◆馴染みの街のサン・チャイルド──大阪・茨木市

 

Kenji Yanobe Supporters club(2018-04-16)より

阪急電鉄南茨木駅。まことに個人的ながら、この駅名には懐かしさが付きまとう。大学時代の2年間と、就職しての数年をわたしは南茨木駅が至近の(といっても駅まで徒歩で30分近くあった)アパートで過ごした。理由は新築の2LDKが格安家賃で、大学へはバイクで通えば20分ほどの距離だったからだ。

南茨木から転居後も、毎日のように利用していたスーパーマーケットで殺人事件が起こったり、モノレールが南進したりとときどきニュースは耳にしていたが、このたび無視できない情報を教えて頂いた。南茨木の駅前にはヤノベケンジ氏が作ったSun Child(サン・チャイルド)が設置されているそうだ。

姿はご覧の通りで、茨木市のホームページによれば、〈Sun Child(サン・チャイルド)は、平成23年3月11日に発生した東日本大震災から再生、復興していく人々の心に大きな夢と希望と勇気を与えるモニュメントとして制作されました。 高さ6.2mに及ぶこどもの像は、未来に向かって足を踏み出す姿を表現しています。傷つきながらも未来をしっかりと見つめ、力強く生き抜こうという再生へのメッセージがこめられています〉とのことである。茨木市の説明はうなずける。

◆福島市でのサン・チャイルド設置は「風評被害を助長する」?

ところがまったく同じSun Child(サン・チャイルド)が福島ではどういう訳か撤去されることになったという。

〈福島市が教育文化施設「こむこむ」前に設置した立像「サン・チャイルド」の表現に一部から批判が寄せられていた問題で、市は28日、作品を撤去すると発表した。木幡浩市長は記者会見で「賛否が分かれる作品を『復興の象徴』として設置し続けることは困難と判断した」と述べ、謝罪した。展示が始まった今月上旬から、交流サイト(SNS)などで、立像が防護服姿であることや、線量計を模した胸のカウンターが「000」となっていることが「風評被害を助長する」「非科学的」との批判が集中。作品の表現を評価する声もあり、市の対応が注目されていた。〉
※[引用元]「『サン・チャイルド』撤去へ 福島市長謝罪、設置継続は困難」(2018年8月29日付福島民友)

その理由の一端として、同記事では
〈市は18日から「こむこむ」の来場者に対し、立像についての意向調査を実施。27日までに110件の回答があり、設置に「反対・移設」が75人と、「存続」22人を大きく上回った。市へのメールや電話も否定的な意見が多かった。アンケートには「防護服がないと生活できないとの印象を与える」「子ども向けの施設に設置するのは問題」など撤去を求める意見の一方で、「災害の教訓になる」「勇気や元気が伝わる」などの意見があった。〉と説明されている。

『NO NUKES voice』Vol.17より(写真=鈴木博喜)

福島第一原発事故にかんするマスコミ報道については、つねに「水増しされていないか、不当に減じられてはいまいか」、「事実が隠蔽されていないか」、「虚構ではないか」、「恣意的な報道ではないか」を念頭に情報を分析しなければならない。そしてマスメディアのそういった姿勢に加えて、福島現地で暮らす方々がすがりたい「安全神話」という虚構が、ひとびとの思考を歪めていないか、をも考慮に入れなければならないことをこのニュースは物語っている。

◆何度でも問う! 福島2011原発事故と東京2020復興五輪 

 

『NO NUKES voice』Vol.17 より(写真=鈴木博喜)

大風呂敷が広げられている。「東京2020」という人道的犯罪と断じても不足ない、フクシマ隠蔽のための大風呂敷が。この大風呂敷は穴だらけだ。開会式の入場券が30万円以上もする「商業イベント」のために、11万人をタダ働きさせようとしている。災害ボランティアや非営利事業ではないのに、どうして「タダ働き」が堂々と進行しようとしているのか。文科省はついに、「東京2020」期間中、大学などに「授業や定期試験しないよう」通知を出した。21世紀型の「学徒動員」は前時の大戦とは順序を変えて、強制される。

新聞に「東京2020」に対する批判記事があるだろうか。不当な土地の払い下げ問題や、新国立競技場建設に絡む問題などが指摘されているか? 原発問題では鋭い筆鋒を見せた東京新聞はどうだ? まさか、開催地が「東京」だからという馬鹿げた理由が筆を鈍らせる理由にはなってはいまいな。

◆安心したい、忘れたい気持ちは痛いほどわかる。が、しかし……

福島から避難されて来られた方々は「福島県内のニュースでは被曝の実態が県外よりさらに報道が少ない」と異口同音に語られる。被曝問題だけではなく、「復興」を邪魔する奴はとんでもない!との無言圧力があるという。

一面無理からぬことではあろう。汚染地に住み続ける方々にとって、毎日「被曝の危険」を頭においていたら仕事や勉強ができないだろう。危機意識や怒りは(一部の強固な意志の持ち主を除いて)、当事者にとってそれほど長期間持続できるものではない。

その心理は理解するが、冷厳な科学的事実は、われわれがどう考えようと、念じようと変化することはない。国民総出で願ったら、放射性核種の半減期が短くなり、被曝被害が激減するのであれば、わたしも喜んでその輪に入ろう。

だが残念ながらそんな観念的な話ではない。あくまでも自然科学・放射線防御学や医学が今日までに到達している結果として、現在の福島は永続的な居住の「安全」が保障される場所ではないのだ(わたしはこのことを幾分かは、自分の内面を削りながら発言しているつもりである)。

安心したい、不安は忘れたい気持ちは痛いほどわかる。しかし、その気持ちが一体2011年3月11日に何を引き起こしたのか、を再考する障害となってはいないか。

南茨木駅は被災地ではなく、福島は被災地だからSun Child(サン・チャイルド)にたいする感覚が違うかもしれない。もし、そうであれば被害者であるはずの、福島のひとびとの感覚はゆがめられている。

「復興」や「絆」もいいだろう。その前に現実的な健康被害まで度外視されるほどに、被災地のひとびとの思考が誘導されているのだとすれば、責められるべきは、それを画策した連中だ。でも福島(福島だけではなく全て)のひとびとには忘れないでほしい。「被害を受けるのはあなた自身であるかもしれない」ことを。サン・チャイルドに罪はない。

『NO NUKES voice』17号が明日発売される。サン・チャイルドのようにわかりやすい出来事だけでなく、原発の根源悪を抉り出そうとわたしたちは尽力している。お手に取っていただければ幸いだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

明日9月11日発売開始!『NO NUKES voice』Vol.17 被曝・復興・事故収束 ── 安倍五輪政権と〈福島〉の真実

江幡睦vsアーリー。江幡睦のローキックを中心とした上下を揺さぶる攻撃が続く

ローキックで攻める江幡睦、鍛え上げられたスネ同士は当たってもビクともしない

 
 
◎TITANS NEOS 24
9月2日(日)後楽園ホール17:05~20:08
主催:TITANS事務局 / 認定:新日本キックボクシング協会

「TITANS NEOS 24」開催翌日の9月3日(月)14時、伊原ジムで一夜明け会見が行なわれました。

新日本キックボクシング協会とREBELSプロモーションの交流戦が10月8日(月・祝)のREBELS興行から開催されます。この日のカードは7月にすでに発表されていますが、日菜太(クロスポイント吉祥寺)vs 緑川創(藤本)戦が確定済。

10月21日(日)開催の新日本キック、MAGNUM.48では日本ミドル級チャンピオン.喜多村誠(伊原新潟)vs 元・ラジャダムナン・スーパーウェルター級チャンピオン.T-98(=今村卓也/クロスポイント吉祥寺)戦、日本ウェルター級チャンピオン.リカルド・ブラボ(伊原)vs UMA(K&K)戦の2試合が確定済です。

会見に出席したのは、昨日の勝者、江幡睦、勝次、リカルド・ブラボ、重森陽太が試合を振り返った感想の他、江幡塁、喜多村誠、T-98が出席。今後の交流戦に向けての豊富を語られています。

◆54.0kg契約 5回戦

ローキックは貰うと脚が麻痺してしまい根性で耐えられるものではない、アーリーも耐えきれず倒れ込む

WKBA世界バンタム級チャンピオン.江幡睦(伊原/54.0kg)
   VS
アーリー・ロー・ペットポートーン(元・パタヤ52kg級C/タイ/53.85kg)

勝者:江幡睦 / KO 2R 1:35 / ローキックによる3ノックダウン / 主審:椎名利一
得体の知れないタイ国強豪との戦いが続く江幡ツインズ。圧倒したり苦戦したり攻め倦んだりもありつつ、それらを上回るテクニックで捻じ伏せる勝利は多い。もう一歩上のムエタイランカー戦に備える戦いが続いています。

ローキック中心に倒せる技を試しながらジワジワ攻めて行くと、次第に顔色険しくなったアーリー。ボディブローとアゴへ突き上げるアッパーも炸裂させつつ、重点的に攻めたそのローキックでの3度のダウンを奪って圧倒のKOで仕留めた。

上半身を攻めつつ、ローキックでダメージを与えていく江幡睦

プットパートノーイvs勝次。勝次の前蹴りで牽制、自信を持った攻撃が続く

◆62.5kg契約 5回戦

日本ライト級チャンピオン勝次(藤本/62.35kg)
   VS
プットパートノーイ・ルークソーンムアン(タイ/61.55kg)
勝者:勝次 / TKO 2R 2:29 / 飛びヒザ蹴り / 主審:桜井一秀

初回、距離が遠かった両者、次第に距離を掴んだ勝次がパンチで追うと連打を繋げダウンを奪う。第2ラウンドは主導権を握った勝次が更にパンチを打ち込み、プットパートノーイは険しい表情に変わる。うつむく癖を見抜いた勝次はパンチでコーナーに追い詰め、プットパートノーイのアゴに軽く飛びヒザ蹴りを炸裂させて失神させ、レフェリーが試合を止めるTKO勝利となった。真空飛びヒザ蹴りの継承者と名乗る勝次。この技でのKO勝利は今後幾つ奪えるだろうか。

勝次vsプットパートノーイ。真空飛びヒザ蹴りを意識した老舗の大技、プットパートノーイを劇的に倒す

ニュートラルコーナーに登って雄叫びをあげる勝次。最も快楽的瞬間

田村聖の連打を浴びた斗吾は脆くも崩れ落ちた

◆73.5kg契約3回戦

日本ミドル級チャンピオン斗吾(伊原/73.5kg)vs NKBミドル級1位.田村聖(拳心館73.0kg)
勝者:田村聖 / KO 2R 0:56 / パンチによる3ノックダウン / 主審:宮沢誠

NKBとの交流戦。斗吾が田村聖に呆気なく倒されてしまった。多様なタイプとの経験値ある斗吾有利と思われたが、初回は様子見ながら第2ラウンドで田村聖のタイミングいい距離感での右ストレートがヒットすると、足にきた様子の効いてしまった斗吾。そのまま左右連打を浴びてダウンを喫する。田村聖は更に立て続けにダウンを奪い、最後は連打の中、レフェリーが止め、3ノックダウンとなるノックアウト勝ちを掴んだ。NKBの株をグンと上げた形の田村聖、交流戦初勝利となった。

田村聖(右)が右ストレートでダメージ重なる斗吾にクリーンヒット

当て勘優れたHIROYUKI(右)の右ミドルキックがウィサンレックにヒット

◆55.0kg契約3回戦

日本バンタム級チャンピオンHIROYUKI(藤本/54.9kg)
   VS
ウィサンレックMEIBUKAI(元・ルンピニー系バンタム級・フライ級C/タイ/54.8kg)
勝者:HIROYUKI / 判定3-0 (椎名29-27. 桜井29-27. 宮沢30-28)
主審:仲俊光

初回、HIROYUKIが距離を取りながらローキックで様子を見るように積極的に攻めるが、ウィサンレックも応戦し、HIROYUKIの動きを見極め、次第に距離を詰めるウィサンレック。

第2ラウンドはウィサンレックがヒジを狙うように接近したところにHIROYUKIの相打ち覚悟の左フックが当たると脆くも崩れたウィサンレック。ダメージは軽いが勝負を決定付けた一発だった。勢いつけば飛びヒザ蹴り、後ろ蹴りと調子を上げるが、ウィサンレックの組み技、ヒジ打ちを避けてか、後半距離を取るシーンも増えるも的確なヒットを残したHIROYUKIの作戦勝ちだった。

勢いに乗ったHIROYUKI、飛びヒザ蹴りで更に突き放す

◆67.0kg契約3回戦

日本ウェルター級チャンピオン、リカルド・ブラボ(伊原/アルゼンチン/67.0kg)
   VS
CAZ・JANJIRA(蹴拳ウェルター級C/JANJIRA67.0kg)
勝者:リカルド・ブラボ / 判定3-0 (桜井30-28. 仲30-29. 宮沢30-28)
主審:少白竜

ブラボが打って出ればCAZも打ち返してくるタフさにブラボをコーナーに追い詰める圧力もあり、苦戦するような印象さえ与えるが、連打とパワーが上回ったブラボが判定勝利。

◆ライト級3回戦

重森陽太(前・日本フェザー級C/伊原稲城/60.9kg)
   VS
RYOTA・RENSEIGYM(錬成塾/61.0kg)
勝者:重森陽太 / KO 2R 2:29 / 10カウント / 主審:椎名利一

両者のけん制気味の蹴りから始まった初回、重森の右ミドルキックは相変わらず、しなやかに重く圧し掛かる。第2ラウンドにパンチの距離になったRYOTAからカウンターで左フックを当てると、効いてしまったRYOTAは10カウントを聞き、重森陽太がKO勝利。

◆62.0kg契約3回戦

日本フェザー級1位.髙橋亨汰(伊原/62.0kg)vs ダルビッシュ黒木(KING EXCEED/61.8kg)
勝者:ダルビッシュ黒木 / KO 2R 3:00 / 3ノックダウン / 主審:桜井一秀

◆ミドル級3回戦

日本ミドル級2位.本田聖典(伊原新潟/72.4kg)
   VS
J-NETWORKミドル級6位.小原俊之(キングムエ/72.3kg)
勝者:小原俊之 / 判定0-2 (椎名28-30. 桜井29-29. 少白竜28-30)
主審:宮沢誠

◆フライ級3回戦

日本フライ級2位.空龍(伊原新潟/50.5kg)vs 同級4位.細田昇吾(ビクトリー/50.55kg)
引分け 0-0 (30-30. 29-29. 29-29)

◆フェザー級3回戦

日本フェザー級4位.皆川祐哉(藤本/57.0kg)vs 國枝悠太(二刃会/57.0kg)
引分け 0-0 (28-28. 28-28. 28-28)

◆50.0kg契約2回戦

小野拳太(藤本/49.75kg)vs 岡田彪雅(クロスポイント吉祥寺/47.9kg)
勝者:岡田彪雅 / 判定0-3 (18-20. 19-20. 19-20)

敵地でKO勝利を収めた田村聖、一気に注目を浴びる存在となった

《取材戦記》

新日本キックボクシング協会は7月からNKBグループ(日本キックボクシング連盟
とキックユニオン)との団体交流戦が始まったばかりで、続いてREBELSプロモーションとの交流戦が実現となります。

REBELSはフリーの興行プロモーションで、元MA日本フライ級、フェザー級チャンピオンの山口元気氏が代表。2010年1月から活動開始、当初はWPMF日本支局傘下にありましたが、後に独自にREBELSをタイトル化したチャンピオンを始めとする契約選手を抱え、梅野源治やT-98がラジャダムナンスタジアム王座獲得に至っています。
開催前の発表会見に加え、一夜明け会見なるものが各興行や団体毎に増えてきました。試合直後にリング上や控室で応えられるコメントより、1日経って心も落ち着いた、上手くまとめ上げたコメントが多くなります。試合直後の興奮気味なコメントにも本音が現れやすいので、そこを狙った取材陣も居ることでしょう。

「KNOCK OUT」イベントでのビッグマッチの影響が他興行にも影響が現れてきた今年、新日本キックが積極的に交流戦に打って出た“老舗、変革”が楽しみなところです。

次回の新日本キックボクシング協会、MAGNUM.48は10月21日(日)後楽園ホール(17:00開始)に於いて行なわれます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

月刊紙の爆弾10月号

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

9月6日午前3時過ぎ、北海道を大地震が襲った。4日には台風21号が猛烈な勢いで、関西から東北・北海道までなめつくし、関西空港が壊滅的な被害を受けたのは、本通信でお知らせした通りだった。今回の台風は、関西空港だけでなく関西地方に、広く被害を出した。鹿砦社本社近くの甲子園浜でも高潮により、中古車100台余りが燃えるという被害が出ているし、神戸ではやはり高潮で多くの地域が水につかった。


◎[参考動画]土砂崩れ現場=北海道地震(時事通信映像センター2018年9月5日公開)

9月5日、所用で京都市内に出かけたら、桜の名所、蹴上浄水場ちかくのソメイヨシノが太い根元近くから何本も折れていた。山科区の電線には飛んできたトタンがまだぶら下がっている。広範囲で深刻な被害が出ていることが確認できた。

そして6日早朝に目覚め、インターネットのニュースを眺めると、北海道で大きな地震があったと報じている。その揺れは東京付近まで及んでいるようだが、関西には至らなかった。情報を眺めていると携帯電話にメールが入った「小生いま、北海道旅行中ですがとりあえず無事です。停電でラジオもなく情報が錯そうしていますが、無事のお知らせまで」。知人が休暇を取ってちょうど北海道に旅行中だったのだ。世耕経産大臣は午前中の記者会見で「数時間で電気は復旧させる」と見栄を切ったが、それから半日近くたっても停電復旧の見通しは立っていない。

 

2018年9月6日付朝日新聞

そして、今回の地震で、わたしたちは、凄まじい自然の力をまたしても見せつけられることになった。朝日新聞がヘリコプターから撮影した写真によると、山があちらこちらで形を失っている。

気象庁の発表では最大震度は6強とされているが、「震度を計測できなかった地域も少なくない」と気象庁も発表している。正午前後だったろうか、公衆電話が無料開放されたと知ったので、知人に「公衆電話は無料で使えるようですよ」とメールで連絡した。午後3時に至るも290万世帯が停電し、札幌市内では大規模な陥没や、液状化現象もみられるようだ。

数日前は台風で、そして今日は大地震で北海道が大混乱に陥っている。泊原発は「外部電源は喪失したが、非常用ディールが稼働し、燃料も7日分の備蓄があるから安全だ」といち早く伝えていた(逆に言えば7日の間に電源が戻らず燃料が供給されなければ、破局に陥るということだ)。

Yahooには天気のタグがあり、その中の「地震」を選択すると、体感地震の記録が掲載されている。今回の震源は「胆振(いぶり)地方中東部」とされている。通常、大地震の前には前日あたりから、微震が記録されていることが多いのだが、6日3時12分以前に「胆振地方中東部」を震源とする微震の記録はない。専門家は既に断層の分析や、「今後1種間程度は震度6程度の余震に警戒するように」とわかり切ったコメントを、あたかも定例行事のように発表している。しかし、正直わたしは戦慄を覚える。北海道で被災された方の大変さに思いを致しながらも、こうも頻繁に日本列島で大地震が頻発することに、生物的な恐怖を覚える。

「数時間で復旧を指示」した北海道の電力は、どうやら完全復旧には1週間程度かかるらしい、との本音が報道され始めた。幸いにも「殺人的酷暑」の季節が終わった後ではあるが、秋雨前線が近づいて、被災地では2次災害の恐れが懸念される。どうかこれ以上苦しまれる方が出ませんようにと祈るしかない。

こんなにも大地震は頻発したことがあっただろうか?「あっただろうか」とはいにしえの史実を振り返るのではなく、半世紀余り生きてきたわたしの人生の中で「あっただろうか」との意である。記憶にない。1995年阪神大震災以降、太平洋プレートが沈み込む上に乗っかっている日本列島が、地震の活動期に入ったことは、新潟地震、鳥取地震、東日本大震災、熊本地震など数々の大地震で立証済みだ。地震の前に人間は何の手も打てはしない。立ちすくみ怯えることしかできない。

食料や水の備蓄をする程度しか人間には打つ手がない。重ねて被災地の方々にはお見舞いを申し上げる。ここ数年で北海道から九州まで、すべての地域が地震の被災地になった。もう他人ごとでは済まされないと痛切に感じる。しかし、わたしたちは地震を止めることはできないのだ。この冷厳な事実の前に思索を巡らせるしか方法はない。


◎[参考動画]北海道震度6強地震 大規模土砂崩れが起きた厚真町の様子(北海道ニュースUHB2018年9月6日公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

衝撃満載!月刊紙の爆弾10月号

9月11日発売!『NO NUKES voice』Vol.17 被曝・復興・事故収束 ── 安倍五輪政権と〈福島〉の真実

◆疑惑の4点がすべて載った衝撃記事

 

本日発売の月刊『紙の爆弾』10月号より

本日9月7日発売の月刊『紙の爆弾』(2018年10月号)に掲載されている記事「安倍晋三『下関暴力団スキャンダル』の全貌を暴く」は、安倍首相や自民党にとって「不都合な事実」が満載だ。

いまインターネット上で話題の#ケチって火炎瓶 #安倍とヤクザと火炎瓶 の事件を紹介。そのうえで執筆者のタカノシゲル氏が過去の取材にさかのぼって具体的な人名をあげ、背後にある全体の構造を示しているからだ。

キーワードは4つ。①安倍晋三、②工藤會(を含む暴力団)、③自民党(および同党大物政治家)、④警察、である。

◆#ケチって火炎瓶 “安倍とヤクザと火炎瓶

あらためて安倍首相をめぐる暴力団がらみの事件を整理しよう。1999年4月の下関市長選で、安倍陣営の江島潔候補(現参院議員)を応援するため、建設会社会長の小山佐市氏が、対立候補の古賀敬章氏に対する誹謗中傷ビラを撒いた。選挙妨害である。

そもそもが当時安倍首相の佐伯伸之秘書(故人)から中傷ビラ配布を頼まれたというのが小山氏の主張だ。

佐伯秘書は古賀候補の女性スキャンダルを扱った週刊誌記事を小山氏に見せ、「それで、僕は『こんな記事が出るヤツは国会議員の資格がない』と 小山に言うた」と、スキャンダル記事は見せたが、中傷ビラをまけとは言っていないとインタビューに答えている。

 

続きは本日発売の月刊『紙の爆弾』10月号で!

そして佐伯秘書は絵画購入の代金として300万円を小山氏に支払ったが、それが恐喝だとして小山氏は逮捕。しかし不起訴となる。

このあと、選挙で対立候補を「当選させないための活動」をしたにもかかわらず、見返りがなかった。そのため安倍首相らとも交渉して念書の類の書面を交わした。(この念書が出てきたことで、今回の事件に火がついた)

ところが思い通りに行かなかったため小山氏は、指定暴力団「工藤會」系の高野組・高野基組長に依頼して、2000年6月から8月にかけて、安倍晋三氏宅ら4軒(間違えて攻撃した場所を含めれば5軒)に火炎瓶を投げさせた。

国会議員の自宅や後援会事務所など4か所に火炎瓶が投げられたのだから当然、大騒ぎになり大々的な捜査が行われるはずだ。

しかし報道もされず、当初はだれも逮捕されなかったのである。これは考えられないことだ。安倍氏の筆頭秘書・竹田力氏(故人)は、山口県警刑事部捜査第一課次長(警視)だ。

こうした警察につながる人物が安倍氏の筆頭秘書をつとめていたが、前述の300万円恐喝で逮捕されたが小山氏はすぐに釈放され起訴もされていない。そして連続火炎瓶事件でも、山口県警は大々的に動かなかったという。

事件から3年経った2003年11月、小山氏、高野組長ら複数名が火炎瓶事件で逮捕起訴され、小山氏懲役13年、高野組長懲役20年(服役中)の判決が下ったのだ。

事態が急変したのは、服役していた小山佐市氏が今年2月に出所し、逮捕直後から事件を追っていたフリージャーナリストの山岡俊介氏(アクセスジャーナル主宰、事件の連載記事執筆)と、火炎瓶事件の電子書籍「安倍晋三秘書が放火未遂犯とかわした疑惑の『確認書』」の著者、寺澤有氏に連絡してきたことだ。

2人は急遽下関に飛び、5月13日に5時間にわたり小山氏をインタビューし動画撮影を行った。決定的なのは、それまでに存在はわかっていたが現物が出てこなかった、安倍事務所と小山氏が交わした文書3通の現物を2人が目撃し、動画撮影したことである。

選挙妨害後のトラブル処理のために1999年6月から7月にかけて署名捺印された2通の確認書と1通の願書だ。

それによると1999年7月3日に、安倍首相と小山氏は一対一で面談しているのである。なお、2014年8月にも山岡氏と寺澤氏が筆頭秘書の竹田力氏を取材したさい、竹田氏は、小山氏と安倍首相が1対一で会ったことを認めている。それが、今回文書でも確認されたのだ。

現在、総理大臣を務めている人ぶるが、民主主義の根幹にかかわる選挙妨害に関与し、指定暴力団とつながりの深い人物と直接接触していた事実は重い。

しかも、当初から追及してきた山岡俊介氏が新宿の階段から転落する事故も起きている。過去に山岡氏は、取材執筆活動が引き金となって自宅を放火されたり、脅迫状やカッターナイフを送りつけられた事実があるだけに、私は事故直後に彼のインタビュー記事を書いている。

◆安倍首相の国会答弁「一切の関わりを断ってきた」の重大な意味

本件に関してマスコミは報道を避け、野党も本格的な追及をしない中で、ただ一人山本太郎参議院議員が7月17日の参院内閣委員会で安倍首相に質問した。この中で注目すべきは、安倍首相の次の答弁だ。

「一切の関りを断ってきた中において、発生した事件であるわけでございます」

筆頭秘書である故竹田氏の証言(もちろん音声録音している)に加え、今回現物が明らかになった書面により、安倍首相と小山氏が直接接触していたことは明らかだろう。したがって「一切の関りを断ってきた」というのはまったく通用しない。

だが、「紙の爆弾」10月号のタケナカシゲル氏の記事が衝撃的なのは、さらに深く、安倍首相の「一切の関りを断って」の意味に斬り込んでいるからだ。

《「断ってきた」という言葉に、自民党と工藤會の蜜月が表現されているのだといえよう。たとえば2001年の参院選挙において、福岡選挙区から当選した松山政司議員(現在三期目)は、出陣式を工藤會館(現在、暴対法で閉鎖中で行おうかと溝下秀男工藤會総裁(故人)に冗談を言って、逆にたしなめられていた。これは同じ選挙に比例区として出馬した作家・宮崎学氏の選挙準備の際に、筆者が溝下氏から直接聴いた話である》(記事より)

ここの引用した以外にも、自民党の選挙と工藤会の関係が実名を含めて照会されている。

そしてもうひとつ、警察と暴力団との関りについて。福岡の博多の違法カジノバーの手入れ情報を流して報酬を得た警察官ら10名が逮捕された2000年の事件に触れていることも興味深い。

その違法カジノの経営者は、工藤會の最高幹部だった。

こうしてみると、安倍晋三・自民党・工藤会(ほかの暴力団も)・警察 による枠組みの中で、いま話題とされている#ケチって火炎瓶事件が位置付けられる。
 
このような人物が自民党の総裁選に出馬することは論外だし、総理辞任、議員辞職は当然だ。

▼林 克明(はやし・まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

7日発売!月刊紙の爆弾10月号

 

大前研一「迷走50年、日本の空港『非効率の極み』」より(PRESIDENT 2016年12月5日号)

〈関西の空港状況もよく似ている。2滑走路のため発着数に限界があったのと騒音問題を抱えていた伊丹空港(大阪国際空港)に代わる新空港建設計画が持ち上がった当初、建設予定地は南港沖、現在のUSJの外側辺りだった。大阪、神戸の都心からは近いし、すでに高速道路も通っている。グッドアイデアだったが、自前で空港を持ちたい神戸がこれに強く反対。結局、ずっと南に下らざるをえなくなり、泉南沖を1兆5000億円かけて埋め立てて現在の関西国際空港をつくった。しかし地盤調査が不十分だったせいで第1滑走路の完成直後から地盤地下が発覚してしまう。横風対策でT字にする予定だった2本目の滑走路を平行滑走路にするなど、沈降対策でさらに1兆3000億円。新空港の損益分岐点は未来永劫やってこない。

それだけの巨費を投じておきながら、新空港が完成すると今度は、「関空は遠すぎる」と廃止が決まっていた伊丹空港の存続運動が巻き起こった。

 

大前研一「迷走50年、日本の空港『非効率の極み』」より(PRESIDENT 2016年12月5日号)

工事欲しさに新空港が必要だと言っていた関西の財界人まで乗る始末である。結局、伊丹は存続し、神戸空港もできて、関空は目的不明になってしまった。一応、「国内線は伊丹、国際線は関空」という仕分けはあるが、離れているため3時間以上の乗り換え時間が必要でハブとしてはまったく機能しない。したがって関空から飛んでいる海外路線は非常に少ない。西日本に住む人は長距離便の場合、成田か仁川で乗り換えるケースが圧倒的に多い。〉
※[引用元]大前研一「迷走50年、日本の空港『非効率の極み』」より(PRESIDENT 2016年12月5日号)

長い引用になったが上記はわたしが、常日頃「軽蔑」する、大前研一氏の関西空港に対する評価である。

そんなことは30年前からわかっていただろう!と言いたいが、わたしごときがの発信ではついぞ、関西空港の問題は伝わらなかったので、大前氏の見解を引用させていただいた。

前述の通りわたしは、大前氏の日頃の主張に大方同意しない。それどころか、彼が社長を勤めた、日本マッキンゼー社がなした仕事には、直接の被害をうけたこともある。

 

関西エアポートグループHPより

それはそれとして、大前氏の関空批判には合理性がある。大前氏の批判は効率の悪さに主として立脚しているが、関西空港はその工法が決定した時点から、このような災害に見舞われることが宿命づけられた「欠陥だらけの空港」であった。

関西空港(関空)は伊丹空港が人工密集地に位置し、事故の危険や日々の騒音問題が地元から長年突き上げられるなかで、建設地が泉佐野市沖合と決定し、工法につて従来の「埋め立て」か「メガフロート(浮島工法)」かの議論も交わされた。

 

関西エアポートグループHPより

結果的には軟弱な地盤と判明しており、沈下が確実である「埋め立て工法」が採用されたが、当時から「この地盤ではいずれ関空は沈んでしまう」と懸念する声が少なくなかった。そして、関空は当初の懸念を上回る速度で、地場沈下を体験することとなる。

公式には3m-4m沈下した、とされている。関西空港は、「現在では完全に沈下が止まっています」と胸を張るが、極めて怪しい。

そして開港から24年目の記念日に、設計上海面から5mに建設された滑走路を海水が覆ってしまった。

 

関西エアポートグループHPより

メディアによっては「想定外」などと報道する素っ頓狂もいるが、1994年関西空港開港から、かなりの頻度利用してきたものとしては、「想定外」どころか「当たり前」に予想された不具合が生じたのではないかと穿たざるを得ない。

関空(埋め立て島)の沈下は、目に見える範囲でも開港1年目から顕著であった。航空機の出発、到着機能を持つビルと、商業施設やホテルが並び立つビルのあいだは、タイル張りの通路で結ばれている。開港1年目には、肉眼で確認できる数センチのズレが生じていた。

こんなに短期間で、埋め立て島の中にひずみが出来ても大丈夫なのか?と当時関西国際空港株式会社に勤務していた、まじめな知人に聞いてみたことがある。

「それは技術の人の担当なんですが、基本大丈夫だということです」と知人は答える。「でも目に見える範囲でも沈下が始まっているよ。羽田や海外の空港でこんなの見たことないよ」と聞くと「実は……沈下した場所に何かを差し込んで対応する……というのが今の方針だそうです」と腰を抜かすような答えが返ってきた。

 

関西エアポートグループHPより

「え!そんなことしてたらきりがないやろ。それに高潮とか来たら一発でやられるで」と返すと「そんなこと言われても…。なんとかなるでしょう」と最後は困り果てていた。

「なんとかなる」ことはなかった。関西空港自身が認めている通り、既に3-4m沈下しているのであれば、設計時に海面から5m余裕をみていた滑走路も2-1mしか余裕がないことになる。5mの高潮は珍しいが、1-2mの高潮を「想定外」とは呼べまい。昔知人が語ってくれたように「何かを差し込んで」沈下を食い止めていたとしても、それは止められないだろう。

今回は空港自体の設計問題とは別に、空港への連絡橋にタンカーが衝突する、という事故が起きた。航空機はもともと強風の際には離着陸できないので、陸地と空港を結ぶ連絡橋も、強風の際には、しばしば封鎖されてきた。しかし、タンカーの衝突はさすがに関西空港も、鉄道会社も予想していなかったであろう。衝突された連絡道は完全に左右にずれており、完全修復には相当の時間がかかろう。

ある報道の引用である。

〈偶然にも、4日は1994年に開港した関空の開港記念日。孤立した空港内で客らの支援にあたる日本航空関西空港支店総務グループの森知康さんはこう語った。「前例のない事態だ。飛行機の離着陸がいつから可能になるか、現時点では全くわからない」〉
(2018年9月5日付朝日新聞)

正直な感想であろうが、「前例はなくとも、予期された事態ではある」点を指摘しておく。

最後に台風21号の災害でお亡くなりになられた方、被災された方に、心からお悔やみ、お見舞いを申し上げます。


◎[参考動画]4時!キャッチ 関空リポ 台風21号 関空の孤立者ら救助船で神戸へ(サンテレビ Published on Sep 5, 2018)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

7日発売!月刊紙の爆弾10月号

前回森奈津子さんに電話インタビューをした直後、しばき隊のNO.1野間易通から森さんへの「しばき隊認定」がなされた。ふざけた話ではあるが、ちょうどのタイミングでもあったので森さんに感想を伺った。

◆野間さん、焦っていらっしゃるんでしょうか

── 前回お話を伺ったあと、森さんは野間易通氏から「しばき隊認定」をされましたが、今のご心境はいかがでしょうか。

森  心境(笑)。野間さん、焦っていらっしゃるんでしょうか。ふざけて答えてよいのであれば「光栄に思います」とか言いましょうか(笑)。全然面白くないし、これには色々な方が失笑気味のコメントをつけていますね。

野間易通氏のツイッターより

── 今までなかった新たな「抱き込み」戦術かとも思いましたが。

 

森奈津子さんのツイッターより

森  あれは、とあるトランスジェンダーの運動家の方が、しばき隊シンパらしくて、しばき隊界隈の「レイシスト認定」を鵜呑みにして、叩き行為に加わってきてたんです。わたしはその方の言動がしばき隊界隈そっくりだと指摘しました。それ以前に、レインボーフラッグを逆に掲げてしまった森川暁夫さんという方と、仲間のしばき隊界隈の方々の暴言を、わたしが批判したところ、「しばき隊と関係のないひとをしばき隊とみなした。森奈津子、お前は謝れ!」と大合唱で。

なので、わたしは、「しばき隊に同調して騒いでいるひとたちもしばき隊として批判しています」と自分の見解をツイートしました。その理由は「リンチ事件」など未解決の問題をスルーして、なお加害者に寄り添っているからです。そのような人たちを批判すると、たちまち「自分はしばき隊ではない。しばき隊扱いするな」と言ってきますが、こちらかすればネットでの集団リンチに加わっている時点で、充分「しばき隊界隈」なんですよ。

「広義のしばき隊」という言葉がありますよね。ツイッター上でしばき隊の「叩き行為」に同調しているひとたちは「広義のしばき隊」だと、私は認識しています。彼らは路上とツイッター、両方を「闘争の場」としていますから。けれど、都合が悪くなると、すぐに「私は/あの人はしばき隊とは無関係」と主張してきます。なので、このやり取りはもうずいぶん繰り返してきました。そこに、「とあるトランスジェンダーの運動家(ツイッター上ではハンドルネーム)まで森奈津子さんにしばき隊認定されましたね」と誰かが書き込んだのを引用して、野間さんが「森先輩もしばき隊認定します」と言い出したわけです。ですから、野間さんとしては皮肉、嫌がらせのつもりでしょう。

── なるほど。そういう背景だったのですね。でもせっかく認定されたのですから「しばき隊」を正しい方向に誘導するために幹部になられてはいかがでしょうか。

森  そうですね。「リンチ事件」や「セクハラ事件」など解決されていない、被害者が救済されていない問題が山積みですので、被害者救済に力を注いでいきたいですね(笑)。

── 尊師と呼ばれるNO.1の方から、ご本人(森さん)の意向を確かめることなく、しばき隊認定をしていただく。極めて珍しいケースです。加入承諾が出たのですから、それを活かすのも方法ではないかと思います。

森  自分たちには自浄作用がないから、「内部に指摘してくれる人がいれば」という野間さんの想いが現れたツイートではないでしょうか。

── そんな上等なもんじゃないでしょ。

森  ハハハ

── 嫌がらせですね。彼もこれまで様々な手法で「嫌がらせ」をしてきて、そろそろ旧来の手が古くなった。面白くないから新しい技を編み出したのかもしれません。

森  なのに、漫画家の山本夜羽音さんから「そもそも面白くない、ということにまで考えが及ばない野間易通さん(52)」ってつっこまれ、ろくでなし子さんからは「ろくでなし子はしばき隊」というタグを作ってくれとツイートされ、いじられまくりですね(笑)。

◆しばき隊のひとたちがLGBTの運動に入ってきて、自浄作用など望めなくなるという懸念

── さきほどお話に出ましたが、しばき隊であるのか、広義のしばき隊なのか、もっと微妙な立場なのか、いろんな方がいらっしゃいます。厳密に見定めることの意味よりも、こういうことをして喜んでいるのがいい年をした大人たちであることが、どうかなと思います。そしてその中には給与所得者も含まれています。決まった時間中は仕事をしなければならない方々です。仕事中にそういうことに精を出すのはいかがなものかと思います。仕事を失ってしまうひともいます。この行為はいったい何なのでしょうか。

森  先ほど話題に出したトランスジェンダーの運動家などもしばき隊に傾倒されているようです。そういう方でも検索すれば「リンチ事件」とか「ぱよちん騒動」とかは知ることができますよね。なのに、調べていないのか、見て見ぬふりなのか。数日前に、わたしの知人がその方に、しばき隊の暴力性をお教えしていましたが、あいまいな返事しかなく……。つまりその方はしばき隊のいろいろな問題を知っていて繋がっているのではないかと疑いました。

私が懸念するのは、しばき隊のひとたちがLGBTの運動に入ってきて、自浄作用など望めなくなるということです。対レイシストの闘争でも、しばき隊関係者のひとが何人も身バレして不幸になっていますね。仕事を失ったり。自業自得の人もいますが、あんな状態でしばき隊がLGBTの運動に入ってくれば、不幸になる当事者が出るでしょう。それでいいのか?と私は思いますが、いいと思っているひとがいると知って驚きました。

すでに言論でもなんでもない罵詈雑言や嘘。あるいは相手の言葉を悪意にとらえたうえでの叩き行為。わたしは「しばき隊しぐさ」と呼んでいますが、それを進んでやるLGBTのひとが出てきています。

── さすが、作家先生ですね「しばき隊しぐさ」。綺麗な言葉です。

森  以前から問題となってる「江戸しぐさ」みたいな感じで(笑)。たとえば、大勢でひとを口汚く罵るとか、ひとを叩くためにデマを流すとか、「謝れ、謝れ」の大合唱とか、特に女性対し居丈高とか、批判者に対してはすぐに「レイシスト」「ネトウヨ」のレッテルを貼ってネットリンチとか。

── なるほど。(つづく)

◎森奈津子さんのツイッター https://twitter.com/MORI_Natsuko/

◎今まさに!「しばき隊」から集中攻撃を受けている作家、森奈津子さんインタビュー(全6回)

〈1〉2018年8月29日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27255
〈2〉2018年9月5日公開  http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27341
〈3〉2018年9月17日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27573
〈4〉2018年10月24日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=28034
〈5〉2018年10月30日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=28042
〈6〉2018年11月8日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=28069

(鹿砦社特別取材班)

『週刊金曜日』8月24日号掲載の鹿砦社書籍広告

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鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

1年に1日だけ熊本市の一角が沖縄(琉球)になる日がある。ことしで10回目を迎える「琉球の風~島から島へ~」が開催される9月30日だ。そして熊本だけでなく各地からのファンを獲得した「琉球の風」は今年で最終回を迎える。

『琉球の風2018』9月30日(日)フードパル熊本

「10回に何とか到達しようと頑張ってきました。一応これが区切りです。是非皆さんお越しになってください」

実行委員会委員長の山田高広さんの言葉だ。山田さんをはじめ「琉球の風」運営スタッフは全員がボランティアだ。そして、沖縄(琉球)のトップミュージシャンだけでなく、宇崎竜童、宮沢和史といった超豪華メンバーが集う、稀有のイベントも今年が最後だ。

◆「こんなにピースフルな場所はそうないです」(宮沢和史さん)

宮沢和史さん(「琉球の風」2017より)

2008年、故東濱弘憲さんが自分のルーツへの想いを形にするイベントとして第1回の「琉球の風」が開催された。東濱さんは鹿砦社代表の松岡と同級生だったが、第1回が開催されたときに、まだ鹿砦社は「琉球の風」にはかかわっていなかった。その後東濱さんが体調を崩し、「琉球の風」」運営が難しくなるなかで鹿砦社もスポンサーとしてお手伝いさせていただくようになる。

東濱さんが亡くなったあと、「琉球の風」を開催するか、どのように運営するかについては度々関係者のあいだで議論があったという。それはそうだろう。年々知名度は上がり、コンスタントに一流ミュージシャンが参加するとはいえ、運営の母体を担うのは、ほかに正業を持った方ばかりなのだから。

宇崎竜童さん(「琉球の風」2017より)

「琉球の風」は観客にとって、そして参加するミュージシャンにとっては「こんなにピースフルな場所はそうないです」(宮沢和史さん)の言葉に集約されるように、琉球音楽祭典として、楽しみに満ちた場所であるが、その準備に奔走する方々の献身的なご尽力たるや、筆舌に尽くしがたい。

この10年の間には熊本大地震もあり、開催地が被災地になったこともあった。それでも「こんな時だからこそ」と実行委員の皆さんは、みずからが被災しながら、仕事をもちながら「琉球の風」を吹かせ続けた。並大抵の意志ではない。

そして、実は観客だけではなく、参加ミュージシャンがとてつもなく楽しんでいるのが「琉球の風」の特徴だろう。誰もが同じ大部屋の楽屋の中では、オープニング前から笑い声が絶えない。泡盛やビールを注入しながら登場を待つミュージシャンの姿も。

総合プロデューサーの知名定男さん(右)と鹿砦社松岡社長。東濱弘憲さんの遺影とともに(「琉球の風」2017より)

楽屋外、ステージ横テントがプロデューサー知名定男さんの定位置だ。知名さんは必ず東濱さんの遺影を机の上において、テントの下に腰掛けステージに上がるミュージシャンや、演奏を終えたミュージシャンに声をかける。

毎年幕が下りたあとの楽屋では興奮気味に「来年も必ず来ます!」、「初参加でしたが最高でした。沖縄でもこんなに楽しいイベントはないですよ」、「知名さん来年も呼んでください!」と声が飛ぶ。

場所を移しての打ち上げでは深夜に及ぶまでセッションや、これでもか、これでもかと、プロによる出しもの(遊び)が続く。そしてその後もさらなる場所へと流れてゆくミュージシャンたち。本当に心の底から楽しんでいる姿が見ている者にも心地よい。「こんな場所」はたしかに熊本にしかないだろう。

MONGOL800キヨサクさん(「琉球の風」2017より)

東濱さんの名前は「ひがしはま」と日本語では発音されるが、琉球の人たちは「あがりはま」と呼ぶ。ウチナーグチ(琉球語)では「東」は、太陽が上がる方向だから「あがり」で、「西」は太陽が沈む(入る)方向だから「いり」と発語される。「西表島」がどうして「いりおもてじま」なのかと疑問だったが、その謎も「琉球の風」に通う中で解けた。

◆芸術の世界で琉球はもう傍流ではない

BEGIN島袋優さん(「琉球の風」2017より)

琉球音楽は30年ほど前まで、まだ「民族音楽」扱いされる側面があった、とベテランのミュージシャンは口を揃える。その後「島唄」(THE BOOM)、「涙そうそう」(森山良子、楽曲提供はBEGIN)、「島人ぬ宝」(BEGIN)をはじめ、果ては安室奈美恵まで。琉球発の音楽やアーティストと、日本の間には境界線がなくなった(琉球音楽は日本発で世界に広がり受け入れらてさえいる)。芸術の世界で琉球はもう傍流ではない。そして「琉球の風」は東濱さんの想いをおそらくは超えて、日本で最大かつ楽しいイベントとして熊本に根付いた。

かりゆし58前川真悟さん(「琉球の風」2017より)

でも、「風」はどこからか吹いてきて、流れ去ってゆくものだ。無責任な観客のひとりとしては、このまま毎年「琉球の風」を続けて欲しいと正直念願するが、運営を担う方々のご苦労を知るにつけ、今年がファイナルである現実は受け入れざるを得ない。みなさん充分すぎるほど、たくさんの人たちを楽しませてくださった。熊本のひとの心意気には心底頭が下がる。

9・30フードパル熊本は、今年がファイナルであることを知っている観客が押しかけるだろう。第一回から参加しているミュージシャンも少なくない。彼らの「琉球の風」へ寄せる想いは並ではない。きっと9・30熊本の空は晴れ上がり、会場には歓喜の笑顔があふれるだろう。チケット販売や詳細は公式サイトでご確認頂きたい。

◎『琉球の風2018』HP http://edgeearth.net/ryu9_kaze/
9月30日(日)12:00 開場 / 13:00 開演 フードパル熊本

熊本に「琉球の風」が最後に吹く、今年。きっと何かが起こるだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『島唄よ、風になれ! 「琉球の風」と東濱弘憲』特別限定保存版(「琉球の風」実行委員会=編)

久しぶりに、三里塚の裁判闘争をふり返ってみた。21歳から25歳にかけて、足かけ4年におよぶ裁判闘争は、わたしにとって論理的な勉強をする時期だったかもしれない。学部は文学部で現代文学(卒論は武田泰淳の「史記」)だったし、どちらかといえば感性的に運動に参加したほうである。未決の獄中1年のあいだに、刑事訴訟法や資本論の読書、ドストエフスキー、高橋和巳を読破したことは前に書いた。

未決拘置の卒論ともいうべき冒頭意見陳述は、京大教授佐藤進さんの『科学技術とは何か』をもとにした、今でいえばポストモダン的な資本制の近代合理主義批判だった。資本主義のもとでは、すべてが数量化されるがゆえに三里塚のような開拓農の苦労が個別には理解されない。そこに農民たちの政府への不信が組織されたのだと、かなり説得的な論述になった。思い起こせば、獄中の1年ほど勉強した時期はなかったなぁ、である。

 

秋葉哲さんの談(HP「懐古闘争の記録」より)

◆3・8分裂と裁判の終了

判決が出たのは、1983年の3月である。おりしも三里塚芝山連合反対同盟の分裂が明白になり、論告求刑の日(2月公判)はマスコミのカメラの放列を浴びたものだ。判決の当日は、傍聴券をめぐって北原派の支援と熱田派の支援が睨み合う事態となって、わたしたち被告団もなかなか裁判所に入れない有り様だった。フェンスを挟んで殴りあいも起きていた。それに公安刑事が介入しようとする。逮捕者こそ出なかったが、やはり内ゲバは良くない、とこの歳になって思う。

判決時の裁判長は民事畑の人で、訴訟指揮はきわめて温厚、反対同盟の三幹部に対する気遣いも素晴らしかった。「秋葉さんの畑は、やはり園芸農業なのですか?」と、秋葉哲救援対策部長が最終陳述を終えたあとに、語りかけた記憶がある。それでも判決を言い渡すときは、かなり緊張した語調になっていた。それを考えても、いい人だったんだなと。

◆裁判は体験するべきです

最初の裁判長は荒木さんといったが、なかなかロマンスグレイの見栄えがする方で、わたしは嫌いではなかった。訴訟指揮は弁護側に対しても、検察側に対しても厳しかった。ロイヤー(法律家)というのは、若い学生にとってすこぶるカッコいい存在だった。

4回生から裁判と法律に接したことになるが、他学部聴講ではいくつか法学部の選択科目を選んだものだ。後年、アパートの敷金問題(敷金の没収と多額な修繕金の請求に対して、内容証明を出し敷金を奪還)、あるいは出版社の契約不履行事件で本人訴訟をした時に、訴訟法の知識は大いに役立った。大学進学の時に母親から「法学部がいちばんツブシが利く」と言われたのは、こういうことだったのかと思ったものです。したがって出身学部を訊ねられると、文学部法律学科刑事訴訟法専攻と答えることもありますね。あるいは文学部経済学科マルクス主義経済学専攻とか。

裁判と縁が切れない鹿砦社のデジタルサイトならではのこと、いまもわたしは法律的な知識に恵まれている。これは悪いことではない。各種の法律および判例には、人類の叡智が詰まっているのだと思う。たといそれが、正義感やバランスを欠いた裁判の判決であっても、裁判官や裁判員の苦渋がにじみ出ていればいいと思う。いまわたしは、死刑制度をめぐる本を執筆中です。法律といえば、憲法「改正」が政治の焦点になるのだそうな。あらためて、日本国憲法を読み返しながら、その論点を探ってみたいと思う。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。3月横堀要塞戦元被告。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

7日発売!月刊紙の爆弾10月号

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

ネーンに撮って貰った1枚。私とブンミー和尚さん

大通りで他の寺から来る列を待ちます(Photo by Nate Badenoch)

◆ビザ獲得!

タイ領事館窓口で引換券を出す頃、ちょうどネイトさんもやって来ました。お互い難なく受取れて握手。初めてのノンイミグレントビザ。私でも取れたんだ。何か凄いことやったような気分。

私とネイトさんはホッとして雑談が長くなる中、明日の托鉢をネイトさんが撮影してくれることになり喜んでいると、藤川さんが早く買い物に向いたかったようで、「早よせんかい!」とイライラしている。全く勝手な人だ。テメエは喋りだしたら長いクセに。

合流し一列縦隊で進みます(Photo by Nate Badenoch)

ネイトさんは「明日の朝6時にチェンウェー寺に伺います」と言われてここで別れました。

我々はトゥクトゥクで、私が2ヶ月前も立ち寄ったショッピングセンターへ。
藤川さんが「英語ネーンに買うてったろ!」と言ってオーワンティン(瓶詰め粉末)とコンデンスミルクを買う。藤川さんはタバコを選び、これが早く欲しくて来たのだろう。

私はサンダルを買い、タバコ代を立て替えたりして、それぞれの値段が分からなくなったが、「物価はバンコクの半分ぐらいやが、電化製品はバンコク並みに高いな!」と言う藤川さんがビエンチャンの物価を探る好奇心を持った買い物を終えてワット・チェンウェーに帰ります。

信者さんが待つ路地に入って、一掴みのもち米を受けます(Photo by Nate Badenoch)

信者さんもサンダルに膝を乗せて辛い体制です(Photo by Nate Badenoch)

トゥクトゥクで帰ると隣の寺で止められてしまう。「もう少し先」と言おうとしたところ、「歩けば近いやろ!」と藤川さんはサッサと降りてしまう。私は方向音痴だが、降りた位置が分かっていた。藤川さんが隣の寺まで来ているのに方向を間違える。勝手なことを言っておいて間違えることこの旅だけで何度目だろう。

帰るとすぐ、ネーンが私を呼びに来た。「サンカティに纏って、出かける準備して!」と急がせる。

「葬式でもあるのかな」と思うも今回は藤川さんは呼ばれず私が呼ばれ、他にネーンが二人、ブンミー和尚さんと4僧でトゥクトゥクに乗って、向かう先はどこかのお寺らしい。そこで見たものは過去、私が通って来た道でした。

田舎っぽい風景の中の托鉢。低感度フィルムによるAUTOか強制無発光の為、被写体ブレが起きています。フラッシュが効いている被写体は陰が明るめに出て、ブレが小さめになっています(Photo by Nate Badenoch)

◆寺から向かった先は!

そこでは頭を剃ったばかりの20歳ぐらいの若者2人が白衣を纏って並んで立っていました。得度式である。私は比丘として彼らを迎える立場となったのだ。
「撮ってやりたいなあ」と思うが、それができない立場がツラかった。

ここまでは誰も私が日本人とは分からなかった様子。他の比丘は20僧ぐらい居たが、読経中にブンミー和尚が私に「カメラあるか?」と言う。ビザ取りに行ったままの頭陀袋だったので一眼レフを出すと、「違う、小さい方!」と言われてコニカのビッグミニを渡そうとすると、頭陀袋にカメラのストラップが引っ掛かって落として慌ててしまい、周りの比丘達が笑いだした。

集落ごとに信者さんの列があり、比丘と列と重なります(Photo by Nate Badenoch)

何を撮るのかと思ったら、向かいに座ったネーンに渡したブンミー和尚さん。つまり、「読経中の我々を撮れ!」と命じたのである。カメラを2台も出したところで、周囲は私が日本人と分かった様子。「ワット・チェンウェーの日本の比丘」といった雰囲気が漂う。

ここでも客寄せパンダになっていた私であった。お布施は2000キープを受取る。寺の外ではお祭り騒ぎ。出家者を送る親族の徳を積む機会だろう。薄汚れたシャツを着た4~5人の幼い子供らが裸足ではしゃいで駆け回っていて、映画で観るような発展途上国らしい風景だった。

比丘は裸足、信者さんも裸足で待ちます(Photo by Nate Badenoch)

◆体調に異変!

ワット・チェンウェーに帰って、英語ネーンに買って来たオーワンティンとコンデンスミルクをプレゼント。素直に喜ぶ澄んだ目がやっぱり綺麗である。夕方の読経の時間には皆が講堂に集まりました。私はここに来てから馴染んだラオス訛りの読経を耳に収めていました。

ビザを貰って安心してから一転、今日の昼食後から何か腹具合がおかしく長引いていることに気付く。パンシロン飲んだが夜になっても胃がスッキリしない。下痢が始まり、更に寒気がしてきた。風邪かな。今日も英語ネーンやデックワットが温かいオーワンティンを持って来てくれる。身体温めようと飲むも、気持ち悪さが治らない。寝るのはいつもと変わらない夜の9時頃だが、サッサと眠りにつくよう蚊帳に入って寝てしまおう。

陽が昇り始める頃、托鉢も終わりに近づきます(Photo by Nate Badenoch)

ところが深夜12時に目が覚める。脈が速く熱がありそうだ。これはヤバいぞ。真っ暗の中、頭陀袋からバファリン捜し、置いていたポラリス(ミネラルウォーター)で飲んでまた寝る。

朝方4時過ぎ、藤川さんが早くも片付けしている音で目覚めた。この寺を後にする準備して講堂へ座禅組みに行ったようだ。私はもう少し寝て5時過ぎに起きると一応熱は下がっている。ネイトさんに撮影頼んでいるのに今日は無理かと思っていたが托鉢には行けそうだ。

この方もやっぱりもち米、タイ東北部とラオスはこんな光景になります(Photo by Nate Badenoch)

◆我が托鉢の撮影!

ところが6時回ってもネイトさんが現れない。朝早くに呼ばれても寝坊も仕方無いかと諦めかけたが、列になって托鉢に向かう頃、ネイトさんがバイクでやって来た。すぐコニカのビッグミニ渡し、フィルム36枚撮り1本撮りきるようにお願いします。前から後ろから撮っている気配は感じるが距離が遠過ぎる。

広角レンズだし、もっと近い距離でアップ目が欲しいところ、私以外も撮ってるし、途中で「ネイトさん、もっと接近して!」と不謹慎にも大声を出してしまうが、撮ってくれただけでも有難い。寺へ帰ってから感謝を伝えて、朝食に向かう。また熱が出て来たようだ。食欲は沸かないが、ひと口でも多く頑張って食ってバファリンを飲む。昼までに下げないといけない。またしばらく眠ることにしました。

チェンウェー寺での夕方の読経、この寺は若い比丘とネーンばかりでした

ノンカイに向かう準備の為、ネイトさんは乗って来たバイクで一旦居候先に戻りました。

11時近くまで眠っても全く食欲が沸かなかったが、昼飯もまた一口でも多く食べておく。眠っていた間に藤川さんはシーツを洗濯したらしい。使った物は綺麗にして返すのは当然だが、私はグロッギーで出来なかった上、迂闊にも考えが及ばなかった。クテイの掃除だけやったが、使った寝具はそのまま折り畳んだだけ。これはこちらの比丘達に申し訳なかった。

広い講堂内、読経は40分ぐらい続きます

ブンミー和尚さん先導の読経が続きます

英語ネーンも学問とともに仏門で修行の身

◆ラオスを後にしてノンカイへ戻る!

午後1時に出発予定だったが、ブンミー和尚さんが朝からニーモンに行かれて別れ際には会えなかったことが悔やまれる。おじいさん比丘や英語ネーン達、デックワットには体調悪くて最後に何もしてやれなかったが、感謝の気持ちは何とか伝えて、藤川さんとネイトさんと共に拾ったオンボロタクシーに乗ってタイ・ラオス国境の橋へ向かいます。

出国手続きをしてラオスを後にする。最後に体調崩したが想い出の地になった。皆、心優しい良い人ばかりだった、タイ領事館の連中以外は。またいつか来れるだろうか。バスで橋を渡ってタイ入国手続きも簡単に終わり、ネイトさんが居るから言葉は何とかなると思うと心強かった。無事にタイ領土に入ると、故郷に帰って来たような安心感に包まれる。後はどんなに遠くても日本のおばあちゃんのアパートまで、歩いてでも帰れるような錯覚に陥る。

それにしても、すぐ座りたくなるほどダルく体力が落ちている。バファリンも正露丸も効かない。大丈夫か俺。ネイトさんの今後の進路を見届けてからペッブリーに帰らねばならないのだ。まず、この発熱と下痢を伴なう体調不良は何なのか。回復しなかったらどうなってしまうのか。そんな不安を抱えながら、トゥクトゥクに乗ってワット・ミーチャイ・ターまで50バーツ。門を潜って新たな展開へ、ネイトさんを含む3人のお泊り願いに向かいます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

母、民江さんの異変が気になり始めたのは、まだ2年ほど前、民江さんが87歳の時でした。二人の娘を嫁に出した後に夫が亡くなり、ひとり暮らしが17年。「私は今が一番幸せ」が口癖になっていた頃の事です。

いつからか自分で作る食事といったら、トーストと温泉卵と牛乳という簡単な朝食のみ。昼食は、近所のサンドイッチ屋さんやカニクリームコロッケが自慢の洋食屋さん、わざわざ電車に乗ってデパートの地下にあるステーキ屋さんへ行くこともしばしば。日替わりで美味しいランチを食べ、サトウのごはんとスーパーで買った好みのお総菜を夕食にしていました。量だって普通の一人前をペロリと平らげます。食事のついでに立ち寄ったデパートで買った高価でそっくりなデザインのブラウスは、いったい何枚あるのでしょう。日々の暮らしがこうなのですから「幸せ」に間違いないと私は思っていました。

二年前のある日、「あら、なっちゃん。もう退院してきたの?あのね、隣の○○さんがね……」と。毎朝欠かさず電話していた私が、忙しくて三日間も電話をしそびれてしまった後の民江さんの言葉です。えっ?!ピンピンしている私を勝手に病人にしたの?!と、まず思いましたが、そんなことは仕方ありません。私が電話をしなかったのですから。

それより問題は「娘の私が入院しても、全く心配をしていないこと」です。驚いたと言うか、がっかりしたと言うか、悲しかったと言うか……。このとき私が初めて意識した民江さんの異変でした。もちろんそれまでも民江さんの老いを感じることは度々ありました。何度も何度も同じことを聞かされると私は、「もうそれ百回聞いたよ」と返事していました。けれども、同じ話をまるで初めてのように喋る民江さんを見て「ああ、昨日や一昨日どころじゃなくて、いま話したこと自体を忘れるからこうなるのね」と思ってあげられるようになりました。この一件がきっかけです。

あれからたった二年です。たった二年で変わってしまいました。どんなふうに変わったかと言うと、まず、歩き方が大変遅くなりました。若い頃から民江さんは運動が得意で、80歳を過ぎても一日に二、三回は散歩に出かけていましたし、スクワットを披露してくれていました。ところが明らかに歩みが超スローになったのです。足腰に全く問題がないのに、「転ぶといけないから」と本人は言います。もっともな理由ですが、どうにも遅すぎます。

第二に、顔つきが変わりました。会話中に目が合うことはほとんどありません。視点が定まらず空を見ているようですし、たまに娘の私が見たことのないほど目を細くして微笑みます。別人のような表情になりました。怒っているのではなくて笑っているのですからまだマシですが、娘としては不自然で受け入れがたいものです。

第三に、言葉数がすっかり減ってしまいました。PTAの役員をやっていた全盛期は、それはそれは恥ずかしいくらいのお喋りでした。それが普通になったというレベルではありません。元が100だとしたら、今は0.2ぐらいかと思います。認知症初期の頃、何度か「80歳になったなっちゃんを見てみたいわ」と言いました。その都度私は「見れるものなら見てよ」と言い返しながら、心の中で反省していました。私の口調が厳しいことを、民江さんは遠回しに訴えていたのでしょう。現在はそれすらありません。

そして最も深刻な変化は、清潔に対して無頓着になったことです。きれい好きだったはずなのに、いつの間にか全く気にしていないのです。これは大変衝撃的でした。洗濯をしていなかったのです。掃除をしていなかったのです。食器を洗っていなかったのです。これらに関して気が付いてあげられなかった私達の責任は重大です。「洗濯は洗濯機がしてくれる」と言いながら、まさか着替えをしていないとは思わなかったし、白髪が茶色っぽいと思ってもまさか髪を洗っていないとは思わなかったのです。それが何か月に渡っていたのか、知ることはできません。相談に行った福祉の窓口の方はおっしゃいました。「大丈夫ですよ。お食事さえ忘れずに食べることができていれば、まだお一人で暮らせますよ」と。でも娘としては、とても頷くことはできません。安全で清潔に生活できる方法をせめて本人に代わって考えてあげなければなりません。

最近の電話口での民江さんの第一声は「ハアハア(荒い呼吸)、なっちゃん、もう寝るね」です。(何時でもです!)けれども二年以前の第一声は、いつも「だいじょぶよー」でした。あの声を思い出しては後悔しています。その頃から大丈夫ではない状況が始まっていたのでしょう。「大丈夫かどうかなんて聞いてないのに」と思っていてごめんなさい。

最近私と同様に50歳を過ぎた者が数人集まると、認知症の家族の話題になります。ですから65歳以上の7人に1人は認知症という統計には納得です。こんなどこにでもいるような民江さんですが、日々いろいろな事が巻き起こっています。

▼赤木 夏(あかぎ・なつ)
89歳の母を持つ地方在住の50代主婦。数年前から母親の異変に気付く

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