨年12月号で詳述しています。

そのWBCの間に、岸田文雄首相がウクライナを訪問。世界が停戦に向けて進むべきタイミングで55億ドル(約7400億円)の追加支援とは噴飯ですが、その金も結局は西側の軍需産業に流れるものです。この流れにあっての5月のG7広島サミット。これが日米「核共有」すなわち自衛隊の核ミサイル部隊化を約束するものになると、今月号で“証拠”をもって指摘しています。ほか、企業で進行する新型「マスク・ハラスメント」やベストセラーとなった『安倍晋三回顧録』(中央公論新社)のウソなど、今月号も独自の切り口でさまざまな内容をお届けします。

「紙の爆弾」は全国書店で発売中です。ご一読をよろしくお願いいたします。

『紙の爆弾』編集長 中川志大

最新刊! 月刊『紙の爆弾』2023年5月号

LGBT活動家としばき隊の蜜月はどこまで続くぬかるみぞ〈10〉 森 奈津子

ツイッターのハッシュタグは、デジタル・タトゥー収集には非常に便利なもので。しばき隊系ゲイ活動家・平野太一氏がデモを呼びかけるために作成したタグ「#0925新潮45編集部包囲」をクリックすれば、一発で賛同者のツイートがザクザクヒットする。

その中から、まずは、ハッシュタグを拡散させてデモ参加者を募る活動家のスクショをいくつかご紹介したい。

しばき隊界隈ゲイ活動家、ハスラーアキラこと張由紀夫氏
反差別統一戦線東京委員会こと、不倫相手にあてた愛の「ぱよちんツイート」で有名な久保田氏もやる気まんまん!
しぱき隊界隈と共闘するゲイ活動家・宇田川しい氏もこの通り
しばき隊系LGBT団体TOKYO NO HATEは地図つきツイートでご案内

そして「#0925新潮45編集部包囲」を使ったツイートのウェブ魚拓は、次の二種類が確認できる。

https://archive.is/qEy1b
https://archive.is/aqYUZ

9月21日、しばき隊界隈とLGBT活動家がデモに向けて盛りあがる中、突然、新潮社公式サイトで「『新潮45』2018年10月号特別企画について」と題する社長のコメントが発表された。

新潮社公式サイトの社長声明。よく見ると謝罪してない!(笑)

あーあ。こんなふうに譲歩の姿勢を見せること自体が、反差別チンピラにとっては成功体験となり、よけいに彼らはオラつくようになるのにねぇ……。何度でも指摘させていただくが、始まりは、尾辻かな子氏のほぼデマである要約ツイートであり、だったら、新潮社側は堂々と尾辻氏に抗議すればよいことだ。

ただ、これはよく見ると、お詫び文ではない。そもそも、デマ由来のバッシングに謝罪してあげる義理などないだろうし、安易な謝罪は、歴史ある出版社が似非リベラルによる言論統制に屈したことになってしまう。

朝日新聞の記事にも、これに関しては「同社宣伝部は『世間から批判を受けたことに対しての見解であり、謝罪ではない』としている」との記述があるが、当然のことだ。

◆朝日新聞
新潮45への反発、社内も作家も書店も 社長が異例見解
https://digital.asahi.com/articles/ASL9P5V9HL9PUCLV015.html

新潮社としては、社長声明で騒ぎの沈静化を狙ったのだろう。しかし、反差別チンピラにとっては新たな難癖のネタをゲットしたことになり、火に油をそそぐ結果となった。

23日には、何者かが新潮社近くの看板に落書きをする。「Yonda?」というコピーの上に、「あのヘイト本、」という言葉がつけ加えられ、「あのヘイト本、Yonda?」とされたのだった。

しばき隊系活動家・ゆーすけ氏のツイート。行動が早いねっ!(笑)

あいかわらず、反差別チンピラはやり方が陰湿だ。健全な議論ができないから、このようないやがらせに及ぶ。

このニュースを、ハフポストは次のように報じた。

◆ハフポスト日本版
新潮社の看板に「あのヘイト本、」Yonda?とラクガキ 安藤健二
https://www.huffingtonpost.jp/2018/09/23/shincho-yonda_a_23539497/?utm_campaign=share_twitter&ncid=engmodushpmg00000004

ここで撮影者として紹介されているゆーすけなる人物は、ズバリしばき隊系活動家だ。

作家・宮沢章夫氏のツイートも紹介されているが、このいやがらせ行為を肯定的に評価していて、「なんだかなぁ~」である。

「僕を担当してくれる新潮社の編集者を僕は信頼している。彼らに多くのことを教えられた。その上で、この看板について言えば、批評性の高いアート作品として面い(ママ)と言わざるをえない」

いやがらせも「アート」と呼べば、許される?

宮沢氏もまた、杉田論文をきちんと読んでいないのだろう。ただ、ハフポスト記者氏もさすがに手放しで絶賛は危険だと思ったのか、記事は「なお、看板へのラクガキは器物損壊罪に当たる可能性がある」との一文で締められている。

そりゃ、そうですよね。ハフポストさんもこの騒ぎの扇動の一翼を担ったとはいえ、犯罪行為は肯定できませんよね。そもそも、今後、反差別チンピラのオラつきは、いつ、どんなきっかけで、ハフポストさんに向かうかもわかりませんしねっ!(にっこり)

9月25日、私は思案していた。夜7時から、しばき隊界隈呼びかけの新潮社包囲デモが決行に移される。その後、新潮社が謝罪なり編集者の処分なり「新潮45」休刊なりの措置をとったら、反差別チンピラにますます成功体験を与えることになる。それは絶対に避けてほしいところだ。言論の自由のためにも。

そんな夕方、突然、ニュースが入ってきた。「新潮45」の休刊が決まった、と。

なるほど、いいタイミングだ。反差別チンピラにはデモ中止の時間を与えず、「新潮45」休刊でトカゲの尻尾切り。「デモに屈して休刊」という形にしないためには、この日時での休刊発表がベストだったはずだ。

◆新潮社「新潮45」休刊のお知らせ
https://www.shinchosha.co.jp/news/20180925.html

この数時間後にしばきデモが開催されたわけだが、「新潮45」休刊が発表された後では、反差別チンピラ諸氏の高揚感も大いに削られたことだろう。それを思うと、ついつい失笑が洩れるというものだ。

とりあえず、ここで、デモに参加した反差別チンピラ諸氏のツイートを何点かご紹介したい。

呼びかけ人の平野太一氏。この夏が人生の最頂点であった予感……
「うるさい」という苦情自体が「敵」の策略であるかのようにツイート
古参のしばき隊系活動家も、今では名前の隣にトラメガ(カウンター行為の小道具)と虹とトランス旗。LGBT当事者には迷惑千万!(苦笑)
森に延々と粘着いやがらせをしてLGBT活動家の評判を下げているしばき隊系ゲイ活動家・森川暁夫氏も大活躍?(笑)

元々、「新潮45」は売上からすると、休刊が近い状態だった──という噂も出版業界では流れた。新潮社にとっては休刊にしても惜しくはない雑誌だった、と。事の真偽はわからないが、ありそうな話ではある。

休刊のお知らせにもあるではないか。「ここ数年、部数低迷に直面し、試行錯誤の過程において編集上の無理が生じ、企画の厳密な吟味や十分な原稿チェックがおろそかになっていたことは否めません」と。

結局、しばき隊界隈にとって、「新潮45」に関しては「休刊に追い込んでやった」という勝利宣言にはつながらなかったし、バッシングの先頭に立った平野太一氏も、7月27日の「杉田水脈の議員辞職を求める自民党本部前抗議 」のときほど注目されなかったのである。(つづく)

◎[過去記事リンク]LGBT活動家としばき隊の蜜月はどこまで続くぬかるみぞ
〈1〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=40264
〈2〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=40475
〈3〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=40621
〈4〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=40755
〈5〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=40896
〈6〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=44619
〈7〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=45895
〈8〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=45957
〈9〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=46210
〈10〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=46259
〈11=最終回〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=46274

 

▼森奈津子(もり・なつこ)

作家。立教大学法学部卒。90年代半ばよりバイセクシュアルであることを公言し、同性愛をテーマにSFや官能小説、ファンタジー、ホラーを執筆。『西城秀樹のおかげです』『からくりアンモラル』で日本SF大賞にノミネート。他に『姫百合たちの放課後』『耽美なわしら』『先輩と私』『スーパー乙女大戦』『夢見るレンタル・ドール』等の著書がある。
◎ツイッターID: @MORI_Natsuko https://twitter.com/MORI_Natsuko

◎LGBTの運動にも深く関わり、今では「日本のANTIFA」とも呼ばれるしばき隊/カウンター界隈について、LGBT当事者の私が語った記事(全6回)です。
今まさに!「しばき隊」から集中攻撃を受けている作家、森奈津子さんインタビュー

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

エスカレートする新聞人による政界工作、何が問題なのか? 黒薮哲哉

新聞業界の業界紙『新聞情報』(2023年3月8日付け)が、日販協政治連盟(日本新聞販売協会の政治団体)の新理事長に就任した深瀬和雄氏の集会での発言を紹介している。その内容は、同政治連盟が、内閣府や政界との交渉を通じて、業界の利益を誘導する方向で動いていることを示している。図らずも政界・官界と新聞業界の関係を露呈している。

重要部分を引用しておこう。

 日販協政治連盟設立の目的は、業界に必要な政治活動の実施だが、平成8(1996)年4月に発足して以来、27年にわたり自民、公明両党の新聞販売懇話会所属の議員を中心に、新聞販売業界との連携強化が図られていることは、ご承知と存じる。また、縦の系統会に対し、業界を横につないだ日本新聞販売協会は、内閣府認定の公共活動を推進している。

 一方、本同盟は、行政府に対し再違反制度と特殊指定の重要性周知と、新聞業界にかかわる政策要望が目的だ。最近(のテーマ)は、消費税軽減税率の適用問題だったが、それらを伏せ、国政選挙を応援することが目的なので、全国の会員の声をしっかりと聞き、それを衆参両院議員にお伝えし、国政の場に反映させ、販売店の皆さんが働きやすい経営環境作りにつなげることが、最大の事業理念だと認識を深めた。

出典:株式会社弥生

新聞に対する消費税の優遇措置や再販制度を堅持するために、政界と親密な関係を構築する方向で活動していることを自ら認めているのである。言葉をかえると新聞業界の経済的な繁栄を政治家の手に委ねているのだ。当然、こうした関係の下で、公権力機関と一線を画した報道ができるのかという致命的な疑問が浮上してくる。

◆「中川先生に恩返しをする機会が近づいております。」

日販協が政治活動に着手したのは、1980年代の後半である。国際的な規制緩和の流れの中で、日本でも構造改革の中で再販制度を撤廃する動きが浮上してきた。これに危機感を抱いた新聞業界が政界への接近をはかる。とはいえ新聞社はジャーナリズム企業であるから、表立った政界工作はできない。そこで政界工作の実働部隊として乗り出してきたのが、日販協だった。それを受けて、中川秀直議員(元日経新聞記者)や水野清(元NHK)といった議員が、自民党新聞販売懇話会を設立した。

中川秀直議員(当時)、出典:wikipedia

1990年代に入ると、日販協会は「1円募金」と呼ばれる方法で販売店から政治献金を集めるようになった。献金の割り当て額は、新聞1部に付き1円である。従って例えば3000部を配達している販売店であれば、3000円の献金となる。4000部を配達している販売店であれば、4000円の割り当てとなる。

政治献金の送り先は、経理資料としては残っていないが、それを示唆する記事はある。たとえば1993年5月31日付けの『日販協月報』は、当時の郡司辰之助会長の次の発言を掲載している。

中川先生に自民党新聞販売懇話会をつくっていただき、同時に代表幹事として奔走いただいたおかげて我々の希望や願いがようやく聞き届けられるようになったわけです。現在、業界は多くの難題を抱えております。(略)事業税の特例措置は、手数料の増額や本社の補助金ではまかない切れない程の恩恵を全国の販売店にもたらしておりますが、これも中川先生のお力によるものと言っても過言ではありません。その中川先生に恩返しをする機会が近づいております。

その後、日販協の政治活動は、新たに設立された日販協政治連盟へ引き継がれる。同政治連盟に対して、政治献金を提供してきた事実は、政治資金収支報告書にも記録されている。公然の事実である。

次に示すのは、2021年度の献金実態である。       

◎[参考記事]新聞業界から政界へ政治献金598万円、103人の政治家へばら撒き、21年度の政治資金収支報告書で判明 

◆メディアコントロールの構図

新聞業界が政界工作と縁が切れない最大の理由は、再販制度や消費税の優遇措置の殺生権を政界が握っているからにほかならない。逆説的に考えれば、公権力機関は新聞社の経営上の弱点に着目すれば、暗黙のうちに紙面内容をコントロールすることができる。

このような構図の中で、新聞記者がいくら士気を高めても、志を正しても、公権力にメスを入れる報道は期待できない。ほんのちょっと批判することはできても、取材対象に留めを指すことはできない。

新聞の紙面内容をいくら批判しても、新聞関係者が公権力機関との癒着を断たない限り問題は解決しない。ジャーナリズムの没落は、実は単純な構図なのだ。しかし、この点はタブー視されているので、誰もタッチしない。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』(鹿砦社)

《追悼》わたしにとって別格の存在だった坂本龍一氏との邂逅 田所敏夫

地方都市のベッドタウン、団地に暮らす中学生にとって、ラジオから流れる音楽やそれらを演奏するミュージシャンは、間違いなく「別世界」。都市で開催されるコンサートにでも出かけない限り、直接メロディーを耳にしたり、本人の姿を目にするチャンスは皆無だった。日本のミュージシャンであれ、外国のミュージシャンであれ等距離で「別世界」。レコード屋かラジオ、テレビだけが接点として「別世界」と繋がっている日々の記憶を共有できる読者は少なくないのではないだろうか。

「別世界」の住人はどんな人たちなのだろう。「別世界」ではどんな人間関係が織りなされているのだろう。もう少し年齢を重ねたら、あるいは「別世界」の片隅でも覗くチャンスが訪れるのだろうか。それとも「別世界」は太陽と地球のように等距離を保ちながら、永遠に接点を持つことはないものか。

「別世界」には多種多彩なひとびとが暮らしているのを知っていても、その中で坂本龍一氏は、わたしにとって別格の存在だった。どうして坂本氏がわたしにとって別格の位置を占めるに至ったかの経緯は、この際省こう。でも坂本氏が「別世界」住人の象徴的存在であったとしても、多くの読者は疑問には思われないのではないか。70年代半ばからあっという間に「世界のサカモト」に上りつめた人物、いったい何を言いたいのかほとんど訳が分からなかったが『戦場のメリークリスマス』でデビッド・ボウイと共演し、有名なあの旋律を産み出した坂本氏。

坂本氏のステージではなかったが、たしか矢野顕子のコンサートでキーボードを弾いている姿を目にしたのが、初めてだっただろうか。わたしは大阪の私立大学に通う大学生だった。ステージと客席の間に物理的な仕切はないが、やはりステージ上のミュージシャンと数千人観客の間には、太陽と地球同様の距離があるものだな、と感じた記憶がある。

時は流れて1999年10月10日、千葉県成田市の某ホテルである著名人を囲むパーティーが開催されていた。わたしは当時の職場の同僚二人と一緒に、そのパーティーの末席に座っていた。参加者は200名ほどであっただろうか。ところどころに政財界や芸能界の著名人の姿を確認できたが、予期しないことにいわば主賓席に当たる位置に坂本氏の姿があった。わたしは当時の同僚に「このパーティーが終わったら、わたしが坂本龍一を口説くから」と小声で伝えた。

いったい当時のわたしは何を考えていたのだろうか。しかし、迷いはなかった。パーティーが終了すると坂本氏は数人の政治家や、財界人と歓談していたがやがて会場の外に向けて歩み始めた。わたしは名刺を手渡し手短に自己紹介を済ませると「数分だけお時間を頂けませんか」と坂本氏にお願いをした。坂本氏はきょとんとしながらもわたしの要望に応じて、わたしの「お願い」を聞く時間をわたしに与えてくれた。わたしの要求は乱暴極まるものだった。簡単にいえば「わたしの職場にお越しいただきピアノ演奏をしてください」だ。こんなことをよくぞ誰にも相談もせず急に思い立ち、ずうずうしくもご本人に頼んだものだな、と今になってはあきれ返るばかりだが、あの時のわたしにはそれが不可能には感じられなかった。

坂本氏と筆者

「世界のサカモト」にはタイトなスケジュールが組まれているのが常識で、わたしの依頼は半年強あまり先のこととはいえ、唐突に過ぎるものだ。なんの所縁も、知人もいない、片田舎の大学職員が突然現れてそんな要求をして坂本氏の方がむしろ驚いていたのではないだろうか。即答はなかったが坂本氏はわたしのお願いをしっかり聞いてくれ、後日連絡するからと約束してくれた。

それから坂本氏のマネージャーと幾度かメールのやり取りをして、ピアノ演奏は諸般の事情で難しいが、「全面的に協力をする」との答えを頂いた。太陽と地球の距離が急速に変化した瞬間だった。結果わたしは約1週間近くかなりの時間坂本氏にお世話になることができた。そう多くの時間話をしたわけではないが、下世話な話「ノーギャラ」でわたしのお願いに応じて頂けた。

あれはわたしの空想の時間だったのだろうか。23年が経て現実感は限りなく薄い。しかし空想ではなかった。思い起こせば「何だ!この音響は!」と怒られもしたし、機嫌がいい時には「僕にはフィールドが好きだから、ここの学生さんと一緒にフィールドワークをするのも面白いよね」と持ち掛けてくれたり…。

中学生時代の「別世界」がいっときわたしの人生の実時間と合流した。そこには坂本氏の絶大なご好意があった。

数年前にがんに罹患しても坂本氏は治療時以外仕事を休んでいた様子はない。昨年「これが最後になるかもしれない」とみずから語ったNHKで収録をしたコンサートを世界配信していた。部分的に視聴したがわたしは最後まで、見ることができず、途中で視聴を止めた。

田舎の中学生が憧れた「別世界」を実時間に転嫁してくれた坂本氏が逝った3月28日わたしは強烈な胃痛と体調不良にあえいでいた。わたしの体はときにそのような反応をするのだ。坂本氏のTwitter、Facebookには“January 17 1952-March 23 2023 “ が。

わたしの中に残っていた、アドレッセンスの全史と残滓がMarch 23 2023で完結した。


◎[参考動画]Merry Christmas Mr. Lawrence / Ryuichi Sakamoto – From Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。著書に『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社)がある。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『季節』2023年春号(NO NUKES voice改題)福島第一原発事故 12年後の想い

LGBT活動家としばき隊の蜜月はどこまで続くぬかるみぞ〈9〉 森 奈津子

2018年9月18日、特集「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」掲載の「新潮45」10月号が発売されたが、それをきっかけに健全な議論が始まることはなく、メディアは「新潮45」叩きに終始した。

しばき隊界隈の反差別チンピラがオラつき、マスコミがそれに加担し、政治家や知識人や文化人までが無知蒙昧な大衆と化して新潮社をバッシング。それはまさに、しばき隊界隈に「成功体験を与える」という愚行でもあった。

出版業界で生計を立てる文筆家までがしばき隊に同調したわけだが、彼らは「杉田論文」を読んでいないか、あるいは、読んでも理解できなかったかのどちらかだ。筆で飯を食う身でありながら、なんという体たらく!

しばき隊発の扇動の証拠

そんな中、しばき隊界隈のオラつきゲイ活動家・平野太一氏がまた、「#0925新潮45編集部包囲」なるハッシュタグを作り、デモを呼びかけた。「新潮45編集部包囲」とあるが、実質的には新潮社そのものをターゲットにした政治的行動であり、いやがらせだ。彼がツイートで「(デモの)場所こちら」とリンクしているのは、当時の新潮社公式サイトの求人を含む会社情報のページだ(ウェブ魚拓・https://archive.md/iM6pv)。

新潮社に対する遠回しな恫喝では?

あえて「包囲」という表現を使ったのも、新潮社の社屋を包囲できるほどの人数を集められるというイメージを狙ったものだろう。セコい……(苦笑)。

あいかわらず、やることが陰湿で呆れる。これを見た新潮社の社員は、自分たちだけでなく社屋を訪れたすべての人(作家等のクリエイター、取引先企業の社員、その他の出入り業者)にまで危害が及ぶ可能性があると、不安になったことだろう。

平野太一氏らしばき隊系の活動家は、名前も顔もわからない相手が突然襲ってくる恐怖を、巧みに利用してきた。その事実を世間の方々が把握済みで、彼らがまさに「反差別チンピラ」であることもご存じなら、「新潮45騒動」であそこまで支持を集めることはできなかっただろう。あのような輩を「兵隊」として便利に使ってきた共産党、立憲民主党、社会民主党はいつまで知らんぷりするつもりか。彼らとズブズブの関係の大手マスコミは、いつになったら反省するのか。

ネットも含めた騒動の背後にはしばき隊と呼ばれる運動体があることと、その界隈の活動家がまさに「反差別チンピラ」である事実を把握していた者は、私を含め、この騒ぎを批判した。だが、大手マスコミも加担している扇動の前には、瀕死の虫けらほどの影響もなかった。

あのとき、まさに、新潮社バッシングはピークを迎えていた。尾辻かな子氏のデマツイート(と、あえて呼ばせていただく)から、こんな大騒ぎになったのだから、恐ろしい。大衆とはいとも簡単に扇動できるのだということが、小学生でもこの事例から容易に学びとれることだろう。しばき隊に煽られた人々は、関東大震災直後に「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」との流言飛語に惑わされて無辜の朝鮮人を虐殺した暴徒と同じだ。

ある意味、権威にすり寄るツイート

そんな、まさに四面楚歌の中では、新潮社社員に日和る者が出てきても無理ないことだろう。そして、その「日和る者」が、例の新潮社出版部文芸のツイッターアカウント(@Shincho_Bungei)担当者であった。

この人物は、「新潮45」10月号発売日の9月18日夜、新潮社批判のツイートをリツイートで拡散し、作家等の文筆家やマスコミから、やんややんやの喝采を浴びる。しかし、彼(もしくは彼女)は上司に叱られでもしたのか、RT(リツイート)を取り消し。ところが、そのことで新潮社にまた批判が集まったことから、世間に支持されているのは自分のほうであると確信できたのか、19日午前、新潮社創業者・佐藤義亮の言葉をツイートした。

良心に背く出版は、殺されてもせぬ事(佐藤義亮)
2018年9月19日午前10:46
https://twitter.com/Shincho_Bungei/status/1042228284119953408

続けて、ふたたび、批判ツイートのRTを始めたのである。

私は、この新潮社出版部文芸アカウントの運営担当者がだれであったかは知らないし、今後も知ることはないだろう。会社勤めの編集者ならば、異動もある。現在の担当者も別の人物である可能性が高い。

読者諸氏も同様に、そのツイートをした新潮社社員がだれであるは把握することもないだろうから、私はここで存分に批判させていただく。

まず、新潮社社員であるのなら「新潮45」掲載の杉田論文を読んでないということは、ないだろう。ならば、尾辻かな子氏のツイートが悪意ある要約、悪く言えばデマであったことは、把握していたはずだ。

もし、杉田論文を読んでいなかったのなら、大手出版社の社員にあるまじき怠惰な愚か者であるし、理解できなかったのなら、やはり大手出版社の社員にあるまじき読解力の欠如である。なお、大手出版社の編集者は概して高学歴であり、さらに優秀な頭脳の持ち主であるのが常だ。

はっきり指摘させていただけば、この担当者は杉田論文を読んでいたし、理解できた。悪いのは尾辻かな子氏であり、扇動したマスコミであり、扇動された大衆であると、把握していた。なのに、大衆に迎合し、新潮社批判の暴徒の群れに加わったのだ。

なぜか? 一人でこの四面楚歌から逃れたかったからだ。すなわち、短絡的な小心者。一度はリツートを取り消したことからも、流されやすい気弱な性格がうかがえる。あてこすり的に佐藤義亮の言葉を持ち出したのも、マスコミや文筆業の面々が自分のほうについてくれていると解釈したゆえであり、一人で闘う勇気は持ち合わせないのだろう。まあ、デマと扇動から生じた味方など、かりそめの味方でしかないが。

そもそも、杉田論文も読まずに批判した、もしくは読んでも理解できなかった愚かな方々に応援されて、うれしいか? 出版社社員が? うれしかったのなら、まったくもって、おめでたいことだ。

しかも、やったことは、自分の言葉を使って語ることではなく、創業者の言葉をツイートしたほかは、作家や評論家、ライターのツイートのRTに終始。新潮社の幹部でさえ逆らえない商売相手を盾にしたというわけだ。

さらに、だ。19日のうちに完全にRTをやめたのは、情けなさの上塗りではないのか。上司から叱られたか? あるいは、当該アカウントの運営を外されたか?

上司から叱られたぐらいで引き下がったのなら、最初から一人で正義ぶって自社を批判しなければよい。あの大批判の嵐の中、他の新潮社社員はじっと耐え、沈黙を貫いていたのだ。

アカウント運営担当を外されたのだったら、今度は個人のアカウントで新潮社批判を続ければよい。だが、しなかった。できなかったのだ。自分の名前を出して発言する勇気など、最初から最後までなかったということだ。

ゆえに、自分の名を出して生計を立てている文筆業の者たちの新潮社批判ツイートをRTし、最後まで彼らの背後に隠れていた。なにからなにまでやることが半端だ。だからこそ、精神的オナニー止まりなのだ。

私はそのような者を「腰抜けの卑怯者」と呼ぶ。しかし、この行為を、マスコミ各社は称賛した。

たとえば、こんな調子だ。

◆朝日新聞
新潮社公式アカが批判リツイート 「杉田論文」特集に
https://www.asahi.com/articles/ASL9M4RNNL9MUCVL00R.html

◆ハフポスト日本版
新潮社公式アカウントが「新潮45」批判を怒涛の公式リツイート 「中の人がんばって」の声援寄せられる  泉谷由梨子
https://www.huffingtonpost.jp/2018/09/18/shincho45_a_23531748/?utm_campaign=share_twitter&ncid=engmodushpmg00000004

◆BUSINESS INSIDER
杉田水脈発言擁護は言論の自由ではない── 新潮社を作家や他社も批判、購買や仕入れ中止の動きも 竹内郁子(編集部)
https://www.businessinsider.jp/post-175622

これらの記事を執筆した者は、①杉田論文を読んではいないアホ、②杉田論文を読んだが理解できなかったアホ、③杉田論文を理解できたが、理解できないふりをして集団リンチに加わったアホ、のいずれかなのだろう。すなわち、どう転んでもアホ。嘆かわしい。

新潮社出版部文芸のツイート、リツイートは、ツイッターのサードパーティ・アプリ「ツイログ」にいまだに残っている。このたび、私はこれらデジタル・タトゥーを採取させていただいた。

新潮社出版部文芸ツイログ https://twilog.org/Shincho_Bungei/date-180919

新潮社批判ツイートをした知識人やクリエイターの中には、私の友人や尊敬する知人が何人もいる。個人的には本当に本当に心苦しいかぎりだが、大義のためである。心を鬼にし、ここでスクショを公開する。
 私が大好きな皆様、尊敬する皆様、許してください。私も辛いです……。

デジタル・タトゥー・コレクション。新潮社出版部文芸がRTしなければ、こんなふうに簡単にまとめて採取されることはなかっただろう

(つづく)

◎[過去記事リンク]LGBT活動家としばき隊の蜜月はどこまで続くぬかるみぞ
〈1〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=40264
〈2〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=40475
〈3〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=40621
〈4〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=40755
〈5〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=40896
〈6〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=44619
〈7〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=45895
〈8〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=45957
〈9〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=46210
〈10〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=46259
〈11=最終回〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=46274

 

▼森奈津子(もり・なつこ)

作家。立教大学法学部卒。90年代半ばよりバイセクシュアルであることを公言し、同性愛をテーマにSFや官能小説、ファンタジー、ホラーを執筆。『西城秀樹のおかげです』『からくりアンモラル』で日本SF大賞にノミネート。他に『姫百合たちの放課後』『耽美なわしら』『先輩と私』『スーパー乙女大戦』『夢見るレンタル・ドール』等の著書がある。
◎ツイッターID: @MORI_Natsuko https://twitter.com/MORI_Natsuko

◎LGBTの運動にも深く関わり、今では「日本のANTIFA」とも呼ばれるしばき隊/カウンター界隈について、LGBT当事者の私が語った記事(全6回)です。
今まさに!「しばき隊」から集中攻撃を受けている作家、森奈津子さんインタビュー

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

女子だけのマッチメイク、勝利の女神たちの咆哮! 堀田春樹

注目のタイトルマッチは浅井春香が引分けで2度目の防衛。

◎GODDESS OF VICTORY / 3月26日(日)GENスポーツパレス 16:30~19:56
主催:エスジム、ミネルヴァ実行委員会 / 認定:NJKF

接近戦では浅井春香が首相撲からヒザ蹴りやパンチがヒット

岩上哲明記者試合レポート(一部編集含む)

◆第13試合 女子(ミネルヴァ)スーパーバンタム級タイトルマッチ3回戦

選手権者.浅井春香(Kick Box/ 55.2kg)
        vs
挑戦者5位.MARIA(PCK大崎/TeamRing/ 55.0kg) 
引分け 0-1
主審:センチャイ・トーンクライセーン
副審:多賀谷28-30. 竹村29-29. 井川29-29

試合前、MARIAは「絶対に勝ちます。シンプルイズベスト!」と王座奪取への熱い気持ちをコメント。

試合は第1ラウンド中盤から挑戦者MARIAのストレートパンチがヒットをしたのを切っ掛けに動き出す。チャンピオン浅井春香も返しのパンチや首相撲に持ち込むと、MARIAは首を捻られ一瞬苦痛の表情が出たが難無く攻勢を仕掛ける。

第2ラウンドもMARIAは重いパンチに浅井は首相撲からのヒザ蹴りで勢いを止めに掛かる。浅井のセコンド陣から「打ち合いに行け!」と指示が出てもMARIAのパンチに警戒しているせいか、打ち合いに持ち込めない。

第3ラウンド、浅井はMARIAのパンチを打たせないように首相撲を仕掛けるが、MARIAは掻い潜ってストレートを炸裂。浅井はクリンチに逃げ、最後はお互い首相撲からのヒザ蹴りを仕掛け合って終了。浅井は2連続引分け防衛。

パンチで打ち合う圧力はMARIAが上回った

試合後、浅井春香は「こんなものです、すみません!」と反省の弁を述べながらも、再戦があるならば「次はスッキリ勝ちます!」と語り、セコンドに付いていた鴇稔之会長から、「浅井は肩を痛めていて本調子ではなく、よくドローに持ち込んだ。」と健闘を称えていた。

一方のMARIAは奪取できなかった悔しさを見せながらも再戦必至と考えており、「次は絶対勝ちます!」と互いが必勝を誓っていた。

引分け防衛の浅井春香と王座奪取成らずのMARIA、明暗分かれた瞬間

◆女子フェザー級3回戦(2分制)KAEDEの2.75kgオーバーで中止

ミネルヴァ・スーパーバンタム級1位.KAEDE(LEGEND/ 59.9kg)
        vs
同級9位.寺西美緒(GET OVER/ 56.9kg)

中島稔倫会長は「寺西が試合出来ないのは残念です。今日はメインイベント出場の両選手を研究すると思います。」とコメント、寺西選手は「どちらかの選手に早いうちに挑戦することになると思います。そして王者になります!」と前向きなコメントだった。

◆第12試合 女子54.5kg契約3回戦(2分制)

ミネルヴァ・スーパーフライ級2位.IMARI(LEGEND/ 53.4kg)
        vs
NAO・YK(YK/ 53.5kg)
勝者:IMARI / 判定3-0
主審:多賀谷敏朗
副審:中山30-28. 竹村30-28. 井川29-28

当初の高橋アリスに代わり、引退するIMARIの対戦相手となったNAO・YK。初回、IMARIは左右のパンチを決め、NAOは首相撲で優位に立とうと圧力を掛ける。

第2ラウンドにはIMARIのパンチに対し、NAOもミドルキック、首相撲で自分の流れを掴もうとするが、IMARIが首相撲でも優位に立つ展開。

最終第3ラウンド、IMARIの左右のストレートからのミドルキックが決まるなど優勢が続く。NAOは首相撲や蹴りで対抗するも、IMARIの攻勢を崩せず終了。

IMARIの左ミドルキックがヒット、攻勢を維持してラストファイトを勝利で飾る

試合後はIMARIの引退セレモニーが行われ、マイクで感謝の言葉を述べた後、10カウントゴングが鳴り響いた。IMARIは涙ぐむ表情を見せながらも最後は笑顔でリングを下りた。「いい試合でしたよ。」と声をかけると、「ありがとうございます!」と笑顔で明るく返事をしていた。スッキリした表情だった。

引退セレモニーでの挨拶で次第に涙ぐみながら仲間へ感謝を述べたIMARI

◆第11試合 女子ピン級3回戦(2分制)

ミネルヴァ・ピン級4位.世莉JSK(治政館/ 44.85kg)vs 同級5位.斎藤千種(白山/ 45.25kg)
勝者:斎藤千種 / 判定0-2
主審:センチャイ・トーンクライセーン
副審:中山28-30. 多賀谷28-30. 井川29-29

昨年10月16日、斎藤千種の左ストレート貰った世莉がバランス崩してマットにヒザを着いたところへ斎藤のヒザ蹴りが顔面に入り、世莉JSKは試合続行不可能。当初の斎藤千種のTKO勝利は後日、反則打として失格負けと変更。世莉JSKの反則勝ちとなっていた。

再戦となった今回、初回から両者はパンチを繰り出していく。世莉JSKはやや動きが鈍く、斉藤千種が優勢な展開。第2ラウンドも斉藤の攻勢は続くが、世莉は打ち合いに応じるも、斉藤の左右の伸びがあるミドルキックに苦戦。

最終第3ラウンド、世莉はミドルキックで斉藤を追い込めそうな状況も流れを活かせず、斉藤はミドルキックとパンチで世莉の反撃を防ぎながら攻勢を仕掛けるも試合終了。

試合後、世莉は悔し涙を流していた。セコンドに就いた祥子JSKからは、「世莉は前に行くことが出来なかった。まだ十代ですし、今が底でこれから上がるだけ!」と気持ちを切り替えた様子。友人と会話をして落ち着いた世莉選手に労いの言葉をかけると「ありがとうございます!」と応えてくれた。

斎藤千種のハイキックがヒット、再戦は慎重に攻めて判定勝利を掴む

◆第10試合 女子ライトフライ級3回戦(2分制)

ミネルヴァ・ライトフライ級6位.紗耶香(格闘技スタジオBLOOM/ 49.1→48.98kg)
        vs
YURIKO・SHOBUKAI(尚武会/ 48.8kg)
引分け 1-0
主審:竹村光一
副審:センチャイ29-29. 多賀谷29-29. 井川30-29

初回、紗耶香は得意のパンチで主導権を握りにかかる。YORIKOは組んでヒザ蹴りで出ると、紗耶香も合わせていく展開。

第2ラウンドも紗耶香がパンチで仕掛け、YURIKOは首相撲からのヒザ蹴りで打開しようとするが、紗耶香のパンチの猛攻を防げず、ラウンド終了間際に紗耶香の右ストレートで尻餅をつくがゴングに救われた。

最終第3ラウンド、YORIKOはミドルキックと首相撲でのヒザ蹴りを主体に攻撃の数を増やしていく。紗耶香はパンチ主体で終始進めていくが、YURIKOの蹴りが的確に決まり、勢いが止まることがしばしば。最後は両者共に首相撲からのヒザ蹴りで終了。

紗耶香とYURIKOのパンチの交錯、パンチではやや紗耶香が優った

◆第9試合 女子46.0kg契約3回戦(2分制)

上真(ROAD MMA/ 45.8kg)vs AZU(DANGER/ 46.0kg)
勝者:上真 / 判定2-1(28-29. 30-29. 30-28)

◆第8試合 女子44.0kg契約3回戦(2分制)

AIKO(AX/ 43.55kg)vs Honoka(健心塾/ 43.55kg)
勝者:AIKO / 判定2-1(28-29. 30-29. 30-29)

◆第7試合 女子46.5kg契約3回戦(2分制)

ねこ太(とらの子レスリングクラブ/ 46.3kg)vs aimi-(DANGER/ 45.7kg)
勝者:ねこ太 / 判定2-0(29-29. 30-29. 30-29)

◆第6試合 女子フェザー級3回戦(2分制)

小倉えりか(DAIKEN THREE TREE/ 57.0kg)vs 谷岡菜穂子(GRABS/ 56.9kg)
勝者:小倉えりか / TKO 1R 1:42

静かな展開でスタート。互いに牽制しあう攻防の中で、小倉えりかのローキックを谷岡菜穂子はブロックする際、左膝の内側で受け、バランスを崩しそのまま倒れレフェリーストップ。谷岡はそのまま担架で運ばれた。小倉のローキックをカットした際に、左膝内側付近が陥没した様子。

小倉は試合前からリラックスしていた。セコンドは「勝算はある。必ず勝つ。」と強いコメントがあった。

試合後に小倉からは「勝ちは勝ち。フェザー級でもぜひS-1トーナメントを開催して欲しいです!」と熱望。小倉えりかの言葉には、フェザー級、そして女子キックボクシングを盛り上げたいという熱い気持ちが伝わっていた。

アクシデント的ながら小倉えりかがTKO勝利、谷岡菜穂子は左膝負傷で立てず

◆第5試合 S-1女子48.0kg契約3回戦(2分制)

Marina(健心塾/ 47.5kg)vs Nao(AX/ 47.6kg)
勝者:Nao / 判定0-3(28-30. 27-30. 27-30)

◆第4試合 マチュア女子52.0kg契約2回戦(2分制)

堀田優月(闘神塾/ 50.0kg)vs 松田沙和奈(拳之会/ 50.9kg)
勝者:堀田優月 / KO 1R 0:33

堀田優月は、開始早々にパンチで猛攻、松田沙和奈も返していくが、堀田は左ストレートを決めノックダウンを奪う。松田は立ち上がり反撃するも、再び左ストレートでノックダウンを喫し2ノックダウン制による堀田のノックアウト勝利。
試合後、堀田選手は嬉しそうな顔で「ありがとうございます。爽快でした!」と語り、堀田選手のお父さんも「まだ中学生ですけど!」と話しながらも勝利に喜びの様子だった。

左ストレートで2度のノックダウンを奪って快勝した堀田優月

◆第3試合 女子フライ級3回戦(2分制)

MIKU(K-CRONY/ 50.7kg)vs HIMEKA(LEGEND/ 50.7kg)
勝者:HIMEKA / 判定0-3(28-30. 29-30. 28-30)

◆第2試合 女子スーパーフライ級3回戦(2分制)

響子JSK(治政館/ 52.1kg/6oz)vs 珠璃(闘神塾/ 54.1→53.45kg/8oz)
引分け 0-1(28-28. 28-28. 27-28/珠璃が1.29kgオーバーで減点2含む、グローブハンディー有)

終始、珠璃がパンチで押し気味な展開。響子JSKは蹴りや首相撲で流れを変えようとするが上手くいかず。ドローで終了。

響子は「相手の減点があったから引き分けだったけど、勝たなくてはいけない試合だった。」と反省のコメントを述べていた。

珠璃は押し気味の展開も減点があって引分け、響子は蹴りで出るも優れず

◆プロ第1試合 女子40.0kg契約3回戦(2分制)

沙緒里(ワイルドシーサー前橋関根/ 40.0kg)vs 江口紗季(笹羅/ 36.7kg)
勝者:江口紗季 / 判定0-3(27-30. 27-30. 28-30)

他、プロ試合前にオープニングファイト アマチュア女子4試合有

《岩上哲明取材観戦記》

今回の興行は、第1試合から最終メインイベントまで全選手、関係者全員が興行を成功させようという強い気持ちが感じられました。メインイベントのミネルヴァ・スーパーバンタム級タイトルマッチはドローになりましたが、再戦を観たいという気持ちになり、IMARU選手の引退試合は寂しさより、「第二の人生」を応援したくなるような感情になり、ピン級のランキング戦では再戦の上、先週のジャパンキックボクシング協会興行で新王者になった撫子選手の刺激を受けたのか、両者から勝利への意気込みが伝わってきました。

アマチュア試合の堀田選手はプロ本戦の興行でもなかなか観れない鮮やかなノックアウト決着で会場を沸かせました。

興行が盛り上がるための要因の一つである「ドラマ」が各々の試合に出ていたのは良かったと思います。この興行にはNJKFのランカーであるTAKUYA選手や名古屋のGETOVERのTAKERU選手など多くの男子選手が来場していて、セコンド業務などをこなしながら何かを得ていったことでしょう。

《堀田春樹取材戦記》

浅井春香は2回連続の引分け防衛。昨年5月の初防衛では、鴇稔之会長からの教訓「チャンピオンは防衛してこそ真のチャンピオン」と語った浅井春香。名門・目黒ジムから引き継がれた教えは、勝利での完全防衛の仕切り直しへ再度持ち越された感じです。

しかし、タイトルマッチで3回戦は差が付き難く、女子でも5回戦が必要とも思えました。

しかしプロボクシングでも女子は2分制で、日本タイトル戦でも6回戦とかなり短めで、打撃格闘技においては安全面の考慮がまだ未知数で難しいようでもあります。

前回記事で、次回ジャパンキックボクシング協会(JKA)興行は5月14日(日)市原臨海体育館と書きましたが、正しくは一週遅れの5月21日(日)に市原臨海体育館で開催されます。大変失礼致しました。

当初、5月14日の開催予定だった武田幸三氏の「CHALLENGER」5月興行は中止となっています。

ニュージャパンキックボクシング連盟(NJKF)本興行は当初の予定どおり4月16日(日)に後楽園ホールに於いて「NJKF 2023.2nd」が開催されます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

月刊『紙の爆弾』2023年4月号

《4月のことば》故郷の桜は…… 鹿砦社代表 松岡利康

《4月のことば》故郷の桜は……(鹿砦社カレンダー2023より。龍一郎揮毫)

4月になりました。───
1月(去ぬ)、2月(逃げる)、3月(去る)、あっというまに過ぎました。
季節は春ですが、私たちの気持ちにはまだ春到来とは言えません。

福島原発事故でいまだ多くの方々が故郷を離れることを余儀なくされました。
この季節になるといつも12年ものあいだ故郷を離れて生活しておられる方々のことに胸が痛くなります。

私たちにとっても年々望郷意識が募ります。
若い頃は一日一刻も早く「こんな田舎を離れたい」と思っていましたが、今は少年時代を過ごした故郷の日々が懐かしく想起されます。

私たちは、思い立てばいつでも帰郷できますが、被災地福島(特に立ち入り禁止区域やゴーストタウン化した区域)の方々はそうではありません。

いつも思うのですが、大学の後輩で書家の龍一郎が書く「故郷」の文字は、力強くもあり、それでいてなにか物悲しさを感じさせます。

今年は桜も少し早く咲き、早く散りそうです。

目を外に向ければウクライナ戦争は終息の目処が立たず、国内ではコロナもまだ終息せず物価も上がり続けています。明るさばかりではない今年の春です。

(松岡利康)

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年4月号
〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2023年春号(NO NUKES voice改題)

ロックと革命 in 京都 1964-1970〈06〉裸のラリーズ ”yodo-go-a-go-go”── 愛することと信じることは…… 若林盛亮

◆「裸のラリーズ」脱退

1968年の5月頃、私はバンドを辞めることを水谷、中村に告げた。「同志社学館での出会い ── ジュッパチの衝撃の化学融合」から約半年が経っていた。

それは中村の高校の同窓というドラムの加藤君が入って練習場も桂の彼の家に移った頃、「裸のラリーズ」がミュージシャンとしての本格活動に入る時期でもあった。

その頃、学生運動は佐世保闘争の高揚を経て東大医学部闘争の激化から東大卒業式は祝典中止に追い込まれ、後に東大全共闘結成に至る。中国は文化大革命の真っ最中、パリでは世界を揺るがすフランス五月革命の胎動が始まっていた。

1968年という熱い政治の季節の開始を告げる時期、私は居ても起ってもおれない気持ちだった。

私はミュージシャンとなること、ベースギター練習に打ち込むモチベーションを持てなくなっていた。このままでは本格的にバンド活動を開始するみんなに迷惑をかけるだけ、私は脱退の意を水谷、中村に告げた。彼らは私の意を理解し、それを快く受け入れてくれた。彼らも心に「革命のヘルメット」を宿す人間だった。

辞める時、水谷が「それ僕にくれないかなあ」と言っていた私のお宝、細身の五つボタン、黒のコーデュロイ上着をプレゼントした。ベース・ギターもバンドに譲った。それらは政治転進の私には不要のものだった。

こんな風にミュージシャンとして何の貢献もないまま私は「裸のラリーズ」を去った。

その後の私はデモや政治集会に参加、組織に属さない孤独にもがく日々が続いたが1969年1月の東大安田講堂死守戦で逮捕、起訴後の拘留を経て秋に保釈後、ようやく赤軍派に加入、翌年3・31「よど号ハイジャック闘争」で渡朝に至る。このことは別途、触れるとしてその後のラリーズとの関わりについて少し書いておこうと思う。

2019年、誰知ることもなく逝った水谷孝、その死はHP「Takashi MIZUTANI 1948-2019」の立ち上げで皆が知ることとなった。‘90年代初頭の活動停止後、どこで何をしていたのか、家庭を持ったのかどうかさえ世間で知る人はいない。「裸のラリーズ」だけを遺して神秘に包まれたままこの世からふっと消えた水谷、実に水谷的な人生全うの仕方だ。彼は自分のことを全く語らなかった人だが水谷亡き今、私の知る彼のことを少しでも書き残しておきたいと思う。

◆脱退後、そして「よど号」渡朝後の「水谷と私」

バンドを脱退してからも水谷、中村らとは会えば「やあ、どうしてる」という関係は続いた。

ある日、「ゴールデンカップスにゲバルトをかけよう」との水谷からの召集令状を受けた。相手は秋の同志社学園祭に出演するゴールデンカップス、学生会館ホールでやる前座がそのゲバルト舞台ということだった。

私は誰かにハモニカを借りて出演、黒セーターに黒ジーンズ、赤い布きれをネクタイ風に首に巻き付けた「左翼」スタイル、そして自衛隊の戦闘靴で決めた。この時、琵琶を持って参戦という変わり者がいたが久保田真琴(夕焼け楽団)だったように思う。例によって事前練習も打ち合わせもない「裸のラリーズ」式ぶっつけ本番、私は水谷の即興的な唸るギターに合わせハモニカを延々吹きまくった。文字通りのアドリブ。いつ終わるか果てしもない即興演奏、どう終わったかも記憶にない。

「ゴールデンカップスにゲバルトをかける」 ─ きれいなお決まり音のグループサウンズ撃破の轟音とアドリブ演奏 ─ 自分たちの音楽理念で挑む! これが水谷式のゲバルトだ。ホールの聴衆はあっけにとられたことだろう。ゴールデンカップスが兜を脱いだかどうかは知らないが、前座をわきまえない果てしのない轟音アドリブ演奏はさぞかし「迷惑」ではあっただろう。

「裸のラリーズ」公式アルバムの“’67-’69 Studio Et Live ”の最初に収録の“Smokin’ Cigarette Blues”という曲がある、あれが学園祭でのゲバルト出演、アドリブ演奏であろうとほぼ確信している。この曲を聴くと騒音の背後で唸っているハモニカ風の音が私の記憶の中の感覚、水谷の轟音ギターに応じイメージが膨らむままに吹いていたあの即興感覚が蘇る。水谷が精選したたった3枚の公式音源、その一曲にラリーズの原点、「オリジナルメンバーによる唯一のもの」としてこれを入れてくれたのだとしたら、それは私への水谷なりの「義」なんだろうと勝手に感謝している。いまは確かめる術はないが……


◎[参考動画]Les Rallizes Dénudés – Smokin’Cigarette Blues (Live)

その後は激化一途の政治闘争の渦中にあって水谷、中村らと会う機会はなく、「裸のラリーズ」も私の頭からは消えていった。

渡朝後のピョンヤンで「その後のラリーズ」を知ったのは‘79年の『ぴあ』11月号に掲載されたイベント紹介記事、青山ベルコモンズ「裸のラリーズコンサート」。告知にはサングラスの水谷の写真が! 「おお、まだやってんだ」とアングラバンドとして生き残ってたことが正直嬉しかった。その時は「まあ、細々とやってんだろうな」くらいの感覚だった。

二度目は‘90年代初期? ピョンヤンで会ったテリー伊藤と一緒に訪朝の前衛漫画家・根本敬さんから「幻の名盤」なんとかで「裸のラリーズ」テープ、“’67-’69 Studio Et Live”をプレゼントされたこと。この時も「アングラの名盤に入ってんだ」、そこそこ健闘してるじゃないか程度の認識だった。

そんな私の認識を大きく変えたのは、2000年代に入ってのピョンヤンでの英労働党EU議員、Glyn Fordとの出会い。彼から「貴方達の中にギターやってた人がいるよねえ」と言われて、もしかして私のこと? 日本でバンドやってたことがあると話すと、彼から“Les Rallizes Dénudés”じゃない? 「実は自分の友人にファンがいる」と聞かされた。

これには正直、驚いた。「へえ~、海外にまでファンがいるんだ!」 ── 世界的バンドになったのか! これは仰天の事実だった。以降、G.Fordとは訪朝の度に会うようになり、ネオナチ反対運動をやってる彼の友人、「裸のラリーズ」ファンの依頼ということで私のサインを送ったりするようになった。G.Ford自身はローリング・ストーンズ愛好家、東大留学経験で宇井純とも親交あったという私とほぼ同世代、英プレミア・サッカー同好の士でもある。

[左]Glyn Ford英労働党EU議員(当時)とピョンヤン市内のイタリアン・レストランで会食。[右]随行カメラマンのクリシニコーヴァさん(2009年)
 
LadyGaga“LES RALLIZES……”

世界的支持者といえば、あのレディ・ガガが“Les Rallizes Dénudés”ロゴ入りTシャツ写真姿を彼女のインスタグラムに掲載、知人から送られたその数枚を見たがとてもカッコよかった。超ビッグなレディ・ガガを惚れさせた水谷の凄さを見せつけられた思いだった。

訪朝した雨宮処稟さんからも「ラリーズ初代ベーシストですよね」と言われた。彼女の著書の中にプレカリアートの一人が「部屋を閉め切って布団を被って轟音ラリーズを聴く」話があった。“生きづらい”若者には「救いの轟音」なのだとラリーズの功績を再認識させられた。

労働者ユニオン代表だった小林蓮実さん、派遣で働く彼女の友人にもラリーズ支持者がいるとも聞いた。

2010年代にFさんという「裸のラリーズ」熱烈支持者の女性から手紙やメールでラリーズの詳しい情報を得られるようになり、彼女からの「ロック画報」No.25特集号で「その後のラリーズ」の全貌をほぼつかめ、「水谷の偉業」を知ることになった。そのFさんは‘13年に表参道付近にある「Galaxy ── 銀河系」で「裸のラリーズ・ナイト」を主催、私がメッセージを送ることになった。根本敬×湯浅学対論も持たれ、21世紀に入っても冷めやらぬラリーズ支持者の熱気を感じたものだ。

こうした人々との交流の中で「ラリーズ」公式音源、映像ほか“yodo-go-a-go-go”など非公式音源も入手、ピョンヤンにいる私の中に時間と空間を越えて「裸のラリーズ」が蘇った。

結成50周年の2017年秋には、椎野礼仁さんの仲介でBuzz-Feed Japan、神庭亮介記者の電話取材を受け、私のラリーズ体験を語ったが、それはネット配信されけっこう反響があったと神庭記者から伝え聞いた。

結成50年を経て取材が来る、活動停止後20余年も経たバンドの記事を待つ熱狂的支持者がいる。布団を被ってラリーズを聴くプレカリアートの若者がいる。レディ・ガガがロゴ入りTシャツ姿をインスタグラムに載せる。「裸のラリーズ」サポーターは百人百様だが、バンドは彼らの胸に永遠に生きている。

それもこれも水谷孝のなせる業、偉業だと痛感させられる。

「誰のものでもない自分だけのものを」! そんなバンド「裸のラリーズ」を水谷はこの世に産み遺していったのだ。

◆“yodo-go-a-go-go” ── 愛することと信じることは……

 
”yodo-go-a-go-go”ジャケットに記された「溺れる飛べない鳥は……」の日本語表記と謎のローマ字表記

英国製海賊版とされるアルバム“yodo-go-a-go-go”、でもこれには水谷が関与していると言われている。私は「水谷の関与」を確信している。

確信の根拠は、まずアルバム・タイトルに“yodo-go”を選んだこと、またジャケット写真に「よど号ハイジャック」を想起させる「煙が上がる駐機中の飛行機」を配したことだ。「よど号」メンバーがオリジナルメンバーにいたことは知られているが、わざわざ“yodo-go”タイトルの海賊版を創る物好きはいないだろう。

それにこのアルバムには私が参加したであろう演奏“Smokin’ Cigarette Blues”が収録されていることも水谷の関与を臭わせるものだ。

私が何より「水谷の関与」を確信するのは、アルバムの裏ジャケットに記された「謎のメッセージ」にある。

日本語表記には「溺れる飛べない鳥は水羽が必要」と記されているが、小さなローマ字表記ではそれが“Oboreru Tobenai Tori wa MIZUTANI ga Hitsuyo”と「水羽」を“MIZUTANI”に置き換えてある。これは水谷らしい謎かけだ。

私はこれを「溺れる飛べない鳥」には「水谷」という「水羽」が必要、と解釈している。つまり「溺れる飛べない鳥」のために「水谷」は在る、飛べるかも知れないし飛べないかも知れない、でもせめて溺れないように「水羽」くらいは提供することはできる。それが水谷の「裸のラリーズ」、「飛べない鳥のための革命」なのだ、と。

「愛することと信じることはちがう」、これは水谷の歌詞に出てくる言葉だ。「おまえの言葉の中に愛を探したことは いつのことだった!」とか「いまではおまえを信じることはできない」そして「僕の腕の中におまえは死んでいる」、そんな歌詞をいろんな楽曲で水谷が歌っている。

歌詞によく出てくる「おまえ」は「革命」を指すと評した人がいる。

1969年から‘70年年初冬に同志社放送部のスタジオで収録されたCD“MIZUTANI/ Les Rallizes Dénudés”には轟音ノイズのこのバンドには珍しいフォークっぽい美しくも悲しみをたたえたメロディに乗せて上記のような歌詞がいろんな曲で歌われている。


◎[参考動画]Les Rallizes Dénudés – 記憶は遠い(愛することと信じることはちがう)


◎[参考動画]Les Rallizes Dénudés – Otherwise My Conviction

このアルバム収録時のことをギター参加の久保田真琴が「ロック画報」(ラリーズ特集号)で語っている。少し長いがその頃の水谷を知る上で重要な当事者証言だから引用する。聞き手は、ラリーズ・ファンでもある音楽評論家の湯浅学。

久保田 もう、学校もぐしゃぐしゃな時代でロックアウトされてたんだけど、キャンパスでバタっと出会ってね。……それで、聞いたら、まあ、「つかれちゃった」と。たぶん、学生運動のことでいろいろあったんだろうと思うんだけどね。

湯浅  ……・

久保田 う~ん……だからよど号の事件はいつだっけ?

湯浅  70年の3月31日です。

久保田 ええ~、そうなんだ。じゃあ、もう、よど号が行く前にいったん解散してたんだ。

湯浅  みたいですね。そのあたりに分かれ目がどうもあったらしくて。

久保田 だから、彼はやっぱりミュージシャンを選んだんだな。まあ、そういうことですよ。そう……そうか、私はなんか、頭の中では、あの録音はもう、よど号が行っちゃった後っていうイメージがあったんだけど、違うんだね。

 
水谷の歌うマイクスタンドの前に「赤軍派」のヘルメットがぶら下がってる。場所は京大西部講堂か?

同志社での“MIZUTANI/ Les Rallizes Dénudés”収録直前の1969年は1月の東大安田講堂落城以降、全国の大学のバリケードは警察機動隊によって解体され、拠点を失った学生運動は混迷期に入る。立命全共闘だった『二十歳の原点』の高野悦子さんなど多くの自殺者が出た年でもある。混迷突破をめぐる党派内部の混乱もあって1968年にはあれほど熱かった政治の季節、革命の前途は一転してうすら寒くも暗澹となりゆく時期、しかし余熱はくすぶっていた。

赤軍派はそんな余熱を革命の熱気に換えようという組織だった。ある公演舞台(京大西部講堂?)で水谷の歌うマイクスタンドの前に「赤軍派」のヘルメットがぶら下がってる写真があるが、彼が心を寄せていた可能性はある。でも赤軍派拠点だった同志社キャンパスは久保田の言うように「ぐしゃぐしゃな時代」、水谷に何があったか知る由もないが「つかれちゃった」という状況にあったのだろう。私はこの年のほとんどを安田講堂逮捕後の獄中にあって現場を知らない。

1969年の京都、水谷周辺の時代の空気感、それが水谷の歌う「愛することと信じることはちがう」という季節感なのだろうと私流に解釈している。

それは私にもある程度、想像はできるあの時代のひりひりした空気感だ。

案の定、時代は「連合赤軍の同志粛正」、「中核・革マル戦争」のように新左翼諸党派の「内ゲバ殺人」へと流れていった。革命は何のため? 誰のため? を忘れた革命、党派利害第一、党利党略に翻弄され「いまではおまえを信じることができない」革命に堕ちて行く。

「僕の腕の中にお前(革命)は死んでいる」 ── 水谷はミュージシャンとして「溺れる飛べない鳥のための革命」を自分の使命とし、「裸のラリーズ」で水谷の革命をやる、そう心に決めたのだ。

雨宮処稟さんの著書に出てくる「布団を被ってラリーズの轟音を聴く」プレカリアートの若者は、そんな水谷の言う「溺れる飛べない鳥」の一人なのだろう。

「愛することと信じることはちがう」、それは革命とは言えない。「愛することと信じることは同じ」と言える革命はきっとあるはずだ。あきらめずに地面を掘り続ければ、必ず水は出てくる、私もあの時代を生きた一人、今もそれを追求途上にある。

だから私は“yodo-go-a-go-go”裏ジャケットに記された謎かけのようなメッセージを私に対する水谷の決意表明だと受けとめ、ならば私は私の革命を続ける責任があると肝に銘じる。

「裸のラリーズ」の楽曲で私のイチ推しは“yodo-go-a-go-go”所収の名曲“Enter The Mirror”だ。“’77 LIVE”にも同曲があるが断然こちらがいい、私にとっては珠玉の名曲、「私の裸のラリーズ」だ。

この“Enter The Mirror”を聴きながら「愛することと信じることは同じ」革命を追求する責任が自分にはあるのだということを私は忘れないようにしている。

「鏡よ鏡 天国でいちばんカッコイイのは誰? それは“裸のラリーズ”」 ── 天国にあってもそんな水谷孝であろうことを確信しながら……


◎[参考動画]Les Rallizes Dénudés – Enter the Mirror

P.S.

“Enter The Mirror”にまつわるお話しとして……

水谷との関連でぜひ触れねばならないが収まりどころがないので「追記」にそれを書く。

「オルフェ」という1950年代の古いフランス映画がある。詩人ジャン・コクトーの創った映画だ。私には珠玉の名曲”Enter The Mirror”はこの映画を想起させる。

死より恐ろしい刑罰に美しく毅然と!“死神の女王”(映画「オルフェ」より)

鏡の外は現実の人間世界、鏡の中に入ればそこは「死者の世界」、「死に神の女王」は「鏡の外」の世界の詩人を愛してしまう、それは「鏡の中の世界」では許されない御法度とされる行為、しかし「鏡の中」の法廷で「死に神の女王」は詩人への愛を否定せず自分の愛を貫く、そして「死より恐ろしい刑罰」の待つ刑場へと向かう、毅然と美しく! 

コクトーの詩を好んだとされる水谷、“Enter The Mirror”は「死に神の女王」を意識した楽曲、私は勝手にそう解釈している。私は水谷がこの「死に神の女王」に自分を重ね合わせているのではないかと思えて仕方がない。(つづく)


◎[参考動画]ORPHEE / ORPHEUS (1950) with subtitles

若林盛亮さん

▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)さん
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)
『一九七〇年 端境期の時代』

遠慮・忖度一切なし!《本音の対談》黒薮哲哉×田所敏夫〈06〉日本のタブー「押し紙」問題の本質を探る

◆日本の新聞がおかしいと感じた瞬間

黒薮 思い出すことがあります。日本の新聞がおかしいと最初に思ったのは、20代の終わりです。わたしは20代の大半を海外で暮らしたのですが、日本に帰って東京でアパートに入った、その日に驚くべき体験をしました。ドアを開けると、拡販員がいきなり洗剤を押し付けて「新聞を取ってくれ」と言ってきたのです。こうした新聞拡販を知らなかったので、「これで新聞記者の人は平気なのかな」と思いました。これが日本の新聞はどこかおかしいと感じた最初です。

田所 そこから黒薮さんはライフワークの「押し紙」の取材にとりかかられたのですか。

 
黒薮哲哉さん

黒薮 東京で普通の会社に就職したんです。そこに2年くらい居ましたがバブル崩壊で会社が潰れたので、それからメキシコで、メキシコ日産の通訳をした後、日本に戻り新聞業界の業界紙に入りました。「押し紙」に関わりだしたのはそれからです。

田所 新聞業界の業界紙だから、ど真ん中にいらっしゃった。内部事情が分かりますね。

黒薮 業界団体の中で不正経理事件があって、それを調べようとしたら業界紙の社長さんらがみんなで、「これは取材してはいけない」と決めてしまいました。そこで「それはおかしいのではないか」と言っていたら、クビになったんです。

田所 解雇ですか。

黒薮 解雇されたんです。解雇される前は私の仕事机だけを壁に向けておかれたりしました。

田所 精神的に追い詰める嫌がらせですね。

黒薮 事件を取材して発表したわけではありません。取材しようと少し動き始めただけでした。しかし、解雇されたのでフリーになりました。

田所 それくらい強固にアンタッチャブルな聖域なんですね。黒薮さんが読売新聞から訴えられたのは何年でしたか。

黒薮 2009年です。その時には既に「押し紙」関係の書籍も書いていました。

◆「押し紙」問題追及の先達たち

田所 本格的に「押し紙」の問題を書き始めたのはいつ頃でしたか。

黒薮 最初に記事を書いたのは1997年です。

田所 黒薮さん以前に「押し紙」問題を取り上げているジャーナリストはいましたか。

黒薮 1970年代に清水勝人さんという人がいました。これはペンネームで噂によると大新聞の販売局の人ではないかと言われています。この人が「押し紙」問題を暴いたことがあるのです。月刊誌に書いていたほか現代評論社から『新聞の秘密』という本を出しています。

清水さんが早い段階から「押し紙」問題を暴いているのですが、まったく見向きもされず、完全に無視された感じです。私も「押し紙」問題をかなり深く取材してから清水さんの存在を知ったくらいです。

それから次に、1980年代から沢田治さんという滋賀県の新聞販売店の労働組合の人が中心になって、「押し紙」問題を指摘しました。国会でも80年から85年までに16回にわたって質問がなされています。沢田さんが国会議員に資料を提供していたのです。

国会質問により「押し紙」問題は、解決するかと思いましたが、85年に質問が終了した頃は、景気が非常によくなっていて、販売店も「押し紙」があっても経営が行き詰まることはなく、「押し紙」についての議論がなされなくなりました。次にそれを始めたのが私です。

田所 ちなみに80年代の国会質問はどの党でしたか。

黒薮 超党派です。社会党、共産党、公明党です。

田所 では、野党超党派の質問ですね。

黒薮 超党派でいいところまで追及してくれました。

田所 今はむしろ与党内に地方議員ですが、黒薮さんの理解者がいますね。

黒薮 小坪慎也さんという福岡県行橋市の市会議員です。2020年佐賀地裁で佐賀新聞の「押し紙」を認定する判決が下りました。その時に取り上げたのはどちらかといえば右派系のネットのメディアでした。「押し紙」問題は、なぜか左派系のメディアもタブー視します。何を恐れているのでしょうね。

◆販売店にノルマ部数を強要する「押し紙」

田所 「押し紙」をご存知ない方々にどうして「押し紙」が問題なのか教えて下さい。

黒薮 「押し紙」は簡単にいえば新聞販売店のノルマ部数です。たとえばある販売店の新聞購読者が1000人だったとすると、1000部と若干の予備紙があれば充分なわけです。ところが1000部で十分に足りているのに無理やり1500部を販売店に押し付ける。この場合、500部がほぼ「押し紙」ということです。

 
田所敏夫さん

田所 販売店は新聞社から適性部数に何割増しかの部数を押し付けられて、買わされるということですか。

黒薮 そうです。「押し紙」により、実質的に新聞社の販売収入が増えます。

田所 私たちは購読料を払って新聞を読んでいますが、新聞社に払っているのではなく販売店に払っているのですね。

黒薮 販売店は自分たちのところに送られてきた新聞の購入代金を、新聞社に全部払わなければなりません。新聞社に「押し紙」に対しても請求を起こします。

田所 販売店にとっては負担ですね。

黒薮 大きな負担です。新聞社の側から見れば、「押し紙」により販売収入が増えます。読者の数よりも多い販売数を仮装することにより、新聞の公称の部数(ABC部数)が増えるので、紙面広告の媒体価値も高まるわけです。新聞社は、「押し紙」により、このような2つのメリットを得ます。

田所 100万人の購読者がいる新聞より150万人購読者がいるとされる新聞は、誌面広告の費用を高くとることができる。しかし150万人のうち、実際には100万人しか読者がいないとすればそれは詐欺ですね。

黒薮 それが「押し紙」問題の本質です。ところが販売店が実数以上の部数を仕入れることにより、利益を上げるケースもあるのです。それは新聞の折り込み広告の枚数と、販売店へ搬入する新聞の部数を一致させる基本的な原則があるからです。搬入された新聞の部数が多ければ、折り込み広告の種類が多い販売店では、「押し紙」があっても損をしません。折り込み広告による収入が、「押し紙」で発生する損害を相殺するからです。

田所 一方的に販売店が負担を被るだけではなく、販売店配達実数以上に折り込み広告代を依頼主に請求できるメリットもあると。

黒薮 今はそんなことはないですが、そういう時代もありました。一種の共犯関係です。先ほど述べたように国会質問が終わったのが1985年で、その後、「押し紙」問題が沈静化したのは、折り込み広告の需要が非常に高くなっていたので「押し紙」があっても販売店は損はしなかったという事情があったと思います。日本経済が好調だったからです。ところがバブルが崩壊し、新聞の価値がなくなってくるにしたがって、販売店が今までたくさん仕入れさせられていた「押し紙」が負担になってきた。しかし新聞社としては「今さら何を言っているんだ」という感じで、簡単に「押し紙」を減らしてはくれないわけです。(つづく)

◎遠慮・忖度一切なし!《本音の対談》黒薮哲哉×田所敏夫
〈01〉「スラップ訴訟」としての横浜副流煙事件裁判
〈02〉横浜副流煙事件裁判のその後 
〈03〉禁煙ファシズムの危険性 ── 喫煙者が減少したことで肺がん罹患者は減ったのか? 
〈04〉問題すり替えに過ぎない“SDGs”の欺瞞
〈05〉「押し紙」は新聞にとって致命的
〈06〉日本のタブー「押し紙」問題の本質を探る

▼黒薮哲哉(くろやぶ てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』(鹿砦社)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。著書に『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社)がある。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

田所敏夫『大暗黒時代の大学 消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY007)
最新刊! 月刊『紙の爆弾』2023年4月号