政治家の無知を世界中にさらす? 国会のPKO派遣法論議

8月11日、共産党の小池晃政議員が平和安全法制特別委員会で、自衛隊統合幕僚監部がスーダンへの追加派遣決定前に部隊配置などの資料を作成していたと指摘、「国会を無視した行動だ」と批判した。さらに中谷防衛大臣も「資料の有無を確認する」などと明確な返答を避け、委員会は中断した。共産党からデータが出たからには、中国共産党が関与しているとの噂もある。「国会の審議中に法案の内容を先取りするようなことは、控えなければならないと考えている」(中谷元防衛相)「南スーダンPKOを年明けから今度の法制に基づく運用するって書いてある。こんな検討をしているということが許されるんですか」(共産党・小池晃参院議員)「防衛省としては、法案の内容を十分に分析研究しつつ、隊員によく 理解してもらうといううえでの検討だと認識しています」(中谷元防衛相) などなど白熱している。

議論はいまも続き、右派左派ともに「首相は自衛隊を把握できていない」などと論を繰り広げているが、当の自衛隊は政府の、法案に対する無理解に頭をかかえているだろう。


◎[参考動画]2015.8.11参院安保法制特別委員会での小池晃議員(日本共産党)の質問(約16分)

◎[参考資料]小池議員が提出した「自衛隊統合幕僚監部資料」より(日本共産党HP内PDF)

自衛隊の目的は「有事」の際の対応であり、事前に想定して準備しておかないと本番で隊行動の遅れが生じる。この「有事」がたとえば「ブラジルへ派兵する」などのようにまず生じないであろうものを省き、できるだけ多く(国難に陥ることも含めて)想定と対策を練って「想定外」のことが起きないようにする。そして、本当に何か起こった場合に事前検討データを元に作戦を実行する。もっとも、なかなか「想定外」をなくすのは難しく、昨年7月、自衛隊が韓国軍に銃弾を貸して問題となったのもスーダンだ。自衛隊も、韓国軍も国際世論までは考えつかなかったらしい。

国会で検討されている以上、自衛隊ではスーダン追加派遣は「起こりうる可能性が高い」と判断する。国会で決まれば、自衛隊では国内のどの部隊を派遣するか、輸送方法も海自が担当するのか、空自になるのか、大量の内部調整が必要になる。スーダン第一次派遣では自衛隊はロシア機をチャーターしている。外国政府との胃がきしむような折衝も必要なのだ。法案が通過してから検討していてはロスが生じる。もちろん、自衛隊では「PKO法案が破棄された」想定での検討も行っているはずだ。自衛隊が通常業務を普通に行っていたら、共産党が鬼の首でも取ったように騒ぎ立てる。そもそも兵力の展開予定は国家機密である。防衛大臣も「機密だから答えられない」と、当たり前のことを返せば済むのに、自衛隊の出動条件については、答えを濁している。

たとえば、外務省のHPには、こうある。

国連PKOの基本三原則

国連PKOの活動は,失敗や挫折を経ながらも,現在は基本三原則を順守して行われています。一つ目の原則は「主要な紛争当事者の受入れ同意」です。これは,国連PKO自体が紛争当事者となってしまう事態を避けるためのものです。二つ目の原則は「不偏性」です。これは単に国連PKOが中立の立場を貫くということではなく,国連PKOは特定の紛争当事者を優遇することも,差別することもなく,その任務を実施しなければならない,ということを表したものです。文民に危害を加える紛争当事者がいれば,国連PKOは見て見ぬふりをせず,文民を保護する任務を全うしなければなりません。三つ目の原則は「自衛及び任務の防衛以外の実力の不行使」です。国連PKOにおける実力行使は,他の手段が尽くされた場合の最終手段であり,かつ国連が定める武器使用基準に従って自衛や任務遂行のために必要最低限の範囲で行われます。ここでの実力の行使は,国連憲章第2条4で禁止されている「武力の行使」には当たらないとされています。(外務省ホームページより

そう、PKOは原則的に「武力行使」にはあたらないのだ。なぜ論戦でそうしたコメントが出ないのか不思議だ。

もっといえば「なぜスーダンに自衛隊が行くのか」の議論も欠落している。防衛省のホームページにはこうある

Q3.南スーダンへ自衛隊を派遣することの意義は何ですか。

A3. 南スーダンは、長年の南北スーダン間の内戦と、和平合意の履行を経てようやく2011(平成23)年7月に独立を果たしました。しかしながら独立から3年半経過した今、国内における政治的混乱の解決が南スーダンの国造りの大きな課題となっています。豊富な資源を有する同国の平和と安定は、アフリカ全体ひいては国際社会の平和と安定のため重要であり、国際社会全体が協力して取り組む必要があります。

我が国は、国際社会の責任ある一員として、主要国と協調して、南スーダンの平和と安定に積極的に関与すべきであり、特に、UNMISSの下、施設作業などの得意分野において行う人的貢献は、国連の期待に応えながら南スーダンの平和と安定に貢献するとの観点から、大きな意義を有しています。諸外国などに自衛隊の能力を示す機会にもなり、我が国に対する信頼向上にも資するものです。(防衛省のホームページより

この騒動は海外在住の、特に軍事関係者に日本の政治家が「自国内での自衛隊の通常業務を知らない」そして「PKOについて知らない」さらには「スーダンで何が起きているか知らない」という三重のバカさ加減を世界中に知らしめることとなるだろう。政治が大きく劣化し始めたのだ。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。

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2016年逝きし世の日本へ──2024年8月15日に記された日系難民家族の回想記

HIROSHIMA1945 - FUKUSHIMA2011

「いいかい遥(はるか)、さっきの質問は二度と人前でしちゃいけないよ。私達は色んな危険に囲まれているんだ。遥ももう少し大きくなれば解るだろう。だから解らないことは誰もいないところで父さんに小声で話しなさい」
私が娘にそう諭すと遥は「うん、わかった」と素直に忠告を受け入れた。

遥の質問はこうだった。
「ねえねえお父さん。なんで私達は日本語を知っているの? 友達と話すときはいつもスペイン語なのに家に帰るとどうして日本語なの? 日本ってもうないんでしょ? だれも住めなくなったって学校で教わったけど……」

遥は買い物客で賑わうエスペラント通りの市場の中で突然私に日本語で問いかけてきた。
「黙りなさい。スペイン語で話すんだ」と私は遥の耳元で呟いた。10歳の娘に私達が住んでいた国の話をする事は親の義務のようにも感じるが、難民として制限の多い生活をしている立場を理解するのに若すぎる。いずれ物事が分かるような年齢に達したら全てを話そうと思う。妻もそれに対して異論はないようだ。

◆2016年「JAPAN CHAOS」──悪夢の連鎖が始まった

KAGOSHIMA2016

2016年、山口県の岩国基地に配備されていたオスプレイが鹿児島の川内原発上空で操縦不能に陥り稼働中の原発へ墜落したのが事の始まりだった。悪夢の連鎖と言えばそうとしか言えないが、今となっては後悔すらが無意味だ。事故の前年に戦争へ向けて法整備を完了していた日本は川内原発へのオスプレイ墜落事故直後に、米国がホルムズ海峡にイランが多量の機雷をばら撒いたことを理由に日本への機雷撤去作戦への協力を要請する。「集団的自衛権」で逃げ場を塞がれていた日本政府は原発事故の対応よりも米国の要請に応じることを優先させた。その結果2011年の福島第一原発で起こった事故と比較が出来ない大惨事が発生し、急性放射線障害により九州では事故から2日以内に3万人が犠牲となった。

その後も暴走する原発事故へ有効な対策は皆無で、被害は四国、山陰、山陽から関西までに広がった。西日本からの国外避難は、一切の航空便が日本への乗り入れを停止したことにより不可能となった。事故後1週間で犠牲者の数は確認できているだけで20万人に上ったと言われている。

その事故の最中、米国からホルムズ海峡での機雷除去作戦の要請に日本政府は諾々と従った。海上自衛隊、航空自衛隊のみならず海上保安庁の巡視艇までがペルシャ湾へ派遣された。

日本国内の行政機関は実質的に破綻を来たしていたと言って過言ではないだろう。マスコミも同様で大手新聞社が朝刊の発行を行えないという第二次大戦中も例のないところまで混乱は極まっていた。私はその時、もうこの国はお終いだから逃げなければと決断していた。

日本政府が実質的に機能停止に陥った、という確定な情報が伝わってきたのは複数の海外メディアがインターネットを通じて発信したニュースによってだった。

私は妻と娘の遥とともに新潟に向かった。停泊していたロシアの貨物船の船長に多額の袖の下を渡し、取り敢えずナホトカへ向かった。貨物船の中には私たちのように日本から避難する人達があふれていて誰もが先を案じていた。

ナホトカに到着するとロシアの入国管理局は私達「避難者」の受け入れをすんなりとは認めなかった。難民申請も持たずにいきなり押しかけて来た避難民を受け入れなければならない国際法上の義務がロシアにあるわけではないから、その態度は仕方ないものであったといえる。結局ここでも入管当局と個別折衝で袖の下を渡す事ができた人達だけが入国を認められた。そうでなかった人たちの安否は判らない。

私はロシアに長期滞在するつもりはなかった。ロシア語は話せないし、この国には不安定要素が多すぎると感じていた。急ぎモスクワ行きの航空機に飛び乗りモスクワから中米の某国に向かった。この国は幸い私達を難民として受け入れてくれた。第二次大戦で日本と戦火を交えていなかったことが幸いしたのかもしれない。

今日、2024年8月15日は日本がまだあった頃、「終戦記念日」と言われた日だった。今私達が暮らすこの国は第二次大戦に参戦していなかったので、取り立てて8月15日が話題になることはない。

2016年、1億2千万近い人間が僅か数週間で放射能と戦争により国家を破滅させた「JAPAN CHAOS」は近代史の中でもまだ評価が定まっていない。私の心の中でも同様だ。遥には物心がついたら説明するとは言ったものの、それが果たせる自信はない。

◆2024年8月15日──自ら国を破滅させた愚かな民として他国で生きる

ここへ難民として住み着いて8年になる。日本を出た2016年、遥は2歳だった。家の中では日本語を使っているが、日常生活ではスペイン語だけで通している。私の家族のようにこの国へ逃れてきた日本からの難民は少なくない。しかし彼らの中には「日本への帰還、日本政府の再建」等と言った政治的行動に走るグループがいて、それはこの国の政府からは「厄介者」と危険視されている。

また、決して豊かとはいえない経済状況が続くこの国の国民は私達難民に政府から与えられる僅かばかりの「生活援助」にも不満を持っている。だから私は妻や娘に「家の外では『日本』のことは決して話題にしないように、政治的な話には関わらないように」事あるごとに言い聞かせている。私達は祖国を失った難民なのだ。しかも侵略や他国の攻撃により祖国を失ったわけではない。政権の愚策により、2度と戻れない猛烈な放射能汚染を広め、無責任な政治意識が何の利益も産まない好戦国=米国の言いなりとなり。こともあろうか原発事故の対策を放棄して米国の作戦に国力を傾注してしまった、救いがたい愚かな民族だ。

世界中のあちこちに散らばる日本系難民の苦悩はこれから果てることがないだろう。だから本音を言えば娘の遥には「日本を忘れなさい」と語ろうかとも思案している。

幸いこの国では肌の色や出身による差別は少ない。でも子供たちの間にも「日本」と言う国がどうして破滅したのかへの純粋な興味はある。遥と同じクラスで成績が優秀なフリオやフェルナンデスは遥には同情してくれているという。でも少し意地悪なメンドーサやイザベラにはからかわれることがあるらしい。

仕方ない。難民はそれらを背負って生きなければならない。クルドやパレスチナと我々は違う。自ら国を破滅させた愚かな難民なのだから。でも遥や子供が責めを負わなければならない道理はない。弁解する資格すらない私たちは贖えない罪を死ぬまで背負わねばならない。

あれだけ明確な予兆が示されていたのに、それを食い止めることができなかった。あの時代の空疎感。生物種としての衰退がこの結果を招いたのか。これから年を重ねるごとに私の心がどう変化するのか、それすら想像がつかない。

日曜日(16日)には教会に礼拝に行かなければならない。この国ではカソリックとして振る舞うことが身の安全にもつながる。私も妻も礼拝は護身術でしかないが、遥には礼拝に通うことが自然な行為になってきたようだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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《韓国特派員・ウナの留学日記》日帝支配からの解放を祝う「独立記念館」へ

今年ももうすぐ8月15日がやってきます。日本では終戦記念日ですが、韓国では「光復節」、つまり日帝支配の36年が終わり、再び光を取り戻した日でもあります。今年は70年目の光復節ということで、祝賀ムードが盛り上がっています。なぜかアパレルブランドでは「光復節70年を記念してオックスフォードシャツが特別割引!」などと、よくわからない光復節バーゲンまで起きる始末です。

天安市内の新世界デパートも光復節70年記念仕様に。H&Mのロゴと太極旗が並ぶシュール

そんななか私は、ソウルから約1時間の天安という街にある「独立記念館」に行ってきました。天安は1919年の3月1日に起こった独立運動の分岐点となった場所につき、全斗煥政権真っただ中の1987年5月に建てられたそうです(と、パンフレットに書いてありました)。全斗煥政権といえば市民を虐殺した光州事件の張本人。まあなんというか、日本人にとってもあまりいい空気を吸える場所ではないことは、容易に想像できます……。

カメラに納まりきらない程の広い施設

当日はマジで熱中症5秒前(古いネタでごめんなさい……)の日差しのなか、かつての朝鮮総督府の部材が転がる公園を左手に眺めながら、これでもかと飾られている太極旗を横目に、7つもある建物のうちの「韓民族のルーツ」というところから見学をスタート。「高句麗」や「李氏朝鮮」など、韓流ドラマでもおなじみの時代について知ることができます。でも、わりと普通……? しかし「漢民族の試練」と銘打たれた第2館あたりから、乙巳条約や慰安婦など、日帝がいかに韓半島を支配してきたかについて、「これでもか!」という程知ることができます……。さらに進んでいくと独立運動家や朝鮮語学会の会員が日帝からどれほどむごい拷問を受けたかの蝋人形コーナーなどがあり、能天気な人でも一気に気持ちが沈むこと間違いなしです。

むごい拷問シーンの再現。悪人ヅラの技巧が凝ってます

そして最も力を入れていた(と思われる)のが、植民地時代の独立運動家である金九について。あちこちに大村崑よろしく丸メガネをかけた蝋人形が飾られていて、まさに金九先生祭り状態です。同じく独立運動家として知られる柳寛順の扱いが彼に比べるととても少ないのは、うら若き女性だからでありましょうか? なんというマチズモ施設! と思ったら、割と近くに彼女の記念館があるようです(今回は訪ねる時間なし)。また安重根や、日本の歴史教科書を批判する映像コーナーがあるなど、その筋(どの筋かはあえて言いません)の人が見たら、怒り出しそうなアロマが漂っていました。

中央の人物が金九。大韓民国臨時政府の設立に関わり、抗日独立運動家として知られている

しかしそのVTRを最後まで見ていると、「東アジア各国に平和共存と 共同の歴史認識を模索し ともに生きていく隣人として正しい歴史認識に向けて努力を惜しんではならない」とありました。「言いたいことは色々あるけど、日本と韓国はともに生きていく隣人だ」という考えはしっかり持っていることがわかりました。
日本では最近、日本賛美色が強い育鵬社の歴史教科書を採択する自治体が増えつつあるとの報道がされています。主張や解釈はそれぞれあるかもしれませんが、事実はひとつしかありません。それを踏まえた上で意見をぶつけ合わない限り、なかなか隣人としてともに生きていくことは難しい。侵略へのおわびが盛り込まれるのかについて韓国でもニュースになっている、安倍談話がどうなるのか私もチェックしたいと思います。

1995年まで景福宮の前にあった朝鮮総督府の建物の尖塔部分とその残骸

▼サ・ウナ
韓国の地方都市にある某大学に留学中の女子大生。世界中から来ている学生たちによる、ミックス言語で繰り広げられている「かわいい~」「○○さんかっこいい~」「○○が××のことを好きだって言ってたよ~」などの会話に、日夜イライラしながら学業に勤しむ25歳。

《韓国特派員・ウナの留学日記》
◎日帝支配時代について、フツーに教えてます
◎「ゆとり」は世界の共通語!?
◎MERSアタック!? in ソウル

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『火垂るの墓』から考える──住み慣れた街に戦火が襲い、家族を失うということ

私にはこの島国での戦争体験は勿論ない。取材の関係で紛争当事国や戒厳令が敷かれた国に滞在した経験はあるが、自分が生まれた国で戦争を経験したことはない。

私の親世代は戦争中や戦争直後の生まれが多く、祖父母はいずれも戦前の生まれだった。だから戦争についての話は幼少時より度々聞かされていた。私の父母は男兄弟が多かった。叔父達は概して非政治的で、中には戦後も「皇国史観」から脱することの出来ない人もいたけれども、原爆直撃を受けた経験や、食べ物がなくとにかくひもじい思いが辛かった記憶は皆が異口同音に語ってくれた。

祖母は明治の生まれで女学校を卒業していた。当時としては「高学歴」の部類に入るだろう。祖母は私が幼少の頃から古い写真を持ち出しては「敏夫ちゃんね。戦争の時には本当に恐い思いをみんなしたのよ」と自身が「愛国婦人会」のタスキをかけた写真を見せながら私に語ってくれた。祖母の言葉はいつも穏やかだったけれども、幼少の私に向けて語られる言葉はいつも「反戦」の意気に満ちていた。家父長制が殊のほか強い封建的な家風だったので、祖母が戦争を語ってくれるのは祖父が外出中か、その場に居ない時だった。

祖父はと言えば戦争中は造船技術者だったので、徴兵を逃れることができ戦死を免れた。祖父は元気な時分には戦争を語らなかったが、晩年になり(当時は中曽根が首相だった)テレビで国会を眺めていると「このままではいずれまた戦争になるのう」と私に語り掛けてくれた。もとより左翼思想の片鱗も持ち合わせない祖父であったが「今、国会で自民党にはっきり反対できるのは共産党だけじゃのう。このままいけばまた戦争じゃのう。そうなったら敏夫、外国に逃げろ」が口癖だった。

野坂昭如『アメリカひじき・火垂るの墓』(1968年新潮文庫)

◆慣れ親しんだ地が舞台の「火垂るの墓」に号泣

野坂昭如による「火垂るの墓・アメリカひじき」を文庫で読んだのは高校時代だっただろうか。幼少時を過ごした西宮や芦屋、三ノ宮を主たる舞台とする短編小説「火垂るの墓」に私の想像は膨らんだ。慣れ親しんだ地名がこれでもかと登場し、そこで繰り広げられる悲劇は他人事とは思えなかった。祖父母と両親をはじめとした年長者から散々伝え聞いていた戦争談は、体験していないものの私にとって「原体験」と言ってよいほど血肉化していた。夜間、普段は聞かない自衛隊の飛行機が飛ぶ音を聞けば「戦争が起きたんちゃう?」と真顔で親に聞いていたほどだった。子供特有の過剰な恐がり方と言えばそうとも言えるが、今から思えばあの時代にあってもかなり異質な子供だったと思う。

1988年に「火垂るの墓」はアニメ作品化されているが、既にテレビ視聴を止めていて、情報に疎かった私がそれを知ったのは数年後の事だった。レンタルビデオ屋から借りてきた「火垂るの墓」のパッケージには野坂昭如が「アニメ恐るべし」とコメントを書いている。

ビデオ再生を始めてから私が声を押し殺し号泣し出すまで数分もかからなかったろう。阪神大震災で壊れてしまって今はないけれども、阪急三宮駅の丸い柱を目にした時、そこで主人公が息絶えるシーンから映画は始まるのだけれども、自分が見知っている、私にとっては幼少の幸せに満ちた思い場所でこれからあの「火垂るの墓」が繰り広げられると思うと胸苦しくさえあった。

果たして舞台は芦屋川の春、桜満開の場面や京阪神が焼野原になる場面へと展開してゆく。余談だが野坂は戦争中に西宮から神戸のどこかに住んだことがあり、そのため、私が幼少期を過ごした阪急今津線の仁川駅周辺の商店を描いた作品もある。その商店は私が幼少の頃まだ営業していて、個性的な薬屋のおじさんや駄菓子屋のたたずまいは野坂の描いた作品どおりであって、それを今でも忘れずに覚えている。

そういった個人的経験が複合的に重なっていることもあろうが、野坂昭如原作、高畑勲監督の手による「火垂るの墓」は私にとっては忘れることの出来ない映画作品の一つである。傑作だと思う。

◎[参考動画]『火垂るの墓』予告編(1988年)
◎[参考動画]『火垂るの墓』予告編(1988年)

◆「火垂るの墓」がテレビ放映されるのは明日8月14日で最後になるかもしれない

日本テレビ系列は毎年夏になると「スタジオジブリ」の新作が公開さえるのに合わせて「火垂るの墓」を8月に放映することがままあった。日本テレビも製作委員会に入っているので、日ごろの報道姿勢とは関係なく「そろばん勘定」がそうさせていたのだろうか。

昨年「映画部門の閉鎖」を発表したジブリは「思い出のマーニー」を2014年7月公開したが、今年の夏ジブリの新作公開はないが8月14日に「火垂るの墓」が放映されるそうだ。21日には「おもひでぽろぽろ」、28日には「平成狸合戦ぽんぽこ」と3週連続で高畑勲監督作品を流す予定だという。

ひょっとすると「火垂るの墓」がテレビで流されるのはこれが最後になるかもしれない、そんな嫌な予感がする。

私のつたない言葉では伝わらない「戦争」。それも自分の住み慣れた場所が戦争にまきこまれたら、自分の家族が戦争で亡くなったらどうなるのか……。若者にはくどい言葉を退屈に聞かせるよりも、「火垂るの墓」を観て、感じてもらう方が訴求力があるだろう。

「戦争が来るよ」、「被害に遭うのは君たちだよ」と語り掛けてソッポッを向かれるのは致し方ないのだろう。私の思いや伝達力が弱いのだ。

若者に限らず、こんな時代だから「火垂るの墓」をご覧になることをお勧めしたい。

◎[参考動画]『火垂るの墓』予告編(1988年)

▼田所敏夫(たどころ としお)
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警察が「ぼったくり」を刑事事件化、ヤクザのさらなる地下潜行が始まる

2005年8月から契約社員として勤務していた出版社、竹書房をリストラされたのはちょうど4年後の09年8月のことだった。

私は長く雑誌編集者だったが、空いている時間の隙間を縫っては実話誌などにペンネームで原稿を書く裏のアルバイトをしており、リストラを機に「ライターとして本格活動を始める」ことにしたのだが、実はこのリストラ、暴力団取材に力を入れていたことが原因でもあった。私自身は暴力団は取材対象でしかなく、何の私的な付き合いもなかったからこそ、平然と“ヤクザ”と連絡をとれていて、暴力団の動向をメインに扱う竹書房の雑誌「実話ドキュメント」も担当していた。

しかし、会社のメインバンクから「ヤクザ雑誌をやめなければ今後の融資できない」という趣旨の申し入れが頻繁に経営陣になされたことで、ヤクザ雑誌に関わる編集者のリストラが始まっていた。後に竹書房は2012年8月号でヤクザ雑誌「実話時報」を休刊させ、「実話ドキュメント」を2013年7月号を最後に手放し、同誌は翌月号から版元をマイウェイ出版に変えて発行している。「実話ドキュメント」を30年近く編集してきた隠れた名編集者の牧村康正氏もそれ以前に退社しており、編集者のM氏も竹書房版の「実話ドキュメント」最終号を終えると辞表を出した。

◆宮崎学原作コミック本販売差し止めも島田紳助引退も警察の『見せしめ』的締め付けだった

竹書房のしがらみがなくなったことで、私は気にせず暴力団の動向を追ったのだが、そんな中で2010年4月に私が手がけた宮崎学原作のコミック「実録激闘ヤクザ伝四代目会津小鉄高山登久太郎―鉄」(竹書房)が福岡県警の要請で販売差し止めと判断、これに原作者の宮崎が福岡県を相手に裁判を起こし、僕は宮崎側に付いて陳述書を出したのだが、これはどう見ても『見せしめ』的な締め付けだった。同著は暴力団を推奨しているわけでもない、ただの伝記なのである。こうした「スケープゴート」の逮捕が次々に起こった。そのひとつが2011年8月の島田紳助の引退でもあった。

島田の記者会見の前日、旧知の編集者から電話がかかってきた。

「明日、紳介が記者会見をやるようだが何か知らないか」

寝耳に水だった。
だがまさか引退会見になるとは思わず、僕はテレビの画面に釘付けになった。
島田はヤクザとの交際について素直に認めて「ギリギリ、セーフかと思ったがアウトやった」と語った。

記憶するかぎり、この時期は「ドキュメント」という雑誌を部分的に手伝っていたが、この島田をあつかった号は奇跡的に売れた。

そんな中でも私は暴力団排除の社会の中で彼らがどうやって「しのぐか」について注視した。暴力団は年々、排除の機運が高まっていた。何しろ11年に暴力団排除条例が全国で施行、その前の「助走期間」である09年の東京都豊島区による不動産の取引において暴力団を排除することを制定した生活安全条例や、佐賀県の暴力団組事務所について不動産所有者が賃貸契約を解除できる条例は、彼らにとって死活問題となった。ヤクザは海外に進出したり、新手の詐欺をひねりだしたりしていた。

◆「ぼったくり防止条例」の契機となった1999年影野臣直氏逮捕の深層

その中で、「半グレ」が進出してきた。新宿の歌舞伎町などは、本来ならヤクザになるような連中が、ぼったくり飲食店を始めた。そして今、月に300件も新宿署に被害の電話が寄せられる。

99年に「ぼったくり」で逮捕されて「ぼったくり防止条例」の基点となった影野氏が語る。そもそも80年に大学生が高すぎる飲み代を払えずに店(2階)からヤクザの事務所(3階)に連れていかれ、トイレの窓からスキを見て逃げだそうと転落死した事件が端緒だ。

ぼったくりを始めた頃の影野臣直氏(撮影/渡辺克己)

「1980年の大学生の飛び下り死亡事件は、それまで無許可で営業できた『ノーパン喫茶』、『個室ヌード』、『個室マッサージ(現・ファッションヘルス)』、『レンタルルーム』、『ソープランド』、『ポルノショップ』、『のぞき部屋』などのノーパン喫茶から台頭してきた新風俗を、警察の掌中に管理できるようにする『新風営法』施行(1985年)の一因となったのは、間違いありません。この後、新風営法施行の草案が出されたとき、各界は揺れました。左系の議員や弁護士らは、新風営法施行は『違憲』であると対立しましたが、大学生飛び下り死亡事件が起きたために態度を軟化させました。それでも、事件から施行まで5年の歳月を費やしているので、新風営法の施行がいかに難題であったかが理解できると思います。横浜のクラブのママさんたちは、『新風営法施行は財産権の侵害である』として、デモ行進を行っています。良くも悪くも、昭和のママらしい行動力ですね。でも、新風営法施行の本当の原因になったのは、新風俗が客引きを使って莫大な利益を上げていたことと、その経営者が大っぴらにヤクザへの経済援助していたことです。店の持ち主がヤクザの若衆で、それを新風俗業者が借りる。家賃は特別高い上に、おしぼりや花、絵画等のリースも、同系列のヤクザの会社がやる。カスリ(ミカジメ料)を集金にくるヤクザの無尽(頼も母子構)を何口も付き合ったりと、ヤクザの膨大な資金源になっていました。

よく経営者がヤクザの親分連中をゾロゾロ連れて、歌舞伎町の高級クラブを梯子していた姿を見かけたものです。みんな、あんな風になりたいと憧れていました。ヤクザと組めばアメリカンドリームを体現できる……世がそんな風潮になっていました。ヤクザを英雄視する良からぬ風潮を抑止するため、警察は新風営法施行の準備を始めました。例をあげれば、歌舞伎町の区役所内に図書館(教育施設)を開業させたり、大久保病院(医療施設)を改装させたりして、歌舞伎町や他の繁華街を新風俗の禁止区域にしました。禁止区域に歌舞伎町がスッポリ入るように、従来の区域の設定を官公庁施設、学校、図書館、児童福祉施設、までの距離を20メートルから200メートルになったはずです。 今まで営業していた店は警察に届け出をだせば、既得権として新風営法施行後も営業できるとしましたが、客引き、時間外営業などで摘発されると最低20日以上(現在は最低40日以上)の営業停止が課せられたので、高い家賃を払っていた新風俗業者はたちまち干あがってしまいました。

1985年3月13日深夜0時、新風営法施行直後、歌舞伎町の看板が消え、本当に真っ暗になりました。 営業していたのは、偽装マッサージ店として新風営法の隙を突いた僕が経営するKグループの店だけ(笑)。この店は稼ぎにかせぐのですが、警察の徹底したガサ入れに40日で逮捕。 全国最初の新風営法違反での全国指名手配者になってしまいました。それが、ペンネーム『影野臣直』の由来となった『影のオーナー逮捕』の記事です」

◆警察が「ぼったくり」を刑事事件と扱い始めたことでヤクザはもっと地下に潜り始める

そして、ようやく歌舞伎町では警察が腰をあげた。東京新聞では以下のように報じる。

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「ぼったくり」事件化へ転換 歌舞伎町 被害多発で警察
東京新聞2015年6月12日 夕刊
東京・新宿の歌舞伎町で、客が高額な飲食料金を請求される「ぼったくり」の被害が急増している。「民事不介入」は警察の対応の原則だが、あまりのトラブル多発に、警視庁は今月から客を保護して店側との接触を絶ち、都のぼったくり防止条例違反などでの事件化を基本に対応する方針に転換した。しかし、対応次第では「過度の民事介入になりかねない」との声もある。(皆川剛)

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そう、警察はついに「ぼったくり」を刑事事件として扱い始めたのだ。これからヤクザは「ぼったくり」については、ナーバスになるだろう。そしてまた、ヤクザは地下にもぐるのである。

(小林俊之)

◎塩見孝也『革命バカ一代』で思い出したベテラン警備員『ゲンさん』たちの物語
◎「工藤會壊滅ありき」で福岡県警が強引に人権を無視し続ける邪な理由
◎731部隊を隠蔽し続ける米日の密約──近藤昭二さん講演報告
◎ライターが撮影を担う時代の到来と、写真塾の展覧会から得る刺激

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クソ暑いのに不快指数を余計に上昇させる「THE PAGE」軍事ブロガーの悪質記事

ニュースサイト「THE PAGE」8月5日に「『原発にミサイルを撃ち込まれたら?』山本太郎議員の質問は杞憂」と言う記事が掲載されており、6日午後現在アクセス数が一番多い政治記事と表示されている。

ネット上には数多くのニュースサイトが存在するがその真贋(あるいは信用度)は玉石混合で、かなりの確度で情報が正確なサイトから明らかに偏向した視点から主張を展開するものまで幅広い。私が読んで正確さを疑うことが多いのは、「FOCUS-ASIA.COM」、「Record China」そして「産経新聞」などが展開するニュースサイトだ。「THE PAGE」は記事により質にばらつきが目立つ。

同サイトの記事を批判する前に断わっておくが、山本議員の質疑の内容はあくまでも「国が現在想定している」ことへの疑問であり、私自身は中国や朝鮮が現実に日本への「攻撃」を行う可能性はゼロではないが極めて低いと考える。しかし「日中平和友好条約」で「相互不可侵」が明確に謳われていても現政権は中国を実質的な「仮想敵国」として国会答弁を続けている(こんな失礼なことはない。「同盟国」とされる米国情報機関は安倍の自宅をはじめ日本の省庁などの電話を「盗聴」していたことが報じられているが、それに対する政府の反応は極めて腰が引けている。同様の「盗聴」をもし中国が行ったら大騒ぎするだろう)のだから、その矛盾と原発の危険性及び事故時対策の無策を指摘することが山本議員の質問の本質的問いと感じた。

◆勝手に想定したシナリオで山本太郎議員の国会質問を歪曲させる「THE PAGE」

8月5日の「THE PAGE」掲載ニュースには誤りが多い。記事中「弾道ミサイルに原発を狙えるピンポイント攻撃能力はない」の中で、「そもそも弾道ミサイルには原発施設に命中を期待できるようなピンポイント攻撃能力はありません。例えば北朝鮮は核兵器と弾道ミサイルをセットで開発しようとしていますが、これは命中精度の低い弾道ミサイルには大量破壊兵器を組み合わせないと効果が著しく低いことが理由の一つです」とある。

これは仮定が誤っている。「命中精度の低い弾道ミサイルには大量破壊兵器を組み合わせないと効果が著しく低い」のは「THE PAGE」が勝手に想定するシナリオであって、命中精度だけの向上を目指すのであれば「ミサイル」にGPSを搭載するだけでピンポイント攻撃は可能になる。

ちなみに最新のICBM(大陸間弾道ミサイル)は1万キロ以上先の標的から半径200メートル以内に着弾する確率が50%を超えている。「原発銀座」である福井県と北京の距離は1,787キロ、ピョンヤンからは979キロだ。この距離の原発を狙うのであれば「大量破壊兵器」を搭載する必要はなく、格納容器と圧力容器を破壊できる程度の爆弾を搭載すればよいし、稼働中の原発ならばミサイル着弾の際に、制御棒挿入による緊急停止(スクラム)は出来ないから、格納容器を破壊しなくとも冷却系配管の破壊を起こすだけで原発は暴走する。このような能力を持つミサイルはイスラエルのパレスチナ攻撃やシリア内戦で政府軍が実戦使用している。中国は独自開発、朝鮮にはスカッドミサイルが配備されていると推測されるが、弾道ミサイルの弾道部分を軽くして、最近の自家用車にも搭載されているGPS機能を搭載することはいともたやすい技術である。

また、「なお巡航ミサイルならばピンポイント攻撃能力がありますが、北朝鮮は保有していません」では、意図的に中国が巡航ミサイルを保有していることへの言及を避けている。政府は答弁で中国と朝鮮の脅威を語っているのだ。政府意見の擁護を試みるのであれば中国を度外視しては反論にならない。

さらに、「核弾頭を保有しているなら原発を狙う必要がない」という、攻撃側の意図を勝手に限定した見出しの文章の中では、「ロシアや中国の場合は核弾頭を大量に保有しており、核弾頭を積んだ弾道ミサイルを相手の都市部に落とせば確実に大被害をもたらせるので、原発へのミサイル攻撃を行う意味がありません。核弾頭をまだ大量保有していない北朝鮮にしても、弾道ミサイルの弾頭に高レベルの放射性物質を搭載するという方法があります」と、議論の本質から逸脱した主張を行っている。

「そんなことは、わかっとるちゅうの!」の一言だ。前提が違うだろう。山本議員の質問は「原発にミサイル攻撃があって被害が出たらどうするか」を政府に尋ねているのだ。「原発へのミサイル攻撃の必要はありません」というのは勝手だけれども、これを書いた「JSF/軍事ブロガー」なる人物は中国や朝鮮の政府や軍の責任者に「日本攻撃作戦」の手の内を取材したことがあるのか。

◆安倍政権の矛盾だらけの政策を代弁しているだけ「JSF/軍事ブロガー」

そして道理を外れた憶測・推測を重ねている割には、「原発への攻撃は戦時国際法違反となる」といきなり真っ当なジュネーブ条約を持ち出してくる。しかし以下の文章は何が言いたいのだろう。
「このジュネーブ条約第1追加議定書は日本の仮想敵国であるロシア、中国、北朝鮮も締約しています。これらの国が戦時国際法を遵守するという保証はありませんが、重大な違反行為と規定されていることを破るとなると、大きなリスクを背負うことになるでしょう。また仮にアメリカが、同盟国の稼働中の原発へ攻撃が行われた場合は大量破壊兵器の使用と同等と見做し核報復を行うと宣言した場合、強力な核抑止力が発生します」

え? 仮想敵国は「ジュネーブ条約に加盟している」けど「遵守するか」どうかはわからない? 「また仮にアメリカが・・・強力な核抑止力が発生します」は全く論理が通っていないぞ。「アメリカが報復攻撃を行うと宣言しなかった」らどうなるのだ。米国はジュネーブ条約加盟国だけれども、イラクやアフガニスタンで数々のジュネーブ条約違反を犯している事を帰還兵が告発している国でもある。一旦核戦争が起これば「ジュネーブ条約」もあらゆる国際法も吹っ飛んで、世界は破滅に向かうことを想像できない発想力の低さには恐れ入る。

極めつけは、「ミサイル対策よりもテロ対策」として、「もしも『可能性が低くても原発への弾道ミサイル攻撃の対処が必要だ』とした場合は、自衛隊がミサイル防衛システムを用いて迎撃する、あるいは地下原発・海底原発といった防御力が強固な施設への転換を図るという選択が考えられますが」と、どうあっても原発を継続しないと気が済まないらしい。

要するにこの「THE PAGE」の記事は現政権の矛盾だらけかつ無謀な政策を代弁しているだけで、しかもその抗弁も国会答弁並に「穴だらけ」で説得力がないということだ。

クソ暑いのに余計に不快指数が上昇する。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎広島原爆70年──被爆者の「戦争責任」発言を中学校長が制止するこの国の行方
◎安倍話法──「大きな嘘」で「解釈改憲」を無理やり正当化し続ける
◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気
◎百田尚樹「沖縄2紙を潰せ」発言で強まる「琉球独立」という島唄の風

戦後70年は安倍晋三「退陣」の年!話題の『紙の爆弾』9月号発売中!

 

戦後70年談話──私が総理大臣ならば!

「村山談話」、「河野談話」が時に現政権から批判体に話題にされる。安倍は正式な談話を出すことをどうやら諦めたようだが、果たしていかなる形でまとめるであろうか。

知人から冗談半分だろうけども、「お前が書いてみろよ」と言われた。私は貧乏な一市民に過ぎず国を代表しての談話を書くなどおこがましすぎるけれども、「村山談話」を読み返すと「今ならこのままじゃないな」と言う箇所が思いの外多いことに気が付いた。そこで僭越に過ぎると承知しながらも「村山談話」を私なりに書き直してみた。

「敗戦後70年を迎えるにあたっての談話」

先の大戦で日本が敗戦してから、70年の歳月が流れました。戦争の災禍を知る多くの人々は既に亡くなり、あの大戦はあたかもはるか昔の「歴史」のように捉えられつつあることも事実であります。しかし、戦争自体を経験していなくとも、我らの国が犯した罪が無くなるわけではありません。むしろあの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せ、決して忘れないことこそが我らの世代の責務と言えましょう。

敗戦後、日本は、焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、経済体な発展を遂げました。しかしその背景には「朝鮮戦争特需」、「アジア諸国への実質的経済侵略」があったことを無視してはなりません。20年前、村山首相は「今日の平和と繁栄を築いてまいりました」と談話で言及されましたが、そこでは戦後も続いたアジア諸国への我々の「加害者」としての視点が欠如していました。2015年我々は戦争中から引き続きアジアを中心とする諸国の犠牲の上に繁栄をえたことを再確認し、反省します。

一方国民が繁栄に向け一人一人の英知とたゆみない努力を惜しまなかったことに、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国をはじめ、世界の全ての国々との間に今日にも増して平等かつ公平な平和的関係を構築すべく、その決心を明らかにします。

「平和で豊かな日本」は過去のものになりました。私たちはこの20年で「平和の尊さ、有難さを忘れた」政策を容認して来てしまいました。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。

いま、戦後70周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。その為に再度憲法前文及び9条の具現化に政府は力を尽くします。

わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

敗戦の日から70周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、被爆国としてまた世界最大の原発事故を引き起こした国としての体験を踏まえて、核兵器及び原子力発電の究極の廃絶を目指し、率先して原子力発電を全廃するものであります。核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。

二度と戦争の惨禍を引き起こすことのない国際関係の構築を目指し、我々は憲法の原点に立ち返り、その精神の具現化のため「自衛隊」を「災害救助隊」へ改組します。米国と締結している「日米安全保障条約」はこれを破棄することを、ここに宣言し不戦の誓いといたします。

2015年8月15日
日本国首相 田所敏夫

参考までに、以下が村山談話本文である。

先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。

敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。

平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。

いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。

わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。

「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。

村山総理大臣談話


◎[参考動画]戦後70年談話は村山談話を継承し、謝罪と反省を明確に プレスクラブ(2015年6月9日)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎ヒロシマ70年──被爆者の「戦争責任」発言を中学校長が制止するこの国の行方
◎安倍話法──「大きな嘘」で「解釈改憲」を無理やり正当化し続ける
◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気
◎百田尚樹「沖縄2紙を潰せ」発言で強まる「琉球独立」という島唄の風

戦後70年は安倍晋三「退陣」の年!話題の『紙の爆弾』9月号発売中!

 

「BLADE.2」の人気者は16歳「神童」那須川だけじゃない!がんばれ熟年格闘家!

キックボクシングの「BLADE.2」は8月1日、大田区総合体育館で15時から行われたが、実は開場は13時30分。正午には、もはや37度を超えている猛暑の中、大田区総合体育館の入り口には、ケバブ、カレー、パン、ホットドックの売店が並んでいた。

◆食事処「不毛地帯」の大田区総合体育館が会場なのだからフード店充実を願う!

このあたりの地域は格闘技ライターなら知っているが「地図から食事処が、ほぼ消えたエリア」だ。たとえば大田区総合体育館のすぐ横にはラーメン屋があるが、このほかに歩いていける食事処を探すのは至難の技だ。第一京浜を歩き、ローソンで右折、JR蒲田駅方向に歩くとレストランや食堂の選択肢が広がるが、遠すぎる。ローソンで買うにも、もはや早く来た客が弁当を買って売りきれるケースも多い。

「実は、正午から体育館入り口でフードを買えるといったって、開場は13時30分だから、食べる場所は13時30分までないんだよ。だから、みんな食べてから来るか、体育館の中で、あらかじめコンビニで買ってきた弁当なんかを食べるのでしょう。ここの体育館入り口付近のフードはいつも売れないよ」(格闘技雑誌ライター)

なるほど、正午から13時30分まで見ていたが、4つの店でフードを買ったのは、わずかに25人だった。ただし、パン屋で販売していたかき氷は、つぎからつぎへと客が「レモンください」などと押し寄せていた。

正午ごろ、カレーショップに「この時間に買っても食べる場所はありませんよね」と聞いてみたが、「開場したら、中で食べられると思います」とのこと。そもそも、この猛暑の中をケバブも、カレーも、焼きたてとはいえパンも、ホットドッグも食べる気にはならないのがたいていの大衆の嗜好ではないのか。

「駅前で冷やしうどんを食べました。そうですね。冷やし中華とか、冷やしそばとか、冷えたサンドイッチとかが体育館入り口にあったら買ったかもしれませんがまずないですからね」(40代の男性)

僕は、体育館横のラーメン屋に入り、つけ麺をオーダーした。なかなか独特のコクがある鰹節風味だ。

確か5月に別の格闘技のイベントで来たときも、正午近くで食事に困った記憶がある。会場が開くまで食べる場所がないのに、なぜ売店でフードを売るのだろう。このあたりの「かゆいところに手が届かない」運営のいたらなさが、キックボクシングのファンがいまひとつ集まらない原因のような気がする。

◆『BLADE FC JAPAN CUP』は「無敗の16歳」那須川天心が予想通り優勝!

キックボクシングの「BLADE.2」の今回の目玉は、「-55kg」の王者をトーナメント形式で8人が争う『BLADE FC JAPAN CUP』で、デビュー以来6戦全勝で第6代RISEバンタム級王者となった「神童」こと16歳の那須川天心を誰が止めるかに大会の話題は集中していた。おおかたが予想した通り、那須川天心が現役高校生とは思えぬふてぶてしい勝負度胸と常識離れしたスピードで圧倒、いとも簡単に賞金の300万円を手にし「いや、さすがに3戦連続は疲れました」と笑顔を見せた。その賞金の一部でぜひキックの大会の改革をお願いしたいものだ。

ただし、フードはまったくNGで残念でも、「BLADE」のスタッフの動きは機敏で、「席がわからない」と客がいえばすぐにスタッフが連れて行き、客が選手について質問すれば「戦績がこうで、得意な技はこうで」と気さくに解説してくれるし、選手と客が撮影するときも自らカメラマンをかって出る気配りを見せてくれた。このような気配りのある真摯な運営姿勢と、那須川天心のようなスターの創出、この両輪がキックボクシングを、きっと明るくするだろう。

◆「神童」那須川に負けじと黄色い声援を集めた格闘家の武蔵

この日、女子の人気を集めるという点では、アルメン・ペトロシアンと真っ向勝負して惜しくも判定で敗れたひょうきんな男、城戸康裕もいたし、ワイルドな顔つきで女子の人気沸騰中の谷山俊樹も、ジャニーズにいそうなさわやかイケメン、小笠原裕典もいたのだが、「神童」那須川に負けじと黄色い声援を集めたのは、なんと解説でやってきた格闘家の武蔵だ。
「いまだに、太い胸板と、ごついマスクで渋い男らしさを感じる。引退して5年もたつのに締まった体つきは素敵のひとことです。あのスラッとした立ち姿にしびれます」(25歳・フリーター)
「あれだけK-1を引っ張った貢献者なのに、偉ぶらないところが好きです」(28歳・OL)

武蔵は、スカイAの番組解説でやってきたが、同世代の天田ヒロミが42歳でいまだに現役で頑張っている姿に触れた。天田も一度ノックアウトされたが、最後まで踏ん張り、判定に持ち込んで30~40代の女性の「黄色い声援」を受けた。これを見て、武蔵は「熟年格闘技家として、私のかわりにガンバっていただきたい」とエール。

東側のスタンド前にカメラが映り、休憩の間に、解説陣を集めて行われた、勝者予測のコーナーでは、われもわれもとファンが撮影ポイントに押しかけて、映像の照明マンがライトを踏ん張って、照明がもてなくなり、ぶれる始末。映像カメラマンが「まったく(照明が)あたってない。しっかりあててください」と怒鳴り声が響いた。

うだるような試合会場は那須川が出てくると別な会場みたくテンションが上がる。まるで「那須川の、那須川による、那須川のための」大会となったが、ところがどっこい「まだまだ渋いおじさま格闘家」の武蔵にも女子の熱い視線が送られているのが意外だった。

記者はたった9人で、ややさみしいものがあるが、「神童」人気と、熟年パワーで「BLADE」は今後も盛り上がっていくだろう。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。

◎《格闘技“裏”通信04》BLADE.2 JC-55kg──優勝候補は16歳の那須川天心!
◎不良競馬ライター、30年ぶりに大井競馬場で勝負してみた
◎売り子に視界を遮られ、肝心なプレイを見逃す東京ドームのキャバクラ化
◎川崎中1殺害事件の基層──関東連合を彷彿させる首都圏郊外「半グレ」文化

「新国立競技場茶番劇」の大トリ 安藤忠雄の逃走──詳細はタブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』9月号で!

 

《ウィークリー理央眼015》戦争法案に反対する若者たち VOL.9 熊本

7月20日(月・祝)、熊本県熊本市中央区で安保関連法案(戦争法案)に反対するデモが行われた。路面電車がすぐ横を通る辛島町公園で集会を行い、アーケード街を下通?上通まで総勢600名で行進した。
このデモを企画したのは、熊本の学生・若者を中心に組織された『WDW(We Disagree with War=「私達は戦争に反対する」)』だ。


[動画]戦争法案反対×若者デモin熊本 – 2015.7.20 熊本市(4分8秒)

600という数字を聞いて正直驚いた。
この街でそれだけの人数を集めるのがどれだけ大変か、熊本でのコンサートやイベント等があまりないことからも想像に難くない。ましてや、エンターテインメント分野でも何でもない「デモ」でのことだ。熊本県には水俣病問題があり、社会運動の土壌がないというわけでもないのだが、非常に保守的な土地なのである。無党派市民のデモは成熟しておらず、大学生たちが独自に企画したデモがここまでの盛り上がりを見せたのは本当に凄いことだと思った。

私は全国のデモや抗議を撮影して5年目になるのだが、熊本でのデモ撮影は今回が初めてだった。デモの絶対数が多くないだけでなく、年齢の高い人々が運動の中心になっており、情報がほとんどネットに上がらず関東に住む私には捕捉することができなかった。
それに対し今回の若者デモは、ネットでの告知にも力が入れられており、告知が開始された日に私はデモの存在を知ることができた。もちろん、情報は結果として必要としている人へと届けば良いので、オフラインの告知が悪いわけでもないし、その優劣の話をしているわけではない。

今、全国各地で起こっている「若者デモ」を分類する場合、ネットでの告知をしていることが必須条件と言えるだろう。あるいは、SNSを活用しているというのが「若者デモ」の特徴の一つと言える。
今回のデモも見ず知らずの大学生ら4人の若者がネットで出会い、行動を起こしたという。それはインタラクティブなデジタルメディアが切り開いた、情報収集と発信を欠かさない今の運動を象徴しているようだ。

上に掲載した映像にスピーチが収録されていないのは、デモコースがアーケード内だったので、拡声器の音が物凄く反響していて内容が聞き取れなかったから編集でカットしてしまった。
これは録音した音声だけでなく、現場にいても喋っている内容を聞き取るのは大変だったので、アーケード内では思い切ってスピーチを無しにしたり、拡声器を向ける方向や音量を下げたりして反響を減らす工夫をしたほうが良いだろう。またアーケード街は商店街であるので、音が大き過ぎる行進は迷惑になる。

厳しいことを言うようだが、現場でのスピーチの効果については疑問を持つことが多い。それは、足を止めてデモのスピーチを聞く人は少ないし、話し手は移動し続けているので、沿道で通して聞ける人はいないからだ。断片的な言葉が耳に入るだけでは、歩いている人は聞き流してしまい、何の話かもわからずアピール力は少ないと思ってしまう。
であるので、取材や記録のカメラに向けた良質な音声の提供ということを戦略的選択としてするのも一つの手としてあることを頭の片隅に置いておいて欲しい。撮影されたデモの動画が拡散されることによって、街中では断片的にしか耳に入らなかった言葉がひとつのスピーチとして再びその存在が形となり、全世界をも駆けることになる。市民にとって意思表示をするツールとして、動画は非常に有効で大きな「武器」になる。

とは言うものの、カメラを意識し過ぎては街の人に伝わらないので、その場にいる人を意識してアピールをしなくてはならない。街の人々に届かない言葉は、カメラや記者を通した先の人々にも届かないと思って臨むべきだろう。



ここ火の国からも安倍政権が進める国づくりに抗う狼煙があがった。

[2015年7月20日(月・祝)・熊本県]

▼秋山理央(あきやま りお)
1984年、神奈川県生まれ。映像ディレクター/フォトジャーナリスト。
ウェブCM制作会社で働く傍ら、年間100回以上全国各地のデモや抗議を撮影している現場の鬼。
人々の様々な抗議の様子を伝える写真ルポ「理央眼」を『紙の爆弾』(鹿砦社)で、
全国の反原発デモを撮影したフォトエッセイ「ALL STOOD STILL」を『NO NUKES voice』(鹿砦社)にて連載中。

《ウィークリー理央眼》
◎《014》緊急寄稿・朝日新聞と冨永特別編集委員のおわび
◎《013》戦争法案に反対する若者たち VOL.8 福岡
◎《012》戦争法案に反対する若者たち VOL.7 甲府
◎《011》戦争法案に反対する若者たち VOL.6 国会前
◎《010》戦争法案に反対する若者たち VOL.5 鳥取
◎《009》戦争法案に反対する若者たち VOL.4 新潟
◎《008》札幌攻防戦!ヘイトスピーチを撮影せよ!
◎《007》戦争法案に反対する若者たち VOL.3 渋谷
◎《006》戦争法案に反対する若者たち VOL.2 札幌
◎《005》戦争法案に反対する若者たち VOL.1 京都

反骨の砦に集え!『紙の爆弾』9月号絶賛発売中!

 

《ウィークリー理央眼014》緊急寄稿・朝日新聞と冨永特別編集委員のおわび

朝日新聞社の冨永格・特別編集委員が、”Japanese nationalist demonstration in Tokyo. They are supporting PM Abe and his conservative administration.”と、ナチスの旗の写真とともに(要するに「ナチス旗デモ参加者は安倍政権支持者だ」と)ツイートし、批判を受けて削除した事が問題になっています。

これに対し、朝日新聞は8月5日午前5時に『報道姿勢に疑念抱かせおわびします 朝日新聞社特別編集委員、不適切なツイッター』と題し、「冨永記者はツイッターにナチスの旗などを掲げてデモをする人たちの写真を載せ、英語で『東京であった日本の国家主義者のデモ。彼らは安倍首相と保守的な政権を支持している』と投稿し、フランス語でもほぼ同様の内容の投稿をしました。
冨永記者は投稿について、事実関係の裏付けをしておらず、写真も撮影者の許可をとらずに転載していました」とのおわびの文章を掲載しました。

冨永さんがツイートした写真は、私が2014年3月に西葛西で撮影したものです。それで「秋山理央の写真を無断借用してる!」と怒っている人々がいますけど、私的にはあのツイートの趣旨であれば別に使ってもらっても構いませんし、本日現在、朝日新聞の担当者と、冨永さんからは直接、無断借用に関しての謝罪を受けています。
そもそもこの件についてまだよく知らない方に読んでもらいたいのが、以下の記事です。
リンク先で記事全文を読んでもらいたいのですが、面倒な場合は引用部分だけでも目を通して下さい。

『朝日記者ツイート:カギ十字写真に「安倍政権の支持者」』(毎日新聞)

「朝日新聞社の冨永格特別編集委員が、自身のツイッターにナチスの『カギ十字』の旗や旭日旗を掲げたデモとみられる写真とともに『東京での日本のナショナリストによるデモ。彼らは、安倍首相と彼の保守的な政権を支持している』との内容を英語と仏語で書き込み、その後削除していたことが分かった」

『ナチス旗デモ掲載「首相を支持」 朝日編集委員ネット書き込み』(共同通信)

「朝日新聞社の冨永格・特別編集委員が、同社公認の自身のツイッターに、ナチスの旗や旭日旗を掲げてデモする人たちの写真を掲載し、英語とフランス語で『東京での日本の国家主義者のデモ。彼らが安倍首相と保守政権を支持している』と書き込んでいたことが4日、分かった。既に削除している」

『朝日新聞特別編集委員 不適切ツイートで謝罪』(NHK)

「朝日新聞の特別編集委員が、自身のツイッターにナチス・ドイツのカギ十字の旗などを掲げたデモ活動の写真とともに、『彼らは安倍首相を支持している』などと英語で不適切な書き込みを行い、その後、削除して謝罪しました」

富永さんが私の撮った写真をツイートしたのも何かの縁ですし、本来なら消すべきではないのに消してしまったものですから、私は撮影者として、改めて「ナチス支持者が安倍を支持している」と以下のようにツイートしました。

「【撮影記録】2014年3月・東京での日本の排外主義者によるネオナチデモ。
ハーケンクロイツを掲げたデモの参加者は、8月2日に銀座で行われた安保法案賛成デモにも参加。彼らは安倍首相と彼の保守的な政権を支持しているのだ。(撮影:秋山理央)」

同時に英文でもツイートしています。
「Japanese neo-nazis with swastika, Tokyo Mar.2014, its members joined in the rally supporting LDP’s war bill Aug.2015.」

自分の写真を使い、事実をつぶやいているだけですから誰からも文句を言われる筋合いはないのですが、筋違いなリプライが非常に多いです。ネトウヨが凄い勢いで攻撃してきて大変なことになってますが、在特会みたいなネットのカス達を普段から批判しまくっているので、こういうことにも慣れてしまいました。
「ナチス支持者が安倍支持者」ということを否定する人も多いのですが、そういう人たちがどう捻じ曲げて信じたくても、これは事実です。それにも関わらず、冨永さんがツイートを削除・謝罪してしまったから、そのツイートの内容がデマだという印象が生まれてしまい、それが事態をややこしくしていると思います。
私が改めて上記の「事実」をツイートすることにしたのは、そういうわけです。

文句を言ってくる人の中には、私が書いた日本語の文章を理解できない人も多く、トンチンカンな意見や先入観だけで語ったり、頭が痛くなってしまいます。
これは今回の件に限らないのですが、「それ、言う前にちょっと調べろよ!」という意見が本当に多いです。まずは検索してから発言する事をお勧めします。
というか、誰も彼も、もっと検索する癖をつけるべきで、高校で「とりま検索」って教えた方が良いと最近よく思います。
前衆議院議員・次世代の党の中山成彬さんもちゃんと調べてからツイートした方が良かったかもしれません。
「かつて天声人語も書いていたという朝日の富永格編集委員がナチスの旗を掲げたデモの写真と共に『東京での日本人の国家主義者によるデモ、彼らは安倍首相と彼の保守的な政権を支持している』とツィートした。相変わらず日本人を貶める為なら捏造も厭わない。削除したが本音を呟くというから本音だろう』

この中山氏のツイートに対し、対レイシスト行動集団のC.R.A.Cが「在特会の前会長桜井誠が呼びかけた安保法制賛成デモに、元国家社会主義者同盟(ネオナチ)の瀬戸弘幸が星条旗を掲げて参加し、ここでハーケンクロイツ持ってるやつらがそれに続いてましたよね。どこが捏造?」というリプライをしていました。

「ナチス支持者が安倍支持者」って事は、否定できないでしょう。
ナチス旗デモ主催の荒巻氏は、安倍政権を支持していないらしいのですが、デモ主催者と参加者が全く同じ考えとは限らないですし、ナチス旗デモと安保賛成デモの参加者が実際に一致しているのは事実です。
それに加え、白昼堂々ハーケンクロイツ(ナチス旗)を掲げ、外国人集住地域に出向き、そこに住む外国人を排斥するデモを行なっている集団がいることも大問題でしょう。しかも、オリンピックを控えた東京都内でのことです。
今回の写真に対し、「ナチスの旗なんて合成だろ!」と言われもしましたが、何を寝ぼけたことを言っているんでしょう…。むしろ、合成ならどんなに良いことか。しかし、事実なのだから仕方ありませんし、事実だからこそ問題にしなくてはならないと思います。
こうしたデモは例外なくヘイトスピーチを伴うものであることも忘れてはいけません。そうした事実こそが問題とされ、メディアがしっかり事実を探り、公にするべきだと思います。

安倍内閣、自民党、その支持者、ヘイトスピーチ、ネオナチ、ハーケンクロイツ(ナチスの旗)といったものが結びついていることは、もっと社会的大問題とされて良いと思いますので、引き続き、私は撮り続けていきたいと思います。

▼秋山理央(あきやま りお)
1984年、神奈川県生まれ。映像ディレクター/フォトジャーナリスト。
ウェブCM制作会社で働く傍ら、年間100回以上全国各地のデモや抗議を撮影している現場の鬼。
人々の様々な抗議の様子を伝える写真ルポ「理央眼」を『紙の爆弾』(鹿砦社)で、
全国の反原発デモを撮影したフォトエッセイ「ALL STOOD STILL」を『NO NUKES voice』(鹿砦社)にて連載中。

《ウィークリー理央眼》
◎《013》戦争法案に反対する若者たち VOL.8 福岡
◎《012》戦争法案に反対する若者たち VOL.7 甲府
◎《011》戦争法案に反対する若者たち VOL.6 国会前
◎《010》戦争法案に反対する若者たち VOL.5 鳥取
◎《009》戦争法案に反対する若者たち VOL.4 新潟
◎《008》札幌攻防戦!ヘイトスピーチを撮影せよ!
◎《007》戦争法案に反対する若者たち VOL.3 渋谷
◎《006》戦争法案に反対する若者たち VOL.2 札幌
◎《005》戦争法案に反対する若者たち VOL.1 京都

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