マクドナルド最終局面──外食産業が強いる「貧困搾取」ビジネスモデル

日本マクドナルドが一部社員の基本給を下げるという。本コラムで既に報告したが、マクドナルドは最終局面を迎えているのかもしれない

◆儲かろうが儲かるまいが、現場労働からの「搾取が儲けの元」に変わりなし

「日本マクドナルドが、基本給に手を付けるのは初めて。関係者によると、4月以降、評価に応じて分けられた4つの等級のうち、上から3、4番目の社員を対象に、昨年の基本給から1~4%カットする。現在、会社側が社員への説明を始めている。これまで、業績いかんに関わらず基本給を引き下げることはなかったが、業績の悪化は底なしの様相を呈しており、手を付けざるを得なくなった。好業績を背景に、今春は多くの企業がベースアップを打ち出しているが、こうした流れに逆行した動きだ」とダイヤモンド記事は報じている。

一方で、「今年3月25日に退任した原田泳幸前会長には、役員報酬と退職慰労金合わせて3億3900万円、サラ・カサノバ社長には2014年度の報酬として1億0700万円が支払われている。また役員5人にも報酬3億9300万円の役員報酬が支払われており、1人当たり7800万円に上る計算だ」だそうだ。

業績は毎月悪化の一途で2月からで3月も28%売り上げが落ちている。なのに経営陣は責任を取るどころか原田泳幸前会長は4億円近い金を持ち逃げし、現社長にも1億円の給与が払われている。

でも、このような「不条理」は驚くには値しない。最初からマクドナルド社の商法は現場アルバイトや従業員には「えげつなく」、儲かろうが儲かるまいが「経営陣」は高給を頂く姿勢は一貫していた。さらに言えばマクドナルドだけでなく、全国に多数のチェーン店を持つ飲食業者のほとんどは同様の「現場にえげつなく、経営陣はいつでも儲かる」経営システムを採用している。だからあのように安価に商品提供が可能となるのだが、その間で削り取られているのは、「労働者」の賃金である。つまり「搾取が儲けの元」なのだ。

と、ここまで書いたところで15年度見通しの発表が日本マクドナルドからあった。営業損益が250億円の赤字(前期は67億円の赤字)と、前期の上場来初の営業赤字から赤字幅が拡大する。期中に131店を閉鎖するそうだ。

役員報酬もさすがに手つかずとはいかず、役員報酬は6カ月間減額で、サラ・カサノバ社長の削減幅は20%になるという。マクドナルドの斜陽は加速しているとみて間違いないだろう。

◆「ワンオペ」という「一人労働」で「過労死ライン」超え

安価ファミリーレストランとして知られる某有名チェーン店にアルバイトとして勤務した人によると、店舗によっては厨房内の調理(といっても大方は工場で調理された「加工物」を電子レンジなどで元に戻すだけだが)を1人で担っていたという。繁忙時間には厨房内で体の動きを止めることは勿論、トイレに行くことすら出来なかったそうだ。

「ワンオペ」という横文字を使い「一人労働」を強いていたファーストフードチェーンの「すき屋」も同様だが、実際に収益を上げる現場の労働環境を限界近く(時には限界以上)に切りつめることにより収益を上げているのが外食チェーン店だ。「すき屋」を経営するゼンショーホールディングスの小川賢太郎会長兼社長は『週刊東洋経済』(2014年12月6日号)で次のように語っていた。

「創業の頃は私も年間4700時間働いた。それから4000時間、3500時間と減らしてここ数年は3000時間以内だ。(中略)われわれの父親の世代は戦後復興で皆長い時間一生懸命頑張ってこの国の礎を作ってきた。働くことは尊いという価値観を日本人が失ってはいけない」

これは小川氏の本音だろう。だが個人事業主が自己責任でがむしゃらに働くのはかまわないけれども、多くの従業員を抱えた企業に成長し、多数のアルバイトなどの低賃金労働者を雇用するようになれば、このような考え方は社会的に許容されるものではない。戦後の焼け跡時代と、経済指標では世界でも上位に位置する現在の日本を同一視するのは時代錯誤であるし、このような考えの経営者の下で働く労働者はたまったものではない。4700時間の労働は年間の法定労働時間(2000時間余り)の倍以上であり「過労死ライン」とされる月間80時間以上の残業を大きく上回る。

経営者が好きで働くのは勝手だが、労働者にそれを押し付けるのは論外だ。

◆「普通」の生活すらできない給与体系

本音を語らせば、大手外食チェーンの経営者は似たり寄ったりの考え方で労働者をこき使っている。だから全国に同じ看板の店舗があれよあれよという間に乱立できたのだ。今幼少の子供の中には、これらチェーン店の名前を知ってはいても、個人が経営する「食堂」の存在自体を知らない子がいる。

学生が小遣い稼ぎのために週に数時間働くのであれば、人生に大きな影響はないだろうけれども、そこを主たる生計の稼ぎの場といている人にとっては、労働の割にどれだけ働いても決して楽な(否「普通」の)生活すらできない給与体系になっている。

ファーストフードとは「簡単に食べることのできる」食を指すが、「簡単な食」によって「豊かな生活」が遠ざかって行っているのが今日の日本社会だ。

「定食屋」や「一膳飯屋」果ては「食堂」という単語が聞こえなくなるのに共鳴するように、私たちの生活は貧しくなってゆく。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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高浜原発再稼働差し止め判決──なぜ中日新聞だけが公正な社説を書けるのか?

4月15日福井新聞社説は「高浜原発再稼働認めず 重い警告どう受け止める」と銘打たれた文章だ。この社説は新聞社説の見本のようだ。

あれこれ瑣末な事柄を述べた上で、結局何が言いたいのかをぼやかす。

だから新聞の「社説は面白くない」と言われる典型と言っていいだろう。この日の社説、最後の部分だけ紹介すると、「樋口裁判長は大飯原発訴訟で『学術的論議を繰り返すと何年たっても終わらない』と指摘したように早期判断に導いた。今後、上級審で一体誰がどのように判断していくのか、司法全体の責任は一段と重くなる」と結ばれている。

原発の危険性への総合判断を避けて、司法の責任追及に矮小化せざるを得ない原発立地、福井新聞の苦しい立場を物語る結びである。

◆アクセス上位記事に表れる福井新聞の歪んだ本音

しかし、福井新聞の本音はその他の記事によって明らかだ。福井新聞のHPにはこの1時間でのアクセス数上位10本と、24時間でのアクセス数上位10本を掲載しているが、その中で紹介されているのは、

[1] 「差し止め決定文に「曲解引用」 困惑する地震動の専門家」(2015年4月15日午前7時40分)

[2] 「再稼働ノーで不安募る高浜町民 原発反対派からは歓迎の声(2015年4月15日午前7時10分)

[3] 「高浜町長、地裁決定は『別の土俵』 従来姿勢に変わりない考え」「(2015年4月15日午前7時20分)

[4] 「高浜原発再稼働差し止め決定要旨 全文は福井新聞D刊(デジタル版)で公開」(2015年4月14日午後8時30分)

[5] 「大飯原発差し止め訴訟5日控訴審 福井地裁判決の是非を問う」(2014年11月4日午前7時40分)

[6] 「福井地裁、高浜原発再稼働認めず 仮処分決定、規制委合格事実上否定」(2015年4月14日午後4時06分)

[7] 「高浜再稼働は電源構成と並行し判断 福井県知事、既存原発の活用強調」(2015年4月14日午前7時20分)

[8] 「高浜再稼働差し止め仮処分決定いつ 14日福井地裁、大飯認めた裁判長」(2015年4月10日午前7時20分)

[9] 「再稼働差し止め仮処分の判断基準は 高浜と大飯原発、14日に判断」(2015年4月12日午前7時05分)

15日夕刻現在、総数20本の中で原発関連では上記9記事が「この1時間」もしくは「この24時間」に高いアクセス数を記録している。

[1]-[3]は仮処分後の記事で中立を装っているが私の目にはそうは映らない。記事の根底には仮処分決定への反発が伺われる。[4]は仮処分決定文章であるので、これは中立である。[5]は昨年の大飯原発再稼働判決前に掲載された記事で、この記事も事実のみを伝えているので中立である。

[6]は概ね事実を述べているが、文末が「原発訴訟で住民側が勝訴したのは、高速増殖炉もんじゅ(福井県敦賀市)の設置許可を無効とした2003年1月の同支部判決と、北陸電力志賀原発2号機(石川県志賀町)の運転差し止めを命じた06年3月の金沢地裁判決がある。しかし、いずれも上級審で住民側の敗訴が確定している」となっており、言外に上級審では判断が覆っていることへの期待感を感じる。

[7]は四選を果たした福井県の西川一誠知事の原発についての見解が一方的に述べられている。話にならない。

[8]は「樋口裁判長は昨年5月、大飯3、4号機の運転差し止めを認めた福井地裁判決を出している。関電側が名古屋高裁金沢支部に即時抗告している担当裁判官3人の交代を求めた忌避については、9日時点で関電側に結果は届いていない。住民側は、決定の期日決まったことで忌避の即時抗告は棄却されたとみている。高浜3、4号機は原子力規制委員会が2月、安全対策が新規制基準に適合する として事実上の審査合格を決めた。再稼働に向けた地元同意手続きでは、高浜町議会が3月に同意。高浜町長の判断や県議会の議論の行方、知事の判断に注目が集まっている」と関電寄りの姿勢で結ばれている。

[9]は事実のみを述べた中立記事だ。

このように(私の目から見ればだが)9本中5本は明らかに中立を欠き、原発存続若しくは推進の記事で、3本は中立、残り1本も中立とは言いがたい立場から記事が構成されている。

地元住民の本音がこの記事に反映されているのか、あるいは福井新聞が地元住民の民意を先導しているのだろうか。

◆原発に詳しい記者が直ぐに動ける中日新聞の効用

福井新聞とは逆に、原発問題に関してはブロック紙の中でも熱心な中日新聞と東京新聞記者に「なぜおたくは原発問題に熱心なのか」と事故後取材したことがある。答えは単純だった。

「福井でも中日新聞は購読されているんですよ。だから福井支局がありそこへ赴任する人間が相当数いる。福井はそれほどニュースの多い場所ではないこともあり、自然に記者は原発についての知識を身に着けていくんです。関西電力や日本原電は全国紙の記者には接待攻勢をかけようと必死ですよ。地元の福井新聞にも。でもうちには声がかからないんです。だって帰っても名古屋でしょ。中日新聞が全国的に影響を持つとは考えてないんじゃないですかね。だから事故後に全国紙に比べても原発の知識を持っている記者が直ぐに動けた。それが原因じゃないですかね」

ということだった。なるほどご説ごもっともだ。朝日や読売が「原発推進!」と書けば全国規模の影響があるだろうけれども、中日新聞は所詮中部北陸と一部関西だけで購読される新聞だ。その境遇が幸いして事故後、東京新聞(中日新聞の東京版)が原発記事では他紙を圧倒できたのかもしれない。

◆原発問題を通じて育っていった中日新聞の公正報道

中日新聞はかつて今の産経新聞のように「読むに値する記事がほとんどない」新聞だった。暴力を振るって子供を更生させると言いながら複数の子供を殺していた「戸塚ヨットスクール」を称賛する上之郷尾利昭による『スパルタの海 甦る子供たち』を半年間も1面に連載したり、愛知県内の汚職や行政の暴走を黙認することが多々あった。その程度の人権感覚のない三流新聞だった。

だが、何があったのかわからないが、最近、中日新聞を目にするとその変貌ぶりが著しい。良い意味でである。原発問題に限らず記者の視点が以前とは比較にならないほど鋭い。その中日新聞の社説は通常1日に2本が掲載されるが、15日は「国民を守る司法判断だ 高浜原発『差し止め』」 1本だった。他紙と異なり「社説が分かりやすいから」という理由で購読者を増やしている中日新聞社説の明快さが伺えるだろう。

「福島原発事故の現実を見て、多くの国民が、原発に不安を感じている。なのに政府は、それにこたえずに、経済という物差しを振りかざし、温暖化対策なども口実に、原発再稼働の環境づくりに腐心する。一体誰のためなのか。原発立地地域の人々も、何も進んで原発がほしいわけではないだろう。仕事や補助金を失って地域が疲弊するのが怖いのだ。福井地裁の決定は、普通の人が普通に感じる不安と願望をくみ取った、ごく普通の判断だ。だからこそ、意味がある

全くその通りだと思う。

▼田所敏夫(たどころ としお)

兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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「イラク派兵」で29人が自死した自衛隊を再び派兵させる日本のPKO責任

2004年1月、陸上自衛隊はイラクに派兵された。名目上は「PKO」を名乗っていたけれども、滞在地サマワではロケット砲が飛び交う、実質的な戦地だった。

この派兵は当時の首相小泉によって決定されたものであるが、現首相安倍は自衛隊派兵中に官房長官に就任している。

米国を中心とする「多国籍軍」によるイラク攻撃は「大量破壊兵器所持の疑い」が理由であったが、そんなものは実際にはなく、主犯格のブッシュはイラクをめちゃくちゃにした後に「あの戦争は間違っていた」と述べている。日本は同様にイラクが「大量破壊兵器所持の疑い」があるとして米国のイラク攻撃を支持するにとどまらず、実質的な戦地に自衛隊を派兵した。

◆思い込みだけで冤罪イラクを崩壊に追いやった多国籍軍・日本の責任

ブッシュが「間違っていた」と認めたイラク攻撃理由について安倍はどう考えているのだろうか。昨年5月28日衆院予算委員会での関連質問に「大量破壊兵器がないということを説明できるチャンスがあるにもかかわらず、それを証明しなかったのはイラクであったということは申し上げておきたい」と述べている。

イラクは当時何度も「大量破壊兵器など保持していない」と表明していた。それでも「いや、信用ならない。必ずイラクは持っている」という思い込みか、言いがかりかわからないけれども「多国籍軍」はとてつもない爆撃を行い、果てはフセイン大統領を殺してしまった。フセインの独裁政治に問題があったとしてもそれは内政問題であり、攻撃の理由などには到底ならない。その結果イラクはどうなった? イスラム国や米国傀儡政権、さらにはクルド民族勢力やアルカイダ系組織が戦闘を繰り返し泥沼の内戦が続いているではないか。

明らかな犯罪じゃないか。

いや犯罪などという言葉では軽すぎる。これは国家抹殺の大虐殺だ。であるのに安倍の見解は上記のとおりだ。冤罪で睨まれた容疑者と同じでいくら事実がなく「やっていません」といったところで「じゃあお前やっていないことを証明しろ」といわれてどうやって証明するのだ。犯罪が存在した事実を証明する義務を負うのは捜査当局であるし、この場合であれば米国や多国籍軍にその責任がある。

だが、主犯格の米国が「イラク容疑者は冤罪でした」とフセインを死刑にした後誤りを認めた。多国籍軍は向くのイラクに大虐殺を犯しただけのことなのだが、その責任があたかもイラクにあるかのごとき発言をいまだに安倍は行っているのだ。安倍はブッシュよりさらに悪質極まりない。

◆安倍の狂気で真っ先に犠牲になる自衛官たち

その安倍の狂気により最も生命の危機が脅かされているのは自衛官の皆さんだ。安倍が気まぐれに「シリアへ行け」、「イエメンへ行け」と言い出せば自衛隊の方々は拒否できない。もちろん現行法では戦地に自衛隊は赴けないけれども、解釈改憲を平然と行うような人間が安倍だ。憲法だって読み替えるのだから、法律などいくらでも屁理屈をこねて解釈を捻じ曲げるだろう。

こういった話を「物語」的に語れないのは不幸のきわみだけれども、真っ先に犠牲になるのは繰り返すが、自衛官の皆さんだ。そしてその対象が一般国民に広がるのにもこのまま行けばたいした時間はかからないだろう。

◆イラクから帰国後5年内に自衛官29名が自死した事実

実は、イラク現地での戦死者は出なかったけれども、実質的な戦死者は既に出ている。イラクから帰国後5年以内に確認されているだけで、陸上自衛官21名、航空自衛官8名合計29名が自ら命を絶っているのだ。

安倍は言うだろう「自殺と任務の因果関係は証明できない」と。

自衛隊は「交戦地帯」には赴かなかったはずだ。勿論実際の戦闘にも加わらなかったはずだ。にもかかわらずこれほど多くの自死者が出ているのは何故だ。報道されていたようにサマワで道路建設だけに従事していたのであれば自らを死に至らしめるような苦しみに苛まれるだろうか。派兵された自衛官の皆さんは公にされていないが心に熾烈な傷を負う経験をさせられたに違いない。そうでないというのであれば、安倍がイラクに求めたように「そんな苛烈な状態はなかった」ことを証明してみろ。

「安保法制の整備」などつまるところ「どうやって合法的に自衛隊をはじめとする国民を戦地に引きずり出すか」悪知恵の出し合いだ。

交戦なくして29名もの自衛官の戦死者が出ていることを国民は広く知るべきである。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気

NHK WORLDというサイトがある。

ここでは国内向けではなく、外国向けに収録され放送された番組の一部を見ることが出来るようだ。その中に見落とせないニュースがあると知人から教えてもらった。

3月末に放送されたと思われる「NUCLEAR WATCH」のコーナーで、「福島第一廃炉推進カンパニー」プレジデントの増田尚宏氏がインタビューに応じている。

福島第一廃炉推進カンパニー」は2014年4月1日に発足した「廃炉」を専門に扱う東京電力の子会社だが、インタビューによると増田氏は東電で原子力畑を何十年も経験したベテランだという。

このインタビューで増田氏が答えている内容は、東電関係者にしては珍しく「正直」である。そして「正直」であるだけに改めて事故の深刻さと恐怖を感じる内容だ。

 

◆「私はそれ(廃炉作業の2020年開始)が出来ますとは言えない」
(増田尚宏=福島第一廃炉推進カンパニー・プレジデント)

以下はNHKインタビューからの抜粋だ。

「格納容器内の放射線量は依然として非常に高いので作業員は数分しかとどまることが出来ない」

「溶融燃料についての形状や強度は分からない。30メートル上方から遠隔操作で取り除く必要があるが、そういった種類の技術は持っておらず、存在しない」

「本当に格納容器をに水が張ることが可能かどうかまだわからない。壊れた格納容器3基にヒビ割れや穴をいくつかを見つけたが、それで全部かどうかわからない。それを塞いで水を入れても、まだそれより上にひび割れがある可能性がある。ほかにもあれば、がれきを取り除く他の方法を見つけなければならない」

そして、「政府は廃炉作業を2020年に始める意向だ。増田氏にそれについてどれだけ確信があるか尋ねた。彼の回答は驚くほど率直だった」とNHK記者が驚いた増田氏の回答は、

「それは非常ハードルの高い大きなチャレンジだ。正直に言って、私はそれが出来ますとは言えない。でも不可能だとも言いたくない」

作業を成功させるために最も必要とされるものは何か、との問いには、

「言うのは難しいが、おそらく経験だろう。人々にどのくらいの被ばく線量なら許容されるのか、周辺住民ににはどんな情報が必要でどのように伝達するのかなど、これは今までに経験したことがない、教科書に載っていない話なので、1つ1つ決めながらやていかなければいけない。1つ1つの判断が正しい判断が出来るかというとそれは難しい」

と答えている。政府が収束予定として示しているロードマップは「極めて困難で実現する技術はない。2020年の廃炉作業開始は約束できない」と言うのだ。

事故現場最前線責任者の重大な見解発表なのに、国内のNHKはこのニュースを放送したのだろうか。

◆台湾は5月中旬にも日本からの食品輸入で新規制を導入する現実

またFNNは4月14日

「台湾の衛生省は13日、福島第1原発事故で汚染された食品を日本から輸入するのを防ぐため、新たな規制を5月中旬にも導入すると発表した。新たな規制では、すでに禁止している5つの県からの食品の輸入に加え、産地証明のラベルを添付することや、乳幼児向けの一部食品の放射性物質の検査を義務づけることになる。台湾は、金額ベースで、香港、アメリカに次ぐ日本の農林水産物の主要輸出先だが、規制により、コストが増すことが想定される。台湾では3月末、輸入が禁止されている5県の食品の一部について、別の産地だとするラベルが貼ってあったことが発覚している」

と報じている。親日国台湾の人々も事、放射能に関しては敏感に反応しているのだ。 ※類似報道=東京新聞(4月14日付夕刊)

実質的に「廃炉の保証はない」と明言した、福島第一廃炉推進カンパニー増田氏の見解は日本に住む人々にこそ知られなければならない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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◎東電はKDDI、規制委員会は日立が請け負う原発関連コールセンターの無責任
◎福島原発事故忘れまじ──この国で続いている原子力「無法状態」下の日常
◎基地も国民も「粛々」と無視して無為な外遊をし続ける安倍の「狂気と末期」

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基地も国民も「粛々」と無視して無為な外遊をし続ける安倍の「狂気と末期」

「菅義偉官房長官は(4月)6日午前の記者会見で、翁長雄志沖縄県知事が米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)移設問題をめぐって安倍首相との会談を求めたことについて「これから具体的に、どのような要望(が知事からなされる)かを詰めながら検討していきたい」と述べた。その上で、翁長氏が、名護市辺野古移設を進める政府の要人の口から「粛々」との言葉が相次いでいるのを批判したことに関し、菅長官は会見で「不快な思いを与えたということならば使うべきではないだろう」と述べ、今後は「粛々」という表現は用いない考えを示した。」(2015年4月6日時事通信

◆腹の中では「粛々」と「我が軍」を繰り返し唱え続ける狂気

この報道を目にしてから3日もたたないうちに、安倍は4月8日の参院予算委員会で米軍普天間飛行場の名護市辺野古異説に関する答弁で、「粛々と」と言い放った。「日本を元気にする会」の松田公太代表が「辺野古基地法」を国会で成立させ名護市の住民投票にかけることを提案(この提案自体名護市長選挙、名護市議選挙、沖縄県知事選挙、総選挙ですべて「辺野古基地建設反対」と絶対的な民意が示されているのに、何をいまさらとぼけた提案かと思うが)したのに対し安倍は「安全保障は政府が責任を負うのは当然だ」と切り出したうえで「既にある法令にのっとって粛々と進めているわけで、上乗せして法律を作る必要はない」と述べた。

これに先立つ3月30日に安倍は、やはりの衆院予算委員会で、先の国会答弁で自衛隊を「我が軍」と述べたことについて、「こうした答弁によって大切な予算委の時間が使われるなら、そういう言葉は私は使いません」と述べた。「大切な予算委の時間」が使われるから「我が軍」という言葉を使わないのが安倍の本心ということをまたしても吐露した形になり、こいつは防衛省自体が「自衛隊は軍隊ではない」と明言しているにもかかわらず、相変わらず腹の中では「我が軍」、「我が軍」と念じていることが明らかになった。

紹介したこの2つの発言は、首相として留まっていることを許される性質のものであろうか。官房長官が沖縄県知事と明確に約束した「粛々という表現は使わない」というごく簡単な合意でさえ数日で反故にしてしまう。無意識なのか故意なのか。どちらにしても沖縄の人だけでなく国民全体に対して馬鹿にするにもほどがある。私が心配する筋合いではないが菅官房長官はもう何があっても沖縄で信用されることはないだろう。

◆29回54カ国──2国間で直接協議すべき問題がない国ばかりを選んでの「外遊」という狂気

安倍の「粛々」発言は「暴言」や「失言」では済まされない。安倍の頭の中には自身の独りよがりの他に、沖縄(琉球)差別があるのではないか。というのは下記の国々の名前をご覧いただきたい。安倍が総理に就任(2013年1月)して以来訪問した国だ。

ベトナム、タイ、インドネシア(2)、米国(3)、モンゴル、ロシア(3)、サウジアラビア、アラブ首長国連盟、トルコ(2)、ミャンマー(2)、ポーランド、英国(2)、アイルランド、マレーシア、シンガポール(3)、フィリピン、バーレーン、クゥエート、ジプチ、カタール、アルゼンチン、カナダ、ブルネイ、カンボジア、ラオス、オマーン、コートジボアール、エチオピア、モザンビーク、スイス、インド、オランダ、ドイツ、ポルトガル、スペイン、フランス、ベルギー(2)、イタリア(2)、バチカン、ニュージーランド、豪州(2)、パプアニューギニア、メキシコ、トリニダードトバコ、ブラジル、コロンビア、チリ、バングラディッシュ、スリランカ、中国、エジプト、ヨルダン、イスラエル、パレスチナ自治区。

外遊回数は合計29回で、54カ国を訪問している。書き上げた国の名前はおおよそ訪問した順番でありカッコ内はその国に複数回訪問しているときの回数を示す。

いや、実に多くの国にお出かけで、と感心しているのではない。たとえば米国は3回訪問しているが、そのうち2回は国連総会出席のための訪問で、米国でオバマ大統領と個別に会談したのは1回きりである。

また中国訪問も1度あるが、これもAPEC首脳会議出席が主目的で空き時間にかろうじて25分だけ習近平国家主席と形ばかりの会談をしたに過ぎない。尖閣問題などについてワーワー騒いでいる割にはこの会談でまったくといってよいほど何も成果は得られていない。そして上記の国の中に韓国の名前は出てこない。

要するに2国間で本来直接協議すべき国問題がある国には出かけていけないのが「安倍外交」なのだ。それは国内でも同様で、一番問題のある「沖縄」へは「怖くて」行くことができないのだ。中国にだってAPEC首脳会議がなければ訪問していないだろう。

◆ごく簡単な約束すら「守れなくなっている」安倍は自身の体調もすでに「末期」

最初の訪問国ベトナムで安倍は何をしてきたか? 「5億ドル(466億円)の円借款を供与を行う意向を伝え」原発をセールスしてきたじゃないか。サウジアラビアでも、アブ首長国連邦といった産油国にも「原発どないでっしゃろ?」売り込みに余念がなかったじゃないか。そんな話する暇があったらOPEC加入国以外に比べて不当に高い原油価格の値切り交渉でもしたらどうなのだ。

今年の2月を除いて安倍は就任以来1月に1度も外遊に出ていない月がない。外務省のHPに詳細が掲載されているが訪問名目的や概要を読むとTPPに関連したものがやたら多いことが目に付くのと、この外遊がいったいなぜ必要なのかと首を傾げてしまうものがあまりにも多い。ちなみに安倍は前回首相に就任した2006年も10月から12月まで毎月外遊に出ていた。2007年に入り1月の欧州アジア訪問から4月末の米国中東歴訪まで間が空く。さらに、5月と7月も外遊がなく9月の豪州訪問で体調を壊し、辞任へと追い込まれた。

つまり、安倍は毎月のように「どうでもよい」外遊に出ないと体が持たないことをこの事実は示している。訪問先は「どうでもよい」場所でなければならない。間違っても単独で韓国や中国へは行けない。そして沖縄にも。

ごく簡単な官房長官と知事の約束すら「守れなくなっている」のが安倍の体調とみていいだろう。この男は3月末幸いにもシンガポールのリー・クアンユー元首相の国葬へ「出国」出来たがその前の外遊は、例の「人質見殺し」宣言をした中東歴訪だった。外遊だけが体調維持の支えになっているこの男、安保法制を審議する6月24日までは国会があるから余程のことがなければ長期外遊はないだろう(体調回復のためにゴールデンウィークに余分な外遊を入れる可能性はあるが)。沖縄の人々の怨嗟にむせび泣く直面できない安倍の体から悲鳴が聞こえる。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎労働者にメリット・ゼロの「残業代ゼロ」法案を強行する「悪の枢軸」企業群
◎「テロとの戦い」に出向くほど日本は中東・アフリカ情勢を理解しているのか?
◎福島原発事故忘れまじ──この国で続いている原子力「無法状態」下の日常
◎自民党の報道弾圧は10日施行の秘密保護法を後ろ盾にした恫喝の始まり

自粛しない、潰されない──創刊10周年『紙の爆弾』5月号発売中! 安倍政権に反対すべき「七つの理由」を総力特集!


《誤報ハンター02》誤報の横綱『週刊大衆』よ、白鵬はまだまだ引退しない!

4月に入ったので、この記事を斬る。それは大胆にも『スクープ 大横綱 白鵬 決意固めた三月場所後 電撃引退』というタイトルが掲載されていた「週刊大衆」2月23日号だ。

記事には、「三月の大阪場所後に電撃引退!」とある。この背景には、初場所で大横綱・大鵬の史上最多33回目の優勝という記録を抜き、前人未踏の記録を作った翌日、「疑惑の相撲があるんですよ。あんなの子供が見てもわかる」と、取り直しとなった稀勢の里との取り組みで、土俵際の「物言い」がついた一番について、審判部を批判した事件がある。

「一気に白鵬は『生意気だ』『品格がない』と相撲ファンに叩かれるヒールとなりました。あの瞬間に、白鵬は朝青龍と同列の品格がない横綱になり下がったのです。マスコミの前だけでなく、後援会でもぶっきらぼうな態度を貫き、34回目の優勝を果たした大阪場所でもマスコミには優勝インタビューまでは、口をききませんでした」(スポーツ紙記者)

「週刊大衆」はこう書いている。

「引退があるとすれば、はたしていつなのだろうか。『白鵬は最近、〝自分の独り勝ち状態に〝張り合いがないよね〟と漏らしていましたからね。キリのいいのが好きな横綱のこと。自身が初土俵を踏んだのと同じ三月場所でーつまり次の大阪場所にでも〝Xデー〟があるかも……』(白鵬のタニマチ筋)

また、協会内部からは、
「白鵬は八百長疑惑で揺れる協会を一人で支えてくれた功労者ですが、今回の発言は重大。もし、また白鵬が問題を起こすなら、協会は引退させるくらいの覚悟で臨まないと…」という声まで聞かれる。 だが、相撲界を盛り上げた最強横綱がこのまま引退とは、あまりにも寂しい。

ひとまず白鵬は、1月31日にテレビ番組で「多くの人にご迷惑、心配をかけ、お詫びしたいです」と謝罪した。ところが審判部への謝罪はまったくない。

白鵬の問題発言に「問題があった」するならば、白鵬が押し出すときに、白鵬の足が返っているタイミングと、稀勢の里の体が土につくのが同時であったと審判部が説明のアナウンスしていない点につきる。そう、あの問題の本質は「審判部」が下手すぎるということだ。

「あれは誰がどう見ても同体だ。誰も白鵬に『足が返っていました』と教えていないとすれば、部屋の中で弟子や側近にも『甘やかしすぎだ』と批判されてもしかたがない側面があります」(相撲記者)

ちなみに、宮城野親方は1月27日に北の湖理事長と審判部長の伊勢ヶ浜親方(54=元横綱旭富士)に謝罪し、白鵬本人にも注意を与えたという。

◆幕内力士の半分以上がモンゴル出身の時もある大相撲の現実

だが、僕はもっとこの問題に強く踏み込む。そもそも大相撲にモンゴル人は多すぎではないだろうか。

場所にもよるが、幕の内に限っては、半分以上がモンゴル出身のときもある。

「そもそも、大相撲のなり手が少ないから、親方たちがモンゴルにスカウトに行って大量に連れてきた。それなのに『日本に来たら日本流に従え』とばかりに品格を押しつけるのはいかがなものか。そんなに品格や振る舞いが重要ならば、相撲教習所で徹底的に言葉使いから教えていくべきだ。その場しのぎで力士を連れてきて、今。礼儀がどうのと嘆いても始まらないと思うが」(同)

とくに白鵬は苦労人だ。その這い上がる様子はときとして美談となる。白鵬が少年のころ、まったく目が出ずに、師匠たちは誰も引き取らなかった。「さあ、もうあきらめな」とモンゴルに帰る飛行機のチケットを渡された白鵬は「モンゴルに帰りたくない」と大泣きし、見かねた宮城野親方が白鵬を引きとった。そこから血がにじむような努力を重ねて、今の横綱の地位がある。

「白鵬は、尊敬する双葉山と大鵬については、徹底的に研究してきました。もちろん、輪島の取り口もビデオで見て研究を重ねました。読書の量も半端ではない。そのあたりの日本人よりもよほど日本を愛している。もし、白鵬を傲慢にさせた者がいるとしたら、まったく稽古量でも、実力でも大きく水をあけられた周囲の力士たちでしょう。最近では、場所直前にならないと稽古をしない白鵬にまったく歯がたたないのですから」(同)

◆『売れればよし』とする週刊誌のやりかたは通用しない

それにしても「週刊大衆」よ。白鵬は、まだまだ引退しない。

「希望は大阪場所で13勝した照ノ富士です。彼が横綱になって白鵬のライバルとなって壁にならないとおもしろくない。遠藤も逸ノ城も人気ばかりが先行して、実力が追いついていってませんからね」(同)

つぎのつぎの場所くらいで、照ノ富士が大関になっているのは、まず間違いないだろう。

「それにしても、週刊大衆は早まった見出しを打ちましたね。白鵬は、日本で部屋を持ちたいと希望しているのは、相撲関係者なら、誰でも知っていること。ましてや相撲協会とこじれたまま引退なんてバカなことをするような男でもない。もういいかげんに『売れればよし』とする週刊誌のやりかたは通用しないのではないかね」(同)

そのとおり。またも白鵬の勇姿がしばらく楽しめる。残念ながら「週刊大衆」の心配はまったく空振りに終わったようだ。さあ今度は、どの誤報を斬ろうか。記者のみなさま、ご注意あれ。うししししし。(鈴木雅久)

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大阪発の映画『60万回のトライ』で知ったラグビー界の自由と公平

『60万回のトライ』という映画を昨年秋、京都の映画館に観に行った。この映画は大阪朝鮮高級学校(略称:大阪朝高)ラグビー部の活動を追ったドキュメンタリー映画だ。大阪朝高は毎年のように全国高校ラグビー選手権に大阪代表として登場する強豪校だが、民族学校である同校がどうして長期に渡り強さを保っていられるのか以前から興味があった。

普通の高校であれば部員の確保は難しいことではないだろうが、民族学校なのだからおのずと在校生の数も限られるだろうし、大阪にはラグビー強豪高校がひしめいている。そんな状況で毎年冬の花園(高校ラグビー選手権が行われる会場)で活躍する同校のドキュメンタリーは監督、朴思柔、朴敦史両氏の手により完成された。

◆満席の劇場で民族学校小学生たちと一緒に大阪朝高の映画を観る

気が向いて出かけた映画館は座席数が100席ほどだと分かっていた。平日でもあり時間ギリギリに行っても充分に座れるだろうと思ったが、初めて足を運ぶ映画館でもあったので少し早目に到着した。すると狭い通路には長蛇の列が出来ている。その日は上映の最終日だったから、駆け込みで観客がやって来たのかと思ったがそうではなかった。

数分列に並びようやく入場券販売カウンターにたどり着いてチケットを求めようとしたところ「申し訳ございません、本日団体のお客様が入りまして今満席なんです」と言われてしまった。せっかく遠くから来たのでそのまま帰るももったいないと思い「立ち見でもいいですから入場できませんかね」と聞いたところ「少々お待ちください」と売り場の方がどこかへ消えていった。程なく「今確認しましたら1席だけ空席がありましたのでご入場いただけます」とのことで、広くはないものの満員の館内に入ることが出来た。

上映10分ほど前に着席して入場券を求めた時にもらったこれからの上映作品の案内などを読んでいると、制服を着た小学生が大挙して入ってきた。小学生達は行儀がいいけども、時々口にする言葉は日本語ではない。民族学校の小学生が社会見学か何かでこの映画を観きたのだろう。私の両横も小学生が座っている。

大阪朝高の映画を民族学校小学生に囲まれて観ることが出来るとは想像もしなかった。映画の内容は勿論楽しみだけども、この小学生達がどんな反応を示すかというもう一つの楽しみにも恵まれ。さらに上映直前に映画館の方が「今日は団体の方々にお越しいただいて一般の方々には窮屈でしょうがお許しください。上映後に監督朴思柔、朴敦史両監督からご挨拶がありますのでお楽しみに」と言う。監督の話まで聞けるとはこれまた予想外の幸運だ。

映画は見る環境で作品自体だけではなく、その作品が上映されている空間や社会の雰囲気も感じるものだ。30年近く前に「クロコダイルダンディー」という映画をオーストラリアで観た。豪州で人気のポール・ホーガンが主役で、オーストラリアの田舎出身の主人公がニューヨークで様々なドタバタに直面するコメディーだ。たぶん日本やその他の国で上映されても館内はあれ程沸かなかったに違いない。確かに面白いシーンははあるが、それ以外のどうでも良さそうな場面でも聴衆は笑いっぱなしだった。

同じころ「Platoon(プラトゥーン)」というオリバー・ストーン監督のベトナム戦争を描いた映画をニューヨークで観た。この映画はオリバー・ストーンが監督をしていることで推測されるように、決して「米国万歳」の戦争奨励映画ではなく、むしろ負の面を強く描いた作品だったが、白人がほとんどを占める映画館では米国軍人がベトナム農民の足元に機関銃を乱射し農民がそれを怖がるシーンでのみ拍手と歓声が上がり、いたく違和感を感じた記憶がある。

◆「パッチギは絶対あかんぞ!」は健在だった

そして『60万回のトライ』が始まった。花園で実際に見たことのある選手たちが多数映し出される。ラグビー部の活動だけでなく、日常生活の喜怒哀楽が描かれる。詳細はまだ上映中なので省くが、圧巻だったのは大阪朝高運動会での騎馬戦のシーンだ。審判の先生が両チームに注意を与える。記憶があいまいだけれども「殴ったり、蹴飛ばしたり、パッチギは絶対あかんぞ!」先生がそのように宣言した後に行われた騎馬戦は圧巻の一言に尽きる。目にしたことのない力と粘りと迫力に満ちていた。何よりも本当に「パッチギ」は健在なんだなぁと、微笑ましかった(「パッチギ」は「頭突き」の意味で井筒和幸監督による映画の作品名でもある)。

上映後、両監督のお話が日本語であった。朴思柔監督は「撮影途中病を患いながらもこの作品を完成させることが出来たのは、京都の協力者のお蔭です」と、観客の何人かの名前を挙げて謝辞を述べた。また小学生の観衆に向かい「どうでしたか? お兄さんたちかっこよかったでしょ?」と語りかけた。小学生たちの反応はおしなべて穏やかでお行儀が良かった。興奮したり舞い上がったりしている様子はない。小学生が理解するには少しハードルが高かったのかもしれないが貴重な経験になったことだろう。

◆国籍にかかわらず日本代表選手になれるラグビー界の自由と公平

時は過ぎて昨年11月30日、関西大学ラグビーリーグの実質的決勝戦、関西学院対京都産業大学が京都宝ヶ競技場で行われた。そこには『60万回のトライ』に出演していた選手たちが主力選手として両大学に在籍し、観客席には大阪朝高ラグビー部呉英吉監督の姿があった。

知人に後日聞くまで知らなかったが、ラグビーは国籍にかかわらず日本代表選手になれる。大阪朝高にも20歳以下日本代表に選出された選手や候補が多数いる。どこかの偏狭な国とは思えない公平なルールだ。ラグビーが素敵だなと思った。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎関西大で小出裕章、浅野健一、松岡利康らによる特別講義が今春開講!
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自粛しない、潰されない──『紙の爆弾』創刊10周年号発売!

《大学異論35》大学生は立派な「大人」──社会に翻弄されない問題解決能力を!

新学期が始まった。入学式を終え、新たな学校生活をはじめた皆さんに、まずはお祝いを申し上げる。

小中学校や高校の入学式は先週末に集中していたようだが、大学の入学式は近年圧倒的に4月1日から4日が多い。その理由は文科省からの指導で講義科目は必ず前記、後期各15回ずつ実施しなさいというお達しが定着してきたからだ。

大学入学後、新入生には授業のとり方や学生生活の送り方などオリエンテーションが行われるが、それらを悠長に行っていると前期のうちに15回の講義回数を確保することが困難になるので、大学としては入学式は早めに実施したいのだ。そのあおりを受けて上級生のオリエンテーションは3月中に行う大学も珍しくないほどだ。

◆「一般教育」の消失──カリキュラムを組む自由度は増したものの……

大学で学んだことのある40代半ば以上の年齢の方にはご記憶があろうが、かつて大学の科目は「一般教養」と「専門科目」に分かれていてそれぞれ決められた単位数を履修しないと卒業することができなかった。が、文部省が「一般教育の大綱化」を打ち出して以来「一般教育」という概念は実質上消え去り、各大学がそれぞれの創意によりカリキュラムを組む自由度が増した。さらに講義科目は通年(前記後期)受講して4単位を得るのが一般的だったが、現在はほとんどの大学が半期で15回の講義を実施し2単位を与えるという形に変化している。

通年の科目を取ってはみたものの、いざ講義に出るとその内容が期待していたものとは違い「しまった!」と思っても履修講義の変更などは認められなかったが、今では半期間の講義であっても1度講義に出て気に入らなければ科目を変更できる「履修変更期間」を設けている大学が多い。学生にしてみれば履修登録に際して一度は変更可能なので「気楽に」履修登録をすることができるようになったというメリットがあるが、もう慣れたとはいえ、大学職員にすれば4月当初の忙しい時期に面倒くさい仕事が定着したというえる。

私は気に入らない科目であろうがわずか半期間のことであるし、一度履修登録をすればそれを我慢しながら聞くほうが学生にとっては勉強になるのではないかと考え、職員時代に「履修変更期間」反対の議論をしたことがあるが、もう「履修変更」は学生にとって当たり前の権利のようになっている。

◆学生の成績を親や保証人に知らせるのは、大学側のリスク回避策

さらに、学費支弁者(多くの場合保護者)へ学生の成績を知らせることも普通に行われるようになった。大学で学んでいるのは学生だけれども、学費を出しているのは学生ではない「学費支弁者」なのだから、学生の勉学状況を伝えておくのが「お客様」へのサービスというわけだ。

確かに下宿をしている学生がろくすっぽ単位をとれずに4年生を迎えてしまい、「学費支弁者」が卒業間近になりその惨状を知るところとなり、親子や大学も巻き込んで「いったい何してたんだ!お前は!」とてんやわんやの騒ぎが起こることは年中行事の一つだったので、予め学生の単位習得状況を「学費支弁者」に伝えておくことはまったく無意味ではないだろう。

だが、それを行ったからといって単位未履修の学生が激減したわけではない。「学費支弁者」に成績不良を伝えたところで、学生の成績不振が解消される保証はない。親子の間で「指導」や「叱咤」がなされる関係にあれば事態は改善するのかもしれないけれども、そう簡単にことは進まない。大学が学生の「成績」を「学費支弁者」に知らせるのは、後々大学への苦情が持ち込まれることを回避するための「予防線」である意味合いのほうが大きい。

◆日本学生支援機構の2種奨学金は利息付の「ローン」だから極力避けるべし

また、昨今の不況と学費の高騰により学費を奨学金に依拠している学生は増すばかりだ。日本学生支援機構の1種、2種奨学金を「自宅外」で満額受給すると月額20万円を超える。この額があれば、アルバイトをプラスして学生は自分で学費や生活費を賄うことができる。もっとも日本学生支援機構の奨学金、特に2種は「奨学金」と名前がついてはいるものの実際には利息付の「ローン」なので極力使わないようにお勧めしたいが、そうはいっても各家庭や学生の考えもあろうから私が強制することはできない。この場合「学費支弁者」は学生本人なのだが、それでもほとんどの大学は親なり保証人に学生の成績を送っている。「個人情報保護法案」について大学は過度といっていいほどに敏感になっているが、反面このような成績送付についての議論はあまりなされない。

◆大学は学生を「大人」として育て、学生は問題解決能力を身に着けること

入学直後の学生は現役であれば18歳、まだ未成年だけれども4年生になれば法的にも成人である。大学の卒業については学生本人が自分で解決するか、そうでなければ大学に早めに相談して何とか対策を取るのが「大人」としての行為だろう。

大学の基本的任務は公開しているカリキュラムに沿って学生にその専門に応じた高等教育の名にふさわしい知識と能力を授けることだが。それ以外にも明文化はしていないけれども社会的な責務があろう。それは学生を「大人」として育てることだ。学生が学ぶ場所の中心は教室の中だが、それ以外にも高校までとまったく異なる学習・生活環境の中で人間関係を育んだり、問題解決能力を身に着けることは高額な学費を払っている以上、極めて大切なことだ。そしてそれは学生にその意思があれば確実に可能なことだ。

◆近畿大入学式での「つんく♂」メッセージは真っ当だった

4月4日、近畿大学の入学式に同大学の卒業生である「つんく」氏が登場し、自身が喉頭がんの手術のために声を失ったという話題が大きなニュースになった。「つんく」氏のご病状には痛み入るし、カクテル光線が入り乱れる入学式には正直違和感を感じたけれども、「つんく♂」氏も7分近いメッセージの中で私が前述したような内容を文字で伝えておられた。

大学に入学した皆さん!「大学生」は立派な「大人」だ。先の明るくないこの社会を見つめ、それに対するのはあなたたちの「権利」であり「義務」でもあることをお伝えしたい。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎関西大で小出裕章、浅野健一、松岡利康らによる特別講義が今春開講!
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◎不良と愛国──中曽根康弘さえ否定する三原じゅん子の「八紘一宇」

自粛しない、潰されない──『紙の爆弾』創刊10周年号発売中!

 

自粛しない、潰されない──『紙の爆弾』創刊10周年記念の集い報告

4月7日午後6時30分から、鹿砦社が主催しての『月刊「紙の爆弾」創刊10周年記念の集い』が東京・水道橋のたんぽぽ舎で催された。一般の読者の方も参加し、90人を超える参加者たちで会場は熱気にあふれていた。

中川志大「紙の爆弾」編集長
中川志大「紙の爆弾」編集長

冒頭、この10年をふりかえって中川志大編集長がこう話した。

「創刊から一貫して約束していることは、『自粛をしない』ということです。松岡社長の逮捕が創刊直後(2005年7月12日)にあり、さまざまな方に助けていただいてやめるにやめられなくなりました。助けていただいた方に感謝していますし、これからも雑誌の方向性として『自粛していかない』というスタンスをとりたいと思います」

◆「コンビニに置いてもらえるように部数増を!」(ミサオ・レッドウルフさん)

また、この日のメインゲストである反原発活動家のミサオ・レッドウルフさん(首都圏反原発連合)は、反原発活動の現状をつぶさに語る。とりわけ、出版関係者が多いからか、「メディアと運動論」という話になっていく。

ミサオ・レッドウルフさん(首都圏反原発連合)
ミサオ・レッドウルフさん(首都圏反原発連合)

「インターネットの使いかたがこれから大切になってきます。みんながメディアになれるので、誹謗中傷だけしている人もいれば、まっとうな意見もある。これからネットは改革しだいでテレビや新聞を超えるメディアになっていく可能性があります。使いかたしだいでは、おもしろいと思うのです。自分たちでは、何もできないことがある。みんなで声をあげていくことが大切なのです。一番、大切なのは『意志の力』です。それと、いつも思うのは、新聞などで選挙前に『どの党を支持していますか』と聞く世論調査を止めてほしい。あれこそ誘導だと思います。あれで(多勢に無勢と)諦めて選挙に行かないという人が増えていると思います」

また「NHKはダメだ、などメディアをひとくくりにしてはいけないと思う。大手の新聞記者なども隙間を縫ってなんとか反原発について書こうとしている人もいる」とした。さらに『紙の爆弾』については「なんとかコンビニエンスストアに置いてもらえるように部数増を」とエールを飛ばしてくれ、喝采が起きた。

◆「事件を乗り越えて、鹿砦社も『紙の爆弾』もむしろ元気になった」(松岡利康社長)

松岡利康鹿砦社社長

この日、鹿砦社の苦境を支えた業界人や弁護士、ライター、印刷業者などたくさんの心ある方が集まっていたが挨拶にたった松岡利康社長は、

「私が逮捕されるという事件がなければ、今『紙の爆弾』はなかったかもしれない。あの事件を乗り越えて、鹿砦社も『紙の爆弾』もむしろ元気になった。今『紙の爆弾』から派生している反原発雑誌『NO NUKES voice』も一層の充実を図っていきたい。あんな事件を起こして、なおかつ再稼働させようというのは常識外だし、子供を安心してプールで泳がせることもできない事態にしてはいけない』と気を吐いた。

また、レッドウルフさんの講演が終わってから、鹿砦社を支えた人たち、鈴木邦男さんや、元赤軍派議長の塩見孝也さん、ライターの板坂剛さんや星野陽平さんなどが次々とスピーチを述べていた。

◆10年前の7月12日──「これは不当逮捕だ」と直感した

鹿砦社を支える人たちに囲まれつつも、僕は2005年7月12日を思い出していた。

「松岡社長が逮捕されたみたいよ」と、テレビのニュースを見て妻が僕に伝えたのは午前10時を少し回ったくらいだった。

いくつか原稿を受注していたので、中川編集長にあわてて電話したが、あとで聞くと検察が東京支社に来ていたせいか、なかなか繋がらず、ようやく11時30分頃、「大丈夫ですか」と聞くと「ありがとうございます。とりあえず状況が把握できていないのであらためてお伝えします」という答えが返ってきた。

様々な情報をかき集めると、パチンコ会社のアルゼ(現ユニバーサルエンターテインメント)、プロ野球チーム・阪神タイガースの元職員を中傷したというのが容疑の内容で、名誉毀損で逮捕された、という。

憲法21条には「表現の自由」が定められており、日本ほど言論の自由が保障される国家はないと信じてきた僕は、少なくとも直感的に「これは不当逮捕だ」と感じた。『紙の爆弾』が創刊された頃、メディアの訴訟は名誉毀損で基準が300万円となっており、これもメディアが萎縮する原因となっていた。僕自身は、「なんでも書いていい」というスタンスの『紙の爆弾』に、濁流の中に立てた旗のごとく佇む「孤立性と強さ」を感じていた。その姿は、「今が潮時」とさっさと休刊した『噂の真相』とは対称的だった。ただし、僕自身は、何度も『噂の真相』を引き継ぎたいと岡留氏に談判していたが。

その『噂の真相』の岡留編集長も(すでにリタイヤしていたが)「これは不当逮捕である」と松岡社長の逮捕時にテレビでコメントを出した。

◆「戦う意志の集積」としての言論メディアへと変貌していった『紙の爆弾』

1審の神戸地裁は松岡社長に「懲役1年2カ月、執行猶予4年」の有罪判決を言い渡している。松岡社長側は「この裁判は無罪でなければ意味がない」として直ちに控訴した。

こうした間『紙の爆弾』は単なる「タブーなきスキャンダルマガジン」ではなく「鹿砦社として戦う意志の集積」としての言論メディアへと変貌を遂げていった。

逮捕直後、「いつギャラが出るかわかりませんよ」と中川編集長はライターたちに告げた。鹿砦社は経営的にも煮詰まり、いつ再び前進するかわからぬ暗礁に乗り上げたのだ。このとき「それでもかまわない」とした人たちが、今、鹿砦社を支える人たちとなった。

僕自身も「ギャラなんかいつでもかまいませんよ」と返答した。払ってもらうにこしたことはないのでやせ我慢だ。ただ、「このままわけがわからない権力なるものに負ける」ということは、今後も言論が制限される可能性を示す。鹿砦社の戦いは、他人ごとではなかったのだ。もちろん、僕は中川編集長や松岡社長ほどの苦労は浴びていないが。

◆「人を嵌めようとすると自らも嵌められる」(松岡利康社長)

「ふざけるなよ。鹿砦社とかかわってとんでもない目にあったよ」と吹聴するふざけた輩もいた。今、思えばこのとき去っていった人たちは、業界そのものから軒並み姿を消した。そんなものだろうと思う。

「雨天の友」こそ、味方としてそばに置くべきなのだ。そしてあの逮捕は「本物」を洗い出したのだ。

あの2005年7月12日に松岡利康社長を取り調べた大坪弘道 は、後に大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件において、懲戒免職となり、大阪地裁は大坪に懲役1年6月、執行猶予3年の有罪判決を言い渡している。また、手錠をかけた宮本健志(たけし)・徳島地検次席検事 は深夜に酔っ払って市民の車を蹴り戒告処分を受けた。

鹿砦社を追い詰めたかに見える悪徳パチンコ業者のユニバーサルエンタテイメント(旧アルゼ)はフィリピンのカジノにおける賄賂問題でFBIの追及を受けている

松岡社長は「人をはめようとすると自らもはめられる」と語る。因果応報とは、彼らのためにあるような言葉だ。

鹿砦社は事件を乗り越えて「蘇生」したのだ。その象徴が、『紙の爆弾』なのである。(小林俊之)

◎『噂の眞相』から『紙の爆弾』へと連なる反権力とスキャンダリズムの現在

◎反原発の連帯──来年4月、電力は自由化され、電力会社を選べるようになる

◎追跡せよ!731部隊の功罪──「731部隊最後の裁判」を傍聴して

自粛しない、潰されない──「紙の爆弾」創刊10周年号発売中!

 

 

《大学異論34》大学教員になるために「免許」がないことは良いことだ

小学校、中学校、高校で教師として教壇に立つためには「教員免許」を取得していなければならない。幼稚園や保育園は地域により「幼児園」への統合の動きがあるが、やはり「幼稚園教諭」や「保育士」といった資格を保持していることが条件となる。「教員免許」はあくまで「資格」であり、それを取得したからといって教師や保母の職場が約束されるわけではなく、採用試験を受験して合格しなければ職には就けない。

このように教壇に立ったり幼児教育にかかわるには「教員免許」が必要だが唯一例外的に「教員免許」がなくとも教鞭をとることができる教育機関がある。
大学(短期大学も含む)である。

◆「大学教員免許」は存在しない

例外的に、大学(新設の大学を含む)が新しい学部や学科を設立する際には文科省による「認可」を受けなければならず、その際には施設、財政計画、教員の資質などが審査されるため、担当予定の科目に相応しい学問的業績や研究成果がある人物であるかどうかが見極められる。

文科省(実際は文科省が委嘱する諮問委員会)から研究業績不足などを指摘されると就任予定であった人物を入れ替えなければならない場合もある。このように新設大学や新設学部の教員として働くためには「例外的」に「外部の目」により審査を受けることになるが、大学は設置後4年(短期大学は2年)を経過すると「完成年度」と呼ばれる「文科省からの厳しい監視下」を外れるので、教員の採用なども 大学独自の判断で行うことができるようになる。

「大学教員免許」は存在しないから、大学は極端に言えば「誰を」採用してもよい。近年は博士号取得者の増加により、「学位」(博士、修士)重視の傾向が顕著だが、それでもある分野で秀でた仕事をしていると認められたり、あるいは世に名の知れる仕事をなしたりした人で「学位」のない人が大学教員に就任することはある。東大名誉教授で建築家の安藤忠雄氏は工業高校卒業で大学を出てはいないし、大阪芸術大学芸術計画学科教授で元マラソンランナーの増田明美氏も最終学歴は高校卒だ。

安藤氏のように建築家として十分に名前が売れた後に大学からお声がかかるケースと、増田氏のように専門領域というよりは単に「知名度」から就任にいたるケースもある。

◆問題が多い「公募」という名の「出来レース」採用教員たち

前述のとおり近年通常のルートで大学教員を目指せば、一定以上レベルの大学では「博士号」がほぼ必須という時代に突入し、教員を目指す方々にとっては非常に厳しい時代である。が、時折不思議な人事を目にすることがある。

多くの大学は教員採用にあたり、応募者の学位(博士、修士、学士、あるいは学位「ナシ」)、研究業績、教歴(過去教鞭をとった実績)など総合的に判断し採用を決める。有名大学であれば教員募集をかけると100名近くが応募して来ることも珍しくはないが、何故にこの人が採用されたのかと首をかしげるケースがある。

そのようなケースのほとんどは「公募」の形を取りながら、実は採用する大学が内々に最初から採用予定者を予め決めている「出来レース」である。そこで採用される人物はその他の一般応募者に比べて業績や教歴で見劣りしていても、なんだかんだ理由をつけて採用される。わかりやすく言えば「縁故採用」のようなものだ。

企業でも「縁故採用」された人間にまともな奴がいないのと同様、大学教員でも「縁故採用」で職を得た人間はほとんどといっていいほど、その後研究者として業績が伸びないし、学生の指導についても問題を発生させることが多い。

もとから学者としての能力がそれほど高くないので、学内政治に熱心だったり、誰でも金さえ払えば加入できる「学会」に数多く所属して「見栄え」は取り繕おうとする。でも肝心な研究者としての質がいつまでたっても成長してこない。こんな教員をあてがわれた学生は不幸としか言いようがない。

私は大学教員に「資格」を設けていないことは良い事であると考える。「資格」といった画一的な基準ではなく大学個々の哲学や姿勢が教員採用の実態で明らかになるので、内実を評価しやすいからだ。それに「学位」取得者は確かに相応の努力と専門知識を身につけているけれども米国の私学などでは金さえ払えば「博士号」を気軽に出してくれる大学はいくらでもあるという事情もある。

◆文科省選定の「スーパーグローバル大学」=「独り立ち」出来ていない大学

教育機関(とりわけ高等教育機関)は行政からの縛りが少ないにこしたことはない。文科省が教育内容に嘴を突っ込んでろくな結果が出たためしがない。最近では懲りもせずに「スーパーグローバル大学」の選定に熱心なようだが「スーパーグローバル」といった「間違った英語」を冠した文科省の施策に乗じようとせっせと努力する大学は、本質的に「独り立ち」出来ていない大学「独り立ち」出来ていない大学と言っていいだろう。

教員も大学も個性豊かで多様な方がいい。パソコンとスマートホンが学生の生活を1日何時間も拘束する時代においては、せめて人間には多様性があることを示した方がためになるだろう。だから「大学教員免許」がないことを私は歓迎する。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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