2017年3月5日掲載の、「埋もれた勇者 ── 足立秀夫という男」というタイトルで掲載していますが、格闘群雄伝版でもう少し踏み込んだ展開にしてみました。

短い期間だった渡邉ジムでの練習風景、上り調子の頃(1981.12.21)

◆自衛隊から突如転身

足立秀夫(あだちひでお/1957年5月21日、静岡県袋井市出身)は1979年(昭和54年)4月、名門・目黒ジムからライト級でデビューし6連勝。後に移籍後もチャンピオンには届かなかったが、強い蹴りと強面の荒々しい試合で存在感が増して行ったキックボクサーだった。

子供の頃から走ることが得意だった足立秀夫はマラソンでは常に一番になり、高校卒業後は船に興味があったことや基礎体力に自信があったことで海上自衛隊に入隊。そこでたまたまキックボクシングをやっていた隊員に誘われ目黒ジムを見学すると、キックボクシングの凄さを実感。本能的にいきなり自衛隊を辞め、その目黒ジムに入門した。

子供の頃からの走り込みや自衛隊で鍛え上げられたパワーとスタミナで勝ち進んだデビュー1年後に、小泉猛(現・ジャパンキックボクシング協会代表/市原)と引分ける試合があった。

「このままではこの先勝てなくなる。技術を磨かねば」と一層そんな欲求に苛まれ、1981年春に単身、タイ修行に臨んだ。

それまでの目黒ジムでは、野口ボクシングジムとの交流も多かった縁でパンチの戦法が活かされたが、このタイ遠征した際に出会った元・東洋フェザー級チャンピオン、西川純氏の存在が大きく運命を変えた。

「タイ選手もビビるほどの強い蹴りを持てばタイのトップクラスでも通用する!」と言われた蹴り主体の戦法に変わり、帰国後は西川ジムに移籍し、磨きをかけた左ミドルキックは驚異的となった。

バンモット戦の試合直前、西川会長と出番を待つ(1982.1.4)

◆不憫な環境でも充実練習

足立秀夫が練習の場としていたのは西川ジムが間借りしていた、新小岩にあった渡邊ジムだった。この渡邊ジムとの縁は4ヶ月程だった様子。この年10月に発足した日本プロキックボクシング連盟が半年足らずで分裂が起きていることから大凡の事情は把握出来たものだった。

暫くは京成小岩駅近くにあった西川純会長宅前の路地を使って練習を続けていた。敷地内の二階建て木造アパートが合宿所となって、足立秀夫の他、数名の選手はこのアパートに住んでいた。流し台のある六畳一間でトイレ・洗濯場共同の風呂無しアパート。家賃五千円らしい。このアパートでは廊下でも会話が多い和気藹々とした雰囲気。当時の学生身分から見れば、充分住み易いアパートだった。

路地での練習は夕方の限られた時間しか集まれない為、選手が増え、賑やかになり過ぎた頃、近隣からの苦情で撤退を余儀なくされてしまった。すると夜の市場を借りたり、アパートの部屋の壁を撤去して二部屋分をジムにしてしまう工夫も見られたが、1982年12月半ばには国鉄小岩駅から200メートル程歩いたところの雑居ビルでジム開設に至った。港建設に支援され、暫く「港西川ジム」と改名されたのもこの縁である。開設披露日に業界関係者が祝福に訪れ、足立秀夫が藤原敏男氏とスパーリングを行なえたのも貴重な体験だったという。

バンモット戦の朝、計量前にフラッと散歩(1982.1.4 朝7時頃)

◆全盛期

足立秀夫は西川ジムに移籍後の1981年9月末、山梨県甲府市で日本ライト級チャンピオン、須田康徳(市原)に挑戦したが判定負け。この時すでに日本キックボクシング協会(旧・TBS系)は内部分裂していた様子が窺え、クーデターと言われた革命の日本プロキックボクシング連盟発足に繋がっていった。

同年10月25日、その設立興行で足立秀夫は過去一度勝っている長浜勇(市原)に判定勝利。

長浜勇戦第2戦はパンチには苦戦も主導権奪って判定勝利(1981.10.25)

翌1982年1月4日にはタイの元ランカーで来日4戦4勝の、バンモット・ルークバンコー(タイ)にKO負けしたが、序盤はアグレッシブに攻め、日本人が対戦した中で最もいい試合したと評価を得た試合でもあった。

この年11月には画期的な1000万円争奪オープントーナメントが始まり、翌1983年2月5日には藤原敏男(黒崎)と62kg級準決勝戦を行ない、第3ラウンド、右ストレートで倒されたが、ジム開設パーティーで藤原敏男とのスパーリングで得た手応えから気力充実で全力で挑んだ試合だった。これが藤原敏男氏の現役最後の試合となったことも後々映像で振り返る機会多い試合となった。

藤原敏男戦は最も緊張し、気力も充実した試合だった(1983.2.5)

気合いが入るというのは強さ倍増する自信となった足立秀夫。藤原敏男と戦った乗りに乗ったモチベーションは10日後の香港遠征で、タイから選抜されて来た選手に蹴りでKO勝ちしたという結果はより一層自信に繋がったという。

同年5月28日には日本プロキック・ライト級王座決定戦を須田康徳と争い、右アッパー喰らって3ラウンド終了時TKO負けで雪辱成らずとなったが、翌6月17日、内藤武(士道館)に逆転の判定勝利。連戦の大物との激闘に疲れが見えていたのも事実だったが、この頃までが一番輝いていた時期だった。

ヘビー級の斎藤三郎とエキシビジョンマッチ、意外と人気で盛り上げた(1983.9.18)

◆下降の原因

翌1984年1月5日、過去2勝している長浜勇に2ラウンドKO負け。同年5月26日にはサバイバルマッチと言われた内藤武戦で借りを返される判定負け。同年10月13日にはバンモット・ルークバンコーとの二度目の対戦もアゴにハイキック喰らってKO負け。

上り調子だった長浜勇に倒された第三戦(1984.1.5)

11月30日には統合団体、日本キックボクシング連盟設立興行で新鋭・飛鳥信也(目黒)に序盤先手を打つペースを握りながら巻き返され逆転KO負け。減量失敗でフラフラの状態で現れた朝の計量時、「駄目だ、落ちなかった。グローブハンデでも何を課されても仕方無い!」こんな弱気な、か細い声の足立秀夫は初めてだった。

サバイバルマッチと言われた内藤武戦。返り討ち成らず(1984.5.26)

それまでライバルを突き放し、上位へ挑戦し続けた現役生活。しかし次第に巻き返された昭和59年という現役6年目、この先のメジャーに向かう華々しい新・連盟イベントを最後に引退を決意。太く短く戦った現役生活だった。

引退前だが、気合い充分、雪辱に燃えたバンモット戦(1984.10.13)

ラストファイトとなった飛鳥信也戦、力尽きた戦い(1984.11.30)

「強い奴とやり過ぎたんだ!」とは一緒に練習していたジム仲間の言葉。タイの強豪と戦い、敵わなかったことが「本人も周りも気付かないうちに自信を無くしていったんだろう。」という周囲の声だった。選手を育てるには「勝ち癖を着けることが大事」と言われる。下位には勝てるが上位には勝てないその壁を上手く乗り越えていくことが大事で、強い相手ばかりを続けて当てると敵わないことで伸び悩んでしまうと言われる。しかし、閑散とした日本のリングとキックブームの香港、戦う場が限られていては止むを得なかったかもしれない。

引退後は故郷、静岡の同級生と結婚し、後に地元に帰って焼肉店「東大門」を開店した足立秀夫氏。焼肉店の隣に東大門ジムを開設し、2000年代に入った頃のニュージャパンキックボクシング連盟興行で出場選手を連れて現れた。現役時代に無かった笑顔を振り撒き穏やかな表情で「商売人は笑顔で居なくちゃ駄目だよ!」と焼肉専門店の先輩から教えられたことから「笑顔で居るのが癖になっちゃったよ!」と笑う足立秀夫氏。三人のお子さん(男の子)はいずれも立派に成人。

地方では練習生が少ないが、現在は焼き肉屋を若い者に譲渡し、ジムに顔を出す時間を増やし、そして現役時代のように自らも走り込む時間を送って鍛えることを楽しんでいるという。

現役時代、チャンピオンには届かなかったが、現在のような多乱立王座だったら、何らかのチャンピオンには成っていただろう。しかし、「須田康徳を倒してこそ真のチャンピオン」と信じた現役生活に悔いは無く、「須田康徳さんとも藤原敏男さんとも戦えたのは幸せな現役生活だったよ!」と語っていた。

足立秀夫の現役時、1983年6月に西川ジムに入門した赤土公彦氏は「ジム見学に行った時に前髪が長い独特なスポーツ刈りをしていた足立さんが居て、試合前で気合いが入っていて、体型、風貌も含めてミットやサンドバッグを蹴っている姿がカッコイイと一目惚れで入会したのを覚えています。現在のようなYouTubeや過去の試合映像も無かった時代で、身近に良い見本になる先輩が居たのは自分にとって今も受け継いでいる財産です!」という一発入門を決めたのが足立秀夫の強い蹴りだった様子だった。

私(堀田)が出会ったばかりの頃、試合1週間前に「俺、減量したら凄く顔変わるからビックリしないで!」と言っていた足立秀夫氏。実際の試合当日の朝、他の選手より眼がくぼんで頬がこけた足立秀夫氏の顔があった。毎度の試合の度にこんな苦労しているのかと目の当たりにした減量の厳しさを感じたものだった。

現役の頃に私がお渡しした試合写真は今も大切に持っているという足立秀夫氏。あんなボケボケブレブレの撮影で申し訳なかったが、「それでも俺らにとっては貴重な写真だよ!」と言ってくれたことが嬉しいものである。

「西川純会長は自分を育ててくれた恩人で、また東京へ会いに行くんだ!」という足立秀夫氏。また東京で私とも会えたら、今度はデジタルカメラで高画質の撮影をしてあげたいものである。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

元・ラジャダムナン系ウェルター級チャンピオン、K-1でも活躍した武田幸三氏がニュージャパンキックボクシング連盟に加盟。今迄に無い緊張感があった今回の興行。武田幸三氏の存在感が大きかった。

前日計量にて、YouTube配信での武田幸三氏の御挨拶(抜粋)。

「私がNJKFに入らせて頂きまして、プロモートされて頂く第一回目の興行です。めちゃめちゃ、一番気合い入っている自信あります。どれだけプロモーターが頑張ろうが最後は試合、選手の頑張りに尽きると思います。それをどう私が導き出せるかこれからの課題だと思います。本気でトップ狙って本気でトップの団体にしようと思っています。
 大田拓真選手を映像で観たことありますが、生で観たことはありません。本当のエースなのか、本当にエースになってくれるのか、本当のエースの試合が出来るのか、メインイベンターがその大会の印象全てを決めると私は思っています。それを彼に出来るのか、明日はそれを見極めたいと思います。タイの選手には一切忖度しませんので、「勝ったら賞金出す」と言いました。その辺は強い奴が勝つ。本当にチャンピオン成りたい者が上に、自己主張しっかり出来る人間、目標が明確な人間、本気でキックに命を懸けている人間が勝ち残るリングにしていきたいと思います。お客様ファーストで会場をドッカンドッカン揺らすことが出来る人間がエースだと思っています。本当に彼が成れるのか、明日、しっかり見させて頂きたいと思います。温い奴は一人もいません。温い奴は使いません。」

選手だけでなく、各運営スタッフも緊張が走る語りだった。

そして試合は、大田拓真はメインイベンターの責任を果たす完封TKO勝利。5回戦制の上手い戦い方を見せた。

龍旺もデビューから2年5ヶ月で9戦目、狙っていたノックアウト勝利(TKO)で王座獲得。

興行MVPはインパクト強かった大田拓真と龍旺が受賞した。

波賀宙也は主導権奪えない苦戦も、終盤になって盛り返しての引分け。ジワジワ攻めるには3回戦制では足りない勿体無い展開。

◎NJKF 2023.5th CHALLENGER -Reborn- / 11月12日(日)後楽園ホール17:20~20:44
主催:Yashiroジム / 認定:ニュージャパンキックボクシング連盟

※戦績はプログラムより、本日の結果を含んでいます。第7~10試合は、NJKFアマチュア枠のEXPLOSION提供試合。

左瞼を切られた後、大田拓真もヒジ打ちで返す

◆第13試合 58.0kg契約 5回戦

大田拓真(新興ムエタイ/神奈川県出身24歳/ 58.0kg)35戦26勝(8KO)7敗2分 
       VS
ルークワン・スーチーバァーミキョ(タイ出身23歳/ 56.75kg)68戦52勝(18KO)15敗1分
勝者:大田拓真 / TKO 4R 1:50
主審:多賀谷敏朗

大田拓真は元・WBCムエタイ日本フェザー級チャンピオン
ルークワンはノンタブリー県ジットムアンノンスタジアム・フェザー級1位

大田拓真はローキックからパンチへ繋ぐ距離感を図る。更にヒザ蹴り。ルークワンも蹴りからパンチを返して来る探り合いの攻防は互角。

第3ラウンドまで大田のパンチ連打と時折のボディーブローから徐々に攻勢を増して行く中、ルークワンのヒジ打ちで大田の左瞼がカットされ、流血するちょっとマズい展開も、第4ラウンドには大田がより勢い増してのパンチからローキック、ボディーブローが徐々に効いてきたルークワンは表情がこわ張りはじめ、大田拓真はパンチ連打で2度のノックダウンを奪ってレフェリーは若干様子見もほぼノーカウントで試合を止めるレフェリーストップとなった。

大田拓真は「倒すということを目標に練習して来て、今年は自分の苦手だったパンチの工夫を結構練習して来たので、それが毎試合出していって、今回の今年最後の締め括りで、パンチを強く当てれたなと思います。」と語った。

切られた左眉は「何がいつ当たったか分からなかった」と言い、更に「第1ラウンド目は“大丈夫か俺”って、ちょっと焦りました」と言う。ルークワンの強さ、圧力に攻め難さがあった様子。それを攻略し、第4ラウンドに仕留めたことは5回戦の戦い方が活かされていただろう。

磨いて来たパンチ、大田拓真の左フックがヒット

9戦目でチャンピオンとなった龍旺、来年は常連メインイベンターとなるか

◆第12試合 第11代NJKFスーパーフェザー級王座決定戦 5回戦

2位.龍旺(Bombo Freely/茨城県出身21歳/ 58.95kg)9戦7勝(3KO)1敗1分
        VS
3位.佐藤亮(健心塾/大阪府出身25歳/ 58.75kg)29戦14勝(2KO)13敗2分
勝者:龍旺 / TKO 2R 3:06
主審:中山宏美 

龍旺のローキックからパンチ。対抗する佐藤亮は互角の展開も、早くも第2ラウンドには倒す気満々の龍旺の蹴りとパンチで勢いが増して行く。

佐藤亮は険しい表情で下がり、龍旺が豪快にパンチ連打でノックダウンに繋げ、佐藤亮は立ち上がるもダメージの深さからレフェリーが試合をストップした。

龍旺は「倒せて良かったです。武田幸三さんの言葉が後押しになってKO出来て良かったです。」と語り、桜井洋平会長は「最後の打ち合いはどっちがどうなるか、ちょっと危なかったけど、そこを打ち勝つのがチャンピオンに成る者の強さでした。」

ちょっと早いが防衛戦について振ると、「やらなきゃいけない。防衛してこそチャンピオンですから。」とすぐの返上や、すぐのWBCムエタイへの挑戦は無く、段階を踏んでいく様子だった。

KOへの意欲が表れた試合、龍旺の右フックで牽制

勢い付いていく龍旺の左ハイキック

◆第11試合 57.0kg契約3回戦

波賀宙也(立川KBA/東京都出身34歳/ 56.95kg)47戦27勝(4KO)15敗5分 
      VS
サクレック・ゲッソンリット(タイ出身22歳/ 56.4kg)70戦46勝(14KO)21敗3分
引分け 0-0
主審:少白竜
副審:竹村29-29. 多賀谷29-29. 中山29-29

波賀宙也は元・IBFムエタイ世界Jrフェザー級チャンピオン
サクレックはジットムアンノンスタジアム・バンタム級チャンピオン

ムエタイ技の交錯、サクレックの右ヒザ蹴りが波賀宙也にヒット

波賀宙也はローキックとミドルキック、接近戦でのヒジ打ち、組み合って首相撲からの崩しと一連のムエタイリズムで進む。

第2ラウンドにサクレックのパンチで出て来るしつこさでやや劣勢の流れも、第3ラウンド終盤には逆に波賀宙也がパンチでラッシュをかけると、サクレックは鼻血を流す失速も首相撲で凌いで終了。

終盤ラッシュした波賀宙也、時間が足りなかった

◆第10試合 EXPLOSION 60kg級 2回戦(2分制)

EXPLOSION60kg級覇者.藤倉祢虎(KIKUCHI/ 57.5kg)
         VS
ポテワオ・タウィゲット(タイ/ 59.45kg)
勝者:藤倉祢虎 / 判定3-0 (20-18. 20-18. 20-18)

◆第9試合 女子EXPLOSION 45kg級 1ラウンド(2分制)

竹井もも(エス/ 44.8kg)vsポンワリー・ソー・ジッサノンチャー(タイ/ 43.65kg)
勝者:竹井もも / 判定3-0 (10-9. 10-9. 10-9)

◆第8試合 EXPLOSION 28kg級 1ラウンド(2分制)

EXPLOSION28kg級覇者.武内太陽(D-BLAZE/ 27.85kg)
        VS
ジムサヤーム・ソー・ジッサノンチャ(タイ/ 29.1kg)ウェイトオーバーで減点1
勝者:武内太陽 / 判定3-0 (10-8. 10-8. 10-8/減点1含む)

◆第7試合 EXPLOSION 45kg級 1ラウンド(2分制)

能登龍大(VALELLY/ 43.9kg)vs堀口遥輝(TAKEDA/ 43.95kg)
勝者:堀口遥輝 / 判定0-3 (9-10. 9-10. 9-10)

◆第6試合 56.0kg契約3回戦

赤平大治(VERTEX/栃木県出身22歳/ 55.95kg)5戦3勝(2KO)1敗1分
        VS
蹴橙(クローバー/栃木県出身23歳/ 55.8kg)2戦2勝(2KO)
勝者:蹴橙 / TKO 3R 0:38 / 赤平が優勢も蹴橙の有効打で負傷逆転、ドクターの勧告を受入れレフェリーストップ
主審:中山宏美

◆第5試合 女子(ミネルヴァ)40.0kg契約3回戦(2分制)

ミネルヴァ・ピン級7位.AIKO(AX/埼玉県出身36歳/ 40.35→40.0kg)13戦5勝7敗1分
        VS
江口紗季(笹羅/広島県出身32歳/ 37.75kg)3戦1勝2敗
勝者:AIKO(赤コーナー) / 判定3-0
主審:岡田敦子
副審:竹村30-29. 児島30-28. 中山30-28

◆第4試合 60.0kg契約3回戦 ※池田航太(拳粋会宮越)負傷欠場、裕次郎に変更

裕次郎(拳伸/千葉県出身15歳/ 59.55kg)6戦3勝2敗1分
        VS
竹内悠真(TAKEDA/愛知県出身26歳/ 59.85kg)2戦2勝
勝者:竹内悠真(青コーナー) / 判定0-3 (28-30. 29-30. 28-29)

◆第3試合 ライト級3回戦

須貝孔喜(VALELLY/岩手県出身22歳/ 61.23kg)4戦2勝(1KO)2敗
        VS
渡部瞬弥(エス/神奈川県出身29歳/ 60.95kg)7戦1勝6敗
勝者:須貝孔喜(赤コーナー) / KO 1R 2:48 / テンカウント

◆第2試合 S-1レディース 48.0kg契約3回戦(2分制)

Marina(健心塾/三重県出身16歳/ 47.45kg)7戦3勝(1KO)4敗
        VS
ミナミ(アント/千葉県出身37歳/ 47.95kg)3戦1勝2敗
勝者:Marina(赤コーナー) / TKO 2R 2:06 / カウント中のレフェリーストップ

◆第1試合 52.0kg契約3回戦

永井雷智(VALELLY/東京都出身15歳/ 52.0kg)2戦2勝(1KO)
        VS
TAKUMI(Bushi-Doo/新潟県出身33歳 51.65kg)5戦5敗
勝者:永井雷智(赤コーナー) / TKO 2R 0:32 / 有効打で負傷、ドクターの勧告を受入れレフェリーストップ

EXPLOSION出場したジュニア選手達、数年後には龍旺のような存在になる可能性は高い

前日計量にてめちゃめちゃ気合いが入った武田幸三氏がYouTube生配信で熱く語った

《取材戦記》

興行後の帰り際、短めながら武田幸三氏のコメントを頂く。

「興行第一発目として僕の想いは伝わったかなと思います。現状の混沌とした中、跳び抜けて行くには、お客さんのハート掴む為にも皆で、ちょっとずつでもやって行かなきゃならない。来年は更に盛り上げて行きます。」

前日計量で宣材写真を撮影するスペースに現れて、選手に注文を付けた武田幸三氏。戦績の負け越している前座出場選手にも、「この試合に勝って上を目指す気あるの?その得意技を出してみて! その気合いの顔作って!」など注文を付けて、「せっかく撮るなら観る者に印象に残る勢い有る写真を!」といった気合いが表れる撮影だった(撮影はNJKFオフィシャルカメラマン)。

今年1月はジャパンキックボクシング協会でのCHALLENGER.7興行だった。いつも武田幸三氏の気合いが目立つ興行でしたが、10月にニュージャパンキックボクシング連盟にTAKEDAジムとして移籍加盟。その存在感は健在。周囲のメンバーが違うだけで、気合いの入り方は以前どおり。ニュージャパンキックボクシング連盟が乗っ取られたような興行の変わりよう。創設以来、比較的穏やかだったNJKFが今後、より面白くなっていきそうである。

武田幸三氏は来年初回興行もプロモーターとして活動します。
NJKF東西対抗戦 / 2024年2月11日(日)後楽園ホール

◆先に発表の5試合

NJKFフェザー級暫定王座決定戦
1位.大田拓真(新興ムエタイ)vs3位.笹木一磨(理心塾)

NJKFスーパーバンタム級王座決定戦
大田一航(新興ムエタイ)vs真琴(誠輪)

NJKFチャンピオン対決
スーパーライト級C.吉田凛太郎(VERTEX)vsウェルター級C.青木洋輔(大和)

バンタム級3位.嵐(キング)vs2位.甲斐元太郎(理心塾)

ウェルター級7位.亜維ニ(=小林亜維ニ/新興ムエタイ)vs同級6位.悠YAMATO(大和)

期待に応えた龍旺と大田拓真がKO賞とMVPを同時受賞

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年12月号

2015年から始まったWBCムエタイジュニアリーグ全国大会、今年度の全15階級の優勝者が決定。
最優秀選手(MVP)にはU18高校生52kg以下で優勝した大久保世璃選手が獲得。
他、敢闘賞を各クラス1名計4名、フェアプレー賞を各クラス1名計4名が受賞。
優勝者は来春、ルンピニースタジアムでの世界大会出場資格が与えられました。

◎WBCムエタイジュニアリーグ第6回全国大会 / 11月5日(日)12:00~16:35
会場:GENスポーツパレス
主催:WBCムエタイジュニアリーグ実行委員会

表彰選手集合写真撮影

《全国大会決勝戦》

◆U15 小学校低学年(3年生、4年生)2回戦(1分制)

25kg未満決勝 ×佐島康太vs松下塁○ 判定0-3 優勝 松下塁

28kg未満優勝者(表彰のみ) 山川樹

31kg未満決勝 ×北山義vs小池隼斗○ 判定0-3 優勝 小池隼斗

◆U15 小学校高学年(5年生、6年生)2回戦(1分30秒制)

28kg未満優勝者(表彰のみ) 武内太陽

31kg未満決勝 ×野本かれんvs松下琉翔〇 判定0-3 優勝 松下琉翔

34kg未満決勝 ×若月イルvs丹野優志○  判定0-3 優勝 丹野優志

37kg未満決勝 ×中村陸人vs渡部要○  判定0-3 優勝 渡部要

45kg未満優勝者(女子/表彰のみ) 中島瑠花

◆U15 中学生2回戦(1分30秒制)

34kg未満決勝 ○三宅湊士vs久保田天空× 優勝 三宅湊士

中学生クラス34kg未満決勝戦、久保田天空vs三宅湊士

37kg未満決勝(女子) ○北山恋vs瀬川柚子心×  優勝 北山恋 

中学生クラス37kg未満決勝戦(女子)、北山恋vs瀬川柚子心

40kg未満決勝 ×大沢透士vs野本琥太郎○ 優勝 野本琥太郎

中学生クラス40kg未満決勝戦、大澤透士vs野本琥太郎

45kg未満決勝 ○西山大翔vs鈴木秀馬× 優勝 西山大翔

中学生クラス45kg未満決勝戦、西山大翔vs鈴木秀馬

50㎏未満決勝 〇田邉謙心vs佐藤翔力 優勝 田邉謙心

中学生クラス50kg未満決勝戦、佐藤翔力vs田辺謙心

55kg未満決勝 ○小野 力光vs剛右近 湊× 優勝 小野 力光

中学生クラス55kg未満決勝戦、郷右近湊vs小野力光

60kg未満決勝 ○藤倉弥虎vs小澤裕次郎× 優勝 藤倉弥虎

中学生クラス60kg未満決勝戦、藤倉弥虎vs小澤裕次郎

◆U18 高校生 2回戦(2分制)

52kg以下決勝 ×安枝唯斗vs大久保世璃○ 優勝 大久保世璃

MVP 大久保世璃 (高校生52kg以下)

高校生クラス52kg以下決勝戦、大久保世璃vs安枝唯斗

敢闘賞 佐島康太 (小学校低学年25kg未満)
若月イル (小学校高学年34kg未満)
中島凌駕 (中学生50kg未満)
安枝唯斗 (高校生52kg以下)

フェアプレー賞  新美莉瑚 小学校低学年31kg未満
     岩佐昌    小学校高学年31kg未満
     日暮洸冴   中学校40kg未満
     大久保世璃  高校生52kg以下

大会MVP獲得した大久保世璃

《取材戦記》

コロナ禍を経て、やや縮小した感はあるものの、技術がグンと向上したジュニアの攻防が見られました。

MVPとフェアプレイ賞を獲得した高校生52kg以下で出場の大久保世璃選手は、2019年度の小学校高学年(当時6年生)31kg未満でも優勝とフェアプレイ賞を受賞しています。

優勝とMVP受賞については「素直に凄く嬉しいです!」と笑顔で応え、目指すは「K-1甲子園」で、更なる上位は「K-1チャンピオン」と言い、ムエタイという方向性については、あまり関心が無い様子でしたが、K-1ジム・ウルフ所属だったので、K-1が主流なのは当然でしたね。これが多様化した競技性で今時の若年層の考え方の一つでもあるでしょう。

K-1甲子園とは、2007年から続く全国の高校生選手のナンバーワンを決める大会で、プロで活躍し、チャンピオンに成った選手も多い登竜門です。

WBCムエタイジュニアリーグ第1回世界大会は2022年8月にカナダ・バンクーバーで大会が開催され、2年に一度の開催として第2回は来春2024年2月2日~5日、タイ・バンコクのルンピニースタジアムで開催予定です。

今回の全国大会優勝者は世界大会出場資格獲得しても必ず参加という訳ではありませんが、タイのルンピニースタジアムで行われる競技大会なので、殿堂スタジアムでの世界という舞台を体験して来て欲しいものです。
セコンド陣営や後援会、応援団といった歓声が大きいプロのキックボクシング興行ですが、ジュニアキックにおいては父兄の歓声が大きかったのもこの大会の特徴でした。

ジュニアリーグを卒業するとプロとして更に多くの選択肢が出てきますが、またどこかのリングでその顔を見ることも出て来るでしょう。2019年度、中学生クラス55kg未満で優勝した小林亜維二(新興ムエタイ)は現在プロとしてNJKFのウェルター級で活躍しています。父兄の方々もジュニアキックから成長していく我が子らの活躍が楽しみでしょう。逆に「ジュニアキックだけで充分、プロは儲からないし怪我するから行かせない」という選択肢も多そうなのも事実で、キックボクシングやムエタイの将来性、価値観も影響がありそうです。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

◆奇跡の運命

人には皆、奇跡がある。いろいろな人との出会いがあって、その縁がまた先に繋がっていく。そんな導かれた縁の繋がりで、その時代の皆さんの御陰で私は勝ち上がることが出来たのです。これは正に奇跡的な運命なのです(富山勝治談)。

アメリカの帰り、寄り道したハワイで撮った沢村忠さんとのツーショット

試合後の放送席でも竹を割ったような性格で多くを語っていた元・東洋ウェルター級チャンピオンの富山勝治さん。問われればしっかり応える姿は、こんな私ども素人相手の質問にもその姿勢は変わらなかった。

富山勝治大飛躍となった1972年(昭和47年)2月19日の花形満戦。そこから全国区の富山となってからの数々の試練。その都度立ち上がってきた不撓不屈の精神。かつて寺内大吉さんが語られた「人間性の勝利」があった。

富山勝治は子供の頃から気性が激しく、よく喧嘩沙汰になったというのは、腕白少年ならよくある話だが、進路についてはお袋さんが心配していて、「勉強しなくていいから学校だけは行きなさい!」と言われていたという。

そんな中学生時代に先輩の内田新一郎さんに気に入って頂き、「ウチの空手部に来い!」と誘われたことから1967年(昭和42年)4月、延岡商業高校へ入学した。内田新一郎氏はこの空手部主将、背は小さい人だがもの凄く喧嘩が強く、学校一の悪と言われるほどだったが、「この人の御陰で今があるんですよ!」と言うほど人生を変えた最初の転機だった。

空手部の顧問は甲斐和年さん。「鹿児島大学出身の先生で凄い人だったね。今の空手とは鍛えようが違う本物の武道だった。」という中で鍛えられた富山勝治は3年生までに基礎をしっかり学んだ御陰で二段まで取得、九州の高校選手権で優勝と実力発揮していった。

1967年(昭和42年)3月、高校卒業とともに佐世保の海上自衛隊入隊。卒業後は就職するところが無く、「父親が海軍上がりだったから俺は船乗りになりたかったが、半年間、家を留守にするような船の仕事では家庭が不安定になるからと『お前は自衛隊に行ったらどうだ!』と勧められて海上自衛隊に入隊しました。」と、小さい頃から口にすることはあった自衛隊の存在ではあった。

「まあそんな道しか無かったよ、勉強してないんだから!」。

九州は仕事が少なく、ヤクザか警察官か自衛隊と言われた。大手は八幡製鉄所、九州電力、旭化成があったが、勉強できない奴には縁の無い世界だった。

半年間、佐世保で教育隊に入るが、就職先が無かった悪い奴ばっかり来ていたという。喧嘩の絶えない自衛隊だった。

佐世保の米軍基地では常々空手の試合に出ていて、その時の上司・森嶋日出春(当時一等海尉)が、「お前なら沢村に勝てるぞ!」と言う語りかけからキックボクシング人生へ舵が切られた。

「今、東京ではキックボクシングというのをやっているからお前も東京に上れ!」と言われたが、「父親との約束で3年間は自衛隊を勤める!」ということで、3年満期で辞めて上京した。

[左]1978年10月のプログラム表紙より。[右]1979年2月9日プログラム表紙

◆キックボクシングを続けられた奇跡

1970年(昭和45年)3月31日、海上自衛隊を満期退職すると、その日の内に上京。知り合いに紹介して貰った渋谷のアパートに住み、導かれたとおり目黒ジムに入門。

練習と仕事の両立へ、新聞広告で見た神田青果市場で雇われると、朝5時に起きて1時間ロードワークした後、市場に向かった。夕方練習して、夜は割烹店で皿洗いのアルバイトもやっていたことがあったという。

「店の親父さんに可愛がられて、『チャンピオンに成れよ!』と応援してくれて、他の従業員には普通の飯だったけど、俺にはトンカツとか豪華なものを食わせてくれたなこと思い出すよ!」

「他に道路のライン引き工事の仕事もやったこともある。俺は引けないから道路のゴミを取り除く仕事。石ころなんかあってはライン引けないから、延々2キロメートルほど蜂起で掃いたな。」

「お世話になった人多くて可愛がられたけど、そういう風に可愛がって貰わないと上に行けない社会。親父の教育が良かったから、どこに行っても目上の人には可愛がられたね。」

1981年5月9日プログラム表紙。負けた試合がポスターやプログラムになったのは初めてという

◆私も関門海峡渡れんよ!

人生の分岐点となった名勝負、1972年2月19日の花形満との日本ウェルター級王座決定戦は、その前年6月26日に花形満との最初の対戦があった。それも花形満のパンチで3度ノックダウンしている富山勝治だが、左ハイキックで逆転ノックアウトしている好ファイトだった。そして迎えた王座決定戦。前年を上回る逆転の激闘で、富山勝治の名は全国に広まった。「50年経っても花形さんには感謝しています!」という熱い想いは変わらない。

「稲毛忠治へのリターンマッチ(3度目の対戦)の前、12月末にお袋が宮崎から来たんですよ。ある朝、お袋がリンゴ擦って俺のロードワークから帰って来るの待ってて飲ませてくれた後、『今度負けたら私も関門海峡渡れんよ!』と言われて、いや~、これはあんまり攻めてばかりではマズいな。パンチでもいいから勝たなきゃいけないな。という気持ちになってのあの試合でした。」

「勝つ為の試合。皆、勝つ為にリング上がっているけど、どうしても勝たなきゃいかん試合ってあるんですよ。それがヒットアンドアウェイという戦法。俺は本来ああゆう性格じゃないよ。アグレッシブにダァーっといく、そういう性格だから!」
そのアグレッシブさが出たのは最終第5ラウンド、蹴りからパンチ、ヒザ蹴りで稲毛を下がらせ、2-0の僅差ながら王座奪還した。KO負けをKO勝ちで返す、ファンの期待は叶わなかったが、何はともあれ苦節一年、逆境を乗り越えることが出来た。

◆沢村忠さんから託されたもの

「沢村さんから一回だけ褒められたことがある。
『富山くん、前から飛び上がって蹴るのも大変だが、キミはよく一回転して蹴れるな!』
これは沢村さんが俺を認めてくれた言葉だった。」

「その沢村さんから、現役最後の試合の後に譲り受けたものがあるんです。それは沢村さんが巻いていたチャンピオンベルト。『あとは頼むよ!』と、その意味は重く、それがメインイベンターを任された証だったんです!」

チューチャイ・ルークパンチャマを飛び後ろ蹴りでノックアウトして、TBSトップの森忠大さんに「やっと沢村を越えたな!」と言われてまずは第一歩目の責任を果たせた想い、スポーツニッポンのベテラン記者(布施さん)氏には、「富山くん、あなたの得意技は後ろ蹴りだから、ずっとやりなさい!」と励まされたのも自信に繋がった言葉だったという感謝の念は絶えない。

ここから更に日米対決へ新たなチャンピオンロードがあったが、後々TBS放送が打ち切られて、全国ネットから外れた時代に移った。

テレビで観れなくなって富山さんはその後どうなったか気になっていた全国の視聴者は多い。その後、主要ビッグマッチはテレビ朝日系に移ってからの日米大決戦だった。

「WKBA世界戦に至るまでは、もう闘争本能は無くなりつつあったな。メインイベンターとして戦い続けていたけど、ずっと維持するのは無理。30歳過ぎると気力も無くなっていく。野口修社長に「沢村忠が担った東洋王座から、富山は世界を担え!」と期待された世界戦で、沢村さんからの「あとは頼むよ!」とチャンピンベルトに託された責任があって精一杯頑張ったけど力及ばず、世界ベルトには手が届かなかった。」と、もう2年早く挑戦できていればと無念さは残る。

[左]1983年11月12日引退試合プログラム、関係者の語りが熱かった。[右]引退セレモニーでの語り「全国のキックボクシングファンの皆様……!」から始まった全国目線の語り口

引退試合、対戦者ロッキー藤丸に労われる

「がんがん石」新宿店の看板。綺麗なお店だったが、キック関係のオブジェは無かった

引退後はスパゲッティ屋「がんがん石」の継続と後援会などの支援で不動産業に進出したが、ビジネスでは上手くいったりいかなかったりでも、困った時は必ず助けてくれる兄弟とも言うべき仲間が居たという。

「私は自衛隊での上司の導きから始まって、沢村忠さんとの出会い、花形満戦があったように、いろいろな人に恵まれて今があると思います。」

「人間は心臓一つしか無いんだから。二つも三つもある訳じゃないから。死ぬときは一回のみ。悔いの無い日々を送って、その日その日の一日を乗り切ればいいんです。ジタバタしない。何があっても今日一日は乗り切る。そう思って頑張れば必ず奇跡は起こるといつも思っていますよ!」

現在、計画していることは「目黒ジムは何とか復活させたいんです!」という野望。

近年のキックボクシングの在り方について意見を求めると、
「今時の3回戦制なんて誰が決めたのか知らんが、あんなもん試合じゃないよ。アマチュアだね。プロ格闘技の意味が無いよ。キックボクシングは初期からの規定どおり3分の5回戦でやらなきゃ。復活しなきゃ面白くない。誰かが戻さなきゃ駄目ですよ!」

世間では忘れ去られようとしている昭和のキックボクシング。富山勝治さんが奇跡を起こすしかないかもしれない。

富山勝治さんの語り口はこれだけでは収まらない展開でした。

現役時代は理髪店には三日に一回。現在は毎日御自身で整髪、鏡越しにハサミでカットするとか。現在もプロ意識を持った語り口には感謝でした。またお会いする機会があれば諸々お尋ねしたいと思います。

TBSでは名コンビだった二人。「具志堅くんは今でも俺を立ててくれる、感謝を忘れない男ですよ」

今年9月24日の最新画像、藤原敏男さんと増沢潔さんと並ぶ、50年前に観たかったカードである

富山勝治さんが語る沢村忠さんとの出会い、花形満戦の想いは、舟木昭太郎トークショーに於いて語られた、2019年5月12日掲載、「元・東洋ウェルター級チャンピオン、富山勝治さん現る!」を御参照ください。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年11月号

勝次の今後の活躍は他団体、他、イベント興行で発揮の予定。
新日本キックとNJKFのフェザー級チャンピオン対決は瀬戸口勝也がワンパンチで圧勝。
期待の木下竜輔は逆転負け。
江幡塁が大病からリング復帰の御挨拶。

◎TITANS NEOS.33 / 10月15日(日)後楽園ホール17:40~20:50
主催:TITANS事務局 / 認定:新日本キックボクシング協会

◆第12試合 ライト級ノンタイトル3回戦

WKBA世界スーパーライト級チャンピオン. 勝次(藤本/61.2kg)
        VS
岩橋伸太郎(元・NJKFライト級Champ/エス/60.65kg)
勝者:勝次 / 判定3-0
主審:椎名利一
副審:中山30-28. 宮沢30-29. 桜井30-29

初回、勝次はローキックからジャブ、パンチ連打で先手を打って出て行く。顔面前蹴りもヒット、調子は良さそう。ここまでは。

守勢となった岩橋伸太郎は左ミドルキック中心に強く蹴って巻き返し、勝次は変化を付け、前蹴り、ヒザ蹴り、更にパンチ連打から飛びヒザ蹴りと圧力掛けて完全な主導権支配しようにも岩橋は左ミドルキックやローキックで返し後退しない。

大差を付けて勝ちたい勝次、渾身の右ローキックヒット

譲れぬ勝利、パンチの交錯が続く勝次と岩橋伸太郎

勝利後はマイクアピールで“ハッピー”コール。新日本ではラストアピール

第3ラウンド、ミドルキックの蹴り合いからパンチを叩き込む勝次。岩橋は一旦守勢になってもしぶとく反撃に出るが、勝次は打ち合いの見せ場を作って試合終了。

勝次は「1ラウンド目はめっちゃ調子良くてパンチも出せて、でも技が入って見てしまうのが駄目で、パンチは貰ってないですけど、左ミドルキックあんなに貰っちゃ駄目だなと思います。」と反省の念。

リング上マイクアピールでは「今回でこの新日本キックボクシング協会を離れることになりました。藤本会長が亡くなられてから伊原代表に面倒見て頂いて、今迄僕を育てて頂き、チャンスを与えて頂いて有難うございました。今後、僕の成功は伊原代表の成功に繋がると思っているので他団体に行っても一生懸命頑張ります!」と勝利して語るつもりだったという言葉を残した。

岩橋伸太郎は「今回、勝次選手と試合出来て、伝説の人だったので、僕の中では対戦出来て良かったですね。手応えはミドルキック当たってたんですけど、勝次さんは最後盛り返して来て、ボディーは結構いいパンチ貰ったりしたので、結果はしょうがないかな。決め手を作らないといけないなと前から思っているんですけど、ちょっと盛り上げられることが出来て良かったと思います。」と応えた。

◆第11試合 フェザー級ノンタイトル3回戦

日本フェザー級チャンピオン.瀬戸口勝也(横須賀太賀/56.95kg)
        VS
NJKFフェザー級チャンピオン.前田浩喜(CORE56.95kg)
勝者:瀬戸口勝也 / KO 1R 2:52 /
主審:少白竜

ミドルキックなど、蹴りで距離を保つ前田浩喜。ローキックから距離を詰める瀬戸口勝也は圧力が増していく。パンチの距離になるとヒザ蹴りで返す前田。

瀬戸口勝也が距離を詰めていく、前田浩喜は蹴りで対応

ロープ際に詰めたところで前田の蹴り終わりを狙った瀬戸口の右フックが前田のアゴにヒットすると前田はガクンと倒れ込む衝撃のノックダウンだが意識はある為、レフェリーのカウントは続くが足が動かない前田。立ち上がることは出来ず、カウントアウトされた。

瀬戸口の右フックがヒット、前田はこの後立ち上がれず

◆第10試合 フェザー級3回戦

木下竜輔(伊原/56.7kg)vs NJKFフェザー級8位.坂本直樹(道場373/56.85kg)
勝者:坂本直樹 / 判定0-3
主審:中山宏美
副審:椎名27-28. 少白竜27-28. 桜井27-28

両者、ローキック、ミドルキックで様子見の攻防から坂本直樹が先にパンチでプレッシャーをかけて出る。幾らか蹴り合いの後、木下竜輔がパンチ連打で坂本をグラつかせ攻勢に立ち、ロープ際に詰めて連打してスタンディングダウンを奪った。更に右ストレートで追うが、1ラウンド終了。

第2ラウンド、まだ効いていそうな坂本に木下の右ストレートが時折繰り出されるが、仕留めきれない。次第に回復してくる坂本が右ストレートで木下から逆転のノックダウンを奪う。立ち上がる木下は更に坂本の連打に圧されて第2ラウンド終了。

第3ラウンド、坂本がピッチを上げ、木下をコーナーに詰めてのヒザ蹴りやパンチ。木下を追い詰める。木下の焦った右ストレートはヒットせず、狙いが定まらない。少ない残り時間、逆転に懸けた木下だったが敵わず終了。

逆転された木下竜輔の反撃は敵わず

◆第9試合 78.0kg契約3回戦

マルコ(伊原/77.6kg)vsジェット・ペットマニーイーグル(タイ/77.75kg)
勝者:ジェット・ペットマニーイーグル / 判定0-3
主審:宮沢誠
副審:椎名28-29. 少白竜28-30. 中山28-29

ジェットのムエタイリズムで流れを導き、首相撲からのヒザ蹴りでマルコを苦しめ判定勝利。

ジェットの右ミドルキックがマルコにヒット、ムエタイ技に苦しんだマルコ

◆第8試合 60.0kg契約3回戦

ジョニー・オリベイラ(トーエル/59.9kg)
        VS
河崎鎧輝(RKA無差別級覇者/真樹ジムオキナワ/59.65kg)
勝者:河崎鎧輝 / 判定0-3
主審:桜井一秀
副審:少白竜29-30. 宮沢28-30. 中山29-30

蹴り合いからの主導権支配の展開も自分のペースに持ち込めない両者。蹴りから組み合って崩す戦法で優った河崎の判定勝利。

一航が一歩上手の展開でアダン・フローレスをTKO勝利に結びつけた

◆第7試合 57.0kg契約3回戦

アダン・フローレス(アルゼンチン/伊原/56.8kg)
        VS
一航(=大田一航/前・WBCムエタイ日本バンタム級Champ/新興ムエタイ/57.0kg)
勝者:一航 / TKO 3R 1:41 /
主審:椎名利一

初回、一航はローキックからパンチでの様子見からアダンがパンチ中心に出て来る様子を覗った後、左フックでノックダウン奪った一航。そのままノックアウトに繋げるかと思われたが、下がりながらも耐えたアダン。

第2ラウンドも一航の距離で主導権支配した展開。パンチの的確さ、組んでのヒザ蹴りも優っていく上手さを見せ、アダンのしぶとさが目立ったが、自軍のコーナーに帰ってもアダンはもう険しい表情。

第3ラウンドもよりピッチを上げた一航。アダンは右目尻にコブを作り、そこコブから出血も見られ、一航のヒザ蹴りでボディーも効いた様子を見せたアダン。一航が更にパンチ連打で追って赤コーナーに追い詰めたところで、アダンのセコンドがタオルを投げるそぶりを見たレフェリーが棄権を認め、試合ストップした。

◆第6試合 58.5kg契約2回戦

吴嘉浩(伊原/時間内無計量/減点2)vs Ryu(クローバー/58.0kg)
勝者:Ryu / TKO 2R 0:49 / ハイキック、ノーカウントのレフェリーストップ
主審:少白竜

初回はRyuがローキックでやや攻勢を掴んだ流れから、第2ラウンドにも左ローキックで吴嘉浩の右脚を攻めた直後、左ハイキックでアゴを打ち抜くと、後ろ向きに倒れた吴嘉浩。マットで後頭部を打ってノーカウントのレフェリーストップ。暫く動かずも意識は回復したが立ち上がることは出来ず、担架で運ばれた。

◆第5試合 アマチュア女子37.0kg契約2回戦(2分制)

西田永愛(Qeen’s Fight全国トーナメント初代35kg級覇者/伊原越谷/34.7kg)
      VS
瀬川柚子心(TEAMBADASS/34.3kg)
勝者:瀬川柚子心 / 判定0-3 (19-20. 19-20. 19-20)

◆第4試合 女子(ミネルヴァ)49.0kg契約3回戦(2分制)

ナディア・ブロン・バルビス(アルゼンチン/伊原/48.2kg)
        VS
ミネルヴァ・ライトフライ級2位.佐藤”魔王”応紀(PCK連闘会/48.4kg)
引分け 1-0 (29-29. 30-28. 29-29)

◆第3試合 アマチュア女子49.0kg契約2回戦(2分制)

堀田優月(闘神塾/48.85kg)vs Queen Bee夏美(=小澤夏美/拳神/48.7kg)
勝者:堀田優月 / 判定3-0 (20-19. 20-19. 20-19)

◆第2試合 アマチュア45.0kg契約2回戦(2分制)

西田蓮斗(伊原越谷/44.1kg)vs奈良遥真(VALLELY KICKBOXING TEAM/44.5kg)
勝者:西田蓮斗 / 判定3-0 (20-18. 20-18. 20-18)

◆第1試合 アマチュア44.0kg契約2回戦(2分制)

原龍之介(伊原越谷/43.6kg)vs佐伯蓮(MIYABI/42.0kg)
勝者:原龍之介 / TKO 1R 1:19 / ノーカウントのレフェリーストップ

《取材戦記》

勝次はすでに新日本キックボクシング協会を離れる発表をしており、ノックアウト勝利で有終の美を飾りたかった試合だっただろう。判定でも勝つには勝ったが、大差を付けられなかった無念さはリング上でも表れていた。今後、他団体で現役生活最終章を完全燃焼する為の戦いに挑む。

セコンドに着いた江幡塁から健闘を称えられる木下竜輔

WKBA世界スーパーバンタム級チャンピオン、江幡塁は久々のリング登壇。復活の御挨拶を行なった。

「最近、試合見かけないなあなんて思われている方も多いかと思いますが、僕は今年2月末に左後頭部に脳腫瘍を患いました。4センチほどの大きな腫瘍で手術前の検査では、『恐らく悪性で手術しても全てが取り除ける状態ではない』という深刻な状況の中、すぐに緊急入院して、3月初めに手術を行なったんですけども、先生からは『無事、手術が終わりました』とお話を頂きまして、摘出した腫瘍は、運が良く血管が全部大変なところを避けていたので、全部摘出することが出来ました。その結果、腫瘍は良性である可能性が高いことが判明しました。本当に大変な病気でしたが、後遺症も無く戻って来ることが出来ました。2ヶ月間、懸命なリハビリを重ねまして、今はトレーニングを再開出来るまで回復しました。この病気をして、皆さんも江幡塁は『引退かな』と思われている方もいらっしゃるかと思いますが、皆さんの前で、応援してくださる新日本キックボクシング協会のファンの前でしっかり発表したいことがあります。僕はまだ選手を諦めていません。もう一度、このリングに立って、皆さんの前で戦いたいと思っています。そんな挑戦をしていきたいと思っています。」と語る復活宣言と、
「僕の挑戦は先生と伊原代表と相談しながら慎重になって挑戦を続けて行きたいと思います。僕は今後、新日本キックボクシング協会代表のもとで、僕は選手育成を行なっていきたいと思っています。僕はデビューしたての頃、伊原会長に『お前は絶対チャンピオンに成れる。だから沢山学びなさい。チャンピオンに成る人間は立派な人間でなければならない!』と会長からそう教えられて、キックボクシングを続けて来ました。こんな僕が会長からキックボクシングを通して生き方を教えて貰ったと思っているので、僕は後進にその生き方を学びとして教えていきたいと思っています。そして新日本キックボクシング協会から世界を獲れるような強さ、そして自覚を持った選手を輩出していけるように力を尽くしていきます。(一部省略)」

江幡塁が久々の新日本キックに登壇、明るく復活宣言を行なった

長い長い7分に渡るメモ無しの頭脳明晰な語り口だった。4月のNKBでの笹谷淳の引退御挨拶もメモ無しトークだったが、それより長かった。

まだ現役を続けるならば江幡塁はメインイベンターとしてまだまだ頑張るだろう。兄の江幡睦は昨年9月、キックボクシングパーソナルフィットネスジム「LIGHT HOUSE TOKYO」を設立し、インストラクターをしていると言い、江幡ツインズとしても活動の場は広がるだろう。何はともあれ大病の最悪の事態から逃れ、復活されたことはファンを安心させ、トークでは結婚し、お子さんが誕生したことも語られた。お目出度続きを心から祝福したいものである。

次回、新日本キックボクシング協会興行は来春となりますが、新たな展開が予感出来る2024年でしょう。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年11月号

6月に引退した笹谷淳がレフェリーデビュー。
カズ・ジャンジラはムエタイテクニシャンの壁崩せず。
片島聡志は判定ながら主導権奪った完勝。
藤原あらし、ヒザ蹴りの決定打足りず引分けに終わる。

◎野獣シリーズvol.6 / 10月14日(土)後楽園ホール17:30~21:00
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定;NKB実行委員会

◆第12試合 67.0kg契約 5回戦

NKBウェルター級チャンピオン.カズ・ジャンジラ(チームジャンジラ/1987.9.2東京都出身/66.6kg)42戦20勝(4KO)16敗6分
        VS
サムランチャイ・エスジム(元・ルンピニー系スーパーバンタム級2位/1995.6.7タイ国イサーン地方出身/66.9kg)77戦48勝(13KO)24敗5分
引分け 三者三様
主審:前田仁
副審:鈴木49-50. 加賀見50-49. 高谷50-50

カズ・ジャンジラが先手を打って蹴って出ると、その都度、サムランチャイは強く蹴り返して来る。

カズ・ジャンジラが踏み込んだ右足を払い、この後転ばせたサムランチャイ

カズのローキックでバランス崩したサムランチャイがコーナーに詰まるとカズはパンチでラッシュをかけるが、その踏み込んだ右軸足を払い避けてカズを転ばせてしまう上手さを見せた。プレッシャーをかけて出るカズに対し待ち構えるサムランチャイ。カズが出れば返す余裕は続くが、カズを追い込むには至らない展開が続いた。カズは攻撃力を増すもムエタイテクニシャンを追い込むには至らなかった。

ロープ際に下がる展開も要所要所で強い蹴りを繰り出すサムランチャイ

カズ・ジャンジラは「サムランチャイはやり難かったですね。テクニックで圧されちゃいました。もっと蹴って来ると思ったんですけど、その蹴りに合わせること意識していたのと、ヒジ打ち狙っているのが分かったので警戒し過ぎました。」と語った。

攻め倦む展開も攻勢を掛けるカズ・ジャンジラ、チャンピオンの意地

◆第11試合 56.8kg契約5回戦

片島聡志(元・WPMF世界スーパーフライ級Champ/KickLife/1990.10.19大分県出身/56.7kg)54戦29勝(5KO)20敗5分
        VS       
NKBフェザー級5位.鎌田政興(ケーアクティブ/1990.5.6香川県出身/56.45kg)
19戦8勝(3KO)9敗2分
勝者:片島聡志 / 判定3-0
主審:高谷秀幸
副審:鈴木50-45. 加賀見50-44. 前田50-45

片島聡志の先手を打つ蹴りから、鎌田政興の前蹴り足を掴んで左ボディブローを打ち込む。徐々に多彩な技で勢い有る片島のペースが上がっていく。鎌田はパンチローキックを返し突破口を探る。

第3ラウンドに偶然のバッティングで片島が左目尻を切り、鎌田がやや手数が増えるが、片島の勢いは変わらず。

終盤に移っても片島にとって慣れた5ラウンド制でスタミナに問題無いが、やや勢いは弱まったか、それでも飛び後ろ蹴りも繰り出して余裕を見せる片島。

第4ラウンド、勢い付いた片島聡志の飛び後ろ蹴り

最終第5ラウンド、ハイキックを繰り出しながら更にフェイント掛けて右ハイキックで鎌田の顔面にヒットしてノックダウンを奪う。立ち上がる鎌田に勢い付いて最後にハイキック繰り出して終了。

片島聡志は「鎌田はボディブローで効いている感じもあったのに失速しないので、このままいくと疲れちゃいそうで、そのまま狙いを上下散らして4ラウンドから技を確かめるようにマススパーリング的に進めました。ハイキックヒットはたまたまです」と笑顔で応えた。

片島聡志がラストラウンドにノックダウン奪った右ハイキック

◆第10試合 バンタム級3回戦

藤原あらし(元・WPMF世界スーパーバンタム級Champ/1978.12.22和歌山県出身/バンゲリングベイ/53.35kg)99戦63勝(41KO)24敗12分
        VS
中島大翔(GET OVER/2004.8.28愛知県出身/53.5kg)10戦4勝(1KO)4敗2分
引分け 1-0
主審:加賀見淳
副審:鈴木30-28. 高谷30-30. 前田30-30

中島大翔は元・全日本バンタム級チャンピオン(NJKF同級C)の中島稔倫氏の御子息である。

初回、蹴り合いでの探り合いから首相撲へ、更にヒザ蹴りの応酬。ブレイクが掛かり、離れるとまたパンチやローキック、ミドルキックの距離に戻るが、またすぐ密着の首相撲に移る繰り返し。

藤原あらしのムエタイ技、首相撲からのヒザ蹴り

第3ラウンド終盤、中島の飛び回し蹴りを見せるも藤原あらしは凌いでミドルキックなど蹴りで返す。ベテラン藤原あらしに立ち向かった中島大翔は勇敢に攻めたが、有効打に差は付け難く引分けに終わった。

中島大翔も大ベテラン藤原あらしに臆さず顔面狙って右ハイキックを蹴り込む

◆第9試合 59.0kg契約3回戦

半澤信也(Team arco iris/1981.4.28長野県出身/58.58kg)28戦10勝(4KO)14敗4分
      VS
鈴木ゲン(拳心館/1973.6.5新潟県出身/58.5kg)8戦6勝(4KO)1敗1分
勝者:半澤信也 / 判定3-0
主審:鈴木義和
副審:前田30-28. 笹谷30-29. 加賀見30-27

両者、主導権奪う勢いが無く、ノックアウトには結び付き難い流れだが、鈴木ゲンの手数少ない為の半澤信也の手数が優り、内容的にも僅差ながら判定勝利を掴む。

◆第8試合 ライト級3回戦

来(=らい/テツ/1994.7.9大阪府出身/60.8kg)14戦6勝6敗2分
      VS
山本太一(ケーアクティブ/1995.12.28千葉県出身/61.0kg)14戦5勝(4KO)6敗3分
勝者:来 / 判定2-1
主審:高谷秀幸
副審:笹谷30-28. 前田30-29. 加賀見29-30

両者、積極的に主導権支配に蹴って出るが、なかなか噛み合わない流れで有効打少なく、ポイント振り分け難い、採点が分かれる僅差となったが、ややパンチのヒットが目立った来が勝利を拾った。

終始圧倒した安河内秀哉がノックダウンに繋げる飛び回し蹴りヒット

◆第7試合 54.5kg契約3回戦

蒔田亮(TOKYO KICK WORKS/2002.6.23千葉県出身/54.4kg)4戦3勝1敗
      VS
安河内秀哉(RIKIX/2003.10.7東京都出身/54.3kg)6戦4勝(2KO)2敗
勝者:安河内秀哉 / 判定0-3
主審:鈴木義和
副審:加賀見25-30. 前田24-30. 高谷25-30

安河内秀哉の蹴りで主導権奪い、第2ラウンドに飛び左ハイキックで蒔田亮の顔面を捕らえるとダメージ負って後退するところを左ストレートでノックダウンを奪った後、蹴りの攻防からパンチとヒザ蹴りで2度目のノックダウン。

第3ラウンドにも飛びヒザ蹴りでスリップ扱いながら蒔田を転ばせ、パンチからヒザ蹴り、ロープに詰めてのヒジ打ち連打でスタンディングダウンを奪う。更に攻勢を掛け、ストップ寸前に追い込むも倒し切れず大差判定勝利となった。

◆第6試合 56.0kg契約3回戦

シャーク・ハタ(=秦文也/テツ/1987.10.20大阪府出身/55,25kg)8戦4勝3敗1分
      VS
龍一(拳心館/1995.11.17新潟県出身/55.7kg)7戦6敗1分
勝者:シャーク・ハタ / 判定3-0
主審:笹谷淳
副審:高谷30-27. 前田29-28. 鈴木30-28

レフェリーを務めた笹谷淳とシャーク・ハタのハイキック

◆第5試合 バンタム級3回戦

ベンツ飯田(TEAM Aimhigh/1997.4.17群馬県出身/53.3kg)15戦3勝(1KO)9敗3分
       VS
田嶋真虎(Realiser STUDIO/2002.6.28埼玉県出身/53.15kg)4戦2敗2分
引分け 1-0 (30-27. 30-30. 30-30)

◆第4試合 60.0kg契約3回戦

猪ノ川海(大塚道場/2005.9.30茨城県出身/59.9kg)2戦1勝(1KO)1敗
      VS
利根川仁(Realiser STUDIO/2003.1.24東京都出身/59.7kg)2戦2勝
勝者:利根川仁(青コーナー) / 判定0-2 (28-30. 29-30. 29-29)

◆第3試合 女子55.0kg契約3回戦(2分制)  

KARIN(HEAT/2007.2.15静岡県出身/54.55kg)3戦1勝2敗
      VS
MEGUMI KICK SPARK(KICK SPARK/1979.12.4大阪府出身/54.8kg)5戦1勝4敗
勝者:MEGUMI(青コーナー) / 判定0-3 (27-30. 26-30. 28-30)

◆第2試合 ライト級3回戦

森野允鶴(渡邉/2001.1.17東京都出身/61.2kg)1戦1勝
      VS
佐藤拓也(クロスポイント吉祥寺/1983.8.5山形県出身/61.15kg)3戦3敗
勝者:森野允鶴(赤コーナー) / 判定3-0 (28-26. 28-26. 28-26)

◆第1試合 フェザー級3回戦

KATSUHIKO(KAGAYAKI/1975.11.13新潟県出身/56.55kg)5戦2勝(2KO)2敗1分
      VS
増田康介(Realiser STUDIO/2003.6.13愛知県出身/56.75kg)2戦1勝1敗
勝者:KATSUHIKO(赤コーナー) / TKO 2R 2:50 / ノーカウントのレフェリーストップ

《取材戦記》

生まれて5ヶ月の赤ちゃんを抱く片島聡志、NKBで3連勝

2月18日にカズ・ジャンジラとのNKBウェルター級王座決定戦に敗れ引退し、4月15日に引退セレモニーでテンカウントゴングに送られた笹谷淳が、この日レフェリーデビューしました。前座から中盤までの中、第6試合でレフェリーを務められ、そつなくこなした様子。今後はローブローやバッティングの処置、止めるタイミングなど、難しい事態も起こると考えられるが、難しい任務を毅然と対処していけるよう頑張って欲しいものです。

片島聡志と藤原あらしが揃っての出場は2月18日以来。やっぱり存在感ある二人であった。

特に片島聡志は2月と4月とこの日でNKB出場3戦3勝(2KO)。お子さんも生まれた初戦を勝利してモチベーションも上がったことでしょう。今後もオファーがあれば出場の意欲は満々のようでした。

しかしこの日のメインイベントを務めたのはチャンピオンと成って初戦のカズ・ジャンジラ。その責任感はあっても、攻めて来ないムエタイテクニシャンには、てこずった様子。今後もタイテクニシャンや他団体チャンピオンやランカーとの交流戦も考えられるので、NKBの看板背負った戦いを乗り越えていかねばならないでしょう。

次回、野獣シリーズFINAL(Vol.7)は12月16日(土)後楽園ホールに於いて開催されます。メインイベントは59.0kg契約5回戦で、NKBライト級1位、棚橋賢二郎(拳心館)vs NKBフェザー級3位、勇志(テツ)が予定されています。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年11月号

藤田ゼン氏初興行WARRIOR開催はメインイベントが劇的TKOで締め括る。
馬渡亮太はヒジで斬られる惜敗。
浅井春香はまたも引分け防衛。
皆川裕哉は速攻のヒザ蹴りで完封TKO勝利。

◎WARRIOR/ 10月8日(日)後楽園ホール 17:30~20:41
主催:ROCK ONジム / 認定:ジャパンキックボクシング協会(JKA)

◆第9試合 70.0kg契約 5回戦 

JKAミドル級チャンピオン.光成(ROCK ON/ 69.85kg)
        VS
JKAウェルター級チャンピオン.大地・フォージャー(誠真/ 69.8kg)
勝者:大地・フォージャー / TKO 2R 1:17 /主審:少白竜

蹴りは牽制気味にパンチ重視で主導権を掴もうとする両者。光成の左ジャブが時折、大地の顔面にヒットする攻勢を維持する。

大地vs光成、ジャブの相打ち。ここまでは光成優勢

第2ラウンドにはパンチ交錯の中、大地の左のジャブというよりはストレートがヒットし、光成が後方に倒れるノックダウン。ちょっと効いた様子で立ち上がるが、再び大地の左ストレートがまともにヒットすると光成はまたも後方へ倒れ込む。

ダメージを見たレフェリーがほぼノーカウントでストップした。勝った大地はリングを駆け回り喜びを表した。

大地が左ジャブで光成をロープ際へ追い込むが強打はまだ温存

最後の左ストレートヒット後、光成は後方に倒れるとレフェリーは止める体勢

◆第8試合 58.06kg(128LBS)契約 5回戦

馬渡亮太(治政館/2000.1.19埼玉県出身/ 58.0kg)
        VS
ビン・リアムタナワット(タイ/18歳/ 58.0kg)
勝者:ビン・リアムタナワット / TKO 2R 1:09 /
主審:松田利彦

第1ラウンドは様子見ながら馬渡亮太が先手を打って出る

第2ラウンドの序盤この辺りでビンが馬渡の頭部を切ったか、この後更に左ヒジ打ちに移る

馬渡亮太はWMOインターナショナル・スーパーバンタム級チャンピオン。

ビンはタイトル歴は無いが、ラジャダムナンスタジアム常連のスーパーフェザー級メインイベンター。

ローキックで様子見の両者。ミドルキックへ繋ぐ中、馬渡亮太は前蹴りでビンのバランスを崩す先手を打つ上手さを見せる。

クリンチ気味に接近戦になると、どちからのヒジ打ちが出るようなスリルが漂う。

やや馬渡のペースになりつつある中、第2ラウンドにはビンが勢いを増して来た。

接近戦に入ると本領発揮か、一瞬の左ヒジ打ちで馬渡の頭部(髪の中)をカット。続行する中、鮮血が流れた。

更に接近した瞬間、ビンの左ヒジ打ちで馬渡の右眉上をカット。今度はすぐにレフェリーが中断。

長く1分程掛かったドクターチェックの末、続行不可能勧告を受け入れたレフェリーが試合はストップした。

直接的箇所は右眉上のカット。試合運びは馬渡が主導権を握りつつあったが、タイの一流どころはこんなヒジ打ちが怖いところである。

続行を訴えたという馬渡亮太の無念さが表れる傷の深さ

浅井春香が得意とする相手に体重をかけてのヒザ蹴り、掴まえてもっと圧倒したかった

◆第7試合 女子(ミネルヴァ)スーパーバンタム級タイトルマッチ 3回戦

選手権者.3度目の防衛戦.浅井春香(KICK BOX/ 55.15kg)
        VS
同級1位.MARIA(PCK大崎/TeamRing/ 55.15kg)
引分け 三者三様
主審:中山宏美
副審:少白竜29-29. 勝本29-30. 松田29-28

浅井春香は今年3月26日、引分け防衛となった相手、MARIAと再戦。

両者、パンチとローキックから組み付いて行くと浅井のヒザ蹴り。

離れればMARIAのパンチが目立ち、バックハンドブローは当たらなくてもインパクトを与えた。

浅井は組み合ってのヒザ蹴りは出るが離れた距離でのローキックやミドルキックが殆ど出ない。出しても単発で首相撲に入る。

3月の試合から大きな変化は無かった展開で三者三様の引分け。

浅井は2021年6月20日にKAEDE(LEGEND)との王座決定戦で勝利するも昨年5月21日、KAEDEに引分け初防衛し、これで3連続引分け防衛となった。

試合終了間近になって浅井春香がハイキックを繰り出す

◆ジャパンキック協会・ライト級2位内田雅之(KICK BOX/1977.12.26神奈川県出身)引退セレモニー

内田雅之は新日本キックボクシング協会で2011年12月17日に日本フェザー級王座決定戦で瀬戸口勝也(横須賀太賀)に判定勝利し王座獲得。4度の防衛戦を経て、2015年10月25日に重森陽太(伊原稲城)に判定で敗れ王座陥落。今年3月19日にジャパンキックボクシング協会のライト級王座決定戦で睦雅(ビクトリー)に大差判定負けが最後のタイトルマッチとなった。

セレモニーでは協会代表、小泉猛氏より功労金贈呈、記念のパネル贈呈、鴇俊之会長の労いの言葉、ジム、後援会などから花束贈呈の後、内田雅之氏の御挨拶と続いた。

「本日は御来場有難うございます。私、内田雅之はキックボクサーを引退させて頂きます。このようなセレモニーをして頂いたジャパンキックボクシング協会の皆様、今迄応援してくれていた皆様、KICKBOX鴇会長、本当に有難うございました。デビューして19年、山あり谷あり、谷の方が多かったかもしれません。でもそこで皆さんの応援してくれた御陰で自分はここまで来れたと思います。本当に有難うございます。雅之コールはもうリングの上では聴けませんが、あの時の気持ちを忘れないで、次の舞台でも挑戦し続けて頑張りたいと思います。これからのジャパンキックボクシング協会の御発展を祈念しております。本当に有難うございました。」

目線は会場の観衆に向け、メモ無しでしっかり自分の言葉で挨拶を終えた、結構インパクトある15分ほどのセレモニーだった。戦績61戦35勝(8KO)16敗10分。

引退セレモニーに臨んだ内田雅之、エキシビジョンマッチは出来ない事情があった

◆第6試合 フライ級3回戦

JKAフライ級2位.西原茉生(治政館/ 50.65kg)
        VS
WMC日本フライ級1位.シンイチ・ウォーワンチャイ(ウォーワンチャイ/ 50.65kg)
勝者:シンイチ・ウォーワンチャイ / 判定0-3
主審:椎名利一
副審:少白竜28-30. 中山29-30. 松田28-30

組み合ってのヒザ蹴りで主導権を奪ったシンイチ。蹴りのタイミング、的確さで優り、リズムを崩された西原はシンイチより出遅れた流れで攻め倦む展開。シンイチが優勢を維持して判定勝利した。

◆第5試合 フェザー級3回戦

JKAフェザー級2位.皆川裕哉(KICKBOX/ 57.0kg)
        VS
チャット・ロックオンジム(元・ルンピニー系ミニフライ級7位/タイ/ 56.8kg)
勝者:皆川裕哉 / TKO 1R 2:06 /
主審:勝本剛司

ローキックからミドルキックで先手を打った皆川裕哉の速攻。蹴りからコーナーに詰めたところで右ヒザ蹴りをボディーに決めるとチャットは堪らずノックダウン。ダメージを見てカウント中のレフェリーストップとなった。

先手必勝の皆川裕哉、最後は青コーナー側でヒザ蹴りで仕留めた(位置的に撮れず)

◆第4試合 56.0kg契約3回戦

JKAバンタム級4位.樹(治政館/ 55.65kg)
        VS
JKイノベーション・フェザー級3位.前田大尊(マイウェイ/ 55.8kg)
勝者:前田大尊 / 判定0-3
主審:少白竜
副審:椎名28-30. 中山29-30. 勝本28-30

◆第3試合 ウェルター級3回戦

JKAウェルター級3位.山内ユウ(ROCKON/ 66.3kg)
        VS
細見直生(KICKBOX/ 65.8kg)
勝者:細見直生 / 判定0-3
主審:松田利彦
副審:椎名28-29. 少白竜28-29. 勝本28-29

◆第2試合 ライト級3回戦

JKAライト級3位.貴雅(治政館/ 60.75kg)
        VS
デーシング・ロックオンジム(元・ラジャダムナン系ミニフライ級2位/タイ/ 61.0kg)
勝者:デーシング・ロックオンジム / 判定0-3
主審:中山宏美
副審: 松田28-30. 少白竜29-30. 勝本29-30

◆プロ第1試合 バンタム級3回戦

ストロベリー稲田(治政館/ 53.4kg)vs九龍悠誠(誠真/ 53.2kg)
勝者:九龍悠誠 / TKO 3R 1:59 / カウント中のレフェリーストップ

◆オープニングファイト.3

JKA29kg級タイトルマッチ2回戦(2分制/延長1R)
脇田剛士朗(治政館)vs野本かれん(WIVERN)
勝者:脇田剛士朗 / 判定2-0 (19-19. 20-19. 20-19)

◆オープニングファイト.2

JKA29kg級 Bクラスルール2回戦(90秒制)
藤田彪(ROCKON)vs松本将真(ビクトリー)
勝者:藤田彪 / 判定2-0 (20-19. 19-19. 20-19)

◆オープニングファイト(アマチュア)第1試合

JKA32kg級 Bクラスルール2回戦(90秒制)
藤原駈(ROCKON)vs武内宥護(JSK)
勝者:藤原駈 / 判定3-0 (20-18. 20-28. 20-18)

《取材戦記》

初のプロモーターを務められた藤田善弘氏は、藤田ゼン(横須賀太賀)として2010年10月に緑川創(藤本)の持つ日本ウェルター級王座挑戦し判定負けの経験があります。

現在はROCKONジム会長として今回の興行開催を終えて、「右も左も分からなくて気が狂いそうでした。終わってホッとしています。第1試合からいい試合が続いて、メインイベントも凄く良かったので選手の皆に救われました。」

次の主催興行予定については、「無いです!いや、1年に1回ぐらいですかね。またやります!」継続してこそプロモーターの経験実績が積み重なっていくでしょう。その意欲は感じられました。

大地・フォージャーは「1ラウンド目はジャブ貰って効いてしまって、ヤバイぞと思いましたが、自分の左(ジャブやストレート)を信じ切っていたので、しっかり打ち込みました。1回目のダウン奪って、ノックアウトはいけると思いました。あと、試合前にある関係者から『観客は少なくても動画(映像)は残るから、この先誰が観るか分からないよ。後々振り返られる歴史に残る名勝負を残してくださいね!』と言われた言葉が頭に残って、その結果だと思います!」と語った。

実際、メインイベント時点で観衆は少なく、これではモチベーションも上がらなかったかもしれない。でもこの日はペイパービューによる生配信が行われていました。更に録画はこの先、どんな運命でどこで使われるか分からない。好ファイトを残しておけば何かの縁で地上波放送にスポット的でも使われるかもしれない。そんな意識が働けば、下手な試合は出来ない感情になったかもしれないだろう。

3度の防衛戦がすべて引分けになった浅井春香のジム会長、鴇稔之氏は、「浅井はいつもどおり何も出ないね。まあいつもよりはちょっとだけ3パーセント増しぐらい出たけど、練習では凄い迫力で強いミドルキック20連打5セット出せるのに、試合でそのちょっと、3連発でもいいからミドルキックでも出せば勝てるのに、なぜか試合では蹴りが何にも出ない。メンタルの問題だけど、何とか打開したいね!」と言うとおり、組み合ってヒザ蹴りは出るが、体勢が悪く圧倒するような強さは感じられず、ローキックやミドルキックも殆ど出なかった。

「練習では根性、試合では勇気!」といった輪島功一氏のように、意識を変えて次の防衛戦に期待したいものである。

次回のジャパンキックボクシング協会の興行は11月26日(日)ビクトリージム主催でKICK Insist.17が後楽園ホールで開催予定です。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年11月号

◆「お前なら沢村忠に勝てるぞ!」

富山勝治(とみやまかつじ/1949年2月8日宮崎県延岡市出身)は4人姉弟の長男で、姉一人、妹二人。本名は富山勝博。キックボクシングの帝王、沢村忠の後継者として、飛び後ろ蹴りを必殺技に戦い続けたTBSキックボクシング全国ネットの代表的スター選手。花形満、稲毛忠治、サミー・モントゴメリーとの壮絶な戦いは今も語り草となっている。

初の回転バック蹴りヒットの姿、当時のプログラム裏表紙より

キックボクシングを始めた切っ掛けは、高校卒業後入隊した海上自衛隊での上司の森嶋日出春氏の言葉だった。

「富山くん、お前なら沢村忠に勝てるぞ!」

九州では当時まだキックボクシングの放送は無く、「沢村って誰?」と思うほど、まだキックボクシングの存在も知らなかったが、広島の呉港に停泊した時、初めてテレビで沢村忠vsポンニット・キットヨーテン戦を観て、「これが沢村か、なーにこの野郎なんか一発だ!」と思ったという。

後々、3年間の海上自衛隊を満期退職し上京し、目黒ジムに入門。

「お前は目黒ジムじゃないと駄目だぞ。」と森嶋氏に言われていたとおり、「野球で言えば、巨人の王・長嶋のように大手のジムへ行け!」という忠告に従ったとおりだった。

入門後、朝は早いが夜練習できる環境を作る為、神田の青果市場で働いた。全日本系のトップ選手、錦利弘(協同)も働いていたという。

キックボクシングの選手を見付ける度に「よーし、いつかこいつを倒してやるぞ!」と思うばかりの粋がった新人時代だった。

◆関門海峡渡れない

デビュー戦は1970年(昭和45年)8月9日。山梨県甲府市でKO勝利。当時は目黒ジム隆盛期。「沢村さんっていつ練習しているんだろう。」と思うほど、ジムでは出会わなかったという。また400人ほど居たというほど練習生や選手も多く、同門対決も多かった。

同門の先輩、神田昭広戦では遠慮ない足踏みつける荒技を使いながらのローキックでのKO勝利。

「富山の野郎、汚い野郎だ!」と囁かれる反響の中、野口プロモーションの野口修社長には「根性ある!」と言われ、これで当時、アメリカ進出を狙っていた野口氏にロサンゼルスへ連れて行かれ、将来性を買われた一歩抜きん出た存在となった分岐点でもあった。

1972年1月2日、先輩の斎藤元助が東洋ウェルター級王座獲得すると、富山勝治は同年2月19日、空位となった日本ウェルター級王座を花形満(東洋)と争った。痛烈なノックダウンを何度も喫する劣勢の中、試合前に母親から「お前が負けたら関門海峡渡れないぞ!」と脅かされていた言葉を思い出し、何とか起き上がっての逆転KOは感動を呼び、TBSでは2週連続で同カードを放送される特例の事態。富山勝治は地方区から全国区へ飛躍した、更なる人生の大きな分岐点となる名勝負を残した。

日本系(野口プロモーション)復興で久々の後楽園ホール登場(1996.6.30)

◆絶望感漂う敗戦

1973年(昭和48年)1月2日、初防衛戦は急成長して来た稲毛忠治(千葉)と引分け、ライバルがすぐ後ろに迫っている危機感に圧されながら勝利を重ね、1974年1月2日、東洋ウェルター級王座決定戦でサネガン・ソーパッシン(タイ)を倒し、沢村忠と肩を並べる地位へ上昇。

しかし1975年1月2日、東洋王座初防衛戦となった稲毛忠治との2年ぶりの対決は、初回わずか76秒、パンチで倒された衝撃の展開。正月早々からキックボクシングテレビ放映史上最もショッキングと言われるほどの落城だった。

その稲毛忠治戦で最初のノックダウンの際、右足くるぶしを骨折した為の療養で、5ヶ月ほど戦線離脱。復帰後、空位の日本ウェルター級王座決定戦で飛馬拳二(横須賀中央)にノックダウン喫する逆転成らずの判定負け。これでポスト沢村は一層遠のき引退が囁かれた。

しかし、当初から決定していたとされる稲毛忠治へのリターンマッチへ再浮上を懸けた戦いへ進んだ。

「稲毛忠治に親父と御袋の前で倒された後、ちょっと弱気になったけど、姉に電話した時に『勝坊、もう宮崎に帰って来い!』と言われて涙が出たけど、その言葉でもう一回考えて、もう一回やろうと思った。もう一回復活せにゃならんと!」。

“このままでは終われない”と奮起した復帰。飛馬拳二に敗れても辞める気は無かったという。

翌1976年1月2日の稲毛忠治とのリターンマッチは、どうしても勝たねばならない土壇場からのヒットアンドアウェイ戦法で僅差ながら判定勝利。評価はともあれ復活にファンは安堵した。

東洋王座復帰後も思うように勝てぬスランプは続いたが、同年、沢村忠が7月2日の試合を最後にファンの前から突如姿を消すと、富山勝治のテレビ登場はより増えていった。ライバル的存在のタイのランカー、チューチャイ・ルークパンチャマ戦は1勝1敗の後、1978年1月2日、TBSのキックボクシング2度目の生放送で、乱闘で熱くなる中、飛び後ろ蹴りで第4ラウンドKO勝利。

TBSテレビ運動部長の森忠大氏が試合後の控室を訪れ、「富山くん、やっと沢村を越えたな!」と言ってくれたその言葉は嬉しく、今も耳に残っているという。

「後ろ蹴りは田舎の先輩で空手の達人が居て、高校時代から習った後ろ蹴りはずっと意識していた技で、まだランカーの頃、タイ選手との試合で後ろ蹴りをやった時、軸足を蹴り上げられたから、飛んで回ればいいと考えて飛び後ろ蹴りを始めたもので、ずっと続ければいつか閃くものです!」と語る。

旧ゴング誌編集長、舟木昭太郎さんのトークショーで久々にファンの前に登場(2019.4.20)

そうしてポスト沢村を手中にした富山勝治は、同年5月8日に日本武道館での、TBS放送500回記念興行が3度目の生放送として、全米プロ空手を迎え入れることになった最初の興行にメインイベンターとして出場。USKFAジュニアミドル級チャンピオンのサミー・モントゴメリーに、第2ラウンドに右ストレートを受け、右肩から落ちて脱臼骨折。大ピンチから5ラウンドまでローキックで逆転寸前に追い込むも判定負け。この大怪我でまたも戦線離脱となってしまった。

しかしそれも3ヶ月で復帰し、8月20日のラスベガス興行に臨んだ。キックボクシングが世界的メジャー競技になる為のアメリカ全土征服は野口修氏がキックボクシング創設当初から狙っていた野望だったという富山勝治。メインイベンターとしてエディ・ニューマンを第4ラウンドKO勝利で存在感を示した。

◆富山勝治は健在!

沢村忠引退後、全国ネットでお茶の間に君臨したメインイベンターは富山勝治が担ったが、TBSで10年半続いた月曜夜7時枠のゴールデンタイムを離れ、諸々の事情はあったものの、深夜放送に移った1979年4月以降と放送完全打ち切りとなった1980年4月以降、活躍する姿を全国に届けることは極めて難しい時代に入ってしまった。ここからテレビ放映復活へ試行錯誤を繰り返した野口プロモーションであり、メインイベンターとして戦った富山勝治であった。

後のテレビ朝日での3度の特別番組の中、1981年1月7日には日本武道館で、野口修氏が老舗の威信を懸けたWKBA世界二大タイトルマッチ(10回戦)を開催。ウェルター級で富山勝治がその大役を任された。やがて32歳を迎え、体力的なピークも過ぎての過去最高峰の戦いは過酷だった。ディーノ・ニューガルト(米国)に初回から右ストレートでアゴを打ち抜かれてダメージを引き摺りながら第9ラウンドまで踏ん張ったが2分41秒、テンカウントされても動けないKO負けで、今までのような怪我とは違う、身体的ダメージと体力的限界が感じられたことは否めなかった。

日米決戦、ロン・ホフマン(米国)戦、テレビ朝日放映3戦目(1981.5.9)

ジョー・ヒギンス(米国)戦、テレビ東京放映2戦目(1981.11.20)

後のテレビ東京に移ったレギュラー枠も1982年1月7日のエドワード・ラメッツ戦でKO勝利後、「テレビ東京からあと何年かやってくれと言われたけど、もう闘争本能が湧いて来なかったから、やらなかったですよ!」と語る。

エドワード・ラメッツ(米国)戦、テレビ東京放映3戦目(1982.1.7)

エドワード・ラメッツ戦勝利後、インタビューを受ける(1982.1.7)

この現役最後の頃からスパゲッティ屋「がんがん石」を展開。渋谷、新宿、自由が丘、高円寺、小倉に3店、博多、宮崎と全部で9店舗。「店を広げ過ぎたな!」と言うほど長くは続かなかったが、実業家としての第一歩はビジネス拡大への縁も深く繋いでいった。

1983年11月12日、後楽園ホールでロッキー藤丸(西尾)を相手に引退試合を行ないKO勝利で有終の美。これで富山勝治だけでなく、TBS時代からのキックボクシングは寂しい終焉を迎えた時代の流れだった。

ラストファイト、ロッキー藤丸戦のリングに入場(1983.11.12)

全力を尽くしたロッキー藤丸戦(1983.11.12)

引退後はジム経営、プロモーター、トレーナーといった何らかのキックボクシング運営に一切関わらなかった富山勝治氏。

「沢村さんが一切マスコミなどメディアにもキックボクシング関係にも出なかったから、その貫く意思を尊重しました。沢村さんあっての自分の存在があったから、沢村さんがやらないなら私もこの業界に残ることはしませんでした。」と語られています。

続編では富山勝治さんの経歴の裏側とその語り口をお話致します。

有終の美を飾って祝福を受け、記念のチャンピオンベルトを巻いた富山勝治

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

◆無名の新人から飛躍

渡辺明(わたなべあきら/1960年6月北海道出身)は1981年(昭和56年)4月、北海道から上京し、名門・渡邉ジムに入門。昭和50年代後半の、テレビレギュラー放映が終了したキックボクシング界氷河期に現れた。

渡辺明の素質に気付いた渡邊信久会長は厳しさ頑固さで有名な指導の下、同門の実力者、酒寄晃の後継者と見込まれ、翌年1982年4月デビュー。カウンターパンチに逆転KO負けの痛い黒星スタートだった。しかしこの敗戦の反省点はしっかり克服。素早い動きでローキックからパンチなど多彩に攻める連係技で14連勝(10KO)の後、1984年11月に、一時的ながら最も価値が高まった統合団体、現在のNKBグループとして存在する日本キックボクシング連盟での一番最初の興行で誕生したチャンピオンである。

この新団体での初代日本フェザー級王座決定戦では、葛城昇(習志野)をローキックで追い詰め、第3ラウンドにパンチで3度のノックダウンを奪ってKO勝利で王座獲得し注目される存在となった。徐々に優勢に立つ渡辺明に「こんないい選手が居たんだなあ。」と隠れた存在にファンの関心も増えていた。

ここからの輝いた時間は短かったが、当時の業界全体としても注目が集まった、新時代に相応しいスターだった。

青山隆戦、タイトルマッチで再戦が見たかった一つ(1983年9月10日)

[左]注目の王座決定戦、葛城昇を倒す、これも再戦が期待されていた(1984年11月30日)/[右]渡辺明、チャンピオンベルトを巻いた新スター誕生の日(1984年11月30日)

◆孤独な戦い

当時、渡辺明は両国駅近くの蕎麦屋に勤務。店から新小岩の渡邊ジムとアパートまで往復12kmを練習用具を入れたリュックを背負いロードワークを兼ねて走った。このエピソードは珍しく当時の新聞記事になり、職場を中心とした後援会の発足に発展した。

その王座獲得後第1戦目が1985年(昭和60年)3月の風吹竜(君津)を第3ラウンドKOで下した試合はローキックに威力が増し、パンチでも風吹竜を圧倒。更に強くなって風格が増していた。

王座獲得後第一戦目となった風吹竜戦、勢い増したKO勝利(1985年3月16日)

当時フェザー級ランカーは、かつて渡辺明が下した鹿島龍(目黒)、青山隆(小国)、葛城昇(習志野)の他、嵯峨収(ニシカワ)、山崎通明(東金)など選手層が厚かったが、「一歩抜きん出ている渡辺明の王座安泰は長く続くのではないか。」とさえ思われた。しかし、運命はファンの期待を裏切る方向へ進んでしまう。

期待された統合団体は同年4月、設立からわずか半年足らずで分裂してしまった。
内部事情はさておき、ここで渡辺明の運命も大きく変わった。初防衛戦で予定されていた鹿島龍(目黒)戦や分裂によって上位ランカーとの対戦はもう不可能と言われるほど遠のいてしまった。

1985年6月7日、高谷秀幸(当時=ロバート高谷/千葉)を1ラウンドKOに下し初防衛。更に磨かれたローキックとパンチはスピードと重量感を増していたが、渡辺明はライバルが全くいなくなり、何か寂し気に見えてしまう存在となってしまった。

初防衛戦、代打出場のロバート高谷に圧倒の勝利(1985年6月7日)

そこまでは順調だったチャンピオンロードも思わぬ不覚から下降線をたどる。同年9月7日、渡辺明は井志川雅志(伊原)戦でハイキックをアゴに食らい、負傷による4ラウンドTKO負け。「レフェリーの制止を振り切ってでも戦いたかった!」と言うが、入院せざるを得ない重症だった。

◆最後の大舞台

静養後、翌年1986年6月に復帰し2連勝。11月29日には黒崎健時氏が主催した「神秘のムエタイ」が両国国技館で開催。ムエタイ二大殿堂チャンピオン対決がマッチメイクされる中、日本から唯一、渡辺明が出場。タイから推薦されたデショー・ウォースントンノンは渡辺明にとって険しくも、強豪との対戦には相応しい存在だった。

結果は為す術もなく鋭いローキックで2ラウンドKO負け。渡辺明の切れ味良いローキックを上回る、本場の重いローキックに立っていることが出来なかった。ムエタイ路線の第一歩は無残にも打ち砕かれた。

ムエタイの壁は厚かった。デショーにローキックで倒される(1986年11月30日)

翌年1987年6月、上田健次(士道館)とのフェザー級トップ対決でも、何かおかしい渡辺明の動きの鈍さ、上田のスピードで圧されパンチで第2ラウンドKO負け。

「本能的に立ち上がったけど“これで終われるんだ”という弱気な気持ちが頭を過ぎった途端、立った時はテンカウントの後だった」という。渡辺明は復帰の道を考えつつも、5年間の選手生活に終止符を打つ決意をした。

選手の寿命はダメージも主な原因だが、モチベーションの維持も大きく占めるであろう。

渡辺明が長く戦えたかは分からないが、防衛戦で注目の対決を実現したかったであろう本人や、ファン、マスコミ関係者の想いは大きかった。今でも時代を越えた、戦わせてみたい夢のカードは尽きない。

◆消息は不明

渡辺明は静養から復帰後で、神秘のムエタイ出場前の1986年6月14日、この年の1月までラジャダムナンスタジアム・フライ級チャンピオンだった、サンユット・チャイバダンと対戦予定があった。日本キックボクシング連盟にしては、設立以来(その後も含めて)、極めて難しかった現役ムエタイチャンピオンクラスの招聘。ポスターとプログラムにも載ったが、来日が間に合わず夢と消えた。渡辺明は代打出場の李振興(韓国)をあっさり第2ラウンドKO勝利。

充実していた時期、チャンピオンとしてコールされる(1986年6月14日)

李振興に圧倒の勝利(1986年6月14日)

仮にサンユット戦が実現していたらどんな展開になっていたかは興味が尽きない。勝利を予想する者はいなかったが、その後に控えたデショー・ウォースントンノン戦への良い前哨戦になっていたのではないかという意見は多い。

今回の渡辺明氏に関して、触れておきたい私(堀田)の拘りの、昭和の業界低迷期を支えたキックボクサーとして、聞ける情報は少ない中、過去に新聞コラム用でインタビューしたジムトレーナーと、新たに渡辺明氏に接したことある関係者のお話を参考にさせて頂いた内容です。

私は、渡辺明氏が王座獲得後の翌年新春興行後の帰りだったか、水道橋駅に向かう橋の上で、後輩の手前、ちょっと粋がった感じで歩く姿を見かけたことがあり、「あっ渡辺さん!」と声掛けたら「ハイ!」と急に好青年に顔つきが変わって接してくれたことがありました。リング上でチャンピオンベルトを巻いた姿の写真にサインを求めると、「お名前は?」と丁寧にサインして頂いたことが懐かしい思い出である。この人はファンを大切にしっかり向き合う人だなと感じた、当時の水道橋の歩道でした。

渡辺明氏は引退した後に埼玉県内で、一軒家で犬を飼って一人暮らしをしていた様子。性格的に大人しく、多くを語らない渡辺明氏で、「当時は肉体労働系の職人をやっていたのでは?」と言う関係者のお話と、酒寄晃氏の場合同様に消息不明ながら「今は何しているのかなあ!」という渡邉信久会長でした。

[左]上田健次にも倒されてしまったラストファイト(1987年6月13日)/[右]幻のサンユット戦、表紙になった渡辺明(1986年6月14日用プログラム)※共にスポーツライフ社「マーシャルアーツ」誌面より。筆者撮影

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年10月号

剛腕・畠山隼人が倒された。
優心、渾身のヒジ打ちで逆襲ドロー。
真美、執念のS-1世界王座制覇。

◎NJKF 2023.4th / 9月17日(日)後楽園ホール17:25~20:55
主催:ニュージャパンキックボクシング連盟 / 認定:NJKF、ソンチャイプロモーション

◆第9試合 NJKFスーパーライト級タイトルマッチ 5回戦

第5代選手権者.畠山隼人(E.S.G/63.15kg)36戦21勝(11KO)13敗2分
        VS
挑戦者同級1位. 吉田凛汰朗(VERTEX/63.35kg)23戦10勝(3KO)9敗4分
勝者:吉田凛汰朗 / TKO 2R 1:22 / ノーカウントのレフェリーストップ
主審:多賀谷敏朗

5年に渡りNJKF王座に君臨する畠山隼人は昨年11月13日、第8代WBCムエタイ日本スーパーライト級王座決定戦で、真吾YAMATOを初回KO勝利で上位王座戴冠。

両者、ローキック中心の様子見の中、吉田凛汰朗の左ジャブが牽制パンチで軽いヒットだが畠山隼人の顔面を捕らえた。更にロープに詰めて連打。主導権を握りつつあったが、畠山の返しの剛腕左フックもあって深追いはしない。

しかし、第1ラウンド終盤、その畠山の左フックで吉田がノックダウン。足が揃って後ろに倒れたが、効いた様子はほぼ無い流れでラウンド終了。

畠山隼人の左フックでノックダウン喫した吉田凛汰朗。効いてはいなかったという

第2ラウンドもパンチとローキックの攻防では吉田の勢いがある中、吉田の相打ち気味の左フックが畠山にヒットすると脚に来た畠山は後退。そこを逃さず、吉田が飛びヒザ蹴りでコーナーに追い込むと強烈な右ストレートで畠山がノックダウン。

吉田凛汰朗の相打ち気味の左フックで形勢逆転、攻勢を掛ける

目はしっかりしていたが、ヤバイといった表情。更なる吉田の右ストレート、左右フック連打で畠山が前のめりに倒れると、まだ意識はあって立ち上がるも多賀谷敏朗レフェリーはダメージを見て試合ストップ。畠山隼人は5年に渡るNJKF王座から陥落となった。吉田凛太朗は初戴冠。

VERTEX若林会長の喜びようは、これが満面の笑みかという表情で、「吉田と研究して練習重ねた結果が出せて良かったです!」と語っているうちに祝福に訪れる関係者にも応対。会場を去るまで忙しい様子だった。

飛びヒザ蹴りからコーナーに詰めて右ストレートをヒットさせた吉田凛汰朗

◆第8試合 NJKFフライ級タイトルマッチ 5回戦

第13代選手権者.優心(京都野口/50.8kg)15戦6勝6敗3分
        VS
挑戦者同級1位.谷津晴之(新興ムエタイ/50.8kg)16戦8勝(4KO)4敗4分 
引分け 0-1
主審:椎名利一
副審:竹村48-48. 多賀谷48-49. 児島48-48

両者は2021年12月5日にもタイトルマッチで激突しており、優心が2-0の僅差判定勝ちで王座初防衛(暫定から正規へ)。

初回、両者のローキックでの様子見から、谷津晴之がパンチを加えた前進が目立つも、優心も冷静に対抗し、互角の攻防が続く。

第3ラウンド半ば、優心が谷津の蹴り足を抱えて2歩以上前進しての蹴りで、椎名利一レフェリーの「再三の注意に従わず減点」という裁定を受けてしまう。漠然と見ている側からすれば、あっけなく見える中断ではあったが、さほど流れは変わらない展開は続く。

谷津晴之の蹴り足を抱えて崩しに掛かる優心。2歩越えて攻めては反則となる

第4ラウンドには組み合った展開で優心のヒジ打ちが当たったか、谷津が鼻血を流す。接近戦での蹴りとパンチの攻防が続き、第5ラウンドには優心が減点を撥ね返すTKOを狙ってのヒジ打ちで谷津の左眉尻がカット。

優心の思惑どおりのヒジ打ちヒットで谷津晴之の右眉上をカット、逆転を狙う

パンチで打ち合いに出る谷津との攻防が激しくなるが、少ない観客席でも会場が大声援で盛り上がって終了。減点がなければ僅差ながら勝利を導けた流れも引分けに終わった優心。辛うじて2度目の防衛成った。

優心は「谷津はリベンジでグイグイ来てたんで、どうやってテクニックで往なすかがポイントでした。減点は“あ~取られるんや”という感じ。焦りました!」

最終ラウンドは「ヒジ打ちで切りまくろうかなと。その攻勢で印象点取れればいいかなと思いました!」と語った。

京都野口ジムの野口康裕会長は父親と言う優心。親子チャンピオンは何組目か

◆第7試合 S-1レディース世界ライトフライ級(-48.98kg)王座決定戦 5回戦(2分制)

まだ通過点ながら目標としていたS-1ワールドは制覇した真美

セーンガン・ポー・ムンペット(タイ/49.78→49.68kg=計量失格、減点2)58戦41勝17敗
        VS
ミネルヴァ・ライトフライ級選手権者.真美(Team lmmoRtaL/49.25→5回目で48.96kg)
17戦13勝(3KO)4敗 
勝者:真美(=まさみ) / 判定0-3
主審:中山宏美
副審:椎名46-48. 多賀谷45-50. 児島47-48

セーンガンはSEA Games(東南アジア競技大会)2022年マレーシア大会銀メダリスト

セーンガンは前日朝11時計量開始5分前の予備計量で790グラムオーバー。30分ほどで100グラム落としたが、そこで諦め陣営が棄権を申し出た。すぐに水を飲み始めたセーンガン。リミットまで落とす気が無いのか、諦めるのが早い印象。

対する真美も270グラムオーバーで、ジャケットを着て縄跳びを始めた。10分ほどで本計量に臨み、100グラムほど落ちたが、そこからスムーズには落ちない。結局1時間ほど掛かった5回目でリミットを20グラム下回る計量パス。両者ともスンナリいかない計量だったが、タイトルマッチ成立を懸けて踏ん張った真美。試合もこんな踏ん張りが活きそうな雰囲気は漂った。

しかしセーンガンは19歳ながら戦績豊富で、「パンチと蹴りをバランスよくこなす強い選手で、真美は楽勝とはいかないだろう。」という関係者の前評判だった。

試合はセーンガンが先手の蹴りから入るが、真美も怯まず前進し、パンチから蹴りと首相撲に入っても組み負けずヒザ蹴り。セーンガンの蹴りにキレや重さは感じられないが、要所要所で的確に印象点を導く上手さはあった。真美が主導権を奪った流れの印象は強いが、タイで行なわれていれば難しい採点の流れだったかもしれない。

真美は「今日、世界チャンピオンになったんですが、まだまだ上を目指していきたいと思います。」と語った。世界チャンピオンになって更に上を目指すとは何を指しているかは、まだ数ある最高峰への通過点であることだろう。

真美の右ストレートがセーンガンにヒット、主導権支配した展開を続けた

◆第6試合 54.5kg契約3回戦

NJKFバンタム級3位.嵐(キング/54.2kg)11戦9勝(2KO)1敗1分
        VS
NKBバンタム級1位.海老原竜二(神武館/54.45kg)27戦14勝(7KO)13敗
勝者:嵐 / 判定3-0
主審:竹村光一
副審:椎名30-27. 多賀谷30-28. 中山30-27

海老原竜二は、2021年にNKBバンタム級王座決定トーナメントを制し、第9代チャンピオンとなったが、昨年10月29日、森井翼(テツ)にTKO負けを喫し王座陥落。

開始から両者蹴りの様子見。海老原竜二はローキックで距離を保ってハイキック。嵐はフェイント掛け、タイミングずらした右ストレートから連打、海老原にプレッシャーを与える。

素早いヒザ蹴りで海老原のボディーを攻めると効いた様子で後退、一気に攻める嵐だが、掻い潜って凌ぐのが上手い海老原。更に蹴りからパンチのコンビネーションで立て直すも、嵐の右ボディブローヒット。

圧倒する嵐は次第に攻め切れなくなる流れで手数が減り、海老原の蹴りとパンチのコンビネーションの勢いを許してしまうが、ポイントを失う流れは許さず大差判定勝利を拾う。嵐はノックアウトしたい思惑はあるものの、倒せない反省を述べていた。

当て勘良い嵐のボディブローが海老原竜二にヒット、海老原も粘った

◆第5試合 61.0kg契約3回戦

NJKFライト級1位.HIRO YAMATO(大和/60.9kg)28戦13勝(4KO)12敗3分
        VS
NJKFスーパーフェザー級5位.龍旺(Bombo Freely/60.85kg)8戦6勝(2KO)1敗1分 
勝者:龍旺 / 判定0-2
主審:児島真人
副審:椎名28-29. 多賀谷28-28. 竹村27-30

HIROは昨年5月21日、NJKFスーパーフェザー級王座奪取も階級変更で後に返上。
初回から両者のパンチと蹴りの様子見から組み合って崩しやヒザ蹴りはHIROの圧力がやや優ったが、最終ラウンド残り4秒で龍旺の左ストレートがヒットでHIROがノックダウンを喫してしまう。立ち上がるも時間切れ。HIROは惜しいポイントを失った。

◎第8代NJKFスーパーバンタム級チャンピオン、日下滉大が引退テンカウントゴングに送られる。

リング上で「キックを続けて来れたのは自分がビビりで強さに憧れて来たんだと思う」ということ、そして「4度目の挑戦で王座奪取出来たことで続けて来て良かったです!」としっかり語った。

◆女子エキシビジョンマッチ2回戦(2分制)

泉あお(-無所属-) EX小倉えりか(DAIKEN THREE TREE)

◆第4試合 スーパーフェザー級(-58.967kg)3回戦

NJKFスーパーフェザー級10位.コウキ・バーテックスジム(VERTEX/58.7kg)
10戦4勝5敗1分
         VS
匠(キング/58.65kg)5戦3勝(2KO)1敗1分 
勝者:匠 / 判定0-3 (27-30. 27-30. 28-30)

◆第3試合 アマチュアOver40ミドル級(-72.57kg)2回戦(2分制)

森直樹(DAIKEN THREE TREE/71.05kg)
       VS
榊秀則(元・NICE MIDDLEミドル級C/笹羅/71.95kg)
引分け 1-0 (29-29. 30-29. 29-29)

◆第2試合 85.0kg契約3回戦

NJKFスーパーウェルター級2位.佐野克海(拳之会/84.1kg)19戦11勝(6KO)6敗2分
        VS
福士“赤天狗”直也(天狗工房/82.5kg)1戦1敗
勝者:佐野克海 / KO 1R 0:45 / テンカウント

◆第1試合 65.0kg契約3回戦

上杉恭平(VALLELY/64.45kg) 3戦1敗2分
      VS
崚登(新興ムエタイ/64.85kg) 2戦1勝1分
勝者:崚登 / TKO 2R 3:03 / カウント中のレフェリーストップ

(戦績はプログラムより、この日の結果を含みます。)

念願のチャンピオンベルトを巻き、満面の笑みを越えた激笑の吉田凛汰朗

《取材戦記》

ロッキーのテーマ曲に乗って入場した畠山隼人。結構インパクトあり、実績が伴う選手が入場するとしっくりくる名曲である。ロッキーのテーマは永遠の入場行進曲でしょう。

タイトルマッチにおける王座交代劇は衝撃的な悲壮感と歓喜に湧くドラマがあります。こういうチャンピオンシップ制度はやはり必要で、過去にも使った文言ですが、王座目指す挑戦権争奪戦と、王座をより長く防衛する努力や、強いチャンピオンから王座奪取する交代劇を今後も見たいものです。

真美の計量は女性だけに難しさがありました。身に纏う上着を量って、それを着て秤の出た目からその分を差し引く流れ。JBCならもっとスムーズにやっているだろうなという印象。計量会場となったキングジムには笑顔で入って来た真美だったが、僅かが落ちない苦悩は可哀想な状況。でもこれがプロの義務と厳しさでしょう。

次回、NJKF本興行“2023.5th”は11月12日(日)夕刻、後楽園ホールで開催予定です。

11月19日には岡山県倉敷市マービーふれあいセンター『NJKF拳之会主催興行21th~ NJKF 2023 west 5th ~』が開催予定です。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年10月号

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