《大学異論17》学園祭の「ミスコン」から芸能界へ、という人生

「ミスコンテスト」(ミスコン)は下火になったものの町おこしや、企業のPRで相変わらず行われている。かつての「ミスコン」は女性が容姿を主に競うものであった。フェミニズムのみならず女性を「商品」として見るていると問題視する人々から批判を浴び、最近では女性の知識や能力を加味した選考を行うと謡っているものが増えたが、それとて実際は女性の「美人競争」の感がぬぐえない。

◆一味違った某大学の「女王」

毎度、手前味噌で恐縮だが、私の勤務していた大学の学園祭にも(このコラムの過去記事をご覧の読者にはその学園祭が一般大学のそれとはかなり趣が異なることはご理解いただけているとは思うが)「ミスコン」があった。ただし、その「ミスコン」は最初からストーリーが出来上がっていて、ステージに登場する「女性」の半数以上は女装した男子学生だったり、優勝者はあらかじめ決められており、舞台上でのやり取りも「吉本新喜劇」みたいな出来レースであった。

フェミニズムの世界で知らない人のいない、○野千鶴子先生はじめ、多数のフェミニズム教員が在籍していた大学だから、通常の「ミスコン」など行えるはずもないし、大学も女性の差別は許さないのは分かり来ている。学園祭を主催する学生たちの感性は我々教職員のそれをはるかに凌駕する鋭さがあった。

私が着任した年に行われた学園祭での「ミスコン」では、その年に入学した学生(つまり1年生)が優勝者に内定していた。確かに顔立ちはそこそこ整っているが、口数も少ないし、どうしてこの学生を学生たちが「女王」に選んだのか、実際の舞台を見るまで私にはよくわからなかった。彼女は恥ずかしそうに舞台に登場すると、司会者からいくつか質問を受け、音楽に合わせてゆるやかに踊り出した。すると驚いたことにそれまでの恥じらいの表情が、徐々に変化を見せ出した。全身から人を引き付ける不思議なオーラのようなものを発し始めたのだ。「自分が多数の人から見られていることに対しての喜び」のような表情に変わっていく変化を今でもはっきり覚えている。決して踊りが上手でも、振る舞いが派手なわけでもない。下手な芸人より面白い話をする参加者も他にいたが、なぜか輝いている。そんな彼女が予定調和ながらその年の「ミスコン」では彼女が「女王」に選ばれたのが何となくうなずけた。

◆学生の慧眼をなめてはいけない

それから約1年半後、私は彼女から相談を受けることになった。彼女は3年次に半年海外留学が決定していたのだが、それを取りやめたいという。海外留学は彼女が個人で計画したしたものではなく、大学が選考して派遣する制度を利用したものだった。その留学手配業務が私の仕事だったので彼女は相談に来たのだ。理由を聞いてみると「テレビの深夜番組へ出演できるようになった。将来は芸能界の仕事がしたいのでこのチャンスを活かしたい」という。しかし詳しく聞くと「テレビ出演」と言っても深夜のローカル番組で、タレントが話す後ろに座って場を賑あわす、「ひな壇」の一人に過ぎないらしい。私は彼女の才能は知らないものの、芸能界で成功することの難しさは予想できた上に、半年間の留学で大いに成長した学生を何人も見え来ていたこともあり、彼女に再考を促した。が、彼女の意思は固く結局留学は取りやめることとなった。

担当していた教員にも相談に行った。「あんな馬鹿番組に出ただけで売れるわけないわよ、っていくら諭しても聞かないから仕方ないわ」というのが指導教員の話だった。

数年後、彼女は松竹芸能所属の漫才師として全国に名が知られる存在になっていた。白と黒の駒の色の数で勝敗を競うゲームがコンビの名前だった(え?わかりにくい?オセロだよ!オセロ!もうネタバレ覚悟だ!)。

私はテレビを見ない。それでも週刊誌や知人の話に頻繁に登場するくらいの売れっ子になっていた。留学を止めたいと相談に来た時に強引に説得しなくて良かった、と彼女の成功を喜んだ。

その後、あれこれトラブルがあって急激に太ったとか、洗脳されて引き籠りになったとか、井上陽水と出来た(事実ならあっぱれ!)などあまり芳しくない噂を聞くにつけ「やっぱり、止めといた方がよかったのかな」とも思うことがないでもなかったが、彼女の選んだ人生だ。あとはよろしくやってってくれとしか言いようがない。

それにしても、大学1年で彼女に宿る「才能」(運?)を見出して、「ミスコン」の「女王」に選び出した学生たちの慧眼に恐れ入る。学生をなめてはいけない。

 

▼田所敏夫(たどころ・としお)

兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しない問題をフォローし、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心が深い。

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《脱法芸能18》ヒットチャートはカネで買う──「ペイオラ」とレコード大賞

拙著『芸能人はなぜ干されるのか?』では、日本の芸能界の腐敗の象徴として日本レコード大賞を採り上げている。

レコード大賞は、1959年に始まってほどなくして、賞を獲った歌手のレコードの売上が伸びることが分かって審査員の買収の噂が囁かれるようになり、80年代になると工作資金を抑えるため談合が横行し、2005年には審査委員長が変死するという異常事態まで起きた。

◆ラジオDJ=アラン・フリードのペイオラ・スキャンダル

だが、アメリカの音楽業界もかつては同じような問題があった。ヒット曲をお金で買う「ペイオラ」と呼ばれる悪しき慣習だ。

ペイオラというと、アラン・フリードとともに語られることが多い。アラン・フリードは、50年代に人気を博し、アメリカでもっとも有名だったラジオDJで、「ロックンロール」という言葉をアメリカに広め、その普及に大きな貢献をした人物として知られるが、晩年はペイオラのスキャンダルでもみくちゃにされた。

◎Alan Freed’s Go Johnny Go trailer (1959)

ペイオラとは、支払いの意味の「pay」とRCAビクターが販売していたレコードプレイヤー「ビクトローラ(Victrola)」を掛け合わせた合成語で、レコード会社がDJにリベートを払い、その見返りとして番組でそのレコードをオンエアしてもらう賄賂のことだ。もともと、ラジオDJは生活が不安定で賃金も低かったために、ペイオラに頼っていたが、50年代になると業界中に蔓延し、DJにカネを握らせなければ、レコードはオンエアされないという状況にまで陥っていた。

インターネットのない当時、メディアはレコード業界で絶大な権力を持っていた。そして、選曲の権限を握るDJたちに、レコード会社のプロモーション担当者が群がった。

それを象徴するのが59年5月にフロリダ州バルハーバーのアメリカーナ・ホテルで開催さたディスクジョッキー・コンベンションという大会である。

大会は50社近くのレコード会社が協賛し、アメリカ中から2500人ものDJが招待され、4日間にわたって24時間、レセプションやパーティー、コンサート、ハバナへの旅行を賭けたゲームなどがすべて無料で提供される大盤振る舞いが行なわれた。

会場に着いたDJには、RCAから100万ドルの疑似通貨が「遊興費」として手渡され、それを元手にギャンブルをすることができた。その疑似通貨と引き替えにステレオセットやカラーテレビ、洋服、ヨーロッパ旅行のチケット、高級車などが提供された。そればかりではなく、会場となったホテルでは、マリファナや多数の売春婦が溢れ、文字通り、酒池肉林の観を呈していた。

だが、ヒットチャートをカネで操作するペイオラは、アンフェアで非アメリカ的であるとして、世間から非難を浴び、58年、下院議会はペイオラを違法とする法律を制定した。

1960年5月19日、アラン・フリードは収賄の疑いで逮捕された。その後、アラン・フリードを含む多くの有名DJが公聴会に召喚され、数十年にわたって業界でペイオラが浸透していた事実が明るみに出た。62年、アラン・フリードには、罰金と執行猶予付きの実刑判決が下され、業界から追放されてしまった。経済的にも困窮したアラン・フリードは、アルコール依存症となり、65年、肝硬変などを患い、43歳という若さで死んだ。

とはいえ、この一連のスキャンダルでペイオラが完全になくなったわけではない。レコード会社が独立系のプロモーション会社と提携し、そのプロモーション会社がラジオ局に賄賂を渡せば違法とは認定されないという抜け道があったからだ。

だが、2000年代に入ると、この抜け道も問題視されるようになり、連邦通信委員会(FCC)は違法性を認定。大手のレコード会社やラジオ局が次々と、司法当局によって告訴され、ぞれぞれ巨額の罰金を支払わされた。

◆日本レコード大賞──事務所間のパワーゲーム

翻って日本の芸能界はどうだろうか?

その年のもっとも優れた楽曲に与えられることになっている日本レコード大賞は、1964年の第6回目から「黒い霧」と呼ばれるスキャンダルが持ち上がって以降、何も変わっていない。

今年もライジングプロダクション所属の西内まりあが8月にCDデビューすると、その直後にレコード大賞の最優秀新人賞に内定したと報じられた。実力は未知数のほぼ無名の新人だが、ライジングプロでは安室奈美恵の独立騒動が持ち上がっており、安室の後継者として西内を育成したいという強い意向があるという。

日本の芸能界には「実力主義」という言葉はない。そこで繰り広げられているのは、事務所間のパワーゲームでしかないのである。

▼星野陽平
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

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鳥取連続不審死被告が獄中で綴った「報ステ」の故・敏腕ディレクターへの追悼文

テレビ朝日「報道ステーション」のディレクター、岩路真樹さん(享年49)が自殺し、遺体が自宅で発見されたのは8月末のこと。それから2カ月、原発問題や冤罪問題をはじめ様々な社会問題を精力的に取材していた岩路さんの死を悼む声は今も後を絶たない。そんな中、今月7日に発売された『紙の爆弾』12月号には、ある著名な女性が綴った岩路さんへの追悼文が掲載された。

その女性とは、鳥取連続不審死事件の上田美由紀被告(40)である。

上田被告が拘禁されている松江刑務所

◆生前、冤罪を疑っていた

上田被告は2009年、首都圏連続不審死事件の木嶋佳苗被告と共に「東西の毒婦」とマスコミに騒ぎ立てられた。捜査の結果、借金の返済や家電代金の支払いを免れるために知人男性2人を殺害したとして強盗殺人罪などに問われ、一貫して無実を訴えたが、2012年12月、鳥取地裁の裁判員裁判で死刑判決を受けた。その後、広島高裁松江支部の控訴審でも無実の訴えを退けられ、現在は最高裁に上告中である。

岩路さんが生前、この上田被告の冤罪を疑い、取材に乗り出していたことは一部で報じられた通りだ。岩路さんは上田被告と面会や手紙のやりとりを重ねて信頼関係を築き、現場にも足を運び、検察の描いた筋書きに不自然な点を色々見出していた。筆者も昨秋から上田被告とは面会や手紙のやりとりを重ね、彼女が「紙の爆弾」4月号で独占手記を発表した際には構成を担当するなどしたが、そのきっかけをつくってくれたのも実は岩路さんだった。

「あんな犯行、彼女には無理ですよ」。昨年の夏、大阪で開催された和歌山カレー事件・林眞須美死刑囚(53)の支援集会で会った際、岩路さんはそう力説していた。この時、すでに上田被告は第一審で検察の主張通り、2人の被害男性に睡眠薬を飲ませ、海や川に連れて行って溺死させたかのように認定され、死刑判決を受けていた。しかし、岩路さんが現場を訪ねたところ、上田被告がそのような手口で犯行を敢行するのは現場の状況からあまりにも無理があったということだった。

このような現場の状況から浮上する有罪判決への疑問は、ジャーナリストの青木理氏がこの事件を取材して上梓した著書「誘蛾灯」の中でも指摘されている。とはいえ、テレビや新聞ではあまり指摘されていないから、知る人はマレなはずだ。だが、地元の記者らと話をしたところ、実はこのことに気づいているテレビや新聞の記者は以前から決して少なくないようだった。彼らは自由にものが言えない大手報道機関の人間という立場上、表向きは沈黙しているだけのようなのだ。

そしておそらく、有名報道番組のディレクターだった岩路さんもその一人だった。岩路さんは生前、上田被告の告白本を出そうと動いていたと報じられているが、それが事実なら「報ステでは、この事件を冤罪として報じるのは無理だから本を出すしかない」と考えたのだろう。実際、岩路さんは生前、「テレビでは冤罪を取り上げるのがとても難しい」とこぼしていたものだった。

◆死を嘆き悲しむ上田被告

そんな岩路さんが亡くなり、上田被告が悲しんでいるのではないかと推測する報道もあったが、実際にそうである。岩路さんの死以来、彼女から筆者に届く手紙にはいつも「悲しい」「立ち直れない」と岩路さんの死を嘆き悲しむ言葉が書き綴られている。そんな彼女ゆえに「紙の爆弾」で10月号から始めた「松江刑務所より…」という連載でも、岩路さんへの追悼の思いを書き綴ったのだ。

無実を訴えながら死刑判決を受けている女性被告が、自分の冤罪の訴えを世に広めようと奔走してくれていたテレビディレクターの死を悼んだ極めて異例の追悼文。1ページに収まる短い文章だが、故人を悼む思いが溢れている。一読の価値はあるはずだ。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

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《紫煙革命08》パッケージ表記ではわからない香料の謎

さて、前回のJT電話取材であやふやにされてしまった香料についてだが、尋ねても満足な回答は得られそうにないので地道に調査してみることにした。

◆JT香料の不祥事

タバコの香料を製造している香料メーカーは、JT全額出資の100%子会社で東京都羽村市にある富士フレーバー株式会社、東レの子会社で千葉県野田市と福島県郡山市に工場を持つ曽田香料株式会社(本社は東京日本橋)、大阪の長岡香料などがあるようだ。

華原朋美出演の「なんだかヒューヒューです」のCMを覚えているだろうか。JT製造販売の清涼飲料水『桃の天然水』は2002年6月に食品衛生法で無認可の「ノルマルブチルアルコール」「ノルマルプロピルアルコール」という香料が含まれていたとして、自主回収・製造中止となっていた。

これは、同年5月に協和香料化学という香料メーカーが無認可の「アセトアルデヒド」、「イソプロパノール」、「ヒマシ油」、「プロピオンアルデヒド」を使用していたとして、工場の営業停止処分・自主回収・取引先食品メーカーへの損害賠償、最終的には自己破産に至ったことをきっかけとして起こった。

で、その、富士フレーバーさんに電話で聞いてみた。

──タバコ香料を製造しているそうですね。

富士フレーバー 「はい、左様でございます。」

──どんな銘柄のなんていう香料を作っているんですか?

富士フレーバー 「タバコ香料はJTからの指示で製造しており、守秘義務があるのでJTの許可なしには情報開示いたしかねます。」

◆食品衛生法、添加物表示の穴

食品衛生法は日本において飲食によって生ずる危害の発生を防止するための法律だ。厚生労働省によって食品や添加物などの基準・検査(表示に関しては消費者庁)などの原則を定めたものである。平成7年には規制強化され、それまで義務づけられていなかった天然由来の添加物に関しても化学合成の添加物と同様に表示が義務づけられた。

しかし、以下の14種の用途においては、使用目的を表す『一括名』で表示することが認められています。

食品衛生の窓 東京福祉保健局 より引用

これは表示の簡略化を狙ってのことのようでいて、業者の説明責任を免除しているだけにしか思えないの私だけですか?「専門的過ぎてわかりにくいから、省略してもていいんじゃね?」的な発想なのだとしたら、消費者を馬鹿にするんじゃないよ!と憤慨、激おこプンプンたばこスパスパ丸なわけである。

香料メーカー「大事なレシピだから説明しません」

監督省庁「わかりにくいから省略してもいいんじゃね?」

消費者「ま、別にいっか」

ではまずいだろう。

添加物のことを気にするナチュラル嗜好の読者の方ならご存知かと思うが、ペットボトルのお茶は『高級玉露茶葉使用』とか記載はあっても、ほんのちょっと混ぜただけのクソ茶葉だったりするわけだ。ビタミンCが酸化防止剤として添加されることがほとんどだが、「ビタミンC=体にイイ!」という発想はもう通用しない。化学合成なのか、天然由来なのかという違いはわからない。普通に考えたら淹れてから何ヶ月も経ったお茶がうまいわけなかろう。パッケージに書いてある売り文句を鵜呑みにするべきではない。

◆ないがしろにされる消費者の知る権利

NPO法人「子どもに無煙環境を」推進協議会が提出した『タバコに関する全国規制改革要望書』(http://www.eonet.ne.jp/~shiryo/kiseikaikaku0706.htm

の『タバコに含まれる添加物と喫煙により発生する成分は公開し表示すべき』(http://www.eonet.ne.jp/~shiryo/kiseikaikaku0706.htm#RANGE!A12)という項目が大変興味深い。暗黙の了解にメスを入れるべきという要望書なのだが、おおまかな回答として財務省が「信頼に足る国際基準がないからまだ無理」と言っている。

高校生の頃に、日本ではコカコーラ社から発売されている『ドクターペッパー』の奇妙な香りが癖になって毎日飲んでいた。パッケージに「20種類以上のフルーツフレーバー」と書いてあるのが面白くて興味本意でコカコーラのコールセンターに電話したことがあるが、回答は「我が社の機密事項なので情報開示いたしかねます」であった。

健康被害が発生してから、被害者ヅラして文句をいうのも、加害者として反省や賠償をするのも賢い選択ではないだろう。香料業界は依然として闇に包まれている。

 

▼原田卓馬(はらだ・たくま)

1986年生まれ。幼少期は母の方針で玄米食で育つ。5歳で農村コミューンのヤマギシ会に単身放り込まれ自給自足の村で土に触れて過ごした体験と、実家に戻ってからの公立小学校での情報過密な生活のギャップに悩む思春期を過ごす。14歳で作曲という遊びの面白さに魅了されて、以来シンガーソングライター。路上で自作のフンドシを売ったり、張り込み突撃取材をしたり、たまに印刷物のデザインをしたり、楽器を製造したり、CDを作ったりしながらなんとか生活している男。早く音楽で生活したい。

※ご意見ご感想、もしくはご質問などはこちらまで twitter @dabidebowie

このコーナーで調査して欲しいことなどどしどしご連絡ください

 

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《屁世滑稽新聞15》あなたにも簡単に作れる小渕ワイン……の巻

屁世滑稽新聞(屁世26年11月8日)

あなたにも簡単に作れる小渕ワイン……の巻


全国の大きなお友だちのかたがた、ごきげんよう。
屁世滑稽新聞のお時間です。

きょうは、犬HKの朝の連続ドラマ『マッサン』で皆さまもご存じの
おかたと、対談したいと思います。あたくしの『花子とアン』の
“あとガマ”として始まったあのドラマは、主人公「亀山政春(かめやま
まさはる)」として登場し、現実にはニッカウヰスキーの創業者となった
竹鶴政孝(たけつる・まさたか)さんと、彼のワイフでドラマでは「亀山
エリー」として登場しますが、実際には竹鶴政孝さんがスコットランド
から連れて帰ってきた奥様であるリタさんの、国境をこえたステキな
夫婦の愛の物語になっています。

そして、この愛のドラマで、国産ウイスキー実現の“お産婆さん”役と
して大きな存在感をみせているのが、ドラマのなかでは「鴨居(かもい)
商店社長の鴨居欣次郎(かもい・きんじろう)」として登場しますが、
実際には日本でのウイスキーづくりがままならず失望していた竹鶴さんを
自社に迎え入れて応援し、国産初のウイスキー誕生の後ろ盾となった、
サントリー創業者の鳥井信治郎(とりい・しんじろう)さんなのです。

『マッサン』で、玉山鉄二さんが演じる主人公「亀山政春」を励まして、
ウイスキー作りを後押しする「鴨居欣次郎」の役を演じているのは、映画
『ALWAYS(オールウェイズ) 三丁目の夕日』シリーズや『舞妓Haaaan
(ハ~~ン)!!!』などで、パワフルな演技を見せてきた堤真一さんです。
その堤さんが演じる「鴨居」社長は、ドラマのなかで「やってみなはれ!」
と亀山クンを勇気づけていますが、これは架空のセリフではなく、実際に
鳥居信治郎さんが残した名言でした。鳥井さんは「やってみなはれ。
やらなぁ~わからしまへんで!」と仲間を励まし、大胆かつ緻密(ちみつ)な
チームワークで、酒造業界において快進撃を遂げてきたのでした。

鳥井さんの「やってみなはれ!」精神は、サントリーの社訓ともいうべき
朗(ほが)らかで前向きな、チャレンジ・スピリットの言葉なのです。

わたくしは、皆さまご存じのように山梨の農家で生まれ育ったので、
ぶどうの果汁とか、ぶどう酒は大好きです。
お酒は大人の飲みものですから、子供のうちからお酒を飲みつけるのは
習慣になっちゃ困るからダメなのですけれど、子供の皆さんだって、
たとえばクリスマスのお祝いの夜に、ほんのひとくち、ぶどう酒を
なめさせてもらうことくらいはあるでしょうし、お年賀の挨拶(あいさつ)で
お爺さまお婆さまのお家(うち)を訪れたときなどは、すでに酔っぱらって
赤ら顔のお爺さまから、お屠蘇(とそ)をチョッピリ飲ませてもらう
ことだってあるでしょう。

子供のお口には、日本酒なんて“酸(す)っぱくて変なにおいのマズい水”
としか感じられないでしょうし、ましてビールとかウイスキーなんて
ニガくて臭いだけで受け付けないでしょうけれども、人間っていうのは、
長く生きつづけていくうちに、変にひねくれた味の、くさい食べ物とか
飲みものを、美味しく感じるようにもなるのです。……それはきっと、
大人のかなしい性癖(さが)なのでしょうけどね。まぁここでは、
子供にはわからない不思議なことだ、と申し上げておきましょう。

……まあとにかく、今回は『マッサン』でワインの話題が出てきたことも
ありますし、これからの寒い季節には、ワインを熱燗(あつかん)で飲むと
風邪の予防や滋養強精(じようきょうせい)にもってこいでもありますので、
サントリー創業者の鳥井信治郎さんをゲストにお迎えして、ワインのお話し
などをうかがいたいと思いますのよ。

★          ★          ★

ところでサントリーの創業者である鳥井信治郎さんは、今から135年も
前の1879年、つまり明治12年に生まれて、1962年すなわち昭和37年に
83歳でお亡くなりになりました。

そういうわけで、鳥井さんはすでに半世紀以上もまえに冥土の人になって
いますので、このままではお話しをうかがうことができません。

そこできょうは特別な趣向として、霊界の亡霊をこの世に降ろして話を
聞くという“口寄せ”稼業、つまり霊媒ビジネスの業界で、日本で一番
成功した“口寄せ師”の大韓流呆(おおから・りゅうほう)先生にお手伝い
いただき、大韓先生のおクチを媒介にして、霊界の鳥井信治郎さんと
お話しをしたいと思います。

大韓流呆(おおから・りゅうほう)先生は、至高神「エラ・アカンタレ」と
名乗っておられ、お釈迦(しゃか)さまやキリスト様だけでなく、昨今の俗人が
誰もが知っているタレントや話題の人物たちの“背後霊”なんぞも
勝手に降ろして対談本を乱発して、お金を稼いでいらっしゃるお方ですのよ。

大韓(おおから)先生に勝手に“背後霊”を降ろされた有名人のかたがたは、
もう枚挙のいとまがないほど沢山いらっしゃいます。最近の例だけでも、
たとえば村上春樹さん、宮﨑駿さん、秋元康さん、本田圭佑さん、池上彰さん、
膳場貴子さん、小保方晴子さんや、さらにはジャニーズ事務所の木村拓哉さん
や岡田准一さんまで、いつのまにやら“背後霊”が大韓(おおから)先生に
勝手に現世にひきずり降ろされて、むりやり“霊界対談”をさせられて
いらっしゃいますのよ。この強引なやりかたは、一種の「霊的レイプ」と
言ってもよいでしょう。この見さかいのなさときたら、昔なつかし東映映画の
“不良番長”の美女“千人斬り”を思い起こすほどですワ。

……前置きが長くなりました。さっそく「エラ・アカンタレ」こと大韓流呆
(おおから・りゅうほう)先生をお迎えして、先生に“口寄せ”していただいて、
霊界の鳥井信治郎さんと対談したいと思います。
それでは大韓先生、おねがいします。

自称の芸名「エラ・アカンタレ」を名乗る口寄せ名人
大韓流呆(おおから・りゅうほう)師を媒介にした、
赤玉ワイン創業者・鳥居氏と花子先生の対談

エラ・アカンタレ 「花子さん、きょウはヨロスク」
花子先生 「流呆(りゅうほう)先生、こちらこそ宜しくお願いします」
エラ・アカンタレ 「アナタに霊言を与えるまえに、言っておきたいことがある」
花子先生 「何でしょうか?」
エラ・アカンタレ 「アナタ、わたしが有名人のシュゴレーと対談してきたのを、“霊的レイプ”とか“千人斬り”とか言ったね! 許せないニダ! 謝罪を求めるニダ!」
花子先生 「流呆(りゅうほう)先生、お顔が真っ赤ですわよ。それに息がものすごく唐辛子くさいですわ。あまり興奮すると、血圧が上がって脳溢血(のういっけつ)を起こしますわよ。もうすこし冷静になって下さいませ」
エラ・アカンタレ 「ケンチャナ~! 仕事に入るまえに、わが教団を侮辱するようなあなたの言辞を糾弾(きゅうだん)せねば気が済まないニダ!」
花子先生 「教団ですって? 流呆(りゅうほう)先生、わたしはあなたの“教団”に物言うつもりは、更々ありませんわ。ただあなたの“お口寄せ”のお仕事のやりかたが、日本人の謙譲(けんじょう)の美徳を踏みにじるワイセツで強引なものだと、批評しただけですのよ。ここは日本なのですから、言論の自由がありますのよ。お隣の半島ではないのですから」
エラ・アカンタレ 「わが“光復の科学”を貶(おとし)めたのだから、ここで謝罪ハセヨ!」
花子先生 「まあ……流呆(りゅうほう)先生、お顔が燃えるように真っ赤ですわよ。あなたや、あなたのお取り巻きのかたがたが常々行なっているような、強引で反社会的なやりかたというのは、けっして日本人の発想ではありませんわよ」
エラ・アカンタレ 「もうすぐ“光復の科学大学”を発足させて、ワレワレの仲間の元イルボンジエ軍大将・駄藻紙(だもがみ)ソンセンニムなどを教授に迎える予定だけれど、アンタはぜったい光復の科学大学に呼ばないから、覚悟してオケヨ!」
花子先生 「はいはい(笑)。流呆(りゅうほう)先生、ここで悪態をついていないで、あなたのお得意な“口寄せ”をお願いいたしますね」
エラ・アカンタレ 「謝罪と賠償を…… アイゴ~! 死霊が下りてきた~!」(……と叫びながらぶっ倒れ、全然ちがう形相になって徐[おもむ]に起き上がる……)

★          ★          ★

鳥井信治郎 「……花子先生、ワシを呼んでくれてオオキにな!」
花子先生 「まぁ! 鳥井会長、はじめまして! 俗世に帰ってきたのですね」
鳥井信治郎 「天国でほろ酔い気分で散歩しとったら、エラが張ったアヤシイあんちゃんに呼びとめられてな。そのあんちゃん、ワシの御居処(おいど)をいきなり触ったんじゃ。そのとたんに足もとがガラガラと崩れてのォ。気がついたら成仏するまえの、俗世に逆戻りやわ(笑)」
花子先生 「まぁ! それは大変に申しわけございません。無事に成仏したホトケさまを、あの霊媒がそんなふうにして“この世”に引き戻しているだなんて、ぜんぜん知りませんでした。ご迷惑をおかけして、俗世の一堂を代表して、お詫び申し上げます」
鳥井信治郎 「いまさら謝られても、俗界に引き戻されたんやから、しょうもないわ」
花子先生 「せっかく俗界にお帰りになられたのですから、しばし私と、ワインのお話しをいたしませんか?」
鳥井信治郎 「ワインかいな? ええのぉ! なつかしいのぉ!」

★          ★          ★

花子先生 「まず鳥井会長の生い立ちから、お聞かせ願えませんか?」
鳥井信治郎 「ええよ。ワシは明治12年の1月の末に、大阪で生まれたんや。ええと……今はいつや?」
花子先生 「屁世26年、西暦ですと2014年です」
鳥井信治郎 「なんや! とんでもない未来に来てしもうたな! え~パチパチパチと……、えっ? ワシいま生きとったら135歳になってるやんか!」
花子先生 「パチパチパチっておっしゃってましたが、どういたしましたの?」
鳥井信治郎 「いやぁなに、頭のなかのソロバンを弾いとっただけや。実家が両替商と米穀商でっしゃろ。んで、ワシも物心ついたころから商人(あきんど)の技能や才覚を叩きこまれたわけや」
花子先生 「ご長男だったんですか?」
鳥井信治郎 「いや、次男や。13歳のときに薬種問屋の小西儀助商店に丁稚奉公(でっちぼうこう)に入った。あんた“ボンド”って知らんか? ボンド!」
花子先生 「合成接着剤のボンドですか?」
鳥井信治郎 「ああ! そうや! 小西儀助商店はそれで日本有数の業者に出世したわけや。のちに社名をカタカナの“コニシ”に変えて、接着剤を手広く扱う専門会社になったけどな。でもワシが奉公していた頃は、洋酒もやってたで。たとえば“アサヒ印ビール”とか……」
花子先生 「それって現在のアサヒビールかしら?」
鳥井信治郎 「おネエちゃんご名答! ……で、丁稚奉公の時代にワシは酒を商いを学んだわけや」
花子先生 「お酒の商いは、運命的なものだったのですね?」
鳥井信治郎 「そういう言い方もできるが、ワシは日本人や。だから何よりも日本人の舌にあう味覚の洋酒を売りたいと思ったし、その夢を実現するために邁進(まいしん)したんや」
花子先生 「丁稚奉公の子ども時代が終わって、どうされたんですか?」
鳥井信治郎 「二十歳のときに独立して、鳥井商店を立ち上げて、スペインからぶどう酒を輸入して売り出したんやけど、それで味噌(みそ)がついてしもうた……」
花子先生 「まあ! ワインに味噌をまぜて売ったんですの?」
鳥井信治郎 「いやいやいや。ちゃうちゃう。失敗したんやわ。なにせ舶来のぶどう酒は酸っぱすぎて、辛すぎてのお。これがちぃとも売れんかった」
花子先生 「……で、どうしましたの?」
鳥井信治郎 「そこからがワシの武勇伝の始まりや! ワシはのぉ……(と言いかけると突然形相がかわり声色が大韓流呆に戻った……)」
エラ・アカンタレ 「ウッゲゲ、ギャア~! 電池が切れた! キムチとマッコリ! キムチとマッコリ! キムチとマッコリを今すぐカッタチュセヨ!」
花子先生 「あらまあ! 霊媒がまぎれこんで来ちゃったわ! いますぐ買ってきますから、ちょっと待っててね!」

(ここで花子先生はキムチとマッコリを買いに出かけたので、
鳥井氏との“霊界対談”は一時中断を余儀なくされた。その後
霊媒のエラ・アカンタレ氏がキムチ5キログラムとマッコリ8本を
貪るように食べて充電を終えたのち、ようやく“霊界対談”が再開。
このかん2時間が無駄になった。)

花子先生 「鳥井カイチョウ! 鳥井カイチョウ! 聞こえますか、どうぞ?」
鳥井信治郎 「ハイハイ、こちら鳥井ですドウゾ……って、なんや少年探偵団みたいやな。なんちゅう出来の悪い“霊媒”やろか」
エラ・アカンタレ 「トリイさん、霊媒のワタシに何ってこと言うんだ? 謝罪と賠償を要求する! 世界一うまい“竹鶴17年ピュアモルト”を1カートンよこすニダ!」
鳥井信治郎 「そりゃ宿敵ニッカウヰスキーの商品やで、アホンダラ!」
花子先生 「流呆センセイは、口を出さずに、まじめに口寄せだけおやりになって下さいませ! 霊媒が亡霊と掛け合いをやるなんて、そんな腹話術みたいな降霊術は初めて見ましたわ! インチキじゃないんですの?」
鳥井信治郎 「……いやいやいやいや。お騒がせしたニダ(笑) 対談をつづけようやおネエちゃん!」
花子先生 「……?」
鳥井信治郎 「で、ワイン商売の話やったな」
花子先生 「あゝ、そうでした」
鳥井信治郎 「舶来の輸入酒をそのまま売っても、日本人の舌がそれを受け付けない……となると、日本人の味覚にかなったぶどう酒を作るしかない」
花子先生 「たとえばどういうお酒?」
鳥井信治郎 「まず酸味や辛みをおさえて、甘みをつける。ぶどうの果汁のように香ばしくて、なおかつ異国情緒あふれる精妙なる薬味が効いていて、のむとホンノリ酔ってきて、からだがポッポと熱くなり、心は天使の羽がはえたみたいにスゥ~っと軽くなる葡萄(ぶどう)酒や!」
花子先生 「聞いているだけで、気持ちよく酔ってきちゃうワ」
鳥井信治郎 「あっはっは、なにせワシは若い頃、“しゃべる媚酒(びしゅ)”って呼ばれてたヨッテに。」
花子先生 「それがあの有名な“赤玉ポートワイン”ですか?」
鳥井信治郎 「ご名答! これを完成させて売り出したのは明治40年の春のことや。え~と、おネエちゃんわからんやろうから……パチパチパチと……西暦では1907年、いまから……パチパチパチと……107年まえの春やな。ワシが28歳のときじゃ!」
花子先生 「犬HKの朝ドラでは、“鴨居欣次郎”がワイン売り込みの秘密兵器として、日本初のセミヌードポスターを作りますよね?」
鳥井信治郎 「まあ、あれはドラマ。作りもんの虚構やからショウもないわ。実際にはあのポスターを世に出したのは、もっとずっと後のことや。ワシは“赤玉ポートワイン”を売り込むために、いろいろやりましたでぇ。ポートワインの名前を染め抜いた行灯(あんどん)をギョウサンこしらえて、店のまわりにずらァ~りと並べるとか、赤玉を描いた法被(ハッピ)を社員に着せて、明るく景気よく振る舞わせるとかネ。もっとすごいのは、歌劇団もつくったでぇ!」
花子先生 「まあ! 歌劇団ですか? 宝塚歌劇団とか松竹歌劇団みたいなものですか?」
鳥井信治郎 「ハイな。赤玉ポートワインを出した頃ちゅうのんは、ちょうど明治が終わる頃やったんやけど、歌舞音曲(かぶおんぎょく)もそのころ大きく様変わりしましてなァ……」
花子先生 「……とおっしゃいますと?」
鳥井信治郎 「明治のはじめに文明開化で西洋の音楽がドッと入ってきたんヤけど、その影響をまっさきに受けたのは維新政府の軍楽隊でナァ、つぎに政府が始めた義務教育の学校で、こどもに唄わせる唱歌だったんや」
花子先生 「犬HKの『マッサン』でもスコットランドの民謡が小学唱歌になったことを紹介してましたわね」


(参考:京都楽友合唱団による、日本でおなじみのスコットランド民謡
https://www.youtube.com/watch?v=9oLeqHVZAI4

鳥井信治郎 「で、明治政府は日清戦争や日露戦争を続けざまにやらかしたわけやけど、軍楽調の音曲はだんだんマンネリになってのぅ……明治の終わりには、民間音曲の世界でも“ご維新”が始まったわけや」
花子先生 「……とおしゃいますと? “ご維新”というからには、明治初期の西南戦争のときには西郷どんを討伐するとか、ずいぶんと勇ましい歌も唄われましたが、そんな血なまぐさいのがリバイバルしたんですの?」

(参考:明治10年に勃発した西南戦争のおり、維新政府軍が、
西郷隆盛が率いる薩摩軍を討伐に向かう際に唄われた軍歌『抜刀隊』。
日本の内戦で“反乱軍”を鎮圧したときのこの歌が、なぜかその後、
大日本帝国陸軍の行進曲になり、現在でも自衛隊の分列行進で
使われている。https://www.youtube.com/watch?v=MEYBMpk4ZUM


鳥井信治郎 「いやいやいや、ちゃうちゃう、ちゃうがナ。日本には古来から娘義太夫(むすめぎだゆう)みたいな民間芸能の伝統がある。小娘がオペレッタを演(や)るような、和洋折衷(わようせっちゅう)の新芸能が、雨後の竹の子のようにワッと出てきたんや。つまり少女歌劇団でっせ」
花子先生 「そのブームのなかで、会長さんの鳥井商店も歌劇団を作ったってことね?」
鳥井信治郎 「ネエちゃんご名答やで! 商業広告というか、企業PRの文化事業としての少年少女歌劇団の“走り”は、明治43年の三越少年音楽隊かナ。翌年には白木屋少女音楽隊ってのも生まれた。どっちも当時最先端の都市型百貨店、デパートメントストアや」
花子先生 「デパートの文化戦略っていうと、あたくしなどは西武百貨店・パルコが1970年代から80年代に展開した“とんがり文化の全国発信”を連想しますわ。読者参加型で冗談とかパロディを競い合う『ビックリハウス』なんて雑誌を出したり、フラメンコギターのパコ・デルシアとか、メンバー全員が鬼太郎に出てくる“目玉のお父さん”みたいな目玉のかぶりもので変装して前衛ロックを演奏するアメリカのレジデンツみたいな、本当の趣味人だけ楽しめばいい……って感じの音楽家をどんどん招いてこっそりコンサートをしたり、石岡瑛子さんに百貨店のアートディレクションを任せて、100年前のポーランドの“迷宮の画家”タマラ・ド・レンピッカとか、メキシコ革命時代の激動を生きたフリーダ・カーロのような、すごい女流芸術家をどんどん日本に紹介していたパルコ……。それよりもずっと前に、日本のデパートは文化戦略を仕掛けていたんですね」
(パコ・デ・ルシア https://www.youtube.com/watch?v=0o8vszqVL2U
レジデンツ https://www.youtube.com/watch?v=dkcZp-ofXEE
タマラ・ド・レンピッカ https://www.youtube.com/watch?v=6ir71H8-pno
フリーダ・カーロ https://www.youtube.com/watch?v=bBrbwHJNJLQ

鳥井信治郎 「西武百貨店も大した仕事をしたけど、あれは阪急電鉄の猿マネやで。線路沿いに都市開発を行ない、鉄道交通の結節点であり娯楽の殿堂でもある百貨店やら宝塚歌劇団を作ったのは、阪急サンやからなあぁ。東京では東急がまずそれをやった。で、さらに堤ファミリーの西武鉄道と西武百貨店が、それをさらに真似たんやワ」
花子先生 「近代日本の商いの歴史って、奥が深いのですね」
鳥井信治郎 「あったりまえやんけ! ……で、歌劇団の話な。いま言うたように、百貨店が先鞭(せんべん)をつけた。そしてワシが“赤玉楽劇団”を作ったのが、その白木屋少女歌劇団とおなじ明治44年のことや。白木屋サンのやつは“日本最初の少女歌劇団”と呼ばれるようになった。ワシらの“赤玉楽劇団”も、ここで日本最初だったと呼ばせてもらうで!」
花子先生 「我々が知ってる宝塚とか松竹の歌劇団はそのときはまだ……」
鳥井信治郎 「ハイそうだす。まだ出てくる前や。電鉄さんが宝塚新温泉の余興で少女唱歌隊を始めたのが、ワシらの二年あと、大正三年のことや。それがえらい受けてなぁ、翌年には本格的な少女歌劇に発展して、それがいまの宝塚歌劇団になったワケや。それからさらに何年もたって、大正11年には松竹がまず“松竹楽劇部”をつくり、これが昭和になって大阪松竹少女歌劇団に発展し、東京にも松竹少女歌劇団が生まれたんや」
花子先生 「お詳しいですのね」
鳥井信治郎 「そりゃワシ、少女歌劇が好きでっさかい……(笑)」
花子先生 「明治末期から大正はじめにかけての少女歌劇団ブームのことは、なんとなくわかりましたが、なにしろ西暦じゃないとピンときませんわね。元号がコロコロ変わっていたから……」
鳥井信治郎 「じゃあ西暦で言い直すよってに、ちょっと待ってや。……えぇと、はいパチパチパチのパチ。……ええか? 1910年・明治43年に三越少年音楽隊が誕生。翌1911年・明治44年に白木屋少女音楽隊と、ワシらの“赤玉楽劇隊”が誕生。翌1912年・明治45年の7月30日に睦仁(むつひと)天皇はんがお隠れになって、この日に元号が明治から大正になっとる。……で、兵庫県小浜村の宝塚新温泉で宝塚唱歌隊が歌い始めたのが、翌1913年・大正2年。これがさらに翌年の4月1日から、宝塚少女歌劇団として本格的な興行を始めることになる。1922年・大正11年の4月には松竹楽劇部が発足し、これが試行錯誤のはてに興行的な成功を収めて、大阪松竹少女歌劇団に名を変えたのが1934年・昭和9年。東京では1938年・昭和3年に東京松竹楽劇部が生まれて、これが松竹歌劇団に成長していく……。こういう歴史があったわけや。これでお分かりのように、ワシらの赤玉楽劇団は、ホンマに時代の先頭を走っていたんやで!」
花子先生 「赤玉楽劇団はどんな活動をしたんですか?」
鳥井信治郎 「全国を巡回公演して、それぞれの地域で、販売店の店主はんとお客はんを、われらがレビューに無料招待して、大いに楽しんでもらいました。どうや? 今の世知がらい商売よりも、販売店はんも顧客のかたがたも、ずっと楽しめたんやで。エエやろ?」
花子先生 「当世のビジネスよりも、はるかに人情とエンターテインメントがあふれていたのね」
鳥井信治郎 「どや?エエやろ。ステキやろ! ……で、この楽劇団から、日本初の裸体ポスターが生まれたってワケや」
花子先生 「まあ! そうでしたの?」

戦前に数々の傑作広告を生んだ“広告作家(アドライター)”片岡敏郎
たちが1922(大正11)年に作った『赤玉ポートワイン』の宣伝ポスターは
日本初のヌードポスターとなった。モデルは“赤玉楽劇団”のトップスター
松島栄美子である。


鳥井信治郎 「赤玉楽劇団のプリマドンナの松島栄美子に、モデルになってもろぅて、思いきってヌード写真にしたわけや。もちろん日本初やで。革命的なデザインやったから、発表当時は天地をひっくり返すような衝撃力で、これでおおいにワインを売らせてもろぅたわ!」
花子先生 「会長さんはホントにアイデアマンだったのね」
鳥井信治郎 「あたりまえやんケ! ワシらは絶対に自信があるものを作っとった。ひとりでも多くの人に買ってほしい。だからそのためには、ものすごぅ奮闘したんや。商売人の本懐やで!」

★          ★          ★

花子先生 「今や、赤玉ポートワインの発売から107年が経ちました。生きておられればすでに135歳になっていらっしゃる今年、2014年に、あえて会長さんを霊界からお招きしたのは、日本の食文化のなかで、ワインについて何だかトンデモない勘違いをしている事例が、昨今まま見られるからなのです。それで会長さんのご意見をうかがいたいナと思いまして……」
鳥井信治郎 「ワシに言わせれば、お酒は“百薬の長”でっせ。その基本を踏みあやまると、酒は毒にも麻薬にもなる。ワシはサントリーを日本有数の会社に育てましたけど、会社ってのは矢鱈(やたら)に大きくなると、安定を望むだけの怠け者の雑魚(ざこ)ばかり寄ってきて、組織が腐ってしまう。けっきょくはこういうコトやね。……権力者のまわりには、小賢(こざか)しい欲たかりの小人物たちが集まるワイな。こいつらは世間体を気にして、小賢(こざか)しく、せせこましく、常識的に振る舞うわけや。そういう木っ端(こっぱ)役人みたいのが、吹きだまりみたいに集まった組織はどうなるか? 花子先生、どうなると思う?」
花子先生 「ソニーみたいになるんでしょ?」
鳥井信治郎 「イエス! あるいはお台場に移転後のフジテレビみたいに、こざかしいばかりの烏合(うごう)の衆の集まりになって、まさにオ~!ダイバ~!……ってことになるわけヤがな(笑)」
花子先生 「盛者必衰の法則ですわね」
鳥井信治郎 「仏教思想の真髄に触れるわけですワ。これは深いでぇ!」
花子先生 「……で鳥井会長さん、今どきのサントリー社員に、言いたいことはありますか?」
鳥井信治郎 「あるあるある! ワシは日本人の舌に合う革新的な洋酒を作って売り出したという自負があります。絶対的に自信があった商品やし、それを日本の国民に受け入れてもらいたかったから、広告だって、もう命がけで創意工夫したもんダス。ところがな、そういう奮闘努力の結果、会社がエろぅ大きくなったんやけど、そうなると安泰をのぞむなまけ者ばかりが吹き溜まるようになったんや。いまのサントリーを見てみい。ひどいもんや。ワシは死んでも死に切れん悔しさがある、と言いたいくらいや。まあ俗世から昇天してずいぶん経(た)ってるさかい、若いもんにやらせるしかないと思うとるけどな」

★          ★          ★

花子先生 「鳥井会長さんのご奮闘のおかげで、いまや日本でも、ワインがすっかり定着いたしましたのよ」
鳥井信治郎 「さよか、それはうれしいワ」
花子先生 「わたしの故郷の山梨もワインの名産地になりました。内陸のやま国は、ブドウ栽培に適しているので、ワインを特産品としている地域もたくさんありますのよ」
鳥井信治郎 「さよか。ワシが葡萄酒を商(あきな)い始めた頃は、あんな酸っぱ辛い洋酒はなかなか受け入れてもらえなかった。やっぱり隔世の感がありますナ」
花子先生 「ところで会長さん。昨今ではワインを“名刺代わり”に使ってる政治家もいるらしいのですが」
鳥井信治郎 「あのなぁ花子はん、酒というのは百薬の長にもなるし麻薬にもなる。いい酒は風味で人を酔わせる。ワシらはポートワインで大成功したのち、ウイスキーの製造販売に乗り出して、それもうまく行った。ワシらはウイスキーの商品名をもとに、社名を“サントリー”に変えたほどやった。……だけどな、ほんとに大切なのは看板じゃないデ。お酒そのものの品質なんやで! 酒を“名刺”に使(つこう)てる政治家なんて最低の俗物やし、そういう奴に“名刺がわり”に使われている酒は、ほんまカワイソウやと思うわ。名刺がわりに使われることを知りながら、酒を提供している蔵もとがあるとすれば、それはもう外道やで。そんな酒蔵はワイン酵母に恨(うら)まれて、祟(たた)られて亡びるのが関の山やな(笑)」
花子先生 「冥土にいらっしゃる会長さんは、ご存じないかもしれませんが、群馬県出身の政治家が、地ワインに自分のラベルを貼って選挙民にプレゼントしていた騒動がありました」

それぞれのワインのラベルには、こう書いてある。
白ワイン:「優しさ輝く日本の未来 おぶち優子 OBUCHI YUKO」
赤ワイン:「おぶち優子 伝えたいふる里の心 OBUCHI YUKO」

鳥井信治郎 「ワシらの霊界にも、生前に新聞屋(ぶんや)をしていて早耳だけがとりえの亡者とかが沢山いてな、そういう連中は“珍奇な見聞をよそから持ってきて吹聴する”という習慣が、死んでも抜けないんやわ(笑)。そういう連中から聞かされとったから、アンタの話はワシも知っとる。群馬の小渕優子はんの騒動やろ?」
花子先生 「ご名答です! 冥土にお暮らしなのに、よくご存じで……」
鳥井信治郎 「そりゃそうヤで。ワシらのほうが次元が上やから。アンタらの世界は、ワシらからみたら小さな培養皿のなかで増えたり減ったりしている雑菌みたいなもんやわ(笑)」
花子先生 「まあっ! そんなもんですの、冥土からみた私たちって?」
鳥井信治郎 「ハイな! ……で“小渕ワイン”の件やけど、ワシにはとっても気になることがある」
花子先生 「……とおっしゃりますと?」
鳥井信治郎 「小渕ワインは、群馬の榛名山(はるなさん)のふもとで製造してるらしいナ。冥土に伝わってくる話では“群馬県吾妻郡中之条町”の国道沿いの店らしいけど」
花子先生 「よくご存じで……」
鳥井信治郎 「あたりまえや。冥土の情報力からみれば、俗世なんて便所虫の世界やで。アンタもいっぺん死んでみなはれ(笑)」

「小渕ワイン」の製造元は、群馬県中之条町市城1384で
「群馬の地ワイン」を作っている「■■農園」だという
(気の毒なので、あえて名を伏した)。椎名山のふもと
にあり、フルーツワインなど各種のワインを製造する
有名酒蔵だ。

花子先生 「鳥井会長さん、“死後の世界”のことなんて、お釈迦様さえ語らずに済ませたのに、あなたはブッダを超越していらっしゃいますワね。……でも、あなたのお話しは、俗世の霊媒芸人さんのお口をつうじて語られていますから、話半分に聞いておきますワ」
鳥井信治郎 「そりゃ寂(さび)しいのぅ。まあ、口寄せなんぞという貧乏くさい商売が、俗物世界にはびこっているから、しょうもないけどな(笑)」
花子先生 「ところで、会長さんが気になっておられることって何ですの?」
鳥井信治郎 「そやそや、忘れるとこだったわ。アノなぁ、群馬の榛名山のふもとっていうのは、福島原発の爆発で、ごっつぅ死の灰をかぶったところなんや」
花子先生 「まぁ! 鳥井会長も俗世の放射能汚染を気にしておられるの?」
鳥井信治郎 「あったりまえや! 最近、ぶらぶら病でこっちに来る連中がゴッツ増えてな。ワシらは豪快に昇天したから、辛気(しんき)くさいホトケさんが続々とやってくるのには閉口しとるで」
花子先生 「俗世のあたしたちには想像もつかない事情がおありですのね」
鳥井信治郎 「……でなぁ、花子先生。2011年に福島原発が爆発して、“死の灰”が関東一帯に降りましたやろ。もちろん群馬県にも、ぎょうさん降ったわけや。その直後から、関東周辺が放射能でどない汚れたかは、当時の政府でさえ、ちゃんと測定しとった」

小渕ワイン製造所周辺の放射能汚染の推移。福島原発の爆発事故以降、
文部科学省が進めてきた、全国的な放射能汚染の実態を、時系列順に
示した。この分布図で示したのは原発事故から半年後の2011年9月から、
翌2012年末までの代表的な放射性セシウム(Cs134とCs137)による
汚染状況である。セシウムは少なくとも39種類の同位体があり、その
うちのセシウム133以外は、すべて放射性同位体である。あまりにも
種類が多いので、政府はこれら全部を測定したわけではない。
半減期が2年のセシウム134と、使用済み核燃料から発生する放射能の
大部分を占めるセシウム137(半減期30.17年)だけを測定したわけだ。
もちろん原発の爆発で野外環境に放出されたのはセシウムだけでない。
だからこの分布図は、福島原発による放射能汚染のほんの一部を示した
にすぎない。“小渕ワイン”の製造元も残念ながら、福島原発災害が
もたらした放射能汚染の“ホットスポット”に位置していることが、
この分布図から見てとれる。時が経つにつれて、本当にゆっくりと
ではあるが、放射性セシウムの放射線量は減衰している。主な測定対象
のセシウム137の半減期がわずか30年だから、こうした傾向が見られる
のは当然だ。しかし福島原発公害による放射能汚染はセシウムだけでは
ない。もっと長寿命の放射性元素による汚染も当然起きているが、測定
してないから「見えてこない」だけだ。
(出典:放射線量等分布マップ拡大サイト/電子国土

花子先生 「鳥井会長、福島原発事故のときの政府は民主党政権で、国民に対して『放射能汚染はただちに影響はない』とか、ずいぶんと気休めやウソを言ってたんですのよ。そんな政府を信用できませんわ」
鳥井信治郎 「そりゃアンタの言うことは正しいデ。だけど、そのあとに出てきた安倍はんの盗賊内閣よりもずいぶんマシやないか(笑)。政府なんてのは基本的に盗賊やワ、税金ドロボーの盗賊にはチガイない。……でも原発事故の直後には、政府はちゃんと放射能汚染を計っていたんだから、それさえもゴマカしている安倍はんのドロボー内閣よりは、すこしはマシやろな(笑)」
花子先生 「群馬ワインと放射能汚染のつながりなんて、考えたこともありませんでしたわ」
鳥井信治郎 「政府の測定結果をみるかぎり、小渕ワインの製造所のあたりは、可哀想なことやけど放射能汚染の“ホットスポット”になっていたんやワ。……もちろん、放射能というのは時間の経過とともに減衰する。物理学者はんの言い方を借りれば“半減期”って奴があるからな。でも現実はどうや? 福島原発からは今もとめどなく放射能がもれてるんやで」
花子先生 「日本もトンデモないことになってしまいましたわね」

★          ★          ★

鳥井信治郎 「あのなぁ、花子先生。ワシが赤玉ポートワインの宣伝ポスターを作ったときの同志が、“広告作家(アドライター)”の片岡敏郎クンやったんやけど……」
花子先生 「あの日本初のヌードポスターを作った、世人の心を喚起する天才的な作家さんですわね?」
鳥井信治郎 「そのと~り! その片岡くんが、小渕優子ワインのラベルとポスターを考案してくれたんやわ」
花子先生 「まあ! それはありがたいことですワね。あの世とこの世の共同制作(コラボレーション)ですわ!」
鳥井信治郎 「まず、こっちの世界で悠々自適の片岡クンが、デザインしてくれた小渕ワインのラベルがこれや……」

おぶち憂子・白ワインのラベル

おぶち憂子・赤ワインのラベル

花子先生 「まぁステキ! このラベルを印刷して切りとって、市販のワインボトルに貼れば、だれでもあの憧(あこが)れの“小渕ワイン”を楽しめますワね!」
鳥井信治郎 「さよう。そういう意味では使い勝手のあるラベルやでぇ、これは」
花子先生 「……で、鳥井会長さん。ポスターというのは?」
鳥井信治郎 「ハイな、これや!」

赤玉ポートワインの宣伝ポスターが登場したのは1922(大正11)年、
関東大震災の前年のことである。裸体を写した日本最初の宣伝広告
である。それから92年を経た今、小渕優子議員が、赤恥ワインの
広告塔をつとめることになった。


花子先生 「まぁ! 素敵なポスターですこと。小渕さんの魅力がぞんぶんに描かれた宣伝ポスターですわ」
鳥井信治郎 「そうやろ? 親の七光りで国会議員になっただけのアホ娘かも知れないが、まだこの人には未来がある。がんばってほしいと思うとるワ。最近、優子はんはスキャンダルまみれで経産大臣をやめたけどな……」
花子先生 「だけど優子さんは経産婦ですから、経産大臣になる資格はあるでしょ?」
鳥井信治郎 「あると思うよ。しょせん日本の大臣なんぞ、アメリカさまのご用聞きやさかい、馬鹿でもできる賤業(せんぎょう)でっせ。そやから誰でもできる仕事だす。アホな優子ちゃんにも十分にできる仕事だったはずや」

花子先生 「政治資金をネコババしたくらいで大臣を辞めさせられたのは、可哀想なことですワね」
鳥井信治郎 「……まあ、公金のネコババなんて村会から国会にいたるまで、議員ならたいていはやってることでっしゃろからな(笑)」
花子先生 「けっきょく、“カカア殿下にからっ風”という群馬の風土で、小渕優子さんは、政治上のライバルに刺されたのかも知れませんわね」
鳥井信治郎 「あそこには金玉タヌキがおるからのぅ(笑)」


群馬県出身の自民党議員といえば1980年代に首相をつとめた
中曽根康弘が代表格だ。……だけどこの人はけっきょく
アメリカの対日占領支配の“現地マネージャー”として
日本の対米“売国政策”を、タヌキのキンタマ袋のように
拡げただけだった

 

きょうはこれでおしまい。
また今度、お話しましょうね。
では皆さん、ごきげんよう。 さようなら。

 

 

(屁世滑稽新聞は無断引用・転載を大歓迎します。
ただし《屁世滑稽新聞(http://www.rokusaisha.com/wp/?p=5593)から引用》
と明記して下さい)

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ノーベル賞科学者がようやくたどり着いたドクター・中松の境地

青色LEDの開発でノーベル物理学賞の受賞が決まった米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授の中村修二氏が文化勲章を受章した会見で次のように発言し、元勤務先の日亜化学工業と仲直りしたい意向を表明したそうだ。

「受章を機に、(社員だった)日亜化学工業と関係の改善を図りたい」(時事通信)
「日亜がLEDで世界をリードしたからこそ、私のノーベル賞につながった。小川英治社長、青色LEDの開発をともにした6人の部下、全社員に感謝したい」(スポーツ報知)

中村氏といえば、2004年、日亜社に発明の対価を求めた特許訴訟の第一審で約200億円の支払い命令を勝ち取って話題になった。これに日亜社側が控訴、翌年、最終的に日亜社が約8億4000円を支払うことで和解が成立した際には、失望感をにじませて不満のコメントを言い連ねたものだった。しかし10年近い年月を経て、かつて身を置いた会社から受けた恩義の大きさに改めて気づいたようだ。

残念ながら日亜社側は中村氏と仲直りする気がまったくないようだが、筆者はこのニュースを聞き、9年近く前に会った、ある人のことを思い出していた。その人の名は中松義郎(86)。「ドクター・中松」の異名でお馴染みの発明家だ。

取材の際にもらった中松氏の2003年9月発行の著書「ドクター・中松の発明伝説」(本体3000+税)

◆商社マンだったドクター・中松氏

中松氏と会ったのは2006年の2月初めのことだった。筆者は当時、ある夕刊紙で著名人に無名時代を振り返ってもらうインタビュー記事を毎週一本書かせてもらっており、その企画の一環として中松氏にも少年時代やサラリーマン時代の話を聞かせてもらったのだ。

国内では中村氏と同等以上に有名な発明家である中松氏だが、東京都知事選に何度も立候補するなど言動が破天荒なため、世間では奇人変人のたぐいと見る向きもある。だが、その経歴は華麗である。

東大の工学部を卒業後、最初に選んだ進路は大手総合商社の三井物産。学生時代から種々の発明に取り組んでおり、卒業後はメーカーで技術者になることも考えたが、「エンジニアではなく、ブン(文)ジニアになるべき」という考えからの選択だったという。

三井物産入社後はヘリコプターを売る部署に。当時は軍用でしかなかったヘリコプターに自ら発明した農薬散布装置や空から安全に電線を張る装置をつけ、農業関連の会社や電力会社に売りまくり、ベストセールスマンになったという。

「東大時代に開発したフロッピーディスクが話題になり、会社の株が1日に14円上がったこともありました。幹部に『中松室』をつくるから発明に専念してくれと言われ、女子社員にもモテモテでした」

そう語る中松氏は当時すでに70代後半だったが、気さくで、暖かみのある人だった。話の受け答えなどから常人離れした頭の良さを感じさせる人でもあった。29歳で三井物産から独立し、実業家兼発明家としての人生を歩んだが、取材の際に訪ねた経営する会社「ドクター中松創研」の建物は大変立派で、思ったより多くの従業員が働いていた。経済的成功を収めていることは間違いなかった。

◆「発明の基本は愛」

では、冒頭の中村氏のニュースに触れ、筆者が中松氏のことを思い出したのはなぜか。それは取材の際、辞めてから半世紀近くも経つ三井物産に対し、「ビジネスの基本を教わった」「自分の重要なヒストリーの一部」と強い愛着を語っていたからだ。中松氏はちょうどこの頃、中村氏ら研究者や技術者が勤務先の会社に対し、発明の対価を求める例が増えていた風潮について、こんな違和感も口にしていた。

「発明は儲けるための道具ではない。発明の基本は愛なんです」

実際、中松氏が麻生中学2年生の時、自ら手続きをして最初に特許をとった「無燃料暖房装置」は、冬の時期に寒い台所で働く母親を楽にさせたいという思いで発明したものだったという。

ノーベル賞を受賞した中村氏と、イグ・ノーベル賞を受賞した中松氏。どちらが発明家として優れているのかは、筆者にはわからない。しかし、今回の中村氏に関するニュースを見る限り、中松氏が子供の頃から自然に「発明の基本は愛」という考え方を身につけていたのに対し、中村氏は人生の終盤になり、ようやく同じ境地にたどり着けたようにも見える。

中松氏は今年6月、前立腺ガンに冒されて2015年末までの命と宣告されたことを告白。現在はガンを直すための発明に励んでいるそうだが、良い結果が出て欲しい。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

本日発売!『紙の爆弾』12月号!公明党「結党50周年」─700万「創価学会票」で自公融合15年など注目記事満載です!

 

《大学異論16》京都大学が公安警察の構内潜入を拒否するのは100%当たり前!

11月4日、京都大学構内に潜入していた川端署の公安警察が学生に発見され、学生が取り押さえ身分確認などを行うという諍いがあり、京都大学当局は警察の行為を(学生の行為ではない)「極めて遺憾」と表明した。学生が潜入した公安警察を取り押さえたのは「極めて当然な行為」である。

「大学の自治」、「学問の自由」などについてはこれまでもこのコラムで触れてきたが、その究極は「大学の国家からの自由」であり、国家の暴力装置たる警察を大学が拒絶するのは、原理的に自明過ぎるほど自明である。

近年、こういった大原則についての不理解や、国家の側からの締め付け、更には痴呆化した大学が自ら警察を学内に招き入れるなどという、自殺行為が何の疑問もなく横行しているので、京大生の今回の行為を正しく理解できなかったり、奇異な目で見る向きもあるようだ。だが、大学と警察の間に本来、親和性はないし、あってはならないのだ。

しかも今回、京大に潜入した公安警察はその数日前に行われたデモで京大生が逮捕されたことに対する抗議集会を探りに来ていたというのだから、学生に拘束されたのは、あまりにも当たり前である。デモにおける京大生逮捕(公務執行妨害)がでっち上げであるにもかかわらず、警察とはかくも陰湿な手を使い学生や大学を監視、弾圧するのである。

小出裕章=京都大学原子炉実験所助教

◆小出裕章=京大助教に見る「筋の通し方」

同じ京都大学に在籍する原子炉実験所の小出裕章助教は先ごろ前首相菅直人の訪問を打診され、それを受けたものの、SPが付いてくると分かったため、大学の構内に入れることをよしとせず、勤務終了後に学外で菅直人と会ったそうだ。これも研究者として、「極めて当然な行為」である。

また、小出助教が暮らす職員宿舎は手狭で老朽化しているために、改築工事を行うとの提案が過去あったそうだ。改築すれば1軒当たりの面積も1.5倍程度に増えるので利用者は喜んだが、からくりがあった。同じ国家公務員ということで、「京大教職員宿舎」にもかかわらず、海上保安庁の職員を入居させたいと大学当局は打診してきたという。これに対し、小出助教は「海上保安庁職員はいわば海の警察官だからそんなものは認めることができない」と発言し、住民達も同意したので結局改築自体が見送られることになった。このような行為や姿が大学としては当たり前なのだ。

◆お隣の同志社は学内に交番を設置した恥ずかしい大学

京都大学の面する「今出川通」を西に1キロ強の位置に同志社大学がある。この大学はあろうことか、昨年からその敷地の一部を交番に提供している。つまり大学の敷地の中に警察を常駐させているのだ、知を探求する大学の姿勢として「最低レベルの大学」と言わねばならない。交番設置にあたり、大学内では教職員組合が大学執行部に質問を行った程度の議論はあったようだが、はっきりとした反対運動もなく「国家権力の暴力装置」を学内に招き入れている。恥ずかしい大学だ。

原発事故後に大学で原発推進の講義を行うエセ学者に抗議をしたために「無期停学」処分を下したり、大学に対する学生の抗議に対して「営業権」という、腰を抜かすような理屈を持ち出したり、学生弾圧専門の体格の良い専門家を用意して平然と暴力を振るったり、学生の抗議を見えづらくするために不要な工事を行ったり、公安警察を平然と学内に招きいれたりする腐りきった大学がそのうちに出てくるであろう。

と、未来形で語れないのがこの時代の悲劇だ。交番を設置したアホな大学として同志社をあげたが、西の横綱が同志社であれば、東の正横綱は「法政大学」である。法政大学の教職員は今すぐ京都大学に出向き、大学の根本を学んでくるべきだ。同志社大学の教職員もお散歩がてら京大へ1日研修に赴いてはどうか。

私は以前、大学職員時代に公安警察と懇意にしていた旨のコラムを書いた(「公安警察と密着する不埒な大学職員だった私」)。それは全て「警察から情報を引き出し、それを学生に与える」のが目的のゲリラ戦法だった。個人のスタンドプレーともいえる。警察(公安)を騙しても、学生を騙すことは金輪際しなかった。私の行為は決して褒められたものではないけれども、大学存立の大原則は踏み外さないよう意識した。

◆卑劣な反動の矢に当局が屈した時に大学の存立意義は終焉する

京大生と京大の「極めて当然な行為」に対して、いずれ反動の矢が飛んでくだろう。

東大ポポロ事件」のように。(※Wikipediaの記事の中には一部正確さを欠く部分があるが大筋はご理解いただける)

そして飛んでくる反動の矢は「ポポロ事件」とは比べ物にならないくらい卑劣で激烈なものだろう。しかしそれに抗することを放棄しては大学の存立意義は終焉する。

私は京大生の行為を「極めて当然な行為」と評価する、褒め称えない(本音を言えば心の中で喝采しているけれども)。何故か。京大には「警察を学内に入れる際には当局と学生の了解がなければならない」とする内規があり、今回の行為はその内規に沿うもので、言わば「ルール通り」の行動だからだ。

京大にこの内規がなければ、目下、学生がやられ放題に弾圧されている法政大学のように京大の学生たちも簡単に警察に売り飛ばされたであろう。京大だって当局がいつ態度を翻すかは油断ならない。京大には内規があるものの、今や良心的な教職員は少数派だからだ。この事件の行方から暫く目が離せない状況だ。

▼田所敏夫(たどころ・としお)

兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。

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《脱法芸能17》ジミ・ヘンドリックスが強いられた「奴隷契約労働」

「芸能界の暴力汚染」は、日本だけに見られる現象ではない。エンターテインメントの本場であるアメリカもかつては暴力が跋扈していた。

フランク・シナトラがイタリア系マフィアとの黒い噂が絶えなかったし、ジミ・ヘンドリックスは暴力に怯えての演奏を余儀なくされた。

Jimi Hendrix "Electric Ladyland"(1968年)

1960年代末、世界でもっとも有名な黒人ミュージシャンとなっていたジミには、人種を理由に多くの団体が関係を持ちたがっていた。その中には黒人民族主義運動を急進的に展開していたブラックパンサーも、マフィアもジミに接触しようとしていた。

ジミは黒人でありながら、ファンのほとんどが白人であり、同胞の黒人社会では今ひとつ受け入れられなかった。また、黒人系の団体から「ジミは黒人社会に借りがある」と主張した。

◆ジミヘンを銃口で脅し演奏させたハーレムのギャング団

1969年夏、ニューヨークの黒人街、ハーレムのギャング団が、ジミを脅迫して演奏をさせようと企て、ジミの承諾も得ないで勝手にコンサートを企画して、そのポスターを街中に貼っていた。

ある時、ジミがこのポスターを街で見かけると、コンサートの主催者のひとりであるギャングが仲間とともに現れ、銃を持ち出し、銃口をジミに突きつけた。

これがきっかけとなり、ジミは黒人仲間から「自分からハーレムでのコンサートに出演しなければ、無理強いされることになる」と説得され、ハーレムでのコンサートへの出演を決めた。このコンサートは入場無料だったため、出演料も出ず、結局、レコード会社が寄付金を出してジミのギャラをまかなうことになった。

翌年の夏のツアーでも、多くの黒人系の過激な政治団体が「暴動を起こされたくなければ売上を引き渡せ」と要求してきた。主催者側は団体に寄付をしたが、結局、何千人もの抗議者たちが入場料を支払わずに会場になだれ込んだ。

◆マネージャー=マイケル・ジェフリーが強いた奴隷契約

ジミを暴力で脅したのは、黒人だけではなかった。

ハーレムでのコンサートからしばらくした後のある晩、ジャムセッションの後で、コカインを調達するため、見ず知らずの人間と店を出たジミは、そのまま誘拐され、マンハッタンのアパートで監禁された。

誘拐犯は、ジミを解放する条件として、マネージャーのマイケル・ジェフリーにジミとの契約を引き渡すことを要求した。ジェフリーは、彼らの要求には応じず、マフィアを雇って犯人を捜させ、事件が起きて2日後に、ニューヨーク州郊外のショーカンのジミの自宅でジミを保護することに成功した。あまりに奇妙な事件だった。

後に、ジミのバンドのメンバーでベーシストを務めていたノエル・レディングは、「ジミが他のマネージャーを捜そうとするのを思いとどまらせるために、ジェフリーは誘拐事件を仕組んだのではないか」と語っている。

その誘拐事件の数週間前には、ジェフリーがジミの自宅にやってきて、ジミと仕事の話をしている間、ジェフリーの運転手が拳銃を取り出し、庭の木に向かって発砲し始めるということがあった。

その時、ジミの家に住んでいたミュージシャンのジュマ・サルタンは「ジェフリーのその訪問は、自分がボスだということをジミに見せつけることが目的だったのではないか」と語っている。

権力を持ったジェフリーはジミを半ば強引に働かせ続けた。70年7月、ジミは取材で次のように話している。

「僕はまるで奴隷だった。仕事ばっかりだ。初めは楽しかったけど、今はまた人生を楽しみたいんだ。僕は引退するよ。これからは娯楽が優先だ。仕事はもううんざりだよ」

その直後、ジミは映画撮影のため、ハワイに行ったが、浜辺で足を怪我し、その治療のために滞在が延び、2週間の休暇を得た。実際の怪我に必要な手当より大袈裟に包帯を巻いて、ジミが重症を負ったことを証明するための写真を撮影し、ジェフリーに見せる必要があったという。ジェフリーはジミを支配していた。

69年10月ジミは、黒人ミュージシャン2人と組んで「バンド・オブ・ジプシーズ」を結成するが、ジェフリーは全員が黒人のバンドに難色を示していた。

70年1月28日には、ニューヨーク、マディソン・スクエア・ガーデンでバンド・オブ・ジプシーズとして出演したが、2曲演奏た後、急にジミの体調が悪化し、公演は中止となった。その理由はコンサートを妨害しようとジェフリーがジミに大量のLSDを盛ったからだと、ドラムのバディ・マイルスは主張した。その数日後、ジェフリーはバディを解雇し、バンド・オブ・ジプシーズも解散した。

70年9月18日、ロンドンのホテルに滞在していたジミは、ワインを飲みながら睡眠薬を服用したために中毒状態となり、睡眠中に吐瀉物で窒息し、帰らぬ人となった。デビューからわずか4年、27歳での死だった。

その3年後73年3月5日、ジェフリーはフランスの航空管制室のストライキ中にマジョルカ発ロンドン行きの飛行機で向かう途中、他の飛行機と接触事故に遭った。飛行機はナント市近郊で大破し、乗客は全員死亡したとされるが、レディングは著書の中で、「ジェフリーは実際には飛行機に搭乗しておらず、生存しているのではないか。多数の目撃証言もある」などと主張しているが、真偽は不明だ。

▼星野陽平
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

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《大学異論15》北星学園大学を追い詰めた「閾下のファシズム」

先に北星学園大学の英断を讃えエールを送る駄文を書いた(http://www.rokusaisha.com/wp/?p=4938)。それから1月もたたないうちに残念至極、しかしほの暗いメタファーに満ちた記事を新聞に見つけた。見出しは「北星学園大学 朝日元記者契約『更新しない』」だ。記事によると10月31日同大学の田村信一学長が記者会見を開き、「朝日新聞元記者との契約を更新しない方向で検討をしていることを明らかにした」そうだ。その理由として「学生の不安が大きい上に、警備など多大な危機管理費用の問題もあり「臨戦態勢を続けることは体力的に厳しい」と判断したとされている。最終的には学内手続きを経て理事長と学長が判断するという。北星学園大学のホームページには「本日、一部メディアに報道されたことについて」との表題で大学の見解が示されている。まだ最終決定ではない、との趣旨だ。
http://www.hokusei.ac.jp/images/pdf/20141031.pdf

新聞記事によると10月31日には不審な白い粉が入った封筒が大学に届き、警察が威力業務妨害で調べている最中であるという。10月24日には脅迫犯の一人と思われる男が逮捕されたことを受けて、学長が「本学に対する脅迫電話の容疑者逮捕について」と題した学長見解も示されている。長きにわたる可視、不可視の嫌がらせに北星学園大学が内部でどれほど疲労し尽したことか・・・。
http://www.hokusei.ac.jp/images/pdf/20141024.pdf

◆大学は自由であればあるほど、結束や団結が難しい

先の北星学園大学学長田村氏の英断に賛同し「負けるな北星!の会」なる団体が結成されていたそうで、新聞記事によると「『犯人の要求を呑むことに等しい。北星学園大学だけではなく、みんなが言うことを聞くと思わせてしまう』と反発している」そうだ。この新聞記事の信憑性がどの程度か(地方紙だからおそらく共同通信の配信だろう)を吟味する必要があるが、「反発」という表現には違和感を覚える。「落胆」や「同情」ではないのか。また有名な大学教員なども多数名前を連ねているが、彼らは声明を出す以外に何か具体的な援護射撃をしたのだろうか。

かくのたまう私自身、北星学園大学の英断にエールを送ったものの、大学へ電話をかけ、担当職員に断固支持と尊敬の念を伝えただけで、自身の何かを賭けて支援活動を行ったのかと言われればそうではない。「安全圏」から新聞紙ほどの触感もないパソコン上の記事で賛同の意を示しただけである。

私は自身を含めて安全圏からのみ発言し、何の行動もとらない人間が必至の戦いの末に苦渋の結論を導き出した判断を批判する資格はないと考える。闘ったことのない人間ほど勇ましい言葉を吐く。

大学は自由であればあるほど、結束や団結が難しい。それは多様な価値観を認めることの裏返しでもあるからだ。私は大学職員時代、学外からの攻撃や嫌がらせに対して、大学が「組織」として如何に弱腰であるかを幾度か経験した。だから北星学園大学の苦渋の判断を無碍に批判できない。数か月以上にわたる様々な攻撃嫌がらせ、脅しが続いていれば普通の大学は直ぐにギブアップしていただろう(先の手塚山学院大学のように)。

◆いまは1944年なのか?──「横山健の動画」に感じた眩暈と嘔吐感

しかも時代が時代だ。政府は「日本政府の名誉回復」を年内に行いたいと言っている。名誉回復?何の?答えは「従軍慰安婦報道誤りにより傷つけられた日本国家の名誉」なのだろう。更なる腹の内は、第二次大戦でアジア侵略を行った事実のすべてを消し去るか、あるいは「欧米列強からの解放」と宣言したいのだろう。今何年だった?2014年だ。本当か?1944年じゃないのか?

さらに、「閾下のファシズム」はあなたの住んでいるご町内の隅々まで、既に浸透している。「原発反対」とか「戦争反対」を語る言葉や行動の中にさえ、「ちょっと失礼しますね」とばかりに何食わぬ顔をしてとんでもない因子が上がり込んできてる。例えば以下に紹介する「横山健」という人を私は知らなかった。ある人が(その人は「脱被曝」を掲げて地方選挙で市会議員候補者として出馬予定のミュージシャンを応援している)感動を持って「横山健が日の丸を振るようになった理由」として紹介いていた。映像の長さは13分45秒。やや長いがご覧頂きたい(告白すれば私は眩暈と嘔吐感を押さえられなかった)。

私は「横山健」を批判しない。いや、正しく言えば、怖くて批判などできない。13分45秒の間、胸苦しさとともに私を支配したのは絶望的な恐怖感だ。体が震えていたと思う。本当に怖い。本心もうこの国から逃げ出したい。「被災地支援」と「原発反対」と「日の丸を降られる快感」が「横山健」には等価なのだ。マスコミに強制された「絆」のように押しつけがましくなく、咲きもしない花を歌う「花が咲く」のように嘘くさくもなく、若者が心地よく踊るライブに掲げられる「日の丸」。会場で降られる「日の丸」そしてそんな彼に感動しながら「脱被曝」候補の応援をする「良心的なボランティア」達。これらが表層上何の矛盾もなく横並びに手をつなぐ。

冗談じゃない。

「原発反対」、「被曝反対」の若者が歓喜しながら日の丸を振る姿の裏の心性。幾つかの穏やかな不可逆的変換を経て、北星学園大学にメールや電話で攻撃を仕掛ける行動へと変異する「閾下のファシズム」とそれは無縁であろうか。誰か「絶対そうではない!」という答えを教えてくれないか。

「右も左もない」、「国を愛して何が悪い」、「国旗だから」。反論を封じ込める優しさが根拠となった、あやふやな社会正義。議論の領域を閉ざす感情的な絶対正義。それらが「悪性細胞」として国家に寄り添う実際暴力を支える細胞核をなす。本人たちには悪意などは全くない。それだけに厄介なのだ。だが待て、「悪性細胞」は私の中には皆無だと言い切れるのか。日常生活の一切においてファシズムと完全絶縁状態を保ち得てるだろうか。

北星学園大学事件は私たちひとりひとりに「本当にお前大丈夫なのか?考えていることと行動が乖離していないか?否、本当に充分に考え抜いたのか?調べつくしたのか?」と再質問を投げかける試薬なのだ。

 

▼田所敏夫(たどころ・としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しない問題をフォローし、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心が深い。

 

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《屁世滑稽新聞14》火山の近所の原発再稼動で「地方早世」……の巻

屁世滑稽新聞(屁世〔へいせい〕26年11月3日)

火山の近所の原発再稼動で「地方早世」……の巻

情報ライブ「ミエネ屋」オープニング
https://www.youtube.com/watch?v=pxCRKPP8FCg

ミエネ 「こんにちワ。情報ライブ“ミエネ屋”です。きょうは冒頭からトンデモない事件がとびこんできました。さっそく藤邑(ふじむら)レポーターから伝えてもらいましょう。藤邑さん、藤邑さん!」
藤邑レポーター 「はい!藤邑です。わたしは今、じつは福岡県庁に設置された“桜島大噴火臨時対策本部”の前におります。けさ午前3時まえに突然おきた桜島の大噴火は、観測史上かつてない規模のものでして、我々は鹿児島の現地に近づくことができません。対策本部もこのように九州北端の福岡県庁に置くしかないという、とてもきびしい状況です」
ミエネ 「……で藤邑さん、鹿児島の現地どうなってるかわかります? いちばん気がかりなのは川内(せんだい)原発でっせ。このあいだ地元の議会やら役場が原発の再稼動を認めて、九州電力も政府も大喜びしたばかりだったやないの。その原発、今朝からの噴火でドナイなってんの?」
藤邑レポーター 「ミエネさん、まず川内原発の様子ですけど、この写真みてください。原発がずっと運転を止めていたんで、その間はこんなふうに、風光明媚でのんびりした景色が広がっていたんですよ」

九州電力が運転休止していた当時の川内原発。
地平線のかなたに桜島がみえる。(薩摩川内市
の川内川河口をのぞむ海上から航空撮影)

ミエネ 「ホンマに絶景やんか! デッカイお便所みたいなもんが、手前の海辺に立っていなければ、美しい海と山にめぐまれた自然の楽園なんやけど、今となっては残念なことしたナア……」
藤邑レポーター 「次にこの写真ですが、これは先日の地元の再稼動容認をとりつけて、浮かれていたときの川内原発の様子です」 

 

再稼動決定を祝う川内原発。右から1号機と2号機。
九州電力では原発に紅白水引幕をたらし、くす玉で
飾り立てて、再稼動の決定を歓迎した。

ミエネ 「なんやの? これ? 河内の盆踊りのやぐらみたいやんか。電力会社や政府にしても、原発を受け入れた地元の自治体にしても、ひょっとして原発を“大仏さん”とか“七福神”みたいに思うてヘンか? なんや科学技術というよりも、ご利益をくださる舶来の神さまみたいに思うてんとチャウ?」
藤邑レポーター 「ミエネさん、私もじつは同じことを感じておりました。大都市から離れた辺鄙(へんぴ)な場所で、地元の政治家とか有力者のホッペタを札束で叩いて飼い慣らして、それでこういう大きな迷惑施設を建てさえすれば、地元も潤(うる)おうからケッコウなことであると……なんだかそういう欲ったかりのスケベ心が、この川内原発にはあからさまに見えるのですよ。在来仏教の権勢だけでなく、その時代時代のパトロンの権勢をも世間に見せせつけるウラ心があって、古来から日本のあちこちに建てられきた大寺院などを、この原発の間の抜けた風体から連想してしまいます……」
ミエネ 「ナア藤邑はん、あんたテレビ本番でそんなこというて大丈夫なんか?」
藤邑レポーター 「ミエネさん。この番組はなんていう題名でしたっけ? ミエネ屋ですよ、みえねヤ! スポンサーとか東京のナベツネに因縁つけられたら『そらスンマヘン、なんも見えね~や(笑)』ってシャレてゴマカしゃいいんですよ」
ミエネ 「藤邑はん、アンタ日本でいちばん勇敢なレポーターやワ。僕が保証したる。……ところで今、川内原発はどないなってんの?」
藤邑レポーター 「我々は現地に近づくことができないので、この目で川内原発の現状をみるのは不可能です。しかしここに、川内原発の被災後の姿を米軍が無人偵察機グローバルホークで高々度から撮影した写真があります。先ほど政府の福岡対策本部で発表されたばかりのものです」

桜島の大噴火で、川内原発も大量の火山灰や火山弾に襲われ、
長年の不安が現実のものとなった。川内原発はたちまち制御
不能におちいり、1号機・2号機ともに爆発炎上を起こした。

ミエネ 「……これはひどい。九州の南部一帯に噴火の被害が及んでいることが、一目みてわかります。……そして藤邑さん、我々が恐れていたことが、ついに起きてしまいましたね」
藤邑レポーター 「……ええ。そのうち大噴火が起きてトンデモないことになるって、みんながあれほど反対したのに。一部のバカ野郎のせいで、国って簡単に亡びていくものなのかもしれませんね」
ミエネ 「フクシマの二の舞になった感があります。今回は原発から噴き出した“死の灰”が、どんなふうに飛散していくかを予測する“緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム”のSPEEDI(スピーディ)が動いていませんから、もうこんな写真みちゃうと絶望的な気分ですね」
藤邑レポーター 「ごらんのように、すでに川内原発は1号機も2号機も爆発炎上を起こしているので、被曝の危険性が高いから人間が操縦する偵察機で接近することはできません。そしてそもそも、桜島から噴出した非常に粒のこまかい火山灰が、大気中に高濃度で漂っているので、航空機が近づくこと自体、非常に危険です。……ですから無人偵察機で、非常にたかい高度から、望遠写真で眺めるしか手がありません」
ミエネ 「そういえば2011年の東日本大震災で福島原発が爆発炎上したときも、米軍のグローバルホークは事故翌日から原発の上空を飛んで監視していました(https://www.youtube.com/watch?v=AC8ORgWDelw )。ところで藤邑さん、対策本部はなんでアメリカ軍の航空写真をあっさり公開したんやろか? 日本政府ってふつうそういうの隠すでしょ?」
藤邑レポーター 「今回は隠しきれないと観念したんじゃないですか?(笑)」
ミエネ 「さよか(笑)。災いが大きすぎて、小手先のウソは通じないと踏んだかな……。で、藤邑さん、福岡の対策本部でほかに発表されてることありますか?」
藤邑レポーター 「鹿児島現地や原発との通信も途絶していますし、避難の状況もまだつかめていません。今回の大噴火は、自然災害が我々の“想定”をやすやすと超えてしまうことを、こんなかたちで教えてくれました。」
ミエネ 「わかりました藤邑さん、また何か動きがあったら教えてください。藤邑さん、くれぐれもからだに気いつけてぇヤ! そして被災者の皆さまのご無事を祈りましょう。……コマーシャルのあとは次のコーナーです」 

★CM(あいさつの魔法、ACジャパンhttps://www.youtube.com/watch?v=zBqekh3glxA
★CM(瀬戸内寂聴 ACジャパンhttps://www.youtube.com/watch?v=0jjlf2KXa1E

 

ミエネ 「では次のコーナーに行きます。ホントは今日なにもなければ、これが冒頭やったんやけど。予期せぬ災害が起きてしまったんで……。スタンバイしてはった餅ヶ瀬(もちがせ)さん、エライ待たせてすまんナァ。どうぞ思う存分レポートたのんますワ!」
餅ヶ瀬レポーター 「ハイ! ミエネさんに過大な期待をかけられてしまいましたが、芸能畑ひとすじのワタクシ餅ヶ瀬が、きょうお伝えするのは永田町のエライ人たちの“知能検査”……ということになってしまいました(笑)」
ミエネ 「餅ヶ瀬チャン、IQテストを持って議員会館へ行ったんか?」
餅ヶ瀬レポーター 「いえいえ、ミエネさん、ちがうんですよ。『ちほうそうせい』が何を意味するのか、安倍政権の大臣たちに単純に聞いてまわっただけなんですが、わたくしの想定外の答えがつぎつぎと返ってきたので、急きょ“お笑い企画”に変更したんです」
ミエネ 「ホンマでっか? それではイントロ映像から行ってミヨっ!」 

 安倍晋三首相は「ちほうそうせい」を行政の柱にすえ、
石破茂を「ちほうそうせい」大臣に据えたが、この2人は
いったいどこまで言葉の意味をわかっているのだろう?

 

餅ヶ瀬レポーター 「え~、わたくしは安倍政権が売りものしている『ちほ~そうせい』というスローガンが、いったい何を意味しているのか知りたくて、安倍政権の幹部のかたがたに、その意味をたずねて回りました。その結果は、わが目を疑うものでした。まず副総理の麻生太郎さんに聞きました。『麻生副総理!“ちほ~そうせい”ってどういう意味ですか、この色紙に書いていただきたいのですが?』……」
ミエネ 「……で、麻生さん、書いてくれたの?」
餅ヶ瀬レポーター 「ハイ。評判の高い、あの立派な筆づかいで書いてくれたのですが……ガッカリでした……(笑)」

麻生太郎副総理に「ちほうそうせい」と書いて下さいと
頼んだのだが……


ミエネ 「これは重症やナァ。麻生さん、すでにボケてるんとチャウか?」
餅ヶ瀬レポーター 「サア? わたしは医者じゃないので、そこまでの判断はつきません。麻生さん一流のボケかもしれませんし……」
ミエネ 「やっぱりボケやないか(笑)。こんなボケが出せるの、昨今はお笑い芸人でもなかなかオラへんで(笑)」
餅ヶ瀬レポーター 「ミエネさん、つぎは辞任するまえの、経済産業大臣になったばかりの小渕優子さんをたずねました。これがまた大変な結果になったんです。この写真をみて下さい……」


政治資金不正流用スキャンダルが出てくるまえ、経産大臣
(辞任前)の小渕優子氏に「ちほうそうせい」と書いて
下さいと頼んだら、全然関係ないことを書いたから
ビックリした。それを撮ったら心霊写真になってたから
2度ビックリした。

 

ミエネ 「うわぁっ! お父さんの幽霊が写ってるやんか! そうか……小渕恵三さんも、娘さんを案じて成仏できへんのか。優子ちゃんはもっとシッカリせんとアカンな。おトウちゃんが死んでも心配かけてることを、この写真をみて自覚せにゃアカンわ」
餅ヶ瀬レポーター 「しかも誤字ですし……」
ミエネ 「優子ちゃんも、新米の経産大臣で張り切っていたんだとしても『稼動』を『嫁動』なんて書いちゃイカンよなぁ……。だいたい優子ちゃんのところは、前の職場の同僚だったTBSプロデューサーの瀬戸口くんが、小渕家にムコ入りして、夫のほうから苗字を変えたんだから『嫁動』すらしてへんで。早稲田はレベル低いなぁ……」
餅ヶ瀬レポーター 「つぎは政界とは違いますが、たまたま局内で上方漫才の大木こだま・ひびき師匠と出会ったので、『ちほ~そうせい』について聞いてみました」
ミエネ 「餅ヶ瀬さんもムチャしますなぁ(笑)」
餅ヶ瀬レポーター 「でもさすがベテラン芸人さんでした」


ついでに、上方漫才の大木こだま・ひびき両師匠に
「ちほうそうせい」についてコメントをうかがった
ところ、「チッチキチー!」とツッコミを入れられて、
「チー放送せえ!」と迫られた。 

 

ミエネ 「こだま師匠は“チッチキチーシール”をまだ売ってたんかいな?」
餅ヶ瀬レポーター 「大阪なんばグランド花月の地下にある“吉本笑店街”で、売られているという話を聞いたことはありますが、いまも売っているのかどうかは、ごめんなさい、わかりません。……そして最後は“ちほ~そうせい大臣”の石破さんに、『“ちほ~そうせい”ってどういう意味ですか?』って聞いてみたんですが……。散々でした(笑)」

さてどんじりに控えしは、「ちほうそうせい」担当大臣の
石破茂氏であるが、その意味を書いてもらったところ
彼はトンデモない思いちがいをしていることがわかった。 

 

ミエネ 「石破さん、なんかトンデモない誤解をしてへんか? 『早世』って“早死”するという意味なんだけど、石破さんはひょっとして“若くして出世する”ことだと勘違いしてへんか?」
餅ヶ瀬レポーター 「……それなんですけど、石破さん、かなり危ないかもしれません」 

 

藤邑レポーター 「ミエネさん、ミエネさん! 藤邑ですが、いましがた福岡県庁の桜島大噴火臨時対策本部で石破大臣が記者会見をしましたので、その様子をお送りします」


石破「地方早世」大臣、桜島の大噴火に、指を立てて
風向きを見ながら曰く…… 。・゚・(ノД`)・゚・。

 

ミエネ 「藤邑さん、ごくろうさまです。石破大臣は人差し指をたてて、風向きをみて、“人間スピーディ”を演じたわけですね? 器用やナァ、この人(笑)」
藤邑レポーター 「ミエネさん、石破大臣の“人間スピーディ”は親の七光りで東京電力に就職した娘さんから教わったそうです。指一本で“死の灰”が流れていく先を予測できるなら、たしかにスーパーコンピューターなんて必要ないですよね」
ミエネ 「人差し指一本で放射性物質の拡散を予測できる石破さんは、髪の毛をピンとたてて“妖気”を計るゲゲゲの鬼太郎みたいですね」
藤邑レポーター 「水木しげる先生の劇画ですか。石破さんが鬼太郎なら、安倍総理はヒットラーってことになりますね」

水木しげる著『劇画ヒットラー』

ミエネ 「それ言うたら、小泉政権で経済方面の大臣として重用されて、いまも安倍政権のアベノミクスの知恵袋として暗躍している竹中平蔵さんなんか、『墓場の鬼太郎』に出てくる“吸血鬼エリート”やんか」

 

水木しげる著『墓場の鬼太郎』の吸血鬼エリート

藤邑レポーター 「つまり安倍政権は百鬼夜行の化け物集団だってことですか……」
ミエネ 「藤邑くん、この企画は真夏にやっておきたかったよナァ。“安倍政権は人の生き血を吸う妖怪集団”だってことでゴッツおもろい企画になっただろうに。タイミングはずしたワ(笑)」
藤邑レポーター 「ミエネさん、諦(あき)めるのはまだ早いですよ。これからまた消費税の増税が行なわれて、やつら国民の生き血をチューチュー吸いよるからね」
ミエネ 「それ行こっ! 納涼企画で行くでぇ!……って、増税がきまるの真冬やんか! どこまでも人でなしの政権やなぁ……」
藤邑レポーター 「吸血鬼ですから、そりゃ“人でなし”ですよ(笑)」
ミエネ 「スタジオの外じゃ火山が大噴火して原発も爆発してるのに、エエんかいな、こんなことしていて?……」

(ここでCMが入る。以下略のまま終了)

 

 

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