《原発放談06》分断される「原爆」と「原発」(小野俊一)

小野俊一医師

3.11直後から毎日休みなく福島第一原発動向をブログで発信し続けてきた「onodekita」さんこと小野俊一医師。東電、福島、被曝をめぐる諸相からメディア・識者批判にいたるまで、縦横無尽に語ってもらった200分インタビューを8回に分けて随時掲載する。今回はその第6回目。

── 小野先生は奇形生物の画像をよくブログに載せています。最近の新聞記事では「黄身のない卵」(毎日新聞2014年5月05日)とか「双頭のヤモリ」(南日本新聞2014年5月13日)や「透明のおたまじゃくし」(朝日新聞2014年6月11日)などが報じられていますが、実際、被曝で奇形や突然変異は増えているのでしょうか?

奇形はむかしからあったといえばあったし、放射能特有の奇形があるわけでもありません。ただ、放射能で奇形化の頻度が増える。双頭の子どもでは米国に成人した双頭の女性がいます。むかしの中国では唐の時代、玄宗皇帝の寝屋のお供の一人に双頭の女性がいたと記されています。だから、双頭の人間がいなかったわけではない。ただ、チェルノブイリではその発生頻度が増えた。そのことが大きな問題だということです。

私は植物の奇形事例も集めていますが、それらの多くが放射能由来だとはなかなか言いきれない。ただ、放射能の影響かもしれない発生条件はあります。例えば、壁や塀の近くの植物に奇形が多くなる。これは雨水に混じった放射能がそのあたりに集まりやすいからかもしれません。熊本でもちらほらあります。最近はあちこちで通常、普通は実がならないジャガイモに実がなることが増えているようです。それを見て、40年、50年も農家をされてきた方々が「珍しい」「初めて見た」と言うから、話題になるわけです。しかし、それが報道されるとネットでは「そんなの珍しくない」と書き込む人が必ず出てくる。

人間の奇形は公にするのは難しいです。日本の法律では妊娠22週を超えると流産はさせらせられない。それに医師は奇形が生まれたことを他者には話さないし、お母さんも隠すでしょう。しかも、奇形児の出産がもし増えてその事実を公けにしても、得する人がいない。お母さんも傷つきますし、へたをすると夫婦間の問題になって離婚なども起きかねない。あそこで奇形が生まれたという噂が広がれば、それこそ差別につながりかねない。

◆分断される「原爆」と「原発」

私が経験したのは、九州の医師会の内部講演会の時に「被曝で奇形が生まれる」という話をしたら、長崎のある医師が猛烈に反論してきた。「長崎はいわれなき差別で被害を受けた。放射能で奇形は生まれないということはABCC(原爆傷害調査委員会)の研究で証明されている。なんでお前はそんなウソをつくのか!」と正面から噛みつかれました。

放射能と奇形の因果関係は議論の余地などないと思っていましたから、その時は唖然としました。その医師の略歴を聞いたところ、彼は長年、長崎で被爆者救済支援されてきた医師でした。要するに彼は、原爆被爆者は支援するけれども、差別は作りたくないがゆえに、奇形は出てこないと奇形の有無については、ABCCの報告を鵜呑みにし、奇形の話が出ると「原爆で奇形は起きていない」と主張する。その長崎の医師は五十代で、長年被曝活動に尽力されていた先生でしたから、よほど勉強していないと反論するのは難しい。

自分の活動が政治的だとさえ思っていない。だから、「放射能では奇形は生まれない」と彼の中では決まっていて、そこは絶対譲れないという考えです。長崎の被爆者組織の中にもそういう認識の人がかなりいるから、ことは単純ではありません。しかも被爆者は「当事者」なので、彼らの言葉はたとえウソであろうと社会的に力が強い。

3.11の後に長崎の被爆者の講演会に行ったときです。そこで被爆者の講演者が何を話していたかといえば、アメリカが原爆を落とした時、ピカッとしてやけどなどで被曝して死んだのは認める。しかし、内部被曝など爆発後の被害は認めないわけです。だから、私は質疑の際に挙手をして「爆発後に具合は悪くなかったのですか?」と質問した。すると彼は「爆発後はぜんぜん(体調は)悪くなかった。」「健康だった」と言うわけです。

熊本留学生交流推進会議の企画だったので英語同時通訳がつき、留学生の一人も「奇形児は生まれなかったのか?」と質問しました。すると講演者は「一切生まれなかった」「そんなことがあったら大変なことです」とまで言った。しかも、3.11の後なのに原発については一言も語らなかった。

その後、私は講演会の事務の方に「原発事故でも被曝します。それも大事じゃないですか?」と意見しました。すると主催者側の人は「我々にも立場があるから、そこには触れません」と言いました。[つづく]

[2014年6月26日熊本市 小野・出来田内科医院にて]
(構成=デジタル鹿砦社通信編集部)

ブログ「院長の独り言」

▼小野俊一(おの しゅんいち)(小野・出来田内科医院院長)
1964年広島生まれ宮崎育ち。東京大学工学部(精密機械工学科)を卒業後、1988年に東電に入社。福島第二原発(5年間)と本店原子力技術課安全グループ(2年間)で7年間勤務。1995年に退社後、熊本大学医学部に入学し、2002年卒業。NTT病院等の勤務を経て、熊本市の小野・出来田内科医院院長。『フクシマの真実と内部被曝』(2012年11月七桃舎)
◎ブログ「院長の独り言」 http://onodekita.sblo.jp/

 

「onodekita」さん200分インタビュー!
《原発放談01》福島の放射能被害はチェルノブイリより酷くなる(小野俊一)
《原発放談02》東電の「できる人」は役人に決してNOと言わない(小野俊一)
《原発放談03》自分で真実を想定していくしかない(小野俊一)
《原発放談04》そもそも早野龍五さんは原発を知らないです(小野俊一)
《原発放談05》被曝由来の病気は「個発」でなく「群発」(小野俊一)

最前線の声を集めた日本初の脱原発情報雑誌『NO NUKES voice』創刊号絶賛発売中!

《脱法芸能09》1963年の「音事協」設立と仲宗根美樹独立の末路

当連載では、これまで芸能界の最近の動きについてレポートしてきたが、ここからは第2部として、紙幅の関係で『芸能人はなぜ干されるのか? 芸能界独占禁止法違反』(鹿砦社)で採り上げられなかった、過去に起きたタレントの独立・移籍事件を振り返ってゆくことにする。

タレントの独立と移籍は、日本の芸能界の核心部分を浮き彫りにし、「芸能界とは何か?」ということの答えが見えてくる。

芸能尾事務所のビジネスモデルは、人気タレントを独占的に抱え込むことで成立する。だから、芸能界の論理では、タレントが勝手に他の事務所に移籍したり、独立することは許されない。そこで、1963年に渡辺プロダクションが中心となって設立されたのが日本音楽事業者協会(音事協)だった。音事協加盟社間では、タレントの引き抜きを禁じ、独立を阻止するカルテルが結ばれている。過当競争を防いで、共存共栄を図ろうというのだ。

渡辺プロ元取締役、松下治夫は「かつてはタレントのほうがプロダクションより力が強いということもあった。ほかのプロダクションにもっていかれたくないものだから、プロダクションはタレントのいいなりになるしかない。そんな時代が長く続いていた。音事協ができたことで、レコード会社に対しても、タレントに対しても、プロダクションの発言力は強くなった。原盤権製作の交渉もスムーズに進められたし、タレントのやみくもな引き抜きもなくなった」と述べている(松下治夫著『芸能王国渡辺プロの真実。』青志社 )。

◆「掟」を破った仲宗根美樹の末路

では、音事協設立以前の芸能界はどうだったのか。ここでは音事協設立前年の1962年に起きた仲宗根美樹の引き抜き、独立トラブルを紹介する。

仲宗根美樹は、1960年、『愛に生きる』で歌手としてデビューした。翌年、17歳の時に『川は流れる』が大ヒットし、レコード大賞の新人奨励賞を獲得。62年には『紅白歌合戦』にも出場し、トップスターの仲間入りを果たした。だが、「金の卵」となった仲宗根をめぐり別所と美樹の母親、八重子との間で骨肉の紛争に発展していった。

美樹が所属していたのは、松竹の元社員、別所弥八郎が経営する「おれんじプロダクション」という芸能事務所だったが、1962年4月に別所が行なった記者会見で引き抜きトラブルの存在が発覚した。

八重子は、別所の乱脈経営と過密スケジュールを問題にし、別所と手を切って、美樹のマネジメントを西銀座プロダクションの小林忠彦に依託した。

これに対し、別府は人気に収入がやっと追いついてきた段階で引き抜かれたのでは芸能事務所の経営は成り立たないと主張したが、引き抜きを防ぐことはできなかった。

さらに母、八重子は移籍先の西銀座プロからも独立し、1962年11月、仲宗根プロダクションを設立した。

八重子が不満だったのは、出演交渉で相手と直接にではなく、間に第三者を挟む芸能界のしきたりだった。

たとえば、当時、都内のジャズ喫茶は渡辺プロの縄張りだったから、ジャズ喫茶に出演するためには、渡辺プロに出演料の1割を払わなければならなかった。また、東映の作品に出演するためには、美空ひばりが所属するひばりプロダクションを通すことになっていた。

これについて、小林はこう語っている。
「われわれプロダクションの仕事は、潜在失業者みたいなもので、プロダクション同士が助け合っていかねば、とうてい生きていけるものではない。
不動産屋みたいなもので、みるだけみせてもらって、あとは持ち主と直接取り引きでは不動産屋は上がったりですよ。モノゴトには順序があり、私が口をきいた話なら、あくまでも、私のプロダクションを通して仕事をするべきで、それを断わり直接に取り引きされたのでは、私の面目もまるつぶれだし、この世界のシキタリにも反することでしょう」(『週刊サンケイ』1963年2月11日号)

◆「掟」を制度化した渡辺プロと音事協

この芸能界の論理を突破しようとした仲宗根美樹は、結果的に干され、映画出演の話は潰れ、全国の巡業も極端に減った。これについて、小林はこう述べている。
「全国各地の興行関係の親分衆たちも、私が可哀そうだと思えばこそ、シキタリに反する不義理な八重子さんの仕事は、引きうけないという態度をとるのであろう」(前掲誌)

同じ年に設立された音事協は、有力芸能事務所が団結することで、この「芸能界の掟」を制度化する狙いがあったのである。

(星野陽平)

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《脱法芸能07》小栗旬は「タレント労働組合の結成」を実現できるか?
《脱法芸能08》小栗旬は権力者と闘う「助六」になれるか?

芸能界の「構造と力」を読み解く!『芸能人はなぜ干されるのか? 芸能界独占禁止法違反』

 

《原発放談05》被曝由来の病気は「個発」でなく「群発」(小野俊一)

3.11直後から毎日休みなく福島第一原発動向をブログで発信し続けてきた「onodekita」さんこと小野俊一医師。東電、福島、被曝をめぐる諸相からメディア・識者批判にいたるまで、縦横無尽に語ってもらった200分インタビューを8回に分けて随時掲載する。今回はその第5回目。

onodekitaさんこと小野俊一医師

◆被曝由来の病気は「個発」でなく「群発」

── 最近の報道で驚いたのは、福島県立医科大の学長が「甲状腺がんの検診については、国がもっと関与してくれないと万が一、われわれが誤診をした時に国が責任の一端をとってくれないと困る」と発言していたことです(KFB福島放送2014年6月17日)。

甲状腺がん検診については現場の医師の意見も分かれてきています。「過剰検診ではない派」と「過剰だから検診する必要はない派」に分かれてきた。福島医科大は現場にいるから過剰でないという。一方で、後者のひとりには渋谷健司=東京大学大学院医学系研究科国際保健政策学教室教授(一般社団法人JIGH代表理事)などがいます。

彼は小和田雅子の妹の夫ですが、福島での甲状腺がん検診に対して、「こんなばかげたことはもう止めろ」と主張しています。これまで福島医科大は国とべったりで検査をしてきていた。それが最近、医師間でも意見の対立が起こってきて、ややこしくなってきたわけです。いまのところ福島医科大は甲状腺検診を止める気はまったくない。しかし東京の方では「もうやめろ」という声が高まっている。足の引っ張り合いが始まっていて、そこにはおそらく国の意向も絡んでいます。

甲状腺がんはICRP(国際放射線防護委員会)が唯一認めざるを得なかった被曝で増える疾病です。それ以外の病気も被曝で増えるかもしれないが、他の病気は「科学的にはわからない」とICRPは結論した。ただ、だからといって、被曝で他の病気が増えないという証明にはなりません。

例えば、放射線基礎医学が専門の野村大成大阪大学名誉教授は、被爆で心筋梗塞、子どもの発達障害などが増えるだろうと言っています。野村先生の説を大雑把に一言で言えば、「ハエやネズミで起こった奇形などの現象は人間でも必ず起こる」ということです。チェルノブイリ事故の3年後ぐらいに、放射線量が下がった。これで多くの医師はもう重大な被害はないと言って、研究を止めようとした。しかし、実際は3年後からが病気の本番でした。だから福島もこれからが危ないと野村先生は警告しています。野村先生についてはロシアのテレビ局「ボイスオブロシア」で放送された彼のインタビューがとても参考になります。

── 被曝の影響で有意に増加している病気、症状は何でしょう? 著名人の訃報や病気や体調不良も増えていませんか?

ガンが増えているのは確かでしょうし、真偽のほどはわからないけれど、がん保険に入りにくくなったというような話も聞きます。保険の払い出しが増えたというのも本当でしょう。

井伏鱒二の小説『黒い雨』の中に次のような記述があります。

「『口をあけてごらん』といってあけさせると、門歯はいつの間にか欠けて無くなっているが根はのこっている。数日前までは、ぐらぐらと根ごと揺れていたにもかかわらず、中途からぽろりと折れたらしい。腫れた歯茎からは絶えず血がにじみ出て、ホウ酸でうがいしたぐらいでは血が止まらない。口をつぐんでしばらくすると、唇の合わせ目に赤い糸のような細い筋が浮いている」

これを読んでそんなことも起きるのか?と思っていたら、最近、ネットでは芸能人などで歯が欠けたという話が結構出ています。歯自体は折れても根っこは生きているという状態です。

心不全が増えたことについては、東北大学の下川宏明教授(医学系研究科循環器内科学分野)が発表しています。先週の水曜日(6月18日)、下川先生が熊本に講演に来られた時、私も聞きに行きました。

講演の中で下川教授は、心不全の増加はストレスが原因と説明され、そのひとつの理由として、過去の大震災とは地震の種類が違うと言われていました。つまり、下川教授は地震の揺れ方(直下型、海溝型、津波の有無等)でストレスのかかりかたが違うと主張されていました。(笑)

私は納得できなかったので、「宮城県にも放射能が降りそそぎ、丸森町などでは除染もようやく始まっているのに、心不全が増えた要因のひとつとして放射能を考えていないのはなぜか?」と質問しました。すると、下川教授は、「被曝線量を測定していないから、要因の一つに挙げることはできない」と答えました。「測定していない」という理由で無視する手法は「科学的」といえるのか、大いに疑問です。

── 汚染が酷ければ福島で様々な病気が出てきていても不思議ではないように思うのですが、あまりそういう話は聞きません。

個人差が大きいと思います。それと被曝に強い弱いは遺伝や家系が関係していると思います。広島の被爆データを見ていると、一人が死ぬというよりも同じ条件の場で4~5人がほぼ同時期に亡くなる。おそらく福島でもそうした傾向が出てくると思います。同じ時期に同じ病気で亡くなる方がでてきたら、それは被爆との関連性を考えてもよいと思います。個発ではなく群発ですね。

3.11後の2011年だったですが、日本のコンサルティング会社に勤める方がうちに来て「どうも頭に一枚もやがかかっている感じがして、それがとれない」と言っていました。その方はばりばり仕事をしていたコンサルタントです。でも、どうも仕事ができないから九州に移住した。症状を一言でいえば「アルコールを飲みすぎた翌朝の二日酔い」のような気分とのこと。それで、アルコールを飲むと調子が良くなった気がするそうです。

チェルノブイリでもウォッカ中毒が増えましたよね。あれもアルコールを飲むことによって調子がよくなったと感じていたようです。人それぞれ濃淡はあるでしょう。しかもこれまで一所懸命仕事をしてきた人、ぎりぎりでやってきた人ほど、普段の健康状態と違う自分の体調不和に気づき安いかもしれません。私なんかいつもちんたらしているせいか、違いは以前より眠気が増したぐらいです(笑)

── 最近、徹夜ができなくなりました。加齢でしょうか?

歳をとるというのは皆、だれにとっても初めての経験です。だから、何が自分に起こっているのかよくわからない。私は3.11の前、40代になってから小さな字が見えにくくなってきた。老眼ですよね。体調の変化があったとき、多くの人は歳をとったせいかとまず考える。でもその変化には被曝の可能性も混じっているかもしれない。そのあたりは本当に微妙すぎてわからない。

私はすでに30代を経験しています。50代になって思うと30代には体力、気力がほとんど落ちなかった。35歳を過ぎて記憶力が落ちましたが、基本的に30代の人は元気です。しかし、もしこの年代の人たちがだるいとか言い出したら、それは被曝の可能性があると思います。

20代のアイドルでもいまは体調不良で休んだりしていますよね。われわれ時代のアイドルなんか、休みなんかほとんどなかったでしょう。急遽、出演中止とかほとんどなかったと思います。でも、最近、若くて元気なアイドルや芸人の中でも体調不良がやけに多い。喉を悪くする人も増えている感じがします。歌手や声優や俳優にこうした症状が多いのは、息を吸うことが多いからでしょうか。被曝の識別の症状例の中には咽頭痛があります。喉には気をつけた方がよいと思います。ただし、これらは統計的にはうまく出せない。しかも、著名人の体調不良の問題が統計的にも証明できるような事態になった時は本当に終わりで、深刻な事態ということです。

放射能に関するデータ分析では、とにかく屁理屈を言って否定する人がたくさんいます。人口動態のグラフでも明らかに十年前よりも3.11以後の方が減り方が急激です。しかし、これは「高齢化が主因だ」といって被曝由来の人口減を一切認めない。[つづく]

[2014年6月26日熊本市 小野・出来田内科医院にて]

(構成=デジタル鹿砦社通信編集部)

◎[参考リンク]野村大成・大阪大学名誉教授をお迎えして(「ピャトニツカヤ25番地」2013年10月28日)
http://japanese.ruvr.ru/2013_10_28/123519492/

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▼小野俊一(おの しゅんいち)(小野・出来田内科医院院長)

1964年広島生まれ宮崎育ち。東京大学工学部(精密機械工学科)を卒業後、1988年に東電に入社。福島第二原発(5年間)と本店原子力技術課安全グループ(2年間)で7年間勤務。1995年に退社後、熊本大学医学部に入学し、2002年卒業。NTT病院等の勤務を経て、熊本市の小野・出来田内科医院院長。『フクシマの真実と内部被曝』(2012年11月七桃舎)

◎ブログ「院長の独り言」 http://onodekita.sblo.jp/

 

onodekitaさん200分インタビュー!

《原発放談01》福島の放射能被害はチェルノブイリより酷くなる(小野俊一)

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《屁世滑稽07》ヤクザもナチスも“入る知っとら~!”FOOL-JAPAN内閣狂い咲き

(屁世26年9月23日)

ヤクザもナチスも“入る知っとら~!”

FOOL-JAPAN内閣狂い咲き……の巻

 

全国の大きなお友だちのかたがた、ごきげんよう。
屁世滑稽新聞のお時間です。

皆さんは、いまから百年くらい前の日本では、どんな人がいちばん頭が良くて
りっぱな人物だと、思われていたかご存じですか?

答えは「博士」か「大臣」だったのです。
ですから幼いうちからすごくかしこくて、学校のお勉強ができる子供は、
まわりの大人から「神童」などと呼ばれ、「末は博士か大臣か」などと言われながら、
世間の出世階段の最高のゴールに駆け上っていくものと、熱い期待をかけられたものでした。

……もっとも、「神童」などと言っても、たとえ気の良い貧乏人から危なそうな食べものを
ふるまわれても、その親切に感謝して喜んで食べ、そのせいで死ぬほどの食中毒になっても
けっして後悔しない、お釈迦さまのように慈愛に満ちた人徳の高い子供とか、
けんか友だちや悪党に左のほっぺたをぶたれたら、反撃せずにだまって右のほっぺたも
相手に差し出すような、キリストさまのように平和を好む高潔な子供は、親や学校の先生から
「バカ」呼ばわりされて叱られたわけですけどね。

そんなわけで、「神童」といっても人格の良さでなく、もっぱら頭の回転が速いだけの
子供につけられた呼び名だったわけで、おとなの世界というのはイイカゲンなものなのだと
いうことを、お小さいかたがたも、今のうちから知っておいて損はないと思いますよ。

★          ★          ★

さて現代の、屁世のニッポンは、「神童」が博士や大臣に成り上がる世の中ではなくなりました。
狸研(りけん)のオボちゃんみたいに、お父さんが三菱財閥の大会社のえらい人であれば、
まともな試験も受けずに“日本最高の科学研究所”といわれてきた狸化学研究所に
すんなりと入って、そのまんまプロジェクトリーダーになったりもできますし、
お父ちゃんや、お爺ちゃんや、ヒイお爺ちゃんが地方議員とか代議士だったりすると、
もうそれだけで、大臣になれたりするのが、屁世ニッポンなのですからね。

そんなわけで、当世では、子供のうちから小器用におとなを顔色をうかがって、お利口さんな
ことを言ったりやったりするかたがたは、「末は詐欺師か大臣か……」と心配されたりも
するという、情けのない世の中に成り果てたのです。

あゝ、こんな暗いことは、わたくしもラジオ子供ニュースでお話ししたくはないのですけれども……。

というわけで、きょうはちょっと暗いお話しになってしまいますが、大きなお友だちのかたがたも
ガマンして聞いてくださいね。

★          ★          ★

きょうのお話しは、東京永田町の動物園の檻(おり)のなかに、とんでもないお客さんが
飛び込んてきた、というニュースです。

永田町の議員会館動物園には国会議員バッジをつけた鷺(サギ)がたくさん飼われております。
そこに入り込んできたのは、「国家社会主義日本労働者党」という、ドイツのナチス、正式な名前でいうと
「国家社会主義ドイツ労働者党」をまねた、ネオナチ団体の党首だったのです。

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国家社会主義日本労働者党(NSJAP)のホームページの冒頭です。
「密着24時!日本のネオナチ」という番組の宣伝をする山田一成党首が
大写しになっています。
この番組(https://www.youtube.com/watch?v=k_pP_sc09FY)は一見の価値が
ありますわよ、なにしろ、「安倍!おまえ売国奴だホントに!」と自民党政権の
罵倒する場面から始まっているのですから。
(引用元:http://nsjap.com/jp/index.html
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可笑しいのは、かつてヒトラーが率いたナチス党というのは、ドイツ語では正式名称を
「ナツィオナールゾツィアリスティッシュ ドイッチェ アルバイターパルタイ(Nationalsozialistische
Deutsche Arbeiterpartei)」――あゝ舌を噛みそうだワ!――といい、その略称は「NSDAP」と
言ったのですが、この日本のネオナチ団体はそれをそっくりまねて自らの略称を「NSJAP」と
称しているんですよね。……「エヌエスジャップ」ですよ(笑)
嘘だとお思いなら、ここに「エヌエスジャップ」のウェブサイト(http://nsjap.com/)を
示しますから、ご自分でごらんになるといいワ。

「エヌエスジャップ」の長ったらしい正式名をここでいちいち繰り返すのは大変なので、とりあえず“日本ナチス党”と呼ぶことにいたしましょうね。

それにしてもこの人たちは、どうしてここまでドイツの猿まねをしなきゃならないのでしょうか?
ドイツのヒトラーやナチスが大好きだ、という気持ちは伝わってくるけれども、その猿まねをするんじゃ、
ただのお猿さんですからね。
しかもその結果、自分たちを「エヌエスジャップ」などと呼ぶ始末なのですから。
「ジャップ」は日本人にとって、けっして歓迎できない軽蔑語ですからね。

なのにこの人たちは、それを海外にむけて、英語とドイツ語で発信しているのですから、
じつは日本人をおとしめたいとひそかに願っているような、悪意のある団体であるとしか思えませんわ。

さてこの“日本ナチス党”の、ヒトラーみたいな党首さんが、3年前に国会議員会館を訪れて
自民党の有力議員たちと会っていたのです。そればかりか現職国会議員さんたちとの、親密な
ツーショット写真まで撮っていたのでした。

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自民党の有力議員さんたちと“日本ナチス党”の幹部とが、永田町の議員のアジトでひそかに

親密な交流を行なっていたこの時期に、日本の政権を担っていたのは民主党でしたが、
寄り合い所帯の民主党も、やっぱり国民不在の勝手な政治をしておりました。
そうした国情のなかで、自民党の西田議員などは民主党幹部の“黒い人脈”を追いかけて、
権力悪をどこまでも追いつめる“正義の騎士”のようにも見えたものでした。
……ところがこの人も、けっきょく日本版ナチスの飼い犬みたいなものだったのですのね。

さてその“日本ナチス党”ですが、この団体のウェブサイトをみると、世に言う“過激派”だと
いうことがわかります。15年前にはアメリカ大使館に抗議行動をかけて、大使館前を「一時占拠した」
という勇ましい戦果を報じてるのよ。

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“日本ナチス党”(NSJAP)の活動報告ページには、米国大使館前を
一時占拠したという反米闘争の戦果が写真つきで報じられております。
(引用元:http://nsjap.com/jp/houkoku/
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小泉政権時代には、ブッシュ大統領の来日反対を叫び、旭日旗や独特の鍵十字マークの旗をかかげて、
デモ行進をしていましたのよ。

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やはり“日本ナチス党”の活動報告ページです。
小泉政権時代の2003年に、ブッシュ大統領来日への反対闘争を
した報告が出ておりましたワ。
(引用元:http://nsjap.com/jp/houkoku/
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……なかなか勇ましい過激派集団なのですが、いま自民党の総務大臣をやってらしゃる
高市センセイとか、政調会長になられた稲田センセイとか、「国会の爆弾男」と呼ばれて
恐れられた西田センセイが、こういう過激派と仲良しだなんて、ビックリですわ。

「爆弾男」なんて呼ばれているくらいですから、こういう過激派集団に同調している以上は
お互いに通じ合って、国会議事堂に本物の爆弾なんかを持ち込んで、爆発させるなんてことだって
やりかねないわね。

まして、通じている相手が“日本ナチス党”なのですから、むかしドイツのナチス総本家が
やったみたいに、自分たちで国会に火をつけておいて、「犯人はキョーサントーだ!」
などと騒ぎ立てて、対立政党をぜんぶ解散させちゃうなんてことだってやりかねないかも……。

あゝこわい。
公安調査庁とか警察庁とか国家公安委員長は、国会内に浸透しているこうした過激派勢力を
取り締まらねばならわいわネ。
頼みますワよ、国家公安委員長さん。

……ところで今の安倍政権で、国家公安委員長って誰でしたっけ?

……あゝ、山谷えり子さん……なのね。いまの国家公安委員長って。
それじゃ期待できないわネ。だってこの人、文鮮明教祖の生まれ故郷の北朝鮮を必死にテコ入れ
している韓国のカルト教団・統一教会のスジのかたですものね。(笑)

しかも山谷センセイは……なになに? 拉致問題担当大臣で、国土キョージン化担当大臣ですって?
そんなに国土を狂人化して、どうしたいのかしら?(笑)

★          ★          ★

ところで、“日本ナチス党”の山田党首と、いま自民党アベ政権の総務大臣とか政調会長に就いて
いる重鎮のかたがたが、ニコニコしながら議員会館内でツーショットを撮っていたことが
バレて、全世界に報道されたのは今年の9月になってからのことですが、この大事件について
監房腸管……もとい、官房長官のスガさんは9月11日の記者会見で、こんなコメントを出したのよ。
「(高市、稲田の両氏は、ツーショット写真を撮った男性がまさかネオナチ政党の党首だなんて)
そのような背景があるとは知らなかったわけで。だから全く問題はない!」

あ~ァ、スガ官房長官さん、あなた官房長官なんだから、ちょっとは「遺憾の意」でも表明
すればよかったのに、開き直っちゃった……(笑)。だから“ゲッベルスガ”とか言われちゃうのよ。

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ビックリすることは、まだまだありますのよ。

いまの総理駄塵……もとい、総理大臣ご自身が、最初に総理大臣になって下痢ピ~で官邸から
逃げ出したのち、歳費をもらってブラブラしていた2008年の6月に、議員会館の自分の部屋で、
“山口組の金庫番”と呼ばれるヤミ金融の帝王と写真をとっていらしたのよ。

この事件は、週刊ポスト誌が2012年10月26日号でスクープしたのですけど、当時「大臣浪人」中の
安倍晋三センセイと密会していたのは、永本壹柱(いっちゅう)さんという、なかなか日本人ばなれしたお名前の、
純白のスーツにピンクのネクタイのお洒落なおじさまでした。じつはこの人、韓国籍をもつ
日本居住者で本名を孫壹柱(ソン・イルジュ)といい、朝鮮学校で教員をしていたこともあるですって。
そういうお方が、いつのまにやら“ヤミ金融の帝王”にまで立身出世したのですから大したものだと思うワ。
このおじさま、金貸し業の登録をお持ちでもないのに金融ブローカーに数億円を貸し付けて、
それが中堅ゼネコンの架空融資事件に発展し、韓国に逃亡していたのですが、日本に再入国
したところを逮捕されたのでした。それが2012年3月のこと……。

日本のふつうの学校の先生なんかは、逮捕されるといっても痴漢とか盗撮とか万引きとか、
そういうセコい犯罪ばかりなのですが、学校の先生あがりで“ヤミ金融の帝王”にまで
出世したのですからスゴイわよネ。……きょうのお話しの最初にのべた「末は博士か大臣か」に
引きつけて考えれば、壹柱(いっちゅう)さんというのは子供の頃は“神童”だったのかもしれませんワ。
“一休とんちばなし”を、ふと思い出してしまうような、興味ぶかいお話よね。
ヤミの世界で、日本の法律の網をかいくぐって億単位をお金を動かすとなれば、それはヤミ世界の
閻魔大王のような有力勢力と仲良くなって、守ってもらうことも必要なのでしょうから、
山口組の企業舎弟くらいになっても当然ですものね。

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安倍晋三「黒い交際写真」の謀略(『週刊ポスト』2012年10月26日号32-33頁)

安倍晋三「黒い交際写真」の謀略(『週刊ポスト』2012年10月26日号34-35頁)

2008年6月に議員会館の安倍晋三事務所で撮ったスリーショット。
中央が“大臣浪人”中の安倍センセイ。
左は、米国共和党きっての保守派で進化論を否定しパレスチナにおける
イスラエルの“土地泥棒”を応援するマイク・ハッカビー議員。
右は、“山口組の金庫番”でヤミ金融の帝王として知られる永本壹柱氏。
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★          ★          ★

お小さいかたがた。
きょうはオトナの、汚らしい世界を見せてしまって、ごめんなさいね。

動物園というのは、もともと野生の動物たちを収容している場所ですから、
オシッコやウンチや野生の体臭などで、自然と悪臭がこもるのは仕方のないことよ。
今どきのお小さいかたがたは、健康で文化的で、清潔な暮らしのなかで育ってきたから、
動物園のそういう臭いがイヤだといって、熱帯動物展示館に入りたがらないお子さんも
いらっしゃるわネ。

だけど動物園の管理人のかたがたも、それではいけない、子供も大人もおおいに楽しめて
勉強の役に立ち、社会を明るくする動物園に直していかねばならない!……と頑張っているのよ。
その努力のおかげで、いま全国の動物園は、野生動物のありのままの暮らしぶりがよく見えるような
「生態展示」と呼ばれる展示のしかたに発展して、有名なところでは北海道旭川の旭山動物園
のようになってきています。

……ところがどうでしょう?
東京永田町の議員会館動物園は、いまも外からハイエナとか野良犬が入り込んで、国民の
税金で飼っている動物たちとツガったりしているのですから、ひどいものです。
それに、どんよりと悪臭がこもってしまって、議員会館動物園にこびりついてしまっているワ。
こういう不潔な動物園は、廃止せねばならないのかも。
廃止は無理だとしても、汚物にまみれたなかの動物たちを一掃しなくちゃならないのかもね。

……でも、こういう考え方もできるかも知れないわネ。
永田町の議員会館動物園は、危険動物や不潔な野獣の“生態展示”の最先端なのである……ってね。
そう考えれば、ケモノたちがどこまで汚らしく暮らせるかを、観察できる絶好の教材だと
考えることもできるわね。
……だけど、汚物を飼っておくために、国民の貴重な税金をつかう必要があるのかしら?
やっぱり疑問は残ります……。
お小さいおかたがたも、大きなお友だちのかたがたも、これは考えてみて下さいな。
東京のど真ん中の一等地に、害獣を飼っておく動物園がはたして必要なのかって……。

きょうはこれでおしまい。

また今度、お話しましょうね。
では皆さん、ごきげんよう。 さようなら。

 

屁世滑稽新聞は無断引用・転載を大歓迎します。
ただし《屁世滑稽新聞(http://www.rokusaisha.com/wp/?p=4657)から引用》と明記して下さい

《大学異論09》刑事ドラマより面白い「大学職員」という仕事

一般的に大学職員と言えば、市役所の窓口職員など、いわゆる官吏的な定型業務が中心で、お堅い保守的な仕事をイメージされる方が多いのではないだろうか。国公立大学大学の職員は確かにそのような側面が強いことは確かであるし、私学でも大規模大学の職員は、業務が細分化されているのでその印象もあながち外れてはない。

何を隠そう私自身、大学職員に転職した本当の動機は「会社より楽そうだから」が本音だった。

ところが、学生と密に接触をする学風の小規模大学の場合、事情はかなり異なる。

大学の事務室で仕事をしていると、実に多彩な人々から電話がかかってくる。また普通はお目にかからない職種の方が訪ねてくる。

◆オウム真理教との遭遇

1993年頃、私の机の電話が鳴った。かけてきた主は「留学生をイベントに招待したいのだけれども、大学にポスターを貼らせてくれないか」と言う。

ケースによってはありがたい話である可能性もあるから一応「どのような団体の方ですか」と問うと、「オウム真理教と申します」と(!)。

当時はまだオウム真理教が発展期で麻原彰晃が北野武とテレビで語らったり、特段危険団体とは認識されておらず、宗教学者の中沢新一は「オウム真理教は宗教のディズニーランドだ」などと、後で取り返しのつかないような軽薄さでオウム真理教を賞賛するエッセーを書いたりしていた時代であった。が、すでに「空中浮遊」(あぐらをかいたまま床から浮き上がる)などというオカルト振りを既に発揮していたこともあり、私は丁重にお断りをした。

電話の主は「またよろしくお願いします」と礼儀正しく会話を終了したのだが、会話の際に私が名前を名乗ったためであろうか、後日15キロはあろうかと思われる段ボールが私宛に送られてきた。中にはオウム真理教の教義をマンガにした本や信者の修行の様子の写真集、極めつけは麻原彰晃の「空中浮遊」の写真集まで多彩な書籍が詰め込まれていた。

麻原彰晃「空中浮遊」写真集(勿論、写真集の名前はもっと意味ありげだったと思うが、覚えていない)では、これでもか、これでもかと長い髪の毛を振り乱しながら力任せにとしか思えない「飛び上がり」を撮影した写真だけで構成されていて、「空中浮遊」が「空中への飛び上がり」であることをわかりやすく見て取ることができた。

麻原彰晃には失礼だが、どう見ても力任せに「ぴょん」と瞬間的に飛び上がっている写真の羅列に「これ、絶対図書館に入れとこな。歴史的な資料になるで」と同僚と腹を抱えながら笑った。誰かに頼んで図書館に運んでもらったはずだが、果たして蔵書として残っているであろうか。

◆公安警察官とのお付き合い

所轄の警察から電話がかかってくることも年に数回は必ずあった。学生の事故、落し物などは序の口で、窃盗、麻薬、密輸、偽造パスポート、果ては地下銀行から殺人まで。警察からの電話は勿論訪問アポの取り付けで、こちらも学生が事故、事件に巻き込まれている以上、訪問を断るわけにはいかない。かくして私と所轄警察署の付き合いは年々増加してゆき、担当の公安警察官は御用聞きのように頻繁に現れるようになった。

私の勤務していた大学は当時「学生を罰しない」と言う不文律があり、たとえ刑事犯罪を犯しても何とかして救済し更正させ、卒業まで面倒を見る、という良い過激とも言ってよいヒューマニズムに徹していた。これといって明文化されたスローガンや理念があるわけではないが、それこそ空気として「何があっても学生は守る」のが学風であった。

なので、誤解をされると困るのだが、私が警察官、取り分け公安警察と懇意な関係となったのは全て学生の利益のためであり、そのためには警察へどうでもいい情報は提供する、その代りそれを超える情報を頂く。この原則は絶対に崩さなかった。

「田所さん、○○君と言う学生さんどんなもんでっしゃろか」と電話がかかってくる。

「Qさん、お約束は?」

「あ、クスリですわ」

「この学生は直接面識ないなー。調べますから2,3日時間くださいな」

「はい、よろしゅうたのんます」と言う具合だ。

早速学生を呼び出して面談をする。何年か問題学生との面談をしていると、その学生がクロかシロかだいたいの感触はつかめるようになる。そのケースは明らかに学生がドラッグをやっていることが面談中に直ぐわかった。しかも単純使用ではなく、どうやら学内で売りさばきをしているらしい。学生名まで特定されて令状を持ってこられたらこちらの対応も難しくなる。

「警察が君の名前で連絡してきたんや。このままなら確実に逮捕や。しかも単純使用じゃないから、執行猶予はつかない。どないする?」と冷たく言い放つ。

「どうしたらええんですか? 俺、自分では確かにやってるけど、人には売ってません」

「嘘つけ!こら!ここが大学やからて眠たいことゆうてたらお前明日にはわっぱ(手錠)はまんねんぞ!わしの言う通りにせなお前は逮捕されるんや。それだけちゃう。お前から買った学生も引っ張られる。ワシはそうはさせん!ごちゃごちゃ言い訳ぬかさんと持ってるクスリ今すぐ下宿に取りに帰れ!1時間以内にワシにもってこい。それから売った学生名前全部書き出せ!ええか!」

「はい」

学生は複数種類のドラッグを素直に持ってきた。

「よく言うことを聞いてくれたね。ありがとう。絶対これ以上もってへんな?」

「はい、これで全部です」

目を見れば嘘ではないのがわかる。

「売った学生のリストは?」

「これです」

「こんなにようけおんのか!」

「・・・」

「今貯金いくらある?」

「え?」

「今自由になる金ナンボあんねん?」

「3万くらいです」

「ちょっと待ちや」

まず担当の警察官に電話をかける。

「○○の件です。今お母さんが入院してはってで実家に帰ってますわ。1週間くらいで戻る言うてますから、帰ってきたら私が聞いときますわ」

「はいはい、ほな先生よろしゅうに」

このケースはたぶん「学生を挙げる(逮捕する)よ」と言うメッセージを親心で警察官が流してくれたのだろう。日頃付き合いがなければこうは行きはしまい。

私は手持ちの3万円を学生に手渡し、

「九州かどっか遠い場所に一週間行って来い。毎日サウナに泊まってサウナに入りまくれ。一週間したらこの番号(事務室の私の電話)に電話を必ずかけるように、後はその時指示するから」

自白した学生は正直なもので、その足で私の指示通り九州に出向きサウナに泊まり、1週間後に電話をかけてきた。彼からの電話かかる前に、私はクスリを買っていた学生をひとまとめに集めてそちらの処置はすませていた。

「君らが○○君からクスリ買ってやってたことはわかってる。もう今後絶対やったらあかんぞ。警察も動いてる。君らが約束を守ってくれたら大学は何があっても君らを守る。その代り嘘をつかれたら大学は責任持てない。まだ未使用のクスリ持ってる人手を挙げて」

学生たちは不安そうにお互い顔を見合わせて逡巡しているが、やがてぱらぱらと手が上がる。この連中は単純使用なので、やはりすぐに私に所持しているクスリを持参させ、私宛の念書を書かせる。

きれいな顔になって九州から学生が戻ってきた。再度強く注意し彼にも私宛の念書を書かせる。仕上げは警察への報告だ。

「今日○○帰ってきましたので面談しました。シロですわ」

「そうでっか、お手数かけましたな先生」

「いえいえ、こちらこそお世話になりました」

全て実話である。

(田所敏夫)

《大学異論01》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(前編)

《大学異論02》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(後編)

《大学異論03》職員の7割が「非正規」派遣・契約のブラック大学

《大学異論04》志ある「非正規」は去り、無責任な正職員ばかりが居坐る

《大学異論05》私が大学職員だった頃の学生救済策

《大学異論06》「立て看板」のない大学なんて

《大学異論07》代ゼミと河合塾──予備校受難時代に何が明暗を分けたのか?

《大学異論08》5年も経てば激変する大学の内実

 

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《原発放談04》そもそも早野龍五さんは原発を知らないです(小野俊一)

3.11直後から毎日休みなく福島第一原発動向をブログで発信し続けてきた「onodekita」さんこと小野俊一医師。東電、福島、被曝をめぐる諸相からメディア・識者批判にいたるまで、縦横無尽に語ってもらった200分インタビューを8回に分けて随時掲載する。今回はその第4回目。

onodekitaさんこと小野俊一医師

 

◆早野龍五と坪倉正治の共通性

── 世論の誘導でいえば、わかりやすい御用学者はどうでもよくて、むしろ、わかりにくい御用学者の方がたちが悪いと感じます。例えば、早野龍五=東京大学教授などは非常にソフィストケイトされていて、「将来の危険」より「いまの安心」に誘導する「被災者と寄り添う」派の代表のように思えます。

早野龍五さんが測るといつも被曝量はゼロか基準値以下ですよね。県庁の食材もそうだったし、学校の給食も基準値以下。ホールボディーカウンターでも基準値以下でゼロになる。それで彼は放射線量が出ないから安全だというわけです。ただ、逆に言えば、放射能が出たら危険だということですよね? 私が早野さんに一番聞きたいのは、では早野さん、放射能は危険か? 安全か?ということです。測っても10ベクレルしかないというけれど、この10ベクレルはどうなのか? それが100ベクレルだったらどうなのか? 彼の言うことは逆にいえば、放射能の風評を広めているともいえます。

事故直後の彼のツイッターへのフォローワー数の増え方がおかしかったです。あまりに一気に急増していましたから。2011年の3月12日に彼のフォローワー数はその日だけでなんと16万人増えています。フォローワー数の伸びを時系列のグラフで見ると、この日の伸びがあまりに瞬間的に伸びたので、折れ線グラフの線が絶壁のように上がっている。どんなに注目されたとしても2~3日ほど徐々に増えてそれから急激に上がるのが普通です。一日で突然増えるというのは、たとえネットの反応が迅速だとはいえ、不自然です。かなりの数のやらせフォローワーがいたかもしれません。あるいはなんらかの国策が絡んでいるのかもしれません。普段は正しそうにしていながら、どこかで大きなウソをつける、かなりの曲者だと思います。

そもそも早野さんは原発を知らないです。知らないことをさも知っているかのように話せるというのは「できる人間」の能力で役人と似ています。おそらくそういう能力はものすごく高い人なのでしょう。反論に対して、しどろもどろにならずにきちんとある程度のことがいえる。矛盾の隠し方が上手い。事故直後に首都圏で大量の放射能が降った雨の日のツイッターでは、「春雨じゃ、濡れてまいろう」などと書き込んでいます。

早野さんもその一人ですが、1960年代の核実験ですでに日本の土壌には放射能がたくさんある。だから、多少の事故でもさほど変わらないかのようにいう学者が多い。でもこれはとても単純なデマでした。事故直後の放射性降下物の量は過去と三桁違っています。1万倍ぐらい桁違いに多かったわけです。ところが、彼はそれについて一切、反省の弁がない。ある一定の人たちは、早野さんのように東大の偉い先生で、穏やかな物言いのインテリの言葉を鵜呑みにする。偉ぶらないように見える偉い人ですよね。

── 南相馬市立総合病院の非常勤医として「現地発」の医療レポートを大手のニュースネットで書いている坪倉正治=東京大学医科学研究所医師はどう評価されますか?

坪倉さんはまだ大学院生じゃなかったでしたっけ? しかも、南相馬市に常駐している医師ではない。なのに「現地は安全安心ですよ」と言っているような印象が強いです。彼は「現地レポート」といいながら、南相馬ではあくまで非常勤勤務医。いまネットで調べたら、検診担当日も週に一回でしかも午前中だけですよ(笑)。だから、南相馬に常駐しているわけではないでしょう。他の非常勤医でも週2回とか3回なのに、彼は週1回。現地の南相馬にいるのは週に1日程度ではないでしょうか。伝え方はうまいし、ソフトな感じですから、その点で、立場的には早野龍五に近い感じがします。

◆専門家のレベルがまるで違う日本と米国

日本の一番悪いところは、原子力の専門家が必ず大学教授だということです。彼らのほとんどは原発の運転ひとつ、わかっていない。現場を知らない専門家は米国ではありえない。米国の原発専門家といえば、NRC(原子力規制委員会)が必ず出てくる。NRCは軍からも来ていて、原子力空母の管理など実際に現場経験が豊かな人たちです。米軍で実地トレーニングを受けて、原子力に詳しい人がNRCに行く。だから彼らは専門知識のレベルも高い。

対して日本の場合は専門家が大学教授。大学教授は現場の訓練をしていないし、そもそも原子力に関する専門レベルも低い。カビが生えたような古い知識しか持っていない人たちです。原発施設がどのぐらい広いのかさえ知りません。原発建屋に一度も入ったことのない人がいたってぜんぜんおかしくない。つまり米国と日本の原子力専門家というのは同じ「専門家」といってもぜんぜん中身が違う。

日本の専門家はただの学歴馬鹿が多くて、机上の論理の専門家。そんな人たちが日本の原子力政策を担っている。日本の政府機関の中枢で原発の現場にいた人はひとりもいないでしょう。そもそも日本ではトレーニングのしようがない。斑目さんみたいな大学教授に教えられても原子力の現場知識は身につきません。電力会社の人間でもそうです。実際に原発機器を作ったり、直接動かしているわけではない。それはメーカー側の仕事です。しかし、メーカーの現場の人が政府の原子力行政に関わることはほとんどない。[つづく]

[2014年6月26日熊本市 小野・出来田内科医院にて]

(構成=デジタル鹿砦社通信編集部)

ブログ「院長の独り言

▼小野俊一(おの しゅんいち)(小野・出来田内科医院院長)

1964年広島生まれ宮崎育ち。東京大学工学部(精密機械工学科)を卒業後、1988年に東電に入社。福島第二原発(5年間)と本店原子力技術課安全グループ(2年間)で7年間勤務。1995年に退社後、熊本大学医学部に入学し、2002年卒業。NTT病院等の勤務を経て、熊本市の小野・出来田内科医院院長。『フクシマの真実と内部被曝』(2012年11月七桃舎)

◎ブログ「院長の独り言」 http://onodekita.sblo.jp/

onodekitaさん200分インタビュー!

《原発放談01》福島の放射能被害はチェルノブイリより酷くなる(小野俊一)

《原発放談02》東電の「できる人」は役人に決してNOと言わない(小野俊一)

《原発放談03》自分で真実を想定していくしかない(小野俊一)

最前線の声を集めた日本初の脱原発情報雑誌?『NO NUKES voice』創刊号絶賛発売中!

 

《紫煙革命01》知られざるタバコの真実──タバコって体に悪いのかな?

デジタル鹿砦社通信をご覧の皆さん、禁煙してますか? 私はスイマセンなんて謝ったりしません。はじめまして、愛煙家の原田卓馬です。鹿砦社の松岡社長から「君も何か寄稿しなさい」といわれたので勝手にタバコをテーマに連載することにしました。毎週更新ということでお届けしますが、いつ打ち切りになるかわかりませんのでよろしくお願いします!

何の疑問ももたずにJTの金ヅルになっているニコチン依存症の諸君。健康推進を謳った現代医学によるのタバコ・ネガティヴ・キャンペーンに屈した嫌煙家諸君。タバコは文化であります。嗜好品はあくまでエレガントに楽しもうではないか。マナーは大切に!

◆悪者になったタバコ

2005年に世界保健機関(WHO)によって発効されたたばこ規制枠組条約に日本も参加して、義務づけられた『たばこ警告表示』。タバコのパッケージの30%の面積を費やして「○○病の危険性を高めます」や「○○病で死亡する可能性が非喫煙者に比べて○倍」などと不安を煽るようなコメントが印刷されるようになった。日本はまだましな方で外国だと喫煙によって真っ黒になった肺の写真が印刷されたタバコのパッケージも多い。デザイン性もへったくれもないじゃないか。

それ以来、喫煙所の撤去、路上喫煙の禁止、飲食店の禁煙化が進んだ。昭和のテレビドラマなんかだと学校の職員室でタバコを吸いながら生徒に説教している教師が登場したりして「そういえば昔はこんなこともあったな」と思い出す反面、今だったら2秒でクビなわけである。

日本の喫煙マナーが最低だったという件に関してはともかく、今やタバコは国際社会において悪者扱いである。

◆タバコってなんだろう?

タバコとはナス科タバコ属の植物で、古くは紀元前5000年頃から南米アンデス山脈で栽培されていたと言われる。南米マヤ文明でも、北米のインディアンにおいても神聖な儀式のための重要な植物であった。

タバコという言葉はスペイン語ポルトガル語の『tabaco』だが、古アラビア語で薬草を示す『tabaq』がおおもとの語源であるとみられている。

タバコに含まれるニコチンの効用は興奮・鎮静という相反する精神作用であり喫煙時の状況や本人の目的に応じて変わると不思議な化学物質なのである。

15世紀、大航海時代にアメリカ大陸からヨーロッパに伝わり、日本には室町時代末期ごろポルトガルの宣教師によって伝来した。高価な薬草として普及したため裕福な武士や商人以外はなかなか喫煙することができなかった。当時は煙管(キセル)による喫煙が一般的だった。

現在、一般的なシガレット(紙巻たばこ)が世界的に普及するのは第一次世界大戦終結後のことだ。

◆タバコそのものは悪くないかもしれない

さて、タバコの歴史はここまでにして本題に入ろう。読者諸君は葉巻(シガー)を吸ったことがありますか? 葉巻はフィラー(中身)、バインダー(フィラーをまとめる)、ラッパー(バインダーを外側からくるむ)の三層構造になっていて、いんちきな安物でなければ100%タバコの葉っぱでできている。

ある夜ふと思いついて葉巻を吸えるシガー・バーというのに行ってみた。よくわからないので店員さんにオススメの葉巻とそれに合う酒を選んでもらった。2時間くらいかけてゆっくりと葉巻のねっとりとした煙を燻らせて、グラスを傾けたらもうとても素敵な体験でタバコの香りというのはなんともいえない恍惚感を与えるものなのだと感激した。その後、普段吸い慣れているシガレットを吸ってみたら「なんじゃこりゃ!」と、思わず嘔吐しそうな程に不味いのでびっくり。

その時感じたのは「ボンドみたいな鼻をつく刺激臭、紙の焦げる臭い、消毒薬のような臭い」であった。都市伝説のようにいわれているタバコの添加物の正体が少し見えかけたので面白いから調べてみた。すると、日本たばこ産業(以下JT)のWEBサイトで『添加物情報』なるページを発見した。

日本たばこ産業(JT)のWEBサイト『添加物情報』より

それによると『たばこ添加物』として以下の
・香料
・結合剤
・保湿剤
・保存料
・溶媒
・乳化剤
・酸化防止剤
・工程補助剤
の200種類以上の添加物が

『材料品添加物』として
・巻紙
・巻紙のり
・鋼版インキ
・フィルター素材
・フィルター巻取紙
・フィルターのり
・チップペーパーおよびチップペーパーインキ
の120種類以上の添加物が公表されているではないか!

内閣府大臣官房政府広報室のWEBサイト『政府インターネットテレビ』の『たばこの煙の恐ろしさ・吸ってる人にも吸わない人にも知ってもらいたいこと』で紹介されている以下の「たばこの煙の三大有害物質」(内閣府大臣官房政府広報室)

たばこの煙の三大有害物質(内閣府大臣官房政府広報室より)

・約70種類の発ガン物質
・約200種類の有害物質
・約4700種類の既知の化学物質
・10数万種類の未知の化学物質

これらの有害物質と、タバコの添加物の関係を少し調べてみようと思う。

最後になりますがわたくし、ナチュラル無添加のCOLTS、OCBのプレミアムペーパー、Smokingのスリムフィルターで手巻きタバコを楽しんでいまーす!
長くなってしまったので次回をお楽しみに!

 

(原田卓馬)

タブーなきスキャンダリズム! 『紙の爆弾』10月号絶賛発売中!

 

《原発放談03》自分で真実を想定していくしかない(小野俊一)

3.11直後から毎日休みなく福島第一原発動向をブログで発信し続けてきた「onodekita」さんこと小野俊一医師。東電、福島、被曝をめぐる諸相からメディア・識者批判にいたるまで、縦横無尽に語ってもらった200分インタビューを8回に分けて随時掲載する。今回はその第3回目。

onodekitaさんこと小野俊一医師

◆自分で真実を想定していくしかない

── 汚染水ではストロンチウム90を含む放射性物質濃度(全ベータ)がこれまで発表していた数値の10倍だったとか(河北新報2014年6月21日)、2号機では格納容器内の水位がこれまでの想定の半分しかなかったとか(NHK2014年6月10日)、立て続けに東電は修正情報を発表しています。

当たり前です。だって核燃料はすでに溶けて、地下に潜ってしまっている。それがどこにあるのかさえ把握していないのが実態です。逆におかしいのは、マスコミが東電の広報発表しか報じないことです。現場を取材している記者がほとんどいない。福島の現状をきちんと知りたいのであれば、浜通りのあたりを取材すればいろいろな話が出てくるはずです。情報源を東電に頼ってはいけない。もしもいま、福島で被曝が原因で人が死んだという話が出てきたら、それだけで大変なことになるはずです。そうした事実を隠すために、被曝された現場の人には相当な額のお金を支払われていると思います。

内部情報でいえば、「田舎のトンビ」という人の書き込みが興味深いです。「田舎のトンビ」さんの書き込みはエッチなサイトに紛れ込んでいて、わかりにくいのですが、時折、衝撃的な情報を流しています。

「田舎のトンビ」で検索すると、例えばこんな記事が出てきます。これは2011年12月の書き込みですが、原子炉の下の地面をロータリダイヤモンドピッチみたいな掘削ボーリングでくりぬいて出てきた物質の写真をネットに載せている。まるでウランのイエローケーキみたいな物質です。そしてそれを測定してみると放射線量の検針が100倍で振り切れている。

こんな画像を載せられる「田舎のトンビ」さんはおそらく内部の人だと思います。彼の写真や書き込みが事実だとすれば、福島第一原発の現場は東電の発表値以上に高線量なのは当たり前といえます。そのことはおそらく、東電も知っているはずです。

いまは東電の公式発表やマスコミが報じるニュースと現場の真実との格差が大きすぎると思います。ですから、自分たちでより事実に近いストーリーを練り上げて自分で真実を想定していくしかない。そしてときどき報じられる事実に近いニュースを見つけたら、それらを繋ぎ足していくこと。そうすることで、より事実に近い福島の実態が見えてくるのだと思います。

例えば、「田舎のトンビ」さんの画像を見れば、こうした放射性物質がすでに福島第一原発の地中深くに溜まっていることが想定できる。「4300ベクレルのトリチウムが見つかった」というニュースがあれば、高濃度の放射性物質が出ていないという方がおかしい。だから、こちら側で想像しているイメージに現実のニュースが追いついてくるのを待つしかないと思う。そうすると自分がおかしいと疑問を持っている部分はその後、ニュースで見て、「ああやっぱりこれはそういうことだったのか」と検証として引き上げていくことができるわけです。

──『美味しんぼ』騒動で思い出したのですが、事故直後に『AERA』が「放射能が来る」という特集を組んで、世間からバッシングを受けました。『AERA』は結局、正しかったわけですよね?

確かに『AERA』が報じたように当時、首都圏には放射能が来たのは事実でしたよね。でも、その時、『AERA』を批判した人たちから、そのことについて一切、反省や謝罪の弁がない。『AERA』騒動の一ヶ月か二ヵ月後、私は朝日新聞社に電話して、「記事は正しいと思いますけど、なぜ反論しないのですか? ぜひ、その経緯などを記事にしてください」と意見しました。事故直後、正しいことを書いたメディアが叩かれたわけですから。記事自体も極めて抑制的に書いてました。ただ、表紙の写真がガスマスクをつけた人の写真で、そのタイトルが「放射能が来る」だったから叩かれただけですよね。

がれき問題だってそうです。実は震災のがれきだって東北地域で十分処理できた。それを政府は拡散した。このことに対しても誰もごめんなさい、謝罪の声はないです。過ぎたことは忘れるという実に日本人的な流れです。[つづく]

[2014年6月26日熊本市 小野・出来田内科医院にて]
(構成=デジタル鹿砦社通信編集部)

◎onodekitaさんこと小野俊一氏横浜講演会のお知らせ!
日時=2014年9月21日(日)10:45-11:45
場所=パシフィコ横浜(第3回健康生活フェア)
※「フクシマの真実と内部被曝」 通常1000円(無料入場券あり)
詳細は下記リンクを参照ください。
http://onodekita.sblo.jp/article/102831803.html
http://www.healthylifefair.net/2014_yokohama/

ブログ「院長の独り言」 

▼小野俊一(おの しゅんいち)(小野・出来田内科医院院長)
1964年広島生まれ宮崎育ち。東京大学工学部(精密機械工学科)を卒業後、1988年に東電に入社。福島第二原発(5年間)と本店原子力技術課安全グループ(2年間)で7年間勤務。1995年に退社後、熊本大学医学部に入学し、2002年卒業。NTT病院等の勤務を経て、熊本市の小野・出来田内科医院院長。『フクシマの真実と内部被曝』(2012年11月七桃舎)
◎ブログ「院長の独り言」 http://onodekita.sblo.jp/

 

「onodekita」さん200分インタビュー!

《原発放談01》福島の放射能被害はチェルノブイリより酷くなる(小野俊一)
《原発放談02》東電の「できる人」は役人に決してNOと言わない(小野俊一)

最前線の声を集めた日本初の脱原発情報雑誌 『NO NUKES voice』創刊号絶賛発売中!

 

 

《屁世滑稽新聞06》現世利益に目がくらみ、裁判長が“冥府の王プルトーン”に変身

(屁世26年9月18日)

現世の私欲に目がくらみ、裁判長が“冥府の王プルトーン”に変身……の巻

屁世日本地獄絵図

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面接官 「つぎのかた。……ズヅキさん、どうぞ。」
ズヅキ 「よろしくお願いします」
面接官 「ズヅキさん……“頭突き”とまた変わったお名前ですね。」
ズヅキ 「はい。先祖代々、頭突きでケンカに勝ってきた家系でございます」
面接官 「さようでございますか。そうしますと、前のお仕事はケンカ上等っていう、マルボー関係とか格闘技の業界だったとか……。(履歴書をしげしげと眺めて) あっ、裁判官だったんですね」
ズヅキ 「はい、司法の道ひとすじに、御社(おんしゃ)のご利益を拡大する方向でがんばってきました」
面接官 「公務員なのに弊社のためにひとかたならぬ便宜を図っていただき、その点では感謝しています。……で、ズヅキさんは、なぜ弊社の求人に応募なさったんですか?」
ズヅキ 「先輩のアジムラさんが御社のお世話になっており、そういうスジでわたしも、と……」
面接官 「アジムラさん、と言いますと? ……ああ! 味村治さんですね。弊社の恩人なので皆存じ上げておりますよ。
味村さんといえば、検事から最高裁判事にご昇進され、最高裁時代には四国電力の伊方原発と、東京電力の福島第二原発の建設認可取り消しを求めた二つの住民訴訟で、原発の安全性にお墨付きを与えて建設にゴーサイン下さった大恩人だ。ですから公務員をご退職後は、弊社で監査役として引き取らせていただき、いろいろお世話をさせていただきました。」
ズヅキ 「私も法曹時代には、アジムラ先輩に負けないくらい、頓死場コンツェルンに貢献してきたつもりです。ですから……ぜひとも……」
面接官 「アジムラさんはご立派なかたでした。勲一等旭日大授章を受けられましたよね。弊社にお迎えしたのは16年まえでした。私も当時はまだ新入りでしたが、大先輩にあたる方が社外監査役に就いたというので感激したものでした」
ズヅキ 「……ということは、あなたも東京帝国大学の法科卒業ですか?」
面接官 「帝大なんて、ご冗談を(笑)。そんな年配に見えますか私?」
ズヅキ 「それは失礼しました。では東大の法学部をご卒業で?」
面接官 「当たらずとも遠からずです。東京ホウケイ大学の出身です」
ズヅキ 「ちなみにどこのゼミでした?」
面接官 「はい……わたし英語が得意だったんで外人教授のゼミに出てました。デッカ・マラー教授の“カントンホウケイ論”です」
ズヅキ 「関東地方の法経問題を論じるゼミですね」
面接官 「まあそんなところです。……ところでアジムラさんは10年ほどまえにお亡くなりになりましたが、ご存じでした?」
ズヅキ 「はい。じつは先日、夢枕に現れまして、いまも冥府で裁判長をやってると自慢してましたよ」
面接官 「それって閻魔(えんま)大王のお仕事ですよね? アジムラさん、閻魔大王になったのですか?」
ズヅキ 「さあ、詳しくは知りませんが、そう自慢されていたのです」

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面接官 「さて本題に戻りましょう。ズヅキさん、あなたもアジムラ先輩みたいに弊社にご貢献したとのことですが……」
ズヅキ 「はあ、東北地方の原発に北海道のやつらが建設差し止めを言ってきたんで、私はすっかりキレてしまいまして、原告団に頭突きを喰らわしましたわ(笑)」
面接官 「東北で原発建設と言いますと……ああ、青森の、あのマグロで有名なグルメの町の、オオマチガイ原発のことですか?」
ズヅキ 「ご名答! だいたい今どきは寿司のネタといえば、マグロなんて時代遅れですからね! いまは北欧の養殖サーモンの時代なんでマグロなんて時代おくれだ。それに今や時代はTPPだ! 自由貿易の時代なんですよ。近場で漁師やってるよりも、輸入ネタを買うべきなんですよ! 東北の漁師なんて廃業して、原発建設の現場で働けばいいでしょ。そっちのほうがずっと建設的ですわ。それに、まあこれは私の個人的信条ですけどね、そもそもマグロとかクジラとかイルカを捕るのが気にくわない。大きなサカナは脳みそが大きいから、立派な知能があるんですよ。マグロもね。そんなマグロを捕獲してるのは、私はぜったい許せない。だから東北のマグロ漁師を転業させるためにも、絶対にあそこに原発を建てる必要があるんですっ!」
面接官 「なるほど……それで差し止め訴訟の原告団に頭突きを喰らわせた……と」
ズヅキ 「原告なんかにゃ絶対しゃべらさない! 意見陳述なんかトンデモないですよ。裁判官は私ですからね。朕(ちん)は法廷なりっ! わたしが気に入れば、それで一件落着っ! 気に入らなきゃ、それで一件落着っ! 原告とか住民訴訟とかね、フザケるなってことですよ!」
面接官 「ズヅキさん、気合い入ってますね(笑)。……で、弊社では、どのような部門での再就職をご希望ですか?」
ズヅキ 「はい。法曹方面のキャリアを生かせる分野で、活躍したいと思います」
面接官 「承知しました。ちょうど定員が空いている部門がありますので、そちらで採用いたしましょう」
ズヅキ 「ありがとうございます。私のキャリアが生かせる職場をお与えいただき、感謝します」
面接官 「ズヅキさん、さっそく来週から働いていただけますか?」
ズヅキ 「もちろんですっ!」
面接官 「では採用いたします。ズヅキさんには福島第一原発の雑務作業をお願いいたします」
ズヅキ 「えっ? 現場作業ですか?」
面接官 「はい。だれでもできるお仕事です。そしてズヅキさんのようなお方には最もふさわしいお仕事です」
ズヅキ 「私にも名誉があります。雑務作業は納得できません!」
面接官 「いえいえ。これはあなたのような豊富なキャリアの持ち主しか出来ない作業です。若造になんて任せるわけにはいきません」
ズヅキ 「そうですか。若造にできない作業なら喜んでお引き受けしましょう」
ズヅキ 「契約成立ですね。頓死場はあなたを歓迎します!」

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プルトくん

「地獄から来ますた。
ピカの王子様プルトくんだお!
頓死場の電気製品を買えば、
ぼくが地獄に連れて行ってあげるお!」

頓死場のテーマソング

ピカ~る ピカる 頓死場


ハゲ~る ハゲる 頓死場

ボケ~る ボケる 頓死場
F        G C
死ね~る 死ねる 頓死場
C         F
みん~な み~んな 頓死場
Dm    G C
頓死場~で 被~曝~♪

(参考動画:https://www.youtube.com/watch?v=pFqNnEGIDG8

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屁世滑稽新聞は無断引用・転載を大歓迎します!
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ただしネットで転載や引用する場合は、
《屁世滑稽新聞(http://www.rokusaisha.com/wp/?p=4607)から引用》
と明記して下さい。
なお、ここに記した内容した内容に関して、味村氏については事実情報に基づいて
いますが、それ以外は悪酔いで昼寝をしていた時にみた、ただの夢にすぎません。

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《原発放談02》東電の「できる人」は役人に決してNOと言わない(小野俊一)

3.11直後から毎日休みなく福島第一原発動向をブログで発信し続けてきた「onodekita」さんこと小野俊一医師。東電、福島、被曝をめぐる諸相からメディア・識者批判にいたるまで、縦横無尽に語ってもらった200分インタビューを8回に分けて随時掲載する。今回はその第2回目。

「onodekita」さんこと小野俊一医師

── 汚染地域が拡散した原因にがれき焼却の影響はないでしょうか?

がれき焼却による放射性物質拡散はゼロではないですが、それが汚染の主因ではないと思います。がれき焼却がなくても放射能汚染は日本全土に広がってしまったでしょう。だって地球は丸い。九州から福島だって飛行機でひとっ飛びです。放射性物質は風に乗ります。熊本でも2011年の6月、7月頃に身体に発疹が出て爪が剥がれたりする手足口病が流行りました。手足口病は通常、主に子どもがかかる病気ですが、患者には多くの大人が含まれていた。いま、改めて考えると当時、熊本で流行ったこの病気は放射性物質由来とも考えられます。

熊本でもそうだったならば3.11直後、放射性物質は福島や東日本どころか、日本全国に降り注いだと考えた方が事実に近いように思います。だから、その後、各自治体で行なわれたがれきの受け入れ・焼却で全国に放射性物質が拡散されたと考えるのは汚染の現実をむしろ狭く考えてしまうことになると思います。

そもそもがれき拡散の担当省庁である環境省にそんな頭のよい考えをする役人はいないです。極論すれば、環境省は馬鹿ばっかり。おそらく戦略以前のレベルで、要はお金目当ての施策です。これは除染にも当てはまります。日本の政府は金だけで動かして、戦略なんてもっていない。第二次世界大戦当時の日本と同じです。戦略がありそうに見えて、実は戦略なんて微塵もない。

がれき焼却でいえば、北九州市だって当初、市長は受け入れに反対していた。それが突然、受け入れを認めた。すると後はいつもの日本流です。上が従えば、下も雪崩を打って上に従う。こうしたがれき拡散が自治体に広がった理由は結局、金儲けで、それによって放射性物質が全国に拡散することになるとかならないとかという議論自体、考えていなかったと思います。北九州市でいえば、三菱や新日鉄などの企業の利になるからだけで国民の被曝うんぬんなどは鼻から考慮されていなかったでしょう。復興予算の獲得は早く手を挙げた者が勝ち。被災地の現地を考えたまともな復興にはほとんど使われていないのが現状だと思います。

◆役人にNOと言わない寝技師が東電基準の「できる人」

── 田原総一朗さんの『ドキュメント東京電力』(文春文庫)によれば、日本の電力産業の歴史は、官僚と電力会社の権益争いの歴史だと言っています。東電が電力会社の雄としてあり続けたのは、東電が官僚から権益を守り続けてきたからだとありましたが、実際はどうなのでしょう?

電力会社は表面上ではけっして官僚とは戦わない。官僚の言ったことはすべて是認する。しかし、一旦引き受けた後にこねくり回して、結果的にはぜんぜん違うようなものに作り変えて、しれっと書類を出す。そんな寝技師が東電の中での「できる人」なんだと思います。

一方、官庁側で電力部門を担当している人というのは、正直、原子力は国内問題でしかないので良い人材がいないのも事実です。経産省にしても文部科学省にしても、エネルギーでいえば、石油などで中東などに関わるような海外部門の担当者の方が明らかに花形で優秀です。原子力は所詮、日本国内での発電のひとつでしかない。だから、エリート官僚はあまり来ていない。原子力部門の担当者できちんと上まで出世した官僚はほとんどいないと思います。役人にとって原子力の仕事は、基本的に安全規制が中心で面白みのない仕事です。だから、官僚の中で優秀な人材は原子力より石油を選ぶでしょう。省庁の役人にとって原子力部門は閑職の部類に入ると思います。

3.11の時は吉田所長が回りを化かしてくれました。東電トップのいうことには「はいはい」と返事しながら、部下に対しては自分なりの責任をとって、事故への対処を独断で行なった。これって東電だけではなく日本の企業に共通するやり方ですよね。会社の上層部が取引先と理不尽な約束をしてくる。現場がそんなの無理だと言っても、上層部はうまくやれと無理をいう。しかたがないので現場のトップががんばってどうにか折り合いをつけているわけです。

── 吉田所長は被曝死でしょうか?

死因が食道がんですから被曝死になるでしょう。ただ、政府も東電も、吉田所長の死因が被曝だとは認めなかった。そもそも被曝死は急性死亡でないかぎり、認めない(日本だけに限らず世界中で)。なので、いくら他の方が被曝が原因で死んでも、政府・行政は被曝死と認めないわけです。とはいえ、ヒロシマ・ナガサキでも消化器系のガンは増えていますから、これから増えると思います。[つづく]

[2014年6月26日熊本市 小野・出来田内科医院にて]
(構成=デジタル鹿砦社通信編集部)

◎onodekitaさんこと小野俊一氏横浜講演会のお知らせ!
日時=2014年9月21日(日)10:45-11:45
場所=パシフィコ横浜(第3回健康生活フェア)
※「フクシマの真実と内部被曝」 通常1000円(無料入場券あり)
詳細は下記リンクを参照ください。
http://onodekita.sblo.jp/article/102831803.html
http://www.healthylifefair.net/2014_yokohama/

ブログ「院長の独り言」

▼小野俊一(おの しゅんいち)(小野・出来田内科医院院長)
1964年広島生まれ宮崎育ち。東京大学工学部(精密機械工学科)を卒業後、1988年に東電に入社。福島第二原発(5年間)と本店原子力技術課安全グループ(2年間)で7年間勤務。1995年に退社後、熊本大学医学部に入学し、2002年卒業。NTT病院等の勤務を経て、熊本市の小野・出来田内科医院院長。『フクシマの真実と内部被曝』(2012年11月七桃舎)
◎ブログ「院長の独り言」 http://onodekita.sblo.jp/

 

「onodekita」さん200分原発放談インタビュー!

《原発放談01》福島の放射能被害はチェルノブイリより酷くなる(小野俊一)

最前線の声を集めた日本初の脱原発情報雑誌『NO NUKES voice』創刊号絶賛発売中!