《緊急アピール!》対エル金訴訟、一審判決(東京地裁立川支部。被告森奈津子と鹿砦社に損害賠償11万円等)の取り消しを求め東京高裁に控訴! 人生を台無しにされ、いまだにリンチのPTSDに苦しむ大学院生(事件当時)М君に対する残忍なリンチ事件の主要暴行実行犯・エル金こと金(本田)良平の開き直りを私たちは人間として決して許さない! 圧倒的なご支持、ご支援をお願いいたします!

鹿砦社代表 松岡利康

別途「デジタル鹿砦社通信」で述べていますように、元大学院生М君に対する凄惨なリンチ事件(俗称「しばき隊リンチ事件」)の張本人、エル金こと金(本田)良平が、作家・森奈津子さんに粘着し、これから逃げるために、やむなく金良平らによる集団リンチ事件の「略式命令」書を晒したことが「プライバシー侵害」だとして110万円の損害賠償等を求める民事訴訟で、その一部を認容した一審判決の取り消しを求め、森さんと鹿砦社は7月25日、東京高裁に控訴いたしました。さっさと「はい、そうですか」と賠償金11万円を支払って終わりにすることの方が経済効率的には賢いのかもしれませんが、私たちは、くだんの集団リンチ事件によって人生を狂わされ、研究者の途を断念、いまだにリンチのPTSDに苦しんでいるМ君の胸中を思うとやり切れなく、ここはお金の問題ではなく、かの奥崎謙三級のしつこさを持って徹底的に闘うしかありません。

狂犬・金良平

「リンチはなかった」「デマだ」「街角の小さな喧嘩」などと吹聴し開き直る徒輩を私たちは決して許しません。リンチ直後に撮った被害者M君の顔写真を私たちは冷静に見れません。またリンチの最中の音声データも平常心で聴けません。時が経てば解決するなどということはありません。

被害者М君、リンチ前と後の画像を比べれば、これが「デマ」「リンチはなかった」「街角の小さな喧嘩」などではないことは歴然!

一審で原告・金良平は、関西から首都圏に移住したことは述べつつも実際の住所を明らかにせずして提訴しました。「住所」としているのは代理人の神原元弁護士の事務所の所在地です。

控訴状
控訴状
控訴状

かつて、あれだけの凄惨なリンチに手を染めた狂犬が、いったんは「謝罪文」をМ君に渡しつつも、すぐに反故にし開き直り、時を経て今度は森さんに粘着し、森さんの居住地の首都圏に移住したことで、森さんに危害を加える危険性が強く懸念され、私はやむなく、すでに〈公知の事実〉とされてきた罰金40万円の「略式命令」書を森さんに送り、これを大っぴらにしてでも身を守るように申し述べました。森さんは私のアドバイスに従い、それをX上に公開しました。これが「プライバシー侵害」だというのです。

それ以前には、先に森さんを提訴したグループの連中は森さんの自宅周辺を徘徊したり、昨年には正体不明の輩から殺害予告がありました。さらに、森さんや私も面識のある山梨学院大学の小菅信子教授は何者かに愛猫を殺され、またエッセイストの室井佑月さんは自宅前に汚物を撒かれたりしています。小菅、室井両氏とも、金良平に繋がる連中(いわゆる「しばき隊」とか「カウンター」といわれる)を批判したことが共通しています。こうしたことが脳裏を過りました。

森さんが、くだんの「略式命令」書を公開するや金良平による粘着はやみましたので効果はあったと思います。誤解を恐れず申せば、「毒には毒をもって制す」ということです。自分の身は他人が守ってくれるわけではありません。24時間介護の重度身障者の夫を持つ森さんの行為はみずからの身を守るためだったのです。

あれだけの凄惨なリンチをやった者が「プライバシー侵害」だって!? 笑わせないでいただきたい。

ところで、私たちが大学院生リンチ事件について被害者支援、真相究明に本格的に関わり始めるや、被害者周辺はもちろん、加害者周辺からも多くの資料が寄せられました。これらのうち一部は6冊の出版物に掲載していますが、掲載していないものも少なからずあります。くだんの「略式命令」書はそうで、この他には「カウンター」「しばき隊」界隈の活動家住所録なども寄せられ、取材に使わせていただきました。金良平など狂犬のような徒輩がいるので、多くの方々は面従腹背を装っていますが、代わりに多くの情報や資料を寄せていただきました。

今後、森さんら、しばき隊界隈に批判的な人たちに危険が生じるようなら、私は綺麗事は棄て、どんどんディープな情報を公開しても身を守ることを優先いたします。かつて「おっかけマップ」を出して芸能ゴロや原発貴族を震撼させたように──。

尚、一審係争中の本年正月早々、森・鹿砦社代理人の内藤隆弁護士(1996年から鹿砦社の東京方面の訴訟を依頼。主な事件に、日本相撲協会から東京地検特捜部への刑事告訴[不起訴]、「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧の対アルゼ民事訴訟などがある)が急逝され、以後、内藤先生の先輩の清井礼司弁護士が引き継がれ、本件控訴審も清井弁護士が代理人を務められます。いずれも動労千葉弁護団であり、相手方の神原弁護士(ら日本共産党に近い者ら)からは「極左」と詰られる弁護士です。清井弁護士は、偶然ながら、私が10年間のサラリーマン生活を辞め本格的に出版の世界に入った際に、手取り足取り教えていただいた師匠=府川充男(装丁家、活字研究家)さんの親分で、ある新左翼党派の理論家でした。府川さんは軍団を率いこれには坂本龍一も加わっていたそうです。

ともあれ、私たちは一審判決取り消しを求め控訴しました。圧倒的なご支持、ご支援をお願い申し上げます。裁判の遂行を経済的に保障するご支援のカンパをお願いいたします。本件専用の口座を設けましたので、ご支援のカンパはここにご入金をお願いいたします。

三井住友銀行 甲子園支店 普通 0966462 口座名=別口株式会社鹿砦社

ちょっと奇異な口座名ですが、これが正式な口座名です。
皆様方の圧倒的なご支持、ご支援をお願い申し上げます! 勝利をわれらに!

(松岡利康)

《ご報告とお礼》『紙の爆弾』創刊20周年/『季節』創刊10周年7・12「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」、盛況裡に終了! 4・5東京に続く二つの「反転攻勢の集い」の成功によって、共に苦境を突破しよう!

株式会社鹿砦社代表 松岡利康

鹿砦社の出版活動を理解し支援されるすべての皆様!

私たちは去る7月12日、鹿砦社のホームグラウンドである兵庫県西宮において「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」を催し、50名余の方々が参加され盛況裡に終了することができました。

4月5日、東京日比谷・日本プレスセンターでの集いが100名余ですから、人数だけを見ると半分ですが、元々関西にはライターさんが少なく、いつもこんなところです。

また、集いの構成も三部構成で、第一部は20年前の7・12事件の検証と回顧、私が基調報告を行い、当時、地元テレビ局記者として精力的に取材をされ何度もニュース番組で特集を組んでくださったNさん、私が保釈された直後に同じ神戸地検に逮捕されたWさん(当時宝塚市長)も当時の神戸地検の捜査の酷さを証言してくださいました。第二部は、今年デビュー25周年を迎え、このかん全国の刑務所、少年院などを回り獄内ライブ(ご本人らが言うプリズン・コンサート)を行ってきた「Paix2(ぺぺ)」のミニライブ、第三部が懇親会という流れで、3時間という長丁場でした(東京は2時間)。さらに二次会にも15名の方が残り、遅くまでいろいろ語り合いました(東京は二次会なし)。硬い話ありライブあり飲み食いあり自由な歓談ありの濃密な一日でした。

基調報告をする松岡

◆4・5、7・12の二つの「反転攻勢の集い」をステップとして苦境を突破し、『紙の爆弾』『季節』を、存在感のあるミニメディアとして継続させよう!

よく考えてみてください。『紙の爆弾』にしろ『季節』にしろ、わが国には類誌がありません。本来ならもっと売れてしかるべきですが、私たちの宣伝力の弱さにより、いまだに社会的に小さな存在です。『紙爆』はわずかながら黒字ですが、『季節』は創刊以来ずっと赤字です。会社が好況だった時期は、これでもよかったのですが、新型コロナ襲来以降、局面ががらりと変わり、蓄えもすべて溶かし、資金不足、苦境に喘いでいることを隠しません。今現在、両誌を同じ月に発行するのが困難で、やむなく『紙爆』は8月売りの号をお休みさせていただかざるを得ませんでした。

両誌の今後につきましては、極めて重要な選択と改変を迫られており、皆様方にも前向きなご意見を賜りたく存じます。7・12でも『季節』の今後について、私に直談判にお越しになった方もおられました。

私たちは、なんとしても両誌を継続的に発行し、まさに反転攻勢を勝ち取るべく、塩を舐め、たとえ「便所紙」を使ってでも発行を続ける覚悟です。

先の二つの集いには計150名余りの方々がご参集くださいました。これは大きなことです。ふつうなら会社が厳しくなると、こういう集まりを避けられがちになりますが、まだまだ見捨てず時に温かい叱咤激励、時に有り難いご支援をされる方々がおられることは私たちにとって大きな力になります。この方々のお力もお借りし、この苦境を乗り越えていきたく存じます。本来なら自立自存でやっていければいいのですが、残念ながら今は皆様方のご支援なくしてはやってはいけません。

しかし、人件費をはじめ徹底した経費削減、製作費用圧縮、また落ち込んでも一定の売上があることなどによって、月々の不足金も縮小しつつあります。書店や取次会社も元気を失くし書店での売上金が縮小していることは事実で大きな痛手ですが、これを今後は直販などでカバーしたく思っていますので、「セット直販」や『紙爆』『季節』の定期購読と拡販、バックナンバー購読、あるいは書籍の直販など、よろしくお願いいたします。

今しばらく耐え抜き、必ずや勝機を掴みブレイクします! 過去の成功例に酔い知れるのも問題がありますが、私たちはこれまで、幾度となく困難に直面し(その最たるものが20年前の「名誉毀損」逮捕事件)、その都度、皆様方のご支援を得て乗り越えてまいりました。今回も同じく、なりふり構わずなんとしても乗り越える決意です。

◆二つの雑誌の存在意義(レゾンデートル)、鹿砦社の出版活動の社会的意義を、あらためて想起し、再び逆襲、反転攻勢へ!

私たちの出版社・鹿砦社は、良くも悪くも、これまで芸能本の売上によって支えられ、『紙爆』『季節』やその他、社会問題書など、いわゆる“硬派”の書籍の発行を保証してきました。これで年間10億円売り上げたこともありましたので、これはこれで評価すべきでしょう。20年前の「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧後、復活の元になったのも芸能本で、私たちの規模の会社でコンスタントに3~4億円の売上が続きました。それが、このコロナ禍によってガラリと崩れました。コロナを甘く見て、これについての対応が後手後手に回ってきました。大いなる反省点です。

トーハン、日販の大手取次も、本来の出版取次業務はずっと赤字で、介護やホテル経営など非出版取次業務のほうにシフトしています。書店も、書籍、雑誌だけでは売上不足で、書店をよくご覧になったらわかりますが、文具など非出版物に力を入れています。

『紙爆』20年、『季節』10年、われながらよく頑張ってきたと思います。しかし、これまでと同様の認識、やり方ではやっていけないことが露呈されました。直販や定期購読などを拡大していくことも一つの方策だと思います。雑誌や書籍などの「紙」の出版をやめて電子書籍にシフトしたら、というご意見もあり、電子書籍はサイゾー社と五分五分の共同出資で10年ほど前に別会社を作りやっていますが、さほど売上が立ちません。『紙爆』も『季節』も「紙」と同時に電子書籍を発売しています。今後はわかりませんが、早急な会社再建の柱にはなりません。

しかし、『紙爆』にしろ『季節』にしろ、社会性があるのは事実で、他に類似誌もありません。書籍でも左右硬軟織り交ぜて鹿砦社らしくタブーなく雑多に出してきました。芸能本でも、例えばジャニーズ問題は1995年から追及し、3度の出版差し止めにもめげず続け、一昨年のジャニー喜多川による未成年性的虐待問題では、事前から水面下でBBCに協力し、その先駆性が高く評価されました。

このかん「セット直販」をやるために、これまで出版してきた書籍の一部をリストをリスト化しましたが、どれも社会性があり、よくもこれだけ出して来たなとあらためて感慨がありました。古い本には、当時の気持ちを思い出し、浮き沈みの激しかった出版人生を想起し、もう一仕事、二仕事し、拙いながらやってきたわが出版人生を全うしないといけないな、と思い知りました。

 やはり、こうした出版は続けるべきだし、販売方法ややり方を工夫すれば、今後も続けていきたいし、続けて行けると信じています。近日、精神科医の野田正彰先生の著作を2点出す予定で進めていますが、今後の試金石になると思っています。

◆私(たち)はくたばらない! 『紙爆』『季節』継続! 後々に残る書籍の刊行を持続します! 

私が本格的に出版を始めた頃、歴史家の小山弘健先生に教えていただいたクラウゼヴィッツの「われわれの出版の目的は一、二年で忘れ去られることのない本を作ることである」という言葉を思い出しました。そうして出版したのが、『日本マルクス主義と軍事科学』という本で、引っ越しで書庫を整理しているとまとまって30冊ほど出てきました。皆様にもぜひ読んでいただきたい一冊です。

4・5、7・12と二つの反転攻勢の集いを準備する過程で、多くの皆様方のご支援、ご厚意に触れることができました。それなりに支援金も集まり、2つの集いの直接的費用を支払っても余剰金が出て経費などに使わせていただきましたが、一番底の時期で、かなり助かりました。

同時に、いろいろ考えることも多く、「われわれはなぜ出版を続けるのか?」という本質的な問題にぶつかりもしました。私の出版人生は、このコロナによる負債(特に皆様のご厚志である社債)を今後返し終えるまではやめれなくなり、少し延びましたが、なんとか「一、二年で忘れ去られることのない本」を、一冊でも二冊でも出して行きたいと思っています。

私(たち)はくたばりません。4・5、7・12の二つの集いは、まだまだ多くの皆様の期待が残っていることを私たちに思い知らせ、「弱音を吐かず、もっと頑張らんかい!」という叱咤激励をいただきました。いろんな意味で収穫が大きかった二つの集いでした。準備などもきつかったですが、共に語り合い共に喜び合った集いでした。最悪の事態は脱し山は越えたとはいえ、もうしばらく苦しい時期は続くかと思いますが、今後共ご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。

最後になりますが、二つの集いに参加された皆様、ご支援の賛同金、カンパ、ご祝儀を賜りました皆様、本当に有り難うございました。心より感謝とお礼を申し上げます。

以上簡単ですが、7・12「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」のご報告、そして4・5の前後からのご支援への感謝を申し上げます。

本年も超猛暑が続くようですが、くれぐれもご自愛ください。

いつもこの場所にはPaix2(ぺぺ)がいた

《NEWS!》「カウンター大学院生リンチ事件」(俗称「しばき隊リンチ事件」)の主たる暴行実行犯=エル金こと金(本田)良平から提訴された民事訴訟(東京地裁立川支部) 被告・森奈津子さんと鹿砦社に11万円の損害賠償判決! 怒りを込めて金良平や李信恵らがやったリンチ事件を想起し、あらためて徹底的に弾劾します!

鹿砦社代表 松岡利康

私たちが、まさに「10年戦争」で闘った、俗に言う「しばき隊リンチ事件」こと「カウンター大学院生リンチ事件」、この主たる暴行実行犯のエル金こと金(本田)良平が、あろうことか開き直り、作家・森奈津子さんと鹿砦社に対し前科を暴露されたとして110万円の損賠賠償を求め東京地裁立川支部に訴えた民事訴訟の判決が去る7月14日にありました。

結果は森さんと鹿砦社に請求額の1割11万円の賠償と前科表記のX記事の削除等を命じる不当判決を下しました。金額は小さくても敗訴は敗訴で、裁判所の見識を疑います。ありきたりの判決文でした。

判決文1ページ目

この内容につきましては、徹底的に分析し、あらためてご報告いたしますが、あれだけ凄惨な暴行を大学院生(当時)М君に行った金良平が、「オレの前科が暴露された。プライバシー侵害だ」などと開き直り提訴したわけですが、将来のある大学院生М君の人生を台無しにし、М君をいまだにリンチのPTSDで苦しめておきながら、なにをかいわんやです。どこか変な裁判官の頭の中です。

金良平に顔形が変形するまで暴行を受けた大学院生М君。これが森夫妻に加えられないと誰が保証するのか

金良平はXで森さんに執拗に絡み、あれだけの暴行を行った金良平が関西から首都圏に移住し、森さんに危害を与えることが強く危惧されました。実際に、金良平からではありませんが、森さんには殺害予告もありました。

私はやむなく、ここは「毒には毒をもって制す」で、罰金40万円を課すと記載した刑事処分の書面「略式命令」を送り、これを晒してでも身を守るようにアドバイスしました。実際にその書面など多くの資料が金良平周辺から流布し、少なからず私たちの手中にも入ってきていました。みずから周囲に公開しているとも言っています。

加えて森さんは、24時間看護の障碍者の連れ合いを持ち、狂犬・金良平が森夫妻に危害を与える危険性が強く感じられました。

実際、「略式命令」書をXに晒すと、森さんへの粘着はピタリとやみました。前科をみだりに暴露してはいけないことぐらいわかっていますが、あくまで「みだりに」やってはいけないだけであって、生命の危険がある場合は、そんなことなんて二の次、三の次で“人命ファースト”です。森夫妻に危害が加えられたら裁判所は責任を持つのか!? 裁判官は答えていただきたい!

相変わらず意気がる金良平

それにしても不思議なことに、いつもなら「正義は勝つ!」などと声高に狂喜乱舞する、金良平の代理人・神原元弁護士も沈黙、金良平は結審日から消息不明、なんとか言えよ!

なお、控訴するかどうかは森さんとも相談し熟慮して決めたいと思いますが、その際はご報告いたしますので、控訴に至った場合には物心両面でご支援をお願いいたします。

(松岡利康)

7・12「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」、50名余の参加で盛況! 祝っていただくと共に、叱咤激励され、いろいろ語り合った集いでした。4・5東京、7・12関西と、二つの反転攻勢の集いの成功をステップに次の10年に向けて歩き出そう!

鹿砦社代表 松岡利康

かねてよりお知らせしていますように、去る7月12日、鹿砦社のホームグラウンド・西宮で開催された反転攻勢の集いに、50名余りの方が参加され成功裡に終了いたしました。

詳しいご報告は後日行うとして、4・5東京、7・12関西の集いを成功させ、多くの支援者によって鹿砦社、これが発行する『紙の爆弾』『季節』が支えられていることを、あらためて認識した次第です。

なんとしても生き延び、新型コロナによる閉塞状況を皆様と共に突破し全面展開に努めます!

挨拶する松岡
連帯の歌声を披露してくれたPaix2(ぺぺ)
病をおして遠路はるばる駆け付けてくださった、著名な精神科医・野田正彰先生

「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧から20年 ── 今、静かな怒りを込めて振り返る

鹿砦社代表 松岡利康

朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日朝刊。松岡はこれを見てみずからの逮捕を知った。

しばらくして神戸地検の一団が家宅捜索─松岡連行にやって来た。 次々頁は、同 夕刊。神戸地検と朝日大阪社会部が連携し周到に準備されたスクープだった。

朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日朝刊

私たちにとって〈7・12〉という日は、決して忘れることができない屈辱のメモリアル・デーだ。もう20年が経ったのか……想いの一端を書き記す。

◆2005年〈7・12〉に何が起きたのか? 

2005年7月12日、野球開催時以外は閑静な兵庫県西宮市甲子園の住宅街が突然、早朝から大騒ぎとなった。配達されたばかりの朝日新聞を持って母親が血相を変えて階段を上ってきて私を起こし、「あんたが逮捕されるよ」と叫んだ。朝日新聞(大阪本社版)の一面トップ、この時点ではまだ会社名と私の名は出されてはいないが、「出版社」が鹿砦社で「社長」が私だとすぐに判る。自分の逮捕を新聞報道で知るという奇妙な体験をした。

この日は朝から東京出張の日だった。このことは前週事情聴取の際に主任検事の宮本健志検事(現在は退官し滋賀県で公証人)には言っていたので、これを見越して早朝から検察は動いた。やがて神戸地検の一団がピンポンと呼び鈴を鳴らす。「シャワーぐらい浴びさせろ」と言うほど少しは落ち着いていた。

自宅の家宅捜索が始まった。すでに多くのマスコミ記者とカメラマンらが自宅、会社を取り囲むように集まってきた。次いで近くの事務所に同行、事務所の家宅捜索が始まった。検察が持ってきた箱が足りなくて事務所にあった宅急便用の袋まで使うほど多くの資料等を押収していった。

1972年の会社設立関係の貴重な資料も押収され、今に至るまで出てこない。家宅捜索の途中で神戸地検に連行され、そこで逮捕を宣告され手錠を掛けられた。手錠を掛けたのは主任検事、宮本健志。 地元・西宮東高校から早稲田に進み検事になった男だ。事務所の家宅捜索の最中に会社関係者も駆けつけ、終了のサインをしたのは近くに住む経理の女性だった(今も勤めている)。経理の責任者は、会社に来る途中で事件を知り自宅に引き返したという。

同じ頃、東京支社にも家宅捜索が入った。家宅捜索は他の関係先にも及び、さらに事情聴取は大株主(当時)、製本所、倉庫会社にも、そしてトーハン、日販、大阪屋(現楽天)など大手取次3社にも及び、これ3社は簡単に応じ取引資料を提出している。日頃「言論・出版の自由」を守れと嘯くのなら断固拒絶して欲しかった。

そうして、昼前には神戸拘置所に移送、全裸にされケツの穴まで見られる“身体検査”後に独房に入れられた。今度は、くだんの逮捕劇をラジオ放送で聴いた ── 。

松岡逮捕後急遽発行された『紙の爆弾』2005年9月号
警察癒着企業アルゼを告発し弾圧の元になった4冊の本

この時点では、すぐに釈放されると安易に考え、まさか以後192日間も勾留されるとは思ってもいなかった。

山口組の本拠・神戸だが、当時の神戸拘置所にはヤクザの有名人はおらず、私の逮捕のニュースは拘置所内に広まったようで、風呂などで私の房を通るクリカラモンモンの入った人に「頑張ってや」と激励されたこともあった。

『週刊朝日』2005年7月29日号。スキャンダリズムの大先輩、『噂の眞相』岡留安則編集長が怒りを込めて検察の横暴を弾劾!
松岡が勾留された神戸拘置所の在る神戸市北区ひよどりの紹介をした朝日新聞2005年10月31日付け記事。偶然にも勾留中に掲載された。
保釈され、神戸拘置所の前に立つ(2006年1月20日夜)

◆朝日・平賀拓哉記者は逃げずに私と会え!

朝日新聞大阪社会部・平賀拓哉記者は、この前に数度取材に訪れ、資料や本などを多く持ち帰った。オモテはわれわれの出版活動を「理解」しているかのように振る舞い、ウラでは神戸地検特別刑事部・宮本検事と連携し、いや“結託”と言ってもいいだろう、密に連絡を取り合い「官製スクープ」をものにした。

こういうことを、大阪高検公安部長の要職にあり検察の裏金を告発し逮捕された三井環氏によれば「風を吹かせる」というとのことだ。その後、平賀記者は中国瀋陽支局勤務となり連絡が取れなくなったが、ある冤罪事件の記事を署名入りで寄稿していたことを見つけ、数年前に大阪に戻ってきたことがわかり、恩讐を越えて何度も面談を申し入れたが、本人からではなく広報部からそっけない拒絶のメールがあった。

こちらは人生一変したんだ、わかっとるのか!? メディア人として以前に一人の血の通った人間として対応すべきではないのか? 逃げ回らず出てきて話そうぜ!

神戸地検と連携して”官製スクープ”を仕組んだ朝日新聞大阪社会部・平賀拓哉記者。逃げ回らずに出てこい! 

この事件では、刑事裁判(神戸地裁‐大阪高裁)では懲役1年2月、執行猶予4年が確定、また民事訴訟では約600万円の賠償金が確定した。いずれも最高裁まで争ったが遺憾な結果になった。特に民事訴訟では、一審(東京地裁)300万円が控訴審(東京高裁)では倍額600万円になり最高裁で確定した。

一審判決を報じるテレビ画像
一審判決を傍聴した山口正紀さんのレポート(『週刊金曜日』2006年7月14日号)
言論弾圧は、日本で活動する外国人記者にも衝撃を与え記者会見に招かれた(2007年2月14日。東京有楽町・外国人記者クラブにて)

◆私を嵌めた者らに起きた“不幸”

この事件に蠢いた輩には、不思議なことに、のちに「鹿砦社の祟りか、松岡の呪いか」と揶揄されるように相次いで“不幸”が訪れている。

まずは、私を刑事告訴したパチスロメーカー大手「アルゼ」(現ユニバーサルエンタテインメント)の当時の雇われ社長の警察キャリア・阿南一成、耐震偽装企業との不適切な関係により辞任に追い込まれている。

弾圧当時のアルゼ社長・阿南一成が耐震不正企業との不適切関係により辞任(朝日新聞2006年1月19日朝刊)。阿南は元中国管区警察局長→参議院議員を経てアルゼ社長に天下り、公判でも出廷し告発本による「被害」について述べた。

私に手錠を掛けた主任検事・宮本健志は、徳島地検次席検事として栄転していたが、深夜泥酔して暴れ降格、懲戒処分されている。さらに、最近身内の衝撃的な事件に巻き込まれていることが発覚。宮本は現在、検事(最終任地は大阪高検)を退官し滋賀県で公証人に就いているということだが、某国立大学の工学部を卒業し一流企業に勤めていた実弟が凄惨なストーカー殺人事件を起こし懲役20年で服役中だという。裏付けを取ったが事実である。みずからが起こしたものではないとはいえ、宮本にとっては、深夜に泥酔して暴れたことどころか、人生最大の汚点である。おそらく在阪マスコミも知っていると思うが、事件が起きたのが四年前の2021年、このかん全く報じられていない。ふだん芸能人や著名人であれば、メディはこぞって大騒ぎするだろう。検事本人が起こした事件ではないとはいえ、宮本らにいたぶられた私としては不快感を覚える。

松岡に手錠を掛けた、地元出身の主任検事・宮本健志検事が、昇任にして赴任した徳島で泥酔して暴れ降格懲戒処分になった事件を報じる徳島新聞(2008年3月26日付け)

神戸地検特別刑事部長として事件を指揮した大坪弘道は、厚労省郵便不正証拠隠滅事件で逮捕・失職している。しばらく浮浪人だったが、今は弁護士として活動しているという。加入を認めた大阪弁護士会の見識を疑う。

弾圧を指揮した大坪弘道検事逮捕を報じる朝日新聞(2012年10月2日付け朝刊)

そうして、アルゼ(現ユニバーサル)の創業者オーナーだった岡田和生、海外で逮捕され、みずからが作り育てた会社から放逐されている。一時は高額納税者総合1位だったこともあるパチスロ長者だったが、今は実子らに裏切られ風前の灯だ。

岡田逮捕を報じるロイター通信電子版(2018年8月6日付け)

事件の関係者に次々と不幸が訪れながら、事件10周年にはまだ岡田は逮捕も追放もされていなかったが、やはり悪いことはできないな。フィリピンで政府高官に賄賂を贈ったりしてカジノホテル開業に向け精力的に活動している間に、東京の本社では息子や子飼いの雇われ社長、そして、あろうことか後妻らによってクーデターが画策され岡田は放逐される。

カジノ建設を狙うユニバーサル(旧アルゼ)による比高官接待を報じる朝日新聞(2012年12月30日付け)
クーデターによって、みずから育てた会社から放逐され愚痴る岡田(『週刊ポスト』2019年3月22日号)

こうしたことから思うに、人を嵌めた者はみずからも嵌められるということだろう。お天道様は見ている。「因果応報」とはよく言ったものだ。

一方私たちは、このかんは新型コロナで苦闘しているが、彼らが不幸に遭っている間にみなさん方と共に奇跡の復活を遂げた。誰もがもう復活はないとささやいていたそうだが、愚直に本業に取り組んでいれば、必ず浮かぶ瀬がある ── 20年前の弾圧以上の事件は滅多にないだろうから、これを乗り越えた私たちは、どのような困難をも乗り越えることができると信じている。勾留中は電話一本、メール一本、ファックス一枚もできなかったが、今はそれらは勿論できるし、自由に動き回ることができる。

[左上]弾圧10周年記念集会(2015年7月12日。地元・兵庫県西宮市)。[左下]弾圧10周年集会二次会。西宮冷蔵・水谷洋一社長が手配してくれた。[右]弾圧10周年記念集会に大学の後輩にして書家・龍一郎が贈ってくれた書

◆寄り添っていただいた、ジャーナリスト・山口正紀さん、主任弁護人・中道武美弁護士、民事訴訟を担当してくださった内藤隆弁護士らの死を悼む ──

この事件に対しては多くの方々に支えていただいた。特に、公判のたびに毎回東京から自費で傍聴に来られ秀逸な記事を最高裁決定が出るまで連続して『週刊金曜日』に書かれた山口正紀さん、主任弁護人を務めていただいた中道武美弁護士、対アルゼ民事訴訟を担当していただいた内藤隆弁護士が、いずれも20周年を待たずして相次いで亡くなられた。内藤弁護士は、なんと本年正月早々に亡くなられた。約四半世紀、東京での訴訟関係をお世話になった。

私も、山口さんや中道弁護士、内藤弁護士が亡くなられた歳を過ぎたり過ぎようとしている。思うところも多い。事件から20周年を共にすることができなかったことに、寂しさが募る。慎んでご冥福を祈り生前のご厚誼に感謝を申し上げたい。と同時にお三方のご遺志を汲み、私が、先の逮捕事件をはじめ長年の裁判闘争で身をもって培った、私にしか解らない生きた教訓を後世に遺していく作業に着手したいと考えている。合掌

【お知らせ】関係書籍として、一部品切れの本がありますが、『紙の爆弾2005年9月号』『パチンコ業界のアブナい実態』『パチンコ業界 タブーと闇の彼方』『アルゼ王国はスキャンダルの総合商社』『アルゼ王国の崩壊』『アルゼ王国 地獄への道』は僅かながら在庫あります。当時の雰囲気や弾圧の実態を知っていただきたく、ぜひご購読お願いいたします。

出版弾圧事件を記録した本、『パチンコ業界のアブナい実態』と、この続編『パチンコ業界 タブーと闇の彼方』

間近に迫った7・12「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」に圧倒的に結集し、共に語り合い、共に苦境を突破しようではありませんか!! 参加できない方は、カンパでご支援ください!

鹿砦社代表 松岡利康

鹿砦社の出版活動を支持、支援される皆様──いよいよ7・12が間近に迫ってまいりました。

コロナ以前、私たちは、今回の集いの会場となるカフェ・インティライミにおいて、幾度となく、こうした集いを開催してまいりました。今回招くPaix2さんのライブを初めて行ったのも、『紙爆』10周年の集まりも、鹿砦社創業50周年の集まりも、インティライミでした。それが新型コロナによって休止を余儀なくされ、コロナ以降は開催できなくなってまいりました。加えて鹿砦社の経営苦境も重なりました。

しかし、それは世の中の多くの企業、個人もそうだったわけで、私たちだけではありません。それでも多くの企業、個人の経営者は頑張っておられます。私たちも、決してコロナのせいにするのではなく、前を見据え反転攻勢を勝ち取らなければなりません。かつて、落ち込んだり浮上したりしてきた私たちは、必ずや勝機を掴み復活する気概と自信はあります。

鹿砦社の出版活動を支持、支援される関西の皆様はぜひ、圧倒的に総結集し、やむなく参加できない場合は、カンパやご祝儀などでご支援ください。

鹿砦社創業50有余年、私たちは幾多の困難を乗り越えてまいりました。今、多くの皆様方のご支援により復活の緒に就きました。7・12の集いを成功させ、共に大道に躍り出ようではありませんか!

関西在住の多くの皆様方のご参加と、ご支持、ご支援をお願い申し上げます!

2025年7月8日
株式会社鹿砦社代表兼集い実行委員長 松岡利康

【追記】
直前となりましたので、今後の参加申込は、
まず「参加申込書」をファックスかメール(チラシに表記)にて送ってください。
会費は、当日払いとなります。

7・12「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」まで、1週間足らずとなりました。圧倒的なご参加、ご支援を重ね重ねお願い申し上げます!

鹿砦社代表 松岡利康

月日の過ぎるのは速いもので、今から20年前の2005年、『紙の爆弾』創刊から3カ月後、「名誉毀損」に名を借りて大坪弘道検事(彼は厚労省郵便不正事件により逮捕、検事失職)率いる神戸地検特別刑事部は、朝日新聞と連携し、松岡逮捕→鹿砦社潰しの挙に出ました。実際に、私の逮捕―長期勾留により、私は肉体的にも精神的にもずたずたにされ、私たちの出版社=鹿砦社は壊滅的打撃を受けました。誰もがこのまま沈むものと思っていたことでしょう。

ところがどっこい、自分で言うのも僭越ですが、瀬戸際にある時に強いのが鹿砦社です。多くの方々のご支援により復活することができました。逮捕から4年余り費やしましたが……。この時、取引先やライターさんらのご支援、ご協力がなければ、復活はできなかったでしょう。

復活したのは2009年秋、かの事件から4年余り経っていました。その後、勢いは加速し、逮捕前よりも良くなりました。実験的1000部ほど出した限定豪華本が即日完売、限定版なので増刷はできず、普及版(特別装丁版)を出したところ、これがブレイク、実売3万部以上のヒットとなりました。

以降、快進撃は続きました。コロナが襲来するまでは……。

新型コロナ以降、他の出版社や書店同様、再び奈落の底に落とされました。しかし、私たちはぺしゃんこにされてもへこたれません。「捨てる神あり、拾う神あり」で、熱心な読者の方々のお力で、青色吐息で生き残り、ふたたびの復活を目指しています。私たちは潰れません! 鹿砦社55年余りの歴史、『紙の爆弾』20年、『季節』10年の実績を踏まえ、必ずや復活を誓います!

そうした想いで、4・5「鹿砦社反転攻勢の集い」(東京・日本プレスセンター)を開催し、年度初めの慌ただしい中でも、100人超の方々が結集し叱咤激励をしてくださいました。

それを踏まえ、やはりホームグラウンドのある関西でもやるべしという皆様方からの強い要請で開催することにしたのです。

来る7・12、20年前のこの日、私は逮捕され、そして1週間後の7・12に「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」を開催いたします。圧倒的なご参加、ご支持、ご支援をお願い申し上げます! 

本年4・5からコロナ苦境にありましたが、7・12を目指し多くの熱心な読者、支持者のお力をお借りし頑張り、ようやく復活への突破口を開こうとしています!
私たちはくたばりません! 必ずや復活いたします!

《7月のことば》禍福は糾える縄の如し

松岡利康

《7月のことば》禍福は糾える縄の如し(鹿砦社カレンダー2025より。龍一郎揮毫)

本日から7月、1年の半分が過ぎました。

今月の言葉「禍福は糾(あざな)える縄の如し」──これまでの私や鹿砦社の浮き沈みを言い得ている言葉で元々は『史記』にあります。

幸福と不幸は、より合わせた縄のように交互にやってくるという意味です。すなわち、災いだと思っていたことが幸運の原因になることもある。成功したと思ったら失敗する、失敗したと思ったら成功することもある。たとえて言うならば、より合わせた縄のようだ、という使われ方をされています。

私は20年前、「名誉毀損」に名を借りて逮捕され、会社は壊滅的打撃を受けました。しかし、その後、勝機を掴み復活しました。

ところが、私の人生に安穏はないようで、それはまた次の不幸の始まりでした。新型コロナの襲来によって今は塗炭の苦しみに喘いでいます。ここを切り抜けると必ずや何度も味わった栄光がやってくると信じたい。

さすがに龍一郎、うまい言葉を持ってきやがったな。

◇      ◇     ◇     ◇     ◇     ◇

今月は〈7・12〉がもうすぐです。時の流れは速いものです。2005年7月12日の、晴天の霹靂の逮捕から20年です。皆様方と共に語り合い、有意義に過ごしたいと考えています。関西在住の方は、今からでもすぐに参加申し込みをお願いいたします。参加できない方はカンパやご祝儀などでご支援ください。

(松岡利康)

月刊『紙の爆弾』創刊20周年/唯一の反原発情報誌『季節』創刊10周年7・12「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」まであと2週間に迫りました。圧倒的なご参加とご支援をお願いいたします!

鹿砦社代表 松岡利康

鹿砦社の出版活動を支援されるすべての皆様 ── 本格的な猛暑が襲来しました。平素は私たちの出版活動に多大のご理解とご厚誼、ご支援を賜り有り難うございます。 

7・12「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」まであと2週間に迫りました。

私たちは、月刊『紙の爆弾』創刊20周年/『季節』創刊10周年に際し、去る4月5日東京日比谷の、わが国メディアの象徴である日本プレスセンターにて「鹿砦社反転攻勢の集い」を開き多くの方々にご参集いただき圧倒的な成功を収めました。これもひとえに皆様方のご支援があったからこそです。あらためてお礼申し上げます。

その成功を踏まえ、それに参加できなかった関西在住の支援者の皆様からの強い要望で急遽関西でも集いを開催することになり、目下総力を挙げて、7・12関西の集いの準備に取り組んでいます。関西在住の方はぜひご参加をお願いいたします。東京に負けず関西の意地と底力を見せつけようではありませんか!

これら2つの集いを機にコロナ禍以来の低迷状態を打破し再びベクトルを上向かせなければなりません。20年前の7月12日、『紙の爆弾』創刊から3カ月余りのち、「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧で松岡の逮捕─長期勾留によって鹿砦社は壊滅的打撃を被り、それでも多くの方々のご支援により勝機を掴み復活することができましたので、今回も復活は優に可能だと信じています。

大きな節目を迎えた『紙の爆弾』『季節』ですが、今後の現実は厳しく、遺憾ながら両誌の版元の鹿砦社は、20周年、10周年を、新型コロナの波に飲まれた苦境の中で迎えなければなりませんでした。一時は巻き返したこともありましたが、私たちの非力と見通しの甘さで浮き沈みを繰り返しています。これまでご支援をいただいた皆様方には本当に申し訳なくお詫び申し上げます。

『紙爆』にしろ『季節』にしろ、このかん皆様方のご支援を賜り一号一号綱渡り状態で発行してまいりました。そうして迎えた4・5「鹿砦社反転攻勢の集い」は大成功を収めることができました。予想は厳しかったですが、皆様方のご支援でなんとかクリアできました。

そして迎える7・12 ── 財政問題はじめ、まだまだ当面する喫緊の諸問題を乗り越えないといけません。関西在住の方はなにとぞご参集ください。また、カンパやご祝儀などのご支援もよろしくお願いできれば幸甚です。現在好評裡に販売中の「セット直販」もお願いいたします。至急多くの浄財を集中的にお寄せください!

ことは急を告げています。非礼を承知でこのたびも皆様方に甘えてしまいますが、何卒事情ご賢察のうえご参加と、早急なご支援のほどよろしくお願い申し上げます。 

暑さ厳しき折り、皆様方のご健勝とご活躍をお祈り申し上げます。 

梓加依・著『広島の追憶』が広島市読書感想文コンクールの課題図書に選定!

鹿砦社代表 松岡利康

著者の梓さんとは古くから細く長い付き合いになります。娘さんが一時当社で働いたこともあります。

かつて長崎青海の名で『豊かさの扉の向う側』という本を初めて出版、1992年のことです。30年以上も前になります。それが偶然に書店で教育委員会の方の目に留まり、それで講演会に招かれ、その後、ある国立大学の講師の職に就くまでになりました。

長崎生まれ、広島育ち、戦後の被爆地の様子を見て育ち、その体験から何冊か本を出されています。本書『広島の追憶』もそうです。

もともとは高卒で大阪に就職で出てきて結婚、図書館でアルバイトをしながら平凡な生活を送っていました。

もう30年年以上も前、兵庫県川西市が汚職で問題になり、主婦の方々が立ち上がり「あしたを開く女性の会」を結成、2人が選挙に出馬、2人とも見事当選、それを記録しようと知り合いました。現在、『季節』編集長の小島卓君が丸ごと編集し『主婦の手づくり選挙入門』を出版しました。いい本で、今でも役立つと思いますが、残念ながら絶版です。会も分裂し、今はないと思います。議員のうちお一人の方が交通事故に遭ったとのニュースに接したことを思い出します。

その後、向学心に富む梓さんは、某大学で通信教育を受け学位を取得、それから神戸大学大学院に進み修士課程を修了されています。

これを機会に、一人でも多くの子ども、いや大人にも読まれることを望みます。

【著者略歴】梓 加依(あずさ・かえ)。児童文学・子どもの生活文化研究家。1944年長崎生まれ、小学校から高校まで広島市内に在住。公共図書館司書、大学非常勤講師、家庭裁判所調停委員などの仕事を経て、現在は物語を書く会「梓の木の会」主宰。
◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315258/

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梓加依・著『広島の追憶』(鹿砦社 2023年)

図書紹介 〈広島の追憶 原爆投下後、子どもたちのそれぞれの物語〉
広島瀬戸内新聞ニュース 2024年12月21日

2023年鹿砦社から刊行
被団協ノーベル平和賞受賞、
被爆80周年になろうとしているいまこそ。
https://www.amazon.co.jp/d/4846315258/
https://www.rokusaisha.com/wp/?p=48020

1944年にナガサキに生まれ、小学校から高校までヒロシマで過ごした著者による「明日へと生きる若い人たち」への物語です。著者は「長崎青海」というペンネームで鹿砦社から松岡社長の編集で「豊かさの扉の向こう側」という本というより小冊子を著したことを契機に、大学非常勤講師や家裁の調停委員なども務めることになり、一念発起。図書館のアルバイト職員から大学に入学して司書資格を取得、修士課程も修了したという努力家でもあります。今回、30年ぶりに松岡社長の編集でまた本書を出されることになったそうです。

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本書は、『はだしのゲン』など従来の本と比べれば具体的な被爆シーンなどはなく、ソフトな描き方ではありますが、人が次々と亡くなっていくという恐怖、そして、それが自分自身もそうなるかもしれないとずっと背負い続ける恐怖。これらをリアルに描き出すことに成功しています。はだしのゲンなど従来の本は大事にしつつ、本書も広げていきたい。

被爆から78年たった今となっては、大人も広島でこういうことがあったことを、頭では勉強していても、きちんと認識している人は少ないと思われるからです。

それも広島においてさえも、です。和也君や裕君の家だったと思われる場所周辺(下写真=広島市南区的場町)。でも原爆からの復興で建てられた建物はもちろん、その後建て替えられたモダンなビルもまた壊され、ポストモダンな高層建築物がニョキニョキとそびえています。ついつい忘れてしまうことがある。だけど、忘れてはいけないことがある。筆者自身には子どもはいませんが、その分、周りの大人に伝えていきたいと思います。