さいたま市立指扇中学校長に直接聞いた「憲法より礼儀が大事」の真意

さいたま市立指扇(さしおうぎ)中学校の「学校だより」7月号に新井敬二郎校長が「憲法より礼儀が大事」と題した文章を作成し生徒に配布していたことが判明した。私の手元には問題の「憲法より礼儀が大事」はないので、7月3日午前電話取材で新井敬二郎校長に詳しい経緯と見解を伺った。

◆「私には憲法軽視の気持ちは全くありません」

新井校長は開口一番「私には憲法軽視の気持ちは全くありません」と前置きし、「指扇中学の生徒は最近礼儀正しいと近隣住民からお褒めを頂いていることもあり、そのことへの賞賛から文章は始まっている。夏休みを前にして益々精進しようと激励の気持ちで前プロ野球監督の野村克也氏の著作から当該部分を引用した。『礼に始まり礼に終わる』は特に素晴らしい言葉だと考えた」とのことだった。

新井校長は長くソフトボール部の顧問として活躍し埼玉県内では指導した中学では県内でかなりの好成績を収めた実績の持ち主でもある。「学校だより」5月号も陸上で近年活躍をする愛知県の豊川高校の例を挙げ「どうやったら勝てるか」などの実例が紹介されている。

◆「今考えると軽率だったと思います」

それにしてもなぜ、わざわざこの時期に野村氏の引用でなければならなかったのだろうか。新井校長は「憲法軽視ではない」と仰ったけれども、憲法と礼儀を同等(正確には憲法が礼儀より価値的には下位とする)文章を何故中学生に配布したのだろうか? 中学校の校長先生だから話し方は穏やかだったが、新井先生に悪意はないものの、「遵法」意識は極めて希薄だったと言わざるを得ない。

「今考えると軽率だったと思います。ここで『憲法』の部分を削っておけば良かったんですね」と新井校長は語ったが、表題自体が「憲法より礼儀が大事」となっているのだからこの文章を掲載するにあたって新井校長が現在の戦争推進法案を一顧題しなかったとは考えられない。

新井校長に対しては、さいたま市の教育委員会が既に電話で事実確認を行っており、3日午後、新井校長本人が直接教育委員会へ赴き事情を聞かれるとのことだ。新井校長は「始業式の際に生徒には改めて真意を説明するなりしなければいけないですね」と言われたので「始業式が行われる時にはもう『安保関連法案』が成立していたらどうなさいますか? 尊敬する新井校長先生から『憲法より礼儀が大事』を教わった生徒さんの中には夏休み中に保護者にその話をする人もいるでしょう。早急に訂正文を出されてはいかがですか」と伝えると「そうですね」と黙り込んでしまった。

話をしていて新井校長は生徒指導に熱心な先生だということは理解できた。しかし問題は中学、高校の教育現場でこの時代「熱心」とされる教師の中には「礼儀」、「校則」を守ることを熱心に教える先生は沢山いるけれども、その先生たちの大半は日本国憲法を本気で読んだことがある人が殆どいないことだ。

◆「教育指導要領」の憲法軽視

教員採用試験受験の為には大学の資格課程で「憲法」が必須だから今教育現場にいる先生方は「憲法」について大学時代に講義は受けている。資格課程は採っていなかったが私も「憲法」は受講した。しかし大学で「憲法」の講義を受講したことが、現在問題になっている「改憲策動」を理解する材料になるかと言えば、それはかなり疑わしい。

また「礼儀」、「校則順守」に熱心な先生の中には、「遵法意識」から逸脱してしまう先生もいる。「親や家族を大切にしろ」と教えるのはいいけれども、その教材に某右寄り宗教団体のパンフレットを配布して校長に注意された先生は確かに「生徒指導」には熱心な先生ではあった。

問題の核心は初等教育(小学校)中等教育(中学・高校)で教育の指針となる「教育指導要領」に実際の社会生活で重要な法律について教えることが殆ど記載されておらず、従って普通科高校を卒業した人でも「刑事事件」と「民事事件」の違いを明確に説明が出来ないほど「法律」についての教育が手薄だということだ。

◆諸悪の根源は「教育基本法」と「教育指導要領」で教育委員会を縛る文科省

実はこれは大問題で「基本的人権」に属する「逮捕された際の黙秘権」や「接見交通権」などを実践的な知識として持ち合わせている大学生は少数だ。本来ならば義務教育の段階でこの様な「基本権」は教えられるべきだと思うが、それを譲るにしても高校卒業までには教示されておくべき内容ではないか。学校を卒業して仕事に就いたら誰もその様な知識を教えてはくれない。

逆に言えばそのような初歩的な法律も中等教育では教えないし、教育指導要領は改悪された教育基本法に沿ってどんどん「国家に奉仕する」国民養成に邁進しているから教育現場でも「憲法よりも礼儀が大事」という実践的な本音が飛び出すのだろう。

たしかに中学校の中だけで生活している限り、生徒にとって「憲法」は差し迫った課題ではないのかもしれないが、それは生徒レベルの感覚であって校長先生が率先してこのような意見表明をしてはならない。

教育現場は先生たちが忙しくて残業過多のようだ。ヒラの先生から副校長(教頭)、校長までが雑務に追われているという。文科省が押し付けてくるどうでもよい「統計」や「資料」の作成に膨大な時間を割かれ、本務である授業準備や教材作成が後手に回ってしまうと嘆く先生が多い。

改悪された「教育基本法」とそれに準拠する「教育指導要領」の縛りはてきめんで、各市町村の教育委員会はこれにビビりきっている。猛暑だから頭がヒートして「憲法よりも礼儀が大事」と中学校長は間違えたのではない。

文科省、教育指導要領が暗にそれを期待しているのだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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◎なぜ安倍政権には「正論」が通じないのか?──加速度を増す日本の転落

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極東戦線異状なし!?──放射能や戦争法案に鈍感すぎる若者たちと遭遇して考えた

自分の怪我は痛い。指先を数ミリ切っただけで気になって手仕事が進まなくなる。たったそれだけの怪我でも鬱陶しいものだが、横で仕事をしている人に「指先を切ってね、仕事が進めにくいんだ」と言うほどの大事ではない。でも横の同僚が気遣いの細かい人だったらあなたが何を語らなくてもいつも通りではないあなたの仕草に気が付き「どうかしたの?調子悪そうだけど」と声をかけてくれることがあるかもしれない。

これは注意力(洞察力)が繊細かどうかという個性に起因する反応だが、その上であなたが「ちょっと指先を切ってね」と言った時に「ああそう」と答えが返って来るか「あらら、ちょっとの事でも指先の怪我は気になるよね」と声をかけてくれるかは「感性」(想像力)に属する反応と言えよう。他者の「痛み」を自分も想像して共感できるか、あるいは「他人の事は他人の事」とそこで思考停止するかは社会的な問題に対する態度にも繋がって来るだろう。

◆徐々に迫ってくる危機を自分の生命の危機と繋げて想像すること

私達の多くは戦争の実体験はない。でも同時代に他国で実際に戦争が起こっていることは知っている。また私達の多くは「直ちに健康に影響はない」(言い換えれば「いつかは健康に影響が出るかもしれない」)放射能がばら撒かれた島国で生活していることを感性の鈍くない人ならば意識をしている、と思っていた。

でも私の見込みは随分外れていた。私のようにもうどうでも良いほど年を取っている人間よりも若い人々が将来に対して不安が強いのではないか、と心配しながら想像していたが若者の多数は私が心配するよりも放射能に対して脅威を感じていないことを知らされる機会に直面した。

若者に原発や放射能について語り掛ける人の前で多くの若者は眠そうにしていたり、露骨に居眠りをしていた。

「おいおいお前達! 被害を食らうのは君たちだという話をされて、それでも居眠りしていられるのか・・・」と私は内心少し腹も立ち、それ以上に彼らは大丈夫だろうか、と心配が湧き上がってきた。自分の生命の危険に関わることに生物は敏感で、それを回避しようとするのは、考え方や思想と言ったレベルの話ではなく「反射」に近いはずだと考えていた。目に見えない危機だから若者は危険性を察知できないのだろうか。危機は目に見えるまで察知されないとすれば、放射能に限らず事故や伝染病について彼らはどう反応するのだろう。

ましてや「戦争」といった現実に起きているけれども、「自分の目の前にはない」ことが徐々に迫っていることを彼らは自分の生命の危機と繋げて想像することができるだろうか。

◆ソウル・フラワー・ユニオンの「極東戦線異状なし!?」

私は歳を取ったと痛感する。このようにグタグタ考えることは大学に勤務している時はなかった。学生が「戦争」についての関心が薄ければ直接語り掛けたり、その非道さを示す証拠を示したりして少なくとも私なりに感じる危機を伝えようと試みたものだが、それに割くエネルギーが徐々に枯渇してきているとの実感がある。要する私自身がどんどんダメになってきているのだ。

だがやはりこれだけ明確に迫りつつある「戦争」についてはそのおぞましさを伝えるのが義務の様な気がして(ここが私の往生際の悪いところだ)逃れることが出来ない。「戦争になったら君達が一番最初に戦場に連れて行かれるんだよ」、「戦場では『人殺し』が義務なんだよ。敵前逃亡すれば見方から撃ち殺されるんだよ」、「指先を数ミリ切ってもチクチク痛いけど、砲弾の破片が体に刺さると取り出しにくくて、寝ることが出来ないほどの痛みが続くんだよ」・・・・。

やはり絞り出す言葉に迫力がないなぁ。こんな陳腐な言葉にはきっと反応してくれないだろうな。私の「伝達力」は日々低下しているのだろう。彼らの「想像力」はどうなっているのだろうか。言葉を吐けば吐くほど自分の脳髄や感覚までもがどんどん摩耗していくのではないかと、こちらの方が心配になる。情けない。

ソウル・フラワー・ユニオンに「極東戦線異状なし!?」という楽曲がある。「極東戦線異常発生」の今日この曲はどのように聞こえるだろうか。


◎[参考動画]ソウル・フラワー・ユニオン「極東戦線異状なし!?極東戦線異状なし !? ALL QUIET ON THE FAR EASTERN FRONT !?」(2004年6月11日)

戦争推進法制が仮に成立すれば、数年以内に確実に戦争がやって来る。自分が戦場に赴くことなど金輪際ない政治屋どもが決める悪法は「君たちを片道切符で戦場へ送り出す」ための準備以外の何物でもない。考えよう。想像しよう。私は「戦争」で誰にも死んでほしくない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎「不逮捕特権」を持つ国会議員は「体を張って」安保法案を阻止できる!
◎安保法案強行採決!「大きな嘘」で日本政治をレイプしまくる安倍話法の本心
◎3.11以後の世界──日本で具現化された「ニュースピーク」の時代に抗す
◎「目が覚めた」人たち──抗議行動はいろんなカタチがあっていい

『慨世(がいせい)の遠吠え  強い国になりたい症候群 内田 樹 鈴木邦男 対論』

 

不良競馬ライター、30年ぶりに大井競馬場で勝負してみた

僕は、人生で3度、競馬に仕事として携わった。

一度目は、学生のときに、大井競馬場で警備のアルバイトをした。
負けた客は気性が荒く、人をつき飛ばして歩いていたり、いち早く無料送迎のバスに乗り込みたくて、ダッシュで駆け込むのを注意して、殴られそうになるなど、とても危険なバイトだった。

二度目は「東京中日スポーツ」という新聞社で記録係のアルバイトをしていたときに、記録すべき対象として見ていた。具体的な仕事としては、予想でもなく現場のルポでもなく、「その日の戦績」をひたすらフォーマットに流していくのが仕事だ。確か「武豊の恋人」と呼ばれたシャダイカグラが89年に桜花賞、ローズステークス、ペガサスステークス、そしてJRA最優秀4歳牝馬を受賞した年で、JRAは人気絶頂の中にあった。

とりわけ、なんのレースであれ、一直線に並んで突っ込んでくる前から撮影したアングルには、感動のひと言。そして、社会人になり、編集プロダクションにいた僕は『競馬の達人』という光文社の雑誌の競馬企画を作ることになった。とはいうものの、僕よりも競馬に詳しいライターが当時二人もいたので、制作進行にまわることになった。

このときにたてた企画は、おもしろかった。
「競馬で負けた客は、もしかしてくじ運まで悪いのか。帰りがけアミダくじ勝負!」
「3位が定位置、ナイスネイチャという生き様」
「土曜3時の天使、斉藤陽子に密着取材」
などなど、変化球ばかりの企画だったが、負けた人たちが本当にくじ運が悪いのには驚いた。確か20人にやってもらって、くじで勝ち抜いて図書券をもって帰ったのはひとりだけだったような気がする。

◆若いOLたちもやってきて、すっかりおしゃれになっていたナイター競馬

そして30年の時を経て、大井競馬場にやってきた。
浜松町からモノレールで大井競馬場駅へ。駅を降りるとそこはもう馬舎が連なっており、馬糞の匂いが鼻をつく。
実はナイターで競馬を一度は見てみたいと思っていた。
かつてよりは食堂も、パドック周辺もきれいに整備されて、夜になるとライトアップがとてもおしゃれだ。若いサラリーマンたちが男女混合でビール片手にゴール前に陣取っていたり、若いOLがふたりで競馬新聞を片手にやってきているのにも驚いた。

果たしてこの日、大井競馬場には、イメージキャラクターの剛力彩芽が来ており、レースの合間にファンに向けて話をしていたが、「実は競馬はよく知りません」とのたまい、ファンに「ひっこめ」とヤジを飛ばされる始末。

地方競馬だと舐めてかかってはいけない。この日もメインレースには、中央競馬の武豊が騎乗して、5番人気の馬をうまく操り、2位にすべりこませていた。

そして、8Rから11Rを100円ずつちびちびと買い、トータルではマイナス150円。感想としては「仕事ではなく、手ぶらで競馬をやるとこんなにも楽しいのか」が、正直なところだ(こうして書いているので、仕事になってしまったが)。

もしチャンスがあれば、今度はゴンドラ席に陣取ってみたいものだ。

◆ゴールドがまさかのスタート失敗

28日の阪神競馬場における「宝塚記念」をたまたま見ていたが、ものすごいことが起きていた。
————————–スポニチ・アネックスより———————–
【宝塚記念】ラブリーデイG1初制覇!ゴールドまさかの15着 スポニチ・アネックス 6月28日(日)16時10分配信
<宝塚記念>ゴール前、逃げ切り快勝のラブリーデイ(奥)
第56回宝塚記念(G1、芝2200メートル・晴良16頭)は28日、阪神競馬場11Rで行われ、川田騎手騎乗の6番人気、ラブリーデイ(牡5=池江厩舎、父キン グカメハメハ、母ポップコーンジャズ)が、直線抜け出し優勝した。勝ち時計は2分14秒4。

1番人気のゴールドシップが大きく出遅れる波乱のスタートからレッドデイヴィスが先頭に立ち、2番手にラブ リーデイ、その後はトーセンスターダム、ネオブラックダイヤなどがつける展開。

4コーナーから直線に入り、逃げたレッドデイヴィスが苦しくなると、2番手でレースを進めたラブリーデイが 一気に抜け出す。直線半ばを過ぎ、外からデニムアンドルビーが猛追するが、最後までしぶとく粘ったラブリーデイが首差抑えてG1初制覇を 果たした。

2着デニムアンドルビーから1馬身1/4差の3着にはショウナンパンドラが入った。なお、史上初JRA同一 G1・3連覇に挑んだゴールドシップは15着に敗れた。

◆ラブリーデイ 5歳牡馬、父キングカメハメハ、母ポップコーンジャズ。北海道安平町のノーザンファーム生 産。馬主は金子真人ホールディングス。戦績は23戦7勝、重賞4勝。獲得賞金は4億2806万1千円。

————————–スポニチ・アネックスより———————–

こう見ると、いかにもスタートが遅れただけという感じがするが、じっさい、ゴールドシップは、前足をそろえてスタート時点で立ち、「スタートしたくない」という意志を示したのだ。

「まさかとは思うが、同じレースを3年連続で制覇した、初めてのケースとなる期待が多すぎたと馬が感じたのだ ろうね。賢い馬は、そうしたことをちゃんと感じ取るのさ」(競馬ライター)

買わなくてよかった。そもそも、栗東や美浦のトレセンに行き、早朝から馬を見て、調教師や厩舎関係者たちにも話を聞いているプロの競馬記者たちが当たらないのに、素人が当たるわけがない。

ましては日刊スポーツの表紙を飾っていた「馬券勝負師」は大外しだ。誰とは言わないが。

かくして、僕は再び競馬の世界に戻ってきた。
不良競馬ライターとして、もし伝えることがあれば、ここで展開しよう。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。

◎《格闘技“裏”通信04》BLADE.2 JC-55kg──優勝候補は16歳の那須川天心!
◎売り子に視界を遮られ、肝心なプレイを見逃す東京ドームのキャバクラ化
◎川崎中1殺害事件の基層──関東連合を彷彿させる首都圏郊外「半グレ」文化

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ライターが撮影を担う時代の到来と、写真塾の展覧会から得る刺激

90年代にこの出版業界へ僕は来た。だがまさかライターがカメラを持たされて、「写真も撮ってこい」と言われるような時代が来るとは、想像もしなかった。今、ライターの仕事は増えている。インタビュー相手のブッキング、場所の選定、そして撮影だ。昔はライターが撮影する素材なんて期待されていなかったが、今は写真のクオリティを求められるようにもなってきた。もはや「撮影」はライター仕事としてついででは、ない。そして僕は一眼レフを購入した。
僕の「一眼レフ」の操作歴は、2004年12月でいったんストップしている。

あるインタビューのときに僕の愛すべき名機「ペンタックス・スーパーA」はシャッターがおりなくなった。週刊誌の仕事をしていて、その「一流企業の犯罪」を告白する男性の写真は貴重だった。2時間後に写真を焼いておかなくてはなからなかった。まだフィルムの時代だ。今じゃあ用心深く、カメラは予備を入れて2つもっていくが、「メインカメラ事故時に使う、緊急時用のミニカメラ」を持っていなかった僕は、コンビニに駆け込み、「写るんです」を買ってなんとか入校した。編集長はお冠だ。だが、このときから「もうカメラは扱わない」と決めた。要するにカメラマンを雇えばいいのだ。そしてそうした身分で居続ければいいとさえ傲慢に思ったのだ。

だがついに「ニュース記者」がカメラを、プロのカメラマンばりに撮影しないといけない時代となったのだ。やはり、一度逃げたものは追いかけてくるものだ。

「カメラなんかライターに求めてんじゃないよ」と僕は古いつきあいの編集者のA氏に言った。するとこうメールが来た。

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作家志望者は先哲の芥川/直木賞作家や売れっ子のそれを
落語家は志ん朝や文春のそれを
絵描きはダリやシャガールからそれを
映画監督は黒沢や小津やゴダールやトリフォーからそれを
学ぼうとするのですが、
「ライター」として求められる「撮影」について撮りかた分析や研究するつもりはない、ということでしょうか。

「それ」とはプロのエッセンスですが要するに。

「ない」としたらとても悲しいことです。
「ある」としたら武器になるんのですが。

————————————————————————-

だったら、研究してやろうじゃないか。
プライドも、腐った理屈も、そこらに捨ててきた膨大な取材リストも、つちかってきた人脈も、怠惰だがつきあってくれる古いパソコンも、長く先輩に鍛えられたペンでの表現も、現場から持ち帰ってきた一枚の写真で輝きを失うのなら、撮影を磨いてやろうじゃないか。

「吉永マサユキ・森山大道 resist写真塾9期生修了展」

そうした「撮ってやらあ」という心境にたどりついたのが6月の末だ。そんな中、いつもいつも招待されるので行けなかった撮影家の吉永マサユキ氏と、森山大道氏が主宰する「resist写真塾」の卒業生が作品を展示している「吉永マサユキ・森山大道 resist写真塾9期生修了展」に行ってきた。言っておくが、吉永氏も森山氏も、もはや「レジェンド」と呼べる世界的に評価されたカメラマンだ。この2人が06年に「社会性のある写真作家の養成」を目的とした写真塾をたちあげた。結果的に、この塾はプロカメラマンとしては通ると光を放つ登竜門となる。

何度か写真展にお邪魔したが、やはりこれだけ魂をファインダーに集中している人たちと対峙するには、やはり、自分もなにか表現する上で「勝負」しているような、強いクリエイターとしての情熱をもってしてやっと写真と拮抗するような、そんなシビアな空間を五感は覚えていた。

一度、幸いにも僕はかつて「編集者」として主宰している吉永氏と仕事でご一緒したことがある。その圧倒的な一枚の写真への画角へのこだわりは、これまで出会ったどの撮影家よりも際立っていた。

そして あれから7年の月日がたった。
卒業生の写真群を、寸評するほどの土壌は自分にはない。
ただ、真剣にファインダーを向けた結果が、展示場のヒルトピア アートスクエアのそこかしこで観客の視線を釘づけにしていた。

写真を撮る、ということは、プロとして要求される場合は、「フォトショップ」(という写真加工ソフト)で多少、色や明るさの調整もする、という意味である。
要するに、ライターが撮影も兼ねる、というのはそういうことだ。

展示会では、「繋がり」というタイトルですれちがう老婆を撮った鈴木達朗さんの写真が一番、インパクトがあり、目に焼き付いた。
この塾では、映画監督の行定勲氏が講義をしていて、かなり鋭い講義をしている。
購入したパンフレットに、こんな言葉が残っていた。
『僕はどっちかというとその、偶然にシャッターを押した瞬間が、自分の中でそれを見たときに、あ、この風景は自分の何かと一緒だとか、自分のものだ、という風に感じられるものがいいですね。いい写真というのは、自分の中に保管しているものがいっぱいあるんですね。そういうのってやっぱり自分の中の原風景と繋がってくるというか。ということは、結局自分が何者であるか、ていうことをやっていると思うんです。映画もそうなんです。自分は何者であるか、ってことは、相当突き詰めないとわかりようがないですね。じゃあ自分が何者であるかを知る術はなにかっていうと、他者なんですよ。映画を作っていて、辛い部分でもあるし、すごい部分でもあるんですけど、他人が、自分を何者であるかということを決定づけるんですね。(以下略)』

今、自分が何者かを他者が判断するツールは、テレビでもラジオでも、雑誌でもなくネットである。そうした状態の中で求められるデジタルの現場の写真と「現場で起きた」ことの伝達は、表現として、自分の立つべき場所を教えてくれる。

そして、付け加えるなら、おそらくライターが、写真でもなく、テキストをフォームに流し込む「デザイン」の部分まで担う時代が来るだろう。現実として、もはや「デザインを編集者がやる」というのは編集の現場ではあたり前になりつつある。ライターがデザインをするのは編集プロダクションの常識だ。ライターが写真に乗り出し、カメラマンの仕事はぐんと減った。今度、「システム変更」の憂き目であるのはデザイナーであると思うが、いずれにしても、「写真家の時代」はまだまだ終わらないことを、クオリティ高きこの「resist写真塾」の卒業生たちの写真は教えてくれる。そして、ひとりのクリエイターとして、刺激を与えてくれた吉永氏には、感謝している。そして、卒業生たちに幸あれ、だ。

(小林俊之)

※写真=「吉永マサユキ・森山大道 resist写真塾9期生修了展」より

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《ウィークリー理央眼013》戦争法案に反対する若者たち VOL.8 福岡

7月19日(日)、福岡県福岡市中央区で安保関連法案(戦争法案)に反対するデモが行われた。天神駅前の警固公園を出発し、駅周辺を一周するコースで歩道上を行進するデモの為だったからなのか、警備の警察官の姿はなかった。
言われて後から気付いたのだが、赤い物を身に付けて参加して欲しいという呼びかけがあったようで、確かに赤が多い気がする。


[動画]若者憲法デモ@福岡 – 2015.7.19 福岡市(5分2秒)

こんな大雨の中、デモの撮影をしたのはもしかしたら初めてかもしれない。雨が強過ぎて撮影できなかった部分もあり、映像でどこまで雨の激しさが伝わったか分からないが、傘をさしていてもびしょ濡れになるレベルの雨であった。

何を隠そう。私は晴れ男(…と思っているの)で、雨に降られることはそんなに多くない(…と思っている)。
論より証拠だ。それを証明する為、過去1年間のデモ撮影時に雨に降られた確率を出してみると、「14%」という低そうな数値が出てきた。
年間降雨日数の全国平均は大体120日くらいなので、日本の年間降雨確率は大雑把であるが「33%」になる。果たして、この数値と比較して良いのか疑問が残るが、秋山理央の降水確率は平均値とかなりの差をつけて良好であることが分かった。
データを調べるのに時間が掛かったわりに、「自称 晴れ男」というちょっと頭悪そうな称号が得られただけだったのは、反省したほうが良いかもしれない…。
実際にあまり雨に降られないという感覚もあるが、天気が悪そうなら行き先を変更するという選択もしているので、数値が低かったのはそれもあったのかもしれない。


これほど凄い雨の場合は基本的には中止になるのだが、デモが出発した時点で雨は降っておらず開始20分後に降り出した。それから30分ほど土砂降りの雨が降り続いた。デモは1時間くらいだったので、大体半分くらい雨に降られていた事になる。最後尾がゴールする少し前に雨は上がり、中止になることなく行進は完遂された。デモ隊の人々はよく耐えたものだと思う。

社会運動において、「気合い」や「根性」という言葉は必須であるというようなイメージがあるかもしれないが、必須なんてことはない。むしろ、「日常」とか「持続可能」みたいな言葉の方が必須であるし、今の実態を良く言い表しているような気がする。
一部のコアな人々が「気合い」や「根性」で行なうのではなく、「日常」に即した「持続可能」で無理をなるべくしないようにして多くの人で行なった方が楽だし、効果が高いはずだ。
しかしながら、無理をしなくちゃいけない局面はあるし、押さえきれない想いが無理をさせてしまう時もある。ただ、その無理をしてでも行動をするべき時期は後になってみないと分からないので、今を生きる我々にとって非常に難しいところだ。

私はどうしても今回の安保法案に反対する各地のデモと、2012年の大飯原発再稼働に反対するデモが全国に広がった時のことを重ねてしまう。当時感じた勢いや力強さを、今回の雨の中のデモや各地のデモでも感じているからだ。
今のデモは当時に比べ参加者の幅が広く、若者が主催しているデモが全国各地で起きていることが最大の特徴である。ここのところ撮影に「若者デモ」だけを選ぶことができているくらいに全国的にデモの回数も多く、気付けば「戦争法案に反対する若者たち」シリーズも8回目である。

間もなく九州北部も梅雨明けし、安倍政権に反対する暑い夏がくる。



[2015年7月19日(日)・福岡県]

▼秋山理央(あきやま りお)
1984年、神奈川県生まれ。映像ディレクター/フォトジャーナリスト。
ウェブCM制作会社で働く傍ら、年間100回以上全国各地のデモや抗議を撮影している現場の鬼。
人々の様々な抗議の様子を伝える写真ルポ「理央眼」を『紙の爆弾』(鹿砦社)で、
全国の反原発デモを撮影したフォトエッセイ「ALL STOOD STILL」を『NO NUKES voice』(鹿砦社)にて連載中。

《ウィークリー理央眼》
◎《012》戦争法案に反対する若者たち VOL.7 甲府
◎《011》戦争法案に反対する若者たち VOL.6 国会前
◎《010》戦争法案に反対する若者たち VOL.5 鳥取
◎《009》戦争法案に反対する若者たち VOL.4 新潟
◎《008》札幌攻防戦!ヘイトスピーチを撮影せよ!
◎《007》戦争法案に反対する若者たち VOL.3 渋谷
◎《006》戦争法案に反対する若者たち VOL.2 札幌
◎《005》戦争法案に反対する若者たち VOL.1 京都

世代、地域を超えて「新たな脱原発情報ネットワーク」の構築を試みる『NO NUKES voice』

《大学異論41》福岡教育大学「粛清」事件──安倍の弾圧に過剰適応する大学の罪

J-castニュースによると福岡教育大学の准教授が7月21日の講義中に「戦争法案絶対反対」「安倍やめろ」などのシュプレヒコールの「練習」をさせたとして大学は准教授の授業を停止したそうだ。(2015年7月27日付J-castニュース

これに関して同大学は7月23日、下記の声明をHPに掲載した

福岡教育大学「授業内容のインターネット掲載に関わる事案について」(2015年7月23日)

◆1日15件の問い合わせは「炎上」なのか?

21日の講義からわずか2日で准教授の「授業停止」を決定したのだというから「電光石火」の対応だ。学生からネット上に投稿されたものは複数ある模様だが、その中にはこの准教授の講義を否定的にとらえていないものも含まれる。大学によると「一時炎上と言われる状態に陥った」とコメントがあるが、「炎上」などという軽々しい言葉を大学が使うことに私は違和感を覚える。いったい「炎上」と言うほど大騒ぎになったのはどこのサイトなのだろうか。学生個人のTwitterじゃないのか。投稿したのは学生だとJ-castニュースには書かれているが、個人のTwitter書き込みに反論が相次ぐことは別段珍しいことではない。さらに「7月22日には問い合わせや苦情、対応を求める電話やメールが15件ほど大学側に寄せられた」そうだが1日にメールや電話で15件の問い合わせは大騒ぎするような数ではない。

大学職員時代に、やや刺激的な企画やイベントを新聞などで告知すると案内した電話番号に電話が集中し、仕事が出来なくなる経験を何度かしたが、そんな状態に比べれば「メールを含めて」1日に15件など特段取り上げるほどの数ではない。

◆国公立大学は教育機関でも研究機関でもなく「従順な国民の養成機関」なのか?

そこで福岡教育大学の田中正幸事務局長に電話で事情を伺った。田中氏の話によると「問題の講義は『人権同和教育論』という講義でその受講生がTwitterに投稿した。その事実が判明したので授業担当者の准教授に事実確認を行ったところ『否定』はしなかった。本人が『否定』していないのでTwitterに投稿された事実は存在したと考えており、現在その詳細を調査中だ。授業担当者の外したのは『処分』とは考えない。教員がどんな考えを持とうが自由だが、講義の中で特定の考えを語るのは逸脱の可能性がある。それを語る必要があったのか、無かったのかも含めて調査している」との回答であった。

私は「『人権同和論』の講義ならば最大の人権蹂躙である戦争に対して反対を述べるのは全く自然なことではないか。安保法制に反対するのは『特定の考え』ではない。人権を教える講義の中でごく自然なことではないか」と質問した。

田中氏は「安保法制の事など大学は全然問題にしていない。あくまでも講義内容として適切であったかどうかだけだ」と回答されたが「では、不適切な可能性が疑われる内容は何だ」との問いに「それは学生が投稿した通り『戦争法案絶対反対』とか『安倍を倒せ』というものだ」と結局問題にされているのは「特定の考え」=「安保法制反対」であることを認めた。

田中氏には忙しい中30分ほど時間を割いて丁寧に対応頂けたが、残念ながら福岡教育大学の判断は完全な過ちだ。過ちどころではない。罪でさえある。

国公立大学の教員は公務員だから「国に楯突く研究や言動をするな」というなら、大学は教育機関でも研究機関でもなく、単なる「従順な国民の養成機関」だ。

◆安倍政権の「反動攻撃」にビクついてばかりの国公立大学の経営陣

福岡教育大学は「大学教員が行った教育活動の適正さについて関係法令や本学規則に照らした事実調査等を早急に実施し厳正に対処してまいります」なんていきり立つな。どれだけの凶悪犯罪や知能犯罪を犯したかと誤解するけども、要するに准教授は「戦争推進法案」に危機感を持っていてそれを講義中に語り、きょうび政府に反対することの方法や表現すら知らない学生に範を示しただけの事ではないか。

普通の教育者としては「当たり前」の行為じゃないのか! 戦争に反対するのは。

国公立大学の経営陣は安倍政権発足後矢継ぎ早に飛んできた「反動攻撃」にびくついている。これは福岡教育大学に限った事ではない。教授会権限を奪い学長権限を拡大する「独裁運営」を認める法改正が行われ、ついには「文科系教員養成系学部の廃止・統合」などという実質的な「大学破壊」を文科省は迫っている。もう文部科学省は「教育弾圧省」と実態に合わせて改称すべきだ。

◆大学が異常なほど迅速に対応した背景の本質──戦争推進勢力に抗うことが「非行」扱いされる時代

大学が僅か2日でこのような決定を発表するのは「異常」だ。国立大学の意思決定は通常このように敏捷ではない。「役所的」な手続きがあるから普通の概念より「ゆっくり」しているのが常態だ。その「常態」を「異常」にせしめたのは僅か15通のメールや電話だけであろうか。

違う。殺人事件が学内で発生した並の「緊急対応」を大学当局に取らせたのは、私が想像するに「時代の脅迫」だ。元朝日新聞植村記者の非常勤講師契約について様々な脅迫を受けた北星学園大学のような状態に陥ることへの恐怖感が大学執行部をつき動かしたのではないか。あるいは匿名の卑怯な脅迫や恫喝ではなく「教育弾圧省」からの「お叱り」を慮った側面もあろう。

実際田中氏によると22日時点では問い合わせやメールや電話は15本程度だったが28日に産経新聞(!)が記事化しネットでも配信してから苦情や問い合わせが急増しているという。

憲法違反の「戦争推進法制」に反対することへの「自己規制」いや「内部粛清」が顕在化したのが福岡教育大学事件とみるべきだ。便利なようで「凶器」にもなる「ネット」が力を持つ現代、匿名性の脅迫は当事者を思いの外委縮させる効果を持つ。

武器を持たされる「戦争」の前に「言葉を封じられる」言論弾圧はこのように急速に進行している。既に時代は戦争推進勢力に抗うことが「非行」扱いされる段階に入っている。

真逆に同志社大学では学長が国会の特別委員会中央公聴会で「戦争推進法案」に賛成意見を述べても同志社大学の理事会は「個人の意見には介入しない」との理由で村田晃嗣学長の責任を一切問題にしていない。学内外で有志教職員・学生が反対の声を挙げるのみだ。図々しくも村田は27日も「良心学」という名の講義を行ったそうだ。そんな資格がこの男にあるのか。

戦争法案反対を講義で語れば担当を外されるが、国会で戦争法案賛成を明言しても「良心学」を語らせる。この底抜けに救いがたい倒錯。ファシズムの加速がはっきり目に見える。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎今こそ同志社を<反戦の砦>に! 教職員有志「安保法制を考える緊急集会」開催
◎同志社の「良心」は「安保法案」賛成の村田晃嗣学長を許すのか?
◎安保法案強行採決!「大きな嘘」で日本政治をレイプしまくる安倍話法の本心
◎なぜ安倍政権には「正論」が通じないのか?──加速度を増す日本の転落

『慨世(がいせい)の遠吠え  強い国になりたい症候群 内田 樹 鈴木邦男 対論』

《ウィークリー理央眼012》戦争法案に反対する若者たち VOL.7 甲府

7月18日(土)、山梨県甲府市で安保関連法案(戦争法案)に反対するデモが行われた。
コーラーを務める大学生が乗ったサウンドカーを先頭に老若男女150名が、甲府駅北口「よっちゃばれ広場」を出発し、JR中央本線・身延線に架かる跨線橋を渡り、甲府城跡前・甲府駅南口を通り、山梨県庁前で解散という約1時間のコースを行進した。


[動画]戦争いやじゃん 若者怒りのデモYamanashi – 2015.7.18 山梨県甲府市(7分58秒)

この映像を観て、警察官の姿が全く写っていないことに気付いただろうか。もちろん、写さないように撮影したわけではなく、編集で消したわけでもない。単に警察がデモの警備に来ていなかったのだ。
通常、デモの際はその地区を管轄している警察署の警備課や交通課のお巡りさんが警備にやって来て、交通整理やデモ隊の安全確保をする。申請をして許可されたデモの警備は警察の仕事ではあるのだが、場所や人数によっては来てくれないこともある。

これまで取材で全国約460回のデモ行進を見てきたのだが、警察の警備がない状態で行われていたのは「12県15ヶ所」だった。しかもこのほとんどが、車が走っていない歩道を通行する「歩道デモ」だった。
車道を通行する「車道デモ」に警察が来ない例は少なく、宮崎県宮崎市・宮崎北警察署の管轄と山梨県甲府市・甲府警察署の管轄の2ヶ所だけだった。今回のように、デモ隊に車両がある状態で警察ゼロというのは特にレアケースである。

警備の警察官がいないと自分達だけで車の走る車道を歩かなければならず、それなりの警備スタッフも必要だし、交通量の多い車道では恐怖を感じることもある。普段は警察なんてデモの邪魔だと思っていても、デモに警察官が来てくれなかったり、極端に人数が少なくて危なかったりすると、「もっといて欲しい」という気持ちになる。
実際、彼らはプロなので車の整理には慣れていて手際が良い。時には信号操作を行い車道の混乱を最小限に抑えながらデモ隊を進ませてくれる。地域によってドライバーの性質も違うので、信号を操作して一気にデモ隊を通す所もあれば、信号でデモ隊を停める所もある。ついでに言えば、信号で分断されたデモ隊を待って合流させる所もあれば、構わず進めてしまう所もある。このように警察のデモ警備は地域によって全然違うので、普段と違う場所のデモに参加した時は面白いので観察してみて欲しい。


上の写真はサウンドカーとして使っていたトラックの荷台を写したものだ。南国っぽいフラワーリースばかりに目が行ってしまうのだが、ここではそれが飾っている本体に注目して頂きたい。デモで良く見かける大きめの拡声器を4台並べて置いていて、そのうち2台からワイヤレスマイクの音を出し、残りの2台から音楽を流していた。音質はスピーカーには劣るものの、大きな音が出ていたし必要充分な装置であると思った。
非常に簡素なサウンドシステムなので、スピーカーやアンプが不要なので発電機もいらなくて非常に手軽だ。荷台の上は機材らしきものがほとんど見当たらず、誰かの部屋から持ってきたような黒いカラーボックスが水を入れた重しに支えられて置いてあるだけだ。もちろん、これは車が動いている時につかまる為だけにあるわけではなく、棚の上段には音楽を出力しているiPhoneが置かれている、いわばサウンドシステムの心臓とも言える部分なのだ。

そんな手作りで実戦向きのサウンドカーに若者たちは交代で乗り込み、思い思いのスピーチを行なった。

「安倍さん、あなたの仕事はなんでしょうか。
安倍さんの思いを国民に押し付けることではないのです。
国民の思いを聞くことが安倍さんの仕事です。
正直、ちょっとこういうところは慣れていないんですけれど、
自分が何もせずに、『いつかそうなるだろうな』って思ってたっていうのはずるい言い訳だと思ったので、
今日参加させて頂きました」

「この国の主権者は僕たちです。
僕たちが政治を動かすし、僕たちが政治家を動かすんです。
今回、安保法制、衆議院本会議でこないだ可決されましたけど、絶対止めたいと思います。
でも、絶対止められなくても、これ止められなくても、
いやこれ自衛隊海外に出そうとしたらふざけんじゃねえと、
絶対海外に出そうとしたら投票してやんねえぞ、絶対引きずり下ろすぞ、
と圧力をかければいいんです、僕たちが。
僕たちが政治家を動かすんです」

何もできず、見ていることしかできないなんて決して言わない。絶望以外の未来を信じるだけでなく、実際に山梨から国会前で行なわれている抗議にも参加し、こうやって地元でも声を上げている若者がいる。
いや、「自分がやる」と決めた若者たちがここ山梨にもいた。



[2015年7月18日(土)・山梨県]

▼秋山理央(あきやま りお)
1984年、神奈川県生まれ。映像ディレクター/フォトジャーナリスト。
ウェブCM制作会社で働く傍ら、年間100回以上全国各地のデモや抗議を撮影している現場の鬼。
人々の様々な抗議の様子を伝える写真ルポ「理央眼」を『紙の爆弾』(鹿砦社)で、
全国の反原発デモを撮影したフォトエッセイ「ALL STOOD STILL」を『NO NUKES voice』(鹿砦社)にて連載中。

《ウィークリー理央眼》
◎《011》戦争法案に反対する若者たち VOL.6 国会前
◎《010》戦争法案に反対する若者たち VOL.5 鳥取
◎《009》戦争法案に反対する若者たち VOL.4 新潟
◎《008》札幌攻防戦!ヘイトスピーチを撮影せよ!
◎《007》戦争法案に反対する若者たち VOL.3 渋谷
◎《006》戦争法案に反対する若者たち VOL.2 札幌
◎《005》戦争法案に反対する若者たち VOL.1 京都

世代、地域を超えて「新たな脱原発情報ネットワーク」の構築を試みる『NO NUKES voice』

《韓国特派員・ウナの留学日記》日帝支配時代について、フツーに教えてます

ウナです。日本から持ってきたノートが終わってしまったので、学校近くのカワイイ雑貨が置いてあるショップに行きました。パンダの絵柄がナイスなノートがあったので、ぱっと見て購入すると……。韓国語で「独島は我が領土」と書いてあるじゃないですか! しかも英語で「It’s not over」と書きつつ、裏面はこれまた韓国語で、「アタマにきちゃダメ」とあります……。どんなコンセプトで作られたのでしょう? よくわからないので次の週末、また店に行くことにしましたが、もう売り切れていました。もしかしたらラス1を買ったのかもしれませんが……。なのでスタッフに「独島は我が領土グッズ、他にもある?」と聞きましたが、もう見当たりませんでした。

そしてこの数日後、学校のラウンジで日本からの友人と話していた時に、雑誌が置いてあるコーナーに目をやると、今度は「History of Dokdo」と書いた冊子が! これは天安というところにある韓国独立記念館が作ったものらしく、英語で「韓国は1945年に解放されて以降、経済的な奇跡を果たしてきた。しかし解決すべき問題がまだ残されている。そのひとつが独島の領土問題だ」として、日本でもこの話が出るときに引用される、干山島の話などについて触れています。

とりあえず誰も関心を示している様子はなく、置き去りにされている感満載でしたが、誰かが放置したものなのか、それとも意図的に置いたものなのか……。よくわかりませんでしたが、他の留学生にツッこまれないかどうか、その日はちょっとドキドキしました。

とはいえ学校では先生も生徒も、誰一人として独島の話題は持ち出しません。しかしながら韓国の歴史や文化をテーマにした授業では普通に、日帝支配時代36年間の話題が出ます。でもそれは政治的な意図があるというより、「事実なのだから触れないわけにはいかない」といった、淡々としたテンションです。だからとくに他の国からの留学生達から、「お前らは韓国にこんなことをしたのか!」とか言われることもありません。「そんなことがあったんですね~」程度の受け止められ方なので、ネットでまことしやかに騒がれている、「韓国の反日教育がひどすぎて、日本人がいじめられる!」なんてことは、これっぽっちも起きていません。

そう、独島か竹島かについてはまた別の話ですが、日本が朝鮮半島を支配したこと自体は歴史の事実で、それは消せません。だから韓国では当たり前に触れることなので、それを「反日教育!」と見るのは、違うのではないかなあ……と思ったりしました。と同時に、された側はいつまでも覚えているものなのだから、言われたくなければ最初からやらないこと、という教訓を得た気持ちになりました。そんなワケでノートは、頑張って使い切るぐらいに勉強したいと思います。

▼サ・ウナ
韓国の地方都市にある某大学に留学中の女子大生。世界中から来ている学生たちによる、ミックス言語で繰り広げられている「かわいい~」「○○さんかっこいい~」「○○が××のことを好きだって言ってたよ~」などの会話に、日夜イライラしながら学業に勤しむ25歳。

《韓国特派員・ウナの留学日記》
◎「ゆとり」は世界の共通語!?
◎MERSアタック!? in ソウル

タブーなきスキャンダルマガジン!月刊『紙の爆弾』は毎月7日発売です。

 

今こそ同志社を<反戦の砦>に!教職員有志「安保法制を考える緊急集会」開催

同志社大学で7月25日、「安保法制を考える緊急集会」が行われ250名以上が集まった。「同志社平和の会」が主催し、「安保法制に反対する同志社大学教職員有志」、「村田学長の公聴会発言に対して抗議する同志社学生有志の会」が共催し学生さんが司会を務める中、会はほぼ予定通り17:00から始まった。

◆鶴見俊輔さんへの黙祷で始まった良心の集会

会の冒頭主催者の出原政雄教授から、20日に逝去した元同志社大学教員でもあった鶴見俊輔さんへの黙祷が呼び掛けられ参加者は起立して黙祷を捧げた。個人的にもお宅に何度も伺った鶴見さんの逝去がこのタイミングに重なったことは、あの穏やかな語り口から「同志社は一体どうなっているんですかね。もう良心は死んだのですか?」との声が聞こえて来そうだった。

会の前半は既に声明を出している同志社大学教職員、学生代表、同志社中学の先生、京大・立命館の先生方からそれぞれお話があった。出色だったのは、言葉は穏やかだったが怒りを含んだ学生代表と中学の先生方のお話だった。学生代表は「教職員よりも先に声明を出そうと思ったが間に合わなかった」と述べながらも、村田発言の問題点を正確に抽出、指摘していた。

◆同志社にはまだまだ真っ当な教師たちがいる

同志社中学の先生方は「13日の村田学長の発言を聞いて、学年末の忙しい時期だったが何としても早く声明を出すべきだと思い翌日には声明をまとめた。学長に手渡そうと出向いたが受け取りを拒否され、その場に抗議声明を置いてきた。生徒は毎朝の集会で不安になっている『僕ら戦争に行かんとあかんの?』と聞いてくる生徒もいる。私達は中学が職場だが学長を辞任させるまで大学の人を応援するので頑張って欲しい」と語った。真っ当な教師の姿ここにあり、との印象を受けた。

だが、一部の教員の発言は時間だけがやたらに長く、内容的には「緊急集会」の名に値しない間延びしたものだった。あたかも通常の講義を行っているかのようで概して「緊張感」がない。そして何よりも「怒り」が感じられない。

◆鹿砦社松岡社長も緊急アピール! 「同志社を<反戦の砦>に!」ビラを配布!

前後するがこの日の集会には松岡社長が「緊急アピール! 稀代のファシスト=村田晃嗣学長を退陣に追い込み 同志社を〈反戦の砦に!〉」と銘打ったビラを持参し会場前、参加者に配布していたが、そこへ出原政雄教授がやってきて「人格を誹謗中傷するのはこの集会の趣旨ではないのでこのビラを回収してくれ」と要求してきた。なに? 戦争推進法案に賛成した村田を批判するビラが「人格攻撃」だからそれを巻くな、回収しろと?

出原氏が問題視したのは、「学生を戦場に送るのに熱心な学長」など殺人者と変わりません。私達は同志社を卒業して何十年かぶりに、体の奥底からの怒りを抑えることが出来ません。村田学長は政治学者ですが、人間性を持ち合わせない〈悪魔〉であることが明らかになりました」の部分だ。

この指摘には呆れるほかなかった。戦前を通じて初めて国会の場で「戦争法案賛成」を表明した私立大学学長への、筋違いな過剰なまでの配慮。戦争を牽引することは「個人研究者の意見」として許される、戦争を誘引する発言は「穏やかな表現であれば」許される。逆に直接的な表現を用いると「人格批判」として排除しようとする。

村田が極悪・史上最悪の国会内での発言を行い、それを問題にする集会でもこのような「言葉狩り」が行われている現実こそが村田のような人間を学長に押し上げ、その暴言を放置する遠因になっているのではないか。そんな的外れな「品性」や「体裁」ばかりに気を回しているからこそ村田の暴走を許したのだという反省が、概して同志社大学には欠如していると感じた。

このビラについては、実質的な教職員有志のまとめ役である板垣竜太先生に相談し「この表現問題ありますか」と伺ったところ、「いや私は問題を感じませんが」とご了承頂いたので、結局無事に配布することが出来たが、村田が調子に乗る学内的要因を図らずも垣間見る機会とはなった。

同志社OB鹿砦社松岡社長もリレートークで緊急アピールを行った

◆同志社はなぜ村田のような超ファシストを大学長にまでしてしまったのか?

主催関連団体の挨拶に次いで「リレートーク」が行われた。合計16名の発言者が5分の時間制限時間内で意見を述べた。松岡社長も発言に立ち「昔は良かったという言い方はしたくないが、同志社の空気は変わったと思う。なぜ村田のような超ファシストを学長にまでしてしまったのか。はっきり言うが教職員の方々にも責任はあると思う。これまで卒業以来大学内の問題に関わることがなかったが、同志社が私にも母校愛がある。今日はチラシを配らせてもらったが主催の先生から『人格攻撃』しているから配布するな、回収しろとまで言われた。そんなケツの穴の小さいことを言っているから村田のような人間がのし上がって来るのではないか。そんなことを言っている場合か。もっと体を張って、村田退陣、安保法案阻止の闘いを期待したい。主体は学生、教職員だから我々は後方支援をしてゆきたい」と語った。

次いで私の発言となり思いの一部を述べた。

この日の集会はたぶん主催者も予想以上の人数が集まり3時間を超える会となったが、様々な立場から多くの人の発言があり大変意義深い集会だったと言えよう。とりわけ短時間でこの集会を準備した関係者の方々のご苦労には敬意を表したい。

◆250名もの良心が集まった理由──村田に辞任を求めない集会に意味があるのか?

だが、残念だが何かが欠けていたように感じる。大学では講演会やシンポジウムが頻繁に行われるが、その空気感と大差がなかったように感じたのは私だけであろうか。

私はこの会を実質的に運営した板垣竜太先生と学生諸君には特に再度深い敬意を払う。同志社中学の先生方の熱意も実感した。

だが、最後に再び登壇した出原教授は「この会は議論を目的にしている、村田学長への批判は予想されていたが『人格攻撃』はならないと考える」と再び述べたにとどまらず「会の目的は『村田学長に辞任を迫るものではない』」とまで言及した。

では、この「緊急集会」の意味は一体何なのだ。参加者の少なくない人々が村田許せぬ。即時退陣を願っているからこそ250名を超える人数が集まったのではないか。この発言は決定的に問題の本質を捉えていない。許せないと感じた私を含めた多くの人から声が上がった。

「村田に辞任を求めない集会に意味があるのか?」

こう発言した私に出原教授は「集会の趣旨と違うから出て行ってください」と言い放った。更にその発言を糾弾すると私の前に座っていた教員が「静かにしろ!黙って聞け!」と立ち上って迫ってきた。

何を考えているのだ、あなた達は。私に向ける「言論弾圧」のエネルギーがあればそれをすべて「村田打倒」に向けたらいいではないか。近年アカデミズムの世界でも「回りくどい」言い回しで煙に巻く話法が流行している。その意味が戦争賛成である「回りくどい言い回し」は「直接的な反論言語」よりも高尚とされる。表現の細かな部分の揚げ足取りで発言を封じ、あからさま悪意が「修辞」を纏って闊歩することは往々にして問題にされない。

ここだ。ここに「知」の退行がある。そして人間として当たり前に感じ、表現すべき「怒り」への抑制と蔑みがファシズムを下支えしている。

身近なファシズムを打破するところから始めなければ、と再度痛感した1日でもあった。

当日、配布禁止回収を求められた緊急アピールチラシ(表面)
当日、配布禁止回収を求められた緊急アピールチラシ(裏面)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎《大学異論40》同志社大学長発言を「個人の意見」と容認した理事会に反省なし!
◎《大学異論39》同志社の「良心」は「安保法案」賛成の村田晃嗣学長を許すのか?
◎なぜ安倍政権には「正論」が通じないのか?──加速度を増す日本の転落

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《韓国特派員・ウナの留学日記》「ゆとり」は世界の共通語!?

現在、私は韓国の某地方都市にある大学に語学留学をしています。世界中から同じ目的の仲間が集まっています。が、これがまたドイヒーな状態です。

「先生、おしっこ!」

「先生、水!」

そう言って授業中にすっくと席を立ち、教室から出て行こうとするのはアメリカ人やカザフスタン人。恰幅のよさがマツコ似のウクライナ人女性と、お付きの者にしか見えないほど激ヤセしているキルギスタン人の青年は、ほぼ毎日「歯が痛い」「お腹が痛い」と言って授業を休んでは、ランチタイムになると絶好調の姿を見せて談笑しています。そんな彼らを先生は目撃してしまい、「あの子たちは歯が痛い、お腹が痛いと言うけれど、私は頭と心が痛いわよ」と、ため息をついてました……。元気出して……。

また私の答案をちょいちょいチラ見する中国人の男性は、ある時先生が「じゃあ今説明したところで文章を作って、発表しましょう~」と言った瞬間、机の上に置いてあった私のカバンを払いのけてまで急接近! ノートを覗き込んで答えを写そうとするものの、訳文を日本語で書いてあるのを見て、すごすご引き下がることもありました(中国語で書くわけがない)。またハングルがひとつもわからない状態で来てしまった別の中国人男性は、毎日机の下にスマホを隠し、勉強そっちのけでゲームに興じておられます。

そして私自身、下宿よりも安いという理由で学生寮に入ってしまったのですが、これも大失敗。深夜までロシア語による「ダバーイ!」などの雄叫びが響いて、正直寝るどころではありません。まさに世界中から、『ゆとり』が集まったと言える環境です。

ただそんな中でも日本の皆さんは、比較的真面目に勉強している姿が目につきます。中国やロシアの留学生の中には応じたら負けだと思っているのか、こちらがにこやかに挨拶してもガン無視するのも結構いるのに、彼ら彼女らは自分から挨拶する人も。

しかしいつも同じ仲間と一緒にいて「それ以外とは絶対関わらない!」といった空気を醸し出している集団もいるし、わからないと思っているのか、でかい声で「ちんちん!」と日本語で叫んでいる青年もいるので、「日本サイコー!」とは、間違っても言えない状況です……。

日本にいた数か月前まで、いわゆる『ゆとり」』は日本固有のものだと思っていました。世界の若者はもっとしっかりしていて、自分を持っていて、真面目に日々を生きている。

しかしそれは思い込みでしかないということを学んだのが、一番の成果かもしれません(嬉しくない)。

この先、『ゆとり』君たちは変わっていくのか、それとも『ゆとってる』まま本国に戻るのか。勉強がてら観察することにしたいと思います。

▼サ・ウナ
韓国の地方都市にある某大学に留学中の女子大生。世界中から来ている学生たちによる、ミックス言語で繰り広げられている「かわいい~」「○○さんかっこいい~」「○○が××のことを好きだって言ってたよ~」などの会話に、日夜イライラしながら学業に勤しむ25歳。

◎《韓国特派員・ウナの留学日記》MERSアタック!? in ソウル
◎《ウィークリー理央眼006》戦争法案に反対する若者たち vol.2 札幌
◎〈生きた現実〉の直撃弾──鹿砦社松岡社長が自身の逮捕経験を「告白」講義
◎《大学異論37》沈黙する大学の大罪──なぜこんな時代に声を上げないのか?

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