尾﨑美代子
いくつかの重要なミッションが終わりつつあるので、少し前のことだが、6.23、あの日のことを書いておく。
正月明けから問題になっている「2秒の視線」問題に関連して6月23日大阪の難波屋で「反戦ライブ」──6.23沖縄戦犠牲者慰霊の日に沖縄の声に耳を傾け、1.31声明、4.3声明に抗するライブをする宣言──というライブが開催された。宮城善光さん、Swingmasaさんらが演奏し、その間に何人かがアピールした。私も、自分は沖縄や辺野古の活動には直接関わってないので躊躇していた。しかし、「2秒の視線」問題については、直接は関わってないが、非常に関心をもってみてきたので、結果、ライブで発言させてもらった。その内容をかいつまんで書いておく。

その少し前、一連の問題の中で、どなたかがこんな発言をしていた。「本土の支援の方が手作りのゼッケンも持ってきてくれたら、着てみなければならない。歌を歌ってくれれば手拍子のひとつもしないといけない」と。それがずっと頭にこびりついていた。
本人がよかれと思ってやっていることが、現場で闘う人たちにはどううつるのか。負担になることもあるかもしれない。実はそんな体験を私はしていた。
80年代初め東京の日雇い労働者の街・山谷に支援に入っていた時だ。あれは越冬闘争のときだ。私たちの組織は2班に分かれ、24時間体制で入っていた。前日朝8時に越冬闘争会場の玉姫公園に入ったら、翌日の8時までいて、第2班と交代する。公園の活動は朝食準備、片づけ、掃除、相談業務、公園から争議へ、夕食準備、片づけ、ワッショイデモ等々、一日中忙しかった。
24時間体制とはいえ、支援には夜組合事務所などに寝る場所が確保されていた。そんななか、「なぜ支援者だけ暖かい場所で寝るんだ。労働者と行動を共にすべき」と考えた私は「今日は労働者とここで野宿しますわ」と宣言。労働者がいる焚火の間に入らせて貰った。しばらく話していたが、睡魔が襲ってきて、敷かれていた段ボールに横になったらすぐに寝込んだ。翌日は朝食の準備のため5時頃には起きたのではないか。すると、私が寝ていたダンボールを囲んでいた数人の労働者が口々にいうのだ。「ねえちゃん、寒くなかったか」「よう、寝てたわ。疲れてたんやな」と……。私は何をやっていたんだ。
時が過ぎ、釜ヶ崎で似たことがおこった。2019年、釜ヶ崎で労働者や野宿者が寄り所にしているセンターが3月末で閉まるとなった。結局反対の声が多くて、3月末には閉まらず、最終的に暴力的に閉鎖されたのは4月24日だった。センター閉鎖により、昼間センターで安心して寝たり、夕方閉鎖後も周辺で仲間と寄り添って野宿していた人は、完全に外に放り出された。
私は米などカンパしてもらったので、毎日簡単な弁当を作り、野宿者に配った。1日せいぜい10数個の弁当。センターの北側、JR新今宮駅を降りて横断歩道渡ってすぐの場所に、知ってる人が野宿していた。数年前まで仕事に行っていて、私の店にもときおり寄ってくれた人。相手も気づかれたら嫌だろうと思い、最初は彼がいないときや寝ている時に、こっそり枕元に弁当を置いてきた。
ある日、気が付いていた彼が「ママ、ありがとね」というので、翌日からは普通に置いてくるようになった。彼は年上の知り合いと二人で野宿していた。ある日、相方の彼が「ママさん、俺も羽振りが良かったとき、ママさんの店に数回行ったことあるんやで」というので、その後は二人とよく話すようになった。
センター閉鎖後、京都や福井から、いろんな人が現場を見に来てカンパなどを寄せてくれた。そんななか、当時のTwitter(現在のⅹ)でフォロワー数が多い著名な外国に住む日本人女性が来日し、釜ヶ崎にも来たいと連絡してきた。
その日、私は彼女に、新今宮駅を降りて横断歩道を渡ったところで待っていると告げた。そう、あの2人が野宿している場所だ。彼女は少し遅れて、約束のその場所に来た。と思ったら、すぐに野宿する2人にかけより2人の間に入り込んだ。
皆さん、ご存じだろうか。野宿する人のタイプはいろいろだ。簡単なテントを作る人、地べたに段ボール敷き、その上に野宿する人、どこかからもってきた簡易ベッドで野宿する人……。しかし、その2人は、山積みのゴミの上(とはいえ、そのごみは段ボールだったり、漫画本だったり、衣類だったりする)の間で野宿していたのだ。彼女は2人の間に座り込み、誰かに渡すつもりで持ってきた缶ビールを渡し「イエーイ」とピースサインをしてみせた。缶ビールをもらった2人も彼女に習ってピースサインをした。彼女はその写真を自撮りで撮った。
私は、彼女とはほとんど話もせずに別れた。翌日彼女のTwitterを見たらサムネが2人の野宿者と彼女がピースする写真だった。私は確か彼女に「その写真アップしていいの?」と聞いたと思う。彼女の答えは「おじさんが出していいと言ったから」だった気がする。
翌日の彼女のTwitterにはこんな告知があった。「帰国する前に東京に寄るのでオフ会をしたいと思います。参加できる方、DM下さい」。帰国前のオフ会で、彼女は会った方々にこんな話をしたのではないか。「今回日本にきて釜ヶ崎にも行きました。ええ、野宿しているおっちゃんたちとも仲良くすることができました。その証拠がこの写真です。いえい」とか?
私はあの日、越冬闘争が闘われている玉姫公園で、労働者と一緒に焚火の周囲で野宿した話は、その後一回も人に話した覚えはない。以上、6・23難波屋ライブで発言させてもらったことです。
「本土の人が手作りゼッケンもってきてくれたら、着けてみなくてはならない」「歌を歌ってくれたら、手拍子でもしなければならない」。どなたかのあの言葉が忘れられない。
良かれと思ってやったことが相手の負担になったり、運動の妨げになることがある。もっと言えば、良かれと思ってやっている「フリ」をして、じつは活動家、人権派、正義の味方の貴方を輝かせる、目立たせる「ダシ」に使ってはいないか。弱い立場の人たちに寄り添うというとき、私たちはそのことを忘れてはいけない。

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58
