杉良太郎、石田純一らと共にPaix2(ぺぺ)も参加して全国矯正展がスタート!

 
杉良太郎特別矯正監

刑務作業で受刑者が魂をこめて作った日用品や家具など約5万9千点を展示販売するイベント「全国刑務所作業 製品展示即売会」(第58回全国矯正展)が6月3日から2日間、北の丸公園内の科学技術館で開催された。

そのオープニングイベントは午前10時からで、杉良太郎特別矯正監、また法務省矯正支援官である石田純一、桂才賀、ダンスボーカルユニット「MAX」、受刑者のアイドルでデュオの「Paix2(ぺぺ)」と特別ゲストの西内まりやなどが集まり、華やかにテープカットを行った。

杉良太郎は「熊本大震災のときは、熊本刑務所を開放して260人も緊急避難してもらった。刑務所は頑丈ですし、水もきれい。食料の備蓄も何万食あり、避難拠点として優れています。こうした動きが全国的になればいい」と語った。

また鹿砦社から著書も出しているわれらが刑務所アイドルの「Paix2(ぺぺ)」のMegumiは「刑務所作業品はデザインが毎年、レベルアップしていて驚きを感じます。ぜひ何か買っていってください」とアピールした。

驚くべきことに、「刑務所への慰問は、交通費と宿泊費は自腹で」という時代が長かったようだ。それを杉良太郎は「(刑務所慰問するタレントに対して)甘えすぎだと思う。ようやく交通費と宿泊費用が、出るようになりました」と語った。

石田純一矯正支援官

刑務所に慰問すること自体、尊いが、「Paix2(ぺぺ)」はもう390回、桂才賀は1100回も行っている。

刑務所事情に詳しい作家の影野臣直氏は言う。
「二人合わせて1500回、刑務所に行っているわけですよ。北海道や沖縄にも自腹で行っていたわ けで、一回10万円だとして、1億5千万円。とっくに豪華マンションが買えていますよ。実に尊いことだと思います」

靴にしろ、家具にしろ、刑務所の製品は基準が厳しいから、実にしっかりとしている。この日も、開催と同時に、いきなり家具の予約ブースに人が殺到していた。刑務所の作業は、国家事 業であり、今は2300社の企業が、刑務所での労働力をあてにしている。まさに、捨てる神あれば拾う神で、受刑者にも立派な使命があるのだ。

今回に限らず、定期的に刑務所作業展は開催される。興味がある人はぜひ、刑務所の製品を手にとって、そのクオリティとできばえを味わっていただきたいものだ。

◎法務省「全国刑務所作業 製品展示即売会」(第58回全国矯正展)の概要HP=
http://www.moj.go.jp/kyousei1/kyousei05_00019.html

▼小林俊之(こばやし・としゆき)?裏社会、事件、政治に精通。大本営発表のマスコミに背を向けて生きる。自称「ペンのテロリストの末席」にして自称「松岡イズム最後の後継者」。師匠は「自分以外すべて」で座右の銘は「肉を斬らせて骨を断つ」。

受刑者のアイドル・デュオ「Paix2(ぺぺ)」
 
第6回「前田日明ゼミ」はPaix2(ペペ)さんをゲストに迎え、6月18日(土)尼崎市で開催!
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視聴率低迷で実質打ち切り「OUR HOUSE」の救いはプロレスラー高山善廣の演技

芦田愛菜とシャーロット・ケイト・フォックスがダブル主演しているフジテレビ系連続ドラマ「OUR HOUSE」(日曜午後9時)の視聴率の苦戦が続き、ついに昨晩12日に実質打ち切りのようなかたちで最終回が放映された。

「2話を強引に1話にまとめたので、話がわからなくなった。亡くなった母親のいとこが登場して『私が母親になります』と言い出す始末。これは昭和初期から作られてきたドラマの焼きなおしにすぎません。いったい、脚本家は何をどうしたかったのか」(放送作家)

第7話(29日放送)の平均視聴率が4.2%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)だった。これで第4話が3.8%と落ち込んでから、第5話で5.4%に回復も平均視聴率は3.9%だ。「動物の映像でも流したほうがよかったんじゃないか」と陰口も。

「ただひとつ、救いはあります。プロレスラーの高山善廣の素朴な演技がめちゃくちゃに評判いいんですよ。寡黙で、科白を言わなくても目で演技できるところがいいと演出家たちが声をそろえています」(制作会社スタッフ)

芦田さん演じる伴桜子の父親・奏太(山本耕史)の姉・赤尾琴音(松下由樹)の夫である救命士を案じているが、別居中の妻、琴音になんとかよりを戻そうとしてトライするも、行状の悪さをまくしたてられて引っ込む、という情けない役を見事にこなしているのだ。

「ふだんは、相手とディフェンスもまったく省みずにボコボコに殴り合う高山が、背中を丸めて情けない味を出している。これはもう演技力以外の何ものでもないでしょう。演出畑の仲間も注目し始めていますよ」(同)

かつてNHK大河ドラマ「功名が辻」をはじめ様々なドラマにゲスト出演してきた高山だが、初の連続ドラマにレギュラー出演で、「リング外」での活躍の場をゲットしたようだ。「ほかのテレビ局のドラマ制作演出部も、髙山に注目し始めたようです。髙山がオモチャ好きなのを知って、『よし、ひとつ超合金ロボでももって挨拶にいこうか。なんのオモチャを欲しがっているかリサーチしておけ』などという指示が飛び始めたようですね」(同)

しかし、プロレスラーとしての髙山にとって長時間拘束されるドラマの仕事は「体がなまるので格闘技としては積極的にすべきじゃない」と知人に漏らしている。

「残念だね。『戻ってきて』という手紙を妻本人に渡せずに、入口のところで『渡しておいてくれ』と頼むシーンは哀愁が出ていて泣けてきました。立っているだけで悲しみが表現できる役者だけに、1シーンでもいいから出て欲しい」(プロデューサー)

果たして、数年後のNHK大河ドラマに重要な役で起用される日も近い?!

(伊東北斗)

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“王座”は誰のものか?──自然と自覚していく“チャンピオン”の重み

イメージ画像。認定者と新チャンピオンが並ぶ認定式。一人では獲れない王座の重みを感じる瞬間

「チャンピオンベルトは誰のものか?」というテーマではすでに一度、本ブログ記事で掲載されていますが、今回のテーマは“王座”そのものです。

「またアヤラとやります!」
1998年8月、WBC世界バンタム級タイトルマッチ、辰吉丈一郎の2度目の防衛戦で、ポーリー・アヤラ(米国)との探り合いの序盤を優勢に進めつつ、アヤラがやや調子を上げた中盤、偶然のバッティングで辰吉が試合続行不可能となり、負傷判定勝利となった不完全燃焼での終了の不甲斐なさに号泣し、マイクでアピール。次戦にアヤラとの再戦を希望したことにちょっとの疑問符が付きました。テレビで観たファンも「次もアヤラとやるんだってね、やっぱりはっきり決着つけないとね」と、辰吉のアピールを信じているかのような声もありました。

T-98(=今村卓也)WBCムエタイ日本ウェルター級タイトルを獲得、苦難もあったが、ここから始まったムエタイ王座ロード(2014.2.16)

今やプロボクシングの世界戦の常識的ルールも、お金の絡む交渉次第で指名試合を回避できたり、WBAではスーパーチャンピオンも暫定チャンピオンも同時に存在する、チャンピオンの定義も崩れた状況にありますが、当時の主要4団体はまだその権威が保たれていた時代でした。タイトルマッチに勝利して得たチャンピオンベルト(一時的借り物とはいえ)と認定証はリング上で物理的に受け取れますが、王座も認定されている間は紛れもなく、その勝者のものです。

◆王座防衛戦はチャンピオン一人で決められるものではない

では、「チャンピオンが自由に防衛戦ができるか」と言ったら、それはチャンピオン一人で決められるものではありません。

チャンピオンの座はその選手本人が勝ち獲ったのものですが、その舞台を整えたのは認定組織やビジネス的にプロモーターのお仕事となってきます。

世界戦ではタイトルマッチのオプション契約上、興行権が前チャンピオン側にあるうちは、新チャンピオン側プロモーターは自由には扱えませんが、それを解消すれば(通常2試合分)ようやく興行権が渡ってきて、プロモーターの思惑で、挑戦権有資格者となるランカーの中から自由に挑戦者を選びつつ、またファンの期待を裏切らない好カードにもしなければならない冒険も必要になり、また定期的にやってくる最強の挑戦者(1位)との指名試合もクリアーしつつ、そういう制約された中で防衛を重ねていくことが実績を積み上げていくことになります。チャンピオン本人の意向も考慮されるでしょうが、勝つ限り(ドロー防衛も含め)終り無き防衛ロードは常にプロモーターの支配下にあることは否めません。

高野人母美も置かれる立場も理解して目が覚めたような記者会見(2016.5.27)撮影=小林俊之

1998年の辰吉丈一郎氏の場合は、次に控えていた指名試合が予定通り進められ、同年12月に指名挑戦者・ウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)と3度目の防衛戦へ繋がります。もしポーリー・アヤラと再戦する場合は、このウィラポン戦を防衛しなければならず、リング上で「次もアヤラと」と言っても辰吉氏個人で決められるものではありませんでした。

◆高野人母美の引退撤回騒動

先日、プロボクシング女子の東洋太平洋スーパーバンタム級チャンピオン.高野人母美(協栄)が、所属する協栄ジムの金平会長が海外出張で不在中、無断で引退宣言しながら約1週間後に引退を撤回する騒動がありました。

「会長の居ぬ間に、新興格闘技で起こるような低次元な騒動をプロボクシングの伝統ある協栄ジムで起こすなよ」と思いましたが、仮にジム側に対し不服とする事情があっても、この場合も選手は会長を通さず引退宣言とか王座返上とか、対戦相手を決めるとか、何事も一人で決められる立場ではありません。

かつてキックボクシングで起こった例で、ある世界機構のチャンピオンがジムを脱会し、フリーとなって他の興行で防衛戦を計画しましたが、元所属のジムからクレームが入って王座は返上せざるを得なくなったという例がありました。事態が発生して初めて「王座は誰のもの?」と思ったファンや関係者がいましたが、この辺りはルールや常識が浸透していないキック業界の曖昧さがありました。

◆タイでの防衛戦を熱望するT-98(タクヤ)の想い

T-98(=今村卓也)vs アーウナーン・ギャットペーペー(タイ)、岡山で行われたWPMF世界ミドル級王座決定戦で判定勝利で王座奪取

また先日、6月1日の後楽園ホールで行われたREBELS興行でのムエタイ試合、タイ国ラジャダムナンスタジアム認定スーパーウェルター級タイトルマッチで、チャンピオン.ナーヴィー・イーグルムエタイ(タイ)に3-0の判定勝利で日本人5人目の殿堂ラジャダムナン王座を奪取したT-98(“タクヤ”と読む=本名.今村卓也/クロスポイント吉祥寺)も、「現地ラジャダムナンスタジアムで防衛してこそ本物」と宣言したようにタイでの防衛戦を希望していますが、確かに現地で防衛してこそ“快挙”と言えるでしょう。

新チャンピオンを抱えるクロスポイント吉祥寺ジムですが、ラジャダムナンスタジアムプロモートライセンスを持たなければ、同スタジアムでは興行を打てない現地のタイトルだけに、興行権は絶対的にタイ側プロモーターにあり、日本で防衛戦を行なう場合はタイ側プロモーターから興行権を譲り受ける形(売り興行)で、REBELSプロモーションと今村卓也選手と所属ジム陣営の意向も含めて検討されるでしょう。拘束が厳しくタイでやっても日本でやっても険しい防衛ロードですが、外国人(タイ側から見て)として新たな快挙を成し遂げてもらいたいものです。

ラジャダムナンスタジアムでチャンピオン獲得、防衛も果たしたのは初の外国人チャンピオン.ジョイシー・イングラムジム(ブラジル)、こんなチームワークで今村卓也(T-98)もジョイシーに続く快挙を成し遂げリング上で写真に収まることができるか(2015.6.28)(C)THAI TANIGUCHI SPORTS LIFE CO. LTD. 

◆チャンピオンの権利は自分だけではないことを自然と自覚する

「この重たいチャンピオンベルトは、自分ひとりの力で獲れたとは決して思っておりません・・・。」かつて1985年に、日本フェザー級チャンピオンとなった鹿島龍(目黒)がマイクで語った言葉の一部ですが、この後、連盟代表、ジム会長、コーチ各関係者へ感謝を述べ、すべてのチャンピオンは同じように心から思うことでしょう。チームワークで王座奪取し防衛を目指すもので、そのチャンピオンの権利は自分だけではないことを自然と自覚するものです。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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《誤報ハンター》「能年玲奈引退」は大誤報?! 事務所側べったり『週刊女性』の悪意

事務所側べったりの確信犯『週刊女性』2016年6月7日号

もはや世紀の誤報か、もしくは事務所に恩義を売る〝確信犯〟的な暴挙だろうか。『週刊女性』の6月7日号には「じぇじぇじぇ 激震スクープ 〝洗脳・独立騒動〟から1年、6月契約満了も更新なし! 能年玲奈 引退へ」の記事は、テレビ局も追従して報道したが、これこそ「世紀の誤報」だ。

「能年が引退するつもりがないのは、業界の常識だ。大手事務所の意向ばかり気にしているとこのような誤報記事になるというお手本ですよ」(週刊誌デスク)

『週刊女性』の記事は、芸能界引退危機が能年に迫っているという切迫したトーンでこう伝える。それは、能年が一緒に暮らしている「女性演出家」の〝T〟に洗脳されているとあおりつつも「不平や不満を目に見えて口に出すようになり、現場にマネージャーに罵声を浴びせることも」あったと伝える。

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『時を追うごとに、能年の暴走はますます激しくなっていったという。「新しい仕事の話をしても、あれやこれや理由をつけて仕事まで拒否するようになったそうです」(前出・ワイドショースタッフ)
 そんな状態が続く中で、2014年6月、所属事務所との契約更新時期となる。「突如として、事務所を辞めたいと一方的に言い出したため、事務所としても話し合いを持とうとしましたが、その前に彼女が代理店を立ててしまい直接話ができない状態になってしまったんです」(ワイドショースタッフ)
 同時期に能年は、事務所が借りたマンションを飛び出してしまった。』

事務所側べったりの確信犯『週刊女性』2016年6月7日号

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 と書かれているが、これを『週刊文春』6月9日号では、能年の母親にインタビューしつつ全面否定している。そのタイトルは「能年玲奈母が独占告白 引退も洗脳もウソ 〝報道リンチ〟酷すぎます」とタイトルがつけられている。
※文芸春秋WEB=http://shukan.bunshun.jp/articles/-/6207

おもに母親は、『週刊女性』を追従したテレビの情報番組「直撃情報LIVEグッディ!」に対しても怒りが向けられている。

ここでは、『週刊女性』のA記者が登場してこう話す。
『演出家の女性といま一緒に暮らしていまして、生活も、本当に仕事をこういう風に受ける受けないみたいなのも、どうも演出家の女性の言うことを聞いていると。我々の取材によると、能年さんの親も娘さんのことを心配して、「大丈夫なのか」と。「本当に一緒にいていいのか」みたいなことを説得したようなんですけども、彼女としては親の言うことも聞かないというか、そういうことにも耳を貸さず、現在も一緒に演出家の女性と一緒に生活しているって感じですね』

これに対して、能年玲奈の母親は『週刊文春』の記事で語る。

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──能年さんはご両親の言うことを聞かない状態なんですか?
「まったく違います。テレビで変だと思ったのは、玲奈が親の反対にも耳を傾けないで女性演出家と一緒にいるとか言う話。反対どころか『全然。大賛成やけど』って思いながら見ていました」
──何が事実と異なりますか?
「そもそも『週刊女性』の人から今回取材は受けていないですし、どうしてこんなことを言われるのか、分からないですね。まず私は、玲奈が事務所を離れたいと思うならその気持ちを尊重したい。現に玲奈とはちゃんと連絡がとれています」
(中略)
──洗脳については?
「はっきりウソです。高校生の頃から演技指導をしてもらっていた滝沢さん(編集部注・週刊女性では演出家T)には東京で本当にお世話になっているんです。感謝してもしきれません。これは以前に、文春さんに申し上げたとおりです」
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能年が「芸能界のルールにそむいた」とされる、事務所に対して無断で会社「三毛andカリントウ」を設立したとされる点だ。

週刊文春の問いには

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──『三毛andカリントウ』を個人事務所にして、玲奈さんは芸能活動を考えている?
「あれは玲奈が描いた絵やグッズを販売する会社です。レプロ(編集部注:能年が所属する会社)との契約に差し障ることはないと聞いています。独立のための会社ではありません」
──『三毛andカリントウ』とは別の会社を作るということですか?
「そうです。あれは玲奈の名前は使わずに、絵などを売る会社ですから」
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ということで、『週刊女性』の記事を全面否定している。

「一方的に事務所の言い分を聞くと『週刊女性』のような記事になる。まあ絵に描いた誤報でしょう。ここの記者はニコニコ動画の芸能番組に出たり、スポーツ新聞に情報を提供したりしてアルバイトに忙しいから、こんな乱雑な記事となるのでしょうね」(ベテランの芸能記者)

能年の母は、『週刊女性』に抗議文を送り、追従した情報番組についてはBPOに抗議文を出している。この「誤報」の行方はどこになるのか。

「まあ誤報だろうが正しい情報だろうが、『週刊女性』はもうすぐ休刊する情報が入っているから、これこそが第三者も認める『精査された情報』だろう(笑)」(同)

さて、能年の母親に「暴露本」のオファーの手紙でも出してみるか。『週刊女性』が誤報のたまり場と堕してしまった理由は知らないが、やってみる価値はありそうだ。

(伊東北斗)

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帝銀事件・平沢貞通元死刑囚に画材を差入れし続けた石井敏夫さんが逝去

東京・池袋の東京芸術劇場で去る5月28日、帝銀事件の犯人とされて死刑判決を受け、獄中で40年近く無実を訴え続けながら87年に病死した平沢貞通さん(享年95)に関する第20次再審請求を報告する集会が開かれた。主催は「帝銀事件再審をめざす会」。

戦後まもない1948年1月、東京都豊島区の帝国銀行信濃町支店で起きたこの事件は、戦後の最も有名な事件の1つだ。東京都防疫班の消毒班長だと名乗る男が行員ら16人に青酸化合物を飲ませ、12人が死亡。男は現金16万4000円余りと金額1万7000円余りの小切手を盗み、ゆうゆうと逃げ去った。この世上まれにみる大量毒殺事件は、死刑判決を受けた平沢さんの犯人性に様々な疑問が投げかけられ、世紀の大冤罪として語り継がれてきた。

会では、第20次再審請求で提出された新証拠の鑑定を行った立命館大学の浜田寿美男特別招聘教授と駿河台大学の原聰教授が講演を行った。浜田教授は、心理学的分析によれば平沢さんの自白調書はむしろ無実の証拠と言えること、原教授は目撃証言が捜査の過程で歪められて信用性がないことなどを説明。弁護人による有罪認定の問題の解説などもあり、短い時間ながら、平沢さんがいかに杜撰な捜査、裁判で死刑囚にされたのかが改めてよくわかった。

平沢さんから贈られた絵画を手にする石井敏夫さん(2015年5月、自宅にて)

そんな会に参加しながら、筆者は今年4月8日に81歳で亡くなった1人の男性に思いを馳せていた。

◆全国各地で平沢さんの個展を開催

男性の名は、石井敏夫さん。宇都宮市で洋品店を営みながら、平沢さんが逝去するまで33年の長きに渡って支援を続けた人だ。有名なテンペラ画家だった平沢さんは生前、獄中で多くの絵画を描いたことで知られるが、平沢さんが絵を描くために画材を差し入れていたのがこの石井さんだった。

石井さんは、一洋品店の店主でありながら、地元宇都宮を皮切りに茨城、東京、神奈川、千葉、群馬、福島、北海道、三重、宮城・・・と全国各地で平沢さんの個展を開催。平沢さんが90歳を超え、老衰が進んで寝たきり状態になった時には、恩赦の同意書に署名してもらうために被害者や遺族のもとを回ったりもした。私財を費やした精力的な支援活動で、過酷な獄中生活を送る平沢さんを物心両面で支えた人だった。

◆平沢さんを見舞った29年後に・・・

この石井さんに筆者が思いをはせたのは、今年2月に上梓した編著「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(鹿砦社)の制作に際し、取材させてもらっていたからだ。筆者は恥ずかしながら、同書の制作に着手するまで石井さんのことを存じ上げなかったのだが、石井さんは初対面の筆者に平沢さんとの思い出話をざっくばらんに語ってくれ、平沢さんから贈られた貴重な絵画や遺筆を同書で紹介するために快く提供してくださった。気さくで、温かみを感じる人だった。

会の終盤に「平沢さんを直接知る一番若い支援者」である細川次郎さんが行った報告によると、亡くなる2日前に石井さんを病院に見舞った際、「今日は4月6日ですよ。29年前の今日、八王子医療刑務所に、一緒に貞通さんに会いに行きましたよね」と語りかけると、石井さんは意識朦朧としながらも、細川さんの問いかけを理解できたような反応を示したという。石井さんの存在が平沢さんにとって過酷な獄中生活を生き抜く支えだったと同時に、石井さんにとっても平沢さんの支援は生きがいの1つだったのだろう。

逝去は残念だが、帝銀事件という歴史的事件の重要な関係者だった石井さんがご存命のうちに出会えたことは、取材者として幸運だったと思う。そして、平沢さんと石井さんの長年の交流のごく一部ではあるが、書籍という形で記録に残せてよかったと改めて思った。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

片岡健編『絶望の牢獄から無実を叫ぶ――冤罪死刑囚八人の書画集』(鹿砦社2016年2月)
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3・11甲状腺がん家族の会、設立会見詳報《4》河合弘之代表世話人による追加談話

2016年3月12日、3・11甲状腺がん家族の会が設立された。設立時の正会員は5家族7人、代表世話人には河合弘之さん(弁護士)と千葉親子さん(元会津坂下町議)が就いた。これまでほとんどタブー視されてきた福島での被曝被害の核心を伝える貴重な設立会見を7回に分けて詳報する。第4回は河合弘之代表世話人による追加談話。

図01=放射線被害の全体と甲状腺がん等疾病被害の概念図

先ほどの図(図01)を、もう一度示します。この大きなマルが放射線被害の全体です。そして、その大半を占めるのが財物補償と精神的慰謝料です。でも、財物損害も精神的慰謝料も元は病気になる、白血病や甲状腺がんになる、ということから発生します。この部分が否定されると、原発の損害、大きな損害、全体があるかないかわからない、いい加減なものになるということになります。

今ここ(病気:甲状腺がん、白血病)が、否定されているのです。それが大問題なのです。ここを絶対否定させてはならない。きちっと社会的にも、政治的にも、立証されていかなくてはならないというのが、私の意見です。

図02=線量と発病率の関係は〈しきい値〉なしの直線モデルが世界的な合意と説明する河合弘之弁護士

もう一つ。これを見てください(図02)。現在、世界的合意は、放射線量と白血病、その他の発病率は閾値(しきいち=いきち)なしということがあります。ここから下は安全という閾値が無いのです。そして、この直線モデルが示すように、線量と発病率は正比例というのが世界的な合意です。IAEAもこのことを認めています。その事実が第一にあります。

そして、ある原発から大量の放射性物質が放出され、その放出範囲に住んでいる人間が甲状腺がんになったら、原則として、その甲状腺がんや白血病は、その原発事故のせいだということで認定すべきで、逆にその子供の甲状腺がんは、別の理由だということをきちんと立証できれば原発事故が原因であるということは適応されない。

つまり、Aという子供が誤ってレントゲン検査において、大量の被曝をしたという医療ミスですとか、道端に転がっていた放射性物質を間違えて掴んでしまい、口に入れてしまったから甲状腺がんになってしまったなど、別の理由をきちんと立証できない限り、今言った3つの条件(放射性物資の大量放出、放出範囲に居住、別の罹患原因証明ができない)に絡む場合、甲状腺がん等の発症は、原発事故による放出された放射性物質に因果関係があると認定すべきであると思います。

そもそも、福島原発から発せられた放射性物質が「子供に付き、甲状腺にくっつき、そこから発癌した」などということを立証することは不可能なことです。その不可能な立証をできていないということを理由に「考えにくい」という言葉を用いて否定するということは、法律的にも間違いです。法律的には、因果関係というのは、被害を訴える側が立証しなくてはなりませんが、本件の場合や公害の場合には、立証責任は転換されるということになっています。まさにさっき言った、3つの条件に絡む場合には転換されていく。例外的な理由を否定する方が、例外的理由を立証しなくてならないという、判断理由の枠組みを変えないと、被害者は全く救済されないのだ、ということを私は強く訴えたいと思います。

 

そして、もう一つ。ここ(甲状腺のある首筋)に、手術の跡が既に残っている。手術跡ができている女の子がいます。もし、交通事故でこういうことが起きれば、女子の容貌に著しい醜状を遺すということで、これに対する後遺症慰謝料を何百万円という、高額な慰謝料を受けることが本来できます。そういう子供たちが何人も発生しているのに、そういう子供たちは一切そういう請求をしていません。そんなことができる環境にないのです。仮にADRをやっても、東京電力は、否定すると思います。「因果関係が考えにくいと、医者が、専門家が、言っていますよ・・・」と。そういうことになる。

しかし、そういうことが、許されて良いのでしょうか。僕は、術後の様子は見ていませんが、テレビや新聞で見ております。こういう風になって、こんな風になっている。そのことだけでも重要なことです。もちろん、そこから、さらに悪化することもあるが、そのことだけでも救われなくてはいけないのに、それも放置されているというのが、今の状態なのだということを、皆さんに知っていただきたいと考えております。以上です。
 
▼白田夏彦[取材・構成]
学生時代に山谷、沖縄などの市民運動を訪問。その後、9・11同時多発テロ事件をきっかけにパレスチナ問題の取材を開始。第二次インティファーダ以降、当地で起こった非暴力直接行動を取材。以降、反戦や脱原発などの市民運動を中心に取材。現在、業界紙記者。

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筑後リサイクル店殺人事件裁判員裁判──報道と異なる被告「美人妻」の実像

本人に直接取材したり、裁判を傍聴してみると、マスコミで大きく報道された事件の容疑者の実像が報道のイメージとずいぶん違うように感じることは多い。最近だと、福岡県筑後市のリサイクル店殺人事件の中尾知佐被告(47)がそうだった。

中尾知佐被告の裁判員裁判が行われている福岡地裁

◆数々の凶悪エピソードが報じられたが・・・

知佐被告が夫の伸也被告(49)と共に殺人などの疑いで逮捕されたのは2014年6月のこと。当時、筑後市でリサイクル店を経営していた2人の周囲では、様々な人物が行方不明になっているという情報が飛び交ったが、2人は最終的にリサイクル店の元従業員・日高崇さん(事件当時22)に対する殺人や、知佐の義弟・冷水一也さん(同33~34)とその息子・大斗君(同4)に対する傷害致死などの罪で立件された。

まぎれもない凶悪事件だったため、捜査段階からマスコミの扱いは大きかったが、その中でクローズアップされたのは、知佐被告のキャラクターだった。若い頃は中州でホステスをしていた知佐被告は評判の美人で、スタイルも抜群。ただし、気性は荒かった。リサイクル店では普段から些細なことで従業員を延々と怒鳴り続け、夫の伸也被告に命じて従業員たちに暴行させたりもしていた――。マスコミは当時、そんな数々の凶悪なエビソードと共に知佐被告が一連の事件の首謀者だったかのように伝えていたのだった。

◆案外地味な実物の本人

こうした情報に触れ、筆者は個々の情報の真偽はともかく、知佐被告に対し、「危険な香りを漂わせた美人妻」というイメージを抱いていた。実際、捜査段階に報道で見かけた知佐被告の写真では、ぱっちりした瞳が印象的で、非の打ちどころがない美人ぶりだった。しかし現在、福岡地裁で行われている知佐被告の裁判員裁判を傍聴したところ、実物の知佐被告は少々イメージが異なった。

案外、地味な感じなのだ。

白い丸首のカットソーに紺の薄手のカーディガンを羽織り、下はスリムのブルージーンズ。そんなラフないで立ちの知佐被告は化粧をしていないせいだろうが、瞳は報道のようにぱっちりしておらず、むしろ目は細かった。報道の写真では、40代後半の実年齢より若々しいように感じられたが、法廷では、2つに結った地味な髪型のせいもあってか、年齢相応の生活感を漂わせているように見えた。

不思議なもので、こういう案外地味な本人に接してみると、実はそれほど悪い人間ではないのでは・・・などと思えてくるのである。

◆「暴行には、金属バットを使った」と女性店長

もっとも、法廷に立ったリサイクル店の元店長の女性A子さんが知佐被告の人物像について語った内容は、すさまじいものだった。

A子さんの証言によると、リサイクル店では、従業員に報告ミスがあったり、掃除が遅かったりすると、知佐被告の指示により、店長のA子さんが従業員にビンタやゲンコツをしていた。A子さん自身が何かミスをした時には、知佐被告の指示により、他の従業員に頼み、自分にゲンコツをしてもらっていたという。

「こうした暴力は手加減せず、思いっきりやっていました。叩いた相手が知佐に『手加減されました』と言えば、自分が怒られるからです」(A子さん)

A子さんによると、やがて知佐被告は「ミスをして、ゲンコツやビンタだけではわからないから」と言うように。そして体罰に「金属バット」を使うことになったという。

「金属バットでは、従業員にケツバットをしていました。私以外では、伸也も金属バットで従業員にケツバットをしたり、体のあたりを叩いたりしていました」

被害者の1人、冷水一也さんは知佐被告にとって妹B子さんの夫で、B子さんと一緒にリサイクル店で働いていた。A子さんによると、知佐被告から「身内だから甘くする必要はない。厳しくするように」と言われており、この一也さんにも他の従業員にするのと同じように暴力をふるっていたという。

弁護人の隣にいた知佐被告は、A子さんの証言を顔色一つ変えずに聞きながらメモをとっていたが、途中でペンを持つ手の動きが止まり、何か思案しているようだった。無表情ではあるが、なんともいえない迫力を感じさせる女性でもあった。

公判が分離された夫の伸也被告も「暴行の9割は妻に指示された」と訴えている。

◆娘の映像に涙?

ただ、知佐被告はこの公判で殺人と殺人未遂の罪については、「暴力は夫がしたこと。私は指示していないし、夫と話し合ったこともない」と無実を主張している。夫の伸也被告は共犯者だし、店長のA子さんもある意味、共犯者だから、2人が知佐被告に罪を押しつける可能性もないわけではない。2人の証言がどこまで信用できるかは慎重に検討しなければならないだろう。

傍聴席には映像も音声も伏せられたが、公判では、知佐被告の娘に関係するとみられる映像が被告人や検察官、裁判員たちの前にあるモニターで再生された。この時ばかりは知佐被告は手で目をぬぐい、母親らしい感情を溢れさせているように思えた。

審理は9日まであり、24日に判決が宣告される予定だが、要注目裁判の1つだと思う。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

片岡健編『絶望の牢獄から無実を叫ぶ――冤罪死刑囚八人の書画集』
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ヘイトスピーチ対策法成立で西田昌司を英雄視する有田芳生参議への違和

闘いに「一点共闘」は選択肢としてはありうる。獲得目標が同様な場合その課題に限って立場の異なる人たちが、行動をともにすることが、現状打破へ繋がることもないではない。

しかし、「根本的な敵」との共闘はあり得ない。もしそんな模様が展開されたら、どちらかが仮面を被って偽装同調しているか、下心がある(つまり誰かが利用されている)状態である。

自民党の西田昌司参議院議員は、先日成立したいわゆる「ヘイトスピーチ対策法」(以下、「対策法」)の自民党窓口として「正義の味方」になっているようだが、西田と言えば、国会質問でのネッチッこい差別性と、根っからの右翼思想の持ち主として、自民党の中でも有数の右派議員として悪名が高い。

現在も西田のHPには政策として、
・「国防を確かなものに」      自主防衛と集団的自衛権の容認
・「憲法問題の本質」        占領憲法の破棄
・「皇室典範の改正」        男系皇統の維持
・「教育勅語の精神を活かす」  日本人の価値観の再興
・「原発問題」            原発再稼働は稼働せずよりリスクが小さい

などの主張が掲げられている。そして以下の動画だ。この質問は旧民主党政権時代に行われたものである。少々長いが西田の思想を理解するためにご覧頂きたい。


◎[動画]西田昌司議員の質疑(短縮版)

上記の動画は、政治資金規正法により禁止されている外国人からの政治献金を巡って、前原外務大臣(当時)を追及しているものだ。前原が昔から付き合いのある在日韓国人の方から年に5万円の献金を受けていたことを追及している場面だ。確かに政治資金規正法に照らせば前原が受けた献金は違法となる。しかし海外に居住地を持つ外国人と在日の人々を同様に扱う「政治資金規正法」は、それ自体「差別的」ではないだろうか。同様な批判を受けて、外国法人の政治献金については2006年に政治資金規正法の改正で大幅に緩和されている。西田の質問は法的には間違いではないが、ことさら「在日」を強調することにより、国会内での質問とはいえ、「在日差別」の色が濃く滲む。断っておくが私は旧民主党の支持者ではないし、前原の支持者では断じてない。


◎[動画]岡崎トミ子が国家公安委員長時に、西田が行った質問

この映像も岡崎トミ子が国家公安委員長時に、西田が行った質問だ。こちらの質問は国会内で行われたあからさま「差別言辞」と断定してもよいだろう。韓国の日本大使館前で毎週行われている「水曜デモ」に岡崎が参加したことを西田は糾弾し、慰安婦被害者への「金銭的補償」を岡崎が主張していたことを批判している。「水曜デモ」は日本政府への謝罪・補償を求めて「韓国」で行われているデモだ。西田は岡崎への質問の中で「なぜ外国人に金を渡さなければいけないのか」、「従軍慰安婦自体が歴史によって確定されたものではないと思っている」、「私は河野談話自体を認めるものではない」とまで自身の考えを明確に述べている。

最後は首相であった野田への質問だ。ここでは野田と民団のか関わりを追及しているが、民団が呼び掛けた行為は法律によって規制されるものではなく、野田が卑怯にも民団との関係を曖昧に逃れようとしていることから、西田も調子に乗っているがこれは民団に対するとんでもない冒涜だ。重ねて強調するが私は旧民主党、いわんや野田の支持者ではない。


◎[動画]2011年11月15日参議員予算委員会より

西田が国会内で紹介した「差別的質問」を堂々と繰り広げている頃、街頭では「在特会」をはじめとした差別集団、個人が卑劣な行動をエスカレートさせていた。当時西田はネット内で右翼から「西田砲」ともてはやされ、紹介した質問などが右翼思想の側から大層賞賛を浴びていた。

そんな西田が急に懺悔をして、「差別的」な思想を改めるだろうか。西田の国会質問は「失言」ではなく、確信的な思想に基づくものである。そのことは冒頭紹介した西田のHPに現在も堂々と掲載されていることからも間違いない。

ではなぜ、西田が「対策法」の自民党窓口になったのか。その理由の1つは「在特会」をはじめとする街頭差別部隊が自民党(右派勢力)にはもう不要になったからだろう。国会内では西田をはじめ稲田朋美などが先頭をきって、旧民主党政権の「外国人地方参政権」などの施策をぶち壊し、街頭では在特会を中心とする連中が暴れまわった。そして政権は自民党へ戻り、特定機密保護法が成立し、解釈改憲も完了、集団的自衛権を認める「安保法案」も成立した。

西田らにとって、もう街頭での派手な部隊は必要ない。いやむしろ邪魔になってきた。だから喜んで「ヘイトスピーチ対策法」の窓口として手を上げたのだ。さらにここで紹介した西田の過去の質問(これだけに限らず他にもかなりある)は、下手をすると命取りになりかねない。「なぜ外国人に金を渡さなければいけないのか」、「従軍慰安婦自体が歴史によって確定されたものではないと思っている」との西田の思惑とは逆に、

西田昌司議員(自民党)と有田芳生議員(民進党)

「日韓両国政府は28日、従軍慰安婦問題で合意に達したと発表した。韓国の尹炳世外相との共同記者会見で岸田文雄外相は、安倍晋三首相が元慰安婦に対し心からのおわびと反省を表明するとともに、元従軍慰安婦支援のための財団を韓国政府が設立し、日本政府が自国予算で資金を一括拠出することを明らかにした。
 また、岸田外相は慰安婦問題が最終的・不可逆的に解決したことを確認したと述べ、さらに日韓両国政府は国連など国際社会で慰安婦問題に関して互いに批判・非難しないことで合意したと語った」(2015年12月28日ロイター

この決定には様々な問題がある。それは横に置くとして、少なくとも現政権、安倍と岸田は西田の言う「従軍慰安婦自体が歴史によって確定されたものではないと思っている」とは真逆の約束を韓国との間で結んだのだ。

私は「ヘイトスピーチ対策法」に危険性を感じている。その理由は右の写真である。西田の差別的思想と「対策法」がどうして結びつくのか。ニコニコ握手をしている有田芳生議員との写真に読者諸氏は違和感を抱かないだろうか。

からくりは簡単だ。「対策法」は今のところ「差別」を対象にしているけれども、その適応を広げれば(「付帯決議があるから心配ない」と考える善男善女は認識が緩い。総理が憲法の解釈を勝手に変える政権であることを、まさか忘れてはいないだろう)反基地、反原発、果ては反政府言説の全てを取り締まることの出来る21世紀型「治安維持法」導入の一里塚だからだ。これまで警察は「脅迫罪」、「公務執行妨害」、「道路交通法違反」を在特会などに差別集団に適用することに極めて消極的だった。やろうと思えば現行法で逮捕できる場面は数えきれないほどあった。なぜ警察が動かなかったのか。その理由がこの立法を支えるためであったと考えるのは穿ち過ぎか。

西田を英雄視する有田の姿、非常に強い違和感を感じる。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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「しばき隊」高野俊一が「有田丸」に同乗し、愛媛の合田夏樹さんを公開脅迫

 

こんな「チンピラ」まがいの政治活動が許されるのだろうか。
事件は5月29日愛媛県四国中央市で発生した。

有田芳生参議院議員の宣伝車、通称「有田丸」に乗車していた人物が、個人宅と職場を訪れて、数枚の写真を撮影し公開している。

被害に遭ったのは合田夏樹さんだ。合田さんに対しては以前から「しばき隊」中心人物の一人、伊藤大介が公にフェースブックで脅しをかけていた。

実名こそ挙げてはいないものの、合田さんの自宅住所をネット地図でピンポイント特定しているのだから個人を狙った「恫喝」である。伊藤は、知る人ぞ知る「十三ベース事件」こと「しばき隊による集団リンチ事件」の現場にも居合わせた人物である。

「四国で2代目ボンボンの取引先に悪行をお知らせする巡礼しようかな」
「ほぼ丸裸なんだけど、ボンボン泣きいれちゃうかな?」
「つーかお前の自宅私道沿いだからグーグルで確認しずらかったぞ。もう確定したけどな」

などと書き込み、「襲撃」の予告めいたメッセージを発していた(そうでないと言うのであれば、削除する必要も無かろうに、現在このコメントは消されていて見ることは出来ない)。

こんなメッセージを突き付けられたら、どれほど気持ち悪く、不安になることだろうか。合田さんは「連絡をしてきてくれれば、誰とでも話す」とかねてよりツイッターに書いておられたが、「ほぼ丸裸なんだけど、ボンボン泣きいれちゃうかな?」という、一見何も具体的な行為を明示していないが、それだからこそ薄気味悪い表現に、合田さんがどれほどご家族の安否を心配なさっていたことだろうか。

◆有田丸には「しばき隊」メンバーが乗っていた

「有田丸」に乗車していたのは、高野俊一(ツイッターアカウント「チェブ夫」)ともう1名であることは高野自身が書き残しているので間違いない。以下に高野自身が書いたブログのURLを示すが、削除される可能性があるので、主要部分を抽出しておく。http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:qp_ISLLnN8AJ:ossanhitorimeshi.net/%3Fp%3D28339+&

———————————————————————

有田芳生・参議院議員の宣伝カー『有田丸1号』は、ひたすら西日本を走りつづけている。狭いようで、日本は広い。走っても走っても、なかなか隅々まで行き届かないところは、やり甲斐もあるというものだ。

きのうは有田丸、まず福岡。それからそのままフェリーに乗って、四国の松山に上陸した。

おとといは下関、その翌日に福岡から四国では、ちょっと移動が急すぎるのだが、それは人生、色々あるというものだ。
(中略)

有田丸は大分の佐賀関港からフェリーに乗って、愛媛にわたった。そこから延々100キロほどの道のりをさらに走って、松山のホテルに到着。

到着後、ヘイトスピーチ対策法の成立を祝い、打ち上げをしようと居酒屋にでかけた。

有田丸に同乗することになった男性は、僕よりも1年以上前から反差別カウンターに参加している。その男性がカウンターを始めたころは、ヘイトスピーチのデモは数百人、それに対してカウンターは数人、などというのが普通だったのだそうだ。

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写真01
写真02
写真03

高野ともう1名「僕よりも1年以上前から反差別カウンターに参加している男性」が有田丸には乗車していた。

そして5月29日に写真01がツイッター「男組総本部」のアカウントに掲載される

これは合田さんの職場を撮影した写真だ。「遊びに来た。なかなかいいところじゃん。」との書き込みがある。

さらに、この店舗群は合田さんの職場から直ぐ近くの場所に位置する。「ここでお買い物。」をしたそうだ(写真02)

そして、写真03には「カラオケ」の看板が映っているが、ここも合田さんの職場から至近の場所だ。「今夜はここでカラオケ!」との書き込みがある。

さらに「髪も切ったし後は行くところは1つ。謎」とある。「謎」と書いてあるが行き先は合田さんの自宅であることはほぼ間違いない。

時系列的にみると彼らは合田さんの職場周辺をうろつき職場や周囲を撮影後、散髪をして、合田さんのご自宅に向かったと推測される。幸い当日合田さんのお宅にはどなたもおらず、物理的な被害などは生じていないが、近所の住民が、「小太りで小柄な柄の悪い男と普通の体型で小柄で柄の悪い短髪の2人組みが自宅の周辺をウロウロして何度も玄関のチャイムを押していた」姿を目撃している。

前述の通りしばき隊の1人(若しくは2人)は「髪を切った」直後だ。「短髪の2人組」が高野ともう1名である可能性は高い。合田さんの自宅周辺では、普段見かけない「不審人物」への印象が強く残っている。不審人物がうろつくようなことはこれまでこの地域ではなかったという。5月22日に出されていた、伊藤大介による「襲撃予告」が現実のものとなったのだ。

これは明らかな計画的犯行ではないのか。もし、当時ご自宅にご家族が居たら、何が起きていたかわからない。有田はその事実を知っていたのか。否知っていようといまいと個人宅や職場に恫喝まがいの人間が宣伝車に乗って(あるいは至近に駐車しそこから歩いたとしても)訪れば、ご本人たちが大変な不安に襲われることは容易に想像できる。

最後にこの写真をご覧頂きたい。一方は高野(チェブ夫)の、そしてもう一方は有田芳生公式アカウントに掲載されていた高野が食べたうどんの写真だ。同じじゃないか。とうことは有田は高野らの行動を大筋で把握していたという事を意味する。現職の国会議員がその宣伝活動中に、あらかじめ脅迫めいた予告を与えておいた個人宅や職場に宣伝車を差し向けるようなことが許されるだろうか。

有田芳生公式アカウントに掲載されていたうどんの写真
高野俊一が食べたうどんの写真

◆なんと合田さんのアカウントが凍結される!

そして驚くべきことに、合田さんのツイッタ―アカウントが6月3日深夜に「凍結」されてしまう。合田さんは「多数のスパム報告があったのではないでしょうか」と原因を推測しているが、これまで合田さんは他人を貶めるような書き込みをしたことはない。むしろ伊藤大介のような人間から「攻撃される側」に立たされていた。そしてここしばらくは「集団リンチ被害者」である、ツイッター名「主水」を応援する旗幟を鮮明にしていた。「しばき隊」の中には個人で複数(中には10を超える)アカウントを保持していて、合田さんのケースの様に「ネットリンチ」をかける、専門部隊がいるという(元しばき隊経験者)。

彼らは、自分たちと立場が違う、意見が違う人には手段を選ばず嫌がらせを行う。

◆卑劣な行為に屈しない合田さん

だが、合田さんはこの程度の嫌がらせには微動だにしていない。「結局彼らは墓穴を掘っただけですよ」と事もなげに語り、4日午前には緊急で新アカウント「合田夏樹@合田夏樹を応援!」を開設(このアカウント名が奮っている!)

「また卑劣な事をやられると思うので予防策として大勢の方のフォローが必要です。駄文ばかりですが言論の自由や民主主義を守る為にご協力下さい」

とのコメントを掲載したところ、6月5日正午時でフォロワーは1,847人にまで達している。

今回の事件は、合田さんを襲った単なる私人間のトラブルでは済まされない。冒頭述べた通り、時系列的、状況証拠的に有田芳生参議院議員の宣伝車に乗っていた人物が手を染めた可能性が限りなく高い。有田議員並びに、高野俊一(ツイッターアカウント「チェブ夫」)らには明確な説明を行う責任がある。

右翼の街宣車による嫌がらせは有名だが、野党議員の宣伝車による特定個人への嫌がらせなど聞いたことがない。この疑念を明確に晴らすことが出来なければ(灰色では意味がない)、有田が次期参議院選挙に出馬する資格はないだろう。

(佐野 宇)

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ダブルノックダウンをレフェリーはどう裁定してきたか? キックルールの試行錯誤

3ノックダウンルールがごく当たり前のキックボクシング。なぜこのルールが定着してしまったのでしょうね。このルールに於いて、1ラウンド中に青コーナー選手が2度ダウンし、その後ダブルノックダウンが起こりました。さてそこで、レフェリーはどういう対処をすべきと思いますか?

ちょっと前の3月9日に行われたREBELS興行での山口裕人(山口)vs中村広輝(赤雲會)戦で、第1ラウンドに中村広輝選手が2度ダウン後、ダブルノックダウン(両者ともダウン)が起きました。この試合は3ノックダウン制(1つのラウンド中に3度ダウンで自動的KO負け)でした。担当した山根正美レフェリーによると「以前から想定していた事態が起こりましたが、その対処を冷静に行ないました」という回答でした。

ダブルノックダウンというのは、プロボクシングに於いてもごく稀に起こる現象です。滅多に無いにしても、いつ起きてもおかしくない“打ち合い”は常にあります。

打ち合いのひとつ、パンチの交差はどちらが倒れるかの迫力あり。どちらも倒れることも稀にあり

◆1988年9月、須田康徳(市原)vs長浜勇(市原)戦の場合

キックボクシングで過去実際に、一方が2度ダウンの後、ダブルノックダウンという稀な事態が起きたのは1988年(昭和63年)9月の須田康徳(市原)vs長浜勇(市原)戦でした。1ラウンドに長浜選手が2度ダウンし、その後ダブルノックダウンが起こりました。レフェリーのリー・チャンゴン(李昌坤)氏はそこで3ノックダウン目となる長浜選手をストップ。須田選手のKO勝ちを宣告しました。後にこの裁定についてリー・チャンゴン氏に聞いてみましたが、3ノックダウンを優先するルールだったという当時のMA日本キック連盟でした。

そして更なる後に全日本キック連盟で当時審判部のサミー中村レフェリーにも、こんな場合の処置を聞きましたが、やはり3ノックダウンを優先するというものでした。

カウンターパンチャーはロープ際での攻防がチャンス
イメージ画像。単にもつれて倒れたカット。ダウンした側がすぐ立ち上がり、ダウン奪った側がスリップして転んだこともあり、観た目は不思議な光景もありました

◆10カウントは“完全”アウト、3ノックダウンは“自動的”アウト

そこで違和感を覚えるのは、3度ダウンした側がすぐ立ち上がり、1度のみのダウンとなる側が失神し倒れたままでも、その倒れた側が勝者になるのか? という複雑な状態。

こうなると参考資料となるのが伝統あるJBCルールでした。まず、ルールブック同項目冒頭は「双方または一方が『3ノックダウン』に該当する場合もカウントする」という文言があり、「双方が立ち上がった場合、双方が3ノックダウンに該当する場合は引分け。一方が該当する場合はこの選手をKO負けとする」とあります(双方が倒れたままの場合、カウントアウトされ引分け)。補足説明の記載は無い為、1996年に更に煮詰めに当時のJBC役員に聞いたことがあります。

そして「一方だけが立ち上がる場合はどうするのか」という質問に、「3度目のダウンとなる側が立ち上がり、1度目のダウンになる側が倒れたままの場合、3度目のダウンになる側でもKO勝ちになる」という回答でした。

ここで見えてくるのが、「10カウントは“完全”アウト、3ノックダウンは“自動的”アウト」という重みの差。それでカウントが優先される意味になってきます。
ここ最近もJBCのある役員に再度質問しましたが、JBCルールは今年からフリーノックダウン制に変更されているので、旧ルールでのあくまで稀な例ですが、回答は同じで「こんな想定も試合役員会では何度も確認していました」というアクシデントに対処できるシミュレーションはされているというものでした。

あくまでプロボクシングの基本ルールで、実際にこんなパターンが起きても、レフェリーの権限で危険な状態にある方を止めることも考えられます。

◆何度ダウンしても試合を続行するフリーノックダウン制

レフェリー歴20年の山根正美レフェリー。「まだまだ学ぶこと多き日々」と謙虚な姿勢

前述の山口裕人vs中村広輝戦はここに挙げた例とは若干違いますが、山根正美レフェリーはダブルノックダウン後、カウントを取り、1度ダウンの山口選手が立ち上がりましたが、3度ダウンの中村選手が立ち上がれない状況で、カウント途中で試合を止めた形でした。山口選手が立ち上がった続行可能の時点で、中村選手の3ノックダウンのみが成立するので、その裁定になりますが、この場合の止め方を見た場合、厳密にはレフェリーストップになります。周囲は「3度ダウンだろ止めろ!」と叫ぶ声が多かったようです。

REBELSルールでしたが、立会人のWPMF日本支局長のウィラサクレック氏が、その裁定に異議はなく擁護されたようでした。

この以前からこういう場合の質問を、いろいろな関係者に聞いても、誰もが「3ノックダウン側の負け」と答えられました。それでも各団体のキックボクシング(ムエタイ)ルールではそう明確に決められているのであれば問題ないのですが、実際こんな細部まで決められたルールブックが無いのが現状でしょう。また、WBCムエタイルールの「試合5ラウンド全体を通じて5度のダウンでKO負け」ではより複雑な結果を残す可能性もあるので想定外の結末にならないよう注意して欲しいところです。

昔の日本キックボクシング協会系(TBS系)ではフリーノックダウン制で、何度ダウンしても続行していました。現在ではちょっと考えられない危険なKOもありましたが、幸い大きな事故は無く、対抗した当時の全日本キックボクシング協会では3ノックダウン制でした。後の低迷期に起こった分裂後、統合団体となった日本キックボクシング連盟で、旧日本系・旧全日本系のルール各項目の適切な部分を取り上げて作られたルールが完成し、3ノックダウン制が採用されました。

その後、分裂したどの団体でも新たにルール改革することはなく、元居た団体のルールをそのまま使い、3ノックダウン制を躊躇いなく起用するようになってしまったようです。

タイ国ラジャダムナンスタジアム公認レフェリーのナロン・ルアムジット氏。公式ルールも熟知して、すべての権限を握って日本で開催のタイトルマッチを裁く(2015.3.15)

唯一フリーノックダウン制だったのは1987年(昭和62年)に短期間存在した日本ムエタイ連盟でしたが、真剣勝負ながら笑えるほど何度もダウンがあって、レフェリーに続いて観客も一斉にカウントに声を出していた試合もありましたが、当時では仕方ないながら、早めのストップを考慮しなければならない団体だったと思われます。

現在はキックでも最終権限はレフェリーにあるはずなので、危険な状態であればいつ止めても問題ないのですから、ややこしい事態が発生する前に、現在のJBCルールのように“フリーノックダウン制”でいいのではないかと思います。

◆最終権限はレフェリーにある

本場ムエタイでも明確な裁定があり、ここでも「最終権限はレフェリーにある」という解釈があり、JBCルールと同様に、どんな事態が発生しても対処できる解釈は存在し、確立したルールが出来上がっている競技であるということです。

日本でのキックルールは、裁く視点については試行錯誤を繰り返し改善されてきましたが、「こういう場合はどうなるの?」といった事態には細部まで明文化していない項目はまだまだあります。いざリング上で惑わない為にもそこまでこだわってルールブックを作り上げて欲しいものです。

仮に、効いて倒れるタイミングがズレた、“時間差ダブルノックダウン”が起きたら? ・・・想定外だと解答は難しいものです・・・!

[撮影・文]堀田春樹
※本稿で使われている画像はすべて、ダブルノックダウンが起きた試合とは無関係です。

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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