「被曝強要作文」に内閣総理大臣賞を与えるこの国の「人権週間」とは?

12月4日から10日まで「人権週間」であるという。法務省のHPには、

平成26年度北朝鮮人権侵害問題啓発週間ポスター(法務省)

「国際連合は,1948年(昭和23年)12月10日の第3回総会において,世界における自由,正義及び平和の基礎である基本的人権を確保するため,全ての人民と全ての国とが達成すべき共通の基準として,世界人権宣言を採択したのに続き,1950年(昭和25年)12月4日の第5回総会においては,世界人権宣言が採択された日である12月10日を「人権デー」と定め,全ての加盟国及び関係機関が,この日を祝賀する日として,人権活動を推進するための諸行事を行うよう,要請する決議を採択しました。我が国においては,法務省と全国人権擁護委員連合会が,同宣言が採択されたことを記念して,1949年(昭和24年)から毎年12月10日を最終日とする1週間(12月4日から同月10日まで)を,「人権週間」と定めており,その期間中,各関係機関及び団体の協力の下,世界人権宣言の趣旨及びその重要性を広く国民に訴えかけるとともに,人権尊重思想の普及高揚を図るため,全国各地においてシンポジウム,講演会,座談会,映画会等を開催するほか,テレビ・ラジオなど各種のマスメディアを利用した集中的な啓発活動を行っています。皆さんもお近くの催しに参加して,「思いやりの心」や「かけがえのない命」について,もう1度考えてみませんか?」とある。

なるほど、「人権」意識の啓発は確かに意義がある。殊に「個人情報保護法」や「特定秘密保護法」が「人権」侵害の蹂躙を巧みに準備している今日、また隠された放射能汚染により命の危険が身に迫る庶民にとっては、国の横暴から身を守るすべとして「人権」の正しい理解が進むべきだ。

第33回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集(法務省)

◆奴らは無垢な中学生さえも悪用する

と、書き出したのは新聞に不思議な広告を目にしたからだ。

北朝鮮人権侵害問題啓発週間 12月10日(水)~16日(火)」との見出しで横には「日本に帰る! その日を信じて・・・」と書かれたポスターが掲載されている。どこかの拉致問題関係団体か民間右翼が主催するのかな、と思い紹介文に目を通したら、何と法務省がスポンサーの広告ではないか。

その横には「全国中学生人権作文コンテスト」で昨年、内閣総理大臣賞を受賞した中学生の顔写真と作文の要旨が紹介されている。

作文の題は「それでも僕は桃を買う」だ。

記事では「昨年度は、○○(記事では本名)さんの『それでも僕は桃を買う』が内閣総理大臣賞を受賞しました。この作文は、福島産であることを理由に、国籍の違いで差別を受けた自分を投影し、偏見を持たない差別をしない姿勢の大切さを訴えかけています」とある。

中学生はこの作文で一番伝えたかったことして、「福島産の桃が偏見を持たれて差別されていることと実体験と重なり、差別される側の気持ちを知っている身として、この間違いを伝えていかなければいけないと思い、この作文を書きました」と記している。

無知な善意を悪用する政治権力の薄汚さにムカつきを覚える。奴らは無垢な中学生さえも悪用する。

法務省のHPで作文の全文を読んでみた。中学生は心優しい子に違いない。自分が差別された経験から想像を豊かにして「偏見」や「差別」は許されないと考えている。そこまでは間違ってはいない。だが中学生は「差別」と「区別」を混同してしまっている。全くもって仕方のないことではある。大人でも放射性物質の危険性を正しく認識できていない人も多数いるし、テレビ、新聞では放射性物資の「正しい危険性」などほとんど報道されないし、学校でも教えてはもらえないのだから。

年齢が低いほど人間は放射線への感受性が強いこと、現在流通している食物、ここで言えば「桃」の出荷規制基準は1キログラムあたり100ベクレルであり、それは福島原発事故前の汚染濃度の1000倍に相当すること、同時に事故前1キロあたり100ベクレルは「低レベル放射性汚染物」であったことなどをこの中学生は知らないに違いない。中学生の「無知」を謗るのは気の毒だ。

同時に福島の農家への温かい眼差しには何の悪意もないどころか、人間的な視点にあふれている。

だが(もうここで私が繰り返すまでもないが)、福島(福島だけではない、広く東日本)は深刻に汚染されてしまった事実は消し去れない。農家には全く罪がない。いや罪がないどころか農家は明らかな「被害者」だ。「被害者」などという言葉では足りない。物静かで我慢強い東北の農家。彼らの糧である土地を修復不可能に汚染した犯罪者は東京電力とこの国の政府だ。贖われるべきは放射能被害被災地の人々の生活であり、健康だ。中学生が善意で「桃を買う」ことは犯罪を隠ぺいする行為に加担させられているだけであると気が付いてほしい。

東京の駅頭などで地元から持ってきた作物を売っている福島県の農家の方を目にすると、何とも複雑な気持ちになる。心の中で「ごめんなさい」とつぶやきながら目を合わせることができない。こんな関係性を作り出した連中を心底許せないと思う。

◆「拉致問題」解決を「北朝鮮敵視」にすり替えた安倍自民

で、「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」である。

「北朝鮮当局による人権侵害問題に対する認識を深めましょう」とのリードで始まる文章はもうここで紹介したくない。

私は朝鮮民主主義人民共和国の政治が好ましい状態だとは全く思わない。同国は独裁国家であり人権問題が多数存在するだろうと認識している。日本人拉致も重大な犯罪だ。拉致されたご本人、ご家族の苦境は底知れないと思う。

しかし、拉致被害者の家族は明らかに恣意的な勢力に利用されている。私は拉致問題を本気で解決しようと思うなら朝鮮と直接交渉をして、机の下で幾らの金を渡してもいいから人命第一で交渉するしか方法は無いと考えてきた。そうしなければいたずらに時間が過ぎるし、被害者ご当人、家族にとっての心労が増すだけだからだ。

が、安倍を先頭に、拉致被害者家族を取り巻く連中はそうはさせなかった。「拉致問題」の解決を「北朝鮮敵視」にすり替えて、被害者家族を利用し尽した。「北朝鮮は危険な国だぞ!北朝鮮はミサイルを飛ばしてくるぞ!支援なんかもってのほかだ!」と世論を煽り、国会議員の多くは「拉致被害者救出に協力する意思表示」の青いバッチを身に着け始めた。在日朝鮮人、韓国人の人への差別も「拉致問題」をきっかけに極めて悪辣になり、「いい朝鮮人も悪い朝鮮人も殺せ」というプラカードが平然と街を闊歩するようになる。「拉致問題」を政府は軍事化に利用し、民間右翼は更なる「差別」の助長に利用しただけだ。奴らに「拉致被害者の早急な解決」意思など微塵もない。

独裁国家に「圧力」をかけたら意固地になるに決まっているじゃないか。現代の国際紛争や過去の戦争を見れば一つの例外もなく「サンクション」(経済制裁)は当該独裁国の反発しか生んでいない。更に「拉致問題」を米国の力を借りて解決しようと被害者家族を米国議会に送って発言させるに至っては、狂気の沙汰としか表現できない。問題解決を目指すなら決定的な逆効果だ。

かつて拉致被害者家族会の事務局長を務めていた蓮池薫はやがてこのことに気が付き、「家族会」を離れることになる。最近の蓮池さんは「家族会事務局長」当時の憑き物が落ちたように穏やかな表情になり、私同様「北朝鮮を潰しては被害者も返って来ない」との立場から発言されることも多い。

だいたい「人権週間」に税金を使い特定の国を名指しで攻撃する「啓発」などどのように合理的な理由づけができるというのだ。人権問題を抱えた国など世界中にあるではないか。いや、世界を見渡さなくとも「人権週間」に「被曝強要作文」に最高賞を与えたり、特定の国に言いがかりをつけて無駄金を使う国の権力者にこそ「人権教育」がなされるべきだ。しかし、ここまでの「確信的」人権蹂躙犯罪者には「教育」で矯正は無理だろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎《大学異論18》「過激派」は学生でなく今の日本・安倍政権!──京大集会見聞記
自民党の報道弾圧は10日施行の秘密保護法を後ろ盾にした恫喝の始まり

『NO NUKES voice』鹿砦社本領発揮の第2号!

 


自民党の報道弾圧は10日施行の秘密保護法を後ろ盾にした恫喝の始まり

ついに政権権力が牙を剥き出しにメディア恫喝を始めた。自民党がNHKと在京民放テレビ局に対し、選挙報道の公平中立などを求める要望書を渡していたことが11月27日判明した。街頭インタビューの集め方など、番組の構成について細かに注意を求める内容は異例中の異例であり、テレビ関係者からは「編集権への介入に当たる」と懸念の声もあがっているそうだ。

だが、そんな軽いものではないだろうと私は思う。この恫喝は12月10日に施行される「特定秘密保護法」を受け皿に、現与党権力が「選挙中に俺たちに不利な報道をしたら、痛い目にあわせるぞ!わかってるだろうな!」という明確なメッセージを発したと理解すべきである。

「新党ひとりひとり」の山本太郎=参議院議員
「新党ひとりひとり」の山本太郎=参議院議員

毎日新聞によると、「要望書は、解散前日の20日付。萩生田光一・自民党筆頭副幹事長、福井照・報道局長の両衆院議員の連名。それによると、出演者の発言回数や時間▽ゲスト出演者の選定▽テーマ選び▽街頭インタビューや資料映像の使い方--の4項目について『公平中立、公正』を要望する内容になっている。街頭インタビューをめぐっては11月18日、TBSの報道番組に出演した安倍晋三首相が、アベノミクスへの市民の厳しい意見が相次いだ映像が流れた後、『これ全然、声が反映されてません。おかしいじゃありませんか』と不快感を示していた。また要望書では、『過去にはあるテレビ局が政権交代実現を画策して偏向報道を行い、大きな社会問題になった事例も現実にあった」とも記し、「1993年の総選挙報道が国会の証人喚問に発展したテレビ朝日の『椿問題』とみられる事例をあげ、各局の報道姿勢をけん制している」そうだ。

出演者の選定や、テーマ選び、果ては街頭インタビューにまで選挙前に事細かく指示するなど「編集権」への配慮など微塵もなく、明らかな「放送法」違反である。さすが「大企業の利益と戦争をする国造り」だけに熱を入れる安倍政権らしい行為と呆れるほかない。違法行為も不法行為もやりたい放題(解釈改憲)。嘘もオッケー、ねつ造問題なし(オリンピック招致演説で「福島原発の放射能は完全にブロックされています! 過去も、現在も、未来も健康被害は生じません!」と言い放った安倍をまだ読者もご記憶だろう)を旨とする安倍自民党らしい暴挙と拍手を送っておこう。

◆テレビがたれ流す「どちらかと言えば」世論の誘導政治

さすがの無茶苦茶ぶりに日本民間放送労働組合連合会(赤塚オホロ委員長)は11月28日、抗議声明を発表した。

声明では「政権政党が、報道番組の具体的な表現手法にまで立ち入って事細かに要請することは前代未聞であり、許し難い蛮行と言わざるを得ない」として報道への介入を厳しく批判している。当然だ。だが、労組だけで何故、民放各局は抗議をいないのだろうか。

自民党がそんなに気を遣わなくてもマスコミ(特にテレビ)は十分権力者に対して過剰なほど従順になっているようだが、それでもでもまだ奴らには不満なようだ。

争点の分かれる問題について「中立報道」など、どだいありえないのだ。「両論併記」という腰の引けた報道姿勢もないではないけども、過去の両論併記報道のほとんどは結果として政府与党意見への誘導へと導かれている。「原発再稼働」、「消費税」、「解釈改憲」などは問題の性質上、「賛成」か「反対」しか選択肢はありない。あたかも中間の選択肢があるかのごとく、世論調査では「どちらかと言えば賛成」、「どちらかと言えば反対」などという選択肢が恣意的に設けられるが、それ自体が世論の間違った誘導なのだ。

そもそも「報道」の役割は「権力チェック」だ。「権力チェック」を基本スタンスに持たない報道などに存在意義はない。「権力チェック」を行えば、たとえどのような政党が与党であろうが、与党に批判的な言説を中心に据えることが、「公平」の原則となる。

権力は必ず腐敗する。自民党の腐臭など地方に居てもプンプン嫌というほどに鼻をつくし、短期間だったけども民主党だって充分に腐敗したのを我々は目にしたじゃないか。自民党による「要望書」の内容は「報道機関はその本務を捨てて、与党に有利な報道をせよ」と迫っている。このような行為を「権力による悪質な圧力」というのだ。

◆「解釈改憲」は最大級の「違憲犯罪」

自公巨大与党が、やりたい放題の暴挙を続けてきたこの2年間、報道(一部の良心的メディアを除いて)は決して「中立」ではなかった。「特定秘密保護法案」は戦前の「治安維持法」よりも下手をしたら危険な法律であるのに、その危険性を国会審議前からしっかり報道がなされていただろうか。

消費税8%への引き上げは、増税に止まらず物価上昇を引き起こし、弱者を直撃することは明らかだったが、その引き上げを問題にしたメディアがどれだけあったか。新聞は民主党菅政権時代に「軽減税率適応」の裏約束を政権と交わしていたという噂があるが、それを信じてしまうほど、消費税の引き上げに対する報道は腰が引けていなかったか。そして、「解釈改憲」という最大級の「違憲犯罪」こそ報道機関であれば、その存立をかけて言論で挑むべき重大課題だったはずだが、そんな覚悟がどこかのメディアにあっただろうか。

地方紙の中には目を見張る論陣を張るものもあるにはある。『琉球新報』や『沖縄タイムス』、『東京新聞』などには全国紙に比較して余程読むべき記事や論説が目立つ。が、全国紙の凋落は「無残」の極みである。

「あなたが自民党に投票した一票は、『赤紙』になって帰ってきますよ!」
昨年の参議院議員選挙で山本太郎さんが訴えていた言葉はこの選挙にも通じている。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎田所敏夫の《大学異論》
《大学異論18》「過激派」は学生でなく今の日本・安倍政権!──京大集会見聞記

『NO NUKES voice』鹿砦社本領発揮の第2号!
『NO NUKES voice』鹿砦社本領発揮の第2号!

 

読売「性奴隷表記謝罪」と安倍2002年早大発言が歴史と憲法を愚弄する

読売新聞社は、同社発行の英字紙「デイリー・ヨミウリ」(現ジャパン・ニューズ)が1992~2013年、従軍慰安婦問題を報道する際に「性奴隷」(sex slaves)などの不適切な表現をしていたとして、読売新聞の11月28日付朝刊に謝罪記事を掲載したという。

「性奴隷」は事実であるからその表現がそれほど大きな間違いであろうか。一般的に「慰安婦」を英訳する際には”comfort women”が用いられるが、これは「慰安」を”comfort”と直訳しているのであり、英語の語感としては、注釈でもつけないと違和感があるし、正しく理解しにくい。「慰安婦」は実態として「性奴隷」であったわけで、”Slave”が適切性を欠く表現とは思われない。

謝罪記事の中では、「慰安婦問題に関する読売本紙の翻訳など計97本の記事に不適切な表現があったことが社内調査で判明。このうち85本が『性奴隷』に当たる単語を不適切に使用し、政府・軍による強制連行や売春の強要が客観的事実であるかのように記述した記事も12本確認された」としている。

ちょっと待て。「政府・軍による強制連行や売春の強要が客観的事実であるかのように記述した記事も12本確認された」のどこが謝罪の対象となるというのだ。事実ではないか。

これは「謝罪」に名を借りた「慰安婦は無かった」と歴史のねつ造を画策する首相安倍や、右翼連中の主張を後押し、推進するための開き直りに他ならないではないか。読売新聞は「新聞がどこまで翼賛化できるか」の実験をしているようだが、歴史事実までを捻じ曲げないと「翼賛化」の先頭には立てないということか。朝日の「吉田問題」を散々叩いた以上、それに符合する歴史事実は全て歪曲しないと「翼賛化」は担えないということかこの新聞、中には良心的な記者もいるのだろうが、総体としては「市民の敵」でしかない。新聞の名に値するレベルに到底到達していない。嘘をばら撒く歴史改竄主義のアジビラだ。

◆トンデモ過ぎる2002年早大講演での安倍発言

安倍がまだ小泉政権の官房副長官であった2002年、早稲田大学で講演をした。その際安倍は以下のように述べている。

「有事法制を整えたとしてもですね、ミサイル基地を攻撃することは出来ます」

「先制攻撃はしませんよ。しかし、先制攻撃を完全に否定してはいないのです」

(日本に対するミサイル攻撃を準備した)基地を叩くことは出来るんです、憲法上ですね」

「大陸間弾道弾はですね、その、憲法上はですね、憲法上は問題ではない」

「日本は非核三原則があるからやりませんけども、戦術核を使うということは昭和35年の岸総理答弁で、違憲ではない、という答弁がされています。それは違憲ではないのですが、日本人はちょっとそこを誤解しているんです」

「憲法自体を変えるというのは(中略)ちゃんとやらなければいけないと思うのですが、安全保障の問題というのはいつ突然起こるか分かりませんから、解釈を変えておかないとですね、もう詭弁に詭弁を弄していますから、限界なんですよね」

この発言「サンデー毎日」6月9日号でスクープされたが、読売新聞はその時だって何もコメントを発していない。

安倍が首相になるなど、当時は「悪い夢」でしかなかったけれども、その後不幸なことに我々は、奴を2度も首相に頂いてしまった。

第一次安倍内閣では、「防衛庁」が「防衛省」に格上げされた。教育基本法が改悪された。そして安倍は本気で改憲に向かっていたところ、持病で辞任に追い込まれた。

その後自民党政権が崩壊して民主党が政権を取った際、私は大して期待はしなかったけれども、最低「改憲」や「軍事化」への速度が収まるなぁと少し安堵していた。当時自民党の総裁は谷垣。谷垣は宏池会(自民党の中では比較的リベラルとされる派閥)に属する人間で党内での受けはよくなかった。

野党時代の自民凋落が止まらないので谷垣は総裁選挙で出馬すら認められず、安倍が総裁に就任する。暗雲はこのあたりから見えてはいた。

そして民主党の野田政権の「自爆解散」により、安倍自民党が圧勝し、今日の暗黒時代へと続く。

◆詭弁に詭弁を弄す安倍、読売の「愚弄」行為

読売新聞は、万々歳だろう。そして安倍は2002年に早稲田大学の講演で言い放ったように、「憲法自体を変えるというのは(中略)ちゃんとやらなければいけないと思うのですが、安全保障の問題というのはいつ突然起こるか分かりませんから、解釈を変えておかないとですね、もう詭弁に詭弁を弄していますから、限界なんですよね」を「解釈改憲」で強行した。

注目すべきは安倍自身がこの講演の中で、「もう詭弁に詭弁を弄していますから、限界なんですよね」と本音を述べていることだ。

そうだ。「詭弁に詭弁を弄して」きたのだ。詭弁とは「大辞泉」(小学館)によると、「道理に合わないことを強引に正当化しようとする弁論。こじつけ」となっている。

「道理に合わないことを強引に正当化しようと弁論してきた」と自認するのが安倍なのだ。そしてその「詭弁使い」の尻馬を足らと血道を上げてるのが読売新聞だ(「産経新聞は新聞ではない(週刊金曜日社長北村氏)」の見解に私も賛同するので「産経新聞」は議論の対象とはしない)。

安倍や、読売の行為を日本語で「愚弄」という。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

『NO NUKES voice』本領発揮の第2号!田中俊一委員長をおっかけ直撃!

 

橋下市政に「違憲」判決の天誅!──大阪に「偏狭なファシスト」はいらない!

すっかり影が薄くなった小沢一郎が自民党の幹事長時代に記者団に向かって「君たち、『反権力』っていきまいてるけど、この国の権力は国民にあるんだ!何を勘違いしてるんだ!」と怒鳴ったことがあった。当時の小沢は田中角栄の後釜よろしく、土建屋政治の継承者。少なくとも評価に値する人間ではなかったが、今となってはこの恫喝が新鮮に響く。

湾岸戦争(1990年)に90億ドルを支出した小沢にしたところで、立憲政治の根本が「国民主権」にあることは意識されていた、と解釈することができなくもない。無法、乱暴をを働きながらも「建前」としての「国民主権」を否定することは自民党幹事長として許されなかった。

◆「教職員組合に便宜供与を禁じる」条例を成立させた大阪市の「違憲」性

さて翻って毎度、毎度で恐縮だが、大阪市長の橋下である。

11月26日、またしても裁判所から断罪された。今回は教職員組合に「便宜供与を禁じる」条例に基づき大阪市教組に小学校を使わせなかったことが大阪地裁で「違憲」(違法ではない)と認定された。教員が組合活動に学校を使うのが「便宜供与」とする条例自体の違憲性も指弾されたわけだが、この判決も当たり前と言えば、当たり前過ぎる判決である。

学校の教諭が職場で組合活動を禁じられたら、どこで組合活動を行えというのか。工場労働者が工場で組合の会議を開こうとして経営者から「工場を組合活動に使ってはいけない」などと明言したら、労基局は即座に「不当労働行為」として経営者に指導若しくは勧告を行うだろう。

時代の風とは恐ろしいもので、「教職員組合に便宜供与を禁じる」という趣旨の条例が大阪市では成立してしまっているのである。何が「便宜供与」だ。

労組は職場に存在するのであり、そこでの活動を「便宜供与」などと言い換えるのは詭弁でしかない。このような条例は「違憲立法審査権」により本来速やかに廃止されるべき性格のものであるが、橋下のやりたい放題はあまりにもえげつなく、多岐にわたったし、マスコミの応援もあり、こと手の「違憲」行為を2,3年前まで連発していた。

◆橋下市政は「反中央」でなく、ただの「無法」

もっと悪質かつ分かりやすい「違憲行為」に、市職員への「思想調査」があった。これを主導したのは橋下と中央大学教授の野村修也である。野村は弁護士資格も有しているが、橋下と同様に憲法の基礎さえ理解できない人間だ。「政治運動にかかわったことがあるか」、「どの政党に投票したか」などを実名記入の上全職員に提出を義務づける「アンケート」と称する「思想調査」を行ったのである。こんな無茶は民間企業でも余程の独裁経営者でなければ行いないだろうに、マスコミはその当時橋下に対して大した批判も行わず、むしろ後押しとも取れる報道がほとんどだった。野村は今でも平然とマスコミに登場しているようだが、マスコミの諸君もこの大罪人を少しは批判しようとは思わないものか。

前後するが大阪市の労組も情けないことに、知事から市長へと橋下が転じた直後、組合幹部が頭を下げ、橋下に握手を求めに行っていた。「何をしとんねん!このドアホ幹部が!」と頭に来たのを記憶している。

その後、どう考えても「違法」かつ「違憲」な行為を連発する橋下に対して、ようやく反撃が始まる。しかしその間大阪市は教育委員長に民間出身で公募で公立高校の校長も歴任した大ばか者を就任させている。この人物は高校の校長時代に教員が卒業式、入学式の際に「君が代」しっかり歌っているかどうか、口の動きを監視させ人物だ。さらに「平和教育を実践する」として生徒を自衛隊に体験入隊までさせている。橋下の言う「開かれた学校」とは「戦争に」が主語につくことを忘れてはいけない。

大阪は「浪速文化」とか「反東京、反中央、反権力」とか言われることもあるけども、こと行政の内部に限ってはこの数年「無法、無憲法」状態に置かれていたといってもいい。

◆大阪に橋下のような「偏狭なファシスト」はいらない!

前述した教職員組合への弾圧に対して橋下は「労組を弱体化させる意図があれば労使交渉していない」とか「むしろ労働組合法の原理原則にかなっている」などと「バカもたいがいにしとけよ」としかコメントできない言い訳を並べている。この男、気ままに知事から市長へ、そして無意味な辞職で再選挙、さらには「大阪都構想」(大阪ファシズム化構想)が進展しないので総選挙への出馬もにおわせたが、公明党から裏取引の申し出があると直ぐに出馬を引っ込めた。

橋下はことあるごとに「人、モノ、金を大阪に集めて!」と連呼する。で、どうなるのだ? 大阪が人、モノ、金の集積都市になれば大阪市民は幸せになるのか? 朝夕の地下鉄御堂筋線に乗ってみろ。あれ以上人間が乗車できるのか? 大阪(梅田)駅周辺に百貨店や大規模商業施設を乱立させたが、既に大阪駅上の商用施設で閑古鳥が泣き始めているじゃないか。大阪駅前の第一から第四ビルも空室だらけだ。

在特会会長桜井誠と共同で猿芝居を演じた橋下が共同代表の「維新の党」に、間違っても期待などしてはいけない。自民、公明は勿論論外だし、民主だって前科者だ。が、橋下は絶対に許せない。

大阪が必要としているのは橋下のような偏狭なファシストではない。

[関連記事]
橋下・桜井面会はファシスト差別者同志の猿芝居!(2014年10月23日)

▼田所敏夫(たどころ・としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しない問題をフォローし、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心が深い。

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盲導犬オスカー君だけじゃない!呉市の猫連続虐殺事件も犯人はいなかった! 

「週刊現代」11月22日号のスクープ記事が話題だ。今年7月、埼玉県でオスの盲導犬オスカー君(ラブラドール・レトリバー)が飼い主の60代全盲男性と出勤中、何者かにフォークのようなもので背中を刺されたというニュースは日本全国を激怒させたが、同誌の追跡調査によると、実は「犯人はいなかった」というのだ。

この記事は、「現代ビジネス」にも掲載されている。記事によると、警察の大がかりな捜査で犯人がいつまでも捕まらないのは、オスカー君の背中の傷が実は刺し傷ではなく、皮膚病によるものだったからだという。記事には、オスカー君を治療した獣医師も実名で登場し、そもそも治療した際もオスカー君の背中の傷をフォークで刺されたものとは断定しておらず、皮膚病の可能性も十分あると思っていたとコメントしている。日本全国を激怒させた事件で、こんな真相が明らかになるとは驚くばかりだが……。

実を言うと、最近話題になった動物虐待事件の中には、秘かに同じような幕引きになっていた事件が他にもある。広島県呉市の猫連続虐殺事件がそれだ。

◆秘かに終わっていた警察捜査

猫の死骸が見つかった公園

呉市では2012年3月、西惣付町で上半身だけの猫の死骸が見つかったのを皮切りに同8月に1件、同10月に6件、同11月に2件…と同様の事件が断続的に発生。2013年4月までに事件は計26件を数え、週刊誌やスポーツ紙も取り上げて全国的に注目された。所轄の呉署関係者によると、当時は署長が「なんとしても犯人を捕まえろ!」と号令をかけ、この猫の事件は同署の管内で最重要事案という位置づけだったという。

ところが、呉市では昨年7月、LINE上の口論をきっかけに16歳の女子高等専修学校生が元同級生の少女ら16~21歳の男女7人にリンチされ、市内にある灰ヶ峰の山中で殺害されて遺棄されるという大事件が発覚。この事件が大々的な注目を集める一方で、呉署の最重要事案だったはずの猫の事件に関しては、続報をすっかり聞かなくなった。

猫連続虐殺事件の情報提供を求める警察のポスター。捜査本部解散後も放置され、ボロボロに

そこで今年7月、この事件がどんな現状なのか、改めて取材に動いたところ、警察捜査は意外な終わり方をしていたのである。

「昨年4月に26件目の事件があって以来、猫の死骸が見つかった情報提供はありません。一方、野犬が猫に噛みつき、ぐるぐる回していたという目撃情報があったことなどから警察は大部分が野犬の仕業だったと判断し、呉署の捜査本部も昨年6月に解散しました」(捜査関係者)

この相次ぐ猫の虐殺が仮に人間の犯行なら、そのうち大事件に発展するのではないかとも危惧されていた。それだけに本当にこの事件の犯人が野犬なら、ひと安心とも言えるのだが……。

実は地元には、「野犬犯人説」に釈然としない思いを抱えている人もいる。呉市動物愛護センターの佐々木一隆所長だ。

「昨年6月頃、警察からうちに『野犬の捕獲をしっかりやって欲しい』と要請がきたのです。今思えば、警察はあれで事件を幕引きしたのでしょう。ただ、事件が本当に野犬のせいなのかは疑問です。呉は決して野犬の多い地区ではないですから……」

野犬たちがある日を境にピタリと猫殺しをやめるかというと、たしかに疑問だ。筆者は地元で猫の死骸が見つかった現場を見て回ったが、市の中心部に近い公園など、野犬が猫を襲うために出現する場面がイメージしにくい現場もあった。報道によると、7月にあった佐世保の女子高生殺害バラバラ事件では、犯人の女生徒が「事件前に猫を解剖した」と供述しているという。呉市で今後、大変な事件が起きて、実は犯人はあの猫の……などという事態にならないことを願うばかりだ。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

 

塩見孝也『革命バカ一代 駐車場日記』──日本のレーニンのほのぼの革命録

塩見孝也さん──。この人の発するエキスは雑誌や映画、あるいは友人を通じて何度も触れはしていた。ニアミスは過去何度もあった。が、ついに本物の塩見孝也さんにお会いすることとなった。

といっても偶然ではない。先に本コラムで紹介した同志社大学での矢谷暢一郎ニューヨーク州立大学教授講演会(同志社学友会倶楽部主催)の聴衆としてはるばる東京からお越しになっていたのだ。昔お会いしていないにもかかわらずお世話になったことがあったので、そのお礼を述べるとひとしきり昔話に花が咲いた。

丁度鹿砦社から、『革命バカ一代駐車場日記 たかが駐車場 されど駐車場』が発刊されたこともあり、鹿砦社の松岡社長が「自分の本は自分で売りに来い!」と呼びつけたとの説もあるが、真偽のほどは定かではない。もし松岡社長が元赤軍派議長の塩見氏の行動を指図できる人物であるとすれば、これはエライ大事件だ。なんせ塩見氏はかつて「日本のレーニン」と呼ばれた人物だ。レーニンに指示できるのはマルクスぐらいだろう。ということは松岡社長は「日本のマルクス」か? いや、いくらなんでもそれはないだろう。もしそうであれば我々は完全に表層に騙されていたことになる(いや、実はそうかもしれない)。

◆塩見さんなしに生まれなかった70年代「赤軍派」世界闘争の歴史

ともあれ、塩見さんである。20年の獄中生活後、娑婆に出てからの活動ぶりはさすが元赤軍派議長にふさわしいアクティブさだった。朝鮮民主主義人民共和国へ「よど号」ハイジャックで渡ったかつての仲間を訪ねに40回近くも訪朝し旧交を温める。いやそんな穏やかなもんじゃない。田宮高麿さん(故人)をはじめとするよど号グループに触発された塩見さんは「自主日本」という言葉を多用するようになる。当時はきっと何かたくらんでいたに違いない。

また、やはり元赤軍派でアラブに渡った重信房子さんを拘置所に訪ね、癌と闘病中の重信さんとプラスチックの壁越しに手を合わせ、帰路、感極まったという。「赤軍」といっても歴史の中でその主張や行動は随分変遷してゆく。「赤軍派」、「連合赤軍」、「日本赤軍」などの違い、定義をご存じない向きには本書を現代史のテキストとしてお勧めしたい。

実際1970年代、国内だけではなく朝鮮へ、中東へ戦線を広げた「赤軍」の闘争は世界史に確実に刻まれるべきものだ(それがどのような意味を持つかの判断はそれぞれの立場で異なろうが)。塩見さんなしにはそれらの歴史は生まれなかった。

また、左翼陣営のみならず、鈴木邦男さんらとの邂逅から彼は従来の新左翼の枠にとらわれない「パトリ」という概念(用語)を多用するようになる。鈴木邦男さんに限らず、右派へも人脈が広がって行き、その主張も一見「愛国主義者」と見まがう(実際現在の彼の思想にはある種の愛国主義が包含されている)様相を呈し、かつて「国際根拠地論」、「世界革命戦争宣言」を発した赤軍派イデオローグの思想はどうなっているのか?とかなりの論争を呼んだものである。

◆変わってないけど変化はしている

塩見さんは矢谷さんの講演会後の懇親会の席で挨拶をされた。要旨は「現在の日本は非常に危険な状態にある。日本は憲法を守り抜き軍事国家化してはいけない」という極めて穏当な主張だった。

『革命バカ一代駐車場日記 たかが駐車場 されど駐車場』を読むと、なるほど塩見さんの思想とは凡そ社会のほとんどの事象に適応可能なのだということが理解できた。「適応可能」は「解決可能」を意味するわけではないが、駐車場の管理人という職を得てからも彼の思索の中には常にマルクスや社会主義を根底にしたの現状分析や問題意識がある。しかしながら視点はそれだけではない。自然と人間、革命後の男女の性、広くは宇宙の成り立ちにまでを彼は思弁しながら日々の業務をこなしているという。

変わらないと言えば原則がこれほど変わらない人はやはり稀有な存在だ。逆に変わりうると見れば、思想において人間の変化の可能性を体現してもいる(しかし彼は「転向者」ではない)。「変わってないけど変化はしている」のだ。言葉足らずが悔しい。

私が述べるまでもなく彼に対する言説は世にあふれている。実際懇親会の席でも塩見さんに批判的論争を投げかける人が1人ならずいた。近くで聞いていたわけではないが彼は飄々と議論に応じていた。

私が塩見さんの立場で「総括しろ」と言われれば、何事も口にできないような気がする。でも塩見さんはこれまで何度も赤軍派議長としての総括を堂々と語ってきた(勿論反省も含めて)。総括にしてあの堂々ぶりだ。アジテーションはさぞや激烈だったことだろう。

と、構えて読むと拍子抜けする。実に実直。ひたむきに日常に立ち向かう塩見氏の日常が描かれており、微笑ましくさえある。しかしこの人怒らせたら怖いだろうな。

▼田所敏夫(たどろこ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎《大学異論18》「過激派」は学生でなく今の日本・安倍政権!──京大集会見聞記
◎《大学異論19》警察が京大に160倍返しの異常報復!リーク喜ぶ翼賛日テレ!
◎《大学異論20》過去を披歴しない「闘士」矢谷暢一郎──同志社の良心を継ぐ

鹿砦社渾身の最新刊『革命バカ一代 駐車場日記──たかが駐車場、されど駐車場』

安倍「国富喪失」解散──アベノミクス失策の責任を問う選挙へ

安倍首相が衆議院の解散を決定した。「アベノミクスをよりしっかりしたものにするために国民の真を問う。消費税の10%への引き上げは1年8ヶ月延期する」らしい。

先に発表された6-9月のGDPが前期よりさらに悪化し、年間で見れば1.8%以上のマイナス成長になることがすでに判明している。しかし、こんなことは経済に疎い私にすらわかりきっていたことだ。

消費税は1988年竹下政権時代に「社会保障目的税」(全額を社会保障に使う)を謳い3%で課税が始まった。1997年村山政権時代に5%へアップし、民主党政権下で8-10%への段階的増税が自民、民主、公明の3党によってなされ、今春から8%に上がったばかりだ。

経済を冷静に見る複数のエコノミストは、消費税が導入された1989年以降日本は長期にわたるデフレに突入しているという。消費税を導入したものの税収自体は落ち込み、1997年の5%への引き上げの際も、増税前である1996年の国税収入52.1兆円と比較して国税収入が2.7兆円減少している。ほぼ間違いなく今年度の国税収入も前年比減収になるだろう。

導入時、5%への引き上げ時、いずれも国税収入が減収になっている実績を見れば今回の減収も当たり前ではないか。

◆「土建屋公共事業景気」を当て込んだド素人の経済失策

「アベノミクス」とは、財務省が目先の帳尻あわせに消費税増税と合わせ、従来型の箱物、道路整備といった「土建屋公共事業景気」を当て込んだド素人の経済失策で、最初から破綻するに決まっていたシナリオだ。

安倍は「株価が上昇した。民主党政権ではなかったことだ」と自画自賛するが、株価の上昇など庶民には何の関係もない。一部大企業と機関投資家がその売り買いをインサイダーまがいに繰り返し利益を上げているだけのことであり、かといって大企業は利益が上がってもそれを労働者には配分しはしない。内部留保として溜め込むだけだ。しかもそんな大企業には「法人税の引き下げ」をプレゼントしようというのが安倍である。現行法人税の最高税率は35%だが、財務省主税局によれば、この国で35%の法人税を納付している企業の数は「ゼロ」だそうだ。

それでもさらに法人税を引き下げる。消費税は8%に上げた。安倍の読みでは一時の落ち込みはあっても円安による輸出企業の持ち直しと企業の設備投資が勢いを取り戻し、株高とあいまって、つかの間の「バブル」を演出できるはずだったのだろう。本当に浅知恵、救いがたい馬鹿だ。馬鹿は馬鹿でいいけども、そんな輩はその辺りの飲み屋で愚痴を言いながらクダを巻いていればいいのだ。まかり間違っても権力者になんてなってはならない。その能力がないのだから。

戦後歴代、ろくな政治があった試しはないけども、その中にあって中曽根、岸に匹敵する悪党に安倍を並べなければならないだろう。

◆「徴税=富の再配分」という大義の破綻

どだい、1億3千万の人口でここまで商工業中心に経済発展して一時は世界2位の経済大国になった日本の豊かさとは一体何だ? 我々は世界有数の豊かな暮らしと生活を享受しているか? 逆だろう。

かつて、それが幻想であっても「1億総中流」と言われた時代があった。焼け跡貧乏の中から経済発展を遂げた日本には消費税はなかったし、所得税の累進税率の最高は75%だったが、今は最高が40%だ(高額所得者ほど今より多くの所得税を納付せねばならなかった)。健康保険も本人は負担ゼロ(今は3割)、73歳以上は医療費完全無料だった。もちろんその当時だって格差はあったし、食い詰める人もいたけども、今日のように大学を出ても正規雇用の職が得にくく年収200万円代が精一杯と言うような惨状ではなかった。「富の再配分」は今に比べれば余程公平さが保たれていた。

このような構造的な庶民の貧困化は偶然起こったことではなく、小泉、竹中らが「雇用の多様化」と言いながら派遣労働の大幅緩和を行ったことと直結している。企業は使いたい時に、使いたいだけの労働力を確保すればよい。要らなくなれば即雇い止めだ。また労働組合の実質的解体(連合の結成)=御用組合化により資本家、経営者へ労働者が対抗軸を失ったことも大きく影響している。最近行われた消費税に関する有識者会議で消費税の10%への再引き上げに連合の会長は賛成していた。もはや労組とは呼べない。

忘れられがちだが、東京都知事のねずみ男が厚生大臣時代に発覚した年金問題も国民には深刻(いや、もう諦めるしかない)だ。ねずみ男は「3年以内に完全に解決する」と大ぼらをふいたが、失われた年金記録の照合作業は、現在もまだ終わっていない。

「社会保険庁」を「日本年金機構」と名前を変えたって、問題が解決するはずがないだろう。失われた年金記録問題も深刻だが、年金の原資自体が確実に枯渇しつつある。政府は国民にこっそりと年金の原資を株式運用などに使える制度を導入しており、この運用は選挙などの際に恣意的に行われている(PKO=Price Keeping Operetionとも呼ばれる)。

そんな投機的に年金原資を使っていいはずがないだろう。現に国民年金や介護保険の徴収額が上がっているのに、年金支給額は下がっているではないか。今50代後半の世代まではかろうじて持つかもしれないが、それ以降の世代の方々は「年金は払ったけど貰えない」覚悟をしておいたほうがいい。政府の約束と私の予想どちらが当たるか、それは読者の皆さんの判断に任せるが、私の試算(人口減、税収の低下、国債の払い戻しなどを勘案すれば)では年金はほぼ確実に破綻する。

そのことについて安倍は一言でも言及しているか。奴の披瀝する「アベノミクス」などまったく何の意義もないものだったことはもはや自明だ。さらに今日の経済は大企業がいくら収益を上げようとも、それが労働者や社会に還元されないと言う特徴を持つ。大企業に勤務している方々は「私は大樹に寄りかかっているから」と安心しているかも知れないが、その幻想だっていつまでも続くものではない。韓国のサムソンを見れば明らかだ。寡占大企業は多国籍金融のターゲットとなりその餌食になっていくのだ。

はっきり申し上げれば、安倍は何ひとつ経済を安定化させ国民生活に資する政策を行っていない。異論があれば聞きたい。

今日、私は敢えて安倍の政治的な悪辣さには一切言及していない。

素人の私が見るだけでも、安倍が「真を問う」とする経済政策は無残極まりないものだ。

 
▼田所敏夫(たどろこ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎《大学異論18》「過激派」は学生でなく今の日本・安倍政権!──京大集会見聞記
◎《大学異論19》警察が京大に160倍返しの異常報復!リーク喜ぶ翼賛日テレ!
◎《大学異論20》過去を披歴しない「闘士」矢谷暢一郎──同志社の良心を継ぐ

 

闘う心理学者、矢谷暢一郎さんの書き下ろし最新刊『日本人の日本人によるアメリカ人のための心理学━アメリカを訴えた日本人2』

 

《大学異論20》過去を披歴しない「闘士」矢谷暢一郎──同志社の良心を継ぐ

11月9日、同志社大学学友会倶楽部の主催でニューヨーク州立大学教授、矢谷暢一郎さんの講演会「新島襄の良心と今日のアメリカ」が行われた。前日の「浅野健一ゼミ」にもゲストとして登場され、連日の講演ながら会場には同志社大学卒業生を中心に約200名の聴衆が集まった。

矢谷さんはベトナム反戦運動が燃え盛る中、同志社大学で学友会(全学自治会)の委員長として活躍し、京都府学連委員長も経験されている。いわば同志社大学学生運動の花形だ。

私自身は矢谷さんと面識はなかったが、何人も知人を介せば必ず行き当たる、いつかはお会いしたい方だった。講演前に昼食をご一緒させて頂いた。面構えはジェントルマン、隠岐の島ご出身とのことで特有の語り口をなさる。受け答えは軽妙、気さくで優しい方だ。

講演の内容は矢谷さんが米国当局に不当逮捕された「ヤタニ・ケース」も含めて、米国でのご経験から現在日本の危険な状況、特にアジア諸国への侵略視点を失って80年代以降の繁栄を享受してしまった過ち、更には福島原発事件で日本が国際的に「加害者」となった。など卓越した視点から今日の日本、世界の危機を鋭く浮かび上がらせる内容であった。そのエッセンスは今月、鹿砦社から発刊された『日本人の日本人によるアメリカ人のための心理学』にもおさめられている。

矢谷暢一郎(やたに ちょういちろう)ニューヨーク州立アルフレッド工科大学教授(心理学)。同志社大学在学中の1960年代末、学友会中央執行委員長としてヴェトナム反戦デモの指揮をとった

◆米国を揺るがした「ヤタニ・ケース」

先に触れた「ヤタニ・ケース」は、米国全土を揺るがした大事件だ。

「ヤタニ・ケース」は1986年、矢谷さんの過去に因縁をつけた米国当局が当時、ニューヨーク州立大学講師だった矢谷さんを海外の学会から米国に戻った際、空港で逮捕したことに端を発する。これに対し、オノヨーコをはじめ多数の支援の輪が広がり、ついには米国議会の公聴会に矢谷さんは呼ばれることとなり、米国の法律がこの事件を機に変更を余儀なくされたという前代未聞の大事件だ。矢谷さんは望んでこのような闘争に引き込まれたのではなく、あくまで米国による嫌がらせに端を発している事件である。

講演は「ヤタニ・ケース」への言及も含め、独自の語りと内容の深さに於いて極めて卓越していた。矢谷さんが大学教授となった今も、立場は異なれ「闘い」を放棄していないことの宣言のようでもあった。

しかしこの日、私にとって最も印象的かつ胸に迫ったのは「質疑」の時間だった。矢谷さんは講演の中でも自身がかかわった運動で、「運動にかかわった為に後輩が命を落とすことになった。せめてその落とし前として大学を卒業しないこととした」と語られていた。それに関連してた問いが投げかけられた。

「あの当時の運動が内ゲバなどを引き起こしたことの原因は私達自身の中にあるのではないか」

質問者はたしかこのような趣旨を聞かれたと思う。矢谷さんは檀上でしばし黙した。2、3回軽く肯いたようにも見えた。絞り出すようにして一言、「そうだと思います」とだけ答えた。矢谷さんが黙している間に会場からは「そんなこともうどうでもいいだろう!」、「未来をみろよ!」などいくつかの声が交錯した。

質問者が問いを発してから、矢谷さんが「そうだと思います」答えるまでの数十秒、自分が何の関係もないはずなのに、私は自身に矢のような質問を突き付けられた気がして気脈が乱れた。「そうだと思います」と答えた矢谷さんの目には涙が溢れていた。自分の責任から逃げない。過去から逃げない。後悔した過去を軽く忘却しない。闘う人間の誠実な心が「そうだと思います」たる短い答えに凝縮されていた。ああ矢谷さんはあの人に通じているんだな、と姓を同じくする私の先輩を思い出した。胸が熱くなった。

◆良心を継ぐ者たち

矢谷さんはこの日の講演でご自身が学友会の委員長や府学連委員長を経験された「事実」は語られたけれども、それを自負したり、自分が如何に闘ったなどは一言も語られなかった。「責任者になったものは責任を取らんといかんのです」と述べられただけだ。あの先輩もそうだった。矢谷さん同様、学友会委員長、府学連委員長に就き、学内で学生による殺人的なリンチを受け瀕死の状態になっても「あくまで学内問題です。後は任せてください」と病院で語り警察の大学介入を断固阻止した田所伴樹さん(故人)。

加害学生を裁く法廷に証人として呼ばれたが「宣誓」を拒否し、被害者が逆に逮捕されるという歴史に残る闘いを貫いた田所さん。警察権力・国家権力の大学介入を身をもって阻止した彼も、こちらが余程酔わせても滅多に「昔の話」には乗ってこなかった。

『日本人の日本人によるアメリカ人のための心理学』では、矢谷さんが敬愛した藤本敏夫さん(故人)への思いが綴られている。加藤登紀子さんのお連れ合いであった藤本敏夫さんも、矢谷さん、田所さんと同様、学生運動経験者の中で知らないものはいない。矢谷さんと藤本さんは、藤本さんと田所さんがそうであったように、頼れる先輩を持った共に重責を苦悩する若き闘士だったのだろう。

威勢のいいデモやアジテーションの話なんて彼らはそうそう簡単にはしてくれない。「わしらの若いころはな!」と口角泡を飛ばし懐古趣味を語る老人にはない迫力がその沈黙の中にある。久しぶりに本物の「闘士」に出会った気がした。私の知る「闘士」は皆優しい。

▼田所敏夫(たどろこ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎《大学異論18》「過激派」は学生でなく今の日本・安倍政権!──京大集会見聞記
◎《大学異論19》警察が京大に160倍返しの異常報復!リーク喜ぶ翼賛日テレ!

 

 

闘う心理学者、矢谷暢一郎さんの書き下ろし最新刊『日本人の日本人によるアメリカ人のための心理学━アメリカを訴えた日本人2』(鹿砦社)

 

《大学異論19》警察が京大に160倍返しの異常報復!リーク喜ぶ翼賛日テレ!

11月13日、先の記事で私が予想した通り、京都大学への「反動」攻撃が始まった。学生寮である熊野寮に、多数の公安警察と160人の機動隊(日本テレビによる)が捜査の名の下「侵入」した。

捜査令状は11月2日東京のデモで公務執行妨害で逮捕された学生の捜査を口実にしているようだが、公務執行妨害は、計画的犯行に適応されることは稀であり、仮に学生が警察の主張通り機動隊をデモの際に引っ張ったり、押したとしても、そんなものを計画した証拠などある道理がない。第一公務執行妨害程度の嫌疑で京都府警ではなく、警視庁が出動してくるのはかなり異例の事態だ。

◆屈辱の暴走──警察が学生を引きずり倒す違法行為

そもそも、至近距離から逮捕の状況を撮影したビデオを見ると、明らかに警察が学生を引きずり倒している。これは公務執行妨害ではなく、特別公務員暴行陵虐罪(警察官などの暴行を裁く法律、最高刑は懲役7年)に該当する行為ではないのか。

京都府警公安2課の井上裕介が京大内で取り押さえられたのが、警察には耐え難い屈辱だったことの反証だ。

でも、私が驚いているのは警察の行動ではない。世には「暴力団」と呼ばれる集団があるが、詳細に分けると2種類に区別できる。民間人で構成され時に「ヤクザ」と呼ばれる人々と、公営(税金で賄われた)の「警察官」と呼ばれる連中だ。「ヤクザ」は時に包丁を持っているだけでも銃刀法違反で逮捕されるが、警察官は拳銃を携行していても決して捕まらない。

民間の「ヤクザ」は常に悪事を働くと報道され、多くの市民は恐れているのに対して、公営の「暴力団」である警察官は常に「正義の味方」であるような誤解がある。だが、民間・公営双方組織の原理原則は変わりはしない。それは「暴力と恐怖」による支配だ。警察官が暴力的であるのはヤクザが刺青をしている程度に普通の事なのだ。

◆30年前の「化石」映像を流し、「現場は混乱」と叫ぶ日本テレビの「狂気」

私の暴論は平安な暮らしをしている善男善女の皆さんには奇異に聞こえることだろう。

だが、削除されない限り下記の映像をご覧頂きたい。

◎「速報 京都大学の熊野寮に家宅捜査入る!」(2014年11月13日)

これは日本テレビで流された映像だ。熊野寮前からの中継映像も含まれていた。中継映像の中でアナウンサーは「たくさんの公安の方が」とか「機動隊の方々が」あるいは「部隊の方々」と敬語用法上明らかに誤った発言を繰り返していた。

公安や警察官、機動隊はそれ自体が職務の名前なので余程の敬意を払う時以外には「公安警察」、「警察官」、「機動隊(もしくは機動隊員)」と呼ぶのが妥当だ。が、このアナウンサーは本心を吐露してしまったのだろう。それはどういうわけか通常では事前に知る由もないガサ入れ現場に、事前から待機していた日本テレビを含むマスコミ各社の人間の共通した声かもしれない。警察=「善」、学生=「不届き者」と いう救い難く、理に堪えない低劣思考である 。

私はマスコミが警察のリークにより、ガサ入れが行われることを事前に知っていたと確信する。

そして、アナウンサーは「現場は大変混乱しています」とも繰り返した。それは当たり前だろう。例えば、貴方の家にいきなり数十人の暴漢達が訳もなく侵入しようとすれば、普通はドアを開けないだろう。それでも暴漢達が怒号を発しながらドアを開けようとすれば、内側からドアを開けられまいと必死で抵抗するのではないか。

その光景をテレビが中継していて「現場は大変混乱しています」と報じられたら貴方はどう思うだろう。「混乱」を引き起した責任が貴方(若しくは双方)にあるような報道をされても平然としていられるだろうか。アナウンサーが「暴漢の方々が次々と集結しています」と報じられた日にゃ、テレビを蹴飛ばしたくなりはしないか。

日本テレビのアナウンサーが熊野寮前から中継で発した言葉は、提示した例と何変わらぬ光景である。狂っていると思う。

そして、その光景を如何にも深刻そうな顔をして覗き込んでいるコメンテーターの中に元防衛大臣森本敏の姿があるではないか。自民党をこよなく愛し、改憲の必要性や日本の軍事大国化を熱心に説いていた森本は民主党政権からお声がかかると、これ幸いと防衛大臣のいすに収まった人間だ。

こんな軍国主義者(かつ変節漢)をコメンテーターとして出演させる番組の司会は「原発が止まったら江戸時代に戻っちゃうじゃないですか」と発言した宮根誠司だ。こんな連中からまともな(少なくとも中立な)コメントがなされる道理がない。宮根が何の恥じらいも反省もなく司会を務める番組は、中継映像の後に30年前の三里塚闘争(成田空港建設反対闘争)の際の映像を流し、学生たちがあ たかも現在も暴力行為を続けている集団かのように宣伝した。

「アラー怖いわね」と事情を知らない視聴者はまたしても権力の思う壺、「学生は過激派だから仕方わ」と世論誘導されてゆくのだろう。しかし、見逃してならない事実がある。日本テレビは、学生の一部が所属する組織の暴力性の証として約30年前の事件を提示することしかできていない点だ。30年前に学生は生まれていなかった。そしてそれ以降、彼らの一部が属する組織が「暴力的事件」を起こしているのなら日本テレビは必ず最新の事件を使ったに違いない。しかし、そのような映像は準備できなかった。なぜならそれ以降マスコミが喜ぶ「暴力事件」自体がないからだ。

私はテレビを見ない。この習性はかれこれ30年ほどになる。今まで人に勧めたことはない。でも今日はそうしてもいいかな、と少し感じている。

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▼田所敏夫(たどころ・としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しない問題をフォローし、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心が深い。

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《大学異論18》「過激派」は学生でなく今の日本・安倍政権!──京大集会報告

10月12日正午から京都大学で「11・12抗議行動実行委員会」主催による「全学緊急抗議行動」が行われた。京都大学全学自治会同学会が中心となり、様々な大学の旗や団体の旗がはためく集会だった。

◆制服姿の高校生も長時間、耳を傾けた

同学会の学生諸君にお目にかかるのは初めてであったが、現在、日本や世界についての状況分析からデモにおける学生の不当逮捕、それに続く京大への公安警察侵入を捕捉した意義と問題点などが基調演説で語られた。うんうん。最近の現役学生にしては非常によく勉強しとるわい、と感心させられる(こんな表現は失礼か)。続いて各団体の発言となり、熊野寮や学部自治会、まるっきりの個人からの発言も相次いだ。学生だけでなく労働団体や市民団体も参加していた。

ざっと見渡したところ参加者は主催者発表で300人、警察発表で70人というところであろうか。印象的だったのは制服姿の高校生が長時間集会に耳を傾けていたことだ。

京大全学自治会が所属する「全学連」委員長も駆けつけており、強い調子のアピールを行っていた。別の学生は「今日もこの中に公安がいると思いますけど」と冗談交じりに発言した。私の後ろにはちょと怪しいスーツ姿が2人いたが一瞬彼らはたじろいだように思う、勘違いかもしれない。

京都大学で11月12日、不当逮捕と公安の侵入に抗議する「全学緊急抗議行動」が開かれた(筆者撮影)

◆学生に「過激派」のレッテルを張る国家こそが究極の過激組織

そして私は思いを巡らした。目の前で発言する学生は「戦争に向かう安倍政権を許せないし、それに対抗する学生を逮捕する弾圧は許せない」、「日米ガイドライン見直しと特定秘密保護法の施行が迫っている。この国は戦争に向けてまっしぐらだ」、「なぜ、大学との約束を破り大学に潜入した公安を拘束したのが『行き過ぎ』と言われて、なんの暴力も振るっていないデモ参加者を引きずり倒して逮捕するのが正当化されるのか? 『過激派』だからというが、どっちが過激なのか?」と。

最後の発言は、ここ20年ほど私の頭の中で行きつ戻りつしてきた疑問でもあった。警察や公安調査庁は「過激派」、「極左暴力集団」と呼ぶけれども、ゲバ棒どころかヘルメットすら被らなくなった、彼らのどこが一体「過激」なのだと。私は特定党派の擁護をしているのではない。むしろ彼らにはある種の歯がゆさすら感じる。無責任の誹りを恐れずにいうなら「革命」に相応しい行動してくれよな、という内心がないわけでもない。いやダメだ。こんな発言に私は1ミリも責任を持てない。

だが、断言できる。レッテル張りで「過激派」、「極左」という警察用語を恥もなく用いる、あるいは疑わない新聞記者やマスコミの連中の頭脳の方が「反動に乗じる」という力学の中で余程「過激」であることを。凡そどれほどの動員力や資力を保持しようとも、この国において「国家」を超える「過激派」など存在しえた歴史はない。国家こそが戦争を、死刑を、資本を、些細な公務執行妨害(ほとんどのケ―スはでっち上げ)を独占しうる究極の過激組織ではないのか。

◆森喜朗政権と安倍政権の温度差──15年弱で蔓延した御用マスコミ・文化人

例えば、その補完機能として日本テレビ系列に最低クラスの情報番組として「バンキシャ」という番組がある。この番組に出るコメンテータは全員御用学者か、検察出身の弁護士、あるいはおでたい御仁で「早く国粋主義を!」と主張する連中ばかりだ。

そこに先週作家で法政大学の島田雅彦が登場した。島田の名前が世に出たのは「優しいサヨクのための嬉遊曲」(1983年)だった。「この弱虫め、お前のような奴が敗北を呼び込んだのだよ」と若気の至りに怒りながら読んだ記憶があるが、番組の中で島田は「公安の人たちが容易に身分が分かってしまうと職務上問題があるんじゃないのか」と発言をしている。いや、正確に訳せば「公安の人達はもっと身分が分からないようにして職務を遂行すべきです」と訳せるじゃないか!

かつて「オットセイの体に蚤の脳味噌」と比喩された森喜朗という首相がいた。森は麻生と同程度に日本語が苦手なので失言を繰り返し、最後は支持率が一桁になった。森と比べて安倍の支持率はたぶん実質の10倍以上水増し操作されている。ありがたくも賢く相成ったマスコミのお蔭だ。

京都大学の帰路立て看板に学生サークルが「青山繁晴」の講演会を開くという宣伝があった。私が知る限り「安全保障の専門家」を自認する青山は共同通信勤務時代に海外出張の際、経費をごまかした咎で自主退職に追い込まれた輩だ。「テレビアンカーでおなじみの!」と学生は青山をテレビ出演の実績で讃えていたが、京大に合格する能力があっても青山の吐く明白な嘘と恫喝の羅列の本質には思いが至らないのか。その点ではこれも「過激」な現象だといえよう。

こと戦争に向かう方向性においては我らが偉大なる首相「安倍」同志が畏くも「解釈改憲」という妙案を用いて近道を作り出してくださった。その「安倍」同志が間もなく解散総選挙に打って出るという。所費税が8%になり、大臣が金銭疑惑で辞任しようが、景気が冷え込んでも何ってことない。マスコミは順風満帆、いつでも「安倍」同志の露払いであり懐刀だ。

過激なのは、公安を取り押さえた学生なのか? それとも時代なのか? この問いは重い。

※関連記事=《大学異論16》京都大学が公安警察の構内潜入を拒否するのは100%当たり前!(田所敏夫)

▼田所敏夫(たどころ・としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しない問題をフォローし、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心が深い。

 

元・赤軍派議長、現・駐車場管理人の塩見孝也がいま再び動き出す! 鹿砦社渾身の最新刊『革命バカ一代 駐車場日記──たかが駐車場、されど駐車場』