利権まみれの大阪・関西万博パビリオン建設 ── 維新は、お仲間業者を儲けさすことに必死のパッチ

尾﨑美代子

◆トラブル続きで「死者がでるかも」

維新の会は、お仲間業者を儲けさすことに必死のパッチ。

万博、開幕前予想していたトラブル以上のトラブルが起こっている。アンゴラパビリオンの建設を請け負った下請け業者に、上の業者が4000万円支払ってない件、しかもその上の業者が大阪府から建設許可証をとってないとか、建設の実績はほぼないとか、あり得ない事態もおこっている。

アンゴラパビリオンは開幕日に1日だけ開館し、その後ずっと閉めているって気の毒すぎだし、この件で万博協会が「民間同士の契約トラブルのため関与しない」とつれないそぶりなのも無責任すぎないか。これ、国家事業だろう? 大阪府も市も絶賛推進してただろう? 吉村なんかずっと万博ワッペン付けてただろう。それで「しらんぷり」はあり得んだろよ。下請け業者さん、うえの業者に何回連絡しても繋がらないって。「死者がでるかも」だって。

◆万博利権と類似した釜ヶ崎の労働関連施設建設をめぐる癒着構造

この件で思い出したのが、釜ヶ崎の「あいりん総合センター」の解体が決まって、そこに入っていた2つの労働施設、あいりん職安と西成労働福祉センターが2019年春に、隣の南海電鉄高架下の仮庁舎に移転した件だ。

センターは頑丈な重量鉄骨構造、職安は簡易なプレハブ構造と、構造がまるで違っていた。公金(税金)使う場合は最低限にしなくてはならないのだし、数年しか使わないのだから、簡易なプレハブ作りでよいはずだが。

センター仮庁舎は1517㎡、費用は約7億500万円。同じ規模の公的な建物(警察署とか公民館)と比べても非常に高い(ちなみにプレハブ構造の職安の建設費用は2億3000万円)。センター仮庁舎と同じく4年から6年使用する予定の他の仮庁舎の場合、建設から解体、現状回復までかかった費用は、センターの半分以下の3億円を超えるものはなかったという。センター仮庁舎を作った業者はどれだけ中抜きしているのだ!

当時、私たちもそれを問題にしてきたのだが、行政はその工事は南海電鉄高架下に作るという「特別な工法」なので、南海電鉄関連業者に随意契約でやってもらうしかないと言ってきた。どこがどう「特別な工法」かはわからなかったが、なんと出来て数か月で雨漏りがしたという……出来てすぐに雨漏りがするという「特殊な工法」だったのか。疑問が深まる。

プレハブ構造のあいりん職安
重量鉄筋構造のセンター
[左]開業から2ヶ月で天井から雨漏り。これが「特別な工法」のせいか??/[右]すんごい穴!

と、そんな頃、店の客の仮枠大工の兄さんから「ママ、7億あればけっこうなマンションが建つで」と言われた。「えっ本当?」と思っていたら、ある情報番組でハリウッドの「ヒルズだからビューが素晴らしい」という3階建て300坪、プール付きの大豪邸が約5億円と紹介されていた。建設費用と完成物の違いはあるものの、他でも調べると、ハリウッドのセレブな人たちの超豪邸が7億円未満でいくらでもあるではないか。7億円というのはそういう金額なのだ。セレブな方々の豪邸は何年たっても雨もりなんかしないゾ。

◆パビリオン建設に名を連ねる維新のお友達業者

ほかにもあるパビリオン建設費用の未払い問題で考えたのは、そのいい加減な業者は絶対維新のお友達業者であろうということだ。

維新の松井一郎の親族会社「大通」の主要取引先が南海電鉄グループの企業である住之江競艇場を経営する住ノ江興業で、松井の親族はここの電飾関係の管理や修理を行い儲けている訳だ。

あるいは、大阪城の樹木や大阪各地の街路樹をバッサバサと伐採する造園業「翠宝園」という八尾市の業者は、維新の前田洋輔府議の実家で、その前田府議の職歴見ると、この翠宝園のほかに大通も入っているという。ちなみに彼は松井の秘書をやっていたこともあるという、どんだけわかりやすいお仲間構図なんだ。

星野リゾート前のJR高架下に出来た「屋台村」もずっと閑古鳥が鳴き続けていたが、ついに撤去となった。あそこの連中もきっと維新のお仲間なのだろう。

◆万博会場で販売されていた統一教会系飲料水「メッコール」

そういえば、万博会場で販売されてた水「メッコール」が販売中止となったが、あれは、流石に社会的に問題となってる統一教会の関連業者とバレたからだ。バレなきゃ売り続けていたということか。お仲間業者を儲けさすことしか考えない維新の会。しかし、この万博が維新の会の命取りになるだろう。維新政治を終わらせるために、万博が始まっても万博反対を訴えていこう!

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

5月28日(水)に「押し紙」問題を考えるインターネット番組を生放送、レイバーネットネットTVが企画

黒薮哲哉

古くて新しい社会問題──「押し紙」問題を検証するインターネットの番組が5月28日、午後7時30分から、生配信される。タイトルは、「新聞『押し紙』のヤミ」。レイバーネットTVが企画した番組で、出演者は次の通りである。

出演者:黒薮哲哉(フリージャーナリスト、「メディア黒書」主宰)
    岩本太郎(ライター、週刊金曜日)
    中川紗矢子(元毎日新聞記者、イギリス在住/オンライン)

アシスタント:馬場朋子

放送日 2025年5月28日(水)19:30~20:40(70分放送)

・視聴サイト https://www.labornetjp2.org/labornet-tv/216/
(YouTube配信 https://youtube.com/live/mKSHrurEzXs?feature=share

企画の発端は、レイバーネットTVによると、昨年末に同事務所宛てに「一枚のFAXが届いた」ことである。「送り主は「読売新聞東京本社管内 読売新聞販売店 店主有志一同」。『34店を代表してやむにやまれずお伝えします』の書き出しで、『読売新聞の予備紙(押し紙)率が40%を超えていて、その負担に耐えきれず倒産、破産とともに一家離散などの悲劇が各所で生まれている。事実を知らせ世論喚起をしてほしい』という内容だった」。

番組の詳細については、次のURLを参考にしてほしい。

http://www.labornetjp.org/news/2025/0528kokuti

◆「押し紙」は一部も存在しないという立場を取ってきた新聞各社

ちなみに日本新聞協会をはじめ、新聞各社は、「押し紙」は一部も存在しないという立場を取ってきた。たとえ残紙があっても、それは販売店が自発的に購入した新聞であるから予備紙に該当し、新聞社が押し売りしたものではないという主張である。

とりわけ読売新聞の代理人を務めている自由人権協会代表理事の喜田村洋一弁護士は、20年来この考えに固執していて、法廷でも、堂々とこの主張を繰り返してきた。

たとえば、読売が『週刊新潮』に対して起こした裁判の中で、喜田村弁護士は、当時の宮本友丘専務に次のように証言(2010年11月16日、東京地裁)させている。

喜田村弁護士:この裁判では、読売新聞の押し紙が全国的に見ると30パーセントから40パーセントあるんだという週刊新潮の記事が問題になっております。この点は陳述書でも書いていただいていることですけれども、大切なことですのでもう1度お尋ねいたしますけれども、読売新聞社にとって不要な新聞を販売店に強要するという意味での押し紙政策があるのかどうか、この点について裁判所にご説明ください。

宮本:読売新聞の販売局、あと読売新聞社として押し紙をしたことは1回もございません。

喜田村弁護士:それは、昔からそういう状況が続いているというふうにお聞きしてよろしいですか。

宮本:はい。

喜田村弁護士:新聞の注文の仕方について改めて確認をさせていただきますけれども、販売店が自分のお店に何部配達してほしいのか、搬入してほしいのかということを読売新聞社に注文するわけですね。

宮本:はい。

2012年7月6日には、元販売店主の家屋を仮差押えするなどの行為にも及んでいる。(下写真参照)

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2025年5月20日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

TITANS NEOSメインイベンターは試練の木下竜輔、新日本キックの牙城守れず!

堀田春樹

牙城守れない興行がまた発生したが、
注目はチャンピオン初戦の木下竜輔がどんな存在感を示すか。
15歳、西田蓮人はセミプロという現在地から今後を占う成長ぶりを発揮出来るか。
他、NJKFから参戦の庄司理玖斗と翔依斗の兄弟が存在感をアピール出来るか。
といった見どころも木下竜輔は持ち味発揮出来ず判定負け。
庄司理玖斗は優翔の圧力に圧され判定負け。
弟、翔依斗はスピーディーに試合を支配し判定勝利。
西田蓮人もスピーディーに多彩な攻防の末、僅差ながら判定勝利。

◎TITANS NEOS 36 / 5月11日(日)後楽園ホール 17:15~20:54
主催:伊原プロモーション(TITANS事務局) / 認定:新日本キックボクシング協会

この記事での試合順はオープニングファイトから第1としてカウントします(興行プログラムとは異なります)。

前日計量は10日14時より伊原ジムにて、木下竜輔は2回目でパス。他の選手は1回でパス。

◆第16試合 59.0kg契約3回戦

日本スーパーフェザー級チャンピオン.木下竜輔(伊原/1996.2.12福岡県出身/
59.15→58.95kg)13戦5勝(3KO)8敗
        vs
NJKFスーパーフェザー級7位.細川裕人(VALLELY/北海道出身23歳/ 58.95 kg)
9戦5勝3敗1分
勝者:細川裕人 / 判定1-2
主審:少白竜
副審:勝本29-30. 宮沢29-30. 中山30-29

木下竜輔がどうノックアウトに結び付けるかが注目の初回、素早いローキックから入る木下。細川裕人はパンチと蹴りで圧力掛けて前進。打ち合えば木下の強打にチャンスはあるが、タイミングが命。打つ体制が悪いと強いパンチを打ち込めない。

接近戦ではヒジ打ち入れるも効果薄く、細川は長身からのヒザ蹴りは距離感よく見映えいいヒット。木下は効いていたらマズいがその様子は無さそうだった。

細川のパンチ、ヒザ蹴りは木下に攻め難い圧力を掛け続けた。時折、木下の強い右ミドルキックがヒット。もっと蹴らないとペースを引き寄せられないが単発で終わってしまう。

細川裕人の圧力が優った展開、左ミドルキックで木下竜輔を追う

第3ラウンドには木下が勝ちに行く前進を見せるも、細川の勢いは衰えず、終盤に木下の右ミドルキックの強いヒットはあっても、もっと続けて蹴りたかったところだった。判定はスプリットデジションで細川裕人が勝利した。

残り時間少ない中、木下竜輔が強い右ミドルキックを放った

◆第15試合 スーパーバンタム級3回戦

ポンパン・エスジム(タイ国出身40歳/ 55.2kg)56戦31勝25敗
      vs
鰤鰤左衛門(CORE/北海道出身43歳/ 55.1kg)42戦10勝27敗5分
勝者:ポンパン・エスジム / 判定3-0
主審:椎名利一
副審:少白竜30-28. 宮沢30-28. 中山30-28

両者、ローキック中心に上下の蹴りとパンチ。ポンパンはヒジ打ち加えるなどベテランの上手い攻め。鰤鰤左衛門も怯まず蹴って出るがポンパンは動じない。互いにダメージ与えるヒットは無い中、バックハンドブローも見せる積極的な鰤鰤左衛門。適材適所の攻めが上手かったポンパンの判定勝利。

鰤鰤左衛門のバックハンドブローとポンパンのミドルキックが交錯

◆第14試合 59.0kg契約3回戦

優翔(team NOVA/神奈川県出身22歳/ 58.75kg)41戦31勝(7KO)10敗
      vs
NJKFフェザー級5位.庄司理玖斗(拳之会/岡山県出身22歳/ 58.8kg)
17戦10勝(5KO)6敗1分
勝者:優翔 / 判定3-0
主審:勝本剛司
副審:椎名30-27. 少白竜30-27. 中山30-27

初回の蹴りの攻防は優翔が長身の距離感を上手く使ってハイキックも使う。庄司理玖斗は攻めたいが突破口が開けないか、パンチで優翔をコーナーに詰めてもクリンチに逃げられ、優翔の離れた位置からのヒザ蹴りも攻勢を印象付けるヒット。

理玖斗は前に出てパンチを打ちたい、そんなセコンドからの指示にも対応遅れ気味。優翔の蹴りやパンチヒジを先に打たれてしまう。

終盤、理玖斗はパンチでラッシュするも決定打を与えるに至らず、フルマークで優翔の判定勝利。

長身の優翔が距離を上手く使ってヒザ蹴りも繰り出した
庄司理玖斗も攻勢に転じる前進も見られたが逆転成らず

◆第13試合 77.0kg契約3回戦     

マルコ(伊原/イタリア出身34歳/ 76.3kg)13戦7勝(2KO)3敗3分
      vs
デイトン・ボウイズ(米国/ 74.6kg) Warren(=ウォーレン/米軍截空道)の欠場で代打出場
勝者:マルコ / TKO 2ラウンド 1分34秒 /
主審:宮沢誠

マルコが重いローキックとヒザ蹴りで攻め、デイトン・ボウイズはローキックを防御出来ず、マルコのパンチからローキックにバランス崩す。デイトンはパンチで攻めてもマルコに組まれヒザ蹴りを受けてしまう。

第2ラウンドにはマルコのローキックで嫌がるデイトン。蹴られてバランス崩しスリップ扱いのダウンもあり、マルコのパンチとヒザ蹴り連打、離れてハイキックからパンチ連打でスタンディングダウンを宣せられて、マルコは更にパンチ連打とローキックでデイトンを倒すとノーカウントのレフェリーストップとなった。

マルコのローキックでデイトンは終始劣勢

◆第12試合(セミプロ試合) 52.0kg契約2回戦(2分制)

西田蓮斗(伊原越谷/東京都出身15歳/ 51.45kg)
      vs
烈海王(MIYABI/茨城県出身15歳/ 50.85kg)
勝者:西田蓮斗 / 判定2-0 (20-19. 20-19. 19-19)

4月にタイのプーケットで奪取したというパトンスタジアム・フライ級チャンピオンベルトを掲げて登場の西田蓮人。素早い両者のフットワーク。上下の蹴り、組み付いての競り合い崩し合い。蹴られてもまともにブロックや躱しでまともに貰わないディフェンス。休まない攻防。ジャッジ三者揃うラウンドは無い中、西田蓮人が的確さ優って僅差ながら判定勝利。

15歳同士、西田蓮人と烈海王の攻防はスピーディーに激しく交差した

◆第11試合 70.0kg契約3回戦

ヴェジー・チョル(伊原/愛知県出身38歳/ 69.5kg)7戦3勝2敗2分
      vs
風成(エス/東京都出身27歳/ 69.6kg)5戦2勝(1KO)1敗1分1NC
引分け 1-0
主審:椎名利一
副審:中山29-29. 宮沢30-29. 勝本29-29

初回は風成の蹴りとパンチが次第に圧してヴェジー・チョルをコーナーに詰め優勢だった風成も、第2ラウンドはヴェジー・チョルのパンチの前進で攻勢。蹴りで圧していた風成もウェジーが蹴りで巻き返し互角に持ち込む。

第3ラウンド、一進一退の攻防は続くもヴェジー・チョルのハイキックが軽くヒット、右ストレートもヒットも風成の重い蹴りで互角の展開が続いた。

ウェジーがパンチでアグレッシブに前進。風成も重い蹴りを繰り出した

◆第10試合 50.0kg契約3回戦

林さん(GRABS/北海道出身23歳/ 49.85kg)4戦2勝2敗
      vs
庄司翔依斗(拳之会/岡山県出身17歳/ 48.95kg)2戦2勝(1KO)
勝者:庄司翔依斗 / 判定0-3
主審:少白竜
副審:椎名28-29. 中山28-29. 勝本27-29(三者、庄司に反則減点1含む)

庄司翔依斗はスピーディーにローキック中心に前進し、林を上回り、組み合っても翔依斗がバランスよく態勢を保つ。距離感掴んで繋ぎ技も上手い翔依斗。第2ラウンドも翔依斗の攻勢が続くもバックハンドブローがヒジ打ちとなって林の後頭部にヒットし、ヒジ打ち禁止の為、翔依斗に減点が課せられた。

第3ラウンドも翔依斗の圧倒する攻勢は変わらずも、翔依斗は初回から後ろ蹴りを計2度、バックハンドブローを計3度試みたが、ノックダウンを奪うに至らず判定勝利。

庄司翔依斗はスピーディーに攻め優った中、後ろ蹴りも見せた

◆第9試合 ヘビー級2回戦

小澤和樹(シュアリング/千葉県出身36歳/ 95.0kg)32戦15勝(5KO)16敗1分
      vs
直也(横須賀太賀/神奈川県出身28歳/ 114.6kg)1戦1敗
勝者:小澤和樹 / TKO 1ラウンド 57秒 /
主審:宮沢誠

接近戦でパンチの攻防。直也が小澤和樹をロープ際に詰めたところで小澤の右ヒジ打ちが直也の左眉辺りをヒット。もう少々攻防は続いた後、傷を見たレフェリーがドクターチェックに移り、ストップ勧告を受けレフェリーストップとなった。

◆第8試合 ライト級2回戦

山本龍平(拳粋会宮越道場/埼玉県出身19歳/ 60.6kg)3戦1勝(1KO)2敗
      vs
勝鬼(横須賀太賀/神奈川県出身19歳/ 58.95kg)1戦1敗
勝者:山本龍平 / KO 2ラウンド 16秒 /
主審:勝本剛司

初回から山本龍平の蹴りとパンチの圧倒する展開。勝鬼は山本のハイキックをブロックしながらも俯いて躱す劣勢。俯いてしまっては相手が見えず、逆に危険な状態。でも倒されないのは山本の決定打が足りないのか。それでも山本のヒザ蹴り猛攻からハイキック、パンチで追うと勝鬼は倒れずもスタンディングダウンを宣せられた。第2ラウンド早々には山本の左ミドルキックが勝鬼のボディーにヒットすると、今度はあっけなくノックダウンし、そのまま立てずテンカウントを数えられた。

山本龍平が勝鬼を終始圧倒して追い込んでいった

◆第7試合 女子ミネルヴァ・ペーパー級(95LBS)3回戦(2分制)

ペーパー級1位.上真(ROAD MMA/1985.10.16石川県出身/42.75kg)18戦6勝11敗1分
        vs
ロウ・イツブン(NEXT LEVEL渋谷/中国出身29歳/ 43.0kg)7戦2勝4敗1分
引分け 0-1 (29-30. 29-29. 29-29)

蹴り合いと組み合っての崩しや距離に応じたヒザ蹴り、前蹴り多彩に競り合った。初回は上真がやや優勢。第2ラウンドはロウ・イツブンがやや盛り返したか。そのまま決定打が無いまま終了。

◆第6試合 女子ミネルヴァ・アトム級(102LBS)3回戦(2分制)

ピン級1位.杉田風夏(谷山ジム小田原道場/神奈川県出身28歳/ 46.05kg)
5戦4勝(1KO)1敗
      vs
KANA(Bonbo Freely/茨城県出身42歳/ 45.8kg)3戦2勝1敗
勝者:杉田風夏 / 判定3-0 (30-27. 30-27. 30-27)

互いのアグレッシブな攻防ではあったが、杉田風夏が前蹴りで距離感を維持し、蹴りからパンチの攻めが攻勢を維持しフルマークの判定勝利。

◆第5試合 女子ミネルヴァ 54.0kg契約3回戦(2分制)

MIO LaReyna(TEAM REY DE REYES/千葉県出身18歳/ 53.9kg)7戦1勝5敗1分
       vs
ゼイナ・クランティッチ(ボスニア・ヘルツェゴビナ出身36歳/ 53.05kg)1戦1分
引分け 1-0 (29-28. 28-28. 28-28)

初回にMIOが右ストレートか、ノックダウンを奪うもゼイナも積極的なパンチの攻めを見せた。蹴り合っても互角を保ち、パンチ打ち合いで顔を背ける中島はやや劣勢の印象。盛り返した流れのゼイナだったが引分けとなった。

◆第4試合 女子アマチュア49.0kg契約2回戦(2分制)

中島瑠花(X-PLOSION/大阪府出身14歳/ 48.65kg)
        vs
ダマリス・ジョレット(2008.4.27スペイン出身/ 48.85kg)
勝者:中島瑠花 / 判定3-0 (20-18. 20-18. 20-18)

ダマリス・ジョレットはスペインで有望とされるアマチュアの戦歴ある17歳。フライ級でWBCムエタイ・ヨーロッパU-16とスペインU-18の王座を獲得。

ダマリスは蹴りは多彩に積極的に出ていたが、中島瑠花の右ストレートを貰い、パンチで圧されてしまう劣勢。中島はパンチと蹴りのコンビネーションを活かして判定勝利。

◆第3試合 アマチュア55.0kg契約2回戦(2分制)

透士(TRASH/広島県出身14歳/ 54.9kg)vs 本郷皇聖(笹羅/宮城県出身15歳/ 54.4kg)
勝者:透士 / 判定2-0 (19-19. 19-18. 20-19)

◆第2試合 女子アマチュア43.0kg契約2回戦(2分制)

結菜(伊原越谷/埼玉県出身12歳/42.6kg)vs 乃愛(マスター/東京都出身13歳/ 43.25kg)
勝者:乃愛 / 判定0-3 (18-20. 18-20. 19-20)

◆第1試合 アマチュアオープニングファイト 27.0kg契約2回戦(2分制)

土田紳之介(伊原越谷/埼玉県出身12歳/ 26.6kg)
      vs
虎鉄(POWER OF DREAM/東京都出身10歳/ 27.0kg)
勝者:虎鉄 / 判定0-3 (18-20. 18-20. 19-20)

《取材戦記》

今や新日本キックボクシング協会エース格となった木下竜輔にとってはプレッシャーの掛かるメインイベンター。ここで負けられない木下だが、細川裕人にとってはチャンス。NJKF色が強い現在の新日本キックボクシング協会の興行。そんなプレッシャーに圧されたか。木下竜輔はジョニー・オリベイラを倒したパンチと蹴りは鳴りを潜めてしまった。

苦戦の展開の末、採点が読み上げられ、ジャッジ一者ずつの支持、細川裕人と木下竜輔の名が呼ばれ、ドローとなる忖度かという雰囲気の中、2-1で細川裕人のスプリットデジション勝ち。木下竜輔にとって厳しい結果ながら妥当な判定だった。
今回は鈍臭い展開になっても勝ちを導かねばならなかった。逆に細川裕人はチャンピオンに勝った経験を足掛かりにNJKFに戻って上位進出となるだろう。

伊原越谷ジム、西田義和会長は木下竜輔について、「全然この前と違っていましたね。昔の悪い癖、パンチだけ。もっと下(脚)蹴ってくれればなと。蹴れるのに蹴らなかった。蹴っていればもっとプレッシャー掛けて前に出れたのに、下がり過ぎです。ポイント取られても仕方無いですね」

木下竜輔は「すみません。仕事出来ていないので言うことは無いです」とチャンピオンとして、メインイベンターとして責任を果たせなかった結果を、言葉少なに反省点を語った。

改善点を克服するなら、ジョニー・オリベイラを倒した勢いを取り戻すこと。元から強打を持ち、強い蹴りも出せることから戦略は陣営が示すだろうが、ここからの復活は可能だろう。

細川裕人陣営、VALLELYジム米田貴志会長は細川について、「結果はチャンピオンに勝ったんですが、内容は0点です……とは言い過ぎですけど、もっともっと前に出ていればなと。でも自信付いたと思うので、また内容も改善点いっぱいありますけど、結果出してくれたのでチャンピオンに向けて進みたいですね」

細川裕人は「勝っても2対1だったので、内容もまだまだです」と控えめながら、「チャンピオンを目指しますか?」との問いには「勿論です!」と意欲的だった。

庄司理玖斗は試合前、「今回、兄弟で出場させて頂いているので、まず弟の翔依斗にしっかり勝って繋げて貰って、3月に弟がデビュー戦のクセに後楽園ホールを盛り上げやがったので、僕もこれが兄だぞという試合やってしっかり倒したいと思います。去年の5月以来、後楽園ホールで勝ってブレイクダンスしてないので、今回は勝って舞いたいと思います」と語っていたが、ちょっとプレッシャーを与えてしまったかな。でもまた試練を乗り越えてNJKFに於いても関西に於いても頑張って貰いたい存在で、木下竜輔同様に改善点を克服していくだろう。

次回の新日本キックボクシング協会興行は、7月27日(日)に後楽園ホールに於いてMAGNUM.62が開催されます。おそらくは木下竜輔の連続出場が予想されます。次なるメインイベンターも育てなければならない下積みが続きます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

モラル崩壊の元凶・押し紙〈1〉平成11年の新聞特殊指定「改正」の謎

江上武幸(福岡・佐賀押し紙弁護団 弁護士)

▼新聞倫理綱領(2000[平成12]年6月21日制定)
「編集、制作、広告、販売などすべての新聞人は、自らを厳しく律し、品格を重んじなければならない。」
・「新聞は、公共の利害を害することのないよう、十分配慮しなければならない。」
・「販売にあたっては節度と良識をもってひとびとと接すべきである。」

▼新聞販売綱領(2001[平成13]年6月20日制定)
「新聞販売に携わるすべての人々は、言論・表現の自由を守るために、それぞれの経営の独立に寄与する責任を負っている。販売活動においては、自らを厳しき律し、ルールを順守して節度と責任ある競争の中で、読者の信頼と理解を得るよう努める。」

日本の新聞は明治・大正・昭和と軍国主義日本の台頭と歩調を一にして発展してきました。戦前、1000社を超えた新聞社は、戦争に向けて国論を統一するために40数社に整理統合され、戦時中は大本営発表を垂れ流す軍の広報紙に成り下がりました。戦後は、多くの若者を戦地に送り出して無駄死にさせた責任をとることもなく、新聞経営者らは、一転して占領軍の手先となって、鬼畜米英の対象だったアメリカを美化する役割を引き受けました。

讀賣新聞の正力松太郎氏や朝日新聞の緒方竹虎氏らがCIAのスパイ、あるいは協力者となったことは戦後日本の歴史的事実です。戦前の戦意高揚の記事の氾濫の中、戦地に送られて亡くなっていった若者達や、銃後に家族を残したまま最前線で餓死状態で死んでいった壮年兵達、あるいは内地で空襲や原爆でなくなっていった人達、沖縄で断崖から飛び降りていった人達など、多くの戦争の犠牲者の方達の無念の思いはどこに行ったのでしょか。

ウクライナやイスラエルのガザでは今でも戦争が続いており、数え切れないほどの尊い命が失われています。せっかくこの世に生を受けてきた幼い子供たちも大勢殺されています。21世紀に生きる私達は、宇宙から地球を見ることができる神の目を持ちえた最初の人類です。地球が広大な漆黒の闇に浮かぶチリほどの存在にすぎないことを知っています。同時にこの地球を滅ぼすことが出来る大量の核兵器を製造し貯蔵していること、原子力発電所を多数稼働させていること、それらがいったん暴走を始めたら誰のもとめることが出来ないことを知っています。

ネット上で巨石文明の写真をみると、人類は滅亡と誕生を繰り返してきたとの説もあながち嘘とは思えません。祖父母の世代は日清・日露戦争、父母の世代は太平洋戦争を経験しています。私たちの世代だけが戦争のない平和な時代を過ごせていいのだろうかという思いを抱えてきました。人生は長くてせいぜい7~80年程度です。残された時の間に私達の世代も同じ体験することになっても不思議ではありません。

しかし、高齢の私はともかく、次世代の子供や孫達の時代に戦争を体験することにならないようにしなければなりません。戦争の準備が着々と進んでいるかのように見えてきており、人間の愚かさをしみじみと感じるようになりました。

戦後民主主義教育を受けた世代で、新聞・テレビ等のマスメディアに対しては漠然とした信頼感がありました。まさか嘘はつかないだろうと思ってきました。しかし、ひょんなことから押し紙問題に首を突っ込むようになり新聞業界の闇を覗いたことから、はたして新聞・テレビが果たしている役割とはなんだろうという疑問と不安を覚えるようになりました。戦前と同じ過ちを新聞・テレビのマスメディアが繰り返す心配はないか。せめて、日本は戦争をせず、他国の戦争にも巻き込まれない、平和な国であって欲しいものです。

アメリカ並みの軍産官界複合体のもとマスコミを動員して戦争熱を掻き立てたるようになれば、その行き着く先は第二次世界大戦以上に恐ろしい光景しか見えてきません。幸い、今のところネット上でも公然と戦争熱をあおる番組には出会っていませんが、鬱積した失われた30年に対する若者の怒りが爆発したとき、そのエネルギーがどこに向かうのか心配です。

◆「天網恢恢疎にして漏らさず」読売新聞の渡邉恒雄氏の死に想う

本論に戻ります。発行部数1000万部を豪語した読売新聞の渡邉恒雄氏(写真出典:ARABU News)が、昨年2024年12月19日に亡くなられました。98歳でした。読売新聞1000万部が虚構の部数であったことを、渡邉氏の存命中に社会に知らしめることが出来ました。押し紙裁判に立ち上がった元読売新聞販売店経営者の方達の勇気と力の賜物です。もし、この方達が押し紙訴訟に立ち上がらなければ、渡邊氏は世界一の新聞社の経営者という虚名をまとったままあの世に旅立たれたことと思います。「天網恢恢疎にして漏らさず」の老子のことわざを思い出します。

読売新聞の渡邉恒雄氏(写真出典:ARABU News)

押し紙裁判により、渡邉氏が読売1000万部の虚構の部数をバックにして、日本の権力中枢の一角にまで食い込んだ単なる野心家にすぎなかったことを知らせることができました。渡邊氏は、晩年は、頭の片隅でいつも押し紙裁判の行方を気にしながら暮らしておられたのではないでしょうか。

黒薮さんが指摘されるように、押し紙問題の中心にはいつも読売新聞の存在がありました。ウィキペディアは昭和30年の新聞特殊指定の制定のいきさつを次のように書いています。

「第二次世界大戦後、紙の統制令が撤廃されると、新聞の拡販競争が激化し景品による顧客獲得競争が異常なほどに加熱した。特に読売新聞は景品の取締まりに反対しつつ、大阪に進出するに際して景品に多額の予算を投じて顧客を他社から奪う作戦に出るなどしたため、独禁法違反で提訴されている。そうしたなかで業界内から規制を求める声が高まり、昭和28年に再販制度が、昭和30年には新聞特殊指定が定められた。」

戦後、読売新聞が朝日・毎日に追いつき追い越せをスローガンに、金に糸目をつけない猛烈な部数拡張に走ったのは有名です。務臺光雄氏は販売の鬼と呼ばれ、「読売と名が付けば白紙でも売ってみせる。」と口にした逸話が残されています。

中央紙の地方進出を迎え撃つ立場に立った地方紙は、高価な景品の提供や無代紙・サービス紙等の配布による不公正な取引を禁止するため、新聞業の特殊指定を国に求めました。その結果、昭和30年新聞特殊指定が定められ、押し紙が禁止されました。その後、景品表示法の制定に伴い景品関係の条項が同法に移管されたため、昭和39年に新聞特殊指定の改訂がおこなわれました。押し紙禁止規定については、第4項が第2項に移行しただけで、「新聞発行本社は販売業者に対し注文部数を超えて新聞を供給してはならない」との文言に変更はありませんでした。

昭和39年の新聞特殊指定の改定にあたり、公正取引委員会と日本新聞協会の新聞公正取引協議委員会は、昭和30年の押し紙禁止規程の「注文部数」の定義が明確でないとの意見を踏まえ、実施要綱で「注文部数」の定義を明確化することにしました。具体的には、「注文部数」は、「購読部数に月末予約紙や月初おどり紙と呼ばれる新聞と地区新聞公正取引協議会が定める予備紙を足した部数である。」と定義しました。日常業務では、通常、予約紙やおどり紙は2%内の予備紙で賄うことができますので、購読部数に2%程度の予備紙を加えた部数が「注文部数」になります。

この「注文部数」の明確化により押し紙の解消は一気にすすむと考えられましたが、押し紙の解決は新聞社の自主性に委ねられていますので、法令を整備したからといって直ちに押し紙が無くなるわけではありません。

熊本日々新聞と新潟日報社は、昭和40年代後半に予備紙を購読部数の2%以内に抑えることに成功し、押し紙問題を自主解決しております。

(注:両社以外にどれだけの新聞社が押し紙を自主解決したのかは資料がないのでわかりません。)

その後、押し紙問題の自主解決が一向にすすまないことに痺れを切らしたからと思われますが、新聞公正取引協議委員会は昭和60年にモデル細則を定め、全国11の地区協議会に対し、予備紙の上限を購読部数の2%とする規定を設けるよう指示しました。しかし、地区協議会の細則に予備紙2%の上限規制が設けられた後も、新聞社は様々な抜け道をくぐって押し紙を続けました。

1997(平成9)年に、公正取引委員会は石川県金沢市の北國新聞社に対し、押し紙排除勧告を行いました。昭和30年の新聞特殊指定制定以来、公正取引委員会が押し紙の排除勧告をするのは初めてのことです。北國新聞社は、部数拡大を目指してあらかじめ販売店毎に仕入部数を指示して注文させ、その部数を供給する方法で押し紙をしていました。

告発を受けて調査に乗り出した公正取引委員会は、他にも同じような方法で押し紙をしている新聞社があることを知り、新聞協会を通じて加盟各社に対し取引方法の再検討と改善を求めました。現在、新聞社の請求書には、「貴店が新聞部数を注文する際は、購読部数(有代)に予備紙等を加えたものを超えて注文しないでください。本社は、貴店の注文部数を超えて新聞を供給することは致しません。」との文言が判を押したように印字されています。これはその時から記載されるようになったものと考えられます。

平成9年の北國新聞社に対する押し紙排除勧告書には、公正取引委員会委員長に元東京高等検察庁検事長だった根来?周氏(左写真、出典:デーリ―スポーツ)の名前があります。根来氏は平成8年8月から平成14年7月までの7年間、公正取引委員会委員長に就任しており異例の長さです。

(注:根来氏は、平成25年11月8日、81歳で亡くなっておられます。)

読売新聞の渡邉恒雄氏は、1999(平成11)年6月から2003(平成15)年6月までの4年間、日本新聞協会の会長に就任しています。つまり、根来氏と渡辺氏とは、平成11年6月から平成14年7月までの3年間、片や公正取引委員会委員長、片や日本新聞協会の会長として、共に、押し紙問題を解決する責任ある立場にいたことがわかります。

(注:根来氏は公正取引員委員会委員長を退任後は、日本プロ野球コミッショナーに就任しています。)

平成9年の北國新聞社に対する押し紙排除勧告から、平成11年の新聞特殊指定の全部改正に至るまでの間、公正取引委員会および日本新聞協会では押し紙問題に関する不可解な出来事が続いています。

第1は、北國新聞社に対する平成9年の押し紙排除勧告書に記載された「注文部数」の定義です。

勧告書には、「新聞販売業者が実際に販売している部数に正常な商慣習に照らして適当と認められる予備紙等を加えた部数が『注文部数』である」と説明されています。しかし、この「注文部数」の定義は昭和30年新聞特殊指定の実施要綱に定められていた「注文部数」の定義と同じです。前述したように、公正取引委員会は、昭和30年新聞特殊指定の実施要綱に定めた「注文部数」の定義は明確性にかけるとの意見を受けて、昭和39年新聞特殊指定の実施要綱では、「購読部数に月末予約紙と月初おどり紙、および地区販売協議会が定める上限2%の予備紙(昭和60年新聞公正取引協議委員会モデル細則)を加えた部数」であると明記しておりました。それにもかかわらず、勧告書の「注文部数」には「実際の購読部数に正常な商慣習に照らして適当と認められる予備紙等を加えた部数」という昭和30年新聞特殊指定の実施要綱に定められた定義が記載されております。つまり公正取引委員会の勧告書にあるまじき誤記載がなされていたのです。

公正取引委員会事務総局には独禁法の専門家が多数在籍しており、委員長は元東京高検検事長の法律問題のエキスパートであるにも関わらず、何故、このような注文部数の定義の記載間違いをしたのか理解できない不可思議な出来事です。

思うに、根来氏は北國新聞社に対する押し紙排除勧告に、昭和39年新聞特殊指定の実施要綱に定められた押し紙禁止規定の「注文部数」の定義を記載するのをどうしても避けねばならない事情があったと考えるしかありません。

当時、公正取引委員会は北國新聞社の押し紙違反事件の調査の過程で、他の新聞社も同様な方法で押し紙をしていることを掴んでいました。そのため、昭和39年の押し紙禁止規定の「注文部数」違反を勧告書で指摘すれば、他の新聞社も同じ勧告をせざるを得ません。そのため、北國新聞社に対する勧告書には、あえて昭和30年新聞特殊指定の実施要綱に定めた「注文部数」の定義を記載したと考えられます。

このように考えると、後述の平成11年新聞特殊指定の全面改正の目的と意図を明確に理解することが可能となります。

◆押し紙禁止規定を骨抜きにするための法改正

第2は、平成10年に地区新聞公正取引協議会が予備紙を上限2%と定めた細則が全国一斉に廃止された問題です。

前項に記載したとおり、昭和39年新聞特殊指定の実施要綱第3条2項には、「予備紙等の部数」について、「地区公正取引協議会が定める予備紙等」との定義が示されています。新聞公正取引協議委員会は昭和60年に「地区新聞公正取引協議会運営細則(モデル)」を策定し、第14条1項③で「予備紙」とは「新聞の購読部数の2%を限度として、販売業者が保有するもの」との定義を示し全国11の地区新聞公正取引協議会に対し細則に同様の定義を定めるよう指示しています。

しかし、この地区新聞公正取引協議会の細則等に定められた予備紙上限2%の自主規定は、平成10年に全国一斉に撤廃されたとのことです。この自主ルールの撤廃は、いつ、誰が提案し、どの機関で決定され、どのようにして全国11の地区協議会に伝達されたのか、詳細は全く不明です。

第3は、平成11年の新聞特殊指定の押し紙禁止規定の全面改正です。公正取引委員会は、平成11年6月19日、昭和39年新聞特殊指定の全部改正(案)についての公聴会の開催を官報に公告しました。

改正(案)の第3項は、「発行業者が、販売業者に対し、正当かつ合理的な理由がないのに、次の各号のいずれかに該当する行為をすることにより、販売業者に不利益を与えること。

一 販売業者が注文した部数を超えて新聞を供給すること(販売業者からの減紙の申出に応じない方法による場合を含む。)。
二 販売業者に自己の指示する部数を注文させ、当該部数の新聞を供給すること。」

との規定をもうけました。

従前の押し紙禁止規定より行数も文言も多くなっており、一見より厳しい内容に変更されたかのように見えますが、その実、この改正は押し紙禁止規定を骨抜きにするのが目的の改正であったことが疑われます。

改正案の最大の特徴は、従前の「注文部数を超えて」の文言を「注文した部数を超えて」に変更していることです。従前の「注文部数」は、昭和39年新聞特殊指定実施要綱と昭和60年のモデル細則に準拠した地区新聞公正取協議会の細則に、「購読部数に予約紙、おどり紙および上限2%の予備紙を足した部数」と定義されています。

しかし、改正案第3項で「注文した部数を超えて」との文言に変更された結果、文理解釈によれば、販売店が現に「注文した部数」を超える部数を新聞社が供給しなければ「押し紙」にはならないとの解釈が可能になりました。

(注:法文の文言通りに解釈する方法を「文理解釈」といいます。これに対し、文言通りに解釈するのでは立法の趣旨・目的が達成できない場合、その趣旨・目的に沿った解釈をする方法を「論理解釈」といいます。)

平成11年新聞特殊指定の制定以降、新聞社は文理解釈に基づき、「わが社は販売店が注文した部数を一部たりともオーバーする部数は供給していない。よって、わが社には1部たりとも押し紙は存在しない。」と主張するようになりました。裁判所も「注文した部数を超えて」の文言について、文字通り「販売店が新聞社に『注文した部数』を超えて」と解釈せざるを得ないという見解を示すようになりました。

改正当時の公正取引委員会事務総局経済取引局取引部取引企画課に、山木康孝という方がおられました。山木氏は、公聴会において公正取引委員会事務総局を代表して改正案の説明をしており、国会に政府委員とし出席されるなど、独禁法新聞特殊指定の法解釈の第一人者です。山木氏は、押し紙禁止規定の改正の目的について、北國新聞社の押し紙事件に見られた、「新聞社が販売店の注文部数自体を増やすようにさせた上で、その指示した部数を注文させる行為」も明確に禁止の対象であることがわかるようにするためであると説明しておられます。

しかし、「注文部数」を「注文した部数」と何故文言の変更を行ったのかについては何の説明も解説もしておられません。きわめて不思議なことです。

当時、公正取委員会は新聞の再販制度を無くすために、新聞特殊指定自体を取り消す方向を考えていたようです。これからは私の推測になりますが、再販制度を無くせば販売価格の自由競争が始まり、そうなれば販売店は無駄な新聞の仕入が出来なくなるのではないか、新聞社は押し紙ができなくなるのでないかと考えたのではないかと思います。

しかし、新聞社は政治力を使って再販制度の廃止には猛烈に反対しました。再販制度を無くせば同じ系列の新聞販売店同士の価格競争が始まり、販売区域ごとの1社1販売店の専売制度が崩壊し、人里離れた山間僻地や離島などの新聞配達が出来なくなるというのが表向きの理由です。しかし、郵便による販売制度もありますので、本当の反対の理由は押し紙が出来なくなるからではないかと推測しています。

押し紙が可能なのは専売店制度があるからで、専売店がなくなり全部の販売店が合売店になれば、新聞社は押し紙が出来なくなります。合売店は特定の新聞の拡張に走る必要はなく、どの新聞を購読するかは住人の選択に任せることが出来ます。その結果、配達されない余分な新聞を仕入れる必要もありません。新聞社は購読部数をごまかすことが出来なくなり、独禁法が理想とする新聞販売の自由かつ公正な競争が確保できるようになります。

結果的には、新聞社側の猛烈な反対により、学校教育教材用の新聞の割引を認めただけで、再販制度の廃止には至りませんでした。

◆数々の疑問

以上のことから、平成11年の新聞特殊指定の改正は、昭和39年新聞特殊指定の全面改正を謳いながら、実際は押し紙禁止規定の骨抜きに成功したように思えます。3項1号本文の「注文した部数」への文言変更は、先に説明したとおりです。

1号本文弧書の「販売店の減紙申出を拒否する行為(減紙拒否行為)」について、新聞社は押し紙裁判になると、いつ、どこで、誰に対し、いかなる方法で、何部の部数の減紙を申し出たかを明らかにするように求めてきます。通常、販売店は担当員が訪店したときに、新聞が余って経営を圧迫している状況を説明し、送り部数を減らしてくれるよう頼むに留まります。下手に強く主張すると強制改廃もあり得るからです。担当は社に持ち帰って上司と相談してみますとか、補助金をつけるようにしますとかいって、結局、減紙の申出をあいまいにしたまま放置することが多いようです。裁判所も、そのようなやりとりがあったとしても、その程度では「減紙の申出がなされた」とは評価してくれません。販売店が新聞仕入れ代金を全額支払っておれば減紙の申出は撤回したものとみなすといった判断まで示すようになっています。

販売店が弁護士に依頼して、複数回にわたり弁護士名の内容証明郵便で減紙の申出をしたケースでさえ、裁判所は仕入れ代金が全額払われていることを理由に減紙申出拒否は認めませんでした。

(注:これは裁判所の問題に関係してきますので、次の機会にふれることにします。)

次に、3項2号本文の「注文部数指示行為」ですが、北國新聞事件以来、新聞社が販売店に注文部数を指示する場合、証拠が残らないように電話など口頭で指示するようにしています。

昭和30年の新聞特殊指定にしろ、昭和39年の新聞特殊指定にしろ、それらの特殊指定を円滑に実施するための定義等を明らかにする目的で実施要綱が定められています。しかし、平成11年の新聞特殊指定に限っては、1号本文の「注文した部数」の定義、あるいは1号本文括弧書の「減紙の申し出」の定義、2号の「注文部数の指示」の定義等を明らかにする実施要綱は知る限り定められていません。

私共は、あらたな実施要綱が制定されていないことこそが、改正後の「注文した部数」と改正前の「注文部数」とが同じ意味であることの証明であると主張しています。

昭和39年新聞特殊指定の実施要綱と昭和60年の新聞公正取引協議委員会のモデル細則によって、従前は「注文部数」の定義が具体的かつ客観的に定められていました。それなのに、何故、平成11年新聞特殊指定で押し紙禁止規定の改正が必要だったのか理解できません。黒薮さんも、平成10年に予備紙上限2%の自主ルールが何故撤廃されたのか、従前の「注文部数」が「注文した部数」に変更されたのは何故かといった数々の疑問を呈しておられます。

「注文部数」を「注文した部数」と変更することで、新聞者は販売店が「注文した部数」であるとの体裁さえ整えておけば、仮に購読部数2000部の販売店が、外観上、新聞社に対し3000部あるいは4000部を注文しても、その部数を超えて新聞を供給しなければ押し紙にはならないということになります。そのような解釈が、本来、押し紙禁止規定の趣旨・目的に反する間違った解釈であることは明らかです。

北國新聞社は朝刊については平成4年5月頃から、夕刊については平成7年1月ころから規範的意義を有する「注文部数」(注:購読部数に2%の予備紙を加えた部数)を著しく上回る部数を販売店の目標部数に設定し、その部数を注文させて供給する方法で押し紙を行っていました。思うに、公正取引委員会は、北國新聞社に押し紙の排除勧告が出す際、平成39年告示の押し紙禁止規定の定義に基づく判断をくだせば、同じ問題を抱えている他の新聞社(注:特に中央紙)も調査のうえ勧告処分に付さざるを得なくなります。従前の押し紙禁止規程を改正して骨抜きにする以外、他の新聞社のかかえる押し紙問題を不問に付することは出来ないと考えたに違いありません。

平成9年の北國新聞社に対する勧告から、平成11年の押し紙禁止規定の全面改正に至るまで、公正取引委員会は理解しがたい不思議な行動を次々にとりました。

◆公正取引委員会の理解しがたい不思議な行動

繰り返しになりますが、平成9年の北國新聞社に対する押し紙排除勧告に記載された「注文部数」の定義の問題ですが、昭和39年新聞特殊指定の実施要綱に定められてた「注文部数」の定義ではなく、昭和30年新聞特殊指定の実施要綱に定められた「注文部数」の定義を記載しています。

平成10年には、地区公正取引協議会の予備紙上限2%の自主ルールの撤廃も認めます。公正取引委員会は全国の新聞社と販売店の押し紙を独自に調査・立件するだけの人的・予算的裏付けを持ちませんので、新聞業界を押し紙問題の自主的解決から解放する結果にしかなりませんでした。

平成11年には、押し紙禁止規定の全部改正がなされ、それまでの「注文部数」が「注文した部数」に変更されたため、新聞社は購読部数2000部の販売店に3000部あるいは4000部を供給しても押し紙の責任を問われないようになりました。

その当時の公正取引委員長は根来泰周氏であり、日本新聞協会の会長は渡邉恒雄氏です。公正取引委員長の任命権者は総理大臣であり、渡邉恒雄氏が中曽根内閣以降、時の総理大臣と極めて親密な関係をつづけてきたことは本人が認めておられるとおりです。

根来氏は公正取引委員長を退任後は、日本プロ野球機構のコミッショナーを4年間にわたり勤めておられます。渡邉恒雄氏が「球界のドン」と呼ばれていたことも周知の事実です。

(注:私はこの二人が昭和39年新聞特殊指定の押し紙禁止規定を骨抜きにするために平成11年新聞特殊指定の押し紙禁止規定の改正を行ったのではないかとみています。公正取引委員会は新聞特殊指定の円滑な実施のためにそれまで、昭和30年新聞特殊指定実施要綱や昭和39年新聞特殊指定実施要綱を定めています。しかし、知る限り、何故か平成11年新聞特殊指定実施要綱は定められていません。そのことが、この二人が新聞社の押し紙禁止規定を骨抜きにすることを画策した何よりの証拠ではないかと考えています。)

平成11年以降、公正取引委員会が自ら積極的に新聞社の押し紙問題を調査したとの話は聞いたことがありません。2016(平成28)年2月の杉本和幸公正取引委員長の日本記者クラブでの記者会見の席上、朝日新聞の記者が自社の押し紙問題を例にあげて公正取引委員会の姿勢をただした時も、公正取引委員長は新聞社に対し注意するだけにとどまりました。

このように、公正取引委員会に押し紙問題の解決を期待することが出来なくなってきている以上、最後に頼るのは裁判所だけということになります。

私どもは現在、西日本新聞社と毎日新聞社を相手方として3件の押し紙裁判を抱えています。最近、販売店の敗訴判決が続いていますが、裁判所が押し紙問題の解決のために、今後、前向きに動き出す姿勢を見せてくれるかどうか今しばらく様子を見守っていこうと思っています。

皆様方には引き続き、私どもの押し紙裁判に対するご支援とご協力をお願いする次第です。

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2025年4月16日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

江上武幸(えがみ・たけゆき)
弁護士。福岡・佐賀押し紙弁護団。1951年福岡県生まれ。1973年静岡大学卒業後、1975年福岡県弁護士会に弁護士登録。福岡県弁護士会元副会長、綱紀委員会委員、八女市役所オンブズパーソン、大刀洗町政治倫理審査会委員、筑豊じんぱい訴訟弁護団初代事務局長等を歴任。著書に『新聞販売の闇と戦う 販売店の逆襲』(花伝社/共著)等。

黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

トランプ政権がUSAIA傘下の全米民主主義基金(NED)への資金提供を再開

黒薮哲哉

トランプ政権が凍結したはずのUSAID(アメリカ合衆国国際開発庁)向けの資金提供の一部が、3月から再開されていたことが分かった。資金提供の再開措置を受けたのは、USAID傘下の全米民主主義基金(NED)である。

メディア黒書でも報じてきたようにNEDは、俗にいう「自由主義陣営」の勢力を拡張することを目的とした組織である。第2のCIAとか、「白いCIA」とも言われている。海外のメディアや市民運動を資金面と技術面で支援することで、米国よりの世論誘導を形成してきた。設立者は、ドナルド・レーガン。

たとえば香港の「雨傘運動」のスポンサーはNEDだった。ニカラグアやベネズエラの政情を混乱させ、クーデターを誘発させたのもNEDである。トランプ政権は、USAIDの廃止を表明したのち、日本の一部のメディアや「ジャーナリスト」に対しても、NEDを通じて資金提供を行っていたと述べた。

トランプ政権下でのNEDの扱いについて、メディア黒書は、3月12日付けの記事で、「存続されるのではないかとする見方もある。筆者も存続の可能性が高いとみている」と論評していたが、資金提供が再開されたのは3月10日であるから、メディア黒書の記事を公表した3月12日には、 既に資金提供の再開が決定されていたことになる。

以下、NEDのウエブサイトに掲載された3月10日付け記事の翻訳である。AI翻訳に多少の手直しを加えた。

※出典 https://www.ned.org/ned-welcomes-state-departments-initial-steps-towards-restoring-funding/

ワシントンD.C.、2025年3月10日-本日、全米民主主義基金(NED)は、1月下旬から利用不能になっていた議会が承認した資金へのアクセスを回復しました。NEDは、国務省が制限を解除し、NEDの議会承認資金および外国援助交付金の回復を開始した措置を歓迎します。これは、NEDが世界中の自由の推進という使命を継続できるよう確保するための重要な一歩です。

「ルビオ国務長官のリーダーシップの下でこの措置を講じた国務省を称賛します」と、NED理事会会長のピーター・ロスカム下院議員(元議員)は述べました。「これは、キューバ、ベネズエラ、イラン、中国、ロシアを含む抑圧的な体制下で民主主義の第一線を守る活動家を支援する能力を完全に回復するための重要なステップです」

この動きは、1億6700万ドルの拠出金および議会がすでに承認した7200万ドルの追加拠出金を含む、議会が承認した資金の不正な使用拒否を受けて、NEDが3月5日に提起した訴訟に続くものです。

「国務省の措置を深く感謝しています」と、NED社長兼最高経営責任者(CEO)のデイモン・ウィルソン氏は述べています。「NEDが世界中で民主主義と自由を推進することで米国を支援できることを保証する、永続的な解決の実現に向けて引き続き努力していきます。より自由でより繁栄した世界は、アメリカの安全を強化し、経済成長を促進し、アメリカのグローバルなリーダーシップを強化するものです。(以下、略)

トランプ政権は、次々と斬新な改革を進めているような印象があるが、「自由主義陣営」の維持という米国の根本的な方向性は何も変わっていない。

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2025年5月14日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
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「あいりん総合センター」が解体されたら、釜ヶ崎の困窮者はどこへ行けばいいのだ……

尾﨑美代子

センターが解体される。困窮者はどこへ行けばいいのだ。

5月15日、大阪市議会で、新今宮駅前にどんと建つ「あいりん総合センター」、通称センターが解体されることが決まった。維新の会と共に解体したいと考える人たちは「耐震性に問題がー」と言っていた。しかし、それが嘘だったことは、「問題だー」と叫び始めて以降、何年間も問題視していなかったことからも明らかだ。「老朽化して危ない」ともいわれるが、70年に作られた際、この頑丈な構造物は100年持ちまっせ!と言われてたのだ。その後、何度も震災にあいながら太い柱はそのままだ。何より、ここは釜ヶ崎の人たちが生活するのに重要ななくてはならない場所だった。ここに来れば本当になんとかなった場所だった。それが解体される。次に出来る構造物に、そうした人たちが入れるスペースはほとんどないだろう。

この大量の荷物の下に台車が置かれ、おじさんはそれを必死で押しながら地区内で休める場所を探している

上の写真のように、台車に全財産積んで、休める場所を探す人たちはまだまだ釜ヶ崎の周辺に大勢いる。これらの写真は、この半年の間に撮った写真だ。私が昼のバイトから帰る途中で会うおじさん、高齢で足が悪く5メートルを数分かけて歩く。 

センターがあった時は昼間センターで段ボール敷いて休んでいたのだろう。足も顔も洗えるし、洗濯も出来る。シャワーも浴びれた。釜ヶ崎に来れば、毎日どこかで飯が食える。釜ヶ崎地域合同労組の炊き出しは毎日昼と夕方にある。朝飯や昼飯があちこちでやってる。弁当を配る人たちもいる。中には貧困ビジネスの連中もいる。「うちのアパートに入れますよ」と甘い言葉で勧誘している。いい物件ならばよいが、生活保護費をむしり取る酷いところもある。気いつけてや。 

それでもどこかで飯が食える。冬になれば冬物、夏になれば夏物をあちこちで「放出」してくれる。セーターやジーパンも露店で100円で買える。三角公園の「西村商店」でも300円だ。月初め、西成警察横東側の「子どもの里」で、毎週水曜日、西成警察西側の「いこい食堂」前でバザーが出て、かみそり、石鹸、タオル、靴下、下着も安く買える。生活に困った人には本当に住みやすい釜ヶ崎、そこに住む人たちが大切にしてきたセンター、それが解体される。

この国で、貧困や差別がなくなるというのならばまだしも、今後も生きるのに難儀な人たちはもっと増えていくだろう。 今でも、炊き出しの列には30、40代の人も並んでいるで。

この釜ヶ崎は、本当にふところの広い町。ニッカポッカ履いた鉄筋の兄ちゃんが、立ち飲み屋で大きな縫いぐるみ抱きながら飲んでても誰も何もいわない。女装するおじさんも山ほどいる。誰も何もいわない。いっとき、Tバックで釜ヶ崎を闊歩する兄さんもいたな。さすがにそのままうちの店に入ろうとしたから、「兄さん、店に入るときはズボンはいてな」といったけど。

罪を犯し刑務所に服役し、出てきた人も多い。ある時、店で仕事も年齢も全く違う、ほとんど接点のない客同士が、目で挨拶するのを見た。話はしないが、必ず「元気か」みたいに目で話をしている。親しい客の方に「あの人、知っているのか?」と聞いたら、「刑務所で一緒だった」という。突然店に来なくなり、数年後また顔を出すようになった人に、普通なら「久しぶり。どこへ行ってたの?」と聞くだろうが、私は聞かない。「久しぶりやね」というだけ。病気で入院してたか、借金が膨れて飯場に入ってたか、あるいは服役していたか。間違っても、故郷に戻って家族と楽しく暮らしていた、などという人はいない。素性も前歴も家族の有無なども、こちらからは聞かない。今でこそ、生活保護など受けたから本名を教えてくれる客が多いが、昔は労働者ばかりで、多くは偽名。山ちゃんなんか10人以上いた。のっぽ山ちゃん、ちび山、おデブな山ちゃん、がりがり山ちゃん、黒い山ちゃん、犬好き山ちゃん、女好き山ちゃん……仲間に刺されて亡くなったバンダナ山ちゃん。素性も前歴も関係ない。釜ヶ崎人情ではないが、「誰に遠慮がいるじゃなし じんわり待って出直そう」が出来る町だ。

星野リゾート近くのコインランドリー前に立てられた非常に差別的な幟。「浮浪者出禁」と書かれている

本当にこの町はどうなるのだろう。もう一度言うが、貧困や差別が無くなるのならばまだしも、無くなるどころか増えていくのだから。こういう町がひとつくらいあってもいいではないか。いや、なければ困る人たちがたくさんいるではないか。 

そのために、西成特区構想を進める維新の会こそ解体していこう!

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

CHALLENGERに相応しい男、立嶋篤史出場!

堀田春樹

22年ぶりのニュージャパンキックボクシング連盟興行出場の立嶋篤史は前日計量との戦いはパスしたが、前田浩喜には力及ばず倒されてしまった。

WBCムエタイ日本スーパーバンタム級とNJKFバンタム級のそれぞれ4名参加の王座決定トーナメントは勝ち上がった嵐vs星拓海、繁那vs藤井昴で6月8日に決定戦となった。

小林亜維二が右フック一発で喜多村誠を倒す世代交代を見せ付けたノックアウト勝利。

◎NJKF CHALLENGER.8(2025.2nd) / 4月27日(日)後楽園ホール17:15~21:45
主催:(株)オフィス超合筋 / 認定:ニュージャパンキックボクシング連盟

◆第9試合  WBCムエタイ日本バンタム級王座決定トーナメント準決勝3回戦

1位.嵐(=坂本嵐/NJKF同級Champ/KING/ 2005.4.26東京都出身/ 53.52kg)
18戦13勝(6KO)3敗2分
VS
2位.山脇飛翼(K-1ジム心斎橋チームレパード/2001.10.31大阪府八尾市出身/ 53.1kg)
13戦8勝(3KO)4敗1分
勝者:嵐 / 判定3-0
主審:多賀谷敏朗
副審:梅下29-28. ノッパデーソン29-28. 中山29-27

初回、ローキックやジャブ等、牽制から次第に激しくなっていく中、前蹴りや飛びヒザ蹴りを見せた嵐。第2ラウンドにはヒザ蹴りに来る山脇飛翼にカウンターの右ストレートでノックダウンを奪った。

嵐はこの日も前蹴りを鋭く繰り出した

しかし初回からローキックでジワジワ攻めていた山脇は第3ラウンドには嵐の勢いを止め、もう少し蹴っていれば逆転も有り得た流れも試合終了。ノックダウンを奪った嵐がポイント優ったが、苦戦した試合だった。

山脇飛翼のローキックで圧される嵐は何とか踏ん張った

◆第8試合 WBCムエタイ日本バンタム級王座決定トーナメント準決勝3回戦

4位.JIN(MA日本同級Champ/楠誠会館/2006.3.9大阪府柏原市出身/ 53.15kg)
17戦10勝(3KO)7敗
VS
3位.星拓海(IDEAL/2005.7.26東京都練馬区出身/ 53.2kg)10戦7勝(2KO)2敗1分
勝者:星拓海 / 判定0-3
主審:宮沢誠
副審:多賀谷28-29. ノッパデーソン28-30. 梅下28-30

初回、両者の上下のパンチと蹴りで様子見の中、徐々にパンチの距離に移る。

星拓海とJINの蹴りの応酬。星拓海はアグレッシブに攻め優った

第2ラウンド、よりアグレッシブに星拓海の前蹴り、ハイキック、パンチの圧力が増し、第3ラウンドも星拓海が自分のリズムを崩さず、首相撲になっても優位さを維持し、JINの攻めを躱して打ち返す上手さを見せて判定勝利した。

星拓海の前蹴り、三日月蹴りと言われる肝臓狙いがヒット

◆第7試合 フェザー級5回戦

立嶋篤史(元・全日本Fe級Champ/ASSHI-PROJECT/1971.12.28東京都豊島区出身/ 57.5→最終計量57.15kg)101戦42勝(KO)51敗8分
VS
NJKFスーパーバンタム級4位.前田浩喜(CORE/1981.3.21東京都出身/ 56.85kg)
53戦31勝(19KO)19敗3分
勝者:前田浩喜 / KO 1ラウンド 1分56秒 / テンカウント
主審:中山宏美

初回、動きの良さで優る前田浩喜がローキックで立嶋篤史の脚を狙う。立嶋はローキックを返しながらどんな戦略で戦っているか。両者の蹴りが幾らか交錯する中、前田のサウスポーからの左ローキックが立嶋の右足にヒットするとあっけなく跪くように崩れ落ちた。

ローキックは前田浩喜が優り、立嶋篤史は敗れ去ったが戦略は如何なるものだったか

カウント内に立ち上がるかと思われたが、思うように脚が動かなかったか、テンカウントされてしまった。

ローキックを貰ってノックダウンした立嶋篤史、立ち上がれなかった

◆第6試合 NJKFスーパーバンタム級王座決定トーナメント準決勝3回戦

3位.繁那(R.S/2004.1.28京都府出身/ 55.3kg)16戦12勝(7KO)2敗2分
      VS
祖根亮麻(大和/1997.5.8沖縄県那覇市出身/ 55.05kg)9戦3勝(3KO)5敗1分
勝者:繁那 / TKO 1ラウンド 1分55秒
主審:ノッパデーソン・チューワタナ

ローキックで様子見から、やや繁那のパンチと蹴りの勢いで優る。祖根亮麻をコーナーに追い込みヒザ蹴りをヒット。更に追い込んでヒザ蹴りヒットでノックダウン奪うとレフェリーがカウント中にストップして繁那の勝利となった。

繁那が圧倒していく中の蹴りの牽制。祖根亮麻は徐々に追い込まれる

◆第5試合 NJKFスーパーバンタム級王座決定トーナメント準決勝3回戦

NJKFスーパーバンタム級7位.中島凛太郎(京都野口/ 55.28kg)11戦5勝5敗1分
     VS
藤井昴(KING/ 54.9kg)5戦3勝(1KO)2分
勝者:藤井昴 / 負傷判定1-2 / テクニカルデジション 1ラウンド1分52秒
主審:梅下湧暉
副審:ノッパデーソン10-9. 宮沢9-10. 中山9-10

両者、上下の蹴りの様子見から首相撲に移ると、開始1分弱で偶然のバッティングにより一旦中断。中島凛太郎にダメージが大きかった模様。

再開後、更に30秒ほど経過したところで中島のローキックで藤井昴に股間ローブローが入ってインターバルが与えられた。

再開後、更に30秒ほど経過したところで再び前蹴りの交錯で藤井昴に股間ローブローが入った。今度はダメージ深く、試合続行不可能となって負傷判定となった。

ほぼ互角の展開だったが、トーナメント上位進出の条件が掛かっており、藤井昴が辛くも負傷判定勝利となった。

中島凛太郎のローキックが股間ローブローとなった

◆第4試合 69.0kg契約3回戦

NJKFウェルター級チャンピオン.小林亜維二(新興ムエタイ/2006神奈川県出身/ 68.8kg)
12戦9勝(5KO)2敗1分
VS
喜多村誠(元・日本ミドル級Champ/リアクトジム湘南/ステラ恵比寿/1980.7.22福岡県出身/ 68.65kg)69戦40勝(23KO)18敗10分1NC
勝者:小林亜維二 / TKO 1ラウンド 2分59秒 /
主審:多賀谷敏朗

パンチとローキックの様子見の攻防から、やや喜多村誠が圧力掛けた前進も、ローキックの交錯は小林亜維二が圧力掛け優っていく。

喜多村を蹴りからコーナーに詰めると強打で連打。後ろ蹴りも見せた亜維二が主導権を奪った攻勢を維持。喜多村も首相撲に移ったところで右ヒジ打ちを入れるベテランの技も上手かったが、パワー、スピードで優る亜維二はパンチの交錯の中、強烈な右フックが喜多村のアゴにヒットすると最下段ロープに喉を引っ掛けるように前のめりに倒れ、レフェリーはノーカウントで試合ストップした。

小林亜維二の強烈な右フックが喜多村誠にヒット、この後、前のめりに倒れる

◆第3試合 NJKFフライ級次期挑戦者決定戦3回戦

2位.永井雷智(VALLELY/ 50.75kg)8戦7勝(5KO)1分
      VS
3位.高木雅己(誠至会/ 50.65kg)13戦7勝(5KO)6敗
勝者:永井雷智 / KO 2ラウンド 39秒 / カウント中のタオル表示による棄権
主審:梅下湧暉

前回2月2日に股間ローブローによる永井雷智の試合続行不可能となった試合の再戦(永井の負傷判定勝利)。不完全燃焼を払拭する決着戦。

両者様子見の中、永井雷智の右ストレートヒット。首相撲でも優位に進め、連打右ストレートで攻勢を強める。蹴りも永井が優り、パンチ連打から右ストレートでノックダウンを奪う。

第1ラウンド終了後、高木雅己は意識が錯乱か、フラフラとニュートラルコーナーへ向かい、レフェリーに青コーナーへ促されるまで気付かない様子。

第2ラウンドも永井雷智のパンチと首相撲の圧力から右ストレートヒット。力を振り絞ってパンチで向かう高木に返しのヒットを見せる永井。グロッギーになった高木に容赦なく連打し、ノックダウン奪うとカウント中に陣営よりタオル投入され永井のノックアウト勝利となった。

前回の不完全燃焼を払拭する圧倒を見せた永井雷智。蹴りからパンチで圧倒

◆第2試合 スーパーフェザー級3回戦

NJKFフェザー級6位.新人(E.S.G/ 58.75kg)43戦24勝(5KO)18敗1分
VS
NJKFスーパーフェザー級5位.豪(GRATINESS/ 58.75kg)7戦4勝(3KO)3敗
勝者:新人 / 判定1-0 延長戦3-0
主審:ノッパデーソン・チューワタナ
副審:宮沢29-29(10-9). 梅下29-29(10-9). 多賀谷29-28(10-9)

初回、蹴りの前進は豪の圧力がやや優る。第2ラウンドには新人が調子を上げ、蹴りがヒットしだす。豪もせっかくの攻勢を維持しよう、せめぎあいが続き、互角の展開は引分けとなったが、武田幸三氏が掲げた、勝敗を決するChallengerルールにより延長戦が行われ、勢い取り戻した新人が蹴りの圧力で出て、首相撲になっても長身からの覆い被さるスタミナ削りの攻勢で勝利を導いた。

◆第1試合 50.0kg契約3回戦
(当日15時の再計量51.0kg以下条件=グローブハンデ、減点2)

S-1女子世界フライ級覇者.真美(Team ImmortaL/ 52.5→52.45kg→当日51.2kg)
26戦18勝(6KO)8敗
VS
佐藤”魔王”応紀(元・聖域東北ライトフライ級覇者/PCK連闘会/ 49.5kg)
25戦14勝(7KO)9敗2分
勝者:佐藤”魔王”応紀 / 判定0-3
主審:中山宏美
副審:ノッパデーソン27-28. 梅下27-30. 多賀谷27-28(真美に減点2含む)

初回、圧力掛けて出るのは佐藤”魔王”応紀。徐々にパンチから首相撲の圧力掛けてきた真美。パンチの距離では佐藤の勢いで連打のヒットが目立つ。真美はスタミナ的に不利か。結構パンチ連打受けるも首相撲の攻防は真美が優る。当時計量とも直面しながら打ち合える技量が有った。蹴って打って首相撲、ヒザ蹴りの絡み合いは真美が優るも減点の影響もあり、佐藤が僅差判定勝利となった。

他、アマチュアEXPLOSION.2試合は割愛します。

《取材戦記》

90年代のレジェンド・立嶋篤史はデビュー前から“挑戦”を掲げて来たキックボクサーで、当時の所属した習志野ジムの壁にも各選手が年初めに目標、モットーが書かれた大きな紙が掲げられていた。そのチャレンジ精神と、現在の武田幸三氏が掲げる興行テーマと合致した中で、立嶋篤史にもオファーがあった。

フェザー級に拘ったキック人生。昭和から戦い100戦を超えたという今回、前日計量で苦戦した立嶋篤史。彼は若い頃から減量がキツいタイプだが、調整が凄く上手い。フェザー級リミットまで落とす場合は、ほぼ57.15kgで仕上げて来る。少々オーバーする場合があっても想定内で、30分もあればリミットまで問題無く落として来ただろう。

しかし今回は違った。本人はリミット一杯に調整したつもりで計量会場に現れ秤に乗った。しかし350グラムオーバーだった。秤に狂いはなく、他の選手も皆、同じ条件でパスしている。他にオーバーしたのは女子の真美だけ。

ここから過去にない試練が始まった。外に身体を動かしに行って57.2kg。あと50グラムが落ちなかった。周囲も協力的にキングジムの向山鉄也会長も立嶋の身体をジャケットの上からマッサージし、絞り出すように身体を擦った。ガムを買って来て渡す者。噛んで唾を吐く手段も使い、5グラム落ちた。計量失格したこと無いだけに、注目のフェザー級“登録選手”100戦目で計量失格は避けたかった立嶋の意地。7~8回は秤に乗ったか、規定の2時間も超えていたが特例で、最後は何とか57.15kgでようやくパスすると持参したウォーターボトルのコーヒーをゆっくり飲んで喉を潤した。

見守っていた武田幸三氏にも「飲んでください!」とコーヒーをカップに入れ差し出した。「甘んま~!、旨んま~!」と武田氏。なんとも微笑ましい光景だった。
明日に備えリカバリーに向かう立嶋。最後まで見守っていたマスコミ陣、スタッフに御礼を言いながら、計量会見場を去った。

セコンドに着いたソムチャーイ高津氏は、以前から立嶋篤史のジムに練習に行って、一緒に居酒屋に行ったり、共通の知り合いタイボクサーや日本のキックボクサーが居ることでより親近感が湧いたという。そういう仲間との交流が深まり、立嶋篤史から次の試合が決まったらセコンドに着いて欲しいという依頼をされ、それは立嶋篤史がかつて戦った中島貴志も同様だった。

今回、前田浩喜戦が決まり、セコンドの約束が実行された。そこから勝つ為の戦略を練っていったという高津氏。それは夢物語となったが、対する前田浩喜のサウスポーからの奥足へのローキックは、タイミング、スピード、パワー、角度など素晴らしかった。それは非常に勇気ある技で勝った前田浩喜を称えたいと語った。

女子50.0kg契約で、2.5kgオーバーした真美は試合当日15時に1kgオーバーの51.0kgまで落とす条件で試合成立となった。結果、51.2kgではあったが、佐藤”魔王”応紀陣営のPCK連闘会、鈴木芳喜会長は緩やかな対応をしつつ、佐藤の頑張って来たトレーニングの成果を発揮するべき試合を潰したくない想いもあって試合成立に漕ぎ着けた。女子の場合は生理的に体調の変化が大きく水分を落とし難い場合があると言われる。しかし、女子格闘技が普及した近年は男子と同じ条件で試合を迎えるしかない。将来的には試行錯誤の上、改善される部分があるかもしれないだろう。

トーナメント準決勝戦となった4試合の中、やはり存在感あったのは嵐。前日記者会見ではいつもながらの威圧的悪役ぶり発揮も、試合はクリーンに、試合が終われば礼儀正しく山脇飛翼と称え合った。

次回NJKF興行、6月8日のCHALLENGE.R.9では、大田拓真のWBCムエタイ世界フェザー級王座挑戦と、二つのトーナメント決勝戦となるそれぞれの王座決定戦。更に、前回2月2日に吉田凛太郎がNJKFスーパーライト級王座初防衛戦で健太を僅差で下した微妙判定の再戦を、オープンフィンガーグローブで行われることが発表されています。

堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

拝啓 広島県知事 湯崎英彦先輩 大学の後輩、そして県庁での元部下として、御勇退を勧告します

さとうしゅういち

初夏の候、いかがお過ごしでしょうか? 湯崎先輩。私は、先輩のかつての部下でもあり、大学の後輩でもある佐藤周一と申します。

湯崎先輩。いきなり失礼をご承知で申し上げます。2025年11月執行予定の広島県知事選挙への立候補をおやめになるようご忠告申し上げます。

◆最初は感動したけれど……

湯崎先輩。わたしは、最初に先輩が当選された時、もちろん、先輩に一票を入れました。 「演説がうまいとか、プレゼンがうまいとかそういうことではない。子育てをしているお母さん、農業のおじいちゃんおばあちゃん、漁師さん……一人一人の広島県民の声を聞くことが出来る、そういう知事が求められている。」先輩の最終日の演説には感動しましたよ(写真右)。

湯崎先輩。先輩は、私の生まれ故郷である福山市の鞆の浦の埋め立て架橋問題について、極めてうまく捌かれたと思います。今にして思えば、他のこともあの調子で行けばよかったのです。

鞆の浦の通過交通をさばくために、鞆の浦の美しい海を埋め立てる。こんな計画は、当時反対派の福山市民だったわたしには論外に見えました。しかし、賛成派がおっしゃるように、観光客が通る狭い道を通過交通の車がバンバン飛ばすのも危険すぎるのも事実でした。

そこで、先輩は、就任早々、賛成反対両派の対話集会を開催。通過交通をさばく、という一致点を見出して、山側にトンネルを建設する案でまとめました。2025年春、つい先日、鞆未来トンネルとして結実しています。

◆尻すぼみの『こどもを大事にする』社会への価値観転換

しかし、湯崎先輩。他のことでは成果があまり上がっていないようにも見えます。先輩は、2010年には育休を取られ「子どもを育てるということも仕事同様大事にする」という価値観の転換を訴えられました。

ところが、あれから15年を経過。広島県は「子育て・家事は女性がすべき仕事」という考えの県民が全国最多の4割です。それと並行して、広島の人口流出は4年連続ワーストワンです。

人口流出についていろいろと議論はあります。給料が低すぎる。若い女性に人気の仕事が少ない。空港が遠い。いろいろ言われていますが、価値観のアップデートが遅れてしまい、若い人が敬遠するのはもちろん、一定都会で最新の価値観を学んだ人たちもUターンを躊躇されている可能性が高いのではないでしょうか?

◆本当にこどもを大事にしていますか?

もちろん、湯崎先輩ばかりの問題ではございません。しかし、15年以上も知事をされていて、もっとやりようはなかったのでしょうか? そもそも子どもを大事にしようといいながら、子どもを大事にする県政だったでしょうか?子ども医療費への補助は、全国でもワーストレベルで遅れてしまっています。

湯崎先輩。あなたは、子どもたちに人気のマリホ水族館も含むマリーナホップを事実上追い出して、東京の企業によるモビリティーパーク、そして外国人富裕層向け高級ホテルにしようとしています。

マリホ水族館

あなたは本当に、広島に住むこどもたちを大事にしようとしていたのでしょうか?こういう点が疑問に思えるのです。ちなみにマリホ水族館が県民世論の支持を背景にアルパークに復活することになりました。

湯崎先輩。貴方の見通しの誤りをこのことは示しているのではないでしょうか?

◆県民の声もスタッフの声も聴かず「暴走」する病院問題

湯崎先輩。あなたは南区宇品の県病院を潰して、JR広島病院や中電病院と統合した巨大病院をつくり、全国トップレベルの医療!小児救急!中山間地医療!などの美辞麗句を並べ立てておられます。

県立広島病院

だが、それらは本当に実現可能なのでしょうか?既に、病院を運営する法人が資金ショートで、雲行きが怪しくなっています。

さらに、県病院の職員たちは、身分が独立行政法人になることで不安を感じ、退職が相次いでいます。そして、新病院は予算不足で規模縮小となり、患者の憩いの場となる喫茶店もない、先生方の控室には先生一人一人の机もない。患者もスタッフも窮屈な病院になろうとしています。

また、広島の市街地は島で構成されています。南海トラフまで行かずとも芸予地震や直下型の岩国断層帯地震などがおきれば、橋が寸断されるでしょう。こうしたことも視野に入れれば、広島の「各島」に救急対応ができる行政直営の病院があっても贅沢とは言えません。

独立行政法人だと、災害時でもコロナのような危機時にも行政直営のようにはいきません。兵庫県では阪神淡路大震災を教訓に公的病院の再編時には基本的に県立病院に変えてきたそうです。

また、中山間医療というが、エキキタに病院が移転すれば、島しょ部の患者さんにとって不便になります。そもそも、中山間地医療は安佐市民が基本的には担っているのです。

◆当初の志『現場主義』から大きく逸脱

湯崎先輩。先輩は2009年の就任の時、県職員全員に対して以下のようなお言葉を述べられました。「知事ではなく湯崎さんと呼んでください。」「現場が第一。現場のスタッフを局長が支え、局長をわたしが支える。逆ピラミッドの組織に。」 「予算をいくら使ったかではなく、成果をいかにあげたかが大事。これからは予算は使い切るのではなくあまらせたほうがえらい。」

ところが、県病院・新病院の問題ではまったくスタッフの声も聴かず、お金を国の補助金も含めて湯水のように使おうとされていますね。

スタッフの大多数は先輩の案に反対だそうではないですか?ところがスタッフたちは声を上げられる状態ではないそうです。

湯崎先輩。先輩は15年知事をされて最初にご自身が想定したような県庁にできていないのです。これ以上知事を続投される資格はない。

◆公文書偽造・補助金不正受給・公益通報もみ消し……他人事すぎる!

湯崎先輩。西部建設事務所呉支所では、公文書偽造と補助金の不正受給がおきました。それを職員が公益通報したのですが県の人事課はろくに当事者に資料提出も求めないまま「事実は確認できなかった」などと回答し、公益通報を事実上握りつぶしていた。大変な犯罪ではないですか?!

先輩。あなたは「事実なら遺憾」とおっしゃっていましたが、他人事すぎませんか?

湯崎先輩。これとは別に本庁の主査クラスの職員が知事印を適切な上司の決裁も経ずに押印するなど多数の不適切な事務処理をしていた。公文書偽造ですが、先輩は刑事告発をみおくられた。

湯崎先輩。今の広島県はあまりにも腐敗しすぎてこの程度の犯罪を告発していたらエライことになりそうな状態なのかもしれませんね。県庁OBとして恥ずかしいし情けない。

だが、そんな県庁にしたのは15年以上知事をされていた湯崎先輩。あなたです。

◆教育改革どころか崩壊招いた湯崎先輩の肝いり教育長・平川氏

湯崎先輩。あなたが肝いりで連れてきた平川理恵前教育長。結局、高校入試をはじめ、生徒や保護者、先生の負担になるような方向にかき回しただけだった。挙句に、官製談合という名のお友達に県費で仕事をつくってあげる事件を起こしました。

そして、平川前教育長は、給与の一部返納だけで正式な処分は受けず。刑事責任も部下に擦り付けて、2024年3月末限りで東京にまんまと「逃亡」してしまいました。今も、広島で改革を成功させた!と東京でご講演して吹聴して回っておられるとか。こんな教育長を6年間頂いた広島県の教育。学校現場では先生方の不祥事が今年も高止まりで深刻です。それはそうだ。あんなことをした教育長が捕まらないのですから。

これ以外にも、人口が減っているのに、また県立大学をつくって、定員割れ(叡啓大学)など、ちぐはぐさが目立ちます。県民や現場スタッフの声をちゃんと聴いているのですか?

湯崎先輩。先輩は女性副知事の人事でも、結局は大学のご自身の後輩でもある官僚を連れてこられた。いま、広島に必要なのは、もっと、広島で地道に頑張って来られた女性・若手の力を発揮できるようにすることではないのか?島根県では県庁たたき上げ、農業や教育、土木など幅広く経験されてきた高卒の女性職員が副知事になられています。こういうところをもっと広島も見習うべきです。

◆業者とズブズブ、県民に敵対 三原本郷産廃処分場問題

湯崎先輩。あなたにはさらにがっかりしたことがあります。三原本郷産廃処分場問題です。あなたは、水源地のど真ん中に許可したこの処分場の許可取り消しを広島地裁に命じられても、控訴している。そして控訴審では業者と一体となって住民に敵対しています。

2022年秋の稼働後、23年夏からは繰り返し汚染水が流出しています。湯崎先輩。先輩は、そのたびに警告や指導で稼働を止められるが、しばらくすると安全が確認できた、として稼働を再開する。その繰り返しです。

直近でも24年11月にいったん指導を行い停止させたが、その間も、産廃処分場拡張工事は野放し。そして、業者がタンクローリーで真水を撒いて薄めさせた上で県が調査し、「安全です」といって4月25日には稼働を再開させました。

汚染水の原因すらわかっていないのに、再開させるとは何事ですか?!

どうせ、産廃が持ち込まれれば、また、汚染水が出るでしょう。湯崎先輩。いい加減に、きちんと調査をし、また住民の被害の救済要求に応じるべきです。

湯崎先輩。あなたは、広島の食材や料理のアピールを県政の大事な柱としています。それは別に構わないのですが、産廃を野放しにしていて、食材や料理が成り立つのですか?!

◆もはや、勇退しかない

湯崎先輩。最近の先輩はやることなすこと、最初の志と乖離しています。もう、今期でご勇退なさることをご忠告申し上げます。

湯崎先輩。先輩がこれ以上知事を続投されるおつもりなら、わたくしは、後輩として、元部下として、先輩の首を取りに行きます。湯崎先輩の首を取り、県民の手に広島を取り戻す庶民革命。湯崎先輩の県政から、広島県民の命、健康、水、食べ物、教育……を守る庶民革命。その先頭に体を張って立つ覚悟です。

湯崎先輩。先輩は東京系の企業や東京系の知事のお仲間中心の県政で、イエスマンに囲まれ、物事が見えなくなっているのではないでしょうか?

御勇退され、後進に道を譲られることを心からお願い申し上げます。

さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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日本共産党さん、大丈夫ですか? 党員・支持者による筆者への罵倒相次ぐ 「参院広島・仁義なき候補者選考・楾―宮口事件」にもだんまり?

さとうしゅういち

2025年5月1日、筆者は、自身が幹部を務めさせていただいている労組の系列の県労連系の第96回広島県中央メーデーに参加しました。その時のことです。知り合いの日本共産党員A氏と目があったのでご挨拶しました。

ところが、A氏は「れいわ新選組はむちゃくちゃやないか」と罵倒してこられました。「野党共闘には参加しないし、けしからんやないか」とえらい剣幕です。
筆者は、困った顔をして、こう申し上げました。

「すいませんね。わたしはネットで誹謗中傷されていましてね。情報開示請求したのです。そしたら共産党系の活動家の方(B氏)でしてな。和解して、損害賠償はいただいています。ただ、民事はそれでよくても、政治的にはそうはいきませんよ。共闘という話にはならないのではないですかね。」

A氏はさらに「いや、君も大軍拡には反対だろう。そういう大きい点ではできないのか?」とおっしゃるので、「いや、わたしもそりゃあ反対ですけど。市民運動的には個人として一緒にいろいろさせてはもらっていますよ。だけど、ああいう誹謗中傷をされたのでは選挙協力という話に組織的にはならないでしょう」とお話しすると、とぼとぼとわたしから離れて行かれました。

最近、国政ではれいわ新選組を支持する筆者に対して、リアルでもネットでも罵倒してこられる日本共産党員の方が目立つようになっています。衆院選2024でれいわ新選組の得票が日本共産党を上回ったこと。このままだと、県議選や市議選でもしれいわ新選組の候補が出てくれば、共産党議員と入れ替わりになる確率が高いのでピリピリしておられるのかもしれません。

◆「仁義なき候補者選考」立憲民主党には大甘!

さて、そんな日本共産党さんですが、立憲民主党に対しては相変わらず「大甘」です。2021年4月25日執行の参院選広島再選挙と2025年の参院選を巡り、立憲民主党は「参院選広島・仁義なき候補者選考・楾―宮口事件」を引き起こしています。これに対して、日本共産党さんや日本共産党の支持者も多い市民連合さんが抗議したという話は寡聞にして知りません。

2020年、河井案里さんの逮捕・失脚が濃厚になった段階で立憲民主党は既に候補者に「檻の中のライオン」で有名な弁護士の楾大樹先生を内定していました。楾先生は仕事をキャンセルし、いつ選挙があっても良いようにスタンバイしていました。

ところが、案里さんが当選無効になった21年2月になっても、楾先生に対して党本部から連絡はなかったのです。立憲広島は突如として、楾先生のはしごを外し、森本真治参院議員の秘書の妻だった宮口治子さんを候補者として擁立。自民党候補や、筆者・さとうしゅういちらを破って宮口さんは当選します。この間の経過については楾大樹著「茶番選挙 仁義なき候補者選考」をご参照ください。

◆宮口さんへの対応分かれた筆者と日本共産党

筆者・さとうしゅういちは、告示直前の21年4月上旬前半、宮口さんとの一本化を申し入れるメールを送っています。趣旨は「伊方原発即時廃炉を含む原発ゼロを宮口さんが飲む代わりに筆者が降りる」というものでした。しかし、立憲広島からは「宮口さんは具体的な政策が分かる人じゃないから」というお話をいただきました。これは女性蔑視でもあると判断した筆者は、交渉をあきらめ、選挙に突入したのです。

一方、この選挙で日本共産党さんは、宮口さんを支援しました。当時の日本共産党さんは、立憲民主党というだけで、自民党よりも新自由主義的な方や権威主義的な方も推薦しまくっておられましたので、驚くべき対応ではなかった。一方で、この選挙の際には、少なくない日本共産党員や支持者の方で、党の指示に反して筆者・さとうしゅういちを個人的に応援してくださった方もおられました。このことには感謝申し上げます。

他方で、筆者が立候補したことを根に持って、当時も筆者を罵倒してこられた共産党員の方もおられました。もちろん、筆者への風当たりは当然ですが立憲民主党の方が酷く、「お前は二度と俺の地域に出入りするな」と脅しの電話をかけてこられた立憲民主党員の方もおられました。

◆宮口議員が離党に追い込まれるも冷たい?日本共産党

時は流れて2024年末。2025年参院選では、改選になる議員は2人とも立憲民主党です。すなわち森本真治さんと宮口治子さん。どちらかが降りることになります。立憲広島は、宮口さんを下ろしました。そして宮口さんは、比例での公認もされず、同党に「居場所がない」と2025年1月20日、離党届を出すに至ります。その後は無所属で活動されています。

こうした中で、日本共産党さんや、市民連合さんは、あれだけ熱心に応援した宮口さんが立憲広島により「首を取られた」にもかかわらず、全くもって、立憲広島に対して、抗議もなにもされていないようです。

さて、その後、れいわ新選組を国政ではあくまで庶民派保守・無所属の立場で支持する筆者・さとうしゅういちに対して「れいわ新選組は無茶苦茶じゃないか」などと罵倒してこられる党員の方(A氏)もおられますし、ネットで誹謗中傷してこられる同党系活動家の方(B氏ら)もおられました。

そういう方々が、きちんと自分たちが応援した宮口さんをぞんざいにした立憲広島に抗議したとは聞いていません。自分たちが応援した人の行く末をきちんとフォローしない。これは無責任ではないかと思います。

昔の日本共産党さんは、割と、責任をもってフォローできない人は最初から応援もしなかったように覚えていますがいかがでしょうか。このあたりも随分変わってしまったなあと嘆息しております。

◆野党が楾先生を立てていれば問題なかった

なお、楾先生が立候補予定者だったことは、筆者・さとうしゅういちは、2023年になって初めてご本人から伺いました。楾先生が候補者なら俺は最初から出ていないよ、と地団駄を踏んだのを覚えています。

「宮口さんは具体的な政策がわかる人じゃないから」という立憲広島の幹部の方のお話が非常に印象に残っています。立憲広島としてはそういう認識だったということでしょう。

これでは、「政策がない」新党を立ち上げた石丸伸二さんのことを立憲民主党はあれこれ言えません。

きちんと立憲広島が楾先生を擁立していれば問題なかった。ただ、「共産党さんも宮口さんをあれだけ押したのに、無関心とは薄情じゃのう」と思っております。まだ、ライバルとして闘った私の方が関心を持っているくらいです。

◆野党共闘の失敗を総括せよ

日本共産党の党員や支持者の皆様。きちんと志位和夫さん、田村智子さんら幹部に対して、野党共闘の失敗をきちんと総括するように意見された方がよろしいかとおもいます。「志位さん・田村さんらの機嫌を損ねたら松竹伸幸さんや紙屋高雪さん、あるいは紙屋さんの不当解雇に抗議した元福岡県議候補の砂川あやねさんや栃木県のかぴぱら堂ご夫妻のように除名・除籍される」とおっしゃるかもしれない。しかし、そんな政党なら、それまでのことではないでしょうか?

いま、自民党はボロボロですが、代わりにウケているのは立憲民主党でもなければ日本共産党でもありません。もちろん、国民民主党やれいわ新選組も伸びてはいる。しかし、危機感を持たなければならないのは石丸伸二さんや斎藤元彦・兵庫県知事らがウケていることではないでしょうか?既存野党のだらしなさ、野党共闘の失敗が、彼らを調子に乗らせているのではないでしょうか?

さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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