1.17阪神淡路大震災から20年に想う [鹿砦社代表=松岡利康]

「もう20年経ったのか」……鹿砦社のホームグラウンド・阪神地域を襲った大震災から20年が経った。無我夢中で生きてきたので、長かったのか短かったのか分からないが、バカはバカなりに真面目に考え、ひとつの感慨はある。

この震災では6500人ほどの方が亡くなり、建物の損壊など被害が甚大だったことは言うまでもない。この震災、全国の人から見れば神戸で起きたイメージが強いが、阪神地域の西宮、芦屋、宝塚などの被害も大きかったことも忘れないでいただきたい。

神戸市は広いので、区を一つの行政区分として亡くなられた数を見てみると、
① 東灘区  1471人
② 西宮市  1126人
③ 灘区   933人
④ 長田区  919人
⑤ 兵庫区  555人
⑥ 芦屋市  443人
⑦ 須磨区  401人
⑧ 中央区  244人
⑨ 宝塚市  117人

意外と思われるかもしれないが、鹿砦社本社の在る西宮市の死者の多さに驚かれる読者も多いだろう。

話は逸れるが、西宮という所は地味な市で、震災の死者数もさることながら、甲子園球場がある市だということも、意外と知られていない。甲子園球場の名は、日本で例えば100人に聞いても100人全員知っているだろうが、(関西以外の人で)それが西宮にあるということを知っている人はあまりいない。

また、面積の狭い芦屋市の死者の多さにも、あらためて驚く。震災直後に、私が見て回ったところでは、芦屋の被害の密度の濃さは印象が強い。当時の女性の市長は、自宅が全壊しながら、市長室に寝泊まりしながら復旧の指揮を執られていたことを思い出す。

阪神・淡路AID SONG『心の糸』 (1995年4月26日発売)

もう一つ、意外と知られていないことを記しておこう。

震災復興の象徴的な歌としては、震災当時、神戸市の中学校の先生が作詞・作曲した『しあわせ運べるように』が有名である。今では全国的にも、名が広まっているので、聴かれた方も多いだろう。

しかし私は、「阪神・淡路AID SONG」と銘打って、当時すでに人気も勢いもあった若手女性演歌歌手、長山洋子、香西かおり、坂本冬美、藤あや子、伍代夏子らが歌った『心の糸』という歌を思い出す。メロディも悲哀に満ち、かつ5人の女性歌手の歌も良く、名曲といっていい歌だが、ほとんど流行らなかった。震災追悼番組で2度ほどテレビに出たのを観たぐらいで、被災地の人でさえ全くといっていいほど知らない“隠れた名曲”だ。「エグゼクティブ・プロデューサー」として「芸能界のドン」周防郁雄バーニングプロ社長の名が記されているが、「芸能界のドン」の威光で流行らせて欲しかったところだ。関心のある方はYou Tubeででもご覧になってほしい。

♪覚えててあなた 私がここにいることを
忘れないであなた 歩いた道のほとり
心の糸を たどりながら 過ぎし日を 重ねてみたい
心の糸を 手さぐりながら 夢の続き さがしていたい

震災から4年経った頃、私は次のように記している(ファックス版「鹿砦社通信」1999年1月18日号)。―――

「いずれにしても、『われわれにとって、阪神大震災とは何だったのか?』という<問い>に常に否応ながら迫られつつ、これからのわれわれの行く末があることは間違いがないだろう。われわれはいやしくも出版人として、これに少しでも<答え>を出していきたい」

阪神淡路大震災から20年、一時は、阪神間の公園という公園には仮設住宅があり、多くの方々が、暑い日も寒い日も過ごされていた。阪神間の公園から仮設住宅が完全に撤去されるまで何年の月日を要したのだろうか。一方、近くの甲子園球場では、高校野球やプロ野球が華々しく開催されていて、そのギャップに心を痛めていたこともあった。

今、3.11からもうすぐ4年、被害の規模、死者数など阪神淡路大震災よりも遥かに被害が大きく、加えて原発事故による放射能の被曝に怯えつつ暮らしている東北の方々のことを想うと、曲がりなりにも復興(この解釈については今は置く)した私たちは、東北の方々のことを一時(いっとき)も絶対に忘れてはならないということを、あらためて肝に銘じなければならない。

[松岡利康=株式会社鹿砦社代表取締役]

1.17も3.11も忘れない!鹿砦社の原発・震災関連書籍

 

「シャルリー・エブド」と「反テロ」デモは真の弱者か?

合計17人の犠牲者を出したフランスでの「シャルリー・エブド」紙襲撃事件に対して、現地時間の11日大規模なデモや集会が行われた。パリの集会では160万人、フランス全土では370万人の参加者があったという。第二次大戦後では最大級の参加者数だったそうだ。

襲撃されたのが風刺週刊誌であったので、人権意識がひときわ高いフランスでは「言論の自由を守る」立場から集会やデモに参加した市民が多数いたに違いない。またフランスだけでなく、ドイツ、英国、イスラエル、そしてPLO議長までが「反テロ」デモに加わっていた。世界中で追悼の意が表明された。

◆「反テロ」デモは「言論の自由」を守ろうとする「国民の決意の表れ」か?

新聞社の襲撃事件と言えば、古くはなるけれども「赤報隊」による「朝日新聞阪神支局殺人事件」(1987年5月3日)を忘れるわけにはいかない。小尻知博記者(当時29)が散弾銃で射殺され、もう一名の記者も瀕死の重傷を負う報道機関を狙った襲撃事件だった。犯人は検挙されず、事件自体はもう忘却されようとしている。

また、大きなニュースにはならないけれども何者かによる襲撃で命を落とすフリーのジャーナリストは毎年100名を超える。

そこで今回のフランスでの襲撃事件後のフランスを中心とした世界の動きをどう見るか、これはジャーナリスムの世界にいる人々にとって、日常どれほど「言論の重要性」を考察しているかどうかが問われる命題になろう。

テレビや大手メディアは「宗教や立場を超えて、言論の自由を守ろうとするフランス国民の決意の表れ」などと、表面しか見ることが出来まい。

調子に乗ったフランスのオランド大統領は「テロとの戦争宣言」などと舞い上がっている。
フランス国会では、開会直後一部の議員が「ラ・マルセイエーズ」(フランス国歌)を歌い出し、議場全体が国歌斉唱でつつまれた。これは第一次大戦勝利以来の出来事だそうだ。

不遜の誹りを覚悟で本音を述べれば、私はこの世界を上げた「反テロ」キャンペーンが気持ち悪い。「テロとの戦争」を21世紀の幕開けとともに傲慢にも言い放ったのは米国のブッシュ元大統領だった。アフガニスタンを攻撃し、イラク、フセイン政権を殲滅した。イラク攻撃の理由は「大量破壊兵器の脅威」だったがイラク戦争後「大量破壊兵器」は無かったことが判明しブッシュは「I made a mistake(私は間違っていた)」と述べた。戦争を仕掛けておいて、何十万人も殺しておいて「私は間違っていた」はないだろう。世界中で少なくない人々がブッシュの罪を断罪しようとしたが奴は今でも健在だ。

◆「テロとの戦争」で舞い上がるオランド大統領は被害者ではない

フランスのオランド大統領から「テロとの戦争」という言葉を聞くと彼が被害者には思えなくなる。この事件のそもそもの原因は「シャルリー・エブド」紙がイスラム教を揶揄するような風刺漫画を掲載したことだった。そして、同紙がイスラム教を揶揄する風刺漫画を掲載したのは、今回が初めてではない。2006年から断続的に同紙はイスラム教を挑発する内容の風刺漫画を掲載しており、その度に、フランス在住のイスラム教徒からデモなどの抗議行動を受けていた。フランス政府も「あまりイスラム教徒を刺激し過ぎないように」と2012年には自粛要請を行っている。

イスラム教風刺にかけて「シャルリー・エブド」は「確信犯」だったわけだ。その証拠に1月14日発売の事件後初の誌面にもまたもや「ムハマンド」の風刺が掲載されている。

同紙は「あらゆる風刺画は許される」とコメントしている。うーん。そうだろうか。「表現の自由は」言わずもがな、貴重な概念だ。世界中で普遍的に認識され浸透すべき基本的人権の一部とさえいえるだろう。だが「表現の自由」は「全く例外なくすべての表現の自由」を意味するのだろうか。確かに言論活動で、「弱者が強者を揶揄(批判)する」ならばかなり普遍的に「自由は」認められるべきだろう。だが逆ならどうだろう。単なる差別にならないだろうか。その実例を近年不幸なことに私たちは国内で「在特会」により見せてもらっているではないか。韓国国旗をゴキブリに見立ててデザインしてみたり、人の首を絞めて殺そうとしている絵を描いて「いい朝鮮人も悪い朝鮮人も殺せ」とデザインされたプラカードは「風刺」の名に値するだろうか。「自由な表現活動」というほど高尚なものだろうか。

◆国際社会から「承認」されている「シャルリー・エブド」は弱者か?

“Je suis Charlie”(私はシャルリー)という言葉が襲撃被害者を悼む言葉として、世界中で語られている。

17名の犠牲者、しかも言論を理由に殺された人々を気の毒に思う気持ちは勿論私にもある。だが”Je suis Charlie”と私は口にする気にななれない。

シャルリー・エブドが「あらゆる風刺画は許される」と言うのは各国首脳をはじめとして、国際世論を味方につけているからではないだろうか。イスラエルからパレスチナ、つまり現在の世界で表面上対立していようとも、本質的には今日的世界を構成している「権力者」達から「承認」を受けているからではないだろうか。つまり「シャルリー・エブド」は国際社会から「承認」されている。決して弱者ではない。

私の杞憂であればよい。でも、そうでなければ同様の「テロ」事件は続発するだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

JAXAの「夢」は国策詐欺──巨額浪費をし続ける軍事開発機関の無益
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JAXAの「夢」は国策詐欺──巨額浪費をし続ける軍事開発機関の無益

JAXA(宇宙航空研究開発機構)が昨年12月3日小惑星探査機「はやぶさ2」を打ち上げた。JAXAによると「はやぶさ2」の任務は、「地球などの惑星は、元は小さな天体が集まってできたと考えられています。しかし、惑星が誕生する過程でいったんどろどろに溶けてから固まっているため、惑星をつくった元の物質についての情報は失われています。いっぽう、小惑星や彗星はあまり進化していない天体ですから、太陽系が誕生した頃やその後の進化についての情報を持っていると考えられています。これらの天体は『始原天体』とも呼ばれています。このような天体を調べることにより、、太陽系がどのように生まれ、どのように進化してきたのか、また私たちのような生命をつくる元になった材料がどのようなものであったのかについて、重要な手がかりが得られる可能性があります。そして、このような知識は、太陽系だけでなく、その他の惑星系の誕生や進化を調べる上でも不可欠です」(JAXA「なぜ小惑星を探査するのか」)
ということらしい。

また、「小惑星の探査目的は、科学だけではありません。小惑星や彗星は、過去に何度も地球に衝突しており、そのたびに当時の地球に大小様々な影響を与えてきました。6500万年前の恐竜絶滅の原因とされる天体衝突から、最近ではロシアに落下して被害を与えた隕石もありました。『宇宙からの天災』は今後も発生するであろうと容易に推測されます。こうした天体の地球衝突に備える『スペースガード』活動の一環としても、地球に近づく小天体の探査は重要なテーマ」だという。(JAXA「なぜ小惑星を探査するのか」)

◆無意味な夢の裏に隠された軍事転用技術開発の本気

宇宙科学についてはずぶの素人なので、こう説明されると「ほーそうなのか」と半分はわかったような気になるけども、どうもすっきり納得ができない。

「始原天体」を調べることにより「私たちのような生命をつくる元になった材料がどのようなものであったのかについて、重要な手がかりが得られる可能性があります」は本当だろうか。もしそうなら、ここで言われている「ロシアに落下して被害を与えた隕石」の構成物質を調べればいいのではないか。わざわざ膨大な資金と長い年月をかけて「重要な手がかりが得られる可能性がある」かもしれない、逆に言えば「何も得られない可能性もある」こんなプロジェクトに意味があるのだろうか。

JAXAも自信があるわけではなく「可能性」と正直に告白しているが、小惑星から「生命誕生」の鍵になる物質が見つかるとは考えにくい。

更に正直すぎて驚くのは「小惑星の探査目的は、科学だけではありません」と非科学的行動であることを認めていることだ。地球に衝突する隕石や小惑星に備える「スペースガード」活動の一環だそうだ。

地球に衝突する可能性のある、小惑星や隕石の存在が分ったところでそれをどうするつもりなのだろうか。「スペースガード」というからには「迎撃ミサイル」さながらに打ち落とすつもりなのだろうか。

そんなものできるわけがないだろう。

隕石など毎日のように地球に降り注いでいる。でもその隕石がどの位置から地球上のどこへ落下するかなど、測定できるはずがないではないか。まあ「科学ではない」と正直にJAXAも言っているからこれ以上突っ込まないけど、要するにこれは対象が「惑星や小天体」ではなく「人工的に作られたもの」=武器(大陸間弾道弾など)への応用を目指しているのだろう。だから「科学」ではなく「軍事目的」なのだがそうは露骨に言えないから、実現可能性がない「スペースガード」などを引き合いに出しているのだろう。

でも「はやぶさ2」の役割はそれだけではない。

「また地球に接近する天体は、月に続く近未来の有人探査のターゲットとして近年大きな注目を集めています。さらに遠い将来、人類が深宇宙空間に進出した暁には、月や火星のような重力の大きな天体ではなく、重力の小さな天体の資源を利用するほうが効率的だと考えられます。このような利用法を探る上でも、小惑星探査は重要なのです」

なのだそうだ。え? 人類は「遠い将来、宇宙空間に進出」するのか?「月や火星のような重力の大きな天体ではなく、重力の小さな天体」ていったいどこのことだ。そんな遠くで人間が暮らすと本気で考えているのだろうか。

◆「ロケット」打ち上げ実験=軍事転用可能「ミサイル」技術の開発

スペースシャトル計画も終了し、国家が宇宙開発に血道を上げる時代はとうに終わっている。火星への有人飛行とか、まだ眠たいことを言っている人間も一部にはいないわけではないけども、それは「宇宙旅行」で一山当てようと計画している民間業者だったり、一部の研究者だ。膨大な金と時間をかけて「有人飛行」を行ったところで、人類に恩恵がもたらされるような特質すべき利益が得られると現実的に考えている人間はほとんどいない。

JAXAによる「はやぶさ2」ミッションの説明から読み取れるのは、極めてあいまいかつ「実り」がほとんど期待できない「金の無駄使い」ということだ。「スペースガード」などという荒唐無稽な理由まで持ち出してくるのにはさすがに驚いたが、「はやぶさ2」に限らず、実は日本の宇宙技術開発は一貫して適当な理由をでっち上げ進められてきた。

つまるところ「ロケット」の打ち上げ実験は、いつでも軍事転用可能な「ミサイル」技術の開発に他ならない。それ以外の人工衛星打ち上げなどはおまけの理由といっていい。さらにその「ミサイル」は「核弾頭」搭載も視野に入れている。安部が副官房長官時代に本音を漏らしたし、過去には科学技術庁(当時)の官僚も暗にそれを認める発言をしている。

JAXAやそれに便乗するマスコミは、相も変わらず「宇宙のロマン」などと、手垢で汚れまくっている古臭い誤魔化しで本質をだまそうとし続けているけれども、「宇宙のロマン」の追求は個人の金でやってくれ。

つい最近も新星発見を趣味にする方がご自身で100個目の新星を発見したではないか。その姿勢こそは「宇宙のロマン」と言う言葉には相応しい。

ついでに言えば、日本人宇宙飛行士はTBSの「宇宙特派員」だった秋山豊寛氏を除いて皆「無賃乗車」、否税金を利用しての公金流用だ。スペースシャトルに乗ったり、宇宙ステーションに滞在したりした人たちは、個人的には興味深い経験だったろうけども、いったい税金からいくら持ち出しをしているのだろうか。

挙句の果て、宇宙飛行士は何か特別偉い存在のように扱われる。その筆頭が毛利衛だ。こいつはあちこち顔を出しては、如何にも「私は特別な人間だ」と言わんばかりに持って回った糞偉そうな言い回しで「宇宙」や「科学」を若者に語っていた。毛利は積水ハウスやSONYなど大企業のCMに出まくった挙句、「九州電力玄海原子力発電所─プルサーマル」のCMにまで登場している。

ここまで紹介すればもうお分かりだろう。宇宙技術開発と原発は共に「ミサイル」と「核弾頭」開発を見越した「今のところ民生技術」だということが。昨今の好戦的政治状況を見れば、あれよあれよと「軍事転用」される日が来ても不思議はない。

金がふんだんに余って、国民が裕福な暮らしをしているのであれば、趣味的な「宇宙探検」をするのも良かろうが、国家財政は破綻寸前、年収200万円以下で食うや食わずの人があふれる今日、税金を使っての「宇宙お遊び」などやっている場合であろうか。JAXAこそ「分割民営化」して民間に任せたらどうか。収益が見込めないから引き受ける企業はないだろうけども。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

《大学異論25》ロースクール破綻の無策と「裁判員裁判」の無法
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《大学異論23》青山学院大学──経営者自らがぶち壊す「青学ブランド」
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2015年は同時多発で疾走せよ!

 

《大学異論25》ロースクール破綻の無策と「裁判員裁判」の無法

「専門職大学院」と文科省が区分する大学院がある。「大学院のうち、学術の理論及び応用を教授研究し、高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識及び卓越した能力を培うことを目的とするもの」のことである(学校教育法第99条第2項)。

通常の大学院は学部の上に位置し、研究を主たる目的としているのに対して、「専門職大学院」は「職業」を明確に視野に入れた教育研究がなされる場所とうことである。

その範疇に「法科大学院(ロースクール)」がある。法学部を卒業して法曹界に仕事を求めようとする人(司法試験受験を志す人)が学ぶ場所だ。司法試験受験は「法科大学院」進学以外にも方法はあるが、現在大多数の受験生は法科大学院を修了した人だ。

◆全国73校の6校しか募集定員に達していない法科大学院の惨状

そもそも「法科大学院」が設置された背景には法曹界の「人材不足」があった。あるいは「日本の裁判は時間がかかりすぎる」という批判も理由とされた。裁判官、検事、弁護士が足らないのだから人数を増やしましょう、ということで旧司法試験を大幅に改編して「司法改革」(裁判員制度の導入)とも併せて各大学は「法科大学院」を競うように設置した。

設置当初はどの大学も学生募集に関する限りは好調だった。「司法試験が大幅に簡易化される」=「合格しやすくなる」という安易な誤解がその背景にはあった。

だが、予想外の問題が起きた。スタッフを揃えそれなりの教育をしているのだから「司法試験」にはせめて半数位の合格者は出せるだろう、と考えていた大学のほとんどが、受験者中2割の合格者すら出せない有様に陥ってしまったのだ。そうなると「法科大学出身ながら司法試験不合格者」というマイナスのイメージを背負って仕事を探さなければならない。「潰し」が効きにくくなるのだ。たちまちその情報は大学生にも伝わり、志願者の急激な減少が始まる。2014年度、定員を満たしているのは全国にある73の「法科大学院」のうち、わずか6校に過ぎない。

既に募集停止を決めた大学も10以上出てきたし、これからも「法科大学院」の閉校は続くだろう。

◆遠からず破綻するロースクール制度

法科大学院地盤沈下、もとはと言えば明らかな国策の誤りだ。勿論それにホイホイと乗ってしまった各大学の軽薄さも情けなくはあるが、法曹関係者の人材不足だけがこの国の法曹界の問題ではなかったということだ。確かに弁護士不足は(数の上では)解消された。いや、むしろ弁護士の中には仕事にありつけない人が少なからずいる。かつては弁護士になれば余程無能でない限り、食べていくことに困ることはなかった。が現在は年収200万円得ることが出来ない弁護士が山ほどいる。

一方で「過払い金の取り戻し」を専門に派手に広告を打つ弁護士事務所はぼろ儲けしている。いつ世のでもあざとい奴は食いはぐれない。

法科大学院が実質的に「破綻」に陥り、法務省も今後は司法試験合格者数の抑制を打ち出した。何とも場当たり的な対応だ。

大学院は一般的に大学よりも学費が安い。が、専門職大学院は例外だ。入学金を含めると年間200万円を超えるところもある。国立でも年間100万円近くの学費がかかる。これだけでも経済的負担は推して知るべしだ。合格可能性の少ない司法試験を目指すための先行投資としてはあまりにも高すぎる。当然志願者も減る。そこで今法科大学院ではなりふり構わない「割引競争」が始まっている。もとより奨学金制度を持っている大学院は別だが、学費の割引を売り物にしている法科大学院は「志願者が寄り付かない」学校と考えてよい。遠からず潰れる。

◆法意識に疎い「市民感覚」で採決を下す「裁判員裁判」の恐ろしさ

不思議なのは、法科大学院と直結はしないものの「裁判員裁判」制度が日弁連も同意する中で導入されたことだ。裁判員に選考されて人を裁こうと裁判所に出かけるのは「国民の義務」らしいけれども、私は同意しない。どうして法律の素人が凶悪犯罪に限り判断を下すことが出来るというのか。裁判に臨む前に裁判員は報道や噂などから完全に隔絶されていて「ニュートラル」な考えの人ばかりであろうか。たった数日の法廷で被告人の量刑を決める。そんな知識や見識のようなものを裁判員が持ち合わせているだろうか。弁護士、検事、裁判官は皆何年も法律を勉強し、司法試験に合格し、司法修習生を経て法廷でそれぞれの役割の仕事をしている。

そんな学習を一切していない市民の「市民感覚」を参考にする必要なんてあるのか。

批判を恐れずに無茶を言う。裁判員として法廷で被告人を裁くに躊躇ない人は、法に無知であるか、心の中にサディスティックな因子を持っている人が多数だ。

裁判員を勤めたけれども、余りも激烈な内容に心を病み、生活に支障を来たすまでになった方が、国家賠償(国賠)を求める裁判が昨年、提訴された。この方以外にも裁判員を軽い気持ちで引き受けてしまったものの、後悔をしている方は少なくないだろう。

法科大学院と同様、裁判員裁判もこれから問題が噴出してくるだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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意味不明な英単語「セレンディピティー」を無理強いする日本新聞協会の愚

はて、何の意味だろうと首をひねったのは昨年の早い時期だったろう。私の英語力が低いから、カタカナで「セレンディピティー」と書かれても何のイメージもわかない。このカタカナ言葉が使われていたのは「日本新聞協会」の広告で、「新聞はセレンディピティー」をキーワードに作文を募集する内容の広告だった。

不勉強を恥じ辞書を引いてみた。確かにある。”serendipity”は手元の辞書によれば、「ものをうまく発見する能力, 掘り出しじょうず;幸運な発見」という意味だそうだ。

しかし、この単語、カタカナ語にしても一体どの程度の割合の人々が理解できるだろう。一般企業の広告なら見過ごすけども、広告の出稿主は「日本新聞協会」だ。いわば日本語を適正に使うのが使命とされている新聞の共同体である。わざわざ「セレンディピティー」なる単語を用いないと表現できない概念を述べようとしたのだろうか。

◆わざわざ注釈をつけ始めた

悔しいから新聞協会に電話をした。

── 広告で使われている『セレンディピティー』という言葉について伺いたいのですが。
新聞協会 はい、どうぞ。
── 『セレンディピティー』とはどういう意味ですか?
新聞協会 「今まで知らなかったり気が付かなかったことに気が付く」という意味です。
── 恐縮ですが、これ読んでもほとんどの人は意味が分からないと思うんですが。
新聞協会 そうでしょうか。ご意見として伺っておきます。
── いや、新聞協会は日本の新聞のほとんどが加盟していますよね。そこが広告を出すに際しては言葉の選択を適切になさった方がよいのではないですか? 私の身近な少し英語が出来る人々にも聞いてみましたが、誰もこの意味理解しませんでしたよ。
新聞協会 はぁ。ご意見として伺っておきます。

という具合だった。

その後も何度もこの「セレンディピティー」は広告で登場して、昨年12月30日の新聞にもまた掲載されていた。ただ「セレンディピティー」に注釈がついていた。おそらく私のように「意味が解りません」という苦情が少なからずあったのだろう。

◆新奇なカタカナを強引に読者に提示する小賢しさ

新聞協会の広告と言っても作成は広告代理店との協議によるからコピーライター等の意向が強く作用したのかもしれない。にしても「言葉」の選び方としてはこれ、いかがなものだろうか。

同様の例は広告では過去に山ほどある。そのほとんどすべては英語か欧米語を引っ張ってきて奇をてらう手法だ。広告とは人目を惹かなければその役割を果たせない。だからそういった欧米語を強引に読者に提示するのは一つの手法として「仕事のやり口」なのだろう。

日本語では適切に意味が伝えられない、それゆえに定着したカタカナ言葉は少なからずある。それはそれで納得できる。けれども日本語でも充分語ることが可能であるのに、敢えてカタカナ言葉を持ってくる時には何かしら不純な意図を感じる。不思議なことにそういった不要なカタカナ言葉は往々にして中央省庁から発せられる。

耳慣れないカタカナ言葉を目や耳ににしたら、それを採用した集団とその意図を疑ってみよう。たぶん小賢しい企みが見えてくる。言葉は意味を伝える媒体であると同時に、それを発する人々の思惑を常に帯びている。

そうそう「アベノミクス」を調べてみた。解説では「弱者を思い切り痛めつけて、大企業の景気向上のみを目指す場当たり的な愚作」とあった。

新聞協会は「セレンディピティー」などという不要なカタカナ語を宣伝に使う前に、各紙の誌面で「アベノミスクスは愚策だ!」と連日解説するのが先決ではないか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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なぜテレビはどこまでも追いかけてくるのか?

私は取材など泊りがけで出かけると、安価なのでサウナをよく利用する。ビジネスホテルに比べればずいぶん安いし、長時間大きな風呂に入ることもできるから便利に使っている。

◆垂れ流されるテレビの音が不快過ぎる日本のサウナ

が、唯一閉口することがある。大概サウナはサウナ室にも休憩室にも食堂にもテレビを設置している。休憩室には前面に7つほど大きなテレビがあるのだが、さらに個々のリクライニングシートにも小型のテレビが設置されている。音声は椅子についている小さなスピーカーで自分が選択するのだが、この音声が方々から漏れて来て、やかましいことこの上ない。

どうしてこうもたくさんテレビを設置するのだろうか。休憩室にテレビがあるだけでもやかましいのに、サウナ室でも逃れることはできない。誰が選ぶのか知らないけども、くだらない番組が延々垂れ流される。汗が出る前にテレビの音声が苦痛になり、サウナ室を出る羽目になる。でも悔しいからまた入り、でも喧しいから直ぐに耐え切れず逃げ出して・・・を繰り返す。馬鹿みたいだ。

「目が悪くなるからテレビは2時間以上見てはいけません」と小学校で教わった記憶がある。パソコンと一日中睨めっこするのがホワイトカラー労働者には当たり前になったが、きっと近い将来視力に問題が出てくるだろう。かく言う私自身パソコンに長時間向き合っていると目の疲れだけでなく独特な疲労感を感じる。きっとパソコンは体に悪いだろう。テレビだって「2時間」以上見たら目に悪いと言われていたのに、多くの労働者(いや、遊びで利用する人も含めて)は平気で7、8時間パソコンの画面に向き合っている。そして帰宅した後は「テレビ」を見る──。よくやるなぁ、と思う。

◆「嫌煙権」が絶対正義ならば「テレビ拒否権」も立派な権利

知人に度を越えたテレビ好きがいる。彼は平日見たい番組を録画しておいて、週末にまとめて観るのが楽しみだそうだ。土日のどちらか1日は終日テレビ鑑賞で潰れる。昼食中も連続で録画した番組をぶっ通しで見るので1日10時間以上テレビの前にいることになるが、それだけではない。彼は防水テレビを持っている。お風呂に入るときもそれを持参し、湯船に浸かりながらもテレビ鑑賞は続く。ここまでくると、たいしたもんだと感心するばかりだ。

近隣アジア諸国に比べて日本人のテレビ鑑賞時間は長い。たぶん世界の多くの国と比較してもそうだろう。

大阪と京都を結ぶ京阪電車に「テレビカー」があった(今もあるのかどうかは知らない)。「電車の中でテレビが見られる!」はかつて斬新なサービスだったのだろう。あたかも飛行機機内で映画の映写が行われたように。

でも。スクリーンが下ろされて、そこに映写された飛行機内の映画も、今では個人個人が選択して見る事ができるような小型ディスプレイへと置き換えられた。どうか逃げ場のない場所でテレビを放映することを再考してはもらえまいか。

携帯電話やスマートフォンでもテレビが受信できる時代だ。お好きな方にとっては誠に便利なのだろうけども、携帯電話やインターネットを使っているだけでもNHKは受信料を払えと言ってくる。NHKには「馬鹿もたいがいにしろ!」と言いたい。

「嫌煙権」は絶対正義のように世の中からタバコを駆逐しつつあるけれども、「頭の健康」に有害な「テレビ」を御免こうむる権利も議論してはもらえまいか。

まあ、金があればホテルに宿泊し静かに寝れば良いだけのことなのだが、貧乏人にはこういう悲哀もある。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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速報!『革命バカ一代』塩見孝也氏が清瀬市議選に出馬へ!
「守る」ことの限界──「守る」から「獲得する」への転換を!
衆議院総選挙──「人間には夢がある。夢を実現する力もある」の物語
秘密保護法施行日の抗議活動を自粛した金沢弁護士会にその真相を聞いてみた
自民党の報道弾圧は10日施行の秘密保護法を後ろ盾にした恫喝の始まり
読売「性奴隷表記謝罪」と安倍2002年早大発言が歴史と憲法を愚弄する

いつも何度でも福島を想う

 

2015年日本の現実──日本に戦争がやってくる

1月7日発売の『紙の爆弾』で詳しく紹介されるが、本山美彦京都大学名誉教授に「アベノミクス」を中心にお話を伺った。大学で長く教壇に立った方には独特な語り口がある。とりわけ自由な学風の大学で文科系の学生を育ててこられた先生方には共通する「語り口の優雅さ」を感じる。本山先生も語り口はそのように穏やかではあったけれども、語られた内容は極めてショッキングな内容だった。私のような知識の浅い者にもわかり易くなおかつ「許しがたい」、「憤慨ものだ」、「金につられる経済学者が多すぎる」と熱く語っていただいた。是非『紙の爆弾』2月号を拝読されたい。

◆どうして原発が爆発しても日本はまだ原発を続けるのか?

本山先生をはじめ、この2年ほどその世界で最先端の方々のお話を伺う中で、共通していることがある。外国の方々は「どうして原発が爆発しても日本はまだ原発を続けるのか。そしてどうしてアメリカの尻馬にのって戦争をしたがるのか」と異口同音に仰る。日本の方々は「もうすぐ『憲法改正』となるだろう。そして遠くない将来、日本は戦争に巻き込まれるだろう」と暗い顔でつぶやいていた。

“Twitter”というSNSがある。私は当初よりその語感が気持ち悪かった。なぜに「つぶや」かなければならないのか。だれに「つぶやき」を聞いてほしいというのか。140字余りでまとまった考えなど述べられるはずはないではないかと訝っていた。「つぶやく」とは大声で主張をすることではない。だから”Twitter”の機能を日本語で正確に訳せば「つぶやく」は不適当だ。

◆米国の戦争に巻き込まれる日本

話がそれたが、「戦争に巻きこまれるだろう」と語っていただいた方々はいずれも65歳以上の方々で、大声を張り上げたり、「俺の言うことを聞け!」という姿勢の方は一人もいなかった。むしろ残念至極、己の恥でも語るように苦渋の表情で私に目を合わせず語られる方が多かった。

「何を大げさな」と訝る方々も少なくなかろうが、私も「戦争」は遠くないと思う。

だから、順番が逆のようではあるが遠くない将来、戦争に巻き込まれる若い世代に、あらかじめお詫びしておこうと思う。

「本当に申し分けない。私たちの世代の怠慢のために、君たちに迷惑をかけてしまった。許してくれなどと言うつもりはない」

こんなしみったれた話、20年前には多くの人が、確定しない「未来の可能性」としてのみ語っていた。残念ながら今日、それを語るのは各学問分野の良心的最先頭に立つ方々であり、情報に敏感な市民たちだ。皆さん「戦争が来るぞ!」と大声で語るわけではない。それこそ、こんな話などしたくはなかったとつぶやくように。

断言する。戦争がやってくる。

正確に言えばもう戦争は始まっている。ウジウジ細かい議論を避けるなら、自衛隊をイラク派兵した時から(戦死した自衛官は出なかったけれども、帰国後自殺した自衛官の数は相当数に上るという)戦争への参加は明確に始まっている。21世紀、日本の戦争、始まってもすぐに日本国土が爆撃を受けたり、原爆が落とされたりという姿では進まないだろう。たぶん自衛隊が日本から距離のある地域(中東やアフリカ)に派兵され、そこで戦死者が出ることから国民総動員が完成されるだろう。

イラク派兵時に日本の自衛隊を守るオランダ軍に攻撃があった際は「駆けつけ警備という形で戦闘を行いたかった」と自衛隊の隊長であった髭を生やした現自民党国会議員は堂々と述べていたではないか。イラクに自衛隊を派兵した政府の狙いは「駆けつけ」ではなく「巻き込まれ」によって「戦死者」の実績を作りたかったのではないか。そしてその戦死者を靖国神社に祀りたかったのだ。

◆日本は米国の戦争に一度も反対をしたことはない

カンボジアにPKOを派遣して以来、自衛隊は気が付けば地球の裏まで毎年出かけていっている。軍事行動をするのではない(できない)のだから民生部門の支援(道路建設やインフラ整備)が主たる任務だ。ならば軍隊まがいの自衛隊ではなく民間企業に委託してODAとして行えばいいものを、政府は一貫して自衛隊、海外派兵にこだわってきた。そして「集団的自衛権」である。

「集団的自衛権」は日本が攻撃されなくても、「アメリカが戦争をすればついていかなければならない軍事同盟」と理解すればよい。政府はあれこれ事例を挙げて「この条件が満たされた時だけ」とか「ますます平和になる」など赤ん坊でも呆れるような嘘を平気でつきまくっているが、要はそういうことである。アメリカ合州国という国は建国以来200回以上にわたる海外派兵を行い、(9・11を除き)一度も本土が戦場になったことのない国だ。また、戦争を反省(ブッシュがイラク戦争における「大量破壊兵器はなかったので攻撃は間違っていた」)まがいのことをしたことはあっても、金輪際謝罪や補償をしたことのない国である。その国の戦争(外国攻撃)に日本は一度も反対をしたことはない。

◆WWⅡ時に匹敵する総量の爆弾を小国アフガニスタンに投下する米国

アメリカは毎年のように戦争をする。戦争と呼ぶのが相応しいかどうか微妙だが、現在もシリアに爆撃を行っている。常にイスラム革命後のイランを睨み、フセインを傭兵として育成したけども言うことを聞かなくなったので、殺してしまった。今でもイランを睨み、パレスチナを潰そうとしている。

アフガニスタンの政府の国家予算は年間205億円だ。1ドル110円で換算すると2兆2550万円。日本の国家予算の約50分の1。そんな国に第二次世界大戦中に投じた爆弾の総量に近い爆弾を投下して「戦争に勝った!」と喜んでいるのがアメリカ合州国である。最近はあまり見かけなくなったが、街で言いがかりをつけてくる「ゴロツキ」のような振る舞いををして戦争を行うのが彼の国だ。

繰り返すが、不可逆的に日本は必ず戦争に巻きこまれる。お子さんが、お孫さんが、お知り合いが心配な方は対策を準備したほうがいい。

とても残念ではあるが私たちの生きている2015年とはそういう時代だのだ。そう、つい最近日本を襲った台風並みの寒波のように。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

病院経営の闇──検査や注射の回数が多い開業医は「やぶ医者」と疑え!
速報!『革命バカ一代』塩見孝也氏が清瀬市議選に出馬へ!
「守る」ことの限界──「守る」から「獲得する」への転換を!
秘密保護法施行日の抗議活動を自粛した金沢弁護士会にその真相を聞いてみた
自民党の報道弾圧は10日施行の秘密保護法を後ろ盾にした恫喝の始まり

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《大学異論24》日本テレビが喧伝する「箱根駅伝」の不平等

箱根駅伝は正月恒例のイベントとして、日本テレビ系列が全国に放送する。関東地方の読売新聞勧誘業者は、12月に契約を結ぶ新規購読者にかなり高価と思われる「箱根駅伝」の文字が大きくプリントされたウィンドブレーカーがプレゼントされる。読売新聞では戦況予想や選手のプロフェールが連日誌面を埋める。

だが、「箱根駅伝」は関東大学の間でだけ競われる「地方大会」だ。あたかも日本で一番駅伝の強い大学を決める競技会のように放送され、見る側もその気になっているかもしれないが、あんなものがあるがために大学陸上部の勢力図が歪められてしまっているのだ。

高校時代に優れた成績を残した選手には、関東の大学からの勧誘が相次ぐ。「練習環境がいい」、「全国から強豪が集まる」そしてきめのセリフが「箱根を走れるよ」だ。

でも大学のリクルート(高校生募集)担当者は1年の半分以上を東海より西の地域で過ごすことになる。陸上競技に興味をお持ちの方であればご存知だろうが、高校の長距離、特に駅伝は近年圧倒的に西日本が強い。特に関西や中国、九州から地力のある選手が例年出ている。今年の全国高校駅伝の優勝は広島の世羅高校だった。

だから、箱根駅伝で各大学から出場している選手の出身校を見ると圧倒的に東海より西の選手が多い。開催地である東京や神奈川出身の選手など数えるほどしかいない。走り始める前の選手たちの間では関西弁が飛び交ていることだろう。

もう何十年もテレビで放送され、あたかも実力日本一を決める大会のように、読売新聞、日本テレビをはじめとするメディアが大きく扱うから、それが悪影響を及ぼし、実力のある選手が東京一極集中という現象が定着してしまった。これは大変不公平な現象である。

全国の大学に出場資格があり(勿論地区大会を勝ち残った上でだが)公平に日本中の大学の実力が競われるのは「全日本大学駅伝大会」だ。選手層が厚い関東勢が近年は必ず優勝するし、上位を占める。それでもこちらは日本中どの大学にでも予選会への出場資格があるという点で、公平な大会といえる。逆に箱根駅伝は関東圏の大学にしか予選会への出場資格がない。

何のことはない。関東周辺の「地方大会」を大騒ぎしているだけのことだ。

その証拠に、こういったスポンサーや大会運営会社の意向がまだあまり及ばない、大学女子駅伝では全く異なった勢力図が展開されている。女子駅伝は高校レベルでは男子ほど「東西格差」が定着していないものの、やはり「西高東低」の傾向は同じだ。そして大学レベルではその勢力図がそのまま反映されている。つまり東海以西、西日本の大学に強豪が多いのだ。

女子駅伝は歴史が浅いこともあり「箱根駅伝」に相当するような特定スポンサーが我儘を通す土壌はない。これは幸いなことだろう。

更に箱根駅伝にケチをつければ、この大会ではあまたの「ヒーロー」が生まれたが、その選手が後に大成したためしがない。近いところでは4年連続往路の山登りで驚異的な走りを見せ、新記録をたたき出し続けた東洋大学の柏原竜二選手が有名だが、彼は普通のトラックやマラソンを走らせても凡庸な記録しか出せない。古いところでは瀬古利彦も箱根を走った。瀬古は最長区間である「4区」を毎年快走したけれども、彼の活躍は箱根駅伝以上に「福岡国際マラソン」で学生として優勝を果たしたことから始まっていたのだ。

このように正月のおとそ気分に付け込んで、読売が仕掛ける悪辣なバイアスがかかった大会が恒例となっている。走る選手に罪はないが、箱根駅伝は、正月早々毎年歪な日本の一面を象徴している。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎病院経営の闇──検査や注射の回数が多い開業医は「やぶ医者」と疑え!
◎速報!『革命バカ一代』塩見孝也氏が清瀬市議選に出馬へ!
◎「守る」ことの限界──「守る」から「獲得する」への転換を!
◎秘密保護法施行日の抗議活動を自粛した金沢弁護士会にその真相を聞いてみた
◎自民党の報道弾圧は10日施行の秘密保護法を後ろ盾にした恫喝の始まり

いつも何度でも福島を想う

 

宮沢賢治の宇宙観と透明感と共に──災禍少なく爽やかな1年でありますように

日付が一つ進んだからといって、自然界に何ら変化があるわけではない。我々が今日世界の支配的時間軸として使っているのはグレゴリオ暦こと「太陽暦」である。他にも「太陰暦」や「ヒジュラ暦」など世界にはいくつもの時間の物差しがある。「暦」によって祝賀の日も当然異なる。

まあ、そういった面倒くさい話は抜きにしよう。昔ほどではないにしろ、日本にとって「お正月」は現在でもやはり一年を通して特別に違いない。

喪中の方々を除いては、とにかく「おめでとうございます」だ。今日に限っては「口うるさい」私も邪魔くさいことは言わない。

新年あけましておめでとうございます!!

さて、お正月である。柄にもなく読者の皆さんに私からのささやかなプレゼントをお届けしたい。といっても人からの借り物だけど・・・。

生徒諸君

諸君はこの颯爽たる
諸君の未来圏から吹いて来る
透明な清潔な風を感じないのか
それは一つの送られた光線であり
決せられた南の風である

諸君はこの時代に強ひられ率ゐられて
奴隷のやうに忍従することを欲するか
今日の歴史や地史の資料からのみ論ずるならば
われらの祖先乃至はわれらに至るまで
すべての信仰や特性は
ただ誤解から生じたとさへ見え
しかも科学はいまだに暗く
われらに自殺と自棄のみをしか保証せぬ

むしろ諸君よ
更にあらたな正しい時代をつくれ

諸君よ
紺いろの地平線が膨らみ高まるときに
諸君はその中に没することを欲するか
じつに諸君は此の地平線に於ける
あらゆる形の山嶽でなければならぬ
宙宇は絶えずわれらによって変化する

誰が誰よりどうだとか
誰の仕事がどうしたとか
そんなことを言ってゐるひまがあるか

新たな詩人よ
雲から光から嵐から
透明なエネルギーを得て
人と地球によるべき形を暗示せよ

新しい時代のコペルニクスよ
余りに重苦しい重力の法則から
この銀河系を解き放て
衝動のやうにさへ行はれる
すべての農業労働を
冷く透明な解析によって
その藍いろの影といっしょに
舞踏の範囲にまで高めよ

新たな時代のマルクスよ
これらの盲目な衝動から動く世界を
素晴らしく美しい構成に変へよ
新しい時代のダーヴヰンよ
更に東洋風静観のキャレンヂャーに載って
銀河系空間の外にも至り
透明に深く正しい地史 と
増訂された生物学をわれらに示せ

おほよそ統計に従はば
諸君のなかには少くとも千人の天才がなければならぬ
素質ある諸君はただにこれらを刻み出すべきである

潮や風……
あらゆる自然の力を用ひ尽くして
諸君は新たな自然を形成するのに努めねばならぬ

ああ諸君はいま
この颯爽たる諸君の未来圏から吹いて来る
透明な風を感じないのか

宮沢賢治

私は宮沢賢治の宇宙観と透明感が好きだ。押しつけがましかったらご容赦頂きたい。

たぶんかなわないだろうけども、読者諸氏に災禍少なく爽やかな1年でありますように。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

いつも何度でも福島を想う

 

読者の皆様、本年は大変お世話になりました。幸多き2015年を!

ほとんど想像するのが不可能である人々の群れがある。その方々はたぶん、世間で言われる「普通」より敏感な感性の持ち主で、個性が強い人達だろう、というくらいは見立てがつく。しかし、正直なところその方々の真の「属性」のようなものが掴めない。

私がその姿をあれこれ思い浮かべているのは、ほかでもない「デジタル鹿砦社通信」の読者、つまり「あなた」のことだ。勘違いしないでほしいが私はあなたの年齢や思想傾向、性別などを個人的な趣味で知りたがっているわけではない。

本コラムを読むにあたって、鹿砦社トップページをまず開くと、「デジタル鹿砦社通信」と並んでいるのがいかにも似つかわしくない「ジャニーズ研究会」の見出しが目に入る。どうにも奇異なこの組み合わせだが「ジャニーズ研究会」の読者数はここだけの話、腰を抜かしそうな数にのぼるそうだ。そしてその読者像はだいたい見当がつく。

他方、毎日(毎日ではなく、「時々」であっても)本コラムを読んでくださっている「あなた」の姿は、こちら側からは想像するのがひどく難しいのだ。

毎日更新ながら一貫した主張があるわけでもなく、極めて深刻な冤罪事件から、週刊誌では読めない芸能ネタ、またパロディーや、アジビラかと見まがう内容までを拝読いただいている「あなた」。「あなた」はいったい、どんな方々なのだろうか。

こんな疑問が湧いたのにはそれなりの理由がある。本コラムは2011年に開始され、幾度か執筆陣の入れ替えなどを経て、本年8月から現体制で再スタートしている。現体制での発足後半年にも満たないわけだが、無事年を越せることについて、「あなた」をはじめとする関係各位に年末のご挨拶を申し上げたいのだ。

不肖私ごときが他の執筆者の方々になり替わわるのははなはだ僭越と分かりつつも、本年このコラムをご拝読頂いたことに対して御礼を申し上げたい。

「鹿砦社」というアナーキーな出版社が許容してくれているから本コラムは成立しているが、それにもまして拝読頂ける「あなた」があってのことである。

だから、私は「あなた」のことに興味がある。「あなた」がわかれば、来年はもう少し「あなた」に興味を持っていただけるように、「あなた」に知って頂けるように、「あなた」に怒ってもらえるように、そして「あなた」に笑っていただけるように工夫が出来るのではないかと。

でも、誤解なきようお断りしておかなければならない。仮に「あなた」が分かっても、私は(きっと他の執筆陣も)工夫することはあれ、主張を変えることはないだろう。

自由な言論の領域がみるみる狭まる時代の中で、何のタブーもなく、方針もない本コラムは世間から「尊敬」される存在でありたいなどという勘違いは端から微塵も持ち合わせていない。むしろ権力者や大きなツラをした連中から「鬱陶し」がられ「顰蹙を買う」存在を貫徹したい。

本年は大変お世話になりました。皆様にとりまして幸多き2015年となりますよう祈念いたします。来年も「デジタル鹿砦社通信」をより一層よろしくお願いいたします!

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

いつも何度でも福島を想う

 

田所敏夫の《大学異論》──もうひとつの大学を求めて
○140819《01》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(前編)
○140820《02》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(後編)
○140821《03》職員の7割が「非正規」派遣・契約のブラック大学
○140822《04》志ある「非正規」は去り、無責任な正職員ばかりが居坐る
○140823《05》私が大学職員だった頃の学生救済策
○140824《06》「立て看板」のない大学なんて!
○140826《07》代ゼミと河合塾──予備校受難時代に何が明暗を分けたのか?
○140904《08》5年も経てば激変する大学の内実
○140922《09》刑事ドラマより面白い「大学職員」という仕事
○140929《10》公安警察と密着する不埒な大学職員だった私
○141007《11》「草の根ファシズム」の脅迫に抗した北星学園大学にエールを!
○141016《12》大学ゴロ──学生確保の裏で跋扈する悪徳業者たち
○141025《13》学園祭で「SMショー」は芸術か?ワイセツか?
○141030《14》学園祭のトラブルは大学職員が身体を張って収束させる
○141104《15》北星学園大学を追い詰めた「閾下のファシズム」
○141106《16》京都大学が公安警察の構内潜入を拒否するのは100%当たり前!
○141112《17》学園祭の「ミスコン」から芸能界へ、という人生
○141114《18》「過激派」は学生でなく今の日本・安倍政権!──京大集会見聞記
○141115《19》警察が京大に160倍返しの異常報復!リーク喜ぶ翼賛日テレ!
○141119《20》過去を披歴しない「闘士」矢谷暢一郎──同志社の良心を継ぐ
○141210《21》本気で学ぶ大学の選び方─「グローバル」より「リベラルアーツ」
○141220《22》真っ当に誠実さを貫く北星学園大学の勇断に賛辞と支援を!
○141226《23》青山学院大学──経営者自らがぶち壊す「青学ブランド」