4月に放送されたビルマ語ラジオ「ボイス・オブ・アメリカ」で気になったのは、ミャンマー(ビルマ)で2011年に『民政移管』してから、変化したのは最大都市ヤンゴンと、第二の都市マンダレーだけだという話だ。
ヤンゴンでは、世界中から企業家や投資家がやってきて、商業活動が活発になりつつある。海外投資法が改正されて、以前よりは、海外投資家がミャンマーに参入しやすくなった。どの国の大手電話・通信会社がミャンマーに参入するか、ニュースではよく話題になる。
大掛かりな投資だけでなく、ミャンマー人が行っているビジネスも活性化している。たとえば、ミャンマーにおける日本の中古車輸入台数だけを見ても、ばらつきはあるものの、ここ数年で、一月あたり8000台ほど輸入している。ミャンマー政府が車にかける税金を下げたため、車を購入できる人々が増えたからだ。
かつて、ミャンマーで中古車輸入の際に必要な許可証をもらえるのが、政商関係者や、ほかの、わずかな人々に限られていた。今では、金とコネがあれば、多くの人が車の輸入業に参入するチャンスがある。『民政移管』後に、こうした雇用を生み出しているのはまぎれもない事実で、ヤンゴンだけにいると、「ミャンマーは発展している」と思える。
忌野清志郎が亡くなって、今日で4年になる。
「死刑執行後の雪冤」がなるかと注目される飯塚事件の再審請求審で、福岡地裁が4月26日、弁護側が求めていた筑波大学・本田克也教授の証人尋問を5月13日、6月26日の両日に行なうことを決めた。本田教授は、小1の女の子2人を殺害した犯人として処刑された久間三千年さん(享年70)と真犯人のDNA型が異なるという見解を示しているほか、有罪の決め手になった警察庁科警研のDNA鑑定で証拠写真が捏造された疑惑を明るみにする分析を行なっている。弁護団によると、この証人尋問で再審が開始される否かが決まる見通しという。
昨年10月12日午後10時過ぎ、反骨と反権力の映画監督、若松孝二氏(本名・伊藤孝)が、新宿区内藤町でタクシーに撥ねられ、同月17日に病院で亡くなった事故について、新たに重大な新事実が発覚したので報告したい。