12月のBBCビルマ語放送によると、ミャンマー(ビルマ)では民主化に伴うインターネット使用の自由化により、ビジネスメールの活用が増えているという。米の販売店は「国内各地の米の価格を、仕事仲間に即日で伝えることができるようになった」とメールの利便性を称えている。
将来は農業に従事する人々も、メールを使うようになるかもしれない。しかし今は、パソコンやインターネット端末を持つ人間は一部に限られる。ヤンゴンではパソコンを持たず、インターネットカフェを利用する人が多い。

テレビ取材から逃げ出した超A級戦犯・甘利明が「日本経済再生本部」担当相に
よく知られていないが、今回の衆院選で、自民党も脱原発を言っていた。
大きく「脱原発」と掲げられている左のパンフレットは、自由民主党福島県支部連合会が、選挙で配ったものだ。
もちろん、よく読めば、笑いたくなるようなペテンだ。「県内の原発10基すべて廃炉を実現します」と書いてある。
福島県内の原発10基と言えば、核爆発をも起こした福島第1の6基と、地震と津波で損壊したが、かろうじて紙一重で事故4日後に冷温停止した、福島第2の4基である。
いくらなんでも、これらの原発を再稼働させよう、などと言う人はいない。自然に、廃炉への道を進んでいくものである。
ご祝儀相場だった、安倍晋三「再チャレンジ」達成で株価上昇
日本人は、本当に忘れやすい。安倍晋三が前に首相だった時に主張していたのは、「再チャレンジできる」社会だった。だが、今回の衆院選では「再チャレンジ」とは一言も言わなかった。それは、そうだろう。「社会じゃなく、てめえの再チャレンジだろう」と言われるのが、オチだからだ。
それで、「日本を、取り戻す」と言い換えた。こんな簡単なレトリックに騙されてしまうのだから、日本人はお人好しすぎる。
結局のところ、取り戻すのは、自民党の政権と、自分の首相の座。ちゃっかり、自分の「再チャレンジ」を安倍晋三はやり遂げた。
社長が夜逃げ! あるIT企業社員の手記 (2)
人手が足りないと言っては社員達も社長の業務に付き合わされるようになる。通常業務で手一杯なので、終電近くまで残業したり、土日も出勤しないととても時間が足りない。毎朝、五反田まで出社するのが億劫になってくる。オフィスのあるビルの9階に上るエレベーター内でボーっとしてしまい、気が付いたら1階に戻ってしまっていたことも。
「これが一発当たれば、楽な生活出来ますよ」
社員の給料より高い家賃のマンションに1人で暮らしている社長は、こんなことを繰り返し言っていた。自分大好きな社長は、自分がやりたいことのために他の人を巻き込むことを意に介さない。会社名「イーダ」も、自分の名前から取っている。
無効票多数で選挙無効になる制度確立を!
先日の選挙を前後して、「選挙に行かない男子を投票所まで連れていくのが、女子の大事な役割です」のような意見が、ネット上で飛び交った。
私のパートナーは、生まれてから一度も投票に行ったことがない。それはそれで一つの見識、と思っていた。
これまで、政治社会に関心のある相手だと、それが元でケンカになることが多かった。同じ考え方だと思ってたのに、と、少しの違いでも諍いになるのだ。
だから、政治社会に無関心なパートナーは、とてもありがたい。実際に、ほとんどケンカはしない。
期待できるのか? 猪瀬直樹・新都知事
12月18日、猪瀬直樹氏が、都知事としてはじめて東京都庁に登庁した。
獲得した433万8936票は、国政選を含め、国内の選挙で個人が得た票数としては史上最高。自民、公明、維新が支持しただけでなく、無党派層からの票も得た、ということになるのだろう。
石原都政に感じていたのは、猪瀬直樹の使い方がうまいな、ということだった。
自分だけが使う副知事室のトイレの新設に450万円もかけた猪瀬だが、都民に「近さ」を感じさせるコミュニケーション能力は優れている。
あまりにも奇妙な、「痴漢」事件の結末
若い頃に読んだ本は、内容を忘れていることが多いので、たまに読み返す。
手に取ったのは、ジョージ・オーウェルの『1984年』。読み終わってから、新訳が出ているのを知る。読んだのは、手元にあった新庄哲夫訳のものだ。
スターリンが君臨するソ連をモデルにした近未来の話なので、管理社会のあり方は、北朝鮮を思わせる。
村上春樹はこれを土台にして、逆に近過去を舞台にした『1Q84』を書いたわけだが、特定の主義主張による「精神的な囲い込み」に対抗しようとした、と執筆の動機を語っている。
共産圏をモデルにして1948年に書かれた小説にもかかわらず、『1984年』には現代日本を思わせる部分もある。
舞台になっているオセアニアという超大国の3つのスローガン「戦争は平和である」「自由は屈従である」「無知は力である」からして、まるで日本を裏で支える隠れたスローガンのようだ。
ミャンマーの『民主化』は本当か!? ヤンゴンで生活してみた 3
日本では第二次世界大戦後、家庭崩壊も弱者救済も無視してモーレツに仕事をし、国家発展に尽くすのが美徳だった。今もその風潮は息づいている。だから日本人が東南アジアに行くと、そこに住む人々が、仕事熱心でないと見えてしまう。
東南アジアの西にあるミャンマーの職業観は、そもそも日本で語られる「仕事」という言葉のとらえ方が違うように思う。かの国の仕事とは、一生懸命働くというより、のんびり、やるべきことをこなそうといった意識である。
そして「願わくば、あまり労力を使わないで利益を獲得したい」とまじめに考えている人が、確実に存在する。
今でも耳に響く、小沢昭一の語り口
「博識で芸達者。軽妙な語り口で多くの人に愛されていた人です。落語、文学にも造詣が深かった」(芸能ジャーナリスト)
小沢昭一が83歳で亡くなった。
出演していたTBSラジオの長寿番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」は7日で1万410回を数えていた。同番組の10日の放送時間帯には、放送タレントの永六輔(79)らが電話出演し、小沢さんの死を悼んだ。
「落語を初めとして、放浪芸など日本の話芸を掘り起こし、自分の芸に取り入れていた。華と味わいと深みがあり、誰も真似できないトークだった。お休みしているときは、さみしかったですね」(ラジオのリスナー)
原発スラップ訴訟で被告の田中稔が猛反撃
原発利権フィクサーとして知られる白川司郎が、「最後の大物フィクサー」という表現が名誉毀損だとして、ジャーナリスト田中稔を訴えた裁判が12月10日、東京地裁で行われた。
同訴訟については、国境なき記者団(本部パリ)が「名誉毀損で訴えられている調査報道ジャーナリスト田中稔氏を全面的に支援する」という声明を発表。8月31日に外国特派員協会(有楽町)が、田中稔を招待し、記者会見を開くなど、海外メディアの関心も高い。一方、国内の大手メディアからは全く無視されてきた裁判だ。